BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*50 朔月

 すでに夜の帳が降りた空座町。空から見下ろせば、月影に照らされている街並みの中、電灯が星のように光っている光景が、またノスタルジックな感傷を与えるようだ。

 だが、ここに集ったのはそのような感性に疎くなってしまった者達。

 

「……揃ったか」

 

 顔の右半分に仮面の名残がある水色髪の青年。

 リーゼントに近い髪型をした彼は、まさしくヤンキーという呼称がよく似合うものの、その実、内面はヤンキーなどという言葉では収まらない凶暴性を秘めている。

 彼の肉食獣の如き鋭い視線の先には、また別の者達が五人ほど集っている。

 

 彼らは、言わば青年の舎弟のような存在―――破面風に言えば“従属官(フラシオン)”と呼ばれる破面たちだ。

 

―――第6十刃(セスタ・エスパーダ)こと、グリムジョー・ジャガージャックの。

 

「誰にも見られてねえだろうな」

「無論だ」

 

 グリムジョーの問いに答えるのは、彼の従属官の中のまとめ役的存在であるシャウロン・クーファンと呼ばれるやせぎすな長身男性だ。

 彼らの問いから推察できることは、あくまで彼らがここに来ることはバレてはいけないこと―――味方に、である。

 つまり、独断行動。

 そうしてまで彼らが為そうとしていることは、先日ウルキオラとアルトゥロが調査した死神もどきの人間を含め、霊力のある物全てを殺すことにある。

 

 成り行きでアルトゥロが何十名か殺していたものの、死した者達は総じて霊力のない木っ端の人間たち。こちらに反抗するであろう戦える者は、誰一人として殺していなかった。

 それがグリムジョーには気に入らなかったのである。なぜ、敵を殺さないなどという温情をかけねばならないのだろうか?

 

 理解できない。

 腹立たしい。

 

―――まどろっこしいんだよ……!

 

 回りくどいことなど、直情的なグリムジョーには神経を逆撫ですること他ならない。

 歯向かう者は全員殺す。それが強者弱者関係なく、だ。

 

 その為に、まずグリムジョーは破面特有の霊圧探知術である探査神経を全開にする。

 真っ先に探査神経に引っかかった対象は―――真後ろ。

 

「―――随分楽しそうなことをしているな」

『!?』

 

 背後を取られた。

 直後に理解したグリムジョーたちは振り返る。すると、そこにいたのは思いがけない人物であった。

 

「てめぇは……アルトゥロ……!」

「散歩にしては随分と遠出だな」

「どうしててめェが!!」

「『どうして』だと? なぜ私が貴様なぞに此処にいる理由を説明しなければならない」

 

 冷徹な面持ちを浮かべているのは、今まさにグリムジョーが腹を立てている原因の一つである破面、アルトゥロであった。

 まさか自分たちを連れ戻しに来たのだろうか。

 そう勘ぐるグリムジョーたちであったが、まるで彼らの自分の目的を推測しようとする姿が滑稽だと言わんばかりに鼻で笑うアルトゥロは、踵を返したまま話を続ける。

 

「なに。王が勝手なのは何時の時代もそうだろう」

「―――! ……てめェは俺らの邪魔をしに来たってんじゃねえんだな?」

「はんっ。地虫がどうやって王の歩みを妨げられる?」

「んだとっ……!」

 

「グリムジョー。我が王よ。今は剣を収めろ」

 

 煽るような物言いのアルトゥロに対し、思わず斬魄刀を抜こうとするグリムジョーであったが、内心冷や汗を流すシャウロンが宥めるようにグリムジョーを手で制す。

 部下でも仲間でもない。勝手に付いてきていると称するのが正しい者達であるグリムジョーの従属官だが、そのような彼らの言葉に耳を貸す程度の理性は残っていたのか、グリムジョーは盛大に舌打ちを一つしてから斬魄刀の柄から手を放す。

 

 チキッと刃が鞘に完全に収められる音が響けば、同時にアルトゥロの姿は闇に掻き消える。

 その様が瞼の裏を眺めた時を彷彿とさせたため、グリムジョーは先日の虚夜宮での一連の会話を思い出す。

 

『何故すぐに殺さないか、か……面白いことを言う』

 

 口にしたのは他でもない、アルトゥロだ。

 

