剣八にとって、戦
戦いこそが至高。どんなに旨い酒よりも酔い痴れることのできる、麻薬の如き快楽を己にもたらしてくれるもの。
しかし、一方的な戦いは好まない。
彼が求める戦いとは、血湧き肉踊る、生きるか死ぬか―――そのギリギリでの斬り合いだ。
雑魚を幾ら屠ろうとも満たされはしない。
己と同格、そうでなくとも食い下がる相手が最低限。己よりも強者であるならば一番であるが、結果的に楽しめさえすればそれでいいという思考もある。
だが、かつて斬り合った女死神との戦いを思い出せば、どれほど世間で強者と謳われる者と相まみえようとも、どうも快楽に浸ることはできない。
故に彼は、己の力を封じ込めることにした。
あの日以来、無意識の内に抑えるようになった力以外にも、霊力を無限に喰らい続ける眼帯を身につけ、相手に居場所を教えるための鈴を身につけるなど……。
貪欲なまでに限限の戦を欲する。
そんな彼にとって、一護と雨竜との戦いは及第点であった。
「
雨竜の撃つ矢が、剣八の左目に向かって奔る。
その狙いにほくそ笑む剣八は、咄嗟に顔を傾けて回避して見せた。
すると、その隙を狙い一護が背後から斬りかかってくる。彼は、覚悟を決めた顔を浮かべていた。
良い顔だ、と内心感心する剣八はすぐさま翻り、地面を滑らせるようにしながら斬魄刀を振り上げ、一護と刃を交えた。
先程であれば、このまま剣八が押しきって一護を吹き飛ばすところであったが、それは叶わない。
何故ならば、一護が刃を交差させた瞬間、ボロボロに欠けた剣八の斬魄刀の刃を滑らせ、斬撃を受け流したからだ。
そのまま彼の刃は、露わになっている剣八の胸を僅かに斬る。
「……は!」
―――通った、刃が。
しかし、笑うのは剣八。傷を負った側の人間である。
「なんだ、やりゃアできるじゃねえか」
「っ、余裕ぶっこきやがって……!」
吐き捨てるように言い、剣八を睨む一護。
そこへすかさず雨竜が援護射撃を放つ。彼の攻撃の一つ一つのダメージは大したものではない。
だが、彼は一護のように直感的に戦うタイプではなく、可能な限り分析して慎重に戦うタイプの人間だ。
現に、彼が狙撃するのは剣八に唯一霊子の矢の攻撃が通る目だった。
幾ら霊圧の高い剣八とも言えど、眼球までもが皮膚のように硬い訳ではない。限界まで収束させた矢を喰らえば、霊圧を持つ者同士戦う上で二番目に重要な視覚を奪われることとなろう。
では、一番重要なのは? と問われれば、それは霊圧を感知する感覚である霊覚だと答えられる。
剣八は他の隊長ほどこの霊覚が優れている訳でもない。故に、視覚を潰されてしまえば、一護と雨竜にたちまち逃げられてしまうこととなろう。
しかし、それを理解しているからこそ―――否、理解していなくとも、本能的に喰らったらつまらないことになると、剣八はほぼ反射的に雨竜の正確な狙撃を次々に躱すのであった。
(なんて化け物なんだ……!)
