BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*26 破滅への序曲

 死神と虚の激突。

 互いの死力を尽くしての一撃は大地を轟かせ、大気を呻かせた。

 霊圧同士の衝突による余波は遠く遠くへと広がっていく。

 その爆心地となった場所では、一人の死神―――焰真が膝をついていた。辛うじて斬魄刀を杖代わりに倒れていない彼は、目の前にて巻き上がる砂塵に目を遣っている。

 

「はぁ……はぁ……!」

「―――ク、ハハッ」

「っ!」

「アハハ、ハハハハ、ヒヒ、ヒャハハハハハ!!」

 

 狂ったような笑い声と共に、砂塵を払い飛ばす影。

 突如として現れる空間の裂け目。永遠に続いているかと錯覚してしまうほどの闇の前に佇むのはディスペイヤーである。

 血塗れという訳ではないが、傍目から見てもボロボロだ。

 とても互いに戦闘を続行できるような状態ではない。

 

「残念! 残念だったねぇ、アクタビエンマ! ホント残念。残念で仕方ないよ!」

「っそ……まだ!」

「まだも何もないよっ! さようならアクタビエンマ! ごめんなさいアクタビエンマ! 嗚呼、本当に残念でならないよ!! キミに殺されなかったこと!! ううん、キミを殺しきれなかったこと!?」

 

 空いている孔を塞ぐように手で押さえつけているディスペイヤーは、涙を流しつつ笑っている。

 

 顔が歪んでいた。

 喜と哀の狭間で彷徨っているかのような表情の彼は、そのまま黒い空間―――黒腔へと飛び込んでいく。

 

「アハハ、でもまた会いに来るよ! きっと! 絶対! 約束! だってボクはキミに―――」

 

 遠のいていく声。

 それはディスペイヤーがどんどん離れていったからであろうか。はたまた、焰真の意識が薄れていっているから―――。

 

(血を流しすぎたか、くそッ……!)

 

 ふと地面を見遣れば、今までの戦いの最中で負った傷口から溢れた赤い粘性の液体が、どす黒い染みを作っているのが目に入る。

 しかし、気力だけで倒れるのを堪える彼は、歯を食いしばって空を仰ぐように顔を上げた。

 

「俺は……あいつをっ……!」

 

 笑った顔が泣いているように見えたのか。

 泣いている顔が笑ったように見えたのか。

 

 ないハズの心を押さえる彼の最後の姿が脳裏に過る焰真は、決して死ねぬと自分に言い聞かせる。

 だが、すでに限界に近い体だ。

 瀞霊廷に戻らんと一歩足を踏み出せば、それだけで最後の力を絞り切ってしまい、前のめりに倒れてしまう。

 

「……?」

 

 焰真の体に衝撃は来た。

 が、地面に衝突したにしては、やけに柔らかい感触だ。否、血を流しすぎて感覚が鈍くなっているという可能性さえあるが、その段階に至っているならば最早風前の灯火と言っても過言ではないだろう。

 

 そのようなことを考える焰真であったが、ぼやける視界の中、最後に目にしたのは白い羽織と風に靡く襟巻き。

 陽の光を燦々と照り返さんとするほどの光沢を有す、とても自分では買えそうにない程の高級感が漂うそれを身に纏う人物は、

 

「く……ちき……たいちょう……?」

 

 五大貴族が一、朽木家当主。そして六番隊隊長を務める男、朽木白哉。

 彼は焰真が倒れる寸前にて腕で受け止めてくれていたのだ。

 自分を支えてくれた人物が、親交があるとは言い難いにしても信頼を置くに値する人物であると知った途端、重い瞼はフッと閉じ、同時に意識もシャットダウンされる。

 

 そのような自分の腕で眠りについた少年を前に、白哉は能面の如き無表情のまま、唇を動かした。

 

「……よく、耐えた」

 

 それは届くことの無い賞賛であり、必ずや目の前の少年の命を救わんと奮起する白哉の誓いの言葉でもあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 冥い実験室。

 得体の知れない液体瓶が陳列する部屋の中で、一人の少女は実験台のようなものの上に寝かされていた。

 まるで眠り姫の如く微動だにしない体を前に、妙に爪の長い指をほぐすように忙しなく動かしてる男は、やれやれと首を振っている。

 

「まったく……使えん部下を持つと苦労するばかりだヨ。こんな小娘一人連れてくることも叶わんとは……だがまあ、僥倖だネ。これも日頃の行いのおかげというべきか」

 

