月牙天衝と虚閃。
縦横無尽に空を翔る破面に対し放たれた破壊の閃光は、虚夜宮を一瞬夜かと錯覚させるほど黒く染め上げた。
だが、交差する斬撃と一条の光線はアルトゥロに当たったと思いきや、彼が放った虚閃によって相殺されてしまう。
爆音を轟かせ、黒煙の中に佇むアルトゥロの悍ましいほどの堂々たる佇まい。
彼らの攻撃を歯牙にもかけないと言わんばかりの様相を目の当たりにした一護とグリムジョーの二人は、ほとんど同時にアルトゥロめがけ駆けだした。
曲がりなりにも共同戦線を張ることになった二人。
グリムジョーもそれなりに一護に対し配慮するかもしれないが、気をかけるのはほとんど一護の役目となるだろう。
しかし、他人に気をかけて勝てるほどアルトゥロは弱くはない。
まずグリムジョーが斬りかかってくる。それを斬魄刀の一閃で退いてみせれば、弾かれるように遠のくグリムジョーの影から、天鎖斬月に漆黒の霊圧を纏わせる一護の姿が目に入った。
零距離の月牙天衝。
咄嗟に斬魄刀を持つ逆の手で受け止めたものの、月牙天衝に呑み込まれることにより、彼の視界のほとんどは、一瞬ではあるが黒に埋め尽くされた。
この間にどの方角から攻めてくるか。
月牙天衝の霊圧が体のすぐそばで渦巻いていることもあり、探査神経が役に立たない現状の中、運試しでもしているかのような感覚に陥っている男は不敵な笑みを浮かべた。
すると次の瞬間、黒い霊圧を漂う煙を切り裂くように、グリムジョーが飛びかかってくる。
「なにっ!?」
だが、グリムジョーは咄嗟に刃を引く。
その理由は、たった今斬魄刀を閃かせようとした先に佇んでいるのが、斬りかかろうとするグリムジョーに対し、驚いているように瞠目する一護であったからだ。
(野郎、どこに消えやがった!?)
すぐさま探査神経を全開にし、アルトゥロの居場所を探ろうとするグリムジョー。
だが彼の体は、途端に凶悪な笑みを浮かべる一護によって蹴飛ばされ、離れていた白い建物の壁に激突するのだった。
「何があった!? グリムジョー!」
そこへ響いてくるのは一護の声だ。
グリムジョーらしき影が吹き飛ばされる光景が、煙の合間から見えていた彼は、本来敵であるグリムジョーに対しても心配するのだった―――が。
「チッ、野郎! 仕留め損ねちまった!」
「あぁ!? グ、グリムジョーじゃねえか!」
「は? なに言ってやがる」
しかし、煙が晴れた先に佇んでいたのは、これまたグリムジョーであった。
一瞬困惑する一護であったものの、彼が無事であるならば、必然的に先ほど吹き飛ばされたのはアルトゥロということになると結論付け、心配が杞憂であったことに僅かばかり安堵の息を吐く。
思えば、アルトゥロの髪は薄緑。遠くから見れば、グリムジョーの水色の髪と見間違える可能性もないとは言い切れない。なにせ、
「気ィ抜いてんじゃねえぞ、黒崎! いいか、聞け!」
「なんだ、グリムジョー」
二人して、砂煙が巻き上がる建物に目をやる。
肩を並べる二人は、出てくるであろう破面に対し気を張り巡らせ、各々の武器を構えた。
「アルトゥロはだな……―――他人に変身できる能力を持っている」
「は? ―――ぐあ゛っ!!?」
刹那、一護が目にしていた景色が線となる。
気が付けば彼の体は、真下の白い砂漠の中へ。天地がひっくり返されたように巻き上がる砂の中に倒れる一護は、咳と共に砂と血を吐き出し、たった今自分を蹴り落とした破面へ目を向けた。
「アルトゥロ……!?」
「そうだ。貴様の油断し切った間抜けな顔。見物だったぞ」
グリムジョーだった姿が次第にアルトゥロへ変化していく様を見た一護は、即座に先ほど人影が吹き飛ばされた建物へ目を向ける。
のっそりと立ちあがり、霊圧で鬱陶しい砂煙を弾き飛ばすのは、間違いなくグリムジョーであった。
そして全てを察する。
