BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*59 絶望の足音

 風が唸る。

 

 まだ熾烈な戦いの爪痕を残す砂漠の上にて、傷一つない体を晒す男二人は居た。

 

「場所を移すぜ、グリムジョー」

 

 口火を切ったのは一護だ。

 仲間である織姫に、これから始まるグリムジョーとの戦いの余波で傷つけないようにするための配慮だった。

 無言で首肯するグリムジョーを確かめた彼は、今度はネルに目をやる。

 

―――頼んだ。

 

 大人の姿になり、頼もしくなった彼女が居れば万が一のことがあっても大丈夫なハズだろう。

 アイコンタクトだけで織姫を護ってくれるようネルに伝えれば、彼女もまた一護に信頼の眼差しを送り、頭を振った。

 

 刹那、一護とグリムジョーの姿が掻き消える。

 次に彼らの姿がはっきりと現れたのは、織姫から見て彼らが米粒ほどの大きさにしか見えぬほど遠い砂上だ。

 だが、遠のいた一方で彼らより放たれる霊圧が荒々しく強大になっていくため、織姫は思わず生唾を呑み込む。

 

 吹き荒んでいた風も突然止み、否応なしにこれより始まる死闘を予感させる。

 

「黒崎くん……」

「大丈夫、一護なら」

「ネル……ちゃん?」

 

 願うような声音を紡いだ織姫に応えたのはネルだ。

 落ち着き払った彼女は、不安がる織姫とは裏腹に一護の勝利を確信しているような様子である。

 勿論、織姫も一護の勝利を信じているが、“それでも”が頭を過ってしまうのだ。

 

 しかし、ネルはそのような織姫の想いを察したからこそ声をかけた。

 

「一護は負けない。だって、彼は優しいから」

「え?」

 

 優しいこと―――理性で戦うことが何故勝利へとつながるのだろうか。

 その答えを求める視線を送ってくる織姫に応じ、ネルは続けた。

 

「一護は理性で戦ってるの。みんなを護りたい、みんなを救いたい……って。だからこそ時には悩んでしまうこともあるかもしれない。反面、グリムジョーは虚の本能で戦ってる。本能で戦う者には迷いがない。だから、理性で戦う者は本能で戦う者に遅れることもある……でも、本能の根底にあるのは恐怖よ」

「恐怖……」

「死にたくないから戦うの。でも、理性で戦える者は違う……違う強さがある。なんだと思う?」

「それは……誰かを守りたいって……」

「ええ。想い―――理性で戦う者は誰かの想いを力に変えられる」

 

 語気を強めたネルの拳は固く握られていた。

 それでいて瞳は真っすぐ一護へと向いている。まるで、自分の内に湧き上がる想い一護に伝えんと―――。

 

「誰かを助けたい、護りたい……彼の戦う理由はとても真っすぐ。そんな想いこそが彼の力。そして誰かの一護に対する想いも、一護の力に変わる……!」

「あたしの想いが……」

「だから伝えましょ。私たちの一護への想いを」

 

 言うや否や、ネルは爛々と輝く瞳を浮かべ、勢いよく拳を掲げた。

 

「一護ぉー! 頑張れぇー! ほら、織姫さんも!」

「え? え!?」

「頑張れぇー! 負けるなぁー!」

「く、黒崎くーん!」

 

 ピョンピョンと跳ねながら声援を送るネルに促され、織姫も戸惑いつつ一護へ声を送る。

 その際、襤褸切れ同然の布しか纏っていないネルの要所が危うくなっていたが、それはまた別の話だ。

 

 これから始まるであろう死闘には似つかわしくない声援に、チッと盛大な舌打ちをするグリムジョーであるが、すぐさま一護へと意識を向ける。

 アルトゥロとの戦いの傷も癒え、霊力も完全とは言えないまでも、十分戦える程度には回復している様子だ。

 そして、それは自分も同じ。不本意だったとはいえ、織姫に傷を癒されてアルトゥロとの戦いの爪痕は残っていない。

 

 これでやっと存分に(ころしあ)える。

 

 沸々と、沸々と。

 何度も臨界点に達していた己の破壊衝動を、ようやく意中の相手にぶちまけることができる。

 そう思っただけでグリムジョーの面には獰猛な笑みが浮かんだ。

 あふれ出る荒々しい霊圧は、あえて残していた胸の傷跡を疼かせる。痒みのような、灼さのような―――得も言われぬ疼き。それは怒りだ。

 

