BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*66 今宵、月が見えずとも

―――視えない。

 

 常闇が荒れ狂う中、ウルキオラはひどく冷静な思考を巡らしつつ、体が切り裂かれていく感覚を覚える。

 自身最大の攻撃をも押し負けられるも、せめてもの抵抗にと翼と腕を盾にするが、次の瞬間には無残な肉片となって嵐の中に呑み込まれ、塵と化す。超速再生を以て回復を試みようとしても、永遠に終わることがないのではと錯覚してしまうほどの怒涛の霊圧がそれを許さない。

 

 ただただ霊圧を消費し、命を繋ぎ止めるウルキオラ。

 虚夜宮を守れという任務のために命を燃やしている彼であったが、“大魔の羽搏き”で霊圧を消費していることもあってか、とうとう再生すらもできなくなってしまう。

 その瞬間、嵐が晴れた。

 と言っても、広がるのは淡い月光に照らされる黒白の世界だ。

 しかし、僅かに色づいている。この生か死かの世界の中、仄かに色づいている命を垣間見た。

 

 天鎖斬月を振り抜いた一護が、その確固たる決意を宿した瞳で自分を射抜き、そんな彼に献身的な眼差しを送る織姫の姿。

 初めての邂逅では、特別視する必要もなかった程度―――路傍の石ころ程度に過ぎなかった彼らが、今はこうして刀剣解放第二階層を発現した自分を倒している。

 

 ありえない―――否、現に在ったことだ。

 

(貴様の言う通りだったということか、女)

 

 翠玉の如く濃緑色に染まった強膜をした瞳で織姫を見つめる。

 

 余りにも不確定要素が多かったこの戦いを振り返りつつ、ウルキオラは天蓋へと堕ちる。

 勝てないと分かっていても戦う一護と、そんな彼を信じ自らさえをも盾にした織姫。

 そんな二人が生んだ奇跡。これはすでに起こった出来事であり、天地をひっくり返そうとも否定できぬものだ。

 しかし、その奇跡を合理的に説明しようとすれば拙い。ウルキオラに理解し難い要因が、そこに介在するからだ。

 

 だが、たった一つ―――これだけは解った。

 

(それも……心在るが故か)

 

―――通りでわからない筈だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 血の尾を引いたウルキオラが天蓋に墜落した。同時に巻き上がる砂煙と響きわたる轟音が、現実離れした黒い竜巻と斬撃の激突の光景で茫然としていた雨竜の意識を引き戻す。

 

「勝った……のか……?」

「黒崎くん……!」

 

 元々慎重派なだけあり、まだ信じられない雨竜とは裏腹に、織姫は頼もしい背中を見せてくれる一護に歓喜の声を向ける。

 しかし、ガラリと瓦礫が崩れる音に三人はハッと砂煙に目を遣った。

 音が響いてから暫く、ようやく晴れた砂煙。その中には辛うじて棒切れのようにやせ細った四肢を生やすウルキオラが佇んでいた。とても戦える様子ではないが、依然として一護たちを見据える瞳は、否応なしに恐怖を覚えさせるものがある。

 

 強敵が健在であることに、すでに双天帰盾の治療で回復した雨竜が銀嶺弧雀を構えるが、咄嗟に一護が手で制す。

 

「石田、大丈夫だ」

「ッ……だが」

「黒崎くんっ!」

 

 トドメを刺すべきだと訴える雨竜の間に割って入り、声を上げた織姫。

 その悲痛な声音に含んだ意味を察した一護は、織姫と数秒見つめ合ったから首肯し、ウルキオラの下へ歩み寄り―――。

 

「双天帰盾」

「!」

 

 ウルキオラを包み込む楕円形の光の盾。

 敵を癒す―――その行動に、起こした当人である一護と織姫以外は当然のように驚く。

 

「……何をしている?」

「ウッセーなァ。俺は井上と違ってまだこーいうのに慣れてねえんだから、ジッとしろよ」

「違う。俺が訊いているのは、何故貴様が俺を治療しているかだ」

 

