淡い月影が焰真を照らす。
何度も見たことのある光景だが、飽きたことはない。寧ろ、一日の終わりに眺めることでその日が終わりを迎えることを実感でき、明日への意気込みを胸に抱きつつ、安らかな眠りに入れる。
しかし、今日に限っては中々寝付けそうにない。
「……副隊長、か」
海燕の言葉を頭の中で反芻するも、推された立場が自分に見合っているかどうかわからず、得も言われぬ不安に駆られる。
もっと適した人材は居るのではないか?
海燕が自分を副隊長に推す理由は?
今日の昼休憩に言い渡された副隊長への推薦ではあるが、隊士側にも“着任拒否権”と呼ばれる権利があり、どうしてもという場合には拒否することもできる。
焰真自身、副隊長を拒否するつもりはない。元より、追っていた人物が長年就いていた座だ。そこに就けるということは光栄でもあり、長年の努力が報われる感慨さえ覚える。
しかし、自分如き若輩が就いてよいものかという葛藤は収まらない。
海燕曰く、『お前が適任だと思ったからだ』との理由。だが、あまりにも言葉足らずであった。
時間がなかった故に昼休憩の会話はそれだけにとどまり、終業後にも端的な会話を広げ、結局は少し決断を待ってもらえるよう頼み、今に至る。
「……なんで、俺なんだろうな?」
自問自答するも、今はまだ解は出ない。
***
「強ぇからじゃねえのか?」
「……はぁ」
「おい、その不服そうな顔はなんだ?」
副隊長推薦を受けた次の日、焰真は書類を届けに十一番隊舎に訪れていた。
そこではかつて剣を教えてくれた一角を始め、見慣れた面子が揃っている。そこで彼は、自分がなぜ副隊長に推薦されたのか客観的な意見が欲しく、長年第三席を務めている一角に尋ねたのだが、安直―――もとい、予想通り過ぎる内容に得も言えぬ表情を浮かべた。
その表情に、つんつるてんの頭に青筋を立てる一角であったが、『まあ、一角の言う通りさ』と同意する弓親が前に出てくる。
「護廷十三隊は実力主義さ。強い者が上に立つ。聞けば、うちの隊士を何人も殺した虚……しかも、その成体破面化した個体を倒したらしいじゃないか。始解もできて、単独で
「それは……」
脳裏に過るディスペイヤーの姿に、焰真の表情は曇る。
確かに勝利はした。だが、勝ち取りたかったものは終ぞ得られなかったのだ。
それでも、焰真の実力は駐在任務を終えてからの報告後、十三番隊に留まらず各隊に広がっていった。
破面の単独撃破。危険度で言えば、鈍重で知能の低い
虚の討伐記録は伝令神機に記録されるため、誰もが彼の戦績を認めざるを得ず、今まで後輩の席官程度にしか思っていなかった者も、最近は焰真に対し一目置くようになっていた。
「そうだ。うちの副隊長見てみろよ。あんなちんちくりんでも副隊長やれてんのぁ、偏に強ぇからだよ」
「……草鹿副隊長に怒られても知らないですよ?」
一角の口が悪くなるのに対し、焰真は苦笑を浮かべる。
日頃の鬱憤が溜まっているのだろう。確かに、あのような型破りな少女―――否、幼女が上司であると中間管理職とも言える三席としては苦労せざるを得ない。
「―――まあ、とりあえずだ」
そこへ現れる人影。
「なんでオメーがそこまで副隊長なんのに悩んでんのか知らねえけどよ……元十一番隊ならよ、もっと強くなりゃいいだろ」
十一番隊六席に昇進した恋次が、焰真の肩に手を置き、好戦的な笑みを浮かべていた。
「誰にも文句言わせねえほどに強くよ! 更木隊長だってそうだろ。あの人は、地位も人望も全部手前の力で掴んだ! ひたすらに強けりゃ、他がどうだろうと副隊長だって認められるだろ」
「恋次……」
「へっ! ちょぉ~っといいこと言っちまったか?」
恋次の言葉に、少し思案する焰真。
その様子にうんうんと頷いて満足気にする恋次であったが、やおら焰真はバツの悪そうな顔で言い放つ。
「いや……今の内容、若干草鹿副隊長のこと悪く言ってるみたいに聞こえたんだけどよ……」
「はぁ!? なに言ってやがる! そりゃあオメーの受け取り方の問題だろうが!」
「いや、話の流れっていうのがあるだろ! 一角さんからの流れから来たらそういう風に聞こえるだろうが!」
「なにぃ!?」
「おい……さりげなく俺も巻き込んでんじゃねえよ」
言い合う二人の横で、これまた不服そうにする一角。
しかし、元々やちるに関して実力以外では問題があるみたいに聞こえる言い方をしたのは彼である為、この流れの元凶とも言えなくもない。
そうして暫くギャーギャーと騒ぐ二人であったが、突然開かれる扉と、そこから溢れてくる重々しい霊圧にピタリと動きを止める。
「ざ……」
「聞いたぜ、芥火ィ……もうすぐ副隊長になるんだってな?」
「更木……隊長……!」
「副隊長ってこったぁ、俺に一発ぶっ飛ばされて病院送りにされてた頃より、ちったぁマシになってるってことだよなァ?」
現れたのは、十一番隊隊長こと
護廷十三隊最強と呼ばれる十一番隊を率いる、まさしく最強の名にふさわしい男だ。