雨竜は、その怪物染みた反射神経を有している剣八に対し冷や汗を流す。
自分と一護による挟撃は、即席にしては中々の完成度を誇っていた。とは言っても、所詮は剣八に刃が通る一護に攻撃を任せ、雨竜が援護に徹しているというものだ。
最初は逃げるが勝ちという思考で、適当にあしらった後に一護を回収し、先に行かせた織姫と泰虎と合流するというものが目的であった。
だが、羅刹の如き立ち回りを見せる剣八に対しては、隙を窺って逃げることが叶わないのが現状。
もし無理やり逃げようとすれば、たちまち追いつかれ、最悪先に行かせた者達と剣八を鉢合わせてしまうこととなるだろう。
あの時の死神―――焰真に懺罪宮の場所を教えてもらった時から有していた危惧であったが、まさかここまでの実力者が配置されているとは思わなんだ。尤も、焰真が誰かに伝えて配置させた訳ではなく、剣八は剣八で一護に敗北した一角から伝えられ、己の戦闘欲求を満たさんが為に来ただけであるのだが……。
その後も、戦闘は続く。
振るわれる、刃が。
舞う、血が。
砕ける、地面が。
辺りに散らばる血と破片。戦いの激しさを描かんと、瞬く間に彼らを中心とした地面や建物の壁には、無数の戦闘の傷跡が血と共に刻まれていった。
―――チリン。
しかし、その激戦の最中に鈴の
―――チリン。
時が経つにつれ、次第に鈴の音は澄み渡るように鼓膜を揺らす。
―――チリン。
そして、鈴の音以外何も聞こえなくなった時、地面には一護と雨竜が伏していた。
それを一瞥した剣八は、フンと鼻を鳴らし、斬魄刀についた血脂を振るって剥がす。
「まあ、そこそこ楽しめたぜ」
期待していたほどではなかったが。
口に出さぬ言葉を胸の奥にしまう剣八は、久々に己の身についた傷を眺めた後、颯爽とその場から去ろうと踵を返した。
それから草履が地面に擦れる音が響くこと、数回。
「―――!」
彼は、肺に取り込まれる血生臭い空気と、無残に砕かれた地面が鳴動するのを確かに感じ取った。
そして覆いかぶさるかの如く放たれる霊圧。
「……なんだァ、おい?」
振り返った剣八は嗤う。
この鳴動と共に、彼の心もまた歓喜に打ち震えていた。
斬り倒した相手が、振り返った先に佇んでいる。
片や、恐怖の色を拭いきれなかった瞳の奥に、ギラギラと輝く戦意が宿らせている。
片や、見慣れぬ装甲を身に纏い、煌々と揺らめく光の翼を背中の片方に羽ばたかせている。
そのどちらも、初めて会ったばかりの時とは比較にならないほどの霊圧を放っているではないか。
それこそ、隊長である自分に匹敵―――否、それ以上になるかもしれない霊圧をだ。
これを歓喜と呼ばずしてなんと呼ぶのか?
「くくく……はははっ、ハーハッハッハァ!!! 面白えことになって来やがった!!!」
だから嗤う。
剣八は今一度彼らと刃を交えんと、地面を踏み砕く勢いで駆け出し、まずは一護へと斬りかかった。
それに応じ、一護もまた踏み込んで斬月を振るう。
刃と刃はほどなくして激突。接触面から火花を散らす両者の斬魄刀であったが、その刃が揺らいだのは剣八であった。
「おおおおおっ!!」
ここまで一度も圧し負けなかった剣八が、すでに満身創痍であるハズの一護の一振りにより、後方へ弾き飛ばされる。
自分ほどの巨体を弾き飛ばせるほどの力が、一体どこから……?
驚愕と歓喜に嗤う剣八であったが、不意に自分にかかる影に、ハッとするように空を仰ぐ。
そこに居るのは、いつの間にか宙を舞うように跳び、形状の変わった神聖弓に矢を番える雨竜であった。
間を置かずして、矢は放たれる。
速い。慣れ切っていたハズの雨竜の矢が、予想をはるかに超える速度で放たれた光景を前に、剣八は再び反射的に体を逸らす。
次の瞬間、彼を中心に爆発が起こった。雨竜の放った矢が剣八に掠り地面に着弾したことで起きた衝撃によるものだ。
モクモクと砂煙が漂う。
その中に窺うことのできる剣八のシルエットを睨む一護と雨竜の二人。いつ攻撃が来ても対応できるようにと感覚を研ぎ澄ませていた彼らの視界には、斬魄刀を振るって砂煙を払う剣八の姿が映った。
「……最高だっ!!!」
僅かに左肩の先から、腕の表面が抉れるように負傷している剣八が叫ぶ。
