BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*6 星に駆られて

「一本ッ! それまでィ!!」

 

 鈍い音と共に男子生徒が倒れた瞬間、張りのある声が道場内に響きわたる。

 それは一年第二組を担当している教師が発した声だ。怒鳴られてしまえば萎縮してしまうであろう威圧感たっぷりの声だが、なにも今は誰かが悪戯を働いて注意された訳ではない。

 

 道場に居る二組が行っているのは、死神の基本戦術“斬拳走鬼”の内“斬”に値する剣術の授業だ。

 入院したての頃は腕力をつけるための木刀での素振りが基本であったが、3か月も経った今では試合形式での授業となっている。

 

「大丈夫か?」

「ああ、イチチ……」

 

 倒れた男子生徒に手を差し伸べるのは、今の試合にて勝利した焰真だ。

 二組の中では霊力はあまりない方の彼ではあるが、流魂街での肉体労働が生きたのか、霊力の差を腕力で補い、辛くも勝利を掴んでいるのが現状と言ったところである。

 尤も、院生レベルでは霊力の差などあまり出てこない。出てくるとすれば、特進学級である一組の中でも、特に霊力の素質が秀でている者がいる場合だ。

 

そういった優秀な院生が居た場合、飛び級が許されているのも霊術院の特徴。

しかし、今のところ焰真には縁の無い話だ。

 

(と言っても、まだまだチンピラ剣術甚だしいからな。もっと頑張らないと)

 

 焰真の得意科目は剣術だ。

 素手での戦闘方法“白打”は素人もいいところ。腕力はあるものの、上手の相手と組手をすればいいようにあしらわされることがほとんどだ。

 歩法に関してはまずまず。可もなく不可もなく。悪く言えば凡庸な成績である。

 座学については、それなりの成績。瀞霊廷の歴史についてなどにはついていけない時はあるものの、虚や現世についての知識は好奇心が良い方向に働いている。根が真面目である焰真にとって、頑張れば覚えられる座学は比較的評価を得られやすい科目であったのだ。

 

 問題は鬼道。詠唱を唱え、様々な種類の術を発動する死神の術だ。

 攻撃用の破道。防御・拘束などの援護用の縛道。そして治癒用の回道の三種類が、鬼道にはある。

 焰真はそれら三つともできない。努力し、懇切丁寧に詠唱を唱えて霊力を込めてもダメなのだ。

 

 教師曰く、『毎年鬼道がまったくできない奴は二、三人居る。十一番隊気質だな』とのこと。焰真自身、鬼道は便利な術であると考えているため術を発動できるよう毎日毎日鍛錬を欠かしていないのであるが、その甲斐虚しく詠唱だけは暗記して術自体は発動できないという悲しい状況になっている。

 

(くそっ、せめて三十番台までは……三十番台まではっ……!」

 

 自分の番を終え、見取り稽古に移った焰真は頭の中で自分なりの目標を立てる。

 破道・縛道どちらも九十九まである鬼道の内、約三割にあたる量。最低でもそれらは出来るようにしておきたいと決心する焰真は、見取り稽古中にも拘わらず、只ならぬ雰囲気を漂わせていた。ブツブツと独り言を呪詛のように呟く彼の姿は変人そのものである。

 

 しかしその時、焰真は天啓に打たれた。

 

(そうだ、ルキアは鬼道が得意だったな! あいつに鬼道を教えてもらって……)

 

 チラリと女子生徒側がずらりと並んでいる方を見遣る焰真。

 白い上衣に対し、袴は赤。男子との区別がつくような色の袴を履く女子生徒たちの中に、ちょこんと一人、どこか鬱屈そうな雰囲気の女子生徒が居た。

 緋真によく似た容貌の彼女こそ、長年探し追い求めていた人物ことルキア。

 

 

 

 今は『朽木ルキア』と姓を改めている。

 

 

 

 ***

 

 

 

 憂鬱だ。それ以外言葉が見当たらない。

 ルキアの心は南流魂街78地区“戌吊”に居た頃よりも荒んでいた。それもこれも、全ては自分についた苗字の所為だ。

 

 『朽木』―――尸魂界の開闢に携わったとされている五大貴族が一。

 下流から上流まで存在する貴族の中でも、別格の貴族の家だ。

 何故その姓を名乗るに至ったかは、未だにルキア自身整理がついていない。

 突然、朽木白哉を名乗る男が従者と共に霊術院に押しかけ、ルキアを家に引き取ると言ってきたのだ。

 混乱するルキアを余所に事はどんどん進展し、気が付けばルキアは貴族の仲間入りである。

 

