「はぁー! はぁー! はぁー!」
「……大丈夫か? ルキア」
「大丈夫……とは言い難いな。こ、ここまで霊力を使うとは……」
十三番隊舎裏修行場。そこで大の字になって倒れ伏しているルキアの顔は、とめどなく流れ出てくる汗で濡れている。
カッカと火照る体であるが、たちまちに汗は冷やされ、ルキアの体温を奪っていく。
その理由は修行場全てを覆いつくすように立ち込めている冷気と、凍り付いている地面が理由だ。
息も絶え絶えとなり、立つことさえできないほど疲労するルキアに代わり、彼女の顔を手拭いで拭いてからは、竹筒を赤火砲で軽く炙って温めた茶を彼女の口に注ぐ。
しかし、
「ぶふーっ!」
入りどころが悪かったのか、噴水のようにルキアは茶を口から噴き出しては『あちちち!!』と悲鳴を上げて上体を起こす。手の届く場所にあった冷たい物―――袖白雪を手に取るや否や、刀身に舌を当てて火傷した舌を冷まし始める。
「ひ……ひはま! わたひほもっほひはわへ!!」
「わ、悪かった」
故意ではないのだが、結果的に彼女を涙目に至らしめてしまった焰真は引きつった顔で謝罪を述べる。
しかし、それにしても自身の斬魄刀を舐る光景は滑稽だ。
少し経ってから、必死に舌を冷ましているルキアの様子を面白く感じ始めた焰真は、堪らず吹き出しそうになるが、それは失礼だと考え必死に我慢する。
(意外といけるか?)
邪念を払うように真剣な話題に思考を転換する焰真。
元々彼らは、先日のグリムジョー率いる破面との戦いの後、自分たちの力のなさを危惧し、こうして隊舎裏の修行場を借りて鍛錬に身を入れ始めたのだった。
その修行内容とは―――。
「朽木さーん!」
「む? 井上! 焰真、済まぬ。私は向こうに……」
「ああ、行って来いよ」
「うむ! では、また後でな」
同じく鍛錬のため、わざわざ尸魂界まで赴いてきた織姫がルキアを呼んだため、彼女は焰真に別れを告げて軽快な足取りで去っていく。
その後ろ姿を見届ける焰真は、どこか心強く感じる彼女の背中に、慈しみの宿った眼差しを向けるのであった。
彼の表情は、今まさに頭上に広がる晴天のように清々しいものだ。
理由は、他ならないルキアともう一人―――恋次のおかげである。
彼らのおかげで吹っ切れた焰真は、こうして彼女の鍛錬に精を出すことができていた。
(そうだ、俺は―――)
***
「おい、焰真」
それはグリムジョーたちが、藍染によって差し向けられた面々に諭されて撤退した後の出来事であった。
少なくない傷跡が町中に広がり、戦った死神たちもまた、血みどろになりつつも何とか生き永らえることができている。一護も、ルキアの義魂丸であるチャッピーに連れられ無事であることが確認されたが、その際のチャッピーの挙動不審な様子には主であるルキアも不審に思ったとのことであったが、真相は闇の中だ。
それはともかく、一通りの治療を終えた面々は、治療を行ってくれた織姫のアパートの屋上に集っていた。
そこで焰真に声をかけたのは恋次だ。
「……どうしたんだよ? そんな怖い顔して―――」
彼の怪訝な視線に戸惑う焰真は、取り繕うように笑顔を浮かべて答えた。
だが、次の瞬間には恋次は焰真の胸倉を掴みかかるではないか。
突然の凶行には、当人たち以外を瞠目する。
「おい、恋次! お前何して……」
「双殛のこと憶えてるよな? 死にかけの俺たちをお前は一瞬で治してくれやがった。それなのに、どうしててめえはさっき死にかけだったんだ?」
制止しようとする一護の言葉を遮り、恋次は焰真に詰問する。
そう、焰真は織姫に治療を受けるまで、傷がそのままであったのだ。
だが、彼は双殛にて藍染に殺されかけた面々を一瞬で治療したり、自身もまた一護の月牙天衝の巻き添えを喰らった傷もすぐに治していた。
そんな彼がはたして傷を治さないままで居る理由があるだろうか?