 敵を癒すこと、それすなわち再び敵に襲われることを了承する行為だ。一度、十刃落ちであるドルドーニを癒し、事実襲撃された一護であるならば重々承知しているはずのこと。

 だが、そうだとしても一護の行為はウルキオラの理解の範疇を超越していた。

 

 彼が疲弊した自分の息の音を止めることが造作でもないための余裕だと解せることはできる。

 しかし、

 

「回復した俺が貴様の仲間を殺す可能性は考えないのか」

「させねえよ」

「……」

「……」

 

 敢て投げかけた質問も、ウルキオラの納得できる答えは返ってこなかった。

 その思い通りにならない歯痒さとでも言おうか。孔の内がモゾモゾするような不快感に顔を歪ませるウルキオラは、一方で見せかけだけ再生していた四肢が元通りになり、動きを確かめるように指を動かす。

 ここまで来て、ウルキオラは自身の霊圧が大して回復していないことに気が付いた。

 成程、織姫の双天帰盾は単純な損傷の回復にはもってこいだが、霊圧の回復には適していないようだ。

 

 裏を返せば、傷を治したいが霊圧を回復させたくない相手にはピッタリと言えよう。

 

「……今からでも、俺が貴様の仲間を殺す可能性がないとは言い切れない」

「させねえっつってんだろ、しつけえな」

「……解らない。何故、貴様が俺を治すのかが」

 

 一護から求める解が返ってこないことを悟ったウルキオラは、織姫へ視線を移した。

 

「お前は答えてくれるのか」

「っ……」

 

 真っすぐな視線に織姫は息を飲んだ。

 子供が純粋な疑問を投げかける時のような瞳だった。敵意も殺意も宿っていない瞳に映っている疑問に隠れているのは、戸惑いと―――胸の内で産声を上げた未知なる感覚への恐怖。

 そのことを察した織姫は月光のように優しく柔らかい笑みを浮かべた。

 

「死んでほしくないから……」

「なんだと?」

「あたしは誰にも……黒崎くんにも……助けに来てくれた朽木さんや石田くん、茶渡くん、阿散井くんにも、傷ついてほしくないし死んでほしくない。でも、ホントだったら誰も傷つかないのが一番だから」

「……(てき)もという訳か」

「うん……」

「おかしな女だ」

「うん、あたしもそう思う」

「……自分がおかしいことを認めるか」

「よく言われるよ」

 

 えへへとはにかんだ織姫を前に、ウルキオラは呆れたようにため息を吐いた。

 そして脱力するように仰向けに転がる。その無防備な姿は、これまでの彼の態度からは想像できず、一護たちは目を見開いた。

 

 やがて刀剣解放第二階層を維持できるだけの霊圧も尽き、元の白装束姿に戻ったウルキオラは、揺れる瞳で空を見つめる。同時に、未だに疼く孔に手を翳した。

 無い。だが、織姫の言葉を信じるならば在ると考えるのが普通なのだろうか。

 それでも今までの考え全てを捨てることなどはできない。

 

 在るか無いか―――確固たる考えを揺るがされたウルキオラには、最早戦う気力さえ残っていなかった。

 

「ウルキオラくんっ!」

 

 茫然自失に近い状態になったウルキオラへ駆け寄る織姫は、『まだどこか痛いところあるの?』と、凡そ敵に投げかけないだろう言葉を口にしつつウルキオラを見下ろす。

 

 その不用心さにも慣れたものだと思いつつ、ウルキオラは徐に手を織姫へと伸ばす。

 

「女」

 

 今一度訊く、と続ける。

 

「俺が怖いか」

 

 間髪を入れず、伸ばした手を織姫の手が覆った。

 柔らかな感触と共に肌を通じて伝わる熱が、血を失い冷えていたウルキオラの指先をじんわりと温めていく。

 

