足早に焰真が向かうのは六番隊舎だ。
一護に負け、重傷を負った後に牢に入れられた恋次を見舞うためである。
だが、それ以上に彼を味方へと引き込めないかと考えたからである。今回のルキア救出作戦は、いわば瀞霊廷そのものを敵に回すようなもの。
ならば、少しでも戦力はあった方がいい。
なにより、ルキアを助けたいという想いを持っているのは彼も同じだろう―――そんな確信があったからだ。
時間が経つにつれ、歩幅は広くなっていく。
焦りや緊張を抱いていることを焰真は自覚している。
失敗すれば多くの命が奪われる結果になってしまうかもしれない。
(でも、これは俺が選んだ道なんだ。今更引き下がる真似なんて……しない!)
―――地獄蝶にて、ルキアの処刑時刻が早まったことと、各牢番から恋次、吉良、雛森の三人が牢から姿を消したという伝達が届いたのは、もう少し後の出来事だ。
それは兎も角、ひねり出した案を、旅禍である織姫たちに話した時のことを、焰真は思い出す。
『まずは逃走経路だ。……ちなみに、あんた達はどうやってルキアを連れて逃げるつもりだったんだ?』
『え? あ……そう言われてみれば言われてないかも……』
のほほんとした織姫の口調に、思わず肩の力が抜けたことを思い出した。
『……もし、門から流魂街へ逃げようと考えてるなら、それは悪手だと思うぞ。ルキアを懺罪宮から連れ出した時点で、瀞霊廷から出さないために門周辺の警備が固められるだろうな。それこそ、ルキアと旅禍のあんた達を血眼で捜す隊長格が配置される可能性だってあり得る』
隊長格―――その言葉に、織姫たちの顔が強張る。
織姫と泰虎は、実際焰真と相まみえて隊長格の実力を把握しており、岩鷲と雨竜もまた、副隊長と隊長の恐ろしさを覚えた。
そんな彼らが警備する門を、非戦闘員であるルキアを連れたまま逃げ出せるかと問われれば、非常に難しい話であることはすぐに分かることだろう。
『だから、逃走には穿界門を使いたい』
『穿界門……現世と尸魂界を繋ぐ門か』
『ああ。だが、正規の門を使わないと固定されてない断界に通じることになる。地獄蝶は正規の死神しか扱えないから仕方ないとして、流石に固定されてない断界を通るのは、時間的に厳しい。だから、死神が使ってる常設の穿界門を使うんだ』
『!』
泰虎を始め、他の者達も驚いたように瞠目する。
『でも、そうだとしたら霊子変換機が組み込まれてないんじゃあ……』
雨竜が口にする危惧。それは、現在霊子の体で出来ている自分たちの体が、現世に戻っても器子に戻らないままではないのか? というものだ。
自分達を尸魂界に送った浦原喜助と名乗る変態科学者であれば、なんやかんや時間をかければ、どうかしてくれそうな気がしないでもないが、それでも時間はかかるだろう。その間、実質幽霊で過ごせというのはなんとも言い難い気分だ。
『安心してくれ。だから、霊子変換機も組み込むつもりだ』
『ほっ。安心したぁ……』
『で、ここからが本題だ。どのタイミングでルキアを救出するかについてだ』
安堵の息を吐く織姫であったが、提示された議題に対し、瞬時に神妙な面持ちとなる。
そう、自分たちが尸魂界に来た真の目的はルキア救出。尸魂界脱出よりも優先すべき事項なのである。
『できるだけ避けたいのは、双殛……つまり、ルキアを処刑するための磔架と武器の在る場所だな。双殛までルキアが連行されたら拙い。この丘に着くより前には、ルキアの身柄を確保したい』
『それは一体……?』
