BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*30 魂の奮える刻

 日常は変わらない。

 家を出て、学校に通い、友人と喋り、学び、そうして名残惜しげに『また明日』と手を振って別れ、家に帰る日々だ。

 不満はない。

 しかし、かつて送っていた日常を想うと、今この日常を受け入れているという事実を寂しく感じてしまう。

 

(……お母さん)

 

 真咲は私室の部屋に飾られている写真を眺める。

 自分によく似た女性。紛うことなき自分の母―――咲である。

 咲は真咲が中学生の頃、虚に襲われて死んだ。笑顔が素敵で、早くに亡くなった父の分の愛情も注ごうと奮闘していた姿が印象的であった。

 

 そんな母は常々語る。

 

『明日の自分に笑われない……そんな後悔しない人生を送ってね』

 

 優しく語ってくれる母の瞳は、どこか遠くを見つめている……子供ながらにそのように感じた。

 しかし、優しい母も死に、同じ純血統滅却師の家系である石田家に引き取られ、今に至る。

 生活に不便はしていないが、厳格なおばとは中々反りが合わず、悪戦苦闘するのはしょっちゅうの話。

 

 最近は、虚との一件で諦められたのか、小姑のような小言をもらう機会は少なくなったものの、それはそれで居心地の悪さを感じる。

 

 だが、心の片隅には母が居た。

 そして今は、自分の命を救ってくれた死神の存在もある。

 どこに居るかは把握できていないが、何やら町の一角には小さな診療所が建てられるようだ。

 

 真咲は自分―――女の勘に一定の自信を持っている。

 今度、暇があり次第向かおうとは思っているところだ。

 

 それは兎も角、変わらざるを得ない毎日の中で変わらないと錯覚する日々に、また一つ新しい変化が現れた。

 

 窓の外を見遣れば、月影を背に宙を奔る人影が一つ。

 

「……死神さん」

 

 過去の母を知る死神。

 彼の纏う雰囲気は、つい最近救ってくれた死神の男によく似ているような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……冗談じゃねえ」

 

 ため息を吐きながら斬魄刀を鞘に納める焰真は愚痴を零す。

 その理由は、空座町に現れる虚の退治だ。

 

 重霊地とだけあって、それなりの数の虚が現れるとは覚悟していた。しかし、あくまでも自分程度の実力でも容易に倒せる程度の木っ端の虚が、だ。

 

巨大虚(ヒュージホロウ)なんかよりずっと強い虚がこんなに現れるなんて聞いてないぞ……」

 

 不意に焰真にかかっていた影が崩れるように消えていく。

 それは、彼の前に立ちはだかって日光を遮っていた巨大な物体が、風に吹かれた砂の城のようにさらさらと霊子を霧散させてフェードアウトしていったからだ。

 

(これで破面もどきと戦うのは十回目……流石におかしいだろ)

 

 額の汗を拭う焰真は、空座町に駐在してからの熾烈な戦いの日々を思い返す。

 普通の虚であれば、ものの数十秒で倒せるほどの実力の焰真だ。

 しかし、時折現れるのは凡そ人間の体躯からは離れた異形の姿をしている、それも仮面の剥がれた虚であった。

 そのどれも、容易に巨大虚―――延いては大虚さえ超える霊圧を有する個体ばかりであるのだ。

 

(大虚よりは人間寄りの体だから、デカすぎない分やりやすいと言えばやりやすいが……)

 

―――人を斬っているようで気分はよくない。

 

 はぁ、と今一度深いため息を吐く。

 ディスペイヤーとの一件以来、始解できるようになった焰真は、始解の間だけ普段からは考えられないほどの霊圧に上昇する。

 それは並大抵の虚では太刀打ちできないほどのもの。

 故に、その始解の特異性からさらに上の席次を勧められたのであったが、結局話がまとまらないまま今に至る。

 

 そのような焰真は、端的に言えば大虚―――正確に言えば、大虚の中でも雑兵の最下級大虚であれば一人で十分なほどの戦闘力はあった。

 