 だが、それだけではないような気がした。

 何が視えたという訳ではない。

 それでもウルキオラは()()が在ると感じた。

 

「こわくないよ」

 

 それはウルキオラの問いに対する織姫の答えであり、怯えた幼子を宥める母親のような声音でもあった。喉を通り、口から発せられ、空気を揺らした振動が鼓膜を揺らす。

 声など、言葉など他者が意思疎通のために用いる記号でしかないハズだ。

 しかし、このはにかみながら絞り出す声には、それ以上の何かが宿っている。未だ疼く孔の中の感覚が証拠だ。

 

 あれこれと考えている内に、ウルキオラは自然と織姫の手を握り返していた。

 すると、驚いたように目を見開いた織姫が、今一度白い歯を覗かせ、桜色の唇で弧を描く。小刻みに震える眦。風に揉まれる髪。漏れる温かい吐息。そして一層強く握り返してくる手。

 

 織姫を万遍なく観察するも、ソレを目にすることはできない。

 

 だが、織姫を視て、掌を握り確信した。

 

「そうか」

 

 掌の陰に隠れたウルキオラの口元に月が浮かぶ。

 

―――胸の奥に在るのではない。

 

(そうか……)

 

―――ましてや、頭蓋の奥に在るのではない。

 

(これが……)

 

―――こうして人と触れ合い、誰かを想い、考え、漸く生まれるもの。

 

(この掌にあるものが……)

 

 全てを悟ったウルキオラが紡ぐ。

 

「俺の……―――負けだ」

 

 一護と織姫へ送る言葉。

 今、胸中に渦巻く想いの解がまだ分からない彼は、これからそれを探しに生きていくことだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 天蓋の上で繰り広げられていた激闘が終結を迎えた一方で、もう一つの激闘は依然として轟音を響かせつつ続いていた。

 揺れる巨体が砂の大地を打ち、その度に噴水のように砂塵が巻き上がる。

 砂塵が噴き上がり、そして落ち行く中、合間を縫うように桜の花弁がヤミーの肉体を切り刻む。

 

「ぐ、おおおおっ!?」

 

 巨大な腕を振るい、襲い掛かる千本桜景厳を振り払おうとするヤミーであったが、その間に足下に小さな人影が迫る。

 次の瞬間、ヤミーの足が宙を舞う。小さな家屋程度ほどある足は、肉と骨の断面を覗かせつつ宙を舞えば、その内砂漠に墜落した。

 

 この光景もこれが初めてではない。

 ヤミーが帰刃してから、何回も行われた白哉による攻撃。ノイトラほどではないにせよ、かなり頑強なヤミーの鋼皮をどうにかできるのは、この場において白哉しか居ない。

 そのため、ピカロやルドボーンはルキアたちに任せ、彼はヤミーを相手に立ち回っていた。

 

 粗野で短気なヤミーと冷静な白哉。軍配が上がるのは勿論後者だ。

 ヤミーの巨体に対して、存分にその真価を発揮することのできない千本桜景厳ではあるが、彼を翻弄し、その隙を突いて山の如き巨躯を崩すことはできる。

 

 そして時は来た。

 

 数本目の足を斬り飛ばされたことにより、支えられていた巨躯が前のめりに崩れる。

 『うおおおおっ!?』と声を上げるヤミーは、咄嗟に腕を砂漠に突いて自身を支えようとするも、左右の腕に螺旋を描くように千本桜景厳の花弁が奔り、腕をズタズタに斬りつけられる。それに伴い、体を支えきれなくなったヤミーが、とうとう地面に伏せんと倒れようとした。

 

「っ!」

 

 刹那、ヤミーの視界が桜色に覆われる。

 

 凶暴な顎を携えた顔に桜が咲いたのは、すぐの出来事であった。全ての花弁を動員して放たれた波濤がヤミーの顔面に突き刺さり、本来千本桜景厳にはない紅色も咲かせる。

 大きくのけ反る巨体は、一度背中の方へ限界まで反った後、脱力するように前のめりに地面に伏せた。

 