「てめえ……グリムジョーに化けてやがったのか……!」
「理解が遅くて敵わんな……その通りだ。そして奴も貴様の姿を見るなり剣を引いていた。そう、所詮即席の徒党などその程度という訳だ。少し姿を似せてやるだけで、何が本物であって何が贋物であるか分からず惑わされる」
アルトゥロのもう一つの能力―――それが他人へ変身・変装できるというものだ。
ただでさえ地力が凄まじい彼に備わった、敵を攪乱させる能力は、藍染の鏡花水月を彷彿とさせる。
完全催眠ほど五感を支配できるという訳ではないが、付き合いの短い味方に変身されてしまえば、言動などから本物であるか否かが判断できなくなる、十分に恐ろしい能力。
こちらが目の前に居る者が本物か偽物か判断する一瞬は、アルトゥロにとってはこれ以上ない隙だ。
「戯れに過ぎん能力だ。あくまで見た目だけを変える……弱者に姿を変えたところで、力は私のままなのだからな」
「ち、くしょう……!」
「こんな能力、群れるだけしか能のない弱者にしか通じん手なのだが……おぉっと、貴様らには通用してしまったようだな。ハハハハハ!」
「アルトゥロぉぉぉおおお!!!」
あからさまな挑発に誘い込まれるよう、激情のままに地面を蹴って飛び出すグリムジョー。
姿に騙された隙を突かれ攻撃を喰らったこと、弱者と罵られたこと、そして群れるしか能がないと見下されたこと―――孤高の王を目指すグリムジョーにとって、アルトゥロの嘲りが何よりも耐え難いことであったことは、想像に難くないだろう。
故に吼える。牙を剥く。爪を走らせる。
―――今すぐにてめえをぶっ殺して、どっちが上か分からせてやるよ!
グリムジョーは喰らうだけだ。
獲物―――肉塊に優劣は存在しない。アルトゥロも、一護も、藍染も、そして織姫やネルでさえ、グリムジョーには等しく同じ存在という訳だ。
強者であろうと弱者であろうと歯向かう相手は喰い殺す。
今に見てやがれ、とグリムジョーは隠すことなく舌なめずりをし、アルトゥロに獰猛な肉食獣の如き眼光を光らせた。
「やれやれ……」
そんなグリムジョーと、真下からとびかかってくる一護を一瞥したアルトゥロはため息を吐く。
「弱い犬ほど、よく吼える」
「―――!!!」
虚夜宮の空の下、花火が裏返った。
***
散っては消え、散っては消えを繰り返す火花。
時折舞い上がる鮮血が花開き、その度に織姫とネルが血を失ったように顔を青ざめる。
「黒崎くん……!」
「そ、そんな一護が……グリムジョー様も……」
キュッと自身の服を握る織姫。震えを抱き留めんとする行為も、目の前で繰り広げられる凄惨な光景を前にすれば水泡に帰すばかりだ。
一方でネルもまた、床に散らばる破片を小さな手で握り締め、熱心に一護たちに目をやっていた。
単純に考えて、隊長格二人分に相当する戦力。
それを以てしても通用するどころか圧倒されている二人に、ネルは信じられないものを見るかのような瞳を浮かべていた。
ドルドーニを卍解し、さらには虚化した後に一瞬で斬り倒した一護の強さを知っている。
一端の破面にも雲の上の存在である十刃であるグリムジョーの強さも理解していた。
だからこそ信じられない。信じたくない。
唇を噛み、手を握り、体を震わせるネル。
今尚血を流し、それでも戦う一護は彼女にとって最早大切な人間であった。会って一日も経っていない自分のために、ドルドーニから護ってくれた彼に何の好意も抱かないほど、ネルは薄情ではない。種族の垣根を超えた想いがネルの胸の内には秘められている。
故に、叫んだ。
「がんばれ一護ぉ!」
「え……?」
「『え』じゃないス! あんたも応援するスよ!」
「で、でも……」
突然応援を始めるネルに困惑する織姫は、催促されるも返答に困った。
