―――まっしろになっていく。
炎に魂を灼かれ、虚だった部位が灰となっていく中、ディスペイヤーは漂白されていく感覚を覚えた。
血と涙と罪と。
数えるのも億劫になる穢れによってまっくろだった魂が、浄められていく。
まず覚えるのは、痛み。
身を焼かれるものではない。失った中心が肉体へと戻っていく間、走馬燈のように脳裏を過っていく今まで喰らった数多の魂魄たちの悲痛な表情が、人間性を取り戻してく彼に罪を自覚させ、筆舌に尽くしがたい罪悪感を苛ませた。
(なるほど、こういう……)
すでに力は出し尽くした。
重力に引かれるままに身をゆだねるディスペイヤーは、前のめりに倒れていく。
このまま地の底―――地獄にでも引き摺り込まれるのではないかと思うほどの“重み”。
(これが……罪なんだね)
泣き叫ぶ子ども。
許しを乞う老人。
恐怖に打ち拉がれる者や、諦観するように虚ろな目を浮かべ、自らに食われた魂魄たち。
(重い、なぁ)
知性はあった。
理性はなかった。
だから、喰った。それがどれだけ残酷な手を用いて喰らおうとも。
(命の重みってやつなんだね)
しかし、罪を赦された今になって理性を取り戻し、犯した罪に心をぐしゃぐしゃに引き裂かれそうな痛みを覚えるようになるとは、これまたなんと残酷な話であろうか。
崩れ落ちるように倒れるディスペイヤーの目尻からは、いつの間にか涙が浮かんでいた。
到底償い切れない罪。
どうすればいいものかと、途方に暮れるような思いのままに、彼は涙を流す。
(ボクは……―――)
刹那、優しく抱き留められる。
その柔らかな熱に暫し身を委ね、動悸が収まる頃に面を上げる。
仮面もなにもかも剥がれた純真な顔で。
「償っていけばいいんだ」
「……え」
「お前が本当に罪を悔い改めるつもりがあるんなら……そうしてくれ」
焰真は寂しげに笑った。
「そうしてくれれば、咲は報われる」
そう言の葉を紡いだ焰真は、やおらディスペイヤーの胸に手を当てた。
虚の時に孔が空いていた場所。しかし、今は確かに心臓の鼓動、体中を駆け巡る脈の流れを確かめることができる。
だが、なにもそれはディスペイヤーだけのものではない。
血の通っている焰真の命の鼓動もまた、彼へ伝わる。
「そうしてくれれば……俺も救われる」
「っ……」
彼の願いを聞いたディスペイヤーは、顔をぐしゃりと歪めた。
まっしろな顔を涙と鼻水で汚す。しかし、それは今まで焰真が見た中で最も美しく、最も人間味を感じさせるディスペイヤーの顔であった。
そんな彼に肩を貸し、焰真の向かう先は―――。
「あ……」
涙で顔を赤く腫らす真咲であった。
その表情を目の当たりにし、バツが悪そうにそっぽを向くディスペイヤー。直視することができない。できるハズもない。
―――だって、ボクは彼女の母親を……。
謝ろうにも嗚咽で声の出ないディスペイヤーは、ただたださめざめと涙を零す。
だが、不意にその涙を拭いとるようにハンカチを差し伸べる者が居た。
「もう、いいんです」
誰よりも涙を拭われるべき少女は、自分の流す涙で顔が濡れることも厭わず、ディスペイヤーの顔を拭いていく。
「あたしのお母さんはよく言ってました。明日の自分に笑われない生き方を……後悔しない生き方を、って」
声を震わせ涙を流そうとも、それでも真咲は破顔してみせる。
「だからっ……きっとお母さんは、こ、後悔しないで、生きれたって……っ!! だ、からっ、そんなお母さん、のぉ、ことを……殺されたからって……あなだを憎んでもっ……お母さんはきっと喜んでくれないがら! 明日の゛……未来のあたしは……そんなあたしを許さないからっ……!!」
「っ―――」
「あたしは……貴方を……許しますっ……!!!」
消え入りそうな声で言い切った真咲は、とうとう耐え切れず膝から崩れ落ちた。
自分の心が殺されるのではと思うほどに胸を締め付けられる感覚を覚えようとも、彼女は罪を許したのだ。
辛い。あまりにも辛い光景。
しかし、いつまでもそっぽを向いては居られない。
彼女に許された今だからこそ、踏み出せる一歩がある。
―――ごめんなさい?