彼は優しい。もし傷ついた者が居れば、彼は迷わずその力を使うことハズだ。これは最早恋次にとって―――否、長く付き合ってきたルキアも確信するほどのものであった。
「……それは」
「できねえ理由があるんだろ。それこそ、さっきまでてめえが死にかけてたことに関係してな」
「……」
的を射る恋次の言葉に、焰真は悲痛な面持ちで押し黙ってしまう。
織姫は居た堪れない空気に『そ、その辺に……』と声を上げるが、これを遮ったのはルキアであった。
恋次とは一変し、優しく焰真の手を握る彼女は、やや潤んだ瞳を彼に向ける。
「どうか言ってくれないか。私たちは……仲間だろ」
仲間。
刹那、泣きそうに顔を歪めた焰真は、俯かせた顔を手で覆ってから、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。
「わかった。言う」
まるで、今の彼は嘘を暴かれた子どものようだった。
儚く、今にも消え入りそうな声は暗闇に浸透し、聞いている者皆の鼓膜を揺らす。
「俺は魂を分け与えられる」
「……は?」
「そして、分け与えた奴から魂とか……そうだ、力とかを奪うことだってできる」
理解が至らない者達の驚愕の声。それが誰のものだったのかなど、彼の声に比べれば些細な問題であった。
「だから、前に恋次や一護を回復させたのは、俺の魂を分け与えて回復させたって訳だ」
「ううむ……にわかには信じがたいが」
「これを続ければ、死にかけの人だって生き永らえる。傷だってすぐ治るし、病気だって。でも……俺の魂だけを分け与えたら……そりゃあ……すぐカツカツになるよな」
「!」
まさか、とルキアの瞳が開かれた。
死にかけ。病人。生き永らえる。
脳裏を過るのは体の弱かった緋真や浮竹だ。そんな彼らも時を経るごとに元気になっていたことを、ルキアは目の当たりにしている。
だが、問題であることは彼が最後に述べたことだ。
「貴様、まさか……!」
「……与えた分賄うには、他人から……そう……
「他人のために寿命を分け与えているとでも言うのか!?」
「まあ、そうも言えるな」
次の瞬間、恋次の腕を押し退けてルキアが鬼気迫る表情のまま、焰真の胸倉をつかみ上げた。
「焰真……し……死ぬ訳では……あるまいな?」
一瞬の逡巡が窺えるルキアの言葉。
直接的に言うべきかそうでないか悩んだ後に、彼には直接訊かなければ答えない―――そう直感したのだろう。
「どう……だろうな。でも、一つ確かなのは、そうホイホイ何も考えずに与えてたら、すぐ俺が死―――」
「ふざけるなっ!!!」
焰真の言葉を遮ったルキアの声。悲鳴にも似た怒声は、夜の帳が降りる空に劈く。
「焰真! 貴様は、私にっ……ずっと一緒に居ると約束したではないか……!」
「……ああ」
「独りで背負いこむなと言ったではないか……!」
「……ああ」
「嘘だったのか!? 全部嘘だったのか!? 貴様を仲間と思ってるのは……私たちだけだったのか……!?」
「っ―――!!」
刹那、鬼のような形相を浮かべた焰真は、ルキアを突き飛ばそうと彼女の両肩に手を置く。
しかし、思いとどまったのかこみあげる感情を吐息に混ぜて全て吐いた後、詰め寄るルキアをゆっくりと突き放す。
「大切に想ってるから……捨てられないんだ……!!」
「っ……!」
「俺はみんなが好きだったから……みんなを救いたいから、今まで生きてきた……! でも、どうやったって失いたくもんは抱えた腕から零れ落ちてく!! 俺はそれが……嫌なんだよっ……!!」
震える焰真の手。掴まれているルキアは、彼の震えをその身に受け、今にも泣き出しそうな顔を浮かべる。
(そうか……)
「だったら……失うくらいだったら、俺は全部抱えたままでいたいんだ……死ぬ最後の一瞬まで」
(此奴は……)
「絶対人は死ぬんだからよ……せめて俺は……最期には、みんなに囲まれていたい」
(ずっと……)
「結局俺は、自分のために誰かを救いたいだけなんだよ……」
(ずっと、独りで……)
普通、常人が持ち得ない
それを持つが故の葛藤の末、彼はただ独り道を進むことを決めたのだった。他人を巻き込まないために、だ。
自分の
なんと尊く馬鹿馬鹿しい話だろうか。
だからこそ、ルキアは―――。
「ふんっ!!!」
「おごっ!?」
焰真の顔面に頭突きを食らわせた。
