BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*3 追うべき背中

 目が覚めた時、目に入ったのは天井と、

 

「あ、志波副隊長ォー! 目が覚めましたよォー!」

「……?」

 

 知らない女性だった。

 凡そ日本人とは思えない色の髪を短髪に切り揃えている快活そうな女性は、得体の知れない光を放つ掌を、焰真の肩に当てている。

 朦朧とする意識の中、焰真は周囲を見渡す。

 

 ここは確か緋真の寝屋だったハズだが―――。

 

「ひさ姉っ……づッ!?」

「あぁー!? 急に起きちゃダメだってば! 虚に肩噛まれて割と酷い怪我だったんだから!」

 

 緋真の安否を気にする余り飛び起きた焰真であったが、肩口に響く痛みに悶絶し、再び布団の上に倒れるようにして寝転んだ。

 そんな彼を窘める女性は、『あんまり動かないでよ』と念押しをした後、更に肩へ光を当てる。暖かい。不思議と痛みも和らいでいくようだ。もしかすると、これは死神しか知り得ない回復術であるのかもしれない……痛みで逆に冷静になった焰真は、天井を見つめながら思案する。

 

「おーう、元気……な訳ねえか。まあ命あっての物種だしな。生きてるだけで儲けもんってな」

「志波副隊長、お疲れ様です!!」

「病人の前で大声出すな。でもまあ、流石四番隊から浮竹隊長の面倒看るために異動しただけのことはあるな。運がよかったぞ~、ガキンチョ」

「……は?」

 

 何を言っているのかさっぱりだった。

 しかし、志波副隊長と呼ばれた男性は、素っ頓狂な声を上げる焰真の一見失礼そうな反応を気にすることもなく、床に臥す焰真の横にて胡坐を掻く。

 

「……あんたは?」

「お、自己紹介がまだだったか。俺は護廷十三隊十三番隊副隊長、志波海燕だ。よろしくな」

「副……隊長?」

 

 副隊長。普通に考えて、隊の№2ということになるのだろう。

 そのような大物が何故、流魂街の寝屋に居るのか考える焰真。

 

 確か、ルキア捜索の帰りに少しばかり山へ食料を調達しに行き、帰った先で緋真と見知らぬ男たちが虚に襲われているのが目に入った。

 無我夢中のままに虚に斬りかかったはいいものの、ロクにダメージを与えることもできぬまま、自分は肩を噛まれた後、動けず意識を―――。

 

(そうだ、ひさ姉は……)

 

 記憶の最後では、緋真が『逃げろ』という自分の叫びとは裏腹に虚へと立ち向かっていたハズ。

 彼女の安否はどうなのか?

 焰真はこれでもかと言わんばかりに目を見開き、己を副隊長と称した男性へ視線を投げかける。

 

「ひさ姉……女の人は?」

「ん? ……ああ、お前の近くに居た子か。安心しろ、その子なら―――」

「焰真っ!」

 

 落ち着いて語る海燕であったが、突然室内に響いた声がそれを妨げた。

 聞き慣れた、それでいて聴いて安らぐ声。視線だけ入り口の方へ向ければ、そこには心底安堵した様子の緋真が、桶に水を入れて立っていた。

 急いで駆け寄る彼女は、今にも泣き出しそうな表情のまま焰真の顔を見つめ、絹のような肌触りの手で焰真の頬を撫でる。

 

「痛くはない? 大丈夫? ああ、私は焰真がもしも死んでしまったら……」

「……生きてるから安心してよ」

 

 もう片方の手で口元を覆う緋真は、震えた声で語る。

 今となっては最愛の弟。彼が死んでしまったとあれば、血の繋がった妹を探す行動にも支障が出てしまうほど精神的にやられてしまうだろう。

 自分でそうなると確信していたらしい緋真は、ただただ焰真の回復を喜んだ。

 

「んんっ! まあ、積もる話は置いといてだな」

「「?」」

「これに見覚えあるか? ガキンチョ」

 

 ゴホンと咳払いした海燕は、どこからともなく一振りの刀を取り出した。

 特にこれといった特徴のない刀。しかし、その特徴のなさが焰真には逆に印象的であった。

 

「それは……」

「ああ、お前が持ってた刀だ」

 

 声のトーンが下がる。

 

「いいか? これは斬魄刀って言ってな、真央霊術院……まあ、死神を養成する寺子屋みたいなもんだな。そこで学んだ死神見習いの内、汗水流して勉強して鍛錬して、その上で試験通った奴だけが正式にもらえるモンなんだ」

「っ……」

「いくら拾いモンだったからって、お前みたいなガキが軽々しく振るっちゃいけねえモンなんだよ」

 

 海燕より放たれる威圧感を受け、焰真のみならず緋真や海燕の部下らしき女性の死神もまた、ゴクリと生唾を飲んだ。

 例えるならば、彼の“威”は研ぎ澄まされた刀身の切っ先。

 虚の獣の如き暴力的なチカラとは毛色が違う。洗練された力は無駄がない。

 切っ先を喉元にあてがわれた状態を錯覚した焰真は、海燕の言葉をただ聞くことしかできなかった。

 