―――ありがとう?
どのような言葉を投げかけようと思案するディスペイヤーは。
傍に居た二人を突き飛ばした。
舞う鮮血。
倒れる人影。
その人影のすぐ傍で起こる爆発は、力なく倒れたディスペイヤーを爆風で吹き飛ばす。
「……?」
わからない。
何が起こっているんだ?
焰真は突き飛ばされ、爆風が自分を突き飛ばしたディスペイヤーを飲み込む光景を目の当たりにする一方で、彼の胸を穿つ一条の灰色の光線が放たれた方向へ弾かれるように向いた。
「だ」
一瞬にして燃え盛るのは激情。
「誰だあっっっ!!!!!?」
爆風で体勢をよろめかせられながらも、なんとか無事に着地する焰真は空を見遣る。
目を凝らせば、冥い空間へ繋がっている裂け目が閉じていく光景が見えた。その奥には人影が見える。しかし、霊圧は感じられない。
「っ……!!!」
何者かがディスペイヤーを狙撃した。
彼を貫いた光線の霊圧の質から、虚閃だとはわかる。となれば、下手人は大虚か破面に限られるだろう。
様々な疑問が脳裏を過る。
しかし、今最も優先すべきであるのは―――。
「あ、あぁあ、あぁああぁあぁ……!」
視線を戻せば、胸を穿たれ、真っ赤な血を噴水のように流すディスペイヤーが真咲に抱き上げられる光景が目に入る。
着ていた制服の前面が血で染められるのも厭わない真咲だが、虚であった時ほどの穴を胸に穿たれたディスペイヤーに対し、どこから手を付けていいものかわからず、ただ戸惑うことしかできない。
「う゛っ……う゛ぅぅ……」
「し、死なないで! 死なないでください!!」
呼吸さえままならず、どんどん顔から血の気が引いていくディスペイヤー。
命をつなぎとめるために息をしようとすれば、血が口からとめどなく零れ出る。それがまた、彼の命の灯火を小さいものへとしていった。
しかし、風前の灯火で焦点も定まらぬ虚ろな瞳のままでも、彼は真咲を見遣る。
「だ、じょぶ……」
「すぐに、すぐに治療しますから! だから……」
「うぅん……ひつよ、ない」
「―――っ!」
彼の紡ぐ言葉。
それが何を意味するのか理解したくはない真咲は、子どもが駄々を捏ねるように首を横に振るだけだ。
「ごめ、んね」
ディスペイヤーは、そんな真咲の頬に血塗れの手を添える。
「ひどいこと、して……」
「もう、もぉ許したんです!! 死ん……し……しぃ……!」
真咲はもう真面に言葉を口に出すこともできない。
そんな彼女の代わりに、傍にやって来た焰真が、悲痛な面持ちで真咲の頬に添えるディスペイヤーの手を握る。
「死ぬな!! 生きろ!! これからだろっ!!?」
人として、もう一度歩めたかもしれない未来。
しかし、それを見るには今の彼の状況は絶望的としか言いようがなかった。
「しななぃから……」
「っ!」
それでもディスペイヤーは生きることを諦めている様子ではなかった。
だが、それとは裏腹に別れを告げるように、彼の体は青白い光に包まれていく。もうすぐ魂葬されようとしているのだろう。
本来、虚は斬魄刀で倒されればすぐに霊子に分散しその魂魄は尸魂界へと向かうのだが、一度整に浄化する煉華は、少しタイミングが遅れて魂葬がなされる。
「しなないで……むこーで……ちゃんとね……」
「っ、ああ、そうだよ! 尸魂界でやり直せるんだ! だからよ……!」
「ちゃあんと……いいこと、いっぱい……して、ね」
―――キミみたいにありがとうっていわれたいなぁ
焰真は瞠目する。
その瞳の奥を、虚ろだったハズの瞳に光が差し込んだディスペイヤーは見つめた。
「ありがとう……アクタビエンマ」
―――キミはボクの救いだよ