『双殛には隊長と副隊長が列席する決まりになってるからな。まあ、こんな有事だから全員が来るとも限らねえが、それでも半分ぐらいは来るだろ』
雨竜の問いに答えたのは海燕だった。
隊長と副隊長が全員来るかもしれない場所から、ルキアを救出する。それがどれだけ無謀なことかは、嫌でもわかってしまうことだろう。
『最悪の事態を想定して、双殛を破壊するための道具は、八番隊の京楽隊長たちと、元十三番隊隊長……まあ、俺たちの元上司の浮竹学院長って人だ。その人が持ってきてくれる手筈になってる』
焰真達以外にも、ルキア救出の計画の協力者は元々居た。
第一に協力要請を受けてくれたのは、焰真と海燕の元上司である浮竹だ。隊長を引退しては居るものの、死神は引退していないため、斬魄刀は所有している。戦力としては、その元々病で弱い体を動かすためのけた外れの霊力を育んできていることも相まって、比較的健康体となった今では百人力と言っても過言ではないほどだ。
そこに加え、浮竹の親友である京楽もまた、今回の処刑に疑念を抱いていることもあってか、処刑阻止に協力してくれることとなっている。
そんな彼らの役目は、四楓院家にある双殛破壊のための道具を用意することだ。
だが、この道具を使用するときは、それこそ最悪の事態に陥った時。処刑を阻止してルキアを逃がそうとも、数多の隊長格が追いかけてくることになるだろう。
『そこでだ。あんた達には先に穿界門に向かってもらう。そんで、俺と海燕さんがあんた達が穿界門に到着する時間に間に合うよう、懺罪宮から連れていかれるルキアを確保してから穿界門に直行する』
作戦は短期決戦。
人間である織姫たちの速度と合わせて移動すれば、隊長たちに捕まるのは目に見えている。
そのため、織姫たちには先に穿界門に向かわせ、彼女たちが穿界門に着くまでの間に、懺罪宮のルキアを救出するというものだ。
双殛に隊長格が集まるのであれば、どの程度の時間で懺罪宮にたどり着くか、そして穿界門に着くかを計算できる。
つまり、織姫たちが穿界門に着く時間と、ルキアが懺罪宮から連行される時刻を逆算し、行動を起こすという訳だ。
『で、懸念点が一個……あんた達の連れの―――』
『黒崎くんと夜一さんのことですか?』
『ああ、そいつらだ。そいつらとどう連絡手段をとるかなんだが……』
『大丈夫だ』
織姫に続き、泰虎が腹の底に響くどっしりとした声音で告げた。
『一護たちは必ず来る』
『……うんっ! 黒崎くんなら……絶対朽木さんのことを助けに来るから、心配いらない……と思います!』
『……ああ、僕も同感だ。それに、夜一さんが付いているなら心配はないさ。黒崎一人だったらどうなったかはわからないけどね』
各々が笑みを浮かべ、黒崎一護という男に信頼を置いているかのように語る彼らの姿に、焰真は自分の心配が杞憂であったと微笑んだ。
いや、元々杞憂であると確信していた部分があるのかもしれない。
何故だか、彼からはかつて出会ったことのある者達の面影を残しているからだ。
一護という男を、焰真はまったくと言っていいほど知らない。しかし、彼のその真っすぐなまでに誰かを救おうとする姿勢は―――、
(咲と真咲に……似てるんだよな)
現世で出会った人間を彷彿とさせた。
苗字は同じ“黒崎”。
同じ苗字など、探せばいくらでも居るのだから、偶然である可能性もぬぐえない。
しかし、焰真にとって一護が彼女たちと何らかの関係を有していることについても、半ば確信を得ていた。
(血は争えないって奴か?)
