BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*76 絶ち斬れぬ絆

(斬る!)

 

 黒腔を突き進む。斜め後ろに付いてきているルキアと恋次、そして卯ノ花の存在を確かに感じ取る一護。

 背中を押されるような感覚―――心強さとでも言い換えようか。背中を押してくれる者達の存在に、彼の歩みは次第に勇ましく力強いものとなる。

 

(斬る!!)

 

 視線の先にあるのは常闇。だが、一護が見据えているのは黒腔の先に居る藍染だけだ。

 彼の斬魄刀『鏡花水月』の能力は完全催眠。始解を解放する瞬間を見た者の五感を支配し、あらゆる事象を藍染の意のままに誤認させるという恐ろしい能力だ。

 藍染の桁外れの強さも相まって、まさに鬼に金棒というべき能力か。

 

 しかし、一護はまだ完全催眠の支配下には置かれていない。

 護廷十三隊の誰もが鏡花水月に支配されている中、本来護廷十三隊に存在しない死神代行こそ、藍染に対抗する唯一の手段だという訳だ。

 

 その為には、

 

(斬る!!!)

 

 一撃で仕留める。

 織姫より授かった舜盾六花の能力も合わせ、刀身に霊圧を収束させていく一護の目の前が光に溢れていく。

 開けた視界の先に佇むのは藍染。

 幸運か、はたまた必然か。藍染は背中を一護に向ける形で佇んでいる。

 

(いける!!)

 

 人間の最大の死角である背後に出られた―――その最大のチャンスに心を奮い立たせる一護は、ウルキオラとの戦いで身につけた完全虚化状態のまま、霊圧を纏わせた天鎖斬月を振るう。

 本来であれば刀身に喰わせた霊圧が巨大な斬撃となって放たれる技こそが“月牙天衝”。

 しかし、舜盾六花の能力も併せることにより、本来三日月の如き形で放たれる斬撃が、まさしく六花の如き形となって放たれる。

 

六天絶盾(りくてんぜっしゅん)―――月牙六天衝(げつがりくてんしょう)!!!」

 

 真昼の空に夜の帳がかかったのかと錯覚するほどの漆黒が弾ける。

 

(甘い考えだ、黒崎一護)

 

 だが、刃は藍染に届いていない。

 

―――ミジョン・エスクード

 

 藍染は戦いに備え、生物最大の死角である首の後ろにとある仕掛けを施していた。

 100万層からなる盾を作り出し、背後からの攻撃を防ぐ技だ。たとえ、幾ら藍染の不意を突いて背後から攻撃を仕掛けようともこの技は発動し、自動的に藍染を守る役割を果たす。

 用意周到な藍染が仕掛けた、最大のチャンスを得たと希望を得た相手を絶望の淵に叩き落す罠だ。

 

「おおおおおっ!!!」

「っ!」

 

 だがしかし、悠長に構えていた藍染を守っていた盾に罅が入り、罅から漏れだした霊圧が藍染に降り注ぐ。

刹那、完全に盾は瓦解して盾の意味を為さなくなり、一護の月牙六天衝が藍染に届くことを許す結果をもたらした。

 

 一護の雄叫びに呼応して勢いを増す黒い霊圧に呑まれる藍染。

 弾かれた霊圧はすでに廃墟と化していた偽物の町の瓦礫を崩していく。

 それほどの攻撃を至近距離から受けた藍染はどうなったのか―――一護の登場から固唾を飲んで眺めていた者達の誰もが考える。

 

「驚いたな」

 

 淡々とした感想が紡がれる。

 一護の攻撃から免れた藍染が、肩から腹にかけての刀傷を晒すような装いとなって姿を現した。

 傷口から血が一滴も流れていない藍染の体に不気味さを覚えはするものの、決して浅くはない傷に誰もが感嘆と驚嘆が入り混じった声を漏らす。

 

「やったか!?」

「一護!」

「ルキア! 恋次!」

 

 一拍遅れて黒腔から参上するルキアと恋次に、焰真が声を上げる。

 無事生きて帰ってきた彼の姿にホッと胸を撫で下ろす焰真であったが、すぐさま意識は藍染へと戻す。

 

 すると、藍染は傷を負ったにも拘らず不敵な笑みを浮かべ、天鎖斬月を構え直す一護に体を向けた。

 

「……想定外だ」

「何がだ? 俺が来た事か、それとも向こうの奴らがやられた事か?」

「どちらも違う。私が講じた手を破って傷を与えた事さ」

「……随分甘く見られたもんだぜ」

「いいや、私は君が想定以上の成長を果たしてこの場にやって来た事をこの上なく喜ばしく思っている」

「なんだと?」

 

 意味深な藍染の言い回しに、一護の眉間により深い皺が刻まれる。

 一方で藍染は、肩から腹に至るまで刻まれた傷口を指でなぞり、残っていた一護の霊圧の感触を確かめていた。

 

「……どうやら、ウルキオラとの戦いで私の想定以上の成長を遂げたようだな」

「!? どうしててめえが俺とウルキオラが戦ってた事を……!」

 

 藍染が自分とウルキオラの戦いの事実を把握していたような口振りに驚く一護。

 確かに自分はウルキオラと戦ったが、それはあくまで直接その現場を見ていた者にしか分からない筈。

 だが、自分とウルキオラが戦うより前に藍染は現世に出立していた事は、『天挺空羅』で藍染自身が知らせた事だ。

 

 どうやって知ったのか―――不気味な事実に一護の頬に汗が伝う。

 

「『どうして』だと? 単純な話さ。それは、君のこれまでの戦いは私の掌の上―――」

 

 一護の疑問に対し、種明かしをするマジシャンのように薄ら寒い喜色を顔に滲ませて続けていた藍染であったが、背後から斬りかかって来た京楽によって会話が中断されてしまう。

 