その言葉を最後に、魂は、天に昇るように消えていった。
今日に限って、雨は降らない。
***
「霊力上昇の傾向は見られない……アテが外れたかな」
冥い冥い闇の中、どこへ続くかもわからぬ道を進む人影があった。
なんの感情も窺わせぬ声音で語る眼鏡の男の言葉に、隣を歩む獣の上あごを彷彿とさせる仮面を顔に着けている男が反応する。
その瞳に浮かんでいるのは、明確な敵意、そして不満。
「私を引き連れて実験だと言うのだからなんだと思えば……成果が出ない試みほど愚かな行いはないぞ、藍染」
「ふっ、実験とは何度も繰り返し、その涯にあるモノを追い求める行為さ。成果は出なくとも、結果は出る。実験において最も肝要であるべきなのは、結果の有無さ」
「貴様……」
まるで馬鹿にするような物言いに我慢ならず、仮面の男は霊圧を体から放つ。
並の魂魄であれば、それだけで圧し潰されかねないほどの霊圧。
しかし、男―――藍染はそれ以上の霊圧をもって仮面の男の抗議を黙らせようとする。
次元の違う戦い。
彼らの歩む黒腔が捻じ曲がるのではないかと思われるほどの霊圧の衝突は数秒続いた後、仮面の男が渋々引き下がることで終わりを迎える。
「チッ」
「―――君には本当に助けられているよ」
いけしゃあしゃあと藍染は宣う。
「不完全な破面もどき、そして最下級大虚とは言え大虚を素体とした破面……それを芥火焰真は整の魂魄へと昇華させた」
「昇華だと? 仮にも私と同じ虚と死神の魂魄の境界を崩した者達が整如きになるのが、なぜ昇華なのだ」
「……破面化、もしくは死神の虚化は二つの魂魄の境界が流れ込む、境界が崩れ、尚も魂魄が外界との境界を崩さないことで起こり得る。これは君ならば重々理解していることだ」
「誰に口を利いている」
「だが、彼―――芥火焰真の力は、その境界が崩れた高次の魂魄を浄化し、元の整へと変えた。ならば、虚化・死神化に、器の大きさはそのままに整に戻るというプロセスがあれば、延々と力を高められる……そうは思わないかい?」
訝しげに眉を顰める仮面の男。
理解したが、納得するのは癪に障る。そう言わんばかりの不遜な表情。
しかし、藍染はそのような様子を気にも留めず、わざとらしくため息を吐いた。
「しかし、予想は外れだった。彼の浄化した魂魄は虚化に至ることがない。魂魄自殺することもないが、魂魄は死神化するよりも虚化する方が霊力の上昇を見込めて、尚且つ虚の死神化が容易いのだったから、期待外れもいいところさ」
「それでいて死神の力もないときた」
「ああ。仮にも破面だ。浄化されても、欠片ほどは死神の力は残っていると思っていたんだが、君のチカラが反応していないのを鑑みるに、死神の力も残らないのかもしれない。霊圧が少ないことも原因かと思って、ディスペイヤーをあてがったのだが……ね?」
「ふんっ。あの地虫の如き霊圧を喰らったところで、何の足しにもならん」
冷たく言い放つ。
ディスペイヤーの胸を貫いた一条の虚閃を放ったのは、他でもないこの場に居る仮面の男―――彼だ。
藍染の指示で殺害に及んだ訳だが、成果は出なかったという訳である。
指図されることを嫌う仮面の男が、最大限譲歩したのにも拘わらず成果が出なければ、この不機嫌も納得できるだろう。
傲慢。
彼を例えるならば、その一言で事足りる。
例え相手が格上であろうとも、その堂々たる佇まいを崩さず、不遜な物言いを正さず、自分以外を地に這う虫と見下す。
「なに。いずれ我々は護廷隊と相まみえることになるだろう。焦らず、君には淡々とその死神を滅する刃を研ぎ澄ましておいてもらえればいい―――アルトゥロ」