 虚の力の浄化と、防御に特化した形態―――“天極(てんごく)”。

 地獄のような苦痛を味わわせる超攻撃形態―――“地極(じごく)”。

 

 解号によって二つの形態を使い分けることが可能な煉華は、状況に応じて柔軟な戦い方ができる。

 特に、後者の形態“地極”は大虚であっても弱点の頭部に直撃させられれば、一撃で昇天させることも可能であろう。

 

 だがしかし、空座町に時折現れる破面もどきたちは“地極”の状態でも数発攻撃を加えなければならないほどに強敵だ。

 ……というのも、煉華の能力は基本的に浄化に終始する。

 どれだけ苦痛を味わわせたところで、煉華の炎は焼いた対象を死に至らしめることはなく、どのような虚であっても最終的には浄化できるのだ。

 

 それは“天極”と“地極”両方に言える話であるが、浄化能力は断然前者が上である。

 何より、不殺(ころさず)能力(チカラ)を有する煉華を振るう焰真にとって、虚に勝利することそれ即ち相手を浄化すること。

 故に、浄化能力が“天極”より低い“地極”を使うのであれば、相応に相手を倒すまで時間がかかってしまうという訳である。

 

 ましてや、グランドフィッシャーのような単体の虚はともかく、幾百を超える数の虚が溶けあって生まれた大虚―――その破面化(?)した個体を弱らせて浄化するともなれば、サッカーの試合分……はかからないにしても、ゆったりと入浴できる時間が確保できる程度にはなるだろう。

 

(というか、こんだけ色々出てくるとなると報告書書くの大変になるだろうな……)

 

 しかし、焰真にとって最も嫌であるのは山のように積み上がる書類捌きだ。

 聴くところによれば、破面もどきとはいえ、破面は瀞霊廷からすれば監視対象であるというではないか。

 それをすでに十体ほど撃退しているとなれば、帰還後の報告書まとめが地獄のような作業と化すだろう。

 

 そのことを思うと、今から既に苦笑が止まらない。

 

「死神さーんっ!」

 

 ―――などと思っていれば、下から声が聞こえてくる。

 

「ん?」

 

 やおら下に目を向ければ、そこには満面の笑みで手を振っている真咲の姿を窺える。

 現役女子高生が何もない空に向かって『死神さーんっ!』などと叫んでいる光景など、傍目からすれば奇怪以外の何物でもない。

 数秒逡巡し、このままでは埒が明かないと諦めた焰真は、軽やかに真咲の前に舞い降りる。

 

「なんだ? あんまり死神(俺たち)に関わらない方がいいって言ったろ」

 

 バツの悪そうな顔で頬を掻く焰真。

 そう、彼は真咲が滅却師だと知っているため、あえて距離をとるよう意識をしているのだ。

 滅却師が死神と積極的に関わることをよろしく思っていないことは、咲の一件でなんとなく察している。

 しかし、性なのだろう。

 グランドフィッシャーと戦った後に駆けつけてきたのも、強大な霊圧を察し、居てもたっても居られず……という理由のハズ。

 

 どうしようもなく咲の血筋を感じさせる真咲は、連日虚と戦っている焰真の身を案じているのか、暇を見つけてはこうして赴いてくるのだ。

 

―――否、それ以外にも理由はある。

 

「また、昔のお母さんの話聞きたいなぁ~って思って!」

「……ちょっとだけだからな」

「やった!」

 

―――数少ない故人の思い出を語らうことのできる相手だから。

 

 こうも迫られると突き放すことができなくなる自分の甘さにため息が出る焰真。

 故人の面影を残す少女が、母親について話をしたいと言っているのだ。突き放せる訳がない。

 

「相手が死神だってのに、そんなの関係なしに俺のこと引っ張り回してくれてだな……」

「へぇ~」

 

 なにより、自分もまた語りたかった。

 

「咲のくれたチョコレート……うまかったなぁ」

 

