その日の瀞霊廷近くは大いに賑わっていた。
理由は一つ、今日真央霊術院の入院試験があるからである。
(やっと……やっと受けれる)
瀞霊廷の南に位置する朱洼門。その前に佇む、現世で言う所の15歳ほどの少年は感慨深そうに息を吐いた。
(移動と読み書きのための教材買うのに、結構時間かかったなぁ)
他でもない、彼は焰真だ。
緋真と別れて3年。南流魂街を北上し、ようやく瀞霊廷付近までやって来ることができたかと思えば、入院には試験があると知り、その対策のために教材を購入するために東奔西走。主に働いて金を稼ぐことに時間がかかった。
教材と言っても、それほど大層なものではない。簡単な読み書きを覚えられるような内容だ。
しかし、学がない者にとってはひらがな・カタカナをそれぞれ五十音覚えることも難しく、漢字を覚えることなど、最早苦痛の域に達するほどであった。
もし仮に現世で学生として過ごした後、流魂街にやって来れば、現世の教育がどれだけ素晴らしいものであったかを実感することができよう。
だが、それを知るすべがない焰真は教材を購入し、地道に一人で勉強する羽目になっていた。それが3年も経ってから、ようやく入院試験を受けようと決心した理由である。
(それにしても人がたくさん居て落ち着かないな)
万が一に備え、不審な物を所持していないか等のチェックは受ける。
だが、焰真が小さい頃から大事に持っている腕輪は、特に没収されることはなかった。不審な物と言っても、傍目から見える刀などの凶器以外は、特段危険物と見なされていないようだ。そもそも、焰真の腕輪は本人が『生意気に思われるかもしれない』との考えで懐にしまっていたため、パッと見は所持そのものが確認できなかったことを追記しておこう。
お守り代わりにと、懐の中で腕輪の五芒星を握る焰真。
そんな彼は先行く受験生の後を追い、試験会場に向かう。
試験会場は四つ。東西南北にそれぞれ一つだ。
理由としては、瀞霊廷の外周が徒歩で歩けば一周するのに40日もかかるほど巨大な土地だからである。わざわざ遠路より遥々赴いた流魂街の住民が、仮に瀞霊廷内の試験会場に赴くとするのであれば、それだけ廷内は警戒しなくてはならなくなる。
やり過ぎと思われる警備の仕方かもしれないが、危機管理という点ではそうせざるを得なく、だとすれば東西南北にそれぞれ一つ設けた方が効率的だとなり、今のスタイルが一般的になっていた。
唯一問題点があるとすれば、廷内に住まう死神志望の貴族の者の移動が大変ということだ。
しかし、貴族は生来より霊力が高い傾向にある。
瀞霊廷の門近くまで歩くことなど屁でもない身体能力を有しているハズであり、この程度で音を上げるようであれば死神の志望はやめろ、という愛の鞭的な考えがあることを、焰真は知らない。
閑話休題。
(……試験って何をするんだ?)
人の流れに乗るがまま移動してきたが、ここまで来て試験の内容は把握していない。
生憎、死神の知り合いが居ないのだ。たまに流魂街にて死神を見かけはするものの、見ず知らずの他人に試験の詳細を話してくれそうな雰囲気ではなかった―――そして忙しそうという遠慮があった―――ため、ロクに体験談などといった類の話を聞けたためしがない。
直前になって急に緊張してくる。
(確か、掌に十字描いて飲みこむと緊張和らぐんだっけか?)