「酷いな、話の途中だぞ。京楽隊長」

「相手が男だとどうも聞き上手になれなくてね。聞いてるだけじゃヒマなのよ」

「京楽さん……!」

 

 疑問に対する答えを知る機会を失った一護であるが、今は気にするべき事柄でないと、雑念を振り落とすように頭を振る。

 如何に強敵である藍染とは言え、たった一撃―――されど一撃を加えた事は大きい。

 京楽も、藍染に傷を与えた事実がどれだけ大きいものか理解しているからこそ、会話を中断してでも不意を突いて攻撃を仕掛けたのだろう。

 そんな彼に続いて、続々と死神が藍染の居る上空へと次々に集まってくる。

 

「よ~う、一護」

「平子!」

「なんや、随分趣味悪い見た目しとるやんけ。いつの間に髪も長く伸ばしとるし……その見た目許されんのはもうちょい前の時代だけやで」

「はぁ!?」

「ま、そんだけ虚化をものにできたっちゅーことや……頼りにしてるで」

「!」

 

 虚化の制御をものにする足がかりを掴めるきっかけをくれた平子に、背中をポンと叩かれる。

 彼を皮切りに他の仮面の軍勢も『はよ攻めんかハゲ!』や『ベリたんの仮面イカす~♪』などの激励とも言えぬ声を一護に送りつつ、藍染の下へ攻め込んでいった。

 

「皆……」

「共に征くぞ、黒崎一護。貴公は儂らが守る!」

「狛村さん……」

「いつまでも呆けているな。奴の隙を衝けるのは一瞬だ。その有様では機を逃すぞ」

「砕蜂……」

「誰が藍染を斬るかなんて大した問題じゃねえ。だが、俺達が力を合わせなきゃ藍染を斬れねえのは……悔しいが事実だ」

「冬獅郎……」

「まあ、要するにだ。お前一人で背負い込む戦いじゃねえってこった。皆で藍染を倒す! 単純な話だろ?」

「海燕……」

 

 護廷十三隊の死神も藍染の下へ駆けていく。

 隊長羽織を靡かせる隊長と、彼らに付いていく副官章を身につけた副隊長。彼らにとって、世界を護る事は聞こえの良い大義に過ぎない。

 もっと身近なものを護る為に戦い、守り、結果としてそれが世界を護る事に繋がるのだ。

 それは命であり、誇りであり、使命であり―――だが、総じて向かうべき切っ先は藍染へと向けられている。

 

「一護」

「焰真!」

 

 続々と死神が藍染へ向かう中、最後に一護の下にやって来たのは焰真であった。

 休む間もない連戦による疲弊の色が覗いている。無理をしているのは明らかだが、只ならぬ気迫を見せる彼に『休め』など言える筈もなく、言ったところで止まる筈もない事も理解していた。

 

「っ……」

 

 ジッと一護を見つめ、投げかける言葉を逡巡した焰真だが、中々まとまらないのかまごつく。

 しかし、そんな彼の尻を引っぱたく者が二名。

 『痛ぇ!』と悲鳴を上げた焰真が抗議の眼差しを浮かべて振り返れば、フッと笑みを浮かべているルキアと恋次が佇んでいた。

 まるで焰真をからかうような笑みだが、次の瞬間には戦いに臨む戦士としての凛とした表情となり、再会した共に叱咤激励の言葉を送る。

 

「今更気の利いた言葉など要らんだろうに。共に征くぞ」

「ああ、藍染の野郎を俺達でぶっ倒すんだ!」

「ルキア、恋次……おうっ! 征くぞ、一護!!」

「―――言われなくてもそうするつもりだぜっ!」

 

 咄嗟に構え、戦うべき相手に目を向ける。

 その時、目を疑う光景が広がっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――なんやねん、それは!?」

 

 荒い声を上げて斬魄刀を振るう平子。彼の他にも、数多くの死神が藍染に斬りかかっては反撃を喰らい、傷を負うか戦闘続行が不可能となって墜落するかのどちらかかの運命を辿っていた。

 余りにも理不尽な強さは元より覚悟している。

 しかし、平子が信じ難いと言わんばかりに目を見開く光景は、藍染の一騎当千の如き強さではない。

 

「これの事か? ならば、仮面の軍勢(きみたち)は一度世話になっている筈なんだがね」

「っ……まさか!」

「そう……―――崩玉だよ」

 

 平子と切り結んだ藍染が、すれ違いざまに彼の肩を斬りつけ、一護の攻撃で破れてはだけた部位を見せつける。

 ちょうど心臓がある辺りの胸の中央。

 そこには深い深い青色に輝く球状の物体が埋め込まれていた。ジッと見つめればどこまでも吸い込まれそうな程の色合いだ。どこか人間を引き込むかのような魔性の輝きを見せる物体―――“崩玉”を胸に埋め込んだ藍染に刻まれていた傷が、みるみるうちに塞がれてしまっていく。

 

 一護による渾身の一撃も、まるで意味がなかったかのように塞がれていく光景には、戦っている者達の戦意を奪っていくものがある。

 

「超速再生か……!?」

「超速再生だと? 私が君達のような虚化をすると思うか。これは主に対する防衛本能だ」

「主やと? 何抜かしとんねん!」

「解る筈もない、実際に崩玉に手を触れた事のない君達ではね」

「っ……舐め腐りおって!!」

 

 終始平子たちを見下しているかのような物言いに、平子も口だけは怒りを露わにする。一方内心では、藍染に崩玉による回復手段がある事について焦燥を抱いていた。

 ただでさえ一撃加えることも難しい藍染。その上、致命傷足り得ぬ傷では再生してしまうのだから、それこそ全身全霊の一撃を藍染に叩きこんで彼を戦闘不能に陥れるしかない。

 

(その為にや! 一護……鏡花水月にかかっとらんお前の力が必要なんや)

 