 あいつを殺せ。

 その喉笛を喰い千切ってやれ。

 

 負の感情より滲み出る負の霊圧が、一層グリムジョーの闘争本能に火をつけた。

 

「殺される準備はできたか?」

「殺されるつもりも負けるつもりもねえよ」

「はっ! そうかよ」

 

 『じゃあ』とグリムジョーは斬魄刀を抜く。これまでの彼の戦いの軌跡を思わせるやや欠けた刀身。

 しかし、彼の抜刀の様子を目の当たりにした一護は、狂暴な肉食獣の爪をその斬魄刀に重ねるのであった。

 

 刃こぼれなんぞあっても斬れるものは斬れる。

 それは剣八との戦いで嫌と言うほど知った事実だ。

 

―――刃を欠いても意志を欠くな。

 

―――刀身を折られても闘志を折るな。

 

 斬るためには、ただそれだけがあればいい。

 

「始めようぜ、グリムジョー」

「言われなくてもそのつもりだァ!!」

 

 飛翔する影が交差する。

 

 理性の牙と本能の爪が衝突する音を鬨の声とし、現世より続く因縁の戦いが今、始まるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 胸の傷口から多量の血を流していたのは泰虎だ。

 №107、ガンテンバイン・モスケーダを倒した彼であったが、直後に襲来したノイトラという破面により、一刀の下に倒されてしまった。

 その後、最後っ屁と言わんばかりの一撃を繰り出そうとしたものの、彼の従属官に防がれてしまい、泰虎はそのまま力尽いて倒れたのだ。

 

 だが、時間を経て泰虎は目が覚めた。

 滝のように流れ出ていた血も止まり、何とか動ける程度には体力も回復している。やや失血気味ではあるものの、死の淵から動けるまで回復できたのならば上等だろう。

 しかし、いくらタフであると自覚していても、あの傷から動けるまでに至るまで時間がそうかからなかったことに、泰虎が疑問を抱いていないと言えば嘘だった。

 とは言っても、今は答えを出す必要はないと自分に言い聞かせる。

 

 そんな彼は、他の者達同様織姫救出のために歩いていた。

 急いで走れば傷口が開いてしまう。もしもそのような目に遭えば、今度こそ失血死で死んでしまうかもしれない。

 それは命を懸けて虚圏に来た泰虎にとっても不本意であった。

 彼の目的はあくまで仲間を救出し、全員無事で現世に戻ること。自分の焦燥の余り、命を投げ捨てるような真似だけは避けたかったのだ。

 

 ゆっくり、ゆっくりと。

 それでも確実に前に進んでいく泰虎は、やがて一つの宮に足を踏み入れた。

 敵が居ないか細心の注意を払い、視線を右へ左へ。

 

(居ない……か)

 

 近場に気配は察しなかった。

 

「ようこそ我が宮へ、侵入者」

「!」

 

 しかし、急速に接近してくる相手には反応することができなかった。

 

「そして、さようなら。藍染様の勝利への供物となりなさい」

 

 袈裟斬り。

 泰虎の体に刀傷がまた一つ刻まれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空に影が奔っている。

 近づいては切り結び、そして弧を描くように離れる彼らの軌跡は、まるで空に8の字を描いているようであった。

 

 このような剣戟をどれだけ繰り広げただろうか。

 天鎖斬月を振るう一護と、斬魄刀を振るうグリムジョー。互いに奥の手を出していない彼らの戦いはほとんど拮抗していた。

 初めての邂逅の際は、一方的に一護が嬲られるだけ。最早戦いとさえ言えないほど、グリムジョーは圧倒的な力を振るっていた。

 

 しかし、今はどうだろうか。

 

 虚化を制御し、全力を出せるようになった一護の動きと太刀筋からは迷いが消え、十分にグリムジョーと戦い合えるだけの力を発揮できていた。

 剣術とは程遠いグリムジョーの暴力的な斬撃にも対応でき、隙を見つけてはそこを突いていこうと動く。

 

 見違えた。

 敵ながら天晴―――という感慨をグリムジョーが覚えるハズもないが、食い応えが出てきたとは喜ぶ。

 

「だが、まだだ……」

 

 グリムジョーの求める敵は、今の一護ではない。

 