 悲しさを一人で抱え込んでは、圧し潰されそうになるからだ。

 ほんの僅かな咲との思い出にさえ、真咲は大なり小なりリアクションを見せ、共感してくれるように頷く。

 最初は小さい共感の波紋は、次第に重なり大きく波打つ。

 

 感情の波が荒立てば、

 

「お前は咲にそっくりだと、俺は思う」

 

 そう締め括り、隣の少女に目を遣れば、焰真は思わずギョッとした。

 何故ならば、かわいい顔が見る影もない程に涙と鼻水で汚れている―――とどのつまり、号泣している真咲が、顔のパーツ全てが中央に寄るかのように顔をしかめていたからだ。

 感動しているのか悲しみに明け暮れているかは判別付き難いが、感情の昂ぶり故にこうなっていることに違いはなさそうである。

 

「ぐずっ……ぞう゛でずがっ……!」

「……手巾使うか?」

「ありがどうございまず……ズビーッ!!」

「それで鼻かむなっ!」

「えっ?」

 

 まさか手巾で鼻をかまれるとは思っていなかった焰真は、真咲の鼻水塗れになった手巾を遠い目で見つめる。

 『ご、ごめんなさい』と言いつつ、おずおずとその手巾を差し出す真咲に、『いや、やるよ』と諦観じみた声音で応える焰真は、困ったように微笑んだ。

 

 また、振り回される。

 

 それが迷惑なようで、心地良いようで。

 

 少なくとも、彼女と共に居れば後ろ向きなことは考えずに済む―――そのような確信は抱けている。

 

 一方で、虚退治とはまた違った意味で疲弊するのもまた事実。

 しかし、やや気の抜けた今だからこそ、真咲に問いかけたい質問が脳裏に過った。

 

「なあ、一つ訊いてもいいか」

「はい?」

「志波一心って死神、知らないか?」

「―――」

 

 真咲の瞳は見開かれる。

 

「いい、え」

 

 途切れ途切れの返答だった。

 そうなったのも無理はない。

 真咲は嘘を得意としない。自分が正しいと思ったことを実践するような真っすぐな人間であるからこそ、虚と戦っている死神に加勢しようとさえする。

 

 だが、例外もある。

 

『すみません、黒崎真咲サン。アタシらとこの人のことはご内密にということで……特に死神の人たちには』

 

 空座町に居を構える命の恩人に頼まれたのだから、喋る訳にはいかなかった。

 とある駄菓子屋の店長と、命を救ってくれた死神両名に頼まれたのだ。

 

「……本当か?」

 

 真っすぐな視線が真咲を射抜く。

 それだけで真咲は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 今、目の前に居る死神は良い人だ。それは分かる。

 こうして一心のことを尋ねるのも、真に安否を確かめたいからこそだろう。

 

 それにも拘わらず、嘘を貫き通して相手を騙すことに心が痛む。

 

「……」

「……」

 

 静寂が二人の間を支配する。

 早く別の話題に移って欲しいと願う真咲は、気が遠くなるほど長い一秒を幾度も経験し、息さえも忘れてジッと焰真を見つめ返す。

 

「……わかった」

 

 口を開いたのは焰真だ。

 

「咲と似てるお前だからこそ、あっちゃこっちゃ首突っ込んでると思ったんだけどな」

 

 そうはにかむ焰真は、『変なこと訊いて悪いな』と謝ってから、不意に懐からアラーム音を響かせる伝令神機を取り出す。

 

「虚が出たな。じゃあ、今日はここまでだ」

「あっ……」

「気を付けて帰れよ」

 

 ポンと真咲の肩を叩いた焰真は、そのまま宙を翔けて去っていった。

 その背中を見送った真咲は、肩に残る温もりを確かめるように、そっと手を叩かれた場所に重ねる。

 

(……嘘だってバレたかな?)

