BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*77 DEICIDE

 雨のように血が降り注ぐ。

 落涙のように崩玉が零れ落ちる。

 それに伴い墜落する人の姿を目の当たりにし、人が歓喜に沸き立ったとすれば、傍から見た者はどう考えるだろうか。

 

 しかし、そのたった一刀に込められた想いを知らぬ者達に、この光景の真の意味を理解する事など出来はしない。

 

「やった……!」

「一護の野郎が藍染を……!」

「倒した!」

 

 藍染の野望により傷ついた者達も、今ばかりは傷の痛みなども忘れて歓喜に震える。

 

「―――まだだっ!」

 

 だが、怒鳴るように一喝した藍染の声に、歓喜を面に浮かべていた者達の表情が引きつった。

 一護の一太刀を喰らい、崩玉との融合も解けた藍染が墜落した先の大地に立つ。

 夥しい量の血が溢れ出す彼は、今までに見た事もないような形相で佇んでいる事もあり、既に満身創痍である者達は否応なしに警戒せざるを得ない。

 

 無差別に放たれる霊圧。それは藍染が抱く野望への執念を現したものだ。

 胸から零れ落ちた崩玉を取り返さんと辺りを見渡す藍染。

 しかし、目の前には終わりを告げるように黒が降り立つ。

 

「藍染、ここまでだ!」

「黒崎……一護!」

「もうあんたの負けだ!」

 

 手加減無しの全力の一太刀は藍染の臓腑まで届いていた。

 その状態で、“絆の聖別”によって誰にも比肩される事が無かった藍染に匹敵する力を得た一護と戦えば、勝敗は目に見えているだろう。

 

 一護は叫ぶ。それは死刑宣告などではなく、これ以上傷つけたくない―――戦いたくないという彼の優しさ故のものだ。

 

 だからと言って藍染が止まる筈もない。

 道を外れた外道は己の力で進む道を切り開くしかないのだ。

 

「君如きに解る筈もない……真の敗北が何なのかはな!」

「ああ、知らねえさ! だけど、これ以上血を流す事の馬鹿馬鹿しさはよくわかってるつもりだ!!」

「傲るな、人間!! 私は……っ!?」

 

 折れた鏡花水月を一護に振りかぶった藍染であったが、不意に彼の胸を貫く刃が。

 余りにも速く、そして余りにも長い刀身。長く伸びた刀身の下を辿れば、そこには斬魄刀を構える市丸がうすら寒い笑みを浮かべて佇んでいた。

 

「卍解―――『神殺鎗(かみしにのやり)』」

「っ……ギン」

「すんません、藍染隊長。あんまりにも無防備やったんで」

 

 気が付けば市丸の斬魄刀『神鎗』の卍解である『神殺鎗』が、元の脇差程度の長さに戻っていた。

 次の瞬間、胸から刀身が抜かれた藍染の胸からはまたもや血が噴き出し、先の一護の一撃もあって血を失い過ぎた為か、ぐらりと彼の体が揺れる。

 

「てめえ!」

 

 その光景に声を荒げたのは一護であった。

 しかし、市丸が指の間に挟んで掲げる物体に瞠目する。

 

「それは……!」

「崩玉や。君が藍染隊長から分離させてくれた」

 

 チラチラと光を反射させるように揺らして見せる市丸の表情は、どこか愉快そうだ。

 それにしても、このタイミングで彼が藍染を裏切った理由を分からず、周りで見ていた者達は困惑するばかり。

 その間にも、余力で立ち続けている藍染は、眼光鋭く市丸を見つめる。

 

「ギン……私の命を狙っていた事は理解していたが、目的の物はそれだったのか」

「はい、そうです」

「だが、君が一体それをどう遣う? まさか、私と同じ目的ではあるまい」

「人が物欲しがる理由(ワケ)をあれこれ訊くんは無粋ちゃいます? 理由はともあれ、ボクはこれが欲しかった。藍染隊長がボクに殺されて死ぬんは、その過程ですわ」

「笑わせてくれる……君如きが私を―――」

「だから、これ持っとるんです」

 

 市丸が掲げる手には神殺鎗ともう一つ。折れた刀身だ。

 察した藍染の僅かな挙動を見逃さず、市丸の口角は吊り上がる。

 