などと、物思いに耽るのもほどほどにし、焰真は織姫たちの言葉を信じることにしたのだ。
(それにしても……恋次の霊圧全然感じないな)
―――そりゃそうだ。居ないもの。
誰もこの時の焰真の疑問に答えてくれる者は居なかった。
そうして焰真が六番隊舎を練り歩くこと、数分。
「―――あ」
「……」
白哉と、出会ってしまった。
思わず足を止めてしまった焰真であったが、対して白哉はそのような彼に気にも留めずすれ違うように横を通っていった。
今は時間が惜しい。
そんなことは重々承知していたハズの焰真であったが、沸々と胸の奥から湧き上がる想いが拳を固く握らせ、喉から声を迸らせていた。
「朽木隊長は……本当にルキアを見殺しにするつもりですか!!?」
「っ……」
ピタリ、と白哉の足が止まり、その怜悧な瞳が焰真の背中を捉える。
次の瞬間、焰真が振り返り、彼の怒りと悲しみで歪んだ表情が現れた。
仰々しい足音を立てて白哉に駆け寄る焰真は、そのまま彼の胸倉をつかみ上げる。
「あんたは言った!!! ひさ姉を幸せにするって!!! 約束したハズだ!!!」
脳裏に過るのは白哉に緋真を託した時のこと。
「それなのにあんたは、その約束をふいにするつもりですか!!? 家族を……見殺しにするつもりなんですかっ!!?」
「……なればこそだ」
「な……っ!?」
焰真の悲痛な訴えに対し、依然として表情を崩さぬ白哉が、胸倉をつかみ上げる手を払いのけつつ、そう言い放った。
理解が追い付かぬ焰真は瞠目したまま、彼に説明しろと言わんばかりの視線を投げかける。
一瞬の沈黙を経て、踵を返した白哉は焰真に流し目を送り、遠のくように去っていく。
「私が
「
「庇護せんとするものを理由に、真に守らねばならんとするものが為の刃が鈍ることだ」
「っ!」
「……ともかく、あれは私の家の者だ。例え死のうと殺されようと、兄の知ったところではない。呉々も軽挙は謹んでもらおう」
そう冷たく突き放すように、白哉は姿を消した。
しばし、茫然自失となって立ち尽くす焰真は、目の前を横切ったモンシロチョウの存在に気がつき、ようやく我に返る。
「朽木隊長……」
湧き上がるのは、尚もルキアを助けないと断言する薄情な彼への怒り。
続いて湧き上がるのは―――、
(ひさ姉……)
親しい家族に会いたくて堪らない衝動であった。
***
星を仰ぐ。
陰鬱になってしまうほど、燦然と輝いているそれらを眺める緋真は、眠れぬ夜を過ごしていた。
お腹の中に宿る命に悪いとは分かっていても、理性が訴えても、込み上がる感情が全てを押し黙らせる。
閑静な朽木家の邸宅の庭園からは、小川のせせらぎのような音が響く。
だが、それがまた止めようもない時がどんどん進んでいるようで、緋真の胸を締め付けていく。
「ルキア……」
今、妹は何をしているのだろう。
何を考えて、処刑を控えているのだろう。
彼女の気持ちを推し量ろうとする度に、胸が張り裂けそうになるほどの痛みと、溢れる想いが目から零れ落ちる。
このような夜を何度過ごしたことだろうか。
「うっ……うっ……!」
「―――ひさ姉」
「……え?」
不意に、聞き慣れた声がどこからか聞こえてきた。
その元を辿るように庭園を見渡す緋真であったが、中々声の主が見つかることはない。
「こっちだ」
「焰……!」
「しー」
「っ……」
音もなく目の前に降り立ったのは、本来この場に居るべきではない男―――焰真であった。
事前の連絡もなしに、このような深夜に入ってきたということは、恐らくは無断で侵入したということになるのだろう。
バレれば一大事。それを鑑みてか、緋真は周囲を今一度見渡し、誰も居ないことを確かめてから、彼を私室へと招き入れる。
「焰真、お待ちを。今蝋燭を……」
「いや、すぐに出るからいいんだ」
「え……ですが」
僅かに障子の隙間から差し込む星と月の光。
それに照らされる緋真の困惑した面持ちの、なんと儚く美しきものか。
―――今は、もっとしっかり貴方の顔を見ていたい。
そう訴えかけているような瞳を投げかける緋真の想いを拒むのは酷だ。
しかし、今はそのような彼女の本懐を遂げるべく、そしてその想いを伝えるべくやって来たのだから勘弁してほしい―――困ったような笑みを浮かべる焰真は、心の中で自分の身勝手を正当化させるように努めた。
一息吐き、緋真の手を握る。
酷く冷たい手を、急いでやって来たことにより温まった掌が覆いかぶされば、次第に彼女の手に温もりが戻っていく。