『すぐに殺し喰らおうとするのは、獣の真似だ。『今殺らねば』……その考えは、大局を見据えることができない阿呆のものだ』

 

 あの腹立たしい声は鮮明に思い出せる。

 

『次は殺せないかもしれない。次は殺されるかもしれない。グリムジョー、貴様の考えは他でもない。自らが弱者であると公言しているソレだ』

 

 沸々と、沸々と。沸き上がる怒りは烈火の如く燃え盛る。

 

『殊勝なことだな、グリムジョー。貴様の吼える様は、愚民の喚き声によく似ている』

 

 そして、爆ぜた。

 

「クソがァ!!! ああ、いいぜ……!! 全部、全部だ……俺の前に立つ奴ァ―――」

 

 歯をむき出しに鬼の如き形相を浮かべるグリムジョーは、血が滲むほど拳を握った。

 

「全部ぶっ壊してやるッ!!! 一匹残らず、皆殺しだァ!!!」

 

 第6十刃、グリムジョー・ジャガージャック。

 司る死の形は“破壊”。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……ルキア!」

「ああ!」

 

 先を走る一護の後ろを走っていた焰真とルキアであったが、自分たちへ近づいてくる強大な霊圧に気が付き、義魂丸を飲んで死神化する。

 刹那、焰真の眼前に現れる白装束を靡かせる男。白刃が煌く様を目の当たりにすれば、焰真はほぼ反射的に煉華を抜き、その一閃を防いだ。

 

 交差する刃の間から散る火花。

 その瞬間、闇に溶けるように不明瞭であった相手の顔が、これから舞う血飛沫を予感させる火花に照らされて明らかとなった。

 薄緑色の髪。顔の右半分の巨大な仮面の名残。血色の悪い肌。

 

 眉間に皺を寄せる焰真は、目の前の男に向かって言い放つ。

 

「アルトゥロ……プラテアド……!」

「副官章……貴様、副隊長か」

 

 直後、今一度火花が散るや否や、両者は距離をとるように飛びのいた。

 

「焰真!」

「ルキアは一護のところに行ってくれ」

「ッ! ……わかった」

「頼んだぞ」

 

 一瞬逡巡したルキアであったが、内なる虚の件で神経質になってしまっている一護の援護に向かうべきだという判断に至り、ルキアは踵を返して焰真に背を向けて走っていく。

 そんな彼女を追うように、破面の歩法―――“響転”でルキアに迫ろうとしたアルトゥロであったが、彼女と彼の間に、青白い流星が閃くのを彼は幻視した。

 

「―――卍解、『星煉剣(せいれんけん)』」

「ほう……副隊長が卍解を」

 

 闇の中でも確かに輝く漆黒を前に放たれた声音には、喜色が滲んでいる。

 一方、早速卍解した焰真は、余裕綽々といった様子のアルトゥロに対し、淡々と名乗りを上げた。

 

「十三番隊副隊長、芥火焰真だ」

「これから殺される人間が、一丁前に名など名乗るな」

「これから殺す相手に名を名乗るのは、俺に剣を教えてくれた人の流儀でな」

「……成程」

 

 焰真の言う『殺す』は『救う』と同義であるのだが、そんなことなぞ知る由もないアルトゥロは、文字通りの意味だと受け取った上で口角を吊り上げる。

 

「貴様の流儀なぞ、私には微塵も関係ない」

「ッ―――!」

 

 轟々と唸る禍々しい霊圧。

 余りにも暴力的で強大な霊圧は、周囲の建造物に甚大な被害をもたらすことは想像に難くないだろう。

 宙につるされる電線は蛇の如く苦悶に蠢き、アスファルトの地面は獣の行列が通り抜けている間であるかのように鳴動する。

 

 そんな現世への被害を慮った焰真は刹那の間に宙に移動したが、アルトゥロもまた、ほとんどタイムラグ無しに焰真に付いてきた。

 恐ろしい速さだ。速さが売りの天鎖斬月を翻弄しただけはあると、焰真は内心驚嘆する。

 だが、敵を評価することはあっても称賛することはない。

 

―――戦いなど、無いに限るのだから。

 

「なら、さっさと終わらせてやる……!」

「できるものならな」

 

 共に不遜な物言いにも聞こえるが、胸に秘める想いはまったく違う。

 

 他者のためか、己のためか。

 だがしかし、焰真はこの時気付けることはなかった。

 

 護るべきものを想うが故の弱さを―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐっ……!」

「ガッカリさせんじゃねえよ死神!! 卍解になってマトモになったのはスピードだけか!! あァ!?」

 

 閑静な住宅街に威勢のいい声が響きわたる。

 声の主はグリムジョー。向ける先は、眼下で膝を着いている一護だ。

 

(なんつー強さだよ……卍解になっても、ロクに傷もつけられやしねえ……!)