不意の一撃に無防備だった焰真はそのままのけ反って倒れたかと思えば、コンクリートの地面に後頭部を打ち付け、苦悶の表情に顔を歪める。
その間、完全に彼のマウントを取ったルキアは、胴体に乗っかった後に、顔をこれでもかと悶絶する焰真に近づける。
「それのなにが悪い!」
「はいぃ……!?」
「自分のために生きることのなにが悪いと言っている!!」
痛みで涙目となっている焰真。
彼が目の当たりにしたのは、滂沱の如く涙を流すルキアの姿だ。
「他人のために生きる……それさえも自分のためだなぞ、疾うに知れていることではないか!!」
揺れる瞳。しかし、真っすぐにこちらを見つめてくる彼女に、焰真は視線を外すことができない。
「なにが悪い! そのおかげで救われた者は大勢いる! 私もその一人だ! 姉様も……兄様も違いない!」
「ルキア……」
「いいではないか! 自分を責めてやるな! 誰かに優しく、死に臆病でなにが悪い! それがお前だ! 芥火焰真という名の死神だ! そして……私の大切な仲間なのだ……!」
最後は焰真の胸に顔を埋め、啜るような音を立てながら言い切ったルキア。
彼女の小さな背中に腕を回した焰真は、得も言われぬ表情を浮かべ、周囲を見渡す。
すると、彼の目の前に恋次が膝を着いてきた。やおら、焰真の肩に手を置く彼は、フッと凶悪な笑みを浮かべてから口を開く。
「へっ! オメーが俺らんために魂削ってんのはよーくわかったぜ。なら、こうしようぜ……俺の魂もよ、てめえのために削ってやる」
「……は?」
「二度言わせんじゃねえよ。俺の命を預けてやるっつってんだ。口八丁の約束なんざより、オメーに任せた方が魂懸けてんの単純でわかりやすいじゃねえか」
「いや、だからそりゃあ……!」
「うるせえ!! 四の五の言ってんじゃねえ!! 今のオメーに発言権はねえんだよ!!」
「やだ、理不尽」
抗議しようとする焰真相手に捲し立てる恋次に、周りの誰もが引きつった顔を浮かべている。
しかしどこか温かい。一角や弓親、乱菊は愉快そうに微笑み、一護や日番谷、織姫は困惑しつつもルキアや恋次に同意するように首肯していた。
その中でも、一護が『俺もよ……』と前置きを口にしてから一歩前に歩み出る。
「一回言われたことがあんだ。死にに行く理由に他人を使うなって」
かつて浦原に言われた言葉。
ルキアを連れていかれるに際し、白哉に敗北し霊力も失ってまで、彼女を助けに行くと喚いた時に言われた言葉だ。
生半可な覚悟で戦いに臨むことは死ぬことと同じであり、あまつさえ“誰かを助けに”との大義名分を用いることは愚か以外の何物でもない。何も救えることはなく、ただ失うだけであると―――そう教えられたのだった。
「多分、今のお前にも言えることだと思うんだよ。でもよ……俺たちは死ぬために戦ってんじゃねえだろ。みんなを護るために戦ってんだ。違うか?」
そう言って一護は織姫を見遣る。
自分が無力な所為で傷つけてしまった彼女を守ると約束したのは、今日の出来事だ。
「俺には
自分にも言い聞かせるように、一護は『必要なのは覚悟だろ』と締めくくった。
「―――焰真」
不意に胸元からルキアの声が聞こえる。
胸板に顔を押し付けたままであるため、彼女の表情を窺うことこそできないが、胸を通じて体に伝わる彼女の声の震えようから、感情を推し量ることはできた。
「貴様はこれまで通り、他人のために生きればいい」
己の無力と、これまで延々と背負い続けてきた彼の悩みを知ることができなかったことへの悲しみ。
「私たちもそうしよう」
しかし、ようやく打ち明けられた彼の悩みを、共に晴らしていこうとする前向きな想いが言霊に宿っている―――焰真にはそう思えた。
「だが、これだけは誓ってくれ。死なないと」
面を上げたルキア。顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。
だが、どうしてだろうか。その儚げな表情を、焰真は綺麗だと思い、見入ってしまうのだった。
「私たちも誓う。死なぬとな」
「そうだ。いちいちオメーに心配されるほど、俺らも弱かねえんだよ」
ルキアの言葉に続く恋次が、軽く焰真の肩を小突く。
「だから次は……オメーは只管全力出しゃあいいんだよ。破面共をあっと言わせてやれ」
「恋次……」