「鏡花水月の完全催眠から逃れる方法は唯一つ。発動前に鏡花水月の刀身に触れておく事」

「まさか……!」

「皆崩玉ん方に目ェ向いとる間に、彼がついでに折ってくれたのを拾わさせてもらいました。でも、藍染隊長が見るべきなのはそっちやあらへん」

「なんだと……?」

「見えます? ここ、欠けてるの」

 

 遊ぶように神殺鎗を揺らす市丸。

 忙しく刀身に日光が反射するが、そのお陰で刀身の中央が僅かに欠けている状態を確認できた。

 欠けているからなんだと言うんだ―――怪訝な眼差しが市丸を貫けば、彼の糸目から冷たい視線が覗く。

 

「藍染隊長ん中に置いてきました」

「!」

「ボクが前に教えた神殺鎗の能力、あれ嘘です。言うた程長く延びません。言うた程迅く延びません。でも、延び縮みする時に一瞬塵になります。そして、刃の内側に細胞を溶かし尽くす猛毒があります」

 

 『そういう訳です』と締めくくる市丸。

 余りにも淡々とした口調だが、彼から滲み出る殺意は確固たるものであり、会話を聞いていた者達の背筋に虫が這い上がってくるような寒気を覚えさせた。

 

 ようやく共に仮面を剥がした二人。

 藍染の顔には初めて死を目前にする事によって浮かぶ焦燥が現れ、市丸にも長年狙い続けた獲物を手にかけられるという達成感が笑みに滲んでいる。

 それが、今まで誰にも本心を明かす事がなかった二人の最も人間らしさが現れた表情だとは誰が考えたであろうか。

 

(ころ)せ―――『神殺鎗』」

「ギン……貴様……!」

 

 共に伸ばす手。

 しかし、意味合いは異なる。

 

 一方は死の淵から這い上がらんとする手。

 もう一方は、そんな相手を突き落とさんとする手。

 

 結果を求め合う手を目の前にした一護が制止しようとした時にはすでに遅く、藍染の胸がグズグズに溶け、ぽっかりと孔が穿たれる。

 胴の大半を失った藍染は支える物を失い、そのまま地面に崩れ落ちた。

 何時ぞや一護に告げたように、人間の体構造的に立ち上がる事は不可能だった。

 

 そんな藍染の呆気の無い最期に誰もが息を飲んだ。

 ある者は当然の報いだと受け止め、ある者はこの結末を受け入れられず、ある者に至っては腐っても恩人であった者の死を前に涙を呑む。

 

「っ……市丸ッ!!!」

 

 そして焰真は憤った。

 藍染に迎えさせるべき結末はこうでなかった。然るべき場所にて、然るべき裁きを受けるべきだったと。

 

 吼える焰真は傷だらけの身を押して市丸を追いかけようとする―――が、異変はすぐの出来事であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

―――孤独だ。

 

 朦朧とする視界の中で想う。

 

―――死とは孤独だ。

 

 誰にも死は身代わり出来るものではない。

 己の死とはどこまでいっても己の死であり、例え己の死を代わってくれた者が居たとしても、それはあくまで代わってくれた者にとっての己の死だ。

 真に死を共有する事など出来はしない。

 

―――いいや、私はずっと孤独だった。

 

 なんだ、変わりはないじゃあないか。

 誰にも理解されぬまま生きる孤独は死も同然だ。烏滸がましく他人を理解した気になっている者達との不和を覚えつつ、自分の居場所はここでないと探り続ける日々は不愉快極まりない。

 

―――ならば私は孤独であろう。

 

 孤独にしか生きられぬのならば、孤独であるべき居場所が在る。

 唯一無二の居場所こそが私に相応しい。

 そう、例えば王のような―――。

 

―――君達は理解してくれるか?