 しばし、様子を窺う白哉。

 少し待っても微動だにしないヤミーの様子に力尽きたと見た白哉は、興味が失せたように踵を返し、ルキアたちへ視線を移す。

 

「兄様! ご無事で!」

「ルキア」

 

 どうやら、白哉の戦いとルキアたちの戦いは同じタイミングで終わったようだ。頬に伝う汗を拭うルキアが駆けつけてくる。

 彼女の後ろに目を向ければ、瓦礫に腰を据えて休憩している泰虎と、『えーん! いじめられたー!』と泣き叫びながら走り去っていく生き残ったピカロを見逃した恋次が佇んでいるのが見えた。

 

「……これで」

「ぬぐおおおおおおっ!!!」

『!』

 

 不意に起き上がる巨体が白哉たちに影をかけた。

 

「許さねえ……許さねえぞ、ゴミ虫共があああああ!!!」

 

 激昂するヤミーの口腔には、黒く凝縮された霊圧が収束する。

 黒虚閃。虚閃以上に霊圧を凝縮させた破壊の奔流。真面に喰らえばただでは済まない威力を誇る攻撃だ。

 

 不味い。そう思い至った時、白哉の体は動こうとしていた。

 まずルキアを回収し、少し離れた場所に居る泰虎と恋次は、手掌で操った千本桜景厳で回収する。

 だが、間に合うか? 一抹の不安を覚えつつも、最早猶予がないことを悟った白哉は、元より険しい顔の眉間にさらなる皺を刻み駆けだそうとする。

 

「もう遅えぞォッ!!!」

 

 そんな白哉たちへ向け、黒虚閃を放つための霊圧を収束させるヤミーは吼える。

 ここまで散々苦渋を味わわされたヤミーの怒りは頂点に近い。白哉は勿論のこと、彼の味方であるルキアたちも、そして目に入った全てのものも叩き潰さねば気が済まなくなっていた。

 

 血走った眼で標的を捉え、憤怒の雄叫びと血反吐と共に、いざ黒虚閃を放とうとした―――その瞬間、上空より降り注いだ黒い斬撃がヤミーの頭部に直撃する。

 皆が目を見開く中、頭部に強大な一撃を喰らったヤミーは口腔を閉じさせられた挙句、そのまま地を舐める体勢を強いられるよう、顔面を地面に叩きつけられた。

 そうなれば、限界まで収束していた霊圧は暴発し、ヤミーの顔面と地面の間で大爆発を起こす。

 

「な、なんだ!? 何が起こりやがった!」

「ム、あそこに……!」

「あれは……」

 

 暴発の余波たる強風と砂煙をその身に受ける中、見た事のある攻撃に、皆の視線が空へと向けられた。

 

「誰だゴラァ!!?」

 

 続いて、口から血を滴らせるヤミーが上体を起こし、空を―――天蓋を仰いだ。

 そこに佇むのは、黒衣を閃かせる一人の少年。

 

「悪ィな」

「ア゛ァ!?」

「―――すぐに終わらせる」

「グ、ォオウッ!!?」

 

 怒りに染まるヤミーの顔面に、今度は漆黒が咲いた。

 黒々と溢れた霊圧が宙を漂う。その禍々しさの中に、どこか温かさを含んだ霊圧は、間違いない―――。

 

「一護!」

 

 歓喜を滲ませた声を出すルキア。

 その間、特大の月牙天衝を顔面に受けたヤミーは再び崩れ落ちていく。記憶の中にある一護のどの月牙天衝よりも強力であったその一撃に、ルキアを始めとした他の面々も、驚愕なり驚嘆するような様子を見せている。

 そうして大事に至らなかった仲間たちの下へ、一護は一瞬で駆けつけ、自身の無事と勝利を告げるような笑みを浮かべた。

 