「ふっ。私たちの魂も預けてるのだから、負けなぞ絶対許さんぞ」
「ルキア……」
二人の言葉に、みるみるうちに焰真の表情は崩れていく。
だが、すぐにルキアは焰真の頬を摘まみ、左右へ引っ張り始めるではないか。しかも割と力が強い。
「
「いいか。負けたら私たちが貴様をギッタンギッタンにしてやるからな」
「
「そうだな。その時ぁ更木隊長に頼み込んで一日斬り合ってもらおうじゃねえか」
「
剣八と一日斬り合う。その地獄の如き内容には、一度戦ったことのある一護は顔を青ざめ、心底嫌そうな表情を浮かべる。
また、焰真もまた彼の鬼神が如き狂人の一面をよく知っているが故、その場面を想像しては、顔から血の気が引いていく感覚を覚えた。
しかし、今はどうにも涙を流すことはできない。
ルキアが顔を引っ張っていることもあるが、今まで胸の内にため込んでいた悩みを打ち明けられたことで、心が軽くなったのかもしれないだろう。
(そうだ、俺は……)
―――みんなを愛していた。
この時、焰真は理解した。
何故、打ち明ければ心が軽くなることまで、彼らに伝えなかったのか。
何故、こうも訊かれれば答えてしまうのに、それまで口に出さなかったのか。
何故、何故、何故―――頭に過る全ての疑問の
愛されたかったから、救おうとした。
愛したかったから、優しくしてきた。
愛しているから、独り背負い込んだ。
そして、愛されることにさえ臆病になっていた。
愛されていなければ、失う恐れも抱くことはない、と。
しかし、結局愛おしく感じる心を止めることはできなかった。
何故なら、世界はこんなにも美しく愛で満ち溢れているのだから―――そんな素敵な世界を愛さないことなど、焰真にはできなかったのだ。
「……そっか」
ようやくルキアの手が頬から離れた焰真は、悟ったように呟いた。
『恰好つかないな』と数時間前助言を呈した一護に向って言えば、彼は『お互い様だ』と気さくに笑う。
それにつられて焰真も笑った。
「ありがとな」
迷いから覚め、真に救うものを悟る。
『そうよ、焰真』
自分の命しか懸けられなかった彼が今、真の意味で仲間の命も懸ける覚悟ができたのだ。
それがどれだけ凄まじいものか―――最も長く共に居た煉華は、そのことを理解していた。
『全部を
今の彼を止められはしないだろう。
煉華が、そう確信した瞬間だった。
***
ルキアとの修行も終えた焰真は、四番隊綜合救護詰所に向かっていた。
目的は一つだ。ようやく起きることができた雛森の下へ、見舞いに行くためである。
慕っていた藍染に裏切られ、あまつさえ胸を貫かれた彼女の心痛は、焰真も全てを理解することはできない。
だが、彼もまた藍染を慕っていた隊士の一人だ。
少しでも彼女を慰められないかと、実に彼らしい理由で赴いたという訳である。
しかし、憔悴しているであろう彼女にかけるべき言葉が中々見当たらない。
別に当たり障りのない言葉をかければいいだけの話かもしれないが、どうにもそれだけでは単に見舞いに来ただけで、彼女を慮っていると言えないのではなかろうか? そのような杞憂が焰真の中にあったのだ。
そうこうしている内に焰真は病室の前にたどり着いてしまう。
『あ』と向こうから聞こえてくる声に面を上げれば、目の下に隈を浮かべている雛森がベッドに上に上体を起こした状態で佇んでいた。
「雛森」
「焰真くん。お見舞いに……来てくれたんだよ、ね?」
彼の性格を知っているが故の推察。
こてんと首をかしげて愛らしさを覗かせる彼女であるが、それが他人を心配させないためだと考えれば、得も言われぬいじらしさを覚えた。
だが、自分が暗い顔をしてどうする。そう自分に言い聞かせる焰真は、明るい笑顔を浮かべ、自力で運んだ椅子に腰かけた。
それからは見舞いに来たことを告げ、他愛のない会話をしばらく続ける。
下手に核心に迫った話をするよりも、何気ない会話で彼女の心労を取り除けないかと考えたのだった。
だが、会話の中で雛森がここにあらずといった様子であることを察した焰真は、このままではいけないと切り出す。
「なあ、雛森」
「なあに? 焰真くん」
「お前……藍染のことどう思ってる」
その話題に、雛森は丸い瞳を見開き、焰真の顔を見つめた。
しばし口をつぐむ雛森は、挙動不審になってあちらこちらを見つめた後、心底辛そうな顔を浮かべて口を開く。