 未だ始解を披露していない平子は、仲間と共に藍染に立ち向かいながら待つ。

 彼が鏡花水月を解放するその瞬間まで―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あんなもん、どうやって戦えばいいんだ……!?」

「おのれ、藍染め……!」

 

 藍染が崩玉と融合した事実に慄く恋次とルキア。

 崩玉が実際にどのようなものか把握していない彼らでさえ、先ほどの再生を見ただけで如何に崩玉が恐ろしい代物であるかは十分に理解できた。

 故に、如何に藍染惣右介という名の化け物に立ち向かうべきかと思案する。

 

「「なあ……あっ」」

 

 突如、声がハモった一護と焰真。

 数秒、互いに遠慮し合う目線でのやり取りをするも、先に折れて口を開いたのは焰真であった。

 

「……何か方法があるんだな?」

「ああ。賭けみてえなモンだが……」

「賭けでもなんでも、何もないよりはマシだ」

「そういうお前もなんかあるのか?」

「……ああ」

 

 互いに崩玉と融合した藍染に対抗する為の策を口にする。

 そうして互いに講じた策を理解した所で、彼らの今後の動きが決定した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「天狗丸!」

「金沙羅!」

 

 ラヴとローズが始解した斬魄刀で藍染に各々の攻撃を繰り出す。

 生き物の如く自由自在に動いて藍染に向かう金沙羅だが、他愛もないと言わんばかりに見切られて掴まれれば、逆方向から天狗丸を振り被って迫るラヴに絡められる。

 

 味方さえ脱出が困難な金沙羅に絡め取られる形となったラヴは、無防備な胴体に一文字を喰らい、噴水のように血を舞わせた後、金沙羅の拘束が解けて地面へ墜落していく。

 

 一方で今一度金沙羅での攻撃を仕掛けるローズであったが、今度は掴まれた挙句引っ張られて体を引き寄せられた後、すれ違いざまに肩口に深く鋭い一閃を喰らい、これまた戦闘不能な傷を負って墜落してしまう。

 

 戦えば戦う程に分かる出鱈目な強さ。

 

 真正面から立ち向かえば、圧倒的な力を前に斬り伏せられる。

 隙を突いたと攻め込めば、逆にこちらが傷を負っている。

 背後に回り込んだと思えば、いつの間にか自分の方が背後に回り込まれている。

 

 現実を理解する時間さえ与えられず、ただただ藍染に立ち向かう者達の流れる血が増えていく。

 常人であれば攻め込むことさえ億劫になるような光景だが、責任感を刃に纏わせる隊長達に立ち向かわないという選択肢はない。

 

「おおお! 飛梅!!」

 

 雛森もまた、副隊長としての責務を果たす為、かつて慕っていた男へ刃を振るう。

 だが、そんな雛森の血涙が出てしまいそうな心境を踏みにじるように、藍染は彼女が放った火球を腕の一振りで掻き消した後、彼女の目の前に現れる。

 即座に飛梅を構えた雛森であったが、七支刀を思わせる刀身を藍染に掴まれ、刃を振るうことはできなくなった。

 

「くっ!」

「病み上がりで無茶するものじゃあないよ、雛森副隊長」

「っ……!」

 

 かつてを彷彿とさせる穏やかな声音に、胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 だが、血が出る程に唇を噛み締めた彼女は、現実をしっかりと目に捉えんと面を上げる。

 

「あたしは! 五番隊副隊長です! 五番隊の一人として、道を外れた貴方を倒す責務がある!」

「本当に君にできるのかい? 憎しみ無き戦意は翼無き鷲だ。責任感だけで刃を振るった処で、永遠に刃が私に届く事はない」

「確かにあたしは貴方を憎み切れない! でも! だからです! 五番隊隊長・藍染惣右介の事が好きだった一人として、貴方を止めたいっていう純粋な想いはあります!!」

 

 刀身から爆ぜる爆炎が藍染を包み込む。

 次の瞬間には彼の姿は雛森の背後にあったが、すかさず雛森は反応して振り返った。涙を浮かべながら、恩師を止めようとする彼女は実に健気であった。

 

「ほう……成程。君は未だ私に親愛の情を抱いていると」

「はい……」

「ならば言わせてもらおう。君が愛していたのは、あくまで五番隊隊長として仮面を被っていた私だという事を」

「えっ……?」

「いや、そもそも愛するという行いそのものが、相手の醜い部分に目を背け、都合の良い部分だけを見つめる行為なのかもしれない」

「そ、そんなことっ!」

 

 藍染の言葉に顔を青ざめる雛森が必死に反論しようとするも、畳みかけるように冷淡な口調で藍染は続ける。

 

「つまりだ、雛森副隊長。君の記憶にある私との美しい思い出は全て、君にとって都合の良かった藍染惣右介との思い出に過ぎない。そして今私に抱いている親愛の情も、所詮偽りに―――」

「聞くな、雛森っ!!!」

「っ……シロちゃん!」

 

 氷の龍を藍染目掛けて放つ日番谷が、雛森の眼前に舞い降りる。

 激しい戦いが理由ではない息の荒さを見せる雛森は、日番谷の事を隊長と呼ぶ事も忘れる程に心が乱れていた。

 そんな雛森へ、日番谷はあえて冷徹に振舞う。

 

「戦いの最中に敵との戯言は止めろ!! 奴と真面に話した所で無駄だ!!」

「シロちゃん……」

「気が立っているな、日番谷隊長。それほど私を雛森副隊長に近づけさせたくないか」

「黙れ、藍染。てめえの戯言に貸す耳なんてねえ」

「随分と余裕のない事だ。隊長たるもの、部下に気を遣わせないよう常に余裕ある佇まいはすべきだよ」

 

 まるで教鞭をとる教師のように語る。それがまた日番谷の神経を逆撫でるが今更の事だ。

 藍染の言葉は全て挑発。そう割り切って、彼の話はほとんど聞いていないのが今の日番谷である。

 敵の言葉に耳を傾けて隙を見せるのは愚行。日番谷は藍染に肉迫し、流麗な太刀筋の斬撃を次々に繰り出す。

 