 

 天鎖斬月の柄を握りつつ、一護は思案を巡らせる。

 泰虎の家にやって来たディ・ロイと名乗った破面。彼については、遅れてやってきたルキアが何の問題もなく倒して見せたのだったが、後にやって来たグリムジョーが問題であった。

 アルトゥロに匹敵する強さ。速さもさることながら、硬さも相当だ。

 

「くそっ……!」

 

 一護は瞼の裏で、グリムジョーの手刀に貫かれたルキアを思う。

 そうだ、自分が負ければ彼女の命はない。勝たなければ、勝たなければと何度も自分に言い聞かせ、見つけた答えは―――。

 

(あの月牙天衝しかねえ……!)

 

 月牙天衝。それも、虚化した状態での。

 本来、内なる虚が用いた技であり、自身の霊圧を食わせなければならないという月牙天衝の性質上、卍解状態では一度放つたびに抑えられていた虚に餌をやり、彼の活動を活発にさせてしまいかねない諸刃の剣でもある。

 しかし、今使わねばグリムジョーを倒せはしない。

 

(やれるのか? 俺は……)

 

 吸って吐いてを繰り返し、呼吸を整える。

 

(いや……やるしかねえんだ!)

 

 覚悟を決めた。

 

 その為には、受け入れる必要がある。内なる虚を。

 それでも天鎖斬月に霊圧を込め、みるみるうちに霊圧は肥大化する。黒よりも黒く、血のように赤い霊圧の残光も煌かせる霊圧が、一護を包み込んでいく。

 異変に気が付いたグリムジョーは怪訝な眼差しを一護に送った。

 だが、半ば落胆している彼は、今更一護が何をしようと面白みがないだろうと、袴に空いた穴に腕を突っ込んだまま、傍観を決め込む。

 

「ウオオオオ!!!」

「っ!?」

 

 しかし、直後爆発した一護の霊圧に目を見開いた。

 

 見据える視界の先には、おどろおどろしい―――それこそ虚の仮面を被っている一護が、天鎖斬月を振りかぶっている。

 

「―――月牙」

 

 最早、回避する間もない。

 

「天、衝!」

 

 黒の一閃。

 宙を奔る渾身の一撃たる月牙天衝は、グリムジョーに直撃する。

 

「はっ……はっ……ぐぅっ!」

 

 空で月牙天衝が炸裂した爆炎を仮面の奥の瞳で望む一護は、すぐさま自身の顔を追っている仮面を、天鎖斬月の柄頭で殴って砕く。

 バラバラと音を立てて崩れ落ちる仮面だが、依然一護の白目は黒く染まっている。

 それでもなんとか内なる虚の暴走を理性で食い止めようとする一護は、心の平静を保とうと深呼吸を始めた―――が。

 

「……何だ」

「!」

「最初っからそうしろってんだよ……なあ、死神!!」

 

 煙を払うように腕を振るグリムジョー。同時に、彼の体に袈裟斬りされたように刻まれた傷から溢れる血もまた、辺りへまき散らされる。

 決して浅くはない傷だ。だが、魂を賭しての一撃であることを考慮すれば、釣り合っていないと言わざるを得ない。

 

「ちくしょ、う゛っ!?」

 

―――来た。

 

 寄越せと聞こえる。

 殺せと叫んでくる。

 

 気が付いた時には、すでに止めようもないほど内なる虚は肥大化してしまっていた。

 僅かな理性も、触れれば崩れる砂上の楼閣のようなものだ。

 

「ぐぅ、うぅ! フーッ! フーッ!」

「来ねえのか? なら、こっちから行くぜ、死神!!」

「ッ……ぐあっ!?」

「!?」

 