 限りなく破面(じぶん)たちに近づいた彼の姿を想像しつつ、グリムジョーは己の指先を刃で傷つけた。

 そうすれば当然血が流れ出る。

 

 だが、グリムジョーの狙いはまさにそれだ。

 流れ出る血を霊圧と融合させることで莫大な霊圧を生み出し、それを光線として解き放つ十刃にだけ許された最強の虚閃。

 

 

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!!!」

 

 

 

 破壊の閃光が空を奔る。

 普通の虚閃とは数段も違う霊圧の密度、そして攻撃の規模を誇る一撃だ。

 通常の虚閃とは違い青い光を放つ閃光は、白い砂や白い建物を青く染めていく。

 

 空間さえも歪める王虚の閃光は一直線に一護に襲い掛かり、黒衣を閃かせる彼の体を呑み込んだ。

 何もしていないのであれば、それだけで決着が付くだろう。

 だが、グリムジョーは解き放つ閃光の中に確かな手応えを覚えていた。閃光を切り裂く禍々しい一閃の感触を。

 

 やがて閃光の光が止む。たった一瞬の出来事。しかし、目の当たりにしたものからすれば数十秒にも感じられる濃密な時間に錯覚したことだろう。

 王虚の閃光の余波が砂塵を巻き起こす。

 その白い砂嵐の中、黒い霊圧を放つ少年は依然として佇んでいた。

 

「……ようやく出やがったか」

 

 仮面を被っている一護。

 虚化。死神としての魂魄を超越するため、生み出された禁忌の力だ。

 しかし、他の虚化できる者達とは違い、先天的に虚化できる資質を有していた一護にとって、最早虚化とは扱えて然るべき力とも言えるだろう。

 

 そう、黒崎一護本来の力―――今の彼の全力。

 

「ク……ははははは!!! そうだ、この時を待ってたんだよ!!!」

 

 喜色に歪むグリムジョーの顔。

 そんな彼は胸の傷のみならず、左腕にも疼きを覚えていた。かつて、東仙に罰として切り落とされた方の腕だ。

 なにより、一度帰刃を行った時に無かった腕でもある。

 

―――今なら自分も五体満足(ぜんりょく)だ。

 

 『俺にもやらせろ』と疼く歓喜に震える手を掻くような形に開いたグリムジョーは、そのまま水色の霊圧が溢れ出している刀身に爪を立てた。

 

 そして、刀身を己の闘志に見立てて掻き立てる。

 

「軋れ―――『豹王(パンテラ)』!!!!」

 

 爆発。

 強大な霊圧の解放に伴い、波濤の如く砂が波打つ。そして再びグリムジョーの姿が露わになった時、一護の目に映ったのは一度現世でも目の当たりにした彼の帰刃状態だ。

 

 やはり凄まじい。仮面を被っていても気圧されてしまいかねない霊圧の量、濃度、禍々しさ。かつては同じ十刃であったハズのドルドーニでさえ、ここまで強大ではなかった。

 まさに別格。その一言がよく似合う。

 

 だからと言って、一護は退くことはない。

 ここからが死闘(ほんばん)だ。

 気を張り巡らせ、虚としての姿に回帰したグリムジョー―――彼の突撃に身構える。

 

「!」

 

 視界の奥に捉えていたハズのグリムジョーの姿が掻き消えた。

 刹那、一護は勘で天鎖斬月を頭上に振るう。その時、自ら回転していたグリムジョーが、勢いを乗せた蹴りを一護の頭部に叩き込まんとしていたではないか。

 だが、咄嗟に動いていたこともあって彼の蹴りを受け止め、そのまま刀身を滑らせるようにし、攻撃を流す一護。

 

 しかし、グリムジョーの動きも早かった。

 攻撃を流されたと理解するや否や、今度は腕についている爪を一護めがけて振るう。リーチこそ天鎖斬月に劣るものの、切れ味は解放前の斬魄刀とは比べ物にならない。

 直撃すれば容易く肉を切り、骨を断ち、そして命を刈り取ることさえ容易いだろう。

 

 一護はその一閃を即座に刃で受け止める。

 そこへ、またもやグリムジョーの脚が襲い掛かった。風を切る音を置いていく速さ。喰らえばどうなるかは、最早言わずとも知れているだろう。

 故に一護はグリムジョーの蹴撃に合わせて身を捻る。

 脚が胴に当たる感触も体に響く痛みも覚えるが、攻撃に合わせて身を捻った甲斐もあり、直撃して骨を砕かれるような結果は避けられた。

 