「どういうリクツでてめえらが強くなったかは知らねえ!! だが、ようやくお互い殺し合えるようになったんだ!! 対等だ!! できるだけ長引かせていこうぜ、おい!!」
「長引かせる……か」
「……悪ィな」
懇願にも似た剣八の叫びを受け、怪訝そうな声音で呟いた雨竜に続き、一護が斬月の切っ先を剣八へ向ける。同時に、雨竜もまた背中の霊子の翼から生成した矢を弓に番えた。
流れている血を厭わず、剣を握る一護。
動くことさえ難しい傷を負っても尚、弓矢を携える雨竜。
「こんなところで、立ち止まってる暇はねえ!!」
「こんなところで、立ち止まってる暇はない!!」
二人の魂からの叫びは霊圧と共に向かい、剣八へ解き放たれた。
***
黒崎家の中心にはいつも母である真咲が居た。
太陽のように皆を照らし、そして振り回される。一護にとっては、そんなことも心地の良いものであった。
だが、いつも明るい母でも雨空の如く憂いを面持ちに浮かべることもある。
それは、母方の墓参りに赴く時だ。
一護にとっては見たこともない祖父と祖母の墓。特に悲しく思うことはないものの、この墓の中に居る者達が居たからこそ、自分や妹たち、何より真咲が居るのだと思えば、子どもながらに感謝の念を覚えた。
毎年秋分の日に行う墓参り。
その日、真咲は必ず思い出したかのようにこう口にしていた。
「一護も、明日の自分に笑われないような生き方をしてね」
やや寂しげにする母の顔が、一護には印象的だった。
確か、似たようなことを父にも言われたことがあると思いつつ、一護は彼女の教えを受けて、自分なりに後悔しない生き方を模索することは今日もやめない。
それが祖母の代より伝えられた教えとは知らず。
そして、両親の言葉に既視感を覚えた理由が、父に関係する死神により救われてその言葉を教えられた死神が、紆余曲折あって祖母に教えるという、奇妙な縁があったなどとは―――。
合縁奇縁。導かれる運命の星の下に生まれた命である一護は、明日の自分に笑われない道を行くべく、立ち上がったのだ。
自分一人では成し得ないことは山ほどある。これを尸魂界に来てからどれほど思い知らされたことだろうか。
だが、それを教えてくれたことに対する感謝もある。
それを伝えに行かなければならない人が居るのだ。
***
その代償として失うのは、滅却師としての能力。
雨竜は、剣八という怪物を前に、負けて死ぬよりも力を失ってでも勝つ方を選んだ。
勝たなければ、生きることはできない。助けることもできない。
(
かつて、師匠であり祖父である石田宗弦に、この散霊手套を託された時のことを雨竜は思い出す。
いずれ、父の気持ちを理解できた時。
いずれ、自分の本当に守りたいものを見つけた時。
その道の先にて、避けられぬ……それでいて自分の力が到底及ばない相手と相まみえる時が来た時のために、この装具を渡されたのだ。
しかし、雨竜はまだどちらも見つけていない。
ただ一つはっきりしていることと言えば、
(この道の先に在ると信じます)
見つけるために、未来にかけた。
祖父の願いたる、滅却師と死神が手を取り合う未来という今まさに祖父が願った道の先に立っている自分が、だ。
繋いでいく者達の未来で願いが叶うのならば、今捨て去る―――否、託す覚悟もできる。
***
各々の想いを胸に、三人は激突した。
剣鬼たる剣八は、斬月の力を借りて一時的に霊圧が上昇している一護目掛けて跳びかかる。
それに対し、一護も限界以上に研ぎ澄まされた神経の下、彼の荒々しい斬撃をいなし、躱し、そして反撃とばかりに刃を振るった。
斬撃は見事剣八に命中し、刃を振るえば振るうほど、回避すら惜しいと言わんばかりに斬りかかってくる剣八には刀傷を与えることができる。
だが、それでも剣八の猛攻は止まらない。寧ろ、激しさを増す一方だ。
それを食い止めるのは雨竜。霊子の隷属により、周囲の建物を形成する霊子さえも矢と化す彼が矢を番え、一護の援護にと鮮烈な一撃を放つ。
真面に喰らえば体に風穴が空く一撃。それを理解してか、剣八は即座に体を逸らす。
先程の一撃で速さに慣れていたのか、剣八は微かに体に掠る程度の負傷で、雨竜の一撃を凌いだ。
しかし、そこへ一護が斬月を横に一閃。剣八の無防備な腹部へ一文字を刻んでみせた。
そうして振り抜かれる斬月の切っ先からは、剣八の血が迸るように撒かれていく。