 しかし、藍染は斬魄刀を構える様子もなく、日番谷の斬撃に対し身を反らすだけで回避していく。

 敵前にて武器を構えない。それがどれだけ不用心な事か。

 日番谷は氷輪丸に霊力を込め、凍てつかんばかりの冷気を刀身から放つ。

 

「てめえのそれは『余裕』じゃねえ……『舐めてる』って言うんだ!!」

 

 氷の龍が刀身から飛翔し、至近距離の藍染目掛けて襲い掛かる。

 だが、

 

「何も変わらないさ」

 

 たった一振り。手だけで氷の龍を掻き消す藍染が、今度は日番谷に手を翳す。

 

「破道の六十三『雷吼炮』」

「っ……チィ!?」

 

 回避を試みようとした日番谷であったが、藍染の放つ雷吼炮の射線には雛森が居る。

 避ければ彼女に当たる―――そう確信した日番谷は、背中の氷の翼を己の前面に繰り出して、放たれようとしている鬼道に備えた。

 

 刹那、雷鳴の如き轟音が響きわたる。

 

「がぁっ……!!?」

「あっ……!!」

 

 結果、身を呈して盾となった日番谷諸共、雛森も雷吼炮を受け、耐え切れず地面に墜落していく。

 

「―――隊士須らく護廷の為に死すべし。護廷に害すれば自ら死すべし」

 

 落ちる二人を見下ろす藍染が紡ぐのは、護廷十三隊に努める死神としての気構えとして教えられる言葉。

 そう、死神であれば誰でも知っている。

 

「死神ですらない君に余裕を抱くなという方が無理な話さ」

 

 敵ではなく、情を抱く味方の為に散った日番谷に向けて言い放った―――護廷ではなく、雛森の為に斃れた彼へ。

 

 真の死神足るにはまだ精神が幼いとの評価を日番谷に下した藍染は、他の死神たちに目を向ける。

 しかし、藍染の視界の端に一つの巨大な門がそびえ立つ。

 何事かと辺りを見渡せば、最初に構えた門以外に三つの門が次々に藍染を中心に出現し、それらから発生する結界によって藍染は閉じ込められてしまう。

 

「これは……」

「四獣塞門!!」

 

 繰り出したのは仮面の軍勢の一人であり、元鬼道衆副鬼道長であったハッチだ。

 元より結界術が得意な彼が仮面の軍勢となってから創り出した鬼道である『四獣塞門』は、並大抵の攻撃では破壊できぬ程の頑強さを兼ね備えている。

 

「面白い。一体何をするつもりなんだい?」

「……確かにアナタは強い。ワタシのように緩慢な動きをする者デハ、アナタを捉えきる事はできないでショウ。デスが―――」

 

 

 

「卍解」

 

 

 

 刹那、結界の外で稲妻が落ちる。

 青天の霹靂の如き稲妻が落ちた先に佇むのは、巨大な金色の針のような形状の物体を右腕に携える砕蜂だ。

 門の一つが開き、そこから針に付属する照準器で藍染に狙いを定める彼女は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「―――『雀蜂雷公鞭(じゃくほうらいこうべん)』!!」

「こうして鎖された空間で大爆発が起こったならばどうでショウ?」

「爆ぜろ!! 藍染!!」

 

 藍染に向けられる針の先端とは逆側から火を噴き出し、砕蜂の腕から発射される針―――否、弾頭は結界内に居る藍染目掛けて一直線に飛ぶ。

 砕蜂が雀蜂雷公鞭を放った直後、四獣塞門の出入り口である門全てを堅く鎖したハッチにより、すでに藍染は脱出不可能な状態に陥れられる。

 

 逃げ場もなく、結界の中央で佇む藍染に雀蜂雷公鞭は着弾、大爆発を起こした。

 これこそ、“弐撃決殺”の始解に対する、卍解の“一撃必殺”の如き大火力である。藍染を閉じ込めて逃げられなくすると同時に、爆風で味方を巻き添えにしないようにとの配慮もある四獣塞門にさえ罅を入れる程の爆発は、まさに圧巻の一言。

 これだけの一撃を放つ砕蜂への負担へも凄まじいようであり、攻撃を終えた砕蜂は顔から滝の様な汗を流しつつ肩で息をしていた。

 

「ハッ……ハッ……やったか?」

「―――良い攻撃だったよ、砕蜂隊長」

「!? ……な……!!」

 

 砕け散る結界の中に立ち込めていた爆炎が晴れ、中より何事もなかったかのように平然とした顔の藍染が歩み出てくる。

 いや、体中に刻まれた罅が雀蜂雷公鞭によるダメージを表していたのだが、すぐに崩玉による再生にてなかったも同然の状態へ藍染が回復していく。

 

「崩玉を従えた私でなければ、手傷ぐらいは負わせられただろうに」

「……化け物め!!」

「負け惜しみにしか聞こえないな」

 

 砕蜂の全身全霊の一撃さえも今の藍染にとっては致命傷どころか傷一つにならない。

 これに悪態を吐かずしてどうするか。ギリギリと歯軋りを立てる砕蜂は理不尽に憤りつつも、僅かばかりの余力を総動員させ、藍染に立ち向かおうと身構える。

 しかし、身構えた瞬間にはすでに藍染は目の前に居た。

 

「なっ……!」

「どうした? 君が斬り易いように近づいてあげたのだが……」

「―――!!」

 

 思考が巡るよりも反射で動いた。

 最早卍解する余力もない砕蜂は、一縷の望みにかけて始解『雀蜂』で藍染に攻撃を仕掛ける。

 二撃与えられれば倒せる―――そう信じる彼女であったが、現実は無情だ。

 常人には捉えられぬ砕蜂の突きも藍染には容易く躱されてしまった挙句、気が付けば背中に一太刀入れられ、砕蜂の背中から血飛沫が翼のように舞う。

 だが、飛び立てそうな見た目に反して、勿論彼女は力なく地面に墜落する。

 