 そして一回転すれば再び彼らは対面する。

 次の瞬間、向かい合ったグリムジョーの胸板を漆黒の刀身が浅く斬りつけた。

 それは一回転した勢いに刃を乗せた一護の反撃。勝負をつけられるほどのダメージを負わせられてはいないが、噴き出る鮮血を見れば、まったくダメージがないとも言い難い。

 

―――いい反応だ。

 

 内心ほくそ笑んだグリムジョーは、お返しと言わんばかりに膝蹴りを一護へかまそうとするも、これは天鎖斬月の刀身に受け止められてしまう。

 そうして距離をとった二人は、各々の刃を構え、ジリジリと互いの距離を測る。

 

 だが、それも一瞬だ。

 瞬く間に肉迫する両者は、またもや刃を交え、激しい剣戟を繰り広げる。

 何度も何度も交差する刃は鉄を打つような音を響かせ、時には肉を打たれる鈍い嫌な音も奏でた。

 

 最早、試合や勝負という言葉では足りない熾烈な戦い。これこそが死闘だ。命を油とし、生の炎を燃え盛らせる者達の激突。

 溶けた蝋が零れるように、白い砂の上を赤い血が点々と彩っていく。

 それらも次の瞬間には吹き荒れる砂に呑み込まれ、影も形も無くなった。

 

―――月牙天衝

 

 黒い牙がグリムジョーの肉を抉る。

 

―――豹鉤(ガラ・デ・ラ・パンテラ)

 

 グリムジョーの肘から飛ぶ鉤爪の如きミサイル。合計五つ放たれた鉤爪は、一護を穿たんと疾走する。

 

 一つ目、体を反らし躱す。

 

 二つ目、天鎖斬月でいなし、これも躱す。

 

 三つ目、直撃する軌道。天鎖斬月を振りかぶり、これを真っ二つに叩き切る。二つに斬り裂かれた鉤爪は一護の横を通り過ぎ、その先にあった白い建物の壁を破砕した。

 

 四つ目、これもまた直撃する軌道。返す太刀で対処しようとする一護であったが、勢いが足りなかったのか、刀身が弾かれ、僅かに軌道をずらされた鉤爪が一護の肩を抉る。

 

 五つ目、避けられない。ドウッ、と鈍い音を響かせて一護の腹を穿つ爪。そのまま腹部を貫通し背中から飛び出る―――とまではいかなかったが、黒い布地でもわかるほどに、一護の腹部からは血が滲みだしてくる。

 

 傷を負った一護。そんな彼へグリムジョーは、爪を掲げながら畳みかけるように肉迫する。

 

「どうしたァ!? 息が上がってきてるぜ!!」

 

 一護の懐に入ったグリムジョーは、そのまま怒涛の猛攻を仕掛ける。手刀による刺突、斬撃、蹴撃、尾撃など、ありとあらゆる攻撃で一護を殺さんと彼は奮起していた。

 そんなグリムジョーに防戦一方の一護であったが、ある攻撃を前に、反撃に出る。

 

 鞭のように撓る尾。その尾撃を、あろうことか素手で掴んだ一護。

 グリムジョーは瞠目し、反応に遅れる。その間一護は、掌に奔る激烈な痛みに耐えつつ、握った尾を砂の上に叩きつけた。

 

 そして天鎖斬月を尾に突き立てる。

 

「月牙天衝!」

「ぐっ……!?」

 

 黒い霊圧が間欠泉のように地面から噴き上がる。

 顔を歪ませるグリムジョーは、その場から離れ、生えていた尻尾が半分千切れていることを己の目で確かめた。そのまま視線を元居た場所に向ければ、月牙天衝で斬り裂かれた己の尾が無残に転がっている光景が目に入る。

 帰刃状態で失った己の部位は、再び能力を刀剣に戻さなければ取り戻せない。

 つまり、これでグリムジョーは尻尾という武器を失った訳だ。

 

「チィ!」

「誰が……息が上がってるって?」

 

 ゆらりと手を地面につけた状態から立ち上がる一護は、仮面を被っていることもあり、威圧感に満ちた雰囲気を放ちつつ、グリムジョーを睨む。

 

「それはお前のことじゃねえのか?」

 

 首を鳴らし、天鎖斬月を振るう一護。

 すると、彼の真横の地面が爆発するように舞い上がる。

 