 肉迫しようと身構えるグリムジョーに対し、一護は面を上げた。

 その瞬間、彼の首筋に途轍もない衝撃が走り、すでに戦いで疲労していたこともあいまってか、容易く意識が奪われてしまう。

 前のめりに崩れる一護。そんな体を、どこからともなく現れた中年の男性は腕で抱き留め、近くの塀の傍へ軽く放り投げる。

 

「よう、破面のあんちゃん」

「……誰だ、てめえは?」

「俺か? 俺はだな」

 

 男性は倒れる一護を指さす。

 

「お前さんと()ってた死神の親父だよ」

「あァ?」

 

 不敵に笑う中年の男性。

 筋肉のついた体に、髭を生やした顔。

 左腕には、羽織を思わせる布が巻き付けられているが、かろうじて何が書かれているかまではグリムジョーに見えることはなかった。

 

 彼の名は、

 

「黒崎一心」

 

 一護の父であり、真咲の夫であり、元十番隊隊長の死神。

 

「あれだ。うちの馬鹿息子とまだやり足りないってんなら、俺が相手してやる。少し隠居してたオッサンのリハビリだと思って付き合ってくれよ。どうだ?」

 

 家族の中では陽気でアホでテンションの高い父という認識の彼であるが、今はそのような様子を一切見せないほど、堂々たる佇まいで腰に差す斬魄刀の柄に手を置いている。

 彼の登場を前に、一護との戦いに水を差されて不満そうな顔を浮かべていたグリムジョーであったが、途端に猛獣のような笑みを浮かべ、一心めがけて飛びかかるよう駆けだす。

 

「はっ! 言われなくてもそのつもりだァ!!」

「よし来た。そんなら、手加減はいらねえな」

 

 閃く刃。

 地上の被害を抑えるため、宙に向かって飛び出した一心は、斬魄刀を振るうグリムジョーと幾度が刃を交わえる。

 

「ぐッ!?」

 

 押されているのはグリムジョー。一護の月牙天衝を受けたというのもあるが、洗練された一心の剣術と、彼の筋肉から生み出される膂力に、力に任せた戦い方をするグリムジョーは相性が悪く、結果グリムジョーが終始押される形となっていたのだ。

 歯噛みするグリムジョーは、なんとか状況を打開しようと、掌に霊圧を収束させる。

 

 虚閃。

 

 一条の閃光が、一心めがけて奔る。

 

「ぬぅん!!」

 

 だが、気合いを込めた一声を上げる一心の一振りに、牽制のためにはなった虚閃はなんなく切り裂かれてしまう。

 驚愕するもつかの間、瞬歩でグリムジョーの眼前に迫った一心は、斬魄刀“剡月(えんげつ)”を高々と振りかぶる。

 

「折角だ。―――うちの倅との違い、喰らい比べてきな」

「ッ、クソ!?」

 

 剡月の刀身には、猛々しく燃え盛る炎が灯る。

 そしてこれから放たれるのは、一護の繰り出した技とほとんど同じ。

 しかし、その鋭さは天と地ほども隔たっている。

 

「月牙……天衝!」

 

 炎の三日月が、夜の空に浮かんだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 轟音が響く。

 砂煙を上げ、破片がパラパラと落ちる中、地面には飛び散った血痕で赤い水玉模様も描かれた。

 その光景を冷徹な眼差しで見つめるのはアルトゥロである。

 

「貴様と私の違いを教えてやろう」

 

 突拍子もなく語り始めるアルトゥロ。

 彼の体には目立った傷といった傷は窺うことができない。それもそのハズだ。焰真との戦闘を始めてから、ほとんど彼が優勢に立ち回っていたのである。

 

「私は私のために戦っている。が、貴様は周りの地虫どものために戦っている。それが貴様の弱さだ」

 

 晴れる砂煙の中からは、額から血を流す焰真が現れた。

 決して戦意を捨てていない彼であるが、ふと流れる血に瞼を閉じれば、まるで涙を流しているように血は目尻から頬を伝い、そして零れていく。

 

「……だったらなんだ」

「貴様は周囲に気を遣っている。切っ先を殺す敵以外に向ける戦争がどこにある?」

 

 冷笑するアルトゥロ。その瞳に映っているのは落胆と失望。

 全ては、力を携えていながら周囲への被害に気を遣う余り、真面に戦えてない焰真の現状にあった。

 アルトゥロは強い。一挙手一投足が周囲へ甚大な被害をもたらす。

 故に焰真は逐一彼の動きに気をかけているのだが、破格の強さを誇る彼に対し、“周囲のため”にと意識を向けることは悪手であった。

 