 

 耐え難い孤独(くうはく)を埋める為に創られた存在へ問う。

 すると、片方から答えが返ってきた。

 

―――そうか……ならば征こう。

 

 もう片方の答えは出ぬまま、差し出された手を取る片割れを手に取った。

 

―――嗚呼、この感覚だ。

 

 孤独は心地が良い。

 死とは他人との境目が無くなる事。腐敗した屍に蛆が集るような他人との区別のつかない様相こそ死と言うのだ。

 

―――お前は理解してくれるか。

 

 淡い光が答えてくれる。

 まだ、もう片方は答えてくれぬままだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぅぉぉおおおオオオォォォおおおおおおおおお!!!!!」

 

 崩れていく藍染が吼える。

 

「藍染!!?」

「この霊圧は……!!」

「! な、何や……これは……!?」

 

 一護、焰真が藍染の膨れ上がっていく霊圧に戦慄する間、市丸は自身の掌に収められていた崩玉の一つが激しく明滅する様相に驚いた。

 赤子が泣くように不安定で感情的な光。

 まるで崩玉に意思でもあるかのような―――。

 

 次の瞬間、激しく光り輝いていた崩玉の一方が市丸の手から消える。

 市丸が瞠目するも束の間、死に際にも拘らず途轍もない霊圧を無差別に放出していた藍染の胸が輝く。

 刹那、彼の胸に収まる玉が。それは違う事なき崩玉。

 

「―――!!!」

 

 気が付いた―――そして理解した瞬間、市丸は穿界門を開き、その中へ飛び込むように逃げていった。もう一方の崩玉は彼に握られたまま。崩玉の恐ろしさをその身で味わった者達は、崩玉を手に逃走する市丸に反応する。

 

「一護、市丸を追え!!」

「なっ……だけどよ、藍染が!!」

「―――そうだ」

『!!』

 

 市丸を追うよう指示するルキアに一護が藍染に異変が起きている中で仲間を見捨てる事に躊躇いを覚えていれば、当の藍染が口を開いた。

 全員の視界が藍染に集まる。

 胸に埋め込まれる崩玉。そこから歪な白い物体が伸び、体を覆っている彼の姿はまさに化け物染みていた。

 

「っ……!」

「……なんて霊圧だ」

 

 さらには上昇した霊圧だ。“絆の聖別”でパワーアップしている一護でさえ戦慄する程の霊圧も、辛うじて焰真も感じ取っている。

 しかし、他の者達は脅威的な進化を遂げた藍染の恐ろしさをいまいち理解することが叶わなかった。余りにも隔絶した状態を『次元が違う』と人は表す。

 

 その領域に藍染は居た。

 彼は、この場に並び立つ強者の大多数を超越する力を有している。

 それこそ、ただでさえ彼の霊圧に慄いていた者には、その力を感じ取れないほどに。

 

「どうやら、崩玉が私の心を理解してくれたようだ」

「心……だと!?」

 

 崩玉には意志があるとでも言うかのような物言いに、誰もが怪訝な顔を浮かべる。

 だが、この不可解な現象を理解する為には常識を疑わねばならない。例えそれが、崩玉に意志があり、その上で藍染に味方したという絶望的な事実でさえ―――。

 

「崩玉の真の力とは周囲の心を取り込み具現化する能力……故に、私の心を取り込んだこの崩玉は私から離れる事はない。他でもない、私が創った崩玉は……!」

 

 そう、()()()()()()()()は。

 

 藍染が創り、最も長く隣に居た創造主の心を崩玉は理解する事は難しい話ではなかった。

 百万年に及ぶ孤独から救う為に創られた崩玉は、死の淵でさえ誰よりも孤独であった藍染の心を取り込み、最も理解するに至ったのだ。

 

「残念だったな、諸君……例え浦原喜助の創った崩玉が分離し、不完全な崩玉であるとは言え、この崩玉さえ私の中にあればもう一つを取り返すことなど造作もない」

「そんな……!!」

「君達の負けだ」

 

 この場に居る者達の魂を賭した一撃さえ、藍染の体から無くなっていく。

 その光景を目の当たりにしては、一つ、また一つと皆の心から希望が潰えていく音が聞こえるように一護は感じた。

 藍染の強大な霊圧を前に、天鎖斬月を振るう手が震える。

 これは恐怖だ。どう足掻いても倒せない相手を前にした獣の本能と同じ。

 

「っ……!!」

「焰真!! 一護を連れて市丸を追え!!」

「なッ……ルキア!?」

「早くしろォ!!」

 

 だが、そんな一護へ檄を入れたのはルキアだった。

 五龍転滅を身に受け、立ち上がる事さえ叶わない体を起こして叫んでいる。いや、自分が動く事さえままならないからこそ、まだ動ける焰真に希望(いちご)を託すのだろう。

 

「貴様が穿界門を開けて一護と共に市丸を追うのだ!! もう片方の崩玉を取り返せ!!」

「だが……いや、分かった! 任せろ! 一護、行くぞ!」

「は!? でもよ……」

 