“人”の字の間違いだ。
しかし、焰真のその間違いを正せる者は誰一人としていない。
西洋の宗教の信仰者の如く、掌に淡々と十字を飲み込むという滑稽な姿を、焰真はしばし周囲に晒すのであった。
***
「
「はい」
係員に呼ばれて室内をペタペタとはだしで歩く焰真。
広い室内には試験のためにやって来た受験生がずらりと並んでいる。それだけですでに圧巻の光景であり、果たして彼らを踏み台にして霊術院に入れるかと胃痛を覚えていた焰真であったが、思ってもいなかった試験の内容に、やや拍子抜けしていた。
焰真が向かう先にあるのは、身長計、体重計、そして血圧測定器のような腕を通す穴がある機器だ。
これでは試験というより、どちらかと言えば徴兵検査に似た身体測定にしか見えない。
「あの……」
「はい?」
身長を計ってくれている女性隊士に、焰真は問いかける。
「試験ってこれだけですか?」
「いいえ? 身長とぉ~、体重とぉ~……あと簡単に霊力を測定した後に筆記試験がありますね」
「はぁ」
どうやら、あの血圧測定器に似た器具は霊力を測定するための物らしい。
なんでも、約50年前に技術開発局と呼ばれる組織が瀞霊廷に創設されたのだが、そこで霊力測定器が開発されてから、試験内容が大幅に変わったとのこと。
健康体で霊力が一定以上あれば、基本的には受かるように変わった。無論、五体不満足や病を患っている者でも、自立歩行が可能であれば基本的に落とされることはない。
逆に落ちる者の大半は、筆記試験で確かめられる文字の読み書き……それができない者であると言うではないか。
言われてみれば、それもそう。真面に読み書きできなければ、霊術院にて学業を円滑に勤しむことも、卒業後の就職先での業務に支障が出るのだ。流石に、文字の読み書きは霊術院では指導しないという訳である。
万年人手不足と言われている護廷十三隊であるが、ある程度“卵”は選定するようだ。
思っていたよりも緩い入院要項にホッとしたような、明瞭にされたため逆に緊張してきた感覚を覚える。
身長と体重を計り終えた焰真は、死神となるために最も重要な要素とも言える霊力の測定に移った。焰真も自慢できるほどではないが、霊力の玉を形成できる程度には霊力の素質はある。
大丈夫なハズと自分に言い聞かせ、いざ測定。
「あ~……ギリギリ二組くらいですかね?」
(ギリギリ……ッ!? 何に……!?)
測定係の者が、紙に記録を書き写している係員にちょっとしたお喋りをするかのように小声で話しているのが耳に入った。
「いや、これは三組……」
「う~ん、でも他の所次第じゃない?」
「それもそうですね」
(ギリギリって三組の方に? え? 組で階級別れてる感じなのかっ……?!)
係員の会話で察する焰真。
どうやら真央霊術院は、霊力の量で組分けをするようだ。この場合、一組がいわば特進学級であるのか、逆に数字が大きい方が優秀とされるのかが問題になるが、係員の様子を見る限りでは、順当に一組の方が優秀そうな雰囲気がある。
となると、“ギリギリ二組”と称された己の霊力は大したことはないのではないだろうか。
3年間の間、教材を買う為必死に肉体労働に勤しんでいたつもりであったが、それだけでは霊力が大して上がらなかったようだ。無論、木刀を素振りして鍛錬もした。だが……。
若干傷ついた焰真は、3年ぶりに涙が零れそうになったのだった。
***
身体測定と霊力測定を終えた焰真は、その後の筆記試験も特に問題なく終えることができた。
唯一悔やまれる点と言えば、自身の名前を書く際、どうしても『焰』が思い出せず、『芥火えん真』と書いてしまったことだ。
『えんま』という名は元々有していたものだが、あてられた漢字は緋真がつけてくれたものである。その内、緋真の名にも含まれている『真』の文字は特にお気に入りで、ふにゃふにゃな字体の中、『真』の文字だけやけに達筆に書けたことは、焰真に何とも言えない充足感を与えていた。
閑話休題。
後は合格発表を待つのみ。
“ギリギリ二組”の言葉が依然と焰真の鼓膜に焼き付いて離れなかったが、前向きに捉えれば“二組に入れなくても三組には入れる霊力はあるよ!」という意味だ。
これから頑張ればいい。(死神志望の)友人もなく霊術院に赴いてしまった焰真は、一人で自分を慰めることしかできない。
だが、合格すれば同じような死神の卵たちと共に切磋琢磨できるのだ。
ようやく同じような立ち位置の者達と友人になれるかもしれない。そう思うと一組でなかろうが、例え三組になろうとも元気にやっていけるだろう。
そのように考えていると、ふと控室が騒がしくなる。
なにかと辺りを見渡せば、厳格そうな面持ちの黒衣の男性が、巻物のような物を携えてやって来た。
「静粛に!! ……え~、これより真央霊術院入院試験合格者を発表する!!」
どよめきが一瞬起こるが、前もって『静粛に』と言われていたため、すぐに声は止み、室内は静寂に包まれる。
(あ……あ……?)