「よお」

「髪伸びたな」

「開口一番それかよ」

 

 言い放ったのは恋次であった。

 『お前髪のことしか聞いてこないな』とも心中でツッコんだ一護の前では、その前のツッコミで『おぉ、一護だ』と恋次たちが感心している。

 

「そもそもオメーらは何で俺を判断してんだよ」

「うーむ……派手な髪色と人相の悪さだな」

「ルキアと同意だぜ」

「ム……」

「てめえら……!」

 

 教師に何度指導しても頑なに髪を染めようとすることのなかった一護であったが、この時ばかりは本気で染めてやろうかと考えた。

 

「……目上の者に敬語も使わぬ無礼な言動だ」

「白哉、てめえ!」

 

 まさかの追撃が来た。

 

 一体どこで自分を判断しているのかと一護が問いただしたくなったのも束の間の話。一番にふざけた空気から抜け出したルキアは、神妙な面持ちで織姫たちのことを訊いてくる。

 

「あやつらはどこだ?」

「井上たちなら、こっから離れた場所に下ろしたぜ。そこで暴れてた奴が見えたからよ」

「そうか……井上は無事か」

 

 ホッと一息吐いたルキア。

 

「これで……」

「いや、終わりじゃねえぜ」

「なに?」

 

 遮るように一護が割って入り、続ける。

 

「俺は……空座町に行かなきゃならねえ」

「!」

「藍染を倒さねえと、こんなつまんねえ戦いは終わらねえんだ。だから俺は、空座町に行く!」

「一護……」

「全部護んだよ!!」

「……そう、だな」

 

 決意を高らかに口にする一護を前に、ルキアは微笑みを零した。

 姿形、そして力さえも以前の比ではないほど変わってしまった一護だが、その根っこは変わっていない。そのことが得も言われぬ嬉しさをルキアに覚えさせたのだ。

 

「だが、どうやって空座町へ向かう? 黒腔は藍染に閉じられてしまったのだぞ」

「あ」

「……はぁ」

「な、なんだよその深いため息は」

「どうしようもない無計画な奴だと呆れてるのだ、まったく」

「てめえ……!」

 

 ここもどうやら変わっていない。

 意気は良し。しかし今は、空座町へ向かう手段が整っていない。どれだけ一護が張り切ったとしても、どうしようもないものはどうしようもないのである。

 

 呆れるルキアに対し、そのことに思考が至っていなかったことを指摘された一護はバツの悪そうな顔を浮かべ、『くそっ! 浦原さんが居りゃあ』と漏らす。

 

「―――まったく蛮人共の戦いがようやく終わったかネ」

「っ! あんたは……涅マユリ!」

 

 不意に響く声に、全員が弾かれたようにとある一人に視線を向ける。

 そこに佇んでいたのは、巨大な荷車をネムに引かせる十二番隊隊長・涅マユリであった。何度見ても慣れない奇抜なメイクは、人の名前を覚えることが苦手な一護でも覚えられてしまうほどに特徴的である。

 

 そして、そんな彼の近くに上空より肉雫唼に乗っていた人影が軽やかな身のこなしで飛び降りてきた。

 

「皆さん、ご無事なようで何よりです」

 

 穏やかな声音を発しつつやって来たのは、四番隊隊長・卯ノ花烈。

 隊長二人の到着に、本当に虚圏での戦いが収束していようとしていることに、誰もが胸を撫で下ろそうとした。

 

「ゆ゛っ……」

『!』

「許さねえぞゴラァァアアアアア!!!」

 

 大地が唸り、山が起き上がる。

 それは一護の月牙天衝を受け倒れていたハズのヤミーであった。そのしぶとさに舌を巻く一護たちは、今度こそトドメを刺さんとする勢いで刀を抜く。

 だが、そんな彼らを威圧するように、ズタボロであったヤミーの体はみるみるうちに肥大化していき、先ほどより一回りも二回りも巨大な体躯へと変貌した。

 