 そして、彼が自身ではなく周囲へ気をかけていることに気が付いたアルトゥロは、それから執拗に町に向けて攻撃を繰り出していたのである。

 焰真は彼の攻撃の対処に追われ、時折肉迫してくる彼自身にも対処をするものの、結果は今の通り。

 

「フン。貴様はどうせ、神羅万象を護ると宣う輩だろうに。ならば貴様は戦場に出てくるべきじゃあない」

「……なんだと?」

 

 怪訝な眼差しをアルトゥロへ向ける。

 すれば、やおらアルトゥロは腕を広げた。直後、彼の背中から赤黒い霊圧が噴き出し、徐々に翼のように形作られていくではないか。

 まるで鳥を思わせる翼。だが、決して神秘的な印象を与えるものでなく、寧ろ瘴気でも振り撒くかのような禍々しさを放っていた。

 

 その姿に焰真が生唾を飲めば、アルトゥロは声高々に語り始める。

 

「この世界の王は私だ。それは何者にも代えがたい事実だ」

 

 そう言い、アルトゥロは斬魄刀を掲げた。

 

「私こそ至高だ!! 私を取り巻く神羅万象は私を中心に廻っている!! だが、なんだ貴様は!? かつて天動説が唱えられていた時代に、廻っているのは自分の方だと宣う輩にそっくりじゃあないか!! 己の世界はどれだけ陳腐なものだろうと、己を中心に廻っているにも拘らずだ!! 貴様は、己が弱い理由を己で作っている!! その護るべき他者とやらを言い訳にしている!! だから貴様は弱い!!」

「なに……!?」

 

 アルトゥロの物言いに憤る焰真であったが、どこか心が軋むような音を奏でたのを、彼は感じ取った。

 

―――私が悚れるものは唯一つ。

 

 不意に白哉の言葉を思い出した。

 

―――庇護せんとするものを理由に、真に守らねばならんとするものの為が刃が鈍ることだ。

 

 目先のもの(ルキア)を理由に、守らなければならないもの(緋真)を守ろうとした彼の言葉を。

 掟を重んじる彼が、二度の掟を破った果てに見出した決意だ。

 家も家族も守る。その上で掟も守るための。

 

 ここで掟をふいにしようとすれば、きっとそれが己の弱さとなり、振るう刃が鈍らになると彼は直感していたのだろう。

 

 一方で焰真はどうだろうか。

 

(俺は……)

 

 仲間も救いたい。

 あまねく霊魂も救いたい。

 

 だが、それが足枷となって今の彼は死にかけている。護る為の手段としての戦いを真面に行うことさえ叶わない。

 ジレンマだ。自分しか犠牲にすることのできない焰真にとって、それは余りにも残酷な状況にあったと言わざるを得ないだろう。

 

 そうして彼はみるみるうちに(いのち)を削っていく。

 

(俺は……!)

 

 それでも捨てたくないと、魂は訴えている。

 

 それが、芥火焰真が芥火焰真たる由縁。

 

「それでも、俺は……!!」

「……ならば、私が慈悲を与えてやろう」

 

 刹那、アルトゥロの斬魄刀の切っ先に霊圧が収束していく。

 虚閃だ。それも特大の。

 

(しまった!)

 

 今焰真が居るのは地上。もしあのまま放たれてしまえば、虚閃は地上に直撃した後に爆発。町は更地となることだろう。

 なんとかアルトゥロに接近できないかとも考える焰真だが、恐らくもう間に合わないだろうと結論付ける。

 

 焦燥を顔に滲ませる焰真に対し、アルトゥロは至極愉快と言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 

「貴様ごと死ぬか。貴様だけ生きるかだ。後者ならやっと全力で戦えるな」

 

 『滅びろ』とアルトゥロが紡ぐ姿が見えた。

 だが次の瞬間、焰真の通信機に連絡が入る。

 聞こえる声は乱菊のもの。毅然としつつも、どこか歓喜が窺える声音に焰真は『もしや』と目を見開く、即座に胸元に手を当てた。

 

『―――限定解除下りたわよ!!』

 