苗字が“あ”で始まる為、呼ばれる順番は早いハズ。
そう踏んだ焰真はそわそわと、名前が呼ばれるのをひたすらに待つ。後ろに座っている赤鳳梨髪(レッドパイナポーヘアー)の少年が、貧乏ゆすりまで始める焰真に冷えた視線を送るものの、そんな少年もまた、同じくそわそわと貧乏ゆすりをしているというのだから、人のことは言えない。
「―――受験番号5番、芥火焰真。受験番号11番、阿散井恋次」
「!」
「よっしゃぁ!!」
声は出さないものの、パァッ! と笑顔を咲かせる焰真は、傍で歓喜の声を上げる赤髪の少年と思わず顔を合わせ、万歳して手を合わせる。
ハッと我に返った時には、互いにおずおずと『すみません……』や『いや、こっちこそすんません……』と距離をとった。だが、合格した喜びを前にすれば知らない人とのハイタッチなど問題にはならない。
その後、合格の喜びの余韻を残したままの焰真は、『合格者はこちらへ』と案内の立て札を手に持つ係員の指示を受け、別室へ案内された。
そこには院生の制服となる着物がずらりと並んでいる。
「おめでとう!」
「あ、ありがとうございます!」
寸法も取らずに手渡される制服。
サイズが合わなかったらどうするのかとも考えたが、よくよく考えれば筆記試験前の身体検査で身長は測ったのだ。なるほど、一見意味のない身長測定は制服のサイズを決めるためか―――一人で勝手に納得する焰真は、新品でまだ糊が効いてパリパリの制服を広げ、二度目の歓喜に打ち震える。
(これでやっと死神に近づける!)
「君、書類忘れてるよ」
「あ、はい」
係員に注意されても尚、暫くの間彼の興奮が冷めることはなかった。
***
一夜明け、真央霊術院前。
前日とはまた違う緊張や興奮を覚えている焰真は、新品の制服を身に纏い、最小限の荷物も携えて一年第二組へ向かう。
結局クラスは二組だった。仮に焰真の想像通り一組が最も優秀な者達が集うクラスだとすれば、一組に入れるだけの霊力がなく悔しい部分ではあるが、これからの努力次第でどうにかなると今の焰真は前向きだ。
(ひさ姉……元気にしてるかな)
廊下を歩む最中、焰真は半ば家出するような形で別れてきてしまった緋真のことを想う。
瀞霊廷近くの地区に移り住んでから、“朽木”という苗字の貴族の男が流魂出身の女性と結婚したという噂を耳にした。恐らくそれは緋真のことだと考えた焰真は、彼女の入籍を心から喜んだ。
しかし、その吉報を受けた焰真は一層ルキアの捜索に力を入れた。
契りを結んだ緋真。新たな家族を手に入れた訳だが、彼女のことだ。未だにルキアのことを悔いているに違いない。
その悔いを晴らす為には、実の妹を探し出せばいい。
今迄捜索が叶っていなかった治安の悪い地区も、死神となれば捜索し易くなろう。
無論、死神になりたいと願うのは海燕への憧れもあるが、実の姉のように慕う彼女のためでもある。
まだ朝早いため、人通りが少ない廊下。
昇降口に貼ってあった簡素な案内図を思い出して歩めば、二組はすぐそこに見えた。
(待ってて、ひさ姉。俺、ルキアのこと―――)
ガラリと扉を開ける。
するとただ一人、教室の隅の方の席に女子生徒らしき人影が座っているではないか。
そのシルエットに、焰真は思わず硬直する。
(ルキアのことを……)
猫を思わせる双眸。その瞳の色はアメジストのような色合いだ。
艶やかな黒髪は、肩辺りで左右にピンと跳ねている。
(……ルキアの……)
緋真にそっくりだ。
似すぎている為、一瞬緋真が居るかと勘違いしてしまったが、纏う雰囲気が若干違う。
緋真に瓜二つの少女を凝視していれば、熱心に視線を注がれていることに気が付いた少女が怪訝な面持ちで焰真を見遣る。
「? お……おはよー……?」
たどたどしい口調で挨拶してくれる少女に、焰真はハッと口を開け、
「名前は?」
「む?! わ、私のこと……だな。教室には私しか居らぬし。私はルキアだが……おぬしの名前は? 同級生なのだろう?」
名前を聞き、また茫然と立ち尽くす焰真。声の質も心なしか緋真に似ている。
一方で焰真のあまりの動かなさに『ルキア』と名乗った少女は『まさか、教室を間違えてしまったか……!?』と己の手元にある書類に目を通す。
(ルキア)
焰真は今一度、ルキアの姿を見つめる。
間違いない。
ここまで緋真に似て、ルキアという名前の少女の正体ははっきりしている。
(居た)
余りに突然の邂逅を前に、焰真は驚きの余り反応することができなかった。
苦節5年。
緋真の妹を無事発見。