その間、一閃を腹部に受けた剣八は二、三歩ほど後ろに下がる。
「はっ、はっ、はっ。はははっ、最高だぜ……」
「っ……まだ立てんのかよ」
「油断するなよ黒崎。こういう輩に関しては、やられる直前の攻撃が一番危険だ。手負いの獣と同じさ」
「言い得て妙じゃアねえか。ああ、そうだ……ここまで来て、出し惜しみなんざつまらねえっ!!!」
「「!?」」
吼える剣八が、右目につけていた眼帯を外す。
刹那、爆発するかのように剣八の霊圧が膨れ上がったではないか。噴火した溶岩が辺りを灼熱で満たしていくかのように、一護と雨竜の肌を灼きつけんばかりの霊圧がビリビリと吹き付ける。
「あいつっ、右目になにか細工を……!?」
「細工だあ? そんなつまらねえ真似するかよ。この眼帯は技術開発局に作らせた、霊力を無限に食い続ける化物だ。俺はこれから、今までそいつに喰わせてた分の霊圧を―――」
驚く雨竜の一方で、剣八が横薙ぎに斬魄刀を振るう。
すると、たちまち彼の傍らにそびえ立っていた建物に一直線の亀裂が入り、瞬く間に両断された建物の上側が轟音を響かせ崩れ落ちてきた。
「全ててめえらを殺す為につぎ込む」
これが剣八の全力。
しかし、その強大な霊圧を前にしても、二人の心は動じてはいなかった。
「―――いくぜ、石田」
「ああ、ヘマするなよ黒崎」
それ以上に言葉はいらない。
各々の武器を構え、再び三人の視線が交差する。
『―――!!!!!』
閃光。その言葉だけでは足りぬほど光が、懺罪宮の建物の群れを、余波で砕き、崩し、そして塵へと変えていった。
激震はどれだけ長く続いただろうか。
遮魂膜によって隔たれているハズの空に浮かぶ雲でさえ、三人の全身全霊を以ての一撃により、逃げるように散っていくような動きを見せている。
それからしばらく、舞い上がる砂煙の中に二つの立っている人影が窺えた。
「……立てるか、黒崎」
「ああ……なんとか、な……」
それは肩を貸されてなんとか大地に立つ一護と、まだ残る滅却師の力によって乱装天傀を維持し続け、自分と一護の動きを補助し、なんとか立っている石田のものであった。
彼らの目の前には、一護と石田、両者の一撃を受けて倒れる剣八が倒れている。
斬魄刀は折れ、血みどろとなっている彼に、最早戦えるだけの余力は残されていないだろう。
その姿を、えもいわれぬ面持ちで眺めていた二人は、その場を後にせんと踵を返す。
だが、不意に響く足音に今一度剣八の方へ振り返った。
そこに居たのは、副官であるやちるだ。
敵討ちか―――そうなれば、すでに満身創痍である状態の中、彼女と戦わなければならなくなる。
しかし、それが杞憂であると知らしめんばかりに、やちるは天真爛漫な笑顔を浮かべ、腰を九十度曲げ、見事なお辞儀を二人にして見せた。
「ありがと!!! 二人のおかげで、剣ちゃん楽しく戦えたよ! あんなに楽しそうな剣ちゃんみたの久しぶりでした! ほんとにありがと!!」
「……そりゃドーモ」
げんなりとした顔で一護が応える。
そうしている間にもやちるはてきぱきと、その小さな体で倒れた剣八を背負い、
「また剣ちゃんと遊んでね! お願いね!!」
そう言って去っていった。
「……んなモン、二度とゴメンに決まってるだろ」
「……同感だな」
嵐が去った後のように静かな中、珍しく同意する二人は、重い足を引き摺ってルキアの下へ向かう。
その先に、仲間たちが居ると信じて―――。
***
時はそれから少し後の話だ。
「あ、あ……あのお方は……!」
声も体も震える男。彼は、護廷十三隊に身を置く立場でありながら、ここまで一護や岩鷲を治療しつつ、あまつさえルキアが囚われている牢の鍵を拝借し、ついに四深牢の目の前までやって来た山田花太郎であった。
そんな彼の傍らには、同じく一護に託されてここまでやって来た男、岩鷲が居る。
さらにもう二人。石田と共に行動し、彼が一護の援護へ向かったのを機に分かれ、こうして無事岩鷲+αと合流できた織姫と泰虎であった。
だが、彼ら四人は牢の目の前に立ちはだかる男を前に慄いている。
「芥火焰真……十三番隊副隊長……!!!」
地獄の門番でも勤めているかの如き形相を浮かべた焰真が、旅禍たちの前に立ちはだかる。
例え、抱く想いが同じであろうとも。