 それだけでも一杯一杯だと言うにも拘わらず、引き取られた先の家には、自分と瓜二つの女性が居た。

 流魂街に住んで居る時、ふいに水鏡で確認した自分の顔と、その女性―――緋真の顔は血縁者であるかと疑ってしまうほどに似ていたのだ。現に緋真は自分を『自分の妹』と語ったことから、容姿の点からも血が繋がっていることはなんとなく受け入れることはできた。

 

 だがしかし、五大貴族当主の妻が自分の姉だから貴族の家に引き取られたことと、現状を完全に受け入れられることは別の話。

 

 突然手に入れた貴族の身分。

 自分を捨てたと嘆き、何度も謝罪してくる姉。

 血の繋がった家族が居たこと自体は喜ばしいことだ。だが、自分が捨てられていたという事実が得も言われぬ空虚感がルキアを蝕んでいた。

 

 それだけではない。

 クラスの者達が、やけに自分を避けるのだ。

 始めは己に他人と打ち解ける能力が足りないだけだと考え、出来る限りのことは尽くそうと前向きに考えていた。

 だが、どうにも違う。どれだけ明るく笑顔で話しかけようとも、相手はそそくさと逃げるように去っていってしまう。

 そしていつしか、逃げていく彼らの瞳に浮かぶ“色”の正体が分かった。

 

 畏怖、嫉妬、忌避。

 

 生き別れた姉に再会し、貴族の身分を手に入れる―――現世ではシンデレラストーリーとも例えられそうな人生だが、それがルキアの霊術院での生活を大きく歪ませた。

 

 身分が上の相手に下手な真似はできない、機嫌を損ねてはいけない……そう言わんばかりに取り繕われる笑顔。

 流魂街出身の汚い小娘が、どうして五大貴族の家に。流魂街出身の者からも、貴族の者からも向けられるドロドロとした視線。

 

 それら全てがルキアの心を蝕む。

 頼れるのは、クラスの違う幼馴染だけ。しかし、その幼馴染でさえも周囲の同級生に制止され、自分との関わりを避けられてしまうといった始末だ。

 家族―――朽木家にも悩みは言えない。義兄である白哉は勿論、実の姉である緋真にさえもだ。それもそうだ。血が繋がっている“だけ”の関係。生まれた時より培われるであろう家族の絆が緋真との間にはない。今のルキアと緋真の心の距離感は想像以上に広かった。

 

 八方塞がりだ。

 日に日に、心労により瞳からは光が失われて虚ろになる。不意に鏡を見て視界に映るにやつれていく姿が見るに堪えなかった為、しばらく意識的に鏡を避けるようになっていた。

 

(こんなことになるのだったら、流魂街に居た方がマシだっただろうか)

 

 より良い生活を求めて死神になろうと来た訳だが、死神になるより前に死にそうだ。

 フッと自嘲気味に笑うルキアは、廊下を覚束ない足取りで進んでいく。

 

 向けられる視線が嫌になったから、自分の視線もまた自然と誰かを見ないように下へ下へと落ちていた。

 聞こえてくる雑談が自分に向けられる陰口に聞こえるようになったから、何も聞かないようにと何も考えないようにした。

 

(私は……)

 

 不意に足から力が抜ける。

 普通ならば倒れぬように踏みとどまる所だが、この時のルキアは踏みとどまることさえ億劫になっていた。

 なるようになれ―――心のどこかでそう思っていたルキアであったが、

 

「ごふっ!!?」

「ふぎゃ!!?」

 

 鈍い感触が頭部に奔り、首にも衝撃が伝わり、痛みで意識が覚醒する。

 気が付いた時にはルキアは前方に居た人影と共に倒れ、首の痛みに悶え転がっていた。

 

「? っ?!」

「みゅっ、鳩尾に、入ったぁ……!!」

「はっ!? す、済まぬ! ボーっとしていて」

「だ、だからか……幾ら声かけても反応しなかったのは……」

「へ? そ、そうなのか? 済まぬ、まったく聞こえなかった……」

「……そうか。まあ、故意に頭突きしてきたなら俺も流石に怒るぞ」

「すっ……済まぬ! けしてわざとじゃないのだ! 本当に! 済まぬ!」

 