 奇怪な化粧を施した顔の男の名は涅マユリ。

 技術開発局二代目局長であり、十二番隊隊長でもある。

 

 今、彼の目の前に居る人間はこれから弄ろうとしている実験体だ。今では希少種の滅却師。部下に流魂街から連れてくるよう命じていたハズであるのだが、虚の襲撃で取り逃がしたと聞き、一時は呆れと怒りを覚えていたマユリであったが、偶然にも獲物は自ら瀞霊廷にやって来てくれた。

 

 怪我人と言い、とある隊士が瀞霊廷まで連れ込んできたのだ。

 それから救護詰所に運び込まれた滅却師の少女のことを録霊蟲で確認し、またもや部下に命じて連れて来させた。

 

「さて、と……」

 

 いざ。

 

 そう意気込むかのように息を吐いたマユリであったが、突然実験室の扉が開く。

 普段は決して開かれぬ、マユリの私的な実験室。そこへ何の連絡もなしに訪れた人物に、彼は不機嫌な様子を隠さない。

 

「……何だネ、一体?」

「涅隊長……なにをするつもりですか……っ!?」

 

 現れたのはマユリの記憶にない死神。包帯を死覇装の陰から覗かせる少年は、疲労した顔色を隠せぬまま、息を切らして入り口に佇んでいた。

 

 他の隊士は何をやっているんだか……、と侵入を許してしまったことに思考を巡らせるも、すぐさま打開案を実行に移す。

 

「ネム」

「はい」

 

 応えるのは、マユリのすぐ傍に居た麗しい容貌の女性。

 左腕に副官章を身につけ、改造された健康的な足をあられもなく露わにする死覇装を身に纏うのは、十二番隊副隊長こと涅ネムだ。

 感情を面に出さない彼女は、マユリの次の句を待つ。

 

「そいつを部屋から追い出せ」

「畏まりました」

「っ……!」

 

 有無も言わさないと言わんばかりに、やって来た死神―――焰真を追い出そうとするネム。

 しかし、そこへすぐさま助け船が出された。

 

「それは些か強引ではなくて? 涅隊長」

「……これはこれは卯ノ花隊長殿」

 

 怪訝に眉を顰めるマユリの視線の先に佇むのは、四と刻まれた羽織を纏う女性。

 彼女こそ、救護部隊である四番隊隊長である卯ノ花烈だ。

 

 彼女の背後には、落ち着かない様子の銀髪長身の副官、虎徹勇音が控えている。

 四番隊の長と次席。そして見知らぬ隊士という珍妙な組み合わせだ。そこにある程度の興味はそそられるものの、今はただ実験を邪魔されていることが気に食わない。

 

「連絡もなしに訪問とはずいぶんな真似を」

「そちらこそ、此方がお預かりしていた病人を勝手に連れ出すとは」

「ハテ、何のことやら」

 

「っ……!」

 

 わざとらしくとぼけるマユリの様子に、焰真は思わず前に飛び出しかけるものの、やんわりと腕で制してくる卯ノ花によって何とか堪えてその場に留まる。

 

 何故この場に三人が来たのか―――その理由は以下の通りだ。

 偶然討伐隊を率いて流魂街に出向いていた白哉が、応援要請を受けて焰真とディスペイヤーが戦っていた現場に到着後、倒れた焰真を連れて瀞霊廷に帰還。

 その際、滅却師の少女も連れて瀞霊廷へ向かっていたルキアと恋次と合流。彼らはそのまま救護詰所に赴き、怪我人を治療させるに至った。

 

 そして焰真が目を覚ましてすぐ、ことの次第を見舞いに来ていたルキアたちから耳にし、滅却師の少女の居場所に赴いたものの、ベッドは既にもぬけの殻。

 傷ついた体を押して複数人の証言を得た焰真は、ディスペイヤーが口にしていた内容と虚に襲撃されて死亡した隊士が十二番隊であることを思い出し、技術開発局へ向かおうとした。

 その際、怪我人が駆けまわっていることを窘めに来た卯ノ花たちに焰真が事情を説明し、彼女たちと共に技術開発局に赴き、卯ノ花の“笑顔”で証言をさらに集め、滅却師の少女の居場所を突き止め―――今に至る。

 

「さて、涅隊長。その子は私の隊が預かる病人です。お返し頂けないとなれば、少々困ったことになりますが……」

「ナニ、怪我人の治療程度、我が技術開発局でも事足りることだヨ」

 