 躊躇する一護の肩を引っ張り、穿界門を開く焰真。

 そんな彼らの前に不完全な崩玉による歪な進化の途中である藍染が立ちふさがる。

 

「むざむざ征かせると思うか?」

「「!」」

「流刃若火!!!」

 

 その時、藍染を炎が包む。一護と焰真には当たらぬ繊細な炎の操作。だが、体が焼き焦げると錯覚してしまう程の熱風が、その身に降りかかる。

 

「征けぃ、黒崎一護!!!」

「山本の爺さん……!」

 

 彼らを援護したのは他でもない、元柳斎だ。

 彼は、事態の深刻さを考えてか自ら藍染を討つべく前に出てきたのであった。

 威厳に満ちた声を受け、一護がハッと元柳斎の顔を見れば、自分を送ろうとする意志に溢れた瞳が自分を射抜いている事に気が付く。

 今一度辺りを見渡せば、元柳斎同様一護に市丸を追うよう促す視線を仲間達が送っていた。

 

「皆……!」

 

 彼らは希望を託してくれている。

 ならば、その希望を絶やしてはならないと一護は奮起した。

 

「焰真、行こうぜ!!」

「ああ!!」

 

 決意に満ちた瞳を浮かべる一護に対し、水先案内人となった焰真が彼を連れて穿界門へ飛び込む。

 

 その間、身を焼き尽くす豪火を受けたにも拘らず、崩玉の防衛本能によってみるみるうちに回復を果たした藍染が元柳斎へ鋒を向ける。

 

「君が私の前に立ちはだかると言うのか」

「無論。二度も言わせるな、小童。貴様に尸魂界の土を踏ませんと言ったろうに」

「……良いだろう。最早、君ですら今の私の敵ではない」

「ほざけ。貴様程度の力で儂を斬れると思うてか」

 

 元柳斎の身から昇る天地を焦がす炎。近付くだけで灰と化す程の熱量。真面に近づこうものなら、崩玉と融合前の藍染ならば一たまりもなかったであろう。

 しかし、不完全ながら崩玉と融合している藍染の表情には、勝利を確信したような冷たい笑みが浮かんでいる。そこには人間らしさなど微塵も存在していない。

 崩玉の藍染への理解により、刻一刻と藍染の魂は死神ならざる存在へと組み変わっているのだ。

 

 死神や虚よりも高次の存在である超越者として。

 

「手始めだ、山本元柳斎。君を討ち取り、私が既に死神として超越した事を証明してみせよう」

 

 湧き上がる力によって藍染は高みへと上っていく感覚を悟る。

 誰よりも強く、誰よりも先へ、誰よりも高みへ。

 誰も辿る事のなかった道を歩む藍染はかつてなく充実感に満ちていた。

 例え、その道の行く末が深淵に繋がっているとしても―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 町は閑散としていた。

 不気味な程に静かな町では、数多くの人が路上に倒れて眠っている。彼らも好きで路上に寝ている訳ではなく、転界結柱による転送に際して気絶させられた空座町の人々だ。

 彼らが夢に落ちている間、世界の命運を分ける戦いは行われていた。

 しかし、中には既に目が覚めている者も居る。

 

「尸魂界の空も現世と変わらないのね」

 

 愛しい娘二人に膝枕する女性は、一護の母・真咲であった。

 早々に起き上がってしまった彼女は、尸魂界に送られる事で電気もガスも水道も通じなくなった家でする事もなく、同じく気絶して眠っている娘の隣に居る事にしたのだ。

 

 今頃、息子は世界の平和を揺るがす巨悪と戦っているだろう。

 その事に対し真咲は、誇らしさを覚えるのではなく、ただ無事に帰って来てくれる事を祈るばかりであった。

 

「母さん」

「あら、お父さん」

 

 漠然と空を仰いでいた真咲にかけられる声の主は、死覇装を身に纏っている一護の父・一心だ。

 夫の死神姿に驚く様子も見せない真咲は、クスリと柔らかい微笑みを浮かべる。

 

「似合ってるわよ」

「お? そうか?」

 

 約二十年ぶりだろうか。一心の死神姿を真咲が見たのはそれほどまでに昔の出来事。

 彼を死神と知りつつも彼を生涯の伴侶と選んだ真咲が、一心の死神姿に驚く筈など無かったという訳だ。

 