 次に藍染が狙いを定めたのはハッチだ。

 彼の翳す手には、スパークが奔る霊圧が収束していく。

 

「破道の八十八『飛竜撃賊震天雷炮』」

「っ……縛道の八十一『断空』!!」

 

 藍染の解き放つ極太の霊圧の光線がハッチ目掛けて放たれる一方、ハッチは八十九番以下の鬼道を防ぐ盾を繰り出す。

 飛竜撃賊震天雷炮の番号は八十八。断空の防げる番号に該当している。

 しかし、断空を繰り出したハッチの考えとは裏腹に、受け止めている断空にはみるみるうちに罅が入っていく。

 

「ソンナ……!」

「死神の戦いとは霊圧の戦い。君如きの鬼道で防げる私の鬼道ではない」

「グッ―――!」

 

 崩壊は一瞬だった。

 断空が藍染の鬼道を抑えきれずに崩れた瞬間、それまで阻まれていた霊圧がハッチの体へ雪崩れ込むように襲い掛かり、彼の恰幅のいい体を呑み込んで偽物の町の地面を穿つ。

 

 一人、また一人と倒れていく。

 最初は一護達と共に来た卯ノ花が、狛村と檜佐木に倒された東仙を軽く治療していただけであったが、今は到底彼女一人では間に合わぬ程の怪我人が続出している。

 だが、これほどの人数が傷を負っているにも拘らず顔色一つ乱さない卯ノ花には、流石と言うべきなのだろう。もしくは、倒れても死なないだろうという仲間への信頼があるのかもしれない。

 

 そんな卯ノ花の冷静かつ迅速な治療が行われているものの、負傷した者達がすぐさま前線に戻れる訳ではなく、死神側の戦力は着実に減ってきている。

 しかし、切り札はまだあった。

 

「ふっ!」

 

 藍染の背後から斬りかかる焰真。

 ノールックで回避した藍染であったが、次々に斬りかかる彼に対し、最終的には回避ではなく斬魄刀での防御に移る。

 

「芥火副隊長」

「藍染……」

「喜ばしい事だ。最初は取るにも足らない有象無象だった君が、まさかここまで成長するとは」

「浄めろ、星煉剣!!」

 

 鍔迫り合いになっていた二人であったが、焰真が刀身から浄化の炎を放った事により、藍染は堪らず距離を取るように躱す。流石に、浄化し切られれば地獄に堕とされるような炎を受ける程に不用心でも慢心もしない藍染だが、不敵な笑みは崩さないままだ。

 

「死神でありながら滅却師でもあり、それでいて完現術も備える……君もまた、私の目に敵う能力の持ち主だ」

「俺は! そんなこと! 知らねえ!」

 

 悠長に語る藍染に対し、鋭い一閃を繰り出す焰真。

 この決戦だけで、クールホーン、アパッチ、ミラ・ローズ、スンスン、スターク、リリネット、ワンダーワイス、ハリベル、アルトゥロと浄化してきた彼は、最早戦闘開始時を遥かに上回る霊力の持ち主となった。

 加えて、“絆の聖別”による魂の収集を行えば更なる自分自身の強化を図る事ができる。

 最早、一死神としては規格外の強さを備えた焰真であるが、それでもまだ藍染には一歩及ばない。

 

 だが、その事実に悲観も諦観もせず、焰真は魂のままに刃を振るう。

 自分が何者であるかなど関係ない。人間であろうと、死神であろうと、滅却師であろうと、

 

「俺は俺だ……芥火焰真だ!! だからあんたと戦う!! あんたを止める!! それだけだっ!!」

「愚直なまでに真っすぐだ。それが君の良い所でもあり、悪い所でもある。何度かそう教えただろう。太刀筋が直線的過ぎる」

「ああ、そうだ!」

 

 刃を交えた焰真が距離を取り、噛み締めるような面持ちで藍染を見つめる。

 

「だけどあんたは……そんな太刀筋に俺の心根が現れてるって褒めてくれた。俺はそれが嬉しいようで、恥ずかしいようで、こそばゆかった」

「思い出語りかい? それも所詮は偽りの私との思い出に過ぎない」

「ああ、そうだ。幾ら俺が真剣にあんたと接してた所で、昔のあんたはそうじゃなかったんだろうな」

 

 『でも』と焰真は星煉剣を強く握る。

 

「幾らあんたが俺に投げかけていた言葉が嘘に塗り固められてたとしても、俺があんたに感じていた想いは嘘偽りない本物だった。過去はもう過ぎたものだ。どれだけあの時のあんたに腹立たしさを覚えたとしても、それを否定なんかできやしない」

「ならば、どうすると言うんだい?」

「あんたを止める!」

 

 煌々と炎が焰真の周囲で揺らめく。

 

「俺はいつかあんたと肩を並べたいって思ってた……だけど、今はどうやったって叶わない。だから止める! あんたの道の先に回り込むなりなんなりしてな!」

「―――不可能だ」

 

 自身への憧れを説いた焰真に対し、藍染は冷然と告げる。

 矢張り藍染の面には、あの頃の温かみなどは垣間見えない。それがまた、焰真の表情を悲しそうに歪めさせる理由となった。

 

「超越者としての進化を始めている私に、君がどれだけ力をつけた所で私に並ぶ事も、追い越す事も出来はしない」

「超越者……だと?」

「そうだ。死神をも虚をも超越した存在。在るべき世界を語る全知全能の存在だ」

「人はそんなものになれはしない! 人は……どこまでいったって人だ! 俺も! あんたも! だから救い合える! 死神も! 虚も!」

「君はまだその次元に居るから解らないだけさ。君もいずれ―――」

 

 そこまで紡ぎ、徐に藍染は口を結んだ。

 何を語ろうとしたのか? その真相は明らかになる事もなく、疑問のまま焰真の胸に抱かれる事となる。

 

―――どこか孤独に寂しさを覚えた顔が見えたのは、焰真の気のせいだっただろうか?

