白い壁、暗い部屋。
それら自体は虚圏に来てから何度も味わったため、織姫にとっては慣れたものであった。
しかし、こうしてただ静かに黙っている間にも、仲間たちは自分を助けるために戦っているハズ。
最初は嬉しくも悲しかった。
彼らを護りたいがために虚圏に来たというのに、何故それを理解してくれないのだろうと。
だが、皆が傷つき倒れていく中で、織姫は気が付いた。
自分も彼らと同じ立場だったら、そうするだろう、と。
どんなに強大な敵が立ちはだかったとしても、自分たちは何度でも立ち上がる。
志を共に、心を通わせ。
そう思うと、織姫は不思議と恐怖を覚えなくなった。見知らぬ土地でたった一人孤軍奮闘することの恐ろしさが、溶けていくように―――。
「女」
機械的な声が響いた。
振り向けば、自分をここまで連れてきたウルキオラが袴の側面に空いている穴へ、ポケットに手を入れるようにしながら、コツコツと靴底が石畳を打つ音を鳴らしつつ、歩み寄ってくるではないか。
「藍染様は空座町へ赴いた。あの町が陥落するのも時間の問題だ」
「……」
「そして、今虚圏に居るお前の仲間も、虚夜宮の守護を任された俺に殺されることになる」
「……」
「お前の仲間、友人、家族、住んでいる町……全てが無に帰す。その上で訊く。今、お前は何を思っている?」
織姫の眼前まで歩み寄ったウルキオラが、ガラス玉のような眼を向けてくる。
「恐怖か?」
「いいえ」
「……ではなんだ?」
「あたしは―――」
***
白の上を黒が駆ける。
その黒の正体は全快した一護だ。天鎖斬月の超速を生かし、一直線に織姫の下に向かう彼は決意を固めた表情で、彼女が居るとされている第五の塔を目指していた。
一護たちと隊長格をおびき寄せるための餌であった織姫だが、その目的はすでに達され、藍染には『用済み』と告げられている。
今までは餌としての利用価値があったため、ある種『殺されることはない』という安心感はあった。
しかし、今はそれがない。つまり、彼女はいつ破面の手に掛かって殺されてもおかしくはないということだ。
故に急ぐ。花太郎とルキア二人がかりで回復してもらった一護は、霊力と傷は回復しても、疲労までが完全に抜けきった訳ではない身を押して。
時折目の前に現れる虚を斬り倒しつつ、全速力で突き進む一護。
そして、織姫の霊圧が感じ取られる摩天楼の如き白亜の塔の前にたどり着いた。
しかし、進むべき先に感じる数多の霊圧。
「侵入者、黒崎一護とお見受けする」
「!」
まったく同じ姿をした髑髏仮面の者達の中から、一人だけ牛の頭蓋骨を模った仮面被っている破面が剣を抜いて襲い掛かってくる。
「葬討部隊隊長、ルドボーンと申します。貴方の御命を頂きに上がりまし―――」
「わああ! 知らない人居るー!」 「だれー?」 「知らなーい」
「オ腹減ッタ……」 「ルヌガンガ居ないね」 「死んだ?」
「殺されたんじゃない?」 「哀しい?」 「ぜんぜーん」
「Qruuuuu」 「頭オレンジだ!」 「おいしそー!」
「っ……なんだ!?」
葬討部隊隊長ルドボーン・チェルートの剣を受け止めながら一護が目撃した影。
それはルドボーンの『
『
かつて十刃であったピカロだが、見た目通り無邪気で自由奔放な性格に加え、なまじ力があることから戦力である破面を使い物にならなくさせるといった事態があったため、№102に降格された後、水以外に無敵であるルヌガンガの監視の下、虚夜宮の一角で幽閉されていた。
しかし、此度の死神の侵入に際して、ルヌガンガがルキアに倒されたこともあり、自由の身となったピカロが遊戯気分で強い霊圧を感じた場所までやってきたという訳だ。
「よーし! 突撃だぁー! 遊べ!」 「遊べっ!」 「遊ぶぞー!」
「ア……ソ、ベ……」 「Play」 「あっそっべっ!」
「「「「「遊べ―――『
そして、帰刃。
久々の
それ以外に目立った変化こそないものの、空を自在に飛び回れるというアドバンテージを得たピカロは、一護へ向かって突き進む。
「っ、来るのかよ!」
空を覆うピカロ。
加えて、ルドボーンの兵士を加えれば相当な数だ。