 真咲に死神姿を褒められた一心はと言えば、分かりやすくデレデレと鼻の下を伸ばすが、すぐに神妙な面持ちを浮かべ、愛する妻と娘の下に歩み寄る。

 

「俺は浦原達と行く。真咲は……」

「私は二人と一緒に家に居るわ」

 

 返事は早かった。

 

「一護が帰ってくるのを待つの」

 

 愛する息子を待つ為に家に居る。その意志は確固たるものであり、自分がどうやったとしても動かない事を察した一心は、『それでこそ』と言わんばかりに笑みを浮かべた。

 

「そうか……」

「大丈夫よ」

 

 そろそろ出立しようとする一心に対し、真咲は穏やかなながらも透き通った声を紡ぐ。

 

「一護なら、きっと大丈夫」

「……ああ」

 

 息子を信じ、空を見上げる二人。

 明瞭な視界の先には清々しい青空が広がっている。ふと、窓から吹き渡ってくる頬を撫でる風に愛おしさを覚えたのは、きっと錯覚などではなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……」

「流石は護廷十三隊総隊長だ。崩玉と融合し、ここまで耐え忍ぶ力は認めよう」

 

 赤熱に染まる空。それは全て流刃若火によって放たれた炎が町を燃やしているが故の光景だ。

 揺らめく炎と上る黒煙。息をする事さえままならない炎熱地獄の中、藍染と元柳斎は戦っている。

 

 不完全な崩玉により歪な進化を遂げた藍染。元柳斎と相対す中、何度も身体を焼かれ、時には打ち砕かれようとも再生し、今や原型を留めぬ化け物へと変容していた。

 一方で元柳斎は、霊圧を知覚する事さえできぬ化け物へと昇華した藍染を前に苦戦を強いられ、暦戦の印である古傷に新たなる傷が刻まれている。流れ出る血も炎の熱によって水分が蒸発し固まっては、また流れ出る血に濡らされていく。

 

「もどかしいだろうに。護らねばならない立場とは」

「流刃若火!!!」

 

 藍染の語りに耳を貸さず、再び流刃若火を振るっては豪火を繰り出す。

 だが、最早避ける真似さえ見せない藍染は真正面から炎を割って進んでは、進化によって生えた眼の無い化け物の頭部を生やした翼から、高密度のエネルギー弾を発射する。

 

「!」

 

 喰らえば元柳斎とて一たまりもない。

 しかし、避ければ偽物の町どころか結界の外の町に被害が出る。そう察した元柳斎は、己の左腕で放たれたエネルギー弾を受け止めた。

 

 直撃。元柳斎を中心に巻き起こる大爆発により、既に瓦礫の山と化していた町が更なる更地へと変貌する。

 それほどまでの攻撃を元柳斎は幾度となく凌いできたものの、限界は近い。

 

「ふん!!!」

 

 しかし、傷だらけの老体に鞭打ち、焼け爛れて使い物にならなくなった腕を藍染目掛けて伸ばす元柳斎は唱える。

 

「破道の九十六『一刀火葬(いっとうかそう)』!!!」

 

 焼き焦がした己の肉体を触媒に発動する禁術、『一刀火葬』。

 流刃若火にも劣らぬ炎の刃で相手を焼き尽くす鬼道を放たんと、自分の遣えなくなった肉体を棄てて武器とする元柳斎の腕は藍染にあとちょっとで届こうとした。

 

「惜しいな」

「!」

 

 ひび割れ、霊圧が溢れ出さんとしていた腕が斬り飛ばされる。

 無論、藍染が斬り飛ばした訳なのであるが、元柳斎の眼にすら今の藍染の動きは捉えきれない。

 発動直前で斬り飛ばされた腕は無残にも地に落ち、猛々しく燃え盛る灼熱の海に落ちていく。直に灰となるだろう。

 

「藍染!!!」

 

 それでも元柳斎は止まらず、流刃若火を藍染に振るう―――が、今度は素手で受け止められてしまう。

 刀身から迸る炎も今や藍染に何の意味も為さない。

 本来であれば、藍染ですら一たまりもない炎も、進化を遂げた彼を覆う次元の違う霊圧が炎を防ぐ壁となり、彼を流刃若火の炎から身を守っていた。

 