「時々居るんだよ、武器持っただけで自分が強くなったって勘違いする奴がな。そういう奴が俺たちの世界では真っ先に死ぬ。自分の力を見誤る奴ほど、早死にするって訳だ」

 

 だからと言って、何も感じない訳はない。

 寧ろ、聞きに徹しているからこそ、海燕が紡ぐ一言一句に対して心の中でリアクションが発生する。

 

「まあ、これはもう回収するつもりなんだが……死神になる気のない奴は金輪際斬魄刀に触れるなよ。死神ごっこで虚と戦って死んだら―――」

 

 その時、焰真の中で一つの感情が爆発した。

 カッと頭に血が上る感覚。虚と戦った時と同じだ。

 すると焰真は顔を真っ赤にし、動かないように言われていたことも忘れて飛び起き、裸足のまま外へ飛び出していってしまった。

 『おい!? 待て!』や『焰真!?』といった制止の声も振り払い、遠く、遠くへと。

 

 外は雨だった。

 焰真の心境と同じだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 焰真は町から少し出た所にある木の根元に座り込んだ。

 青々と生い茂る木葉の陰に居るため、多少雨風は凌げる。それでも横殴りの雨風を完全に防ぐことはできず、みるみるうちに焰真の体は濡れていく。

 冷えていく体の中で、傷を負った肩に熱を感じた。

 次に熱を感じたのは―――頬。

 雨の中でもわかるほどに涙を流していた焰真は、最初こそ嗚咽を我慢するように口を一文字に結んでいたが、とうとう堪え切れなくなり天を仰いだ。

 

「あぁあぁぁぁ……うぁぁああああ゛あ゛……!!!」

 

 弱弱しい泣き声。

 それらは雨音に掻き消される。

誰かに聞いてほしい声だった。だけれども、誰にも聞いてほしくない声でもあった。

 

 涙を流すのは焰真にとって、自分が弱い者だと示す真似。

 自分は強くなければならなかった。大事な人―――緋真を守るため。

 だからこそ今まで我慢していた涙であったが、虚と戦い無力を思い知らされた今は、涙を流す程度の恥など些少の問題にもならなかった。

 

 泣く。泣く。泣いて、また泣く。

 

 今まで泣かなかった分を取り戻すように、焰真は延々と泣き続けた。

 

「……焰真」

 

 だが、その雨模様が止んだのは一輪の華が訪れた時であった。

 視界の端から緋真が傘を持って歩み寄ってくる光景が映り、途端に焰真は嗚咽を飲み込んだ。

 

「……ん゛っ」

「お寒いでしょうから家に戻りましょう」

「ん゛ーんっ」

「焰真……」

 

 首を横に振る焰真を前にした緋真は、暫し思案する。

 すると彼女はやおら傘を畳み、焰真の隣へ腰を掛けた。地面が雨に濡れてぬかるんでいることも厭わない彼女の行動に面食らった焰真は、パッと緋真を見上げる。

 ―――そこには“太陽”が咲いていた。

 

「ありがとう」

 

 緋真はそっと焰真の頭を抱き寄せて、そう口火を切った。

 

「貴方が居なければ私の命運もあそこまでだったでしょう」

 

 冷え切っていた体と心に熱が滲んでいく感覚を、焰真は覚えた。

 

「でも、確かに私は貴方に……焰真に危ない真似はしてほしくありません。それは貴方が大切な弟だから」

 

 別の意味で涙が零れる。

 氷が融け、水となるような―――。

 

「あの時、逃げることはできたのかもしれません。でも、そうすることが叶わなかったのは、貴方を見捨ててまた独りになることが怖かった。それこそ、己が斃れることよりも」

「……俺も゛ッ」

「……そう」

 

 ようやく口を開いた焰真を前に、緋真は自分が語るのを止める。

 無理強いする訳でもなく、焰真が話すことを撫でて促す緋真。優しく触れる緋真の手は、複雑に絡み合った焰真の心の感情を解いていく。

 

「……怖かったんだっ、大人もっ、虚も!! 怖かったけど……逃げたかったけど……逃げられなかった!! 誰かが死んじゃうのが、俺が死んじゃうよりも!! もっと!! ずっど!!」

「そう」

「んでも、怒られたっ……じゃあどうすればいいの!? 俺っ……誰にも、なんにもしてあげられないのっ!!?」

 

 魂からの叫びだった。

 緋真と出会い、初めて触れた愛によって露わになった焰真の本性。

 それは誰にも恥じられることのない“優しさ”だった。誰かのためにと奮闘するも、子どもであるが故の無力を子どもながらに理解している。

 『それでも』と歯を食いしばって生きているこの少年を、誰が馬鹿にできようか。

 

「大丈夫」

 

 緋真は泣き叫ぶ焰真をひしりと抱き締め、

 

「貴方に救われた人間が、目の前に居ります」

 

 ありのままを伝えた。

 

 ちょうどその頃、雨は止み、雲の切れ目から太陽の光が覗き込んだ。

 しかし一方では、一層雨は勢いを増したのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おー! ここに居たのか!」