 互いに牽制し合う卯ノ花とマユリ。

 

 言葉のみとは言え、剣呑な空気が流れる中で焰真は生唾を飲んで事の成り行きを見守る。

 

 誓ったのだ―――滅却師()守ると。

 もし仮に、何の罪もないあの少女に魔の手が伸びると言うのであれば、焰真は自分の立場も省みずに少女を連れ出すだろう。それだけの覚悟を、今の彼は有している。

 

 焰真の鋭い睨みはマユリに向けられていた。

 だが、当のマユリは一切気にもせず、卯ノ花との話にのみ意識を向けている。

 

「まさか、ですが」

「?」

「『滅却師だから』。それだけで、私利私欲のために倫理から外れた実験を行って?」

「それがどうかしたのかネ?」

 

 余りにもあっさりとした肯定。

 

 思わず悪寒を覚えた焰真であるが、マユリは淡々と言葉を連ねていく。

 

「いやはや、滅却師とはとても興味深い種族だネ。私も瀞霊廷のためとは言え、罪のない彼らを解剖し、実験し、結果としてある程度の痛みを与えることになるのは心がとても痛むというものだヨ」

「……これまでもやってきたと?」

「とても、有意義なデータはとれたがネ」

 

 にっこりと喜色を浮かべるマユリ。

 

 一方で卯ノ花は険しい表情を浮かべ、佇んでいた。焰真も同様。言ってしまえば、今すぐにでもマユリに飛びかかってしまいかねない程に顔には怒りの色が滲んでいた。

 

「だったら……」

「ん?」

 

 口をついて言葉が出てくる。

 

「だったら、金輪際……滅却師だからって命を弄ぶのはやめてください……っ!!」

 

 震えた声だ。手を出さない代わり、彼の握りしめる拳の指と指の間からは血が滲んでいる。

 鬼気迫る表情は、副隊長である勇音も思わず気圧されるほど。

 卯ノ花もまた、彼がそこまで滅却師に執着する理由を思案しつつも、並々ならぬ決意を感じさせる焰真に、感嘆で肌が粟立つのを覚えた。

 

―――良い顔ですね。

 

 戦う者として一皮むけている表情に、卯ノ花はまた一人死神が成長している事実を感慨深く思う。

 

 しかし、問題はマユリの滅却師の扱いだ。

 

「涅隊長。例え貴方が技術開発局局長であって、ある程度の自由は認められているからといって、彼の言う通り罪のない命を弄ぶのは認められません」

「ホゥ……それを卯ノ花隊長が言うとは。これはこれは興味深い」

「……」

「っとっと」

 

 含みのある言い方をするマユリに対し、他の者達に感じることができぬ圧を卯ノ花は向ける。

 極限まで研ぎ澄まされた“圧”は他者に悟らせない。

 只一人、斬るべき相手に向けられる。それはまさしく研ぎ澄まされた刃のように―――。

 

 そのような威圧を受けたマユリは、おどけた様子でそれらを流す。

 互いに曲者である実力者。友好的な空気は望めそうにない。

 

 このままでは千日手になりかねない―――そう思った時、部屋に一陣の風が吹き渡る感覚を焰真は錯覚した。

 

「―――死神は、魂に平等で在るべき……違うか? 涅マユリ」

「……これはこれは朽木隊長。こんな辺鄙な場所に君という者がわざわざ来るとは、私も驚きだよ」

 

 銀白のマフラーと隊長羽織を靡かすは、六番隊隊長であり、緋真の夫でルキアの義兄。

 

「朽木隊長……っ!?」

 

 驚きの余り、焰真は開いた口が塞がらない。

 何故彼がここに?

しかし、そのような疑問が解決されぬままに、白哉は言葉を紡いでいく。

 

「兄の身勝手は赦されざる所業。厳に正されるべきだ」

「……普段とは相変わって弁舌なことで。流石は掟を厳に守る貴族殿だネ」

 

 どこか皮肉めいた言い回しだが、白哉の面は山の如く不動。

 これはルキアも未だに馴染めないのも分かる―――焰真は横目で彼の様子を窺い、少々朽木家の家庭が良好であるか心配になった。

 

 それは兎も角、白哉は厳かな雰囲気を漂わせ、マユリに言い放つ。

 

「兄がこれ以上身勝手を為すと言うのならば……然るべき手続を経た後に、兄が真に隊長の器に収まるべき者かを問おう」

「……ちっ。仕方ないネ……まあ、もう十二分に研究した種族だ。これから研究できなくとも、多少の心残りはあるが一向に問題はないヨ。嗚呼、だがこれで瀞霊廷の技術の進歩が遅れると思うと心が痛むネ」