「始解でここまでの戦闘能力……卍解ともなれば、私を一瞬の内に灰燼と為す事も叶っただろうに。だが、余りにも強すぎる力は君達が張った脆弱な結界さえも焼き尽くしてしまうだろう」

 

 元柳斎が卍解しない理由。それは偏に力が強大過ぎるからだ。

 卍解すれば尸魂界を焼き尽くしてしまうと言われる程の彼の卍解を、結界一枚張った程度で結界外の町に被害を出さぬよう戦う事など出来はしない。

 

「それが君の弱さだ、山本元柳斎。全てを棄てる覚悟なくば為されないものがこの世には在る」

「……貴様が覚悟を語るか。笑わせてくれる」

 

 刹那、結界の周辺に幾つもの極太な火柱が上がる。

 今までの炎が生易しく思える程の熱量を有す豪火が、囲んだ者達を逃がさんと言わんばかりに、みるみるうちに膨れ上がっていく。

 

 狙いは勿論藍染だ。

 

「貴様は儂と共にこの炎熱地獄で死んでもらう。例え再生すると言えど、塵も残らぬ程に焼かれれば話は違うじゃろう」

「成程。しかし、他の隊士達はいいのかい? このままでは炎熱地獄とやらの巻き添えだぞ」

「皆、覚悟はできておる」

 

 一層炎の勢いが増す。轟々と迫りくる火柱の進路には、倒れた者達が大勢居る。

 彼らは藍染の野望を止める為、復讐を果たす為等々―――目的に差異はあれど、全員が死神だ。

 ならば、死神としての教えも勿論知っている。

 

「一死以て大悪を誅す。それこそが護廷十三隊の意気と知れ」

「その老爺が抱いた理想を、果たしてどれだけの死神が賛同しているのだろうね」

 

 不動の意志を持って相対す元柳斎に対し、藍染は嘲笑うように続ける。

 

「君の理想を受け入れられる程に世界は平等でもない。在るのは霊王の犠牲によって生まれた間違った世界と、唯漠然と存在する不平等という事実だけさ」

「抜かせ!!」

 

 流刃若火の柄から放した元柳斎が、藍染目掛けて拳を放つ。

 “一骨”―――鍛え上げられた肉体より放たれる純然たる物理攻撃。元柳斎程の実力者による白打であれば、並みの破面の鋼皮なども突き破ることさえ叶うが、それを彼は藍染に繰り出した。

 骨肉までもが己が武器。どの死神よりも先んじて死神としての矜持や佇まいを見せるのが総隊長だ。

 

 鉄槌の如き拳が藍染の顔面に突き刺さる。

 しかし、人の顔の皮も剥げ、異形と化した藍染に突き刺さった拳の方が砕け、白い皮膚を有す藍染の体を鮮血で染め上げるばかりだった。

 

「終わりだ、山本元柳斎」

 

 紅蓮の炎に包まれる地獄の中、藍染は翼から生える触手の頭部から放つ霊圧の弾を繋げ、元柳斎を取り囲んだ。

 次の瞬間、リング状になった霊圧の弾は炸裂し、元柳斎を中心に爆発する。

 爆発の余波は上空にまでに及び、張られていた結界を呆気なく砕く。それからようやく爆炎の中から姿を現した元柳斎は、死覇装も襤褸切れとなった無残な姿を晒し、流刃若火の炎で地獄と化した地面へ墜落する。

 

「そしてここまでだ、死神の諸君。君達のお陰で私は超越者と為り得た。せめてもの手向けとして、私が君達に引導を渡そう」

 

 赤い空に浮かぶ白い体と翼。

 この地獄に降り立つ彼の姿は何に例えられようか?

 天使か、はたまた悪魔か。

 

 しかし、今まさに地に堕ちた死神達に終焉を齎そうとする彼は、まさしく人ならざる外道に堕ちた化け物である事に間違いない。

 死神をも虚をも超越した者の行く末が、これほどまでに悍ましい進化を遂げるとは誰が予想しただろう。

 

「進化には恐怖が必要だ。今のままでは滅び消え失せてしまうという恐怖が」

 

 (おわり)を齎さんと、触手の頭部が霊圧の弾を構える。

 弾は連なりリング状へ。凝縮された霊圧は、藍染に降りかかる火の粉を振り払う。

 

「ありがとう」

 