「……は! そいつァ―――」

 

 一方でグリムジョーもまた、指をコキコキと鳴らし、腕を振るう。

 これまた傍の地面が爆ぜるように抉られ、砂塵が舞い上がった。

 

 だが、その砂塵もグリムジョーが飛び出した勢いで消えるように散る。

 

「見間違いだ!!!」

 

 吼えるグリムジョー。

 疲弊していないなど嘘だ。

 そしてそれは一護にも言えること。

 

 刻一刻と、戦いは佳境に向かっていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 信じて待つだけしかできない辛さを噛み締める織姫は、只管に願う。

 横に佇むネルは、毅然とした態度で戦いの行く末を見守っている。それは彼女が戦士だから。戦士には戦士の振る舞いがある―――そう言わんばかりの堂々たる佇まいは、味方である織姫でさえ圧倒されそうであった。

 

 では、戦士でない自分はどうすればいいのだろうか?

 

 守りたいと思い、結局は守られている。

 

 助けたいと思い、結局は助けられている。

 

 (いちご)をどれだけ想っても、結局自分は庇護される立場だ。

 今できることは声援を送るか祈るだけ。

 

 どうにかして彼の力になれないものか。

 せめて能力(チカラ)だけでも彼に預けることができるならば―――例え、それで自分が無力になったとしても―――彼の力になれるのだから、喜んで預けるだろう。

 だが、それは叶わない。

 

「黒崎くん……っ!?」

 

 そろそろ胸が張り裂けると錯覚し始めた頃だ。

 

 グリムジョーが動いた。

 

「―――これが俺の最強の技だ」

 

 空高くに佇むグリムジョーが、巨大な霊圧の爪を十本発現させる。

 青く、鋭く―――まさしくグリムジョーの力を象徴するような技だ。これほど遠くに居るにも拘らず、織姫はその爪先が自分の喉に添えられているかのような息苦しさを覚えた。

 

豹王の爪(デスガロン)

 

 爪に供給された霊圧が安定したのか、キンと甲高い音が奏でられる。

 

 ヒュっと息を飲む音が聞こえた。

 それは織姫自身か、隣に居るネルか、はたまた戦っている一護か……もしくは全員であるのかもしれない。

 

 刹那、グリムジョーが足蹴にした霊子の足場が爆発する。

 グリムジョー自身が弾丸であるかのように一護へ突進し、生え揃った十条の爪が振るわれた。

 その巨大さからは想像できぬほどの繊細な操作で、爪先は一護へ向けられる。

 寸前の所で天鎖斬月を構えて防ぐものの、予想以上の勢いに一護は押し退けられてしまった。

 

 そうして吹き飛ばされた一護へ、グリムジョーは猛攻を仕掛ける。

 先ほどとは一変、リーチも天鎖斬月に勝る豹王の爪は、懸命に天鎖斬月を振るう一護を弄ぶ。

 リーチもさることながら、攻撃力も目を見張るものがある。真面に喰らえば致命傷は必至だ。

 

 それを理解する一護ではあるものの、たった一本の刀で巨大な十の爪全てをいなすことは至難の業であった。

 一つ、また一つと傷が刻まれていく。

 その度に鮮血が舞い、鮮烈な痛みが一護の動きを鈍らせる。

 

 辛うじて防いでも押し負けてしまい、今度は地面に叩きつけられてしまう。

 だが、それだけでグリムジョーの攻撃が止まるハズもなく、舞い上がる砂塵に構わず、そのリーチを生かさんと豹王の爪を振るった。

 

「ぐぅ……!」

 

 ここに来て初めて一護の苦悶の声が響く。

 砂塵の中から転がるように出てきた一護の仮面はほとんど残っていない。右目周辺にだけ残る仮面と、黒く染まる強膜が、彼が依然と虚化していることを証明している。

 しかし、ここまで血も霊圧も失い、体力を減らしているのならば、いつ虚化が解けてしまってもおかしくはない。

 

 そして虚化が解ければ、一護の勝利は限りなくゼロに近づくことになる。

 

「黒崎くん……!」

 

 ギリギリの所で虚化解除を踏みとどまっている一護は、トドメを刺さんと迫るグリムジョーの豹王の爪をいなす。

 だが、最早限界が近い一護は一撃いなす度に後方へ弾かれる。

 