 

 わざとらしい声を上げて駆け寄ってくる死神の男性。

 彼は先程焰真に説教していた海燕だった。ようやく泣き止んだ焰真ではあったものの、彼に対して“怖い”という印象を抱いたために心の距離が開いたのか、焰真は緋真の陰に隠れる。

 その様子を目の当たりにして苦笑する海燕は、『さっきは悪かったよ』と前置きし、二の句を次いだ。

 

 また説教か。

 そう思っていた焰真であったが、どうにもそういった雰囲気は感じられない。

 

「ちょっとドス利かせ過ぎたか? まあ、それだけ死神の職業ってのも危ないし、あとはそうだな……刃物が危ない! ってこと伝えたかったんだよ。子どもがあんな刀持ってたら大人の顰蹙買うしな」

「……それで?」

「さっき言えなかったこと、伝えに来たんだよ」

 

 やおら屈む海燕は、先程からは想像できないほど暖かい笑みを浮かべつつ、その大きな掌を焰真の頭に乗せた。

 緋真の掌と比べると、ゴツゴツし、撫でられ心地もあまりよくない掌だ。

 しかし、どうしてだろうか。得も言われぬ安心感がそこにはあった。

 

「よく姉ちゃんを護ったな」

「え?」

「明日のテメーに笑われる……それをテメーが許さねえ。そんな生き方してるんだよな、お前も。俺もだ。掟だ常識だ騒いで救える命見捨てんのは、きっと明日の俺は許さねえ。きっと昨日の俺を、『馬鹿野郎』って後悔で腹掻っ捌きたくなるくらいに笑ってやる。お前もあの時はそんな気概で突っ込んでったハズだ」

 

 大きく、何もかも包み込んでくれるような―――それこそ海のような。

 

「でも、やっぱり力のないガキンチョが刀振り回すのは頂けねェ。だけどな、手前の姉ちゃんを死んでも守ろうっていう心意気は買ったぜ」

「え?」

「今は力の無ェガキンチョでも、ちっとデカくなったらマシになるだろ」

「だ、だからなんだって」

「……今、お前に斬魄刀は握らせられねェ。でもな、お前が今後本当に誰か守りたいって心から願うんだったら、死神になれ」

 

 ヒュっ、と自分が息を飲んだ音を耳にした。

 

「お前には死神になれるだけの“チカラ”がある。霊力の素質がどーのこーのって問題じゃねェ。お前の死んでも守ろうってする姿勢……ガキにしては立派なもんじゃねえか」

 

 『まあ、死んだら元も子もないけどな』と最後に付け足して、海燕は立ち上がる。

 焰真が呆気に取られている間に、男性の後ろには部下らしき死神が二名やって来た。一人は焰真を治療してくれた女性。もう一人は、ねじり鉢巻きが特徴的な男性だった。

 彼らを引き連れる海燕は、既に晴れた空を見上げて伸びをした後、カラリとした笑みを浮かべつつ焰真を見るように振り返る。

 

「護廷十三隊は、お前みたいな将来有望の死神の卵を拒まないぜ」

 

 茶化しているのか、はたまた本気でそう思っているのか。

 どちらともとれるような態度で言い放たれた言葉に焰真は何も言えぬまま、さっさと去っていってしまう海燕たちを見送る。

 彼らの黒衣を纏う背中は、今の焰真にはそれは広く見えた。

 

 追うべき背中だと―――確信した。

 

「俺っ!!!」

 

 焰真は跳ねるように前へ出る。

 

「死神になります!!!」

 

 そして、遠くまで去っていってしまった海燕たちに聞こえるようにと、あらんばかりの声で叫んだ。

 怪我をしている身での大声は体に響く。実際、治療された肩に再び痛みを覚えたが、焰真は笑みを浮かべ、痛む肩を手で押さえる。

 

 この痛みは勲章であり誓いだ。

 彼らの―――死神になるという誓い。誰かを守れるほど強くなるという、固い誓いだ。

 

 

 

 その誓いは海燕たちに届いたのか、今はまだ分からない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 九死に一生を得た次の日、動き回れる程度に回復した焰真はと言えば、近隣の住民に借りたナイフを用いて木材を削り、木刀を自作していた。

 削りは荒い。

 とてもではないが、木刀と言い切るにはお粗末な出来栄えだった。

 まるで自分のようだ、と自嘲するような感想を抱く焰真であったが、それでも完成した木刀を嬉しそうに掲げる。

 

「今はいいんだ、これで!」

 

 この木刀もどきを自分と例えるのであれば、いつか一振りの刀の如く芯の通った刃に為ることが、今の焰真の目標だ。

 それまではこの木刀もどきを相棒とし、自分なりの研鑽を積む。そしてルキアも探す。

 

「待ってろよ……!」

 

 それはルキアへ。海燕へ。そして、死神になるであろう未来の自分へ投げかけた言葉。

 

 掲げた木刀もどきの先には、憎たらしいほど彩り豊かな虹が輝いていた。

 


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