 まだ諦めていない者。

 絶望に打ちひしがれている者。

 最後まで抵抗の意志を見せて剣を握る者。

 その全てを消し飛ばす光輪がゆっくりと地面へ落ちていく。それが大地に落ちればどれほどの被害が出るか―――したくもない予想が誰の脳裏にも過る。

 ただ、間違いなく余波は自分達の下まで届き、その時には命を落とす事になるだろう。

 どこか達観した思考が巡るが、それは何も生きる事を諦めたからではない。

 

(任せたぞ、一護)

 

 託す相手が居る。

 それだけで心がこれほどまでに落ち着く。ルキアは、身を焦がす炎熱地獄の中でも目の前で起こっている光景から目を逸らさずに済んだのは、偏に仲間が居るからだろう。

 どれほど遠くに居たとしても、心は傍に在る。

 心を置いていける相手が居れば、心は繋がり、後世にも想いは繋がっていく。

 それが後に歴史と呼ばれるようになるのだ。尸魂界一千年の不変を変えた少年ならばきっと変える事が出来ると信じ、ルキアは凛とした眼差しを目の前で起こる出来事決して逸らさなかった。

 

 故に見逃さなかった。

 光輪を撃ち崩す黒い矢を。

 

「なに!?」

「―――灯篭流し!!」

「ぐぅ!?」

 

 矢に撃ち崩された光輪が爆散した余波がルキア達に襲い掛かるも、寸前の所で舞い降りた焰真が余波を防ぐ炎の壁を作り出す。それにより、辛うじて倒れた者達は余波で傷つく事はなかった。

 

「焰真!」

「待たせたな」

「一護は!?」

「あいつなら―――」

 

 待ち望んでいた人物に連れ添っていた者の帰還。

 それはつまり、もう一方―――真打の帰還を意味しており、倒れた者達の目に希望の光が灯る。

 

「莫迦な……」

 

 上空に佇む藍染。超越者たる自分の攻撃を相殺する攻撃を目の当たりにし、彼は内心驚愕していた。

 

「有り得ん……そのような事があっては良い筈が……ハッ!!?」

 

 目を疑う光景に慄きつつ、炎熱地獄の中で揺らめく黒い霊圧に目が留まった藍染。

 

 すると次の瞬間、藍染が捉えた黒い霊圧の中心に佇む少年―――一護の顔に付いていた仮面が剥がれ落ちるのを、藍染は見逃さなかった。

 代わりに、一護の顔の右半分に浮かぶ青色の線。血管だろうか? それにしては余りにも神々しい煌々とした光を放っている。

 そんな青い線は一護の死覇装のコートにも及んでいき、彼の右腕には交差するように青い線が刻まれた。死覇装の変容はまだ続き、コートは前止めがクロスする布となり、中には白い装束が、そして袴はなんとズボンへと変わるではないか。

 辛うじて左側の襟に残った完全虚化の名残であった赤い毛皮も、漂白されたように白く変色する。

 

 極めつけは、

 

「弓……だと……?」

 

 目に見えた物を口に出して確認する藍染。

 そう弓だ。一護の右手には、刀ではなく弓が携えられている。天鎖斬月と同様、漆黒に塗りつぶされたような色合いで、鋭利なデザインの弓。

 弓を携えるなど、まるで―――。

 

「……まさか!!?」

「ああ……あんたの創った崩玉があんたに手を貸したみてえに、()()()()()()()()()()は俺に力を貸してくれた」

 

 一護の胸に輝く崩玉。

 神と神ならざる者の地平を悉く打ち崩す物体である崩玉を身に宿した一護は、藍染と違う進化の道を歩んでいた。

 その解は、一護がこの世に生を授かった頃から彼の事を研究対象として観察していた藍染だからこそ、すぐに辿り着く。

 

「滅却師との境界を……っ!!?」

 

 浦原喜助が崩玉を創った理由。それは純粋な探求心だった。

 死神としての魂魄の限界を突破する為の虚化。禁忌に等しい願いを成就させる為、浦原によって生み出された崩玉は―――その更なる先への理解を一護に示してくれた。

 

「―――虚……死神……そして滅却師……全ての力を込めた一撃だ……!!」

 