 首の痛みなど忘れて立ち上がり平謝りするルキア。

 その間、鳩尾に頭突きを喰らって悶絶していた男子生徒は、大分痛みが和らいできたのだろう。やおら立ち上がり、『心配するな』と声をかけてくる。

 しかしルキアの謝罪は止まらない。

 

「だが……な、なにか私にできることはあるかっ!? 私にできることならなんでもするぞ!」

「え……ホントか?」

 

 ここに来てようやく我に返ったルキア。

 余りにも軽々しく『なんでもする』と言ってしまったが、その瞬間から男子生徒の自分を見る目が変わったような気がする。

 

 金をたかられてしまうのではなかろうか。

 はたまた、こんな貧相な体を求めてくるやもしれない。

 鬱屈した時に襲い掛かる焦燥を前に、ルキアの思考は混沌を極める。

 

「じゃあ」

「む!?」

「その……鬼道の練習に付き合ってくれないか?」

「……む?」

「いや、だから鬼道の」

「……それでよいのか?」

「それでいいって言うか、元々その為に来たつもりだったんだが」

 

 苦笑を浮かべる男子生徒に、ルキアは次第に落ち着きを取り戻す。

 自分に鬼道を教えてもらいたい? 確かに鬼道についてはそれなりに得意な方ではあるが、他人に弁舌を垂れることができるほど秀でている訳でもない。

 しかし、目の前の男子生徒は自分に教鞭をとることを所望している。

 

「わ、私でいいのであれば……」

「そうか! ありがとうな、朽木!」

「そういうお主は……芥火焰真でよかったか?」

「ああ。芥火でも焰真でも、どっちでも好きな方で呼んでくれ」

 

 屈託のない笑みを浮かべて手を差し出す男子生徒は、同級生の焰真であった。

 彼は他の者達とは“違う”者だ。入院当初から、自分には特に奇異の目を向けることもなく接してくれる人物の一人。

 だからといって、女が積極的に男とつるむのも憚られ、尚且つ焰真自身が男子生徒とよく談笑している場面が多かったためにルキアが割って入るといった真似をすることができなかった。

 

「よ、よろしく頼む……」

 

 差し伸べられた手を握る。

 冷えた己の手と違い、彼の手は温かかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぬぬぬぬっ……!」

「……」

「ふぬぉぉおぉ~……!」

「貴様、本当に……その……なんだ……」

「……かわいそうな人間を見る目をしてくれるな」

 

 鬼道の鍛錬上にやって来ていた二人。

 焰真はルキアの指南を受けるべく、まず霊力を集中させることから始めていたが、素人目から見ても酷い有様であった。

 出来てはいる。出来てはいるのだが、ムラが多く安定していない。あれでは無駄に霊力を消費するだけであり、燃費もよくない。ただでさえ霊力が少ない院生にとってそれは致命的だ。

 

「ふむ、なんと言えばいいのやら……」

「そこまで酷いのか、俺は?」

「真面目にやっているのかとは訊きたいな」

「そうか、悪いな。真面目も真面目、大真面目だ」

「むぅ~……」

 

 唸り、頭を抱え込んでしまうルキア。

 思い返してみれば、確かに鬼道の授業での彼は酷い有様であった。暴発などはしょっちゅう。的に当たるかどうかのラインにまで達していない。

 

 その点を省みたルキアは、そもそも基本がなっていないと確信した。

 

「どのようなイメージで霊力を込めている?」

「イメージ……? こう、手と手の間に力を、こう……グワっと」

「……成程」

 

 抽象的過ぎるイメージだ。彼が鬼道を苦手とする理由がよく分かった。

 一人納得するルキアは、ふぅと一息吐いて構える。

 

「よいか? 鬼道はそのような抽象的なイメージを持って霊力を込めても上手くはいかぬ」

「じゃあ、どうすれば……?」

「具体的なイメージを持つのだ。そうだな……私ならば月だ」

「月?」

「その中でも満月だな。あの丸い球体が掌の上に浮かんでいる……そして自分自身を、その月の中で餅つきするウサギだと思え」

「んん?」

 

 得意げに語るルキアであったが、焰真は途端に訳がわからないとでも言わんばかりの顔を浮かべ、目をパチクリとさせる。

 

「ウサギ?」

「そうだ! わかるか?」

「わからない……ウサギである点が」

 

 シン、と鍛錬場に静寂が訪れる。

 するとみるみるうちにルキアの顔が真っ赤に染まっていくではないか。

 