一護が自分たちのために戦ってくれていることは重々承知している。だが、織姫は一護に戦ってほしい訳ではない。傷ついてほしくないのだ。
彼の為そうとすることが戦いの果てに得られるものでしかないと理解していても、織姫は彼が傷つくような場へ赴かせるような声をかけたくはない。そう考えていた。
しかし、ネルは『何を言ってるんスか!』と声を荒げる。
「あんたが一護の大事な人だってことはネルもわかるっス! んで、あんたも一護のこと大事だって思ってるのはわかるっス! んだなら、ちゃんと伝えねーとダメじゃねっスか!!」
「!」
「一護は人間なのに、死神ンなって、虚の仮面も被って! 苦しいハズっス! 辛いハズっス! でも、あんたのために戦ってるんスよ! ボロボロになって!」
ほとんど嗚咽に近い震えた声。
零れる涙を激しく上下する唇から弾き飛ばすネルは、悲痛な面持ちを浮かべる織姫へ言い放った。
「一護は今、あんたを想って戦ってるっス! 戦いで想いを伝えようとしてるっス! なら、戦えねえネルたちは……ネルたちは……声で伝えるしかないじゃないスか!!」
「っ、ネルちゃん……」
「あんたが応援しねって言うなら、ネルだけでもするっス! ……がんばれ一護ぉ! 負けるな一護ぉ!」
死闘の轟音の合間に響くネルの声援。
刃が混じり合う甲高い音や、虚閃などの爆音に比べれば、羽虫の羽音ほども響かない小さな声だった。
しかし、その音を掻き消さんばかりにアルトゥロが霊圧を解放し、切り結んでいた一護とグリムジョーを自身の体から弾き飛ばす。
「―――騒々しい」
「っ……!」
思わず息が詰まりそうになるほど、重々しい声音。
沸々と沸き上がる気泡が弾けるような呟きの矛先は、絶え間なく声援を送り続けたネルであった。
それを理解したネルは、声が詰まり、窒息をしているように顔を青ざめ、脂汗を額に滲ませている。
「耳障りだ。
次の瞬間、アルトゥロの指先から虚閃が放たれた。
標的はネル。だが、場所の関係上ネルに直撃すれば織姫も巻き添えになることは間違いない。
ひっと息を飲むネルに対し、織姫は即座に三天結盾と双天帰盾を合わせた盾―――五天護盾を繰り出し、飛来する虚閃を防ごうと試みる。
だが、いくら三天結盾よりも防御性能が高いとはいえ、双天帰盾の拒絶速度を超えられる攻撃を喰らえば、瞬く間に盾は壊されてしまうだろう。そしてアルトゥロの虚閃はそれを為し得るだけの威力を有していた。
飛来する霊圧の高さに眦をわななかせる織姫。
果たしてネルと自分自身を護り切れるのか―――そう思った時、黒い影が自分たちと虚閃の間に割り込んだ光景を目の当たりにした。
「っ……黒崎くぅ―――んっ!!」
アルトゥロに弾き飛ばされ、体勢を整える時間さえも惜しみ、ほぼ突撃する形で織姫たちと虚閃の間に割り込んだ一護。彼は己の肉体を以てして、彼女たちの盾となったのだ。
爆発。
一護の影は巨大な爆炎に呑まれ、一瞬視界に捉えることが叶わなくなるが、すぐに煙の尾を引いて墜落する彼の姿を窺うことができた。
死覇装のほとんどが襤褸切れと等しくなった彼は、体勢を立て直す様子もなく、ただただ一直線に砂の大地へ向かう。
最悪の事態が頭を過る二人。
だが、最悪はさらに彼女の想像を超えてきた。
「―――つくづく私の思い通りにならん地虫だ」
空が赤黒く染まった。
ハッとしてアルトゥロに目を向ければ、またもや指先に霊圧を収束させているアルトゥロの姿を窺えた。
指さす方向は―――一護。アルトゥロは、本当に彼の命の芽を摘まんとしていたのだ。
すかさずグリムジョーが肉迫する光景が見えるも、彼が間に合うよりも早く、光は瞬いた。
ネルが堪らず駆けだしたのも、ほぼ同時だ。
『ネルちゃん!?』と織姫の制止しようとする声が響くも、ネルは矮躯を懸命に動かし、墜落する一護の下へ駆けつけんと走る。
(ネルの……ネルのせいっス!)