一人一人の力は一護に及ばずとも、こうも数が多いとなると前に進むのは至難の業だ。加えて、ピカロの見た目は翅を除けば子供そのもの。敵にも甘い一護にとって、子供を斬ることは躊躇を覚えてしまう。
どうしたものかと一護は歯噛みしつつ、それでも天鎖斬月を振るって襲い掛かる敵を振り払う。
そんな時、群がる敵に向けて花弁と冷気が奔った。
「白哉! ルキア!」
「何をしている、黒崎一護」
「貴様、先に行かせたというのに何たる体たらくだ!」
一護が、白哉の治療のため遅れて来た二人の方に振り向けば、返ってきたのは叱咤であった。
その間も、白哉は千本桜で宙を飛び回っているピカロを斬り、ルキアは袖白雪で刀身から放つ冷気を以てルドボーンの兵士を氷漬けにしている。
ルキアの叱咤に表情を引きつらせる一護。しかし、内心では心強い味方だとほくそ笑む。
これで織姫の下にもすぐに向かえるようになるだろう。そう思いつつ天鎖斬月を振るっていれば、突如として塔の一角が爆発する。
何事かと場に居る全員の目が向けば、そこには山の様な巨体を誇る褐色肌の大男が立っていた。下顎骨のような仮面の名残に加え、辮髪という特徴的な見た目を誇る男は『おぉう?』と声を上げ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべて見せる。
「久々に呼び出されたと思えば……なんだァ? そいつらをぶっ殺せばいいのか?」
「おぉ、ヤミー・リヤルゴ様……!」
男―――ヤミーの登場に、ルドボーンは感動するような声を上げて震える。
「新手か……!」
「へっ! こちとら長い間待ちくたびれて体が鈍ってんだよ。まずはそうだな……てめえからぶっ殺してやるよ!!」
新手の登場に苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる一護に対し、彼へ狙いを定めたヤミーが拳に霊圧を圧し固める。
虚弾。虚閃の二十倍の速度を誇る霊圧の弾丸を、一護へと繰り出そうとする。
即座に回避しようとする一護だが、如何せん邪魔をする敵の数が多い。このままでは喰らってしまう可能性もある。
どうしたものかと思案する一護―――だが、拳を振り抜かんとするヤミーよりも早く拳を振り抜いた者が居た。
「―――
「ぐおおおっ!?」
「チャド!」
常人の二倍以上の体格を誇るヤミーを吹き飛ばす霊圧の弾丸。
それを繰り出したのは一護の親友、泰虎であった。驚きと喜びの色が表情に浮かぶ一護に対し、泰虎はサムズアップで応えて見せる。
だが、応援は彼だけではない。
「吼えろ―――『
鞭のように撓る刀剣が、ルドボーンの兵士を次々に蹴散らしていく。
それまでルドボーンの兵士に応戦していたルキアは、隣に並ぶ赤髪の男に声を上げた。
「恋次か!」
「おうおう! どうしたルキア、髪なんか短くしてよォ! 失恋でもしたかァ!?」
「……そうだな。この戦いでお前という尊い犠牲を―――」
「失恋ってそういう意味じゃねえよ!」
漫才か。
傍から見る一護はそう心の中でツッコんだ。
「ふんっ。喚くだけの元気はあると見た。ならばさっさと剣を振れ。無駄話はそれからだ!」
「チッ……言われなくてもわかってるっつーのォ!!」
だが、互いの無事を確認するための無駄口も叩き終え、すぐさま彼らは戦いへ意識を戻す。
何人か見えない面子も居るが、恐らく彼らも無事だろうという確固たる信頼を置く一護は、月牙天衝を放ち、敵の軍勢の中央に巨大な穴を穿った。
「行け、一護!」
一護の背中を押すルキアの声。
その声に押されるがまま、一護は織姫の囚われている第五の塔の壁面を駆け上るように上昇していく。
もうすぐ、もうすぐだ。
「井上……今行くぜ!」
***
「―――何も感じていない……恐怖を感じていないだと?」
「……はい」
織姫とウルキオラの問答は続いていた。
「それは俺と同じく心がない……なくなったということか?」
「いいえ。あたしの心は、みんなの傍にあるの」
「……理解に苦しむ。心とは、一個人の感情の発生を司る概念的な存在ではないのか? にも拘らず、それが他人の近くにあるとはどういう意味だ」
僅かに、ウルキオラの眼光が鋭くなる。
「俺の瞳は全てを映す。だが、心というものは生まれて此の方見たことが無い」