「……そ、それはあくまでも例えだ、たわけっ! いいか!? 貴様はウサギ!! いいな!!?」

「お、おう……」

「そして貴様はこれから餅つきに行く! 心の中でイメージするまん丸の満月……そこへ飛び込む!」

「飛び込むのか」

「そうだ! 体全体で飛び込むのがミソだぞ」

 

 そう言うや否や、ルキアはこれ見よがしに掌の上に霊力の玉を浮かばせる。

 

「手だけで安定させようなどと思うな。霊力は全身から発せられるもの。手はあくまでも術を放つ方向を定めるための照準だ」

「成程……」

「私が言いたいのは、鬼道を手だけで撃とうとするなということだ。手はあくまで照準。霊力を集中させる時は、全身で包み込むように……」

「全身で……」

 

 ルキアのレクチャーを受けた焰真は、瞼を閉じて彼女が口にしたイメージを脳内で反芻する。

 

 夜空の星に浮かぶ円形の満月。

 そこへ飛び込むウサギ。

 全て言われた通りにイメージすると、心なしか自身の周囲に漏れる霊力が安定してきたように思えてきた。

 すると、構える手の前に浮かぶ霊力の存在をしっかりと感じ始めたではないか。

 しかしここで油断してはならない。集中し、不安定な霊力を一つの玉にまとめ上げなければ―――、

 

(そうだ。もち米を餅にするみたいに……)

 

 ルキアのレクチャーのイメージがまだ残る焰真は、ウサギの餅つきから臼の中のもち米が餅へとまとまり上がる光景を想像する。

 刹那、かつてないほどの明確な霊力の存在を、己の掌の間に感じた焰真。

 徐に瞼を開けば、目の前には丸々とした霊力の玉が狐火のようにふよふよと浮かんでいた。

 

「……でき、た」

「……おぉ、やったではないか!」

「でき―――!」

 

 パンッ。

 

 喜ぶ二人。

 しかしその途中、霊力の玉は小気味いい音を響かせてはじけ飛んだ。儚い。なんと儚い光景であっただろうか。花火のように余韻を残す訳でもなく散った玉を目の前にし、二人の間には何とも言えぬ空気が流れる。

 

「……」

「……ぷっ」

「くくっ……はははっ!」

「ふふっ、だっ、ダメではないか集中を切らしては! このたわけがっ!」

「いや、だって嬉しかったからさ、つい……」

 

 思わず笑い出す二人は、朗らかな空気の中腰を下ろす。

 そこに当初のよそよそしさはなく、仲の良い友人同士による談笑のような温かい雰囲気さえ漂っていた。

 生気を失っていたルキアの頬にも朱が差し、久方ぶりに笑顔が咲く。

 その笑顔がどうにもいじらしく、チラリと彼女を一瞥する焰真はホッと胸をなでおろす。

 

 彼は、ここ3か月の彼女の様子を見かねていた。

 朽木家に連絡する手段を持たない焰真は、半ばやけくそ気味に教師にルキアが朽木家当主奥方の妹であることを伝えたのだ。

 当初は取り合おうともしなかった教師だが、どうにも一部の教師には焰真の名前が伝わっていた。

 

―――ひさ姉か。

 

 その手回しは緋真のものではなかろうかと考えつつ、緋真にルキアの存在を教師に教え、結果的にルキアが朽木家に引き取られたという経緯がある。

 これでめでたしめでたし―――とはならず、日に日に憔悴するルキアの姿に、焰真は自分の所為ではないかという罪悪感を抱いていた。

 

 良かれと思っての行動だ。

 だがそれは緋真を救っても、ルキアを救う訳ではなかった。

 では、自分にやれることはなんだろうか? 足りない頭で必死に考えた焰真は、兎に角一人の友人として彼女と触れ合うことであると結論付けた。

 そして今回に至る。

 結果は良好。ルキアも笑ってくれて、自分も鬼道のコツを掴めて一石二鳥であった。

 

「なあ」

「む? なんだ、芥火」

「焰真って呼んでくれ」

「え?」

「その代わり、俺もお前のこと朽木じゃなくてルキアって呼んでもいいか?」

「! ……ああ、いいぞ。焰真!」

「そっか! じゃあこれからもよろしくな、ルキア!」

 

 頬を綻ばせてはにかむ少女。

 その姿こそがルキアの本当の姿なのだろう。

 

 焰真は目の前の少女に、緋真とも違った温かさを覚えるのだった。

 




*オマケ 苗字の元ネタ

【挿絵表示】

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