ネルは後悔の余り涙を流していた。
(ネルが応援したから、ネルが狙われて……それで一護が庇ってくれたっス!)
虚閃が一護に命中する直前、垣間見えた彼の瞳は確かに自分たちを心配しているものであった。
だが、そもそも自分が応援しなければ一護が庇うこともなかったハズ。
(ネルのせいで一護が……)
そして今、彼は死の危機に瀕している。
(一護が……)
他ならぬ、自分のせいで。
(一護がぁ……!)
償うためには―――彼を護るにはこうするしかない。
霊圧を高め、超加速を行おうと試みるネル。
先ほどの一護のように盾になれればいい。虚閃ならば呑み込んで―――暴発するが―――一発ならば無力化できるハズだと。
命を賭して、犠牲になって。
死を覚悟し、超加速のための霊圧も高め終わった。
後は突撃するのみ。涙を飲み込み、いざ地から足を離そうとしたその瞬間だった。
―――仲間にケガさせてまで貫く程じゃねえよ。
一護がドルドーニに言い放った言葉が脳裏を過った。
共に居た時間などたかが知れている。それでも自分のことを仲間だと言い切り、護ってくれた彼は、成程、自分が傷つけばきっと悲しむだろう。
―――彼を悲しませたくない。
純粋な想いが胸の内に沸き上がった瞬間、ネルは膨大な
「! なに……?」
真っ先に目を見開いたのはアルトゥロだった。
墜落する一護を消し飛ばさんと放たれた一条の虚閃は、何者にも遮られることなく疾走していた。
だが、今まさに一護の体に触れようとした時、緑色の影が彼の体を抱え、あまつさえ片手で虚閃を受け止めたのだ。
バチバチと爆ぜる音を奏でる虚閃。受け止める掌から零れる分の霊圧は、雨のように地面に降り注ぎ、無数のクレーターを穿つ。
しかし、その光景が広がったのも一瞬の間。
勢いを殺された虚閃はみるみるうちに萎んでいく―――否、飲み込まれていく。
虚閃が飲み込まれていき、ようやく全貌が明らかになる人影。
山羊のような頭部の仮面の名残。顔を横切る仮面紋。若干癖のある緑の長髪。辛うじて上と下の大事な部分を覆い隠す襤褸切れを纏うのみという、煽情的に見えなくもない危ない恰好をした美女こそが、アルトゥロの虚閃を飲み干した張本人。
その容姿と能力。心当たりがあったのか、アルトゥロはハッと口を開いた。
「貴様、ネリエ―――」
「があっ!!!!」
言葉を遮るように放たれる虚閃。
凡そ容姿に似つかわしくない猛々しい咆哮を上げて口腔より放たれた虚閃は、アルトゥロが放ったものより数段威力も速さも増し、元々繰り出した張本人であるアルトゥロへ返っていく。
「チィ!」
自身が放った虚閃であることを考慮し、咄嗟に防御のために手を突き出し、虚閃を止めるアルトゥロ。
だが、ただ止めるだけでは自身が傷を負う。
そう思ったのかアルトゥロは飛来する虚閃に向け、もう一度自分の虚閃を放った。
ほとんどアルトゥロの眼前で起きる大爆発。元の威力が高いことから、起こる爆発も、それに伴って宙に漂う煙の量も尋常ではなかった。
そんな好機を見逃すハズがない獣が、ここに一人。
煙を切り裂くように現れる腕が、アルトゥロの背後から胸元に回される。無論、腕はグリムジョーのものだ。
斬魄刀を持っていない方の腕であることから、直接手で攻撃するか、至近距離での虚閃を放つつもりか―――そう勘ぐるアルトゥロであったが、握られている彼の拳に違和感を覚えた。