かつて、破面ではなくただの虚であった彼には眼しかなかった。仲間であろう虚たちが牙や爪を持っている中、眼しか有さなかったウルキオラは、喰らう魂の味も牙や爪で裂く肉の感触も知らない。
そうして延々と白亜の砂漠を歩み進めた先に見た光景―――その時、ウルキオラは心を
真の意味でウルキオラが心を失った瞬間である。
故に、彼にとっては瞳に視えるものこそが絶対。確かに其処に在るものなのだ。
掌を織姫へと伸ばし、淡々と続ける。
「心とは何だ」
指先が織姫の胸に触れんばかりに近づいた。
「その胸を引き裂けば、その中に視えるのか?」
瞳は織姫の顔を映す。
「その頭蓋を砕けば、その中に視えるのか?」
スッと掌を下ろすウルキオラは、一拍置いてから手を袴の穴へと突っ込んだ。
そして呆れるように一息吐いて首を振った。だが、その仕草は真に彼が織姫に対し呆れを覚えているからではない。無論、彼に感情が芽生えたことを指している訳でもない。
「……俺のこの眼は全てを映す。映らぬものは存在しないと断じて戦ってきた。だから俺は心は無いと断ずる」
「……どうして、そう言い切れるの?」
「なんだと?」
「どうして……『無い』って言い切れるの?」
「どういう意味だ、女」
織姫の疑問。
それは、とどのつまり『悪魔の証明』や『魔女裁判』にも似たものだ。
『無い』と証明することは非常に困難である。確かに、ウルキオラの言うように眼に映るものは存在する―――在ると断ずることは容易だ。間違いはないだろう。
しかし、だからといって目に映らないから存在しないとは言い切れないのではないか―――織姫は、ここ最近になってから強く思うようになった。
「あたしは前までは幽霊なんか見えなかった。だから、幽霊が居ると信じてみたいって思う反面、どこかでやっぱり本当は居ないんだろうなぁ~って思ってたの。でも、本当は居た。死神の人たちや虚も……だからあたしは、それまで目に見えていたものが全部じゃないって思ったの」
「それがどうした? それは、お前の霊的素質が無かった為に、それまで存在していたものを無いと断ずるに至っていただけの話だ。そのことが心が存在することを証明する理由にはならない」
「なるよ」
冷たく否定するウルキオラに対し、織姫は強く言い放った。
「きっと、それまで無いって当たり前に思われていたことでも、世界中のどこかの誰かが一人でも『在る』って思った時には、それはもう存在してるってことで、『無い』なんて絶対証明できないの」
「……馬鹿馬鹿しい話だ。なにかと思えば、心とはお前たちが望む偶像のことか」
「違うよ。だって、あたしたちが感じる気持ちは在るんだから」
「ならば訊く」
ややウルキオラの語気が強まる。
「喜びとはなんだ?」
「……嬉しくて、心が弾んじゃいそうな気持ちのこと」
「怒りとはなんだ?」
「……嫌なことがあったりして、思わず手が出ちゃいそうなる気持ちのこと」
「哀しみとはなんだ?」
「……何かを失った時、辛くて胸が張り裂けそうになる気持ちのこと」
「楽しみとはなんだ?」
「……好きなことができる時の、心が躍っちゃいそうな気持ちのこと」
「……下らん問答だったな」
心底呆れた。そう言わんばかりに織姫から顔を逸らすウルキオラは、自身に空いている孔に手を翳した。
失った
罪悪感に苛まれぬまま罪なき魂魄を喰らっていくのは、それが為だ。
「俺は喜びも怒りも哀しみも楽しみも感じない。何も……何も感じない。女、お前が言ったような感情を何一つも感じはしない。虚無だ」
「じゃあ、貴方にもきっと心はある」
「……?」
織姫の言葉を理解できず、反応が一瞬遅れる。
何も感じない。そう言ったにも拘らず、なにをこの女は―――織姫が混乱している可能性を考慮したウルキオラであったが、すぐに彼女の口より解は紡がれる。
「貴方は何も感じてないんじゃない。無いってこと―――虚無を感じてる」
「っ……」
「だから貴方には感じる心があ、っ……!?」
最後まで言い切るより前に、ウルキオラが織姫の胸倉を掴んだ。
突然の行動に、まさかウルキオラがこのような手荒い真似に出るとは思っていなかった織姫も、手を出した当人であるウルキオラでさえ驚いていた。
―――何故だ? 何故、俺は手を出した?