 

 そんな焰真に対し、やおら藍染は鏡花水月を構えた。

 

「いけないな。君と話すとなるとどうも饒舌になってしまう」

「っ……」

「そう肩に力を入れる事もない。私も、元上官として部下だった者の成長を肌身で感じるのは愉しいものだ」

「そうかよ……」

 

 

 

「なら、受けてみやがれ! 卍解―――『双王蛇尾丸』!!」

 

 

 

 真の卍解の姿を現した恋次が、藍染に飛び掛かる。

 より勇ましく猛々しい外見となった蛇尾丸を駆る恋次は、狒々王の腕を藍染へ振るう。

 

「狒々王!」

「君に特段期待はしていないのだがな……阿散井副隊長」

 

 迫る恋次を狒々王の腕ごと斬り落とそうとする藍染。

 しかし、いざ刃と腕が交わろうとした瞬間、狒々王の掌にできていた影から人影が飛び出し、藍染の手首から肩にかけて斬りつける。

 

「―――影が出来てるよ」

「京楽……」

 

 藍染を斬りつけたのは“影鬼”で影に潜んでいた京楽であった。

 彼の攻撃により僅かばかり攻撃が緩んだ藍染の腕を斬魄刀ごと、狒々王ががっちりと手で掴む。

 

「この程度で私が封じ込めたつもりか?」

「端から俺一人でてめえを封じ込めるつもりはねえよ!! ルキアぁ!!」

「応! 卍解―――『白霞罸』」

「!」

 

 刹那、ルキアから解放された怒涛の冷気が恋次ごと藍染を凍らせる。

 本来であれば体の芯から凍てつく程の冷気を放つ白霞罸だが、流石に味方への手加減もあるのか、冷気は彼らの表面を氷結させるに留まった。

 だが、それでも藍染と恋次を固く繋ぎ止めるには十分。

 

 機は熟した。

 

 焰真達の視界の端では、漆黒が景色を染め上げていた。

 天鎖斬月を構える一護。彼は強い瞳を浮かべ、ルキアと恋次が全力で作った隙を衝くべく、刀身に霊圧を纏わせながら突進してくる。

 極大の霊圧。それを喰らえば藍染でさえ一たまりもないかもしれない。

 

「だが……真っすぐに私に向かってくるのは余りにも愚劣だ」

「! 一護!!」

 

 藍染の様子にルキアが叫ぶ。

 その間、一護は藍染の目の前まで迫っている。最早、後は天鎖斬月を振るって攻撃を繰り出すのみ。

 しかし、一護の視界には確かに鏡花水月が入っていた。

 

(君達の希望も……ここで潰える)

 

 鏡花水月の催眠にかける条件。それは始解の瞬間を相手に見せる事。

 それさえできれば、後でいくらでも五感を支配する事は叶う。

 

「―――『鏡花水月』」

『!!』

 

 誰もが固唾を飲み、結末を見守る。

 刃を振るった一護。藍染は凍り付いて狒々王の腕と一体化した腕を犠牲に、一護の攻撃から逃れた後、一護の背後に回り込む。腕はすぐに再生を始め、一護の全身全霊の一撃も無かったかのように消え始めている。

 それから一護は微動だにせず、その場に留まるだけだ。

 

―――間に合わなかったか。

 

 誰もがそう考える挙動をしていた一護であった―――が、次の瞬間、一護は先ほど以上の極大の霊圧を刀身に纏わせたまま、振り返るや否や藍染目掛けて漆黒の斬撃を放つ。

 

「なっ……!」

 

 不意を衝く一撃。これには藍染も驚いたのか、目を見開いた彼が振り返れば、一護の他に奇妙な形状の刀を回す平子の姿が見えた。

 

 

 

「倒れろ―――『逆撫(さかなで)』」

 

 

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべる平子。

 彼の斬魄刀『逆撫』の能力は、刀身から放った匂いを嗅いだ相手の上下左右と前後を反転させるというもの。

 

(甘々やで、藍染。俺は最初からこれを狙っとったんや)

 

 平子の狙い、それはズバリ自身の斬魄刀の能力を用い、一護が鏡花水月の始解を見ないようにする事だ。

 逆撫の能力にかかった者同士が向かい合ったとしよう。その者達は共に前後が反転している。

 その時、互いが向かい合っていると知覚していたならば、実際は互いに背を向けている状態に当たるだろう。真っすぐ先を見て背を向かい合っている者が、果たして敵の持つ刀など見る事が出来るだろうか? いや、出来ない。

 

 そうして始解の瞬間を免れれば、後は単純。

 始解を解けば視界は元通り。無事、鏡花水月発動のタイミングを見ずに済んだ一護が反撃に出るのみだ。

 

「一護!!」

「一護ォ!!」

「黒崎!!」

「やれェ!!」

 

 

 

 激励を背中に受け、一護の放つ月牙天衝が藍染に食い込む。

 

 

 

「莫迦な……!?」

 

 

 

 仲間の絆を繋いだ一撃は、

 

 

 

「おおおおおおっ!!!」

 

 

 

 藍染を―――両断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「砕けろ―――『鏡花水月(きょうかすいげつ)』」

 

 

 

 ***

 

 

 

 世界が砕ける。

 幸福に酔い、歓喜に痴れ、涙に溺れる偽りの世界が。

 

「なっ……!?」

 

 気が付いた時、平子の視界からは藍染の姿も彼を両断した一護の姿も消えてなくなっていた。代わりにどこからともなく現れた瓦礫が重力に従って墜落する。

 居るのは傷ついた死神達の姿のみ。彼らも平子同様、突然の事態に困惑しているようだった。

 