 その声と共に視界は閃光に包まれる―――が、胸元に刻まれた待雪草の刻印から光が放たれると共に膨れ上がる霊圧と、焰真が血を媒体にして放った渾身の炎がアルトゥロの虚閃を滅し飛ばした。

 

「なに……?」

 

 自身の虚閃が霧散し、その奥に焰真が佇む光景を目にし、アルトゥロはわずかに驚くような声を発する。

 片や焰真は、一気に霊圧が解放され、体に霊圧が満ち満ちていく感覚を覚えつつ口を開いた。

 

「俺たち隊長・副隊長は、現世の霊に不要な影響を及ぼさないよう、霊圧を制限されるんだよ。今、それを解いたってだけの話だ」

「……くっくっく、そうか! そうだったのか!!」

 

 背中から迸る霊圧の翼で羽搏くアルトゥロは、歓喜に満ちた声を上げた。

 

「流石に手ごたえがないと感じていたが……それならば仕方あるまい!! ハハハッ!! いいだろう!! 遊戯はこれで終いという訳だな」

 

 空が哭く。

 地が呻く。

 (そら)を覆いつくさんと広がっていく不透明な赤黒い霊圧の翼は、曇天のように浮かぶ月さえも遮っていく。

 それほどの霊圧。限定解除し、霊圧が五倍に膨れ上がった今でさえ身震いしてしまいそうな圧倒的な“威”をアルトゥロから感じる。

 

(あれを使えば……だが……!)

 

 焰真は思案する。

 この状況を打開する手段を。

 

 心当たりは一つだけあるが、それを行使することに焰真が踏ん切りがつかない。

 

 その間、戦いの第二幕は切って落とされようとしていた。

 

「さあ……―――(はじまり)だ」

 

 

 

「そこまでだ」

 

 

 

「!」

 

 しかし、そんなアルトゥロを彼の背後から制止する影がどこからともなく現れた。

 

(あいつは確か)

 

 見覚えのある姿形。一度目の現世襲来に際し、アルトゥロと共にやって来た病的なまでに色白な青年。

 彼の制止に水を差されて不服そうにするアルトゥロは、怨嗟を込めたような声音で彼の名を呼んだ。

 

「……ウルキオラ」

「帰るぞ、アルトゥロ」

「何故貴様に指図されなければならない」

「それは―――」

 

 

 

 ***

 

 

 

「藍染様はお怒りだ」

 

 グリムジョーの背後で、淡々とした声音ながらも憤怒の色を滲ませる、浅黒肌の男―――東仙が告げる。

 その後も続く彼の言葉に、すでに満身創痍のグリムジョーは―――刀剣解放は残しているが―――潮時であると判断し、せめてものにと舌打ちをしてから、彼の後ろに付いていく。

 

「なぁ~るほどな。お前さんもグルだったってことか」

「……志波一心」

「今は黒崎一心だぜ、東仙」

 

 そうして去っていこうとする二名の内、東仙に対して一心は声をかける。

 一心が隊長時代、すでに東仙も隊長であった。つまり、その頃から藍染と手を組んだ裏切りものであった彼に、一度彼らの策謀にかかった末に現世に居る一心は、一つでも情報を引き出せまいかと話しかけたのであった。

 それに対して東仙は一度無視するように黒腔を開き、中に足を踏み入れたものの、突然立ち止まる。

 

「―――全ては藍染様の掌の上だ」

「……なんだと?」

「君も、黒崎一護もだ。努々忘れるな。君たちの抗いの全ても、藍染様のためになるとな」

「ほぉ……言ってくれるな」

「さらばだ。志波……いや、黒崎一心」

 

 閉ざされる黒腔の裂け目の中で、東仙は最後にこう言い放つ。

 

過去(これまで)がそうだったように、未来(これから)も彼の運命は我々が握るだろう」

 

 盲目の東仙だが、その視線は間違いなく一護へと向けられていた。

 真咲と自分の愛の結晶たる息子(一護)。そんな彼の運命を握っているのが、尸魂界の大逆人たる藍染たちだと思うと不快感を覚えざるを得ない。

 

「ふんっ。忘れないでおいてやるよ」

 

 既に閉ざされた黒腔の先を見据え、一心は吐き捨てるように呟く。

 

 こうして、グリムジョーたちの独断で巻き起こった現世での戦いは、双方に傷跡を残して静かに終息するのだった。

 


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