 背中から空へ向かって生える二本の角。

 芋虫のように対となって生え揃っていた足は、再び二本へ。

 四本角が生え、一見すればゴリラに似たような見た目へと変貌したヤミーは、そんな彼の変貌に瞠目している一護たちへ腕を振り下した。

 

「ぐぅ……!!」

「チャド!」

 

 寸前で躱す一護たち。

 しかし、一瞬反応に遅れた泰虎が吹き飛ばされた先で、風圧によって体勢を崩されたことにより塔の瓦礫に背中を打ち、そのまま倒れ込んでしまう。

 親友である泰虎のダウンに、一護は怒りを露わにする。

 

「てめえ!」

「イラついてやがるなァ。だがよォ、俺ァもっとイラついてんだ」

「なんだと……?」

「俺の帰刃名は『憤獣(イーラ)』!! 怒りこそが俺の力だ!!」

 

 仲間を傷つけられたことに憤る一護に対し、それ以上の怒りを滲ませた声でヤミーは己の能力を告げた。

 『憤獣』―――ヤミーが普段から喰らい、眠ることで溜めていた力を解放し巨大な化け物へ変身する能力だが、それ以上にヤミーの怒りに呼応し、さらなる巨大な化け物へと変貌する能力を有している。

 

 怒れば怒るほどヤミーは強く、そして大きくなっていく。

 

「さァ、もっと俺をイラつかせてみろよ……その分てめえらの死に様が無様になるだけだがよっ!!」

 

 咆哮。たったそれだけで砂漠が津波でも起こったように大きく波打つ。

 すぐさま一護は泰虎を回収し、ルキアたちと共に離れた場所まで移動する。

 

「大丈夫か、チャド!?」

「ム……済まない、一護」

「この様子では、茶渡さんは疲労もあることでしょうから、虚圏(ここ)に留まり治療を受けた方が賢明でしょう」

 

 そう告げる卯ノ花。

 だが、彼女の言い放った言葉に若干の引っかかりを覚えた一護は首を傾げる。

 

「なんだよ、卯ノ花さん。なんかもう空座町に行けるみてえな雰囲気出してるけどよ……」

「その通りです」

「は?」

「―――私が、君達蛮人共があくせくと戦っている間、黒腔の解析を済ませておいたんだヨ」

 

 呆気にとられる一護の前に歩み出るマユリは、ニヤリとしたり顔を浮かべてみせた。

 そう、マユリはここにたどり着く間に虚夜宮を巡り、自分が興味を持った戦利品(けんきゅうざいりょう)を見つけるついでに黒腔についても調査し、その解析を終え、あまつさえ自らの手で開けるまでになっていたのだ。

 

「さあ、特別サービスだヨ。君には私の黒腔の記念すべき一人目の通行人(ひけんたい)にしてあげようじゃあないか」

「物騒な言葉聞こえたぞ!? それはいいけどよ、まずはあいつを……!」

「いいえ、それには及びません」

 

 卯ノ花が微笑みを零して見つめる、一護が指し示す先―――ヤミーから血飛沫が舞う。

 

「ぐ、おぅ!?」

「ハハハハハ!! さっきよりデカくなってやがるな!!」

「誰だてめえは!!」

「こいつァ斬り応えありそうだァ!!」

「誰だって聞いてんだよ、ゴラァ!!」

 

「け、剣八!?」

 

 どこからともなく現れた剣八が、山の如く聳え立つ巨躯に慄くことなくヤミーに斬りかかっていたのだ。

 ヤミーに比べれば、十分長身である剣八も虫のようなサイズにしか見えない。にも拘わらず、それほどの体格差に遅れをとることなく、剣八は果敢にヤミーに立ち向かう。

 その鬼神の如き戦いぶりに、尸魂界に侵入した頃とは比べ物にならないほど強くなっている一護でも引きつった笑みを浮かべることになった。

 

「そういう訳です」

「お、おう」

 