「―――成程、反転の能力か」

「!?」

 

 背後から聞こえる声に、平子は反射的にその場から飛び退いた。

 彼の背後に居たのは、五体満足の藍染。無論、一護の月牙天衝で上半身と下半身が泣き別れになっている事もない。

 

「んな、アホな……!」

「何がだい?」

「いつから……いつから鏡花水月遣っとったんや!!」

「『いつから』? 可笑しな事を言うね。ならば、こちらから訊こう……―――一体いつから鏡花水月を遣っていないと錯覚していた」

「っ……!!?」

 

 甘い甘い勝利の味。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 いつ使ったかも知覚できない鏡花水月の完全催眠に支配され、平子達は藍染が思うまま踊らされていた。

 まるで道化師だ。先ほどまで勝利に浮かれた自分を殴りたい衝動に、平子のみならず他の者達も駆られ、一斉に藍染目掛けて斬りかかっていく。

 

 平子、京楽、ルキア、恋次、そして焰真が。

 

「破道の九十九『五龍転滅(ごりゅうてんめつ)』」

 

 だが、藍染が鬼道にて繰り出す五体の龍が、斬りかかってくる者達を鋭い顎で噛み付き、霊圧を炸裂させる。

 破道の最上位に位置する鬼道。たとえ、詠唱破棄とは言え藍染程の者が繰り出せばその威力は並大抵の者ではなく、龍に噛み付かれた者達は全員地面に向かって墜落していった―――筈だった。

 

「藍染!!!」

「!」

 

 突如として藍染の背後から現れた焰真が、藍染の事を羽交い絞めにする。

 少しばかり目を見開く藍染は落ちていく焰真の方に目を向けた。すると、五龍転滅を喰らって墜落する焰真がホロホロと光の粒子となって散っては、今藍染を羽交い絞めしている焰真の下へ集まる。

 

「ほう……分身か」

「魂のな。あの破面の能力を真似てみたが……案外うまくいくもんだ」

 

 完現術者の魂を使役するという基本能力と、“絆の聖別”を併用する事によって作った焰真自身の魂から生み出した分身。

 ただの残像や霊覚の錯覚などではなく、実際に焰真自身の魂を分かち作っているのだから、焰真本人と言っても強ち間違いではない。

 

 その分身を用いて藍染の背後を取った焰真であるが、依然として藍染は余裕綽々とした笑みを浮かべている。

 

「面白いな。しかし、今君が捕えている私は本当に私か? 鏡花水月の―――」

「いいや、本物だ」

 

 断言する。

 根拠を問うな藍染の視線は焰真から見えないが、その空気を察した彼は続けた。

 

「“絆の聖別”は魂の受け渡しが出来る。完全催眠下じゃ霊圧の上下じゃ敵味方の判別はつかねえ……だが、自分の霊力の増減だったら分かる」

「……まさか」

「―――()()と一緒に居た時間は無駄じゃなかった」

 

 鏡花水月には、たった一つだけ抜け道のようなものが存在する。

 蝿を龍に見せ、沼地を花畑に見せられる“完全催眠“だが、()()ものを()()とだけさ錯覚させられない。

 故に百年前、藍染はとある男を自分の言動を真似させ、自身に成り済ませるという回りくどい真似をしたのだ。

 つまり、完全催眠下の状態であっても、この場に存在する人物なり建物なりの中に藍染は居る。これだけは確かな事実であった。

 

 そしてもう一つ。

 完現術の魂の使役という基本能力の、ある意味究極体とも言えるのが“絆の聖別”だ。

 他者の魂を己へ、己の魂を他者へ。

 そうした魂の受け渡しこそが、“絆の聖別”の真骨頂である。

 しかし、本来焰真が譲渡して培わせた以上の魂の回収となると、そこには他ならぬ“絆”の存在が重要となってくる。

 相対している敵との間に“絆”はない。目的を共にするなり、利害が一致するなりの繋がりがあって、初めて“絆の聖別”は他者から焰真が譲渡した以上の魂を収集する事が出来る。

 

 藍染は―――悲しい事に、今は―――敵だ。

 霊圧は錯覚させられようが、魂を間違う事はない。

 

 “絆の聖別”を用い、密かに藍染の居場所を探っていた焰真。つまり、この藍染を羽交い絞めして拘束している状態こそが、焰真が虎視眈々と狙っていた状況だ。

 

 仲間が藍染に斃されようと、確かに藍染をこの腕の中に抱き留める。

 だが、藍染はそれを振り払おうと体に力を込めた。満身創痍の相手など、幾らでも引きはがせる、と。

 

「させない」

 

 焰真の顔にふと笑みが浮かび、今度は悲痛な面持ちに変わった。

 そして絶叫する。

 

「皆あああああ!!! 俺に!!! 俺に(ちから)を貸してくれえええええ!!!」

「なに……!?」

「俺に……この人を止める力をおおおおお!!!」

 

 刹那、光の柱が幾条の天に昇り、次の瞬間にはそれらが重なった煌々とした光が焰真に降り注ぐ。

 直後から、焰真の藍染を拘束する力は加速度的に強まっていく。

 ここに来て初めて焦りを覚えた藍染が全力を込めるも、焰真は絶対に引き下がらなかった。

 

 “絆の聖別”―――対象は、この場に集う数多の死神達。

 藍染に斬り倒され、最早立ち上がる事さえ叶わない死神達が、焰真の藍染を止めたいという想いに呼応して“魂”を分け与えてくれたのだ。

 それは、一人一人では決して藍染に敵わぬ程に隔絶した力を持つ藍染を止めるまでに膨れ上がる。

 

「莫迦な……っ!!」

 

―――膂力が完全に自分を上回っている。

 