まさか。その考えに至った時、すでに手は開かれていた。
零れ落ちるように、小さな光の箱がアルトゥロの胸の孔に入った時、彼は憤怒に彩られる金色の眼をグリムジョーへ向ける。
「グリムジョー……貴様!」
「はっ! 獲物は……俺のモンだ!!」
刹那、アルトゥロの体は胸の孔から広がる帯に包まれていく。それらが折り畳まれた頃には、彼はもう姿を消していた。
忽然と消えるアルトゥロに茫然としている織姫であったが、すぐさま意識は謎の美女に抱えられている一護へと向く。
「黒崎くん!」
三天結盾を足場とし、エレベーターのように砂漠の上へ降りていく織姫。
その間、一護を抱える謎の美女とグリムジョーも、ようやく砂塵が収まってきた砂漠の上に降り立つ。
よく見れば、アルトゥロの虚閃を受け止めた手を負傷している美女。女性らしい嫋やかな指から真紅の液体が零れ落ちる様は、ひどく倒錯的な色香を漂わせる。
一方でグリムジョーもまた、体中の傷から滲み出す血で体表が彩られているものの、まったく厭わない様子のまま、謎の美女へ確かめるような視線を向けた。
「てめえ……ネリエルか?」
「ええ、そうよ」
「生きてやがったのか」
「そうみたいね」
「あぁ?」
「記憶ならたった今戻ったところ。そんなに睨まれても何も出ないわよ」
「……ちっ」
彼女を知っている様子のグリムジョーだが、面白くないものでも見つけたように舌打ちを鳴らす。
「それより……
「ああ? そうだ、あいつの
十刃が部下である従属官を処罰するために渡される懲罰用の道具、それが反膜の匣だ。
光の外側と内側を隔絶する反膜の性質を利用したこの道具は、並みの破面であれば永久に閉じ込めていられる耐久度がある。しかし、十刃クラスの者を閉じ込めるとなると拙いのか、数時間程度で脱出されてしまうのだ。
だが、ネルの気がかりはアルトゥロを閉じ込められている時間そのものではなく、その間に何かをしようとするグリムジョーの考えであった。
「……それはつまり―――」
「ん……んん?」
「っ、一護!」
剣呑な雰囲気を漂わせたグリムジョーと『ネリエル』と呼ばれた女性であったが、一護が意識を取り戻したことにより、彼らの話は遮られる。
「一護……一護、良かったぁ……」
「お、お前……誰だ?」
「ネルです」
「は!? ネル!?」
「はい。ネル……ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク。それが私の本当の名前」
「そ、そうだったのか……」
困惑する一護。
それも致し方がないだろう。絶体絶命の危機に瀕して意識を失い、少しして目を覚ませば、ちんちくりんの幼女がボンキュッボンの美女になっているのだから。
色々と成長している。特に胸が。
猫だとばかり思っていた生き物が褐色美女に変貌するや否や赤面してしまう程度には健全な一護にとっては、今のネルの体形も恰好も
だが、どこか虚ろな目を浮かべる織姫が近づいてくることに気が付き、すぐさま己の邪念を振り払う。
「井上! ケガねえか?」
「う、うん。ネル……さん? のおかげで」
「大丈夫です、さっきみたいに親しく呼んで頂ければ」
「え!? あ、はい……」
