「えー、それじゃあ! 十三番隊の新隊長と新副隊長就任の祝いっつーことで、乾杯するぞー!」
とある料亭に集う者達。
彼らは此度誕生した隊長・副隊長を祝うために集った者達であり、全員が笑みを浮かべ、お猪口を手に携えている。
音頭を取るのは他ならぬ隊長の海燕。
上座に座る彼の隣には、元隊長の浮竹と新副隊長の焰真が座っている。朗らかに笑っている浮竹とは裏腹に、焰真は緊張からかガチガチに固まっており、それを三席の都がほぐすように語りかけていた。
こういった場で、役職で上座と下座に分かれるのは当たり前。
隊長を始めとする上位席官が上座に座る一方で、平隊士でしかないルキアは下座に佇み、目映く映る彼らを眺めていた。
「よーし、堅苦しい話はしねえ! 乾杯!」
『乾杯!』
「か、乾杯!」
一拍遅れ、お猪口を掲げるルキア。
慣れぬ酒を仰ぎ、喉に奔る灼熱に少しばかり顔をしかめた彼女は、ホッと一息吐く。
そうしてから今一度、集った者達を見渡す。元より温かい隊風の十三番隊の飲み会は、これまた明るいものとなりそうである。
だが、特に仲の良い相手が少々遠い場所に居るとなると、居心地の悪さを感じずには居られない。
(……立派になったものだな)
フッと笑みを浮かべて見遣るのは、焰真だ。
仙太郎に酒を次々に注がれて慌てている彼も、平隊士とは程遠い地位に就いてしまった。
それで彼が変わる訳ではないことはルキアも分かる。しかし、霊術院より共にした間柄である以上、相手だけが昇進していく光景を目の前にすると、置いてけぼりにされるような一抹の寂しさを感じずにはいられない。
(一体私は何をしているのだろうか?)
祝いの場で感傷的になるのを抑えるべく酒をまた仰ぐ。
それでも中々酔うことはできず、また仰いでいく。
そんな中、ルキアは自分の軌跡を振り返る。
流魂街での貧窮した生活から抜け出すべく、死神を目指した。
そして真央霊術院に無事入れたかと思えば、実の姉である緋真が嫁いだ先である朽木家に引き取られ、正一位の身分を与えられたのだ。
始めこそ戸惑いや複雑な感情が入り乱れていたが、時間が経ち、何より親身になってくれた焰真のおかげで姉との関係も良好となり、ようやく瀞霊廷の暮らしに慣れることができた。
それから死神となり、平隊士として研鑽を重ねること数十年。
始解を会得し、得意だった鬼道も苦手であった剣術も鍛え、それなりに実力はついたという自負が生まれた。
しかし、それでも席官となることは叶わない。
潔い性格のルキアは、それが義兄の裏から回された配慮だということに気が付かず、自分の実力不足だと認識した。
来る日も来る日も己を磨き続けた彼女は、既に席官に違わぬ実力を得ている。
だが、昔から隣に並んでいた友が結果を出して昇進するという光景を前にした時、どんどん置いて行かれる―――そのように錯覚した。
無論、彼に置いていくつもりなどないだろう。これは単純に自分の劣等感が生み出した幻影だ。
それでも、友の横に並んで戦いたいという願いは有り続ける。
後ろに付いて行く自分に振り返ってくる彼の笑顔を見た時、心が痛む錯覚を覚えるようになったのはいつからだろうか?