「俺は、ルキアを助ける」
「っ! ですが……」
「わかってる。でも、自分で決めたことなんだ。例えひさ姉に止められたって、俺は止まらない」
「……そう言うのであれば」
「?」
肩も声も震わせる緋真が俯いた。
途端に、瞳から零れる雫が畳に幾つもの染みを作っていく。
そんな彼女をそっと胸に抱き寄せる焰真は、か細く紡がれる緋真の声に耳を傾ける。
「これは……私の我儘です。ルキアを救うというのであれば、どうぞ白哉様もお救い下さい……!」
「……」
「白哉様は朽木家当主として、そして六番隊隊長として掟に準じなければならぬ身……それを二度も破らせてしまった私が白哉様に掟を破ってまでルキアを救って欲しいなど、口が裂けても言えませんでした……!!」
「……ああ」
「しかし、白哉様も非情などではありません! 私が悲しむ姿にも、自分にルキアを助けられないことにも心を痛ませておられるお方なのです……!! 掟と情に板挟みになる白哉様を思うと、私は……私はっ……!!!」
「―――わかってる」
「……え?」
弾かれるように緋真が面を上げる。
面食らった彼女が目の当たりにするのは、昔よりも、ずっと優しく強くなった弟の顔。
「全部理解してここに来た。全部……全部救うためにここに来たんだ」
白哉の心中を察した上で、焰真はこの場にやって来たのだ。
六番隊舎ですれ違った際の問答で、彼の気持ちを理解するには十分過ぎた。掟を守らねばならぬ身であり、家族を守らねばならぬ身。考えただけでも、気が気ではなくなってしまうだろう。
故に、ルキアを救うことで白哉も救うのだ。
「……俺はさ、ひさ姉を幸せにしてほしいって朽木隊長に託したんだ」
「!」
「でも、今考えたら無責任だったと思うんだ。人任せに、他人を幸せにしてほしいてさ……」
流魂街でのやり取りを思い出しつつ、感慨深そうに天井を仰ぐ焰真。
瞬きをするたびに、今日ここまでやって来た道のりが、瞼の裏に映るようであった。
それらを振り返り、焰真は長い長い息を吐き、今一度緋真に面と向かう。
「もう、大丈夫なんだ。俺も……俺にも、皆を幸せにしてやれるって思えるようになれたんだ」
子どもの自分は非力だった。
言われずとも分かる事実に、あの頃の焰真は自分が緋真を守るのではなく、白哉に緋真を守ってもらう方へと逃避していた。
本当に―――緋真を家族として愛していたから、自分の想いを押し殺して、彼に託したのである。
しかし、もう逃避する必要はなくなった。
守れるだけの力は得た。
幸せを願えるだけの思慮も得た。
「ひさ姉。あんたは俺の……―――始まりなんだ」
それは全て、緋真をきっかけに得たもの。
「あんたを幸せにしてやれなきゃ、俺はこれ以上前に進めない。そんな気がする」
今の芥火焰真を築き上げる原点となったのは、他でもない、緋真である。
彼女と出会い、愛を知り、思いやりを知り、優しさを知り、己の非力を知った上で強さを求めようと思えた。
そして今、自分はここに居る。
全ては道の上。他人からすれば十分過ぎるその力も、焰真にとっては一つのゴールでしかなく、新たなる始まりでもあったのだ。
新たな始まりを歩む上で為さなければならないこと……それすなわち、託すことでしか幸せを願えなかった大切な者の想いを、真に叶えるあげることではなかろうか?
焰真はその決意を胸に、回帰せんと今ここへ。
「……そろそろ行くよ、ひさ姉」
そして、旅立つ時だ。
「焰真!」
踵を返し、颯爽と去ろうとする焰真を緋真が呼び止める。
一瞬の逡巡を経て焰真が振り返れば、予想とは違い、沈痛な想いを潜めさせた温かい微笑みを緋真が浮かべていた。
「……行ってらっしゃい」
それは、かつて伝えられずにいた言葉。
自分の幸せを願う余り、自分の元から離れていった少年へ、かけてあげたかった言葉だ。
―――今なら、見送ってあげられる。
緋真の笑みには、一切の不安も浮かんではいなかった。
故に、焰真もまた、満面の笑みを以て応える。
「―――行ってきます!」
あの頃のように純粋な、太陽のように明るい笑顔だった。
月夜の下のやり取りであるというのに、二人は晴天の下、二人一緒に過ごしていた時のことを思い出す。
そうだ、あの時ように取り戻しに行くのだ―――ルキアの下へ。
処刑は明日。
一回りも二回りも大きくなった少年は、重畳する想いを胸に。
いざ、