幾ら思案しても、答えは出てこない。
しかし、沸々と熱くなる感覚を孔の内側に感じた。
その正体もウルキオラには分からない。結局何の答えも出せないまま、ウルキオラは掴んでいた胸倉を放す。
「……知った風な口を聞くな、女」
これ以上考えれば、孔の内側に覚える違和感で任務に差し支えが出る。
そう断じたウルキオラは、踵を返して織姫の下から離れていく。
自分の任務は、藍染が帰還するまで虚夜宮を守護すること。織姫の面倒を看るという任務はすでに果たされたものの、彼女は依然虚夜宮に居る一護たちをおびき寄せる餌にもなる―――現になった。
そのことを鑑みつつ、彼女と口を交わせなくなる距離まで離れたウルキオラは、ジッとその場に佇む。
だが、今度は逆に織姫がウルキオラの下へ向かわんとする仕草を見せた。
「ウルキオラく―――!?」
そんな織姫であったが、彼女の口を何者かが手で覆った。
乱暴な扱いだ。織姫を労わる訳でもない手つきで彼女を拘束したのは、二人の女破面。
「つ~かま~えたぁ~♪」
「っ……!?」
破面№33ロリ・アイヴァーンと、破面№34メノリ・マリア。
藍染の側近を自称していた彼女たちは、連れられてきた織姫が藍染に特別扱いされていたことから彼女へ嫉妬を覚えており、一度彼女が一人になった時を見計らい、暴行を加えた者達だ。
その時は、偶然グリムジョーが織姫に用があって来たことがあり、彼女たちは織姫に加えた暴行に対して余りある反撃をグリムジョーにもらった。
しかし、そんな暴行を加えたハズの織姫に治療してもらったロリたちは、一度は彼女の能力に怖気づいた―――が、藍染が織姫のことを『用済み』と称したため、今一度彼女を引き摺り落とさんがためにこの場に赴いた訳だ。
人間の織姫に対し、同じ女でありながらも破面のロリたちの膂力は凄まじい。
あっという間に組み伏せられた織姫は、床に押し付けられ、掴まれた腕は背中へと回され、今にも折られんばかりに弄ばれている。
こうして織姫のマウントをとったロリは、愉悦に満ちた顔を浮かべたまま、ただ傍観しているウルキオラへ声を上げた。
「ウルキオラっ! この女、好きにしてもいいわよね!?」
「……好きにしろ」
織姫が嬲られようが、ウルキオラには知ったことではない。
大事なのは織姫がこの場に居ること。蹂躙されて死体になろうが、それで一護たちをおびき寄せられればそれでいい。
何かを訴える瞳を浮かべる織姫を横目に、白装束を翻した。
刹那、轟音が響くと共に暗い部屋に光が差し込んだ。
「な、なによアンタ! 近づくな! 近づいたらこの女を……ぐぁ!?」
「うあ゛っ……!」
突然の事に気が動転したロリとメノリであったが、二発分の殴打音が響けば、水を打ったように静まり返る。
「……来たか」
「よう」
何の感慨も無さげに振り返るウルキオラ。
彼の瞳が捉えるのは、倒れたロリとメノリを背にし、そして織姫の傍らに堂々と立つ一護の姿であった。
「黒崎……くん」
「悪ィ、井上。痛い目に遭わせちまって……」
「ううん、大丈夫。大丈夫だから……」
「分かってる」
「え?」
ゆっくりと身を起こす織姫の前に出た一護は、不安そうに自分を見つめてくる彼女へ二ッと笑みを浮かべて見せた。
「俺があいつを倒して、井上も連れてみんなで帰ってみせる」
「……うん」
「勝つぜ、俺は」
誓うように言い放った一護は、一歩、また一歩とウルキオラへと近づいていく。
それに伴い、ウルキオラは腰に差していた斬魄刀を抜き、悠然と身構えた。
初めての邂逅は、現世にて一護の戦力がどの程度か確かめるための調査にて。それから一か月以上経ち、当初こそ殺す価値無しと判断された一護も、単独でグリムジョーを撃破できるほどまでに成長した。
最早、放っておける相手ではない。
ならば、自らの手で殺すのみ。
ウルキオラは平静を崩すことなく、一護に相対する。
対して、一護もまたいつでも相手が来てもいいようにと天鎖斬月を構えた。
息を飲む音。次の瞬間、彼らの姿は消える。
「―――!!!」
火花が散るは刹那。
鬨の声は上がった。
黒崎一護とウルキオラ・シファーの戦いが始まる。