 そして、みるみるうちに織姫たちの居る塔へと近づく。

 

「死なないで……」

 

 それを目の当たりにする織姫は、涙目を浮かべ、祈るように手を握り、願うように言葉を紡ぐ。

 

「死なないで……!」

 

 血を流し、その身を砕かれようとしている彼の命。それを繋がんと希う。

 

「死なないで……!!」

 

 ほとんど塔の真下まで後退させられた一護が、とうとう膝を着く。天鎖斬月を支えにし、倒れることだけは踏みとどまる彼は、額から流れる血を眦、頬と伝わせ、最後には顎から一滴―――白い砂浜へと滴らせる。

 それと織姫が零した涙が地面を穿ったのは、ほぼ同じ時だった。

 

「死なないで、黒崎くんっ!!!」

 

 魂から絞りだした絶叫は、豹王の爪が一護へ振るわれ、大地を切り裂く轟音に呑み込まれた。

 

「……なっ……!?」

 

 驚愕の声を漏らしたのはグリムジョーだった。

 

―――動かねえ……だと!?

 

 一護の身体を引き裂かんと振るった豹王の爪を振り抜くことができない。

 理由は唯一つ。爪を噛み止める牙があったからだ。

 

「―――井上」

「え……?」

 

 砂煙が晴れ、中から姿を現した一護が織姫に声をかける。

 既に満身創痍の体にも拘らず、グリムジョーの豹王の爪を天鎖斬月一本で受け止めている彼は、絞り出すような声を発した。

 

「俺は……お前を、護る……だからっ……井上も、俺を護ってくれるか?」

「っ……!」

「俺を……」

「―――はいっ!」

 

 澄んだ返事が響きわたる。

 

 同時に奏でられるのは、歯車が狂った音。

 グリムジョーの勝利へ向けて廻っていた歯車が、一粒の砂により廻転を止められ、あまつさえ歯車自体さえ砕こうとする、歯軋りのように牙を強く噛み合わせる音だ。

 

 刹那、天鎖斬月の刀身から奔る月牙が、豹王の爪の一つに罅を入れた。

 

「なっ……!」

「悪ィな、グリムジョー……そういう訳だ」

「……負けを悟って、女の手ェ借りようって魂胆か?」

「違えよ……井上は……俺を護ってくれるって言ったんだ……」

 

 噛み締めるように言葉を紡げる一護。

 天鎖斬月には依然と月牙が纏っており、これまでのように霧散する気配はない。それもそうだ。一護はなけなしの霊圧を天鎖斬月に喰わせ、継続的に月牙を刀身に纏わせている状態を保っているのだ。

 それは天鎖斬月の斬撃そのものに月牙天衝の威力が乗っているのと同義であり、尚且つ、一定の大きさを保っている霊圧の刀身は、実際は放出され続けているのだ。故に、交差する豹王の爪を徐々に削っていっていた。

 

 豹王の爪に入った罅が、突然一気に広がる。

 

 その光景に瞠目するグリムジョー。

 一方で一護は、僅かに緩んだ刃を押し返しつつ、今にも倒れそうな体で立ち上がった。

 

―――躱すのなら“斬らせない”。

 

―――誰かを守るなら“死なせない”

 

―――攻撃するなら“斬る”

 

 今となっては()うの昔に教えられた、戦いの心得。

 

 一護は、織姫が仲間に死んでほしくないと思っていることを理解している。

 誰よりも仲間を守りたいと、心の底から願っているのだ。

 

「だから俺はっ……死ねねえんだァっ!!!」

「なにっ……!!?」

 

 織姫の想いを成就させるには、自分が死んではならない。

 

 彼女の想いを受けた一護は、満身創痍の体を限界以上の力で動かした。

 魂が震え、軋む。体に奔る痛みは想像を絶するが、その代わりにどこかに仕舞われていた力が引き出されていくような感覚を覚えた。

 

 一護の顔には仮面が現れる。

 そして、爆ぜるように刀身から放たれた月牙天衝が豹王の爪を押し退けた。

 豹王の爪が場に出てから初めてグリムジョーが飛び退いた。全身が粟立つ、得も言われぬような感覚――――これは恐怖だ。

 

 理解した瞬間、グリムジョーは雄叫びを上げた。

 

 意味を持たぬ言葉。意味を持っているのは行動だ。声を上げるのは、恐怖に震える自分を奮い立たせんとする行為である。

 