 

 自分の演技力の無さをこれほどまで呪う日が来ようとは思わなかった。

 

 なんにせよ、仮に焰真に嘘だとバレたなら、よからぬ想像を彼に抱かせてしまったかもしれない。

 

 一つは、一心が死んだという想像。

 もう一つは、生きてはいるが尸魂界に帰ることができない事情を有してしまったと言う想像。

 

 真実は限りなく後者に近いが、真咲も詳細までは知らない。

 だが、どうにかして焰真に生きていることだけでも伝えられたなら―――。

 

 真咲は、自分の吐いた嘘の罰を受けるかのように熱く感じる熱に、そのような夢想をするのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そして次の日、真咲の通う学校の教室にて。

 

「うーん、うーん……」

 

 真咲は数多くの他人の視線に晒されるほど唸っていた。

 するとやってくるのは彼女の友人二人。

 

「どしたん、真咲? お腹の調子悪いの?」

「あ、可南」

「でも、それだったら真咲は迷わずトイレに行くと思うから、今回は違うんじゃない?」

「志穂。それってどーいう意味?」

 

 ちょっとお下品な可南と、意味深な物言いをする志穂。

 下校をよく共にする親友と言っても過言ではない彼女たちの心配を受け、真咲は笑顔を取り繕う。

 

「ごめんごめん! なんでもないから大丈夫」

「なんでもなくはないっしょー! なに? ついに石田先輩への恋心が芽生え始めた感じ!?」

「いや、だから竜ちゃんはぁ……」

「そうね。真咲はどう考えてもそういうタイプじゃないし」

「『どう考えても』を入れる意味わかんないし!」

 

 友人たちと語らうことで元気を取り戻してきた真咲は、『あっ』と声を上げる。

 

「そうだ! パン屋、今日一緒に行かない?」

「お、いいね~!」

「行く感じ? じゃあ、私も」

 

 こうして、放課後にパン屋に寄ることが決まった三人。

 何を食べようか。カレーパン、あんぱん、クリームパン、メロンパン等々……数多のパンを夢想する真咲は、まだパン屋に着かぬというにも拘わらず、口の中が涎でいっぱいになりつつも、道中の会話に花を咲かせつつ歩を進ませた。

 

 お淑やかとは程遠い下世話な会話。

 それでも楽しいことに間違いはなく、頬の筋肉が笑い疲れるほど酷使した頃、真咲は得も言われぬ空気の重さを感じた。

 

(っ……なに、この感じ?)

 

 不意に空を見上げれば、今にも雨が降り出しそうな曇天が天を覆っている。

 そのように空を仰ぐ真咲の様子に気が付いた可南と志穂の二人もまた、空を仰ぐ。

 

「うわっ、めっちゃ雨降りそうじゃん! 今日傘持ってきてないし!」

「私の折りたたみ傘貸す? 私が駅に着くまでの間だけど」

「ずぶ濡れ確定じゃーん! いやー、ヤバイわー! 上透けちゃうわー!」

 

「ちょっと、可南! お下ひ―――」

 

 いつものように応えようと視線を戻し、息を飲んだ。

 

 

 

 

 

「ちゃお」

 

 

 

 

 

 知らない人間が、可南と志穂の首に腕を回しているではないか。

 とても普通の人間とは思えぬ人物は、笑みの消えた真咲とは裏腹に、満面の笑みを浮かべていた。

 

―――どこから?

 

―――いつのまに?

 

 疑問が脳裏を過る間に、真咲の体は動く。

 

「あ、ダメだよっ」

 

 白亜の人間は、滅却十字を取り出そうとする真咲を窘める。

 

「ちょっとでも動いたら、ギッチョンしちゃうから」

「―――!!」

 

「……真咲、顔色悪いけどどうしたの?」

「え? うわっ、ヤバっ! ホントに具合悪いんじゃないの!? 今からでも家に帰る? 付き添うよ!?」

 

 友人たちの首をなぞるように指を蠢かす挙動をする白亜の人間。

 その一方で可南と志穂は、そのような人間など居ないものとして扱っている。

 つまり、目の前の存在は霊的なもの。無論、そのこと自体は一目見た瞬間に理解していたものの、問題はその霊圧の異質さだった。

 虚とも死神とも滅却師ともとれぬような歪な霊圧。

 それでいて、強大。

 