「必要のない犠牲を強い得る進歩は……咎められるべき罪だ」

「これは随分な綺麗事を……」

「……無暗矢鱈と命を弄ぶな……そう言っている」

 

 自分たちの用いている技術が高尚な手段から生まれて得たものばかりではないことを示唆しようとするマユリであったが、それを遮る白哉に黙らせられる。

 その程度、重々承知している―――そう言わんばかりの冷たい声色は、一切の反論を許さない。

 

 だが、その一歩手前で自ら退いたマユリだ。

 これ以上、二名の隊長たちと口論するのは寧ろ時間の無駄だと割り切り、『持っていけ』と言わんばかりに滅却師の少女が寝かされているベッドから離れていく。

 

 すると焰真は即座に歩み寄り、すやすやと寝息を立てている少女をぎこちない動きで抱き上げ、卯ノ花たちと共に部屋から去っていった。

 

 歩くこと数分。

 技術開発局の特徴的な建物から離れた通路の辺りで、眠る滅却師の少女を抱き上げる焰真は、『あの……』と無言で先を行こうとしている白哉に声をかけた。

 

「どうしてあそこへ……?」

「……」

「い、いやっ、すみません。ともかく、ありがとうござ―――」

「ルキアに……」

「……え?」

「ルキアに頼まれた。是非とも、兄に手を貸して欲しいと」

「ルキアに……」

 

 振り返らず語られた内容に、焰真は再び唖然とする。

 

 ルキアが白哉に対してそのような旨の頼みをするとは予想外であったとしか言いようがない。

 そして何より、その頼みを白哉が承諾し、わざわざ赴いて来てくれたことが驚きだ。

 

 ジン、と胸が熱くなる感覚を覚え、焰真は眠っている少女が起きぬよう注意を払いつつ頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「礼ならば……」

「ルキアにも……ですよね?」

「……わかっているならばいい」

 

 そう言うと白哉の姿は消える。

 瞬歩で去っていったのだろう。なんとも不器用な人間だ。不愛想に見えるものの、義理は堅い。

 今回の助け舟も、言い方を変えれば『義理の妹の頼みを受けてやって来た』訳だ。

 とても仲がいいとは思えぬものの、白哉もルキアの頼みを聞いて他人を助ける程度の気概があるようで、焰真はどこかホッとする。

 

(ルキアに伝えないとな)

 

 彼もまた妹を大事に想う兄なのだと。

 

「う、う~ん……」

 

 その時、胸の内でもぞもぞと滅却師の少女が動いた。

 起きたらしい彼女は、ぼんやりとした視界で辺りを見渡した後、自分を抱き上げている人物と視線が交差する。

 

「あ……」

「おう、よく眠れたか」

「……っ!」

 

 次の瞬間、滅却師の少女は抱き上げている焰真の首へ腕を回し、力強く抱き締める。

 思わぬ行動に瞠目する焰真であったが、突き放すことができるハズもなく、ただただ自身を離さんと言わんばかりに抱き締めてくる滅却師の少女に対し困惑するだけにとどまった。

 

「―――った」

「ん?」

「こわかったぁ……!」

「っ……」

 

 震えた涙声。

 その声色を、焰真は聞いたことがある。

 

 他ならぬ、自分の―――。

 

 恐怖に彩られた彼女の胸中を慮り、焰真はそっと手を頭に乗せ、軽く叩くように優しく撫でる。

 暫く間、嗚咽は焰真の胸元から止むことなく響き渡っていた。

 そしてそれらが止んだ時、パッと滅却師の少女は顔を見上げ、

 

「ありがとう……!」

 

 笑顔を花咲かせた。

 

―――ああ、そうだ。俺が見たかったのは……。

 

 その笑顔を前に目頭が熱くなった焰真。

 自分が守った命の熱。それを胸いっぱいに抱き締める彼は、ただただ優しい笑みを返し、誇れる存在をひしひしと確かめるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「まさか、崩玉を使わずして破面になるとは……」

 

 それは好奇であり感嘆を含む言の葉。

 

「興味深い力だ、芥火焰真」

 

 冥い影は、また一歩忍び寄ってくるのであった。

 




*二章 完*
三章はまだ書き上がっておりませんので、書き上がり次第投稿という形を取らせて頂きます。

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