「わたひも……おまえのとなりに……―――きゅう」
「わぁー! 朽木が酔いつぶれたぁー!」
「誰か水持ってこーい!」
あれよあれよと酒を仰ぐ間に、ルキアの顔は真っ赤になっており、目の焦点も合わなくなるほどに酔っ払ってしまっていた。
それにも気が付かず、ルキアは大慌てで駆け寄ってくる焰真の顔を最後に、意識を闇に落とす。
***
―――ルキア。
誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。
「ルキアっ!!!」
「痛ぁ!!」
次の瞬間、頭に響く衝撃と共に地面に倒れた痛みで、ルキアの意識は覚醒した。
大地に耳を澄ませるかのように蹲る彼女の視界で広がるのは、青々と生い茂る草花と湿った土。目を凝らせば、蟻がぞろぞろと行進しているのも目に入る。
それらの命の息吹に数秒目を奪われていたルキアであったが、じんじんと訴えてくる頭部の痛みに、涙目を浮かべ、叩いてきた張本人に睨みつける視線を送った。
「なにをするのだ、焰真!」
「なにって……ルキアが声かけても全然反応しないからだろ」
「寝違えたらどうするのだ!?」
「……歩きながら寝るって、随分器用な奴だな」
抗議するルキアに対し、得も言われぬ面持ちを浮かべるのは、左腕の副官章がやけに目映く見える焰真であった。
「うぅ~……貴様のせいで、二日酔いの頭痛がひどく……」
「二日酔いは自己責任だろ。慣れないのにあんなに飲んで。はぁ……ほら、だろうと思って薬と水持ってきたから飲め」
「済まぬ……」
やけに準備のいい焰真は、背嚢から薬の入った袋と水の入った竹筒を取り出し、ルキアに渡す。
彼らは今、西流魂街三番地区北端鯉伏山に向かっていた。
よく副隊長時代の海燕に稽古をつけてもらった場所であり、時折こうして二人だけで向かうほどには行き慣れた場所でもある。
しかし、昨日の飲み会で酔いつぶれたルキアは、二日酔いにより少々調子が悪い様子。
それでも事前にしていた約束をふいにはできぬと、無理を押してやってきた。
そんな彼女の義理堅さと酒に慣れていないことを鑑みてか、焰真は薬を用意してきたという訳だ。彼の世話焼き具合は、遠回しに言ってオカンである。彼の身の回りの世話に関する女子力は、一般死神のそれを凌駕しているだろう。
閑話休題。
丸薬を口に放り、コクコクと喉を鳴らしてそれを胃へと水で流し込んだルキアは、『ぶはッ!』と声を上げ、口の端から垂れた水を袖で拭う。
「ふぅ……だいぶ楽になった気がするぞ」
「そうか。まあ、辛いなら見てるだけにしてろよ」
「……考えておく」
折角来たと言うにも拘わらず、見取り稽古だけというのも虚しい。
―――と、思っていたのが数分前。
「……雨、すげえな」
「狐の嫁入りだな」
天気雨とも言う。
晴天にも拘わらず、突如として降ってきた雨から避難するべく、二人は近くにあった寂れた家屋の中に避難していた。
あちこちが朽ちており、大きな地震が二、三度起きれば崩れ落ちてしまいそうなほどに脆い外観ではあるものの、一時の雨を凌ぐだけならば十分である。
背嚢に入れてきた手拭いで濡れた髪と体を拭く二人は、することもないため、開きっぱなしの扉の先の雨を望む。
しかし、少し時間が経てば雨音以外何もならぬ静寂に気がつき、耐え切れずルキアが口火を切った。
「その……なんだ。たまにはのんびりとするのも悪くないな」
「そうだなぁー」
「なんだ、その生返事は」
ぼーっと雨空を仰いでいる焰真に、ルキアは唇を尖らせる。
だが、不意に彼と共に隣に並んでいるという状況に気がつき、『こういうのも悪くはない』と口を噤んだ。
それからまた暫く続く静寂。
心を落ち着かせる雨音は止まず、その喧騒の中で互いの吐息が聞こえるようであった。
「なあ」
突然、焰真が口を開く。
弾かれるようにルキアが顔を向ければ、依然雨空を仰いでいる焰真が続ける。
「雨……好きか?」
「雨か? うーむ、服などが濡れること以外は好きだ。流魂街で暮らしていた時期は、時折水を盗んで飲むような真似をしていたからな。雨など降れば、皆が馬鹿騒ぎして口を開けて空を仰いだものよ。それで恋次の奴が風邪を引いたりしてだな。馬鹿は風邪を引かぬのにとからかって、皆で看病したものだ」
「なんだそれ」
ルキアの過去話に、焰真は思わず笑う。
純真な子供時代の話。貧しさはあれど、心は豊かだったのかもしれない。それでも、その豊かさを司っていた家族が一人、また一人と居なくなっていき、死神となった訳だが―――。
「俺も雨は好きだ」
「そうか」
「でも、独りだった」
「なに?」
問い返すような返事をすれば、焰真は顔を俯かせる。
どこか郷愁を漂わせる彼の面持ちに現れているのは“寂しさ”。
「ひさ姉に会うまで、俺はずっと独りだった」
思い出すのは過去の自分。
まだ人の温もりを知らず、独りだけで生きていた頃を。
「雨降ってたらさ、バレないと思ってよ。それでずっと、雨宿りしながら泣いてた。なんで泣いてるのか自分でもわからないのに」
地面に弾かれ体を濡らす雫とは違い、頬を伝う雫は熱かったことを鮮明に覚えている。