 重く鉛のように圧し掛かる霊圧は次第に顕著になっていく。

 

「あ、あれ……なんか……変。私も具合悪くなってきたかも」

「んっ……そう言われると、なんだか気持ち悪くなってきた……」

 

 放たれる霊圧が大きくなっていくと共に、可南と志穂の体に異常が現れる。

 隔絶した霊圧に当てられ、霊体が耐えられなくなり始めているのだ。

 このままいけば、強大な霊圧に霊体が耐え切れず―――死ぬ。

 

 それだけは避けなくては。

 顔面蒼白になり、今にも倒れそうな友人たちを目の前にする真咲は、必死に思考を巡らす。

 

 刻一刻と、二人の命の灯火は強大な吹雪のような霊圧に吹き消されようとしている。

 最早、一刻の猶予もない―――そう断じた真咲は、賭けに出ようとした。

 

 

 

 しかし、その必要はなくなる。

 

 

 

「―――キタ♡」

 

 

 

 凶暴な笑みを浮かべた白亜の人間―――否、破面ディスペイヤーは空を見上げる。

 刹那、光が閃いた。

 同時にディスペイヤーは二人を突き放し、黒い禍々しい霊圧を纏わせた手刀で振り下ろされる刃を防いでみせる。

 

 始まった剣戟。

 

 睨み合う黒と白。

 

「死神さん!」

 

 絶体絶命の窮地に颯爽と現れたのは他でもない、焰真であった。そんな彼の登場に、真咲は安堵と歓喜の声を漏らす。

 煉華を握る彼は真咲に視線で逃げるよう訴えると、その紅い瞳で今度はディスペイヤーを睨む。

 

「また会ったな」

「違うよ。ボクがキミに会いに来たんだ……二人っきりになれるって思ってさァ!!!」

 

 両者が互いの刃を弾いた瞬間、霊圧の余波が旋風を巻き起こす。

 さらには二人の姿は掻き消え、空高くに二つの影がどこからともなく現れた。

 

「……いい加減、決着つけたいと思ってたぜ」

「ボクも。嬉しいなぁ……こういうの、イシンデンシンっていうんだっけ?」

 

 焰真は斬魄刀を担ぎ、ディスペイヤーは遊ぶように手枷から伸びる鎖を振り回す。

 

「さあな」

「うわっ、ドラ~イ」

「悪いな、学が無いモンでよ」

「そっか。それじゃあ仕方ないね。オタガイサマだ」

 

 これから戦いを繰り広げる者達とは思えない会話。

 

 だが、高まる霊圧は鬨の声を上げんと、留まることなく上昇し続ける。

 肌をビリビリと震わせ、肉を強張らせ、骨を軋ませるかのような圧が互いに降りかかっていた。

 

「……場所替えるぞ」

「おーけぃ」

 

 そしてまたもや二人の姿は掻き消える。

 

 次に彼らの姿が現れたのは人気のない山林の上。

 すると焰真は、やおら襟元に手を当てる。

 

『はい、芥火焰真様。ご用件をどうぞ』

「成体破面“ディスペイヤー”と会敵。広域の被害が予想される。俺の半径三百間の空間凍結を頼む」

『かしこまりました』

 

 襟元に仕込まれた通信機器で会話する相手は技術開発局だ。

 虚との戦闘にあたり、広範囲に被害が及ぶと判断された場合には、現世の建造物や魂魄への被害を少しでも減らすべく、空間凍結を図るのが通例となっている。

 もっとも、空間凍結を図る相手など、それこそ大虚級の相手だが……。

 

「……律儀に待ってくれるんだな」

「うん。だってオシゴトでしょ? それなら仕方ないよ」

「礼は……言っておく」

「ドーイタシマシテ」

 

 にっこりと微笑むディスペイヤー。

 その姿だけならば普通に見えるものの、これから始まる戦いを思うと武者震いが止まらない。

 

「……お前と」

「?」

「お前と会えて俺は本当によかったと思ってる」

 