「俺が!! 負けるかよ!!!」

 

 今一度、豹王の爪へ霊圧を注ぐ。

 爪はより鋭く、より巨大に研がれる。

 

「俺が……王だあああああ!!!!!」

「うおおおおお!!!!!」

 

 影が閃いた。

 最早織姫の目には捉えきれぬ速度で、彼らの最後の剣舞が始まる。

 だが、不思議なほど落ち着いた織姫は、そっと瞼を閉じ、代わりに強く祈りを込めた。

 

(黒崎くん……信じてるよ)

 

 彼女の想いを背負った少年は、迫りくる爪に立ち向かう。

 

 五つ同時に振るわれる爪の中、端の一つを狙い、月牙を纏わせたままの刀身を振るう。一瞬拮抗する両者であったが、刀身より延々と月牙が放出されていたことにより、爪の一つが砕かれる。

 

 そのことに瞠目するグリムジョーであったが、畳みかけるようにもう一方を横薙ぎに振るう。

 だが、一層天鎖斬月に霊圧を喰わせた一護が、刀身に纏う月牙を肥大化させ、この横薙ぎの一閃を五つ同時に受け止めてみせた。

 

 ギャリギャリと削られる音が響くこと数秒、黒が爆ぜる。

 一護の月牙が暴発したのか―――そう訝しむグリムジョーであったが、気付かぬ間に振り抜かれていた己の腕に気付き、ハッとして爪先を見遣った。

 

―――無くなっている。

 

 砕かれたようにひび割れた霊圧の爪が佇んでいたのだ。

 つまりそれは、一護の月牙がグリムジョーの爪に勝ったことを意味する。

 

―――一回砕いたからっていい気になってんじゃねえ!

 

 怒りに打ち震えるグリムジョー。たかが先が無くなっただけであり、半分以上残っている爪で十分彼をズタズタに切り裂くことはできる。

 だが、爪を振り抜いて隙ができたグリムジョーへ、既に一護は仕掛けていた。

 

―――月牙天衝

 

 何の変哲もない、何度も見た漆黒の斬撃。

 グリムジョーへ距離を詰める間、先んじて放った月牙天衝が宙を疾走し、グリムジョーへと襲い掛かる。

 

「舐め……てんじゃねえ!!!」

 

 漆黒の牙を残った爪で即座に受け止める。

 余程の威力で放ったのか、一瞬圧し負けそうになったグリムジョーであったものの、たった一撃の月牙天衝でやられる彼ではない。

 たとえこのまま直撃したとしても、豹王の爪で受け止めて勢いを殺しているため、致命傷にはなり得ないだろう。

 

「月牙……」

「!?」

 

 そう、一撃では。

 

 豹王の爪に受け止められ歪む月牙天衝。その漆黒の霊圧の隙間から覗かれる一護は、高々と天鎖斬月を掲げ、その刀身に今迄で一番の巨大さを誇る月牙を纏わせていたのだ。

 

「天衝オオオオオ!!!!!」

 

 先に放った月牙天衝に交差する形で、ダメ押しの月牙天衝が叩き込まれた。

 一気に圧し掛かる斬撃の勢い。二発分の月牙天衝を受け止めるグリムジョーは、凄まじい攻撃の圧に押され、受け止める豹王の爪も瞬く間に罅が入っていく光景に目を遣った。

 

―――馬鹿な、俺が負けるだと!?

 

 脳裏に過る“敗北”の二文字。

 信じられない。だが、こうしている間にも砕けていく爪と、さらに勢いを増す牙に、その二文字は現実味を帯びていった。

 しかし、敗北を甘んじるグリムジョーではない。最後の骨肉の一片になろうとも抗わんと、グリムジョーは吼える。

 

「ぐ、おおお……!」

「オオオオオ!!」

「お、ぅあああああ!!」

 

 ブチブチと千切れる音を立てるグリムジョーの体。既に切り裂かれていた部分は勿論、限界を超えた力を発揮する体の筋肉が千切れていく音だ。

 

「オオオオオ!!!」

「あああああ!!!」

 

 牙と爪の鍔迫り合い。

 

 終わりが訪れたのは、一瞬のことだった。

 

「オオオッ!!!!!」

「あ゛っ―――」

 