 一時ではあるが藍染の力を上回った焰真に対し、藍染は知る限りの脱出する為の体術を行うも、焰真は離れない。絶対に、絶対に―――。

 そして、叫ぶ。あらん限りの声で。

 

「一護おおおおお!!!!!」

「っ!!」

 

 黒き牙が天を衝く。

 

「月牙……」

 

 本物の一護が、天鎖斬月に極限まで霊圧を収束させて構える。

 刹那、彼の姿が掻き消えたかと思えば、すでに一護は藍染の目の前で天鎖斬月を振りかぶっていた。

 こめかみに留められているヘアピンから六条の光が刀身に集う。

 すると、本来直線にしかなり得ない斬撃が六花の如き形に分かれる。

 

 織姫の想いの形。

 それが今まさに藍染へ、

 

「六天衝ォォォオオオ!!!!!」

 

 解き放たれた。

 

「ぐっ……!!!」

「おおおおおお!!!」

 

 只ならぬ気迫を放ちながら振り落とされた斬撃が命中したのは、他ならぬ藍染の胸元―――崩玉であった。

 

―――まさか、崩玉を絶ち斬るつもりなのか?

 

「無駄だ……崩玉を……っ!!」

「無駄かどうかなんざ……!!」

「破壊する事など……っ!!?」

「やってみなくちゃ分からねええええええっ!!!!!」

 

 漆黒の花弁の中央に据えられる位置取りとなる崩玉。

 一つの崩玉の作成者である浦原でさえ、崩玉を破壊する事は不可能だと断じ、ルキアの魂魄の中へ封印するといった手段をとった。

 藍染の創った崩玉もまたそうであり、片方をもう片方に喰わせる事で誕生した完全な崩玉もまた、破壊など不可能―――そう信じて疑わなかった藍染であったが、目の前の光景に目を疑う。

 

 そして理解した。理解してしまった。

 

「“事象の拒絶”……井上織姫かっ!!!!!」

「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

―――神の領域を侵す能力であれば、もしや。

 

 

 

 解は出た。

 崩玉が回帰を始める。藍染と融合する前、一つの崩玉となる前、そして存在する前へと。

一護の舜盾六花の“事象の拒絶”を交えた月牙天衝―――それこそ、六天絶盾・月牙六天衝。

 

 全てを絶ち斬る一閃だ。

 

 この“事象の拒絶”の能力で崩玉を存在前まで戻そうとする考えは、他ならぬ織姫が提案してくれた事だった。

 何も出来ない自分が唯一出来る事だと―――しかし、その場面が訪れなかった今、実行出来るのは能力を受け取った一護だけだと。

 

「井上が……俺に託してくれた!!」

「っ!」

「井上だけじゃねえ!! 皆が……皆が俺を信じて託してくれたんだ!!」

 

 崩玉が悲鳴を上げるように青い光を放って明滅する。

 

「それを!! 藍染!! 皆の想いが宿ってる俺の剣を!! てめえ一人が止められるもんじゃねえんだ!!」

「戯言を……!!」

「皆の想いに応えんだ!! その為にてめえを……崩玉を絶ち斬る!!!」

「この程度でええええええっ!!!」

 

 今度は藍染が吼える番であった。

 ここに来て初めて素の感情を露わにする主を前に、崩玉は先ほど以上に明滅し、藍染の力を引き出していく。

 一護を押し返す程の霊圧―――否、それだけではない。気迫や威圧感も含め、全身全霊で一護の想いを打ち破らんとする全てが目の前の斬撃を押し返していく。

 

「ぐっ!? 嘘だろ……っ!!?」

「傲るな、人間!!! 所詮人間の力でどうかなる代物ではないのだッ!!!」

「っ……まだだァ!!!」

「無駄だ!!! 諦めろ、黒崎一護!!!」

「うるせえ!!! てめえになんと言われようが、誰になんと言われようが……俺は諦めねえぞっ!!! うおおおおおおおおおおっ!!!」

「ぐぅっ!?」

 

 今一度、仲間達を想う一護に僅かに力が溢れ出す。

 それがほんの一瞬、藍染を押して見せた。

 

 それを焰真は見逃さない。

 この瞬間しかない、藍染を止めるには。

 自身の中に満ち満ちている皆の魂―――これを全て絶ち斬る為に使えば、

 

「一護、受け取れええええええええええ!!!!!」

「!!!」

 

 焰真から放たれた光の柱が、今度は一護に降り注ぐ。

 その間、藍染を止められるだけの(ちから)を失った焰真は、二人の霊圧の衝突の余波で吹き飛ばされるものの、代わりに一護の体にこれまでにない程の(ちから)が満ちていく。

 

 この戦争に命を懸けた者達の魂を受け取った一護。

 焰真を点に繋がった絆が、今、一護に結ばれた。

 絆が結ばれ、命が煌く。その感触は地に伏せている者達にも伝わる。

 

「行け!! 一護!!」

 

 ルキアにも。

 

「藍染をぶっ倒せェ!!」

 

 恋次にも。

 

「黒崎!」

「黒崎一護!!」

「一護おおおっ!!!」

「ベリたんっ!!」

「負けたら承知せえへんで、ハゲ!」

「一護クン!!」

「黒崎さん!!」

「一護、決めたれェ!!」

 

 最後に、焰真が叫ぶ。

 

「絶ち斬れ!!! 一護おおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 悲しみの連鎖を絶ち斬ってくれと願うように。

 

 

 

 その願いは―――確かに届いた。

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおっ、らぁっっっ!!!!!」

 

 天鎖斬月が振り抜かれる。

 藍染の体から上へ血が噴き出す一方で、青色の球体は二つに分かれて地面に落ちていく。

 青空に溶け込むような青。まるで涙のように零れ落ちる二つの球体―――崩玉は、ゆっくりと墜落するのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あらら、こらアカンわ」

 

 蛇は舌なめずりをする。

 


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