「し、信じられないよ……藍染隊長が……う、裏切ったなんて……まだ……!」
震えた手で布団を握る雛森。
まだ彼女は、藍染のことを信じている。それも致し方のないことなのかもしれない。彼女の死神として目指すべき憧れであったのが藍染なのだ。護廷十三隊に入ったことも、五番隊に入ったことも、そして副隊長になったことも全ては藍染に追いつくためだ。
そんな彼が護廷十三隊にとって敵となれば、雛森にとってはこれまでの過去が全て否定される―――延いては、自分自身さえも否定される気がしていた。
だから信じたくない。まだ彼女の内を多く占めているのは、誰にでも優しく、困った時には優しい笑顔を浮かべてそっと手を差し伸べてくれる藍染なのだ。
「焰真くんも藍染隊長のこと……殺すの?」
「いや」
「殺す……え?」
「いや、殺さない」
「え」
日番谷にも問いかけた質問を焰真に投げかけたが、思っていたよりも早く、予想外の返答が来た。
「な、なんで……?」
「なんでって……俺は、あの人を殺したいから戦うんじゃない。あの人を止めたいから戦うんだ」
からりと笑う焰真。
そう―――彼にとっては戦う敵でさえ救う存在だ。
「雛森は、藍染隊長のこと好きか?」
「え、す、好き!? そ、そんな、あたしは……!」
「いや、別に異性としてじゃなくてだ。普通に、好きか嫌いかで言えばどっちなんだ」
「それはっ……勿論好きだよ」
「じゃあ、あの人を殺したくないんだな?」
「殺すなんて、あたしには……」
「信じていたいか?」
「……信じてたい」
「でも、あの人がやろうとしていることを止めなきゃならないのは分かってくれるよな?」
「……うん」
「なら、それでいいじゃねえか」
ポンと雛森の肩をたたく焰真の浮かべる笑顔は、お日様のように温かいものであった。
それはかつての藍染と同じ、皆を照らすかのような笑顔。
彼を前に、雛森は一瞬見とれてしまう。彼にあの頃の藍染の面影を重ねるようにして。
「どうしなきゃいけないかわかってるんだったら、それ以上求めるつもりはねえよ。ただ……好きな人を。愛してる人を、憎しみで殺すことも、責任感で斬ることもつらいだけだろ」
「焰真くん……」
「だったら、愛したままでいいんだ。愛したまま……止めたいって、その想いがあれば十分だ」
「そう……かな?」
「ああ」
愛憎之変、という言葉があるが、親しんだ相手に対し、憎しみや責任感を持って戦う日番谷たちと違い、依然として焰真は藍染への愛情を捨てぬまま戦おうとしている。
だから“止める”のだ。
“殺す”のではなく、止める。
藍染に死を齎しめるのは自分たちでなくともよい。ただ、藍染に教えられたように、藍染そのものを憎むのではなく、憎むべきは藍染の犯した罪だ。だから、彼自身へ抱く想いは愛情でいい。真っすぐな愛を抱いたまま、彼の野望を止めればいい。
焰真はそう考えて、今まで戦ってきた。
「雛森、一緒に止めよう」
「……」
「あの人を……俺たちが救うんだ」
「……うんっ!」
その瞬間、雛森の瞳には光が戻った。
救う。その道こそが、五番隊副隊長として雛森桃が歩むべき道を、彼女は見つけたのだ。
「ありがとう、焰真くん……」
「役に立てたか?」
「うん」
「じゃあ、俺はそろそろ―――」
雛森が元気になったのを見届け、早々に立ち去ろうとした焰真であったが、踵を返すや否や死覇装の袖を掴まれ、立ち止まらざるを得なくなる。
「……雛森?」
「あ、あのね」
これまた挙動不審に視線を泳がせる雛森。
頬を上気させている彼女は、一度深呼吸してから目を白黒させている焰真に告げる。
「もうちょっと傍に居てほしい……かな」
「お、おう……?」
キュっと袖を握る姿がまた愛らしい。
優しい(そして健全なる男子たる)焰真が断れるはずもなく、彼は逆再生されたビデオのように椅子に戻る。
そして座るや否や、今度は袖ではなく手を強く握りしめられた。
女性らしい柔らかで触り心地のよう肌。思わず反応してしまう焰真であったが、病床の雛森を前に動揺は見せられないと、ジッと我慢する。
「……」
「……」
「……あの雛森」
「……ん」
「これ、いつまで続けるんだ?」
「も……もう少し」
「……そうか」
結局その後、三十分ほどその場から動けなかった焰真なのであった。