 雄叫びさえ呑み込む漆黒がグリムジョーの体を呑み込み、白い砂の大地へと叩きこまれた。

 天地がひっくり返り、白い砂の空に漆黒の三日月が上るかのような光景が広がる。

 しかし、次の瞬間には黒い霊圧が爆発して、着弾地を爆心地とし、周囲へ激しい旋風を巻き起こしていく。

 

 眺めていた織姫たちも、咄嗟に服や乱れる髪を抑え付けるが、それでも戦いの行く末を見守らんと視線だけは真っすぐと一護へと向けていた。

 

「黒崎くん……」

 

 度重なる爆発の光にも慣れた瞳を、彼らが居るであろう砂塵の中央に向け、その時を待つ。

 

 やがて晴れる砂煙の中―――立っていたのは、死覇装を収まらぬ風に靡かせる少年であった。

 すぐ傍には、胸に十字の刀傷を負い、帰刃状態も解けているグリムジョーが大の字となって地面に倒れている。獣のようにしぶとく、僅かでも力があれば敵に噛みつこうとする彼が、あのように長時間地面に倒れているハズもない。

 

 つまり、

 

「黒崎くんが……勝った……?」

「ええ、一護が勝ったのよ!」

「黒崎、くん……」

「! 大丈夫、織姫さん!?」

「ちょっと……ホッとして……」

 

 一護の勝利を告げられた織姫は、ヘナヘナとその場に膝から崩れ落ちる。

 咄嗟にネルが支えに入り、膝を床に強打する目に遭わずに済んだ彼女は、眦に涙を少しばかり浮かべつつも、緊張の解けた柔らかい笑みを浮かべた。

 そんな織姫に釣られ、ネルもフッと笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、一護を迎えに行きましょう」

「うんっ……!」

 

 そうして、一護の下に赴こうとした織姫たち。

 

 

 

 だが、次の瞬間彼女たちが目の当たりにしたのは、勝利を掴んだハズの一護が宙に舞う光景であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐあっ……!?」

「ヒャハァ!」

 

 突然襲い掛かった斬撃を避け切れず宙を舞った一護は、受け身も取れずに墜落する。

 幸いだったのは地面が柔らかい砂であったことだろうか。しかし、直前の攻撃の衝撃が凄まじく、とてもではないが直ぐに体勢を整えることは不可能そうだ。

 

「て、てめえは……何者だ……!?」

「おーおー、あんだけ啖呵切っといてぼろ負けかよ。目も当てられねえなあ、グリムジョー!」

「誰だって……訊いてんだよっ!」

「ああ?」

 

 襟がスプーンのような形状の特徴的な死覇装を身に纏い、左目には眼帯を着けた長身挑発の男。

 恐らく破面であることは間違いないが、どれだけの相手か一護は測りかねていた。従属官クラスならばなんとかなるかもしれない。

 だが、もしもグリムジョーよりも序列が上の十刃であるならば……。

 

 嫌な予感が汗となって頬を伝う。

 

 しかし、そんな一護の問いに答えたのは当人ではなかった。

 たった今現れた眼帯の破面の荒々しい足音とは違い、機械のように一定のリズムで淡々と歩み寄ってくる足音が聞こえる。

 

「―――第5十刃(クイント・エスパーダ)、ノイトラ・ジルガ。たった今、お前が倒したグリムジョーよりも階級が一つ上の十刃だ」

「! てめえは……ウルキオラ!」

「ほう、俺はお前に名乗った憶えはないんだがな」

 

 落ち着き払った様子の破面―――ウルキオラ。

 彼と第5十刃であるノイトラの参上に、一護は息を飲んだ。グリムジョーよりも階級が上のノイトラは勿論、ウルキオラも階級さえ知らないものの破面の中で実力者であることは分かる。

 そんな実力者二人が死闘の後で疲弊し切っている状態の時に現れたのだ。焦るなという方が無理な話である。

 

(どうする!? どうすりゃあ……―――この霊圧は!?)

 

 必死に思案を巡らせる一護であったが、突然響きわたってくる強大な霊圧にハッと視線を遣る。

 そこには何もない。あえて言えば空があるだけか。

 しかし、突如として空に亀裂が奔る。

 軋むような音を立てて開かれた空間からは、決死の思いで閉じ込めたハズの破面が姿を現した。

 

 

 

 

 

「アルトゥロ……プラテアド……!」

 

 

 

 

 

 絶望が歩み寄る足音が、一護の耳に木霊した。

 


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