 突然の告白に、ディスペイヤーは面食らったように目を見開く。

 しかし、尚も焰真は神妙な面持ちで煉華を構える。

 

「色んな人に会った。それこそ、滅却師にも虚にも……」

「オモシロいこと言うね。虚も人なんてさ」

「違うか? ―――少なくとも俺はそう思ってる」

「……」

「最初はただ単に憧れだったんだよ。人を助けることがかっこいいって。俺もそんな風になりたいって。でもよ、そんな人たちと会って、話して、戦って……覚悟ができた」

 

 炎が迸る。

 高く、高く。

 天を焼き焦がさんばかりに燃え盛る青白い炎は、心なしか奮い立つかの如く揺らめいているようにディスペイヤーには見えた。

 

「俺は今もう一度、自分の(こころ)に誓う。人も、死神も、滅却師も、虚も……お前みたいな破面も救うってな」

「……」

 

 心が蕩けるような甘露な言葉だった。

 

 (からっぽ)だったディスペイヤー。

 生前の記憶なんてものもないディスペイヤー。

 本能のままに喰らうことを続けたディスペイヤー。

 

 ただ、それは生きるために必要だったというだけで、彼には希望もなにもなかった。

 暗闇の砂漠を手ぶらで歩き続けるような感覚だ。望みなど絶えていると、顔を延々と俯かせて意味もなく生きる毎日。

 

 そんな彼に転機が訪れたのは、遠く―――ずっと遠くに星が瞬いた時だった。

 

 その(きぼう)は彼。

 

「十三番隊二十席、芥火焰真」

「……?」

「俺の先輩の教えでな。殺す相手には名乗っておけって」

 

 殺す。

 穏やかではない―――そして以前の宣誓をふいにするような発言に、思わずディスペイヤーの顔が歪んだ。

 

「それってつまり、ボクを殺すって意味かな?」

「ああ、そうだディスペイヤー。だから、お前の名前を訊いておくぜ」

「んん?」

「ディスペイヤーなんて、所詮死神(こっち)が勝手につけた呼称だからな。ちゃんとした名前訊いておきたくてな」

「ああ、そういう……」

 

 彼の言わんとしていることを理解したディスペイヤーは、口角をこれでもかと吊り上げる。

 

 つまり、(ディスペイヤー)という人格を殺して、本来あるべき魂を救う―――その意味を持つ宣誓という訳だ。

 

「―――そんなの知らないよ」

「……なんだと?」

「ボクはボクさ。今あるここにあるものが全て」

 

 そう言ってディスペイヤーは穿たれている胸の孔に手を当てる。

 

「仮面をつけてもつけてなくっても、本能(ばか)丸出しで必死に生きようとしていて……それでも、希望が見えないからどこか消えたいって切望するみたいな、破滅願望に苛まれて……でも、やっぱり死ぬのは怖いって、惨めに今日も生き永らえようと足掻くのがボクたちだ」

 

 虚の仮面とは、魂の負の側面。しかし、当人の人格の一つであることには変わりない。

 

「だからさ……!」

 

 救われない破滅願望に苛まれる絶望(ディスペイヤー)は、泣きながら笑う。

 

(ボク)殺す(すくう)なら!! 力尽くで殺し(すくっ)てみろよっ!!!」

「望むところだっ!!!」

 

 

 

 燃える。魂が。

 吼える。魂の叫びを。

 振るう。魂のままに、その刃を。

 

 

 

 さあ、決着の刻だ。

 




*オマケ 煉華

【挿絵表示】


*おしらせ
 ハーメルン様の仕様かどうかわかりませんが、PC画面ですと「煉華(れんげ)」の「れん」の部分は正しくは「purgatory」の「れんごく」の「れん」の表記になっておりますが、スマホ画面で閲覧すると、火へんに東の「れん」と表記されていることがわかりました。
 煉華(れんげ)の「れん」は、上述の通り「purgatory」の「れんごく」の「れん」であることを改めてお伝えします。


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