 一護は矢を番える。

 漆黒の霊圧に纏うのは青い光。それは雨竜の放つ神聖滅矢にも共通する、集めた霊子をコーティングする滅却師特有の淡い霊圧だった。

 だが、これから一護が放つのは霊子の矢などではない。

 虚と死神―――二つの力を制御した一護だからこそ放てる霊圧を最大限まで凝縮した霊圧。

 

―――だけならば、ここまで藍染が怯える必要はなかった。

 

()()()()()()()()!! これでてめえを倒す!!!」

 

 正真正銘、全身全霊を込めた一矢。

 かつて、共に剣八と戦った雨竜が滅却師としての力を犠牲にして発動した滅却師最終形態のように、一時の超越した力の為に一護は未来の護る力を代償にしたのだ。

 自分一人の力と、世界の平和。

 彼にとっては秤にかけるまでもない。

 

 一護の手首から靡く黒い帯が十字に靡くや否や、今度は天鎖斬月の鍔の如く卍状に変形する。

 

 

 

 機は熟した。

 

 

 

「―――いくぜ!!!!!」

 

 

 

 全てを棄てる覚悟を決めた一護が狙う先に居る藍染は、文字通り一矢報いられる瞬間を前にし、彼の力に理解が及ばぬ恐怖と困惑に顔を歪めて叫んだ―――人間のように。

 

 

 

「黒、崎ィ……一護ォォォオオおおおぉぉおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 黒が奔る。

 白を穿つ黒は、晴天を赤熱に染め上げていた炎熱地獄さえも余波で滅し飛ばしてみせた。

 

「あ……あぁ……」

 

 一瞬の内に燃え盛る豪火を消し飛ばした一撃が吹かせる風が、優しくルキア達の頬を撫でる。

 どこまでも涼やかに吹き渡る風と晴れた景色。

 遠くに浮かぶ雲には、一護が撃った一矢の余波で孔が開いたではないか。

 晴れ渡った空に巨悪の影はなく、異形としての皮が剥がれた藍染が地面に墜落する姿が遠目からでも見えた。

 

「やった……のだな……」

「……」

 

 俯いて喉から絞り出すように言葉を紡ぐルキアに、焰真は優しく彼女の背中を撫でる。

 

 

 

 見上げる空は―――どこまでも澄み渡っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――君は、『これだけは』ゆうモノ護れた?」

 

 肌寒い風を浴びて腕を擦る市丸は、尸魂界の空を見上げて独白する。

 どこか哀愁のある背中を隠すように木にもたれかかる彼は、やおら掌を開き、つい先ほどまで握っていた取り返したかった物に思いを馳せた。

 同時に、崩玉を託した一護達の事も考える。

 

 市丸が崩玉を手にし尸魂界に逃げてすぐに一護達は市丸の下にたどり着き、同時に彼は確信した。

 その時の自分達の会話を思い返す。

 

『―――これ、キミにあげるわ』

『は……!? てめえ……どういうつもりだ!』

『どうも藍染隊長が言う『取り込んだ心を具現化する』ゆう能力は本物みたいや。その証明に、ボクがどこ行くか見当もつかへん筈なのにポッと簡単に出会えた』

『そういうことを訊いてるんじゃねえよ! てめえは崩玉が必要なんじゃねえのか!? その癖に俺に渡すなんて……何考えてやがる!?』

『どうもこうも……ボクの護りたいモン中にはキミの護りたいモンも含まれ取るゆうことや』

『なに……!?』

『『これだけは』ゆうモンの為に他の全部犠牲にしても、結局ボクには取り返せへんかった。どんだけ愛しくても、ダメなモンはダメやったんや』

『……』

『だからキミらは護り。自分の『これだけは』ゆうモン。ボクなんかより、キミ達の方に崩玉は応えてくれるんとちゃう?』

 

 ずっと嘘を吐いてきた。

 一人の為にずっと、ずっと。

 それでも本懐は果たせる事はなかった。

 どれだけ彼女の幸せを願い、彼女を突き放し、自分を犠牲にした所で。

 

 だから託した。彼女も護ってくれるだろう一護達に。

 きっと彼らの強い思いを崩玉は具現化し、藍染を止めるだけの力を授けてくれる筈だと。

 

「……乱菊」

 

―――幸せになり。

 

 報われぬ想いを寒空に吐露する。

 それだけで嘘を吐き続けて凝り固まった心が、ホッと和らいだような気がした。

 




次回、最終話です。

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