落ち着き払ったネルにたじろぐ織姫。
どこかのほほんとする空気が流れるが、それを断ち切るようにグリムジョーが『おい』とドスの利いた声を上げた。
「茶番はそのくらいにしとけ。黒崎……忘れたとは言わせねえぞ?」
「グリムジョー……!」
「女。そいつを治せ。そんなボロクソにやられてる奴に勝っても意味ねえからよ」
織姫を睨みつけ、双天帰盾で一護を回復させるよう命令するグリムジョー。
元々、彼が織姫を連れてきたのは、虚夜宮に侵入する上で行った戦闘で疲弊した一護を回復させ、対等な条件を揃えた後に戦うためだ。
疲弊している相手を一方的に嬲るのは、グリムジョーの矜持に反する。弱った獲物を刈ることは、そうしなければ勝てないと公言しているようなものだからだ。
故にアルトゥロとの戦いで傷ついた一護を回復させることを織姫に強いたのだが、顔を顰めたネルが前に出る。
「やめて」
「ネリエル……邪魔だ」
「それはこっちの台詞。貴方にはアルトゥロを無力化してもらった恩はあるけれど……それとこれとは話は別よ。一護を傷つけるのは私が許さない」
「邪魔するってんなら、てめえから殺してやろうか! アァ!?」
「……貴方がそのつもりなら」
一触即発。
まさにその言葉が似合うほどピリついた空気が流れる。
生唾を飲む織姫は、傷ついた一護を早く癒したいという想いと、彼を回復させれば否応なしにグリムジョーとの戦いに発展してしまう可能性への躊躇いに、板挟みになってしまった。
だが、それを切り裂いたのは他ならない一護である。
ネルの肩に手を置いた彼は、斬月を支えに何とか立ち上がり、同じく傷だらけのグリムジョーに目を向けた。
「いいんだ、ネル」
「一護……」
「悪い、お前の心配は痛えくらいにわかるけどよ……帰るなら、堂々と勝ってから帰るつもりだ」
「……どうしても?」
「ああ」
「……わかった」
葛藤に揺れるネルであったが、決意に固まった一護の瞳に折れ、すっと一歩退いた。
そうして向かい合う一護とグリムジョー。互いに満身創痍であるのは明らかだ。
「井上。治してくれ。俺の傷と……そいつの傷も」
「え?」
「ああ? てめえに情けをかけられる覚えはねえぞ!」
自分のみならず、敵の傷さえも治すよう訴える一護に、織姫は困惑し、グリムジョーは癇に障ったのが激怒する。
だが、『そんなつもりじゃねえよ』と続ける一護。
「対等の条件で戦いてえんじゃねえのか? だったら、お互いの全快じゃなきゃおかしいだろ」
「てめえ……」
「それともなんだ? 負けた時の言い訳に、その傷をとっておきてえのか?」
明確な挑発。
刃が交じり合う甲高い音が響いたのは、すぐ後のことだった。火花が散り、焦げるような臭いが鼻腔をくすぐる。それだけではない。互いの体から滴る血の鉄臭さが、より一層戦いの香りというものを彼らに味わわせるのだった。
軋みを上げる体を突き動かすのは、本能か、はたまた理性か。
「いいぜ、上等だ……対等の殺し合いといこうぜ、黒崎一護!!」
「望むところだ、グリムジョー!!」
交差する牙と爪。
相対すは月と豹。
どちらが斬られるかは―――刮目して視よ。
*オマケ 一部の界隈ではご褒美
ネル「傷が早く治るように涎垂らすね」ネトー…
一護「やめろォ!!」
織姫「……」