「それで雨が上がった後に虹が出るんだけどよ、どうも無性にそれにイラつくんだ」
「なぜだ?」
「なんで……って、多分、幸せじゃなかったからだろうな。手前の人生に彩りがないモンだから、虹の七色加減に腹立ってたんだろ。馬鹿馬鹿しい話だと思うだろ?」
そう言い、焰真はからりと笑う。
「でも、今なら好きになれそうだ」
「?」
「ひさ姉に会って、ルキアを見つけて……たくさんの人たちに会って―――」
感慨深く、瞼を閉じつつ今一度顔を上げる焰真。
しかし、瞼の裏にはこれまでの情景が映っていることだろう。十人十色、様々な人々との出会い、やり取り、別れ。
数多くの経験を経て、潤いと彩りに満ちるようになった彼は、いつの間にか空に架かる虹を見ても、嫉妬のような感情を覚えることがなくなった。
「俺、幸せ者だよなっ」
「焰真……」
「だから、俺はずっと幸せで在れるように皆を守ってく。副隊長になったんだ。もっと、ずっと……」
力をつける。
人を守る。
魂を救う。
『だから』と彼は紡ぐ。
「これからも一緒に居てくれるか? ルキア」
それは親に縋る子どものような顔。
失いたくないと、彼は今も足掻き続けている。
人も、死神も、滅却師も、そして虚にさえも情を移してしまう感受性の高い彼だからこその脆さを、ルキアは垣間見た。
目的を為すために戦いという手段を用いる戦士としては、致命的な脆さだ。
どうしようもなく独りが嫌いで。
どうしようもなく誰かと居ることが好きで。
どうしようもなく誰かが居なくなることを畏れている。
最早、彼のその言葉は懇願に等しかった。
他者よりも癒えることが遅い傷を負ったまま、彼はまた失いたくないものを見つけ、そうしてそれらを守るべく駆けるのだろう。
それを理解したルキアは自然と悲痛な面持ちとなってしまっていたのか、やおら焰真が『悪い』と告げて頭を掻く。
「なんだ、ちょっと感傷的になったな。今のは忘れてくれ―――」
取り繕うように笑う焰真であったが、途端に目の前に広がる黒に、言葉を続けることができなくなる。
広がる甘い香りに酔ってしまいそうだった。
その正体を認識するのにかかるのは数秒。
「よーしよしよし!」
「……なにしてるんだ?」
「私が胸を貸してやってるのだ!!」
何を思ったのか、ルキアが焰真の頭を真正面から抱き締めていたのだ。
「……そうか」
「なんだ、その反応は。ほれ、私が胸を貸してやっているのだから、泣くなりなんなり好きにしろ」
「わぶっ!?」
最早ヘッドロックに等しい力で頭を拘束するルキアを前に、焰真は眼前に広がる彼女の体に押し付けられるだけだ。
尚且つ、頭を乱暴に撫でられる始末。
濡れて湿っていたことも相まってか、髪は乱雑なものへと仕上がる。
その間、慣れ親しんでいる相手とはいえ、女子に抱き締められていることに若干赤面していれば、
「―――案ずるな」
あやすような声音が響く。
「副隊長になったからと気負う必要はない」
不意にその声音が緋真と重なる。
「貴様が皆と居たいと願うように、皆もまた貴様と共に居たいと願っている」
「っ……」
「だから、自分独りで背負う必要はないのだ。私たちは……仲間だろう?」
抱き締めていた頭を今度は両手で挟み込み、自身の顔の前に焰真の顔が来るよう持ってくるルキア。
「私はこれからも貴様と一緒だ。何故なら……私の心は貴様にも預けているのだからな」
「ルキア……」
「だから、貴様も私に心を預けてくれ。そうすれば、私が貴様の拠り所となれるだろう。貴様も私の拠り所となってくれるだろう」
それは海燕の言葉だ。
此処に居たいと心から願えた時、その瞬間すでに心は此処にある。そしてその心は、自分が此処に居るべき理由なのだ、と。
―――そうだ、隣に立てるかは二の次だ。
「私はずっとこれからも、貴様と一緒に居るさ」
共に居たいと願った時、すでに隣に歩み寄っている。
そんな関係を目指そう。
ルキアはこの時、そう思えたのだった。
***
雨上がり。
やや湿った空気が漂うものの、吹き渡る爽やかな風によって不快感を覚えるまでには至らない。
「……」
「うーん……」
その後、壁にもたれかかり昼寝に勤しんでいたルキアを見遣った焰真は、くすりと一笑してから煉華を携えて外に出る。
すっかり雨も止んだ空には虹が架かっていた。
浮かぶ雲も、そのバックの青空も一段と美しく見える。
「―――煉華」
『お呼び?』
するりと焰真の携える斬魄刀の影から浮かび上がるように登場する女性―――煉華。
十字を模ったメダルがついている帽子をかぶり、丈が短い上衣、長い振袖、これまた丈の短いパンツに、ニーソックスと長いブーツと、煽情的に見えなくもない恰好の煉華は、真剣な面持ちの焰真に歩み寄る。
『これから何するのかしら?』
そう問いかける煉華に、焰真は一笑してみせた。
「―――卍解の修行だ」
ずっと救いたかった、雨の中独り涙を流す少年はもう救われた。
ならば、これからは彼を救ってくれた者達を救いに行く番だ。
そのために力を求めることはなんら不思議なことではない。
今はまだ、己の卍解が何を必要とするのかさえ知らぬまま、焰真は練磨を重ねるのであった。