 剣八であれば大丈夫。そう暗に伝える卯ノ花の言葉に、一護は頷かざるを得なかった。

 そうこうしている内に、今度は別の方向からやって来る人影が一つ。

 

「はっ、ひっ、ふっ!」

「勇音」

「う、卯ノ花たいちょっ……!」

「随分と更木隊長に振り回されたようですね」

「す、すみませんっ! 治療の後、更木隊長を追っていたら……うぇっほっ、げっほ!」

「ご苦労様です、勇音」

 

 恋次と雨竜の治療を終えた後、明後日の方向へ走っていった剣八を追いかけるも、中々追いつけず、結局彼が一護たちの下へ合流した後になって目的地にたどり着けた途端に咳き込む勇音。哀れなり。

 少々謙虚過ぎる部分が玉に瑕だが、十分に信頼を置ける副官がやって来たところで、卯ノ花はマユリへ視線を移す。

 

「では、涅隊長。よろしくお願いします」

「その言い草……君も往くということかネ?」

「はい、私と黒崎さん。そして……」

 

 卯ノ花の視線はルキアたちの方へ。

 その瞬間、ルキアと恋次がハッと顔を上げるや否や、僅かな躊躇いを含んだ面持ちを浮かべた。

 それはこの先―――空座町で繰り広げられているであろう激戦に、自分たちの力が必要なのかという懸念だ。無論、行くか行かないかで訊かれれば行くと答える。

 

 しかし……。

 

「恋次、ルキア」

 

 そんな彼らに声をかけたのは他でもない、白哉であった。

 背中を向けたまま語る白哉に、得も言われぬ厳かさを覚えた二人は、口を噤んだまま彼の言葉に耳を傾ける。

 

「お前達は黒崎一護と共に、空座町へ向かえ。ここにお前達の力は必要ない。だが、お前達の力を必要とする者は空座町に居る」

 

 そこまで告げられ、二人は手を強く握り締めた。

 握り締めた掌に伝わる布の感触が、とある一人の顔を瞼の裏に過らせる。

 

 もう、迷いも躊躇いもなくなっていた。

 

「「……はい! ありがとうございます!!」」

「決まりですね」

 

 決意を固めた二人の様子を満足気に確認した卯ノ花は、この間に淡々と黒腔を開く準備を進めていたマユリ(とは言っても、準備しているのは副官のネムだが)により、すでに開通の準備は整っていると言っても過言ではなかった。

 

 次の瞬間、一護たちの目の前に開く黒い裂け目。

 永遠に続いていると錯覚してしまうような常闇の先―――そこに決戦の地は在る。

 

「それじゃあ、行ってくるぜ」

 

 いの一番に飛び込んだ一護を皮切りに、ルキア、恋次、そして卯ノ花もまた黒腔へ飛び込んでいく。

 そうして彼らの姿が見えなくなった頃、ようやく白哉は振り返り、見えるハズもない彼らの軌跡を目で辿った。

 

「……死神、皆須らく、友と人間とを守り死すべし」

 

 何気なく呟いた言葉。それは霊術院にて学んだ一つの教えだ。

 死神は上官や家族のために戦うのではない。共に戦う友、そして人間を守るために戦うのだと。

 一つの戦争を超え、霊術院を創設するに至った元柳斎が込めた願いである。

 

 それは今も脈々と霊術院に入り死神になっていく者達の心に刻まれ、繋がっているのだ。

 

 

 

「往け。空座町には、お前達の友が……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 決戦の舞台は、

 

 

 

「アルトゥロぉぉぉおおお!!!」

「芥火焰真ぁぁぁあああ!!!」

 

 

 

 空座町へ。

 




*7章 完*

次章は破面篇最終章である8章HEAT THE SOUL(空座決戦篇)が始まる予定ですが、わたくし事で執筆に時間がとれず、余裕をもって書き溜めと投稿ができるのが大分後のことになりますので、それまで気長に待って頂ければと思います。

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