何よりも戦いが好きな、根っからの戦闘狂。戦いを楽しむため、髪には鈴をつけ、あまつさえ自身の霊圧を抑える為に霊圧を喰らう化け物を備えた眼帯を着けている始末。
そんな剣八と、何度か鍛錬で手合わせしたこともある焰真だが、結果は言わずもがな。
若干トラウマにもなっている相手との邂逅に、焰真の頬はピクピクと引きつっている。
しかし、そんな彼の様子に構わず、剣八はボロボロに欠けた斬魄刀を抜く。
「そんなら昔みてぇに、一発斬り合おうぜ!」
「仕事があるので失礼します!」
「お……? ……待ちやがれ!!」
瞬歩で消える焰真と、ただのダッシュでそれに追いつこうとする剣八。
嵐が開けたように静まり返る部屋の中では、茫然と恋次たち三人が『あぁ……』と憐れむような眼差しを浮かべ、たった今逃げ去った焰真を思う。
「光栄なのか、気の毒なのか、なんとも言えないところっスね」
恋次の何の気なしの発言に、一角と弓親は頷くのだった。
最強の男の眼中に入る。それは喜ばしいことでもあり、死に一歩足を踏み入れる真似に等しい悲しい事態……なのかもしれない。
***
「……そりゃあ災難だったな」
「いえ……」
なんとか更木から逃げ切り、業務に戻った焰真がやって来たのは十番隊。
一心が居なくなり空席となっていた隊長の座に就いたのは、同隊元三席の日番谷冬獅郎だ。
稀代の天才と言われる麒麟児であり、すでに卍解も会得し、護廷十三隊歴代最年少で隊長となった。そもそも見た目で年齢が計れぬ死神の中で最年少とはなんぞや? と疑問に思う者も居るかもしれないが、恐らくは見た目の問題だろう。
「で、なんで自分が副隊長に推薦されたか……か」
「はい。日番谷隊長的に俺はどういう風に見えるのかと思いまして」
ここでもまた焰真は客観的な意見を日番谷に求めてみた。
元々交流は一心を通し、それなりにある。それを踏まえつつ、真央霊術院を卒業し、すぐに席官入りして部下を導く立場となった彼であるならば、上に立つ者として必要な要素等を教えてくれるのではと焰真は期待した。
しかし、まず応えるのは日番谷のものではない明るい女性の声。
「はいはーい! 真面目で仕事熱心って感じじゃないのぉ~?」
「そうだな、松本。少なくともお前よりは真面目だ。というより、確実に真面目だ。爪の垢を煎じて飲ませてえくらいにな」
「えー、あたしも真面目ですよぅ」
「どこがだ!」
ソファーの背もたれに圧し掛かり、その豊満な胸を宙にぶら下げる様は健全な男子には眼福―――否、目に毒だ。
それでいて片手に湯呑、片手にまんじゅうを携える女性は、一心が隊長時代だった頃から副隊長である乱菊である。
後輩が出世し、上官になった今でもそのサボり癖は治っていない様子。
これまた一角同様、日ごろの鬱憤でも溜まっているのか、抗議する乱菊に対し日番谷は語気を強めた。
(これは……反面教師だな)
乱菊の怠慢を窘める日番谷と、そんな彼に対しヘラヘラと笑い流す乱菊。
やる時はやる彼女だが、それ以外の彼女の仕事ぶりは見られたものではない。しかし、それでも部下に慕われているのだから不思議なものではある。
「―――失礼します。五番隊の雛森です……あれっ?」
その時、隊首室の扉が開き、奥に佇んでいた小柄な少女が姿を現した。
「焰真くん! どうしたの?」
「雛森。いや、俺も仕事で……」
「そっかぁ。奇遇だね! あたしもだよ」
五番隊副隊長に昇進した雛森だ。左腕に巻かれている副官章は輝いているように見える。
彼女は目標とする藍染に追いつく為、必死に努力をし、これまたつい最近副隊長に任命されたばかりだ。
書類の束を携えてやって来た雛森に応える焰真だが、やけに背後から冷たい視線を感じたような気がした。
振り向けば、無表情の日番谷とニヤニヤと笑っている乱菊が居る。
何故彼らがそのような表情を浮かべているかもわからぬまま、焰真は『そうだ』と今一度雛森に向かい合う。
「なあ、雛森」
「うん?」
「俺の良いところってなんだと思う?」
「焰真くんの……良いところ?」
無論、死神としてだ。
だが、この時の焰真は主語をはっきりと伝えることを失念しており、人によっては勘違いされてしまう内容にも聞こえかねなかった。
そして現に、雛森は勘違いする。
(え、焰真くんの
―――といった具合に。
乙女だ。初心だ。まだまだ咲くことを知らぬ可憐な花の蕾だ。
頬を上気させる雛森は、真っすぐな眼差しを向けてくる焰真に対し一旦顔を逸らし、必死にウンウンと唸る。
「……もしかして、無い……か?」
「う、ううん! そんなことないよっ!?」
そして焰真による悲しそうな声音の追い打ちに、雛森は羞恥を振り払い、一人の人間雛森桃として彼の良いところを答えんと顔を上げた。
「えっと、まず一生懸命なところ……かな!」
「おう」
「それと、誰にでも優しいところとか」
「おう」
「あと……その……!」
「おう?」
「笑顔がカッコ……素敵だと思うよっ!!」
「……」
「あれっ?」
―――なんだ、この空気は?