それは不滅の王の名。
「貴様にも向けられる刃だぞ?」
「構わないさ。ただ、今は利害を共にする関係だ。護廷十三隊……果てには零番隊とも戦うことになる。君には、数多の死神を斃した先まで付いて来てもらえればいい」
「……ふんっ!」
不遜、ああ不遜。
強者同士の不遜で傲慢な会話は、闇に溶けるように消え入る。
虎視眈々。
彼らは天に立たんと歩を進める。
***
―――黒崎咲。
その名が刻まれる墓の前に、花束を抱えた真咲が立っている。
沈んだ表情を浮かべ、堪え切れなかった涙が目尻から零れるものの、制服の袖でその涙を拭ってから墓石の前に花束を供えた。
しかし、いくら花を手向けようとも、受け取ってくれる人間はすでに居ない。
死んだ、という意味なら二重の意味だ。
肉体的にも、恐らくは魂的にも。
「……でも、なんでだろ」
真咲は不意に言葉を投げかける。
「不思議と、寂しくないんです」
「……そうか」
応えるのは常人の目に見えない存在、死神。
焰真は振り返らぬまま語りかけてくる真咲に応えた。
彼は長期の現世駐在任務を終え、もうすぐ次の担当死神へ引継ぎをする予定だ。
もうすぐ尸魂界に帰らなければならない。故に、こうして真咲と共に咲の墓にやって来たのだ。
実際に彼女の墓を見るのはこれが初めて。
しかし、尚も彼女が死んだという実感は湧かない。
「俺もだ」
「え?」
「まだ……その、なんとなくだけどな」
頬を掻く焰真は、晴れ晴れとした空を仰ぐ。
「あいつは生きてる……そんな気がするんだ」
咲も、咲の魂を糧にした彼も。
うまく言葉に言い表せないというのに、半ば自分は確信しているというのだからたちが悪い。焰真はそう思った。
「……ぷふっ!」
「おい、なんで笑うんだよ!」
「あはは! だって、もし生きてるなら―――」
そっと、真咲は供えた花を撫でる。
「こんなに落ち込んでる自分が馬鹿らしく思えて……」
『だから、あたし決めたんです』と真咲は立ち上がり、たった今撫でていた花のように可憐な笑顔を咲かせた。
「将来は好きな人と結婚して、たくさん家族も作って、あたしと好きな人との間にできた子がその子の好きな人と結ばれて……そうして生まれた子を、おばあちゃんになったあたしがたくさん可愛がってあげて……」
「……そうか」
「そういう明るい未来を生きたいです! だから、悲しいからって立ち止まるのはやめます」
「いいんじゃねえか? 俺は人に生き方あれこれ言える出来た人間じゃないけどよ、そういう未来……応援するよ」
「えへへ、ありがとうござます!」
「……そろそろ行くか」
「帰るんですか?」
踵を返した焰真に問いかける真咲。
だが、彼は振り返られないまま手を上げる。
「―――迎えに行くんだ」
それは宣誓だ。
まだ見ぬ救いを求める魂魄の下へ向かわんとする、焰真の。
一瞬面食らったように目を白黒させる真咲は、泣き腫らした頬を吊り上げ、これまた百点満面の笑みを浮かべ、風を切る音が鳴るほど大きく大きく手を振った。
「その台詞クサいですよー、ッと!」
「余計なお世話だ! ―――またな。精々、結婚して子どもとか孫の顔拝んで悔いない人生送って往生しろよ」
「言われなくてもー!」
そう言って焰真を見送った真咲は、今一度自分の未来を夢想し、だらしない笑みを浮かべる。
―――好きな人と
―――子どもと
「……いつかまた会えるといいなあ」
彼に自分を助けてくれた死神の姿を重ねる真咲は歩み出す。
軽やかな足取りで向かうのは、最近建てられたこじんまりとした診療所だ。
いつかそこで暮らすことになるとも知らず……。