雛森がそう思い、辺りを見渡した時、中々に混沌とした空気が場に流れていた。
焰真は予想外の部分で自身の長所を上げられ恥ずかしげに頬を染め、日番谷は細目でそんな焰真を見つめ、乱菊は恥ずかしそうに語っていた雛森とこの空気を存分に楽しんでいるかの如く笑いを堪えている。
「隊長……ですって」
「なんで俺に話を振る……?」
「……何で俺はこんなに恥ずかしいことになってるんだ」
「……あれっ?」
今一度、雛森は首を傾げた。
***
「勘違いしちゃってたなんて……あたす、恥ずかしくて顔から火が出ちゃいそうだよぅ!!」
「飛梅じゃねえんだから。それになんか訛ってるぞ」
最後の最後の発言で勘違いに気が付いた(気付かされた)雛森は、余りの羞恥心により、顔を押さえる。
日番谷の冷ややかな視線と、乱菊の揶揄うような視線を背に受け、二人は途中まで共に帰ろうとしている。
焰真もまた、雛森に素直に褒められて恥ずかしく感じる心はあるものの、彼女はその比ではないと己の羞恥を押し殺し、本来の話題を改めて懇切丁寧に振った。
「雛森……俺は副隊長のお前にだからこそ聞きたいんだ。俺のどこが副隊長に相応しいのかをだな……」
「う、うん」
深呼吸し、呼吸を整える雛森。
今度は副隊長そのものである真剣かつ凛とした雰囲気を放ち、口を開いた。
「藍染隊長の受け売りだけどね……副隊長は、隊長と隊士を繋ぐ架け橋だって」
「架け橋?」
「うん。どうしても隊士は隊長と面と向かって話すのに気後れしちゃう部分があるから、一つの隊っていう組織が円滑にコトを為せるように……それでいて、隊士間の交流を深めて、隊の一体感を作り上げる。そのために副隊長は重要な役柄だって」
不意に雛森が焰真の顔を見上げた。
つい先ほどまで凛々しかった顔付きは、途端に可憐な微笑みへと変わり咲く。
その変化の仕様に思わず瞠目する焰真は、ふわりと薫る柔らかな香りに、不思議と心が穏やかになるのを感じ取った。
その中で、雛森が言った内容と副隊長時代の海燕を思い返す。
ああ、そうだ。彼は病弱な隊長に代わって隊を指揮することが多かったものの、彼の人当たりの良さ、人望が相まって、何事も滞りなく事を為せていた。
「だからね」
雛森は二の句を紡ぐ。
「一生懸命で、誰にでも優しくて……笑顔が素敵な焰真くんは、副隊長にピッタリだとあたしは思うの!」
「―――そう、か」
これまた羞恥で顔が上気する。
だが、幾分か清々しい笑みを浮かべた焰真は、頬を掻きつつ雛森の顔をジッと見つめた。
「……だから、雛森は副隊長なんだな」
「え?」
面食らったように雛森は瞠目する。
そんな彼女へ、焰真は思ったことをそのまま口にしていく。
「藍染隊長に追いつこうって一生懸命努力してて、誰にでも平等に優しくして、そんだけ笑顔が可愛けりゃ、皆に好かれるだろうって副隊長に選ばれるんだろうな」
「―――!」
返された言葉の内容はほとんど自分が言い放ったものと同じ。
しかし、彼なりにアレンジされた言の葉は、雛森の胸をときめかせるような内容になったことを彼自身は知らない。
「ありがとな、雛森。参考になった」
「あっ……うん」
「俺は……副隊長になるぞ」
「―――うん!」
『じゃあ、また今度な!』と爽やかな笑みを浮かべて去っていく焰真の背中を見届けた雛森は、吹き抜ける一陣の風を受け、まだ頬に残る熱を確かに感じるのだった。
***
「―――これを以て十三番隊第二十席芥火焰真を、十三番隊副隊長に任ずるものとする」
「はい!」
吹き渡るは春風。
満ちる日の光は眩く彼らを照らす。
任官状と書かれる紙と共に渡されるのは、十三番隊の隊花―――“待雪草”が描かれた副官章。
花言葉は“希望”。
その日、希望の花を掲げる新たな副隊長が護廷十三隊に誕生した。