BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*78 眠る街の夜明け

 地獄の業火に包まれていた町。

 ほとんどが更地となり、見渡す限りに焦土が続いている。

 そのような一切の戦火さえ残さぬ土地だが、焼け焦げた地面に蹲るように倒れる人影が一つ。

 

「っ……そんな筈が……私が人間如きに……!!」

 

 一護による全身全霊の一矢によって体を穿たれた藍染だ。

 辛うじて崩玉のお陰で生命維持こそされているものの、真面に戦えるだけの余力は残されていなかった。

 しかし、持ち前の霊力の高さに伴う生命力の高さから、折れた鏡花水月を杖代わりに立ち上がるや、重い足取りで進んでいく。

 

「まだ、私は……!」

 

 祈る神など居ない。

 だが、必死に歩む藍染の空を仰ぐような姿は何者かに祈っているように傍から見えただろう。

 

 刹那、藍染の胸を一条の光が貫く。

 

「! ……浦原喜助」

「どうも、藍染サン」

 

 稀代の天才・浦原喜助。そんな彼が、元二番隊隊長・四楓院夜一、元鬼道衆大鬼道長・握菱鉄裁、そして元十番隊隊長・黒崎一心と共に藍染を取り囲むように現れた。

 手負いの相手を取り囲んでいるとは言え、相手は藍染惣右介。

 微塵も油断もする事のない彼らを前にした藍染はと言えば、この状況に焦る訳でもなく、ただ自分を囲む彼らに対して不敵な笑みを浮かべていた。

 

「随分と遅い登場だ。今の私であればどうにかなると思って来たのか?」

「まさか。アタシらがここに来たのは、どうにかなると思ったからじゃなくて、()()()()()()()()()()()()からっスよ」

 

 崩玉を創った一人として責任がある―――暗に浦原は告げる。

 

「―――()()()()()()()()()?」

 

 空気が重く震える。

 腹の奥底から絞り出した藍染の声だ。浦原達を目の前にしても余裕を崩さなかった彼の面には怒りが浮かび上がる。

 

「どうにかしなければならぬのはこの世界の方だっ!!! 間違った世界の上に築かれた物に何の価値があると言う!!? あんなものに従属していなければ成り立たぬ世界に!!!」

()()()()()? そうか、貴方は霊王を見たんスね……」

 

 霊王―――尸魂界に唯一存在する王。

 王族特務零番隊に守護され、普段は別次元に居るとされる霊王であるが、その姿を見た事がある者はそれこそ霊王を守護する零番隊か神兵程度だろう。

 

 しかし、まるで互いに霊王について知っているかのように二人は言葉を投げ交わす。

 

「霊王は()なんス。尸魂界は勿論、現世、虚圏……三界を維持する為の、ね。楔を失えば容易く崩れる。世界はそういうモノなんス」

「それは敗者の理論だ!!! 勝者とは常に、世界がどういうものかで無く、どう在るべきかについて語らなければならない!!!」

「百万年の歴史っス。その変革には余りに犠牲を要する。三界はこれまで絶妙なバランスで成り立ってきたんスよ。もしも今の世界が今の形でなくなれば、秩序も崩れ去る。それこそ進歩の為に必要だった魂の循環も」

「なればこそだ!!! 犠牲を語るのであれば、そもそも今の世界に生まれ落ちた生命の全てが間違った世界の犠牲だ!!!」

 

 鏡花水月の鋒が(そら)を衝かんばかりに掲げられる。

 次の瞬間、浦原達の視界に次々と鮮明な景色が映し出されていった。生命力に溢れる緑の森と生きる獣、燦々と降り注ぐ日光を照らし返す碧い海、寂寞の様相を滲ませる夕焼けの空、数多の命を彷彿とさせん星々が光り輝く夜空―――最後にはその美しい景色の全てが砕け散っていく。

 

「この世界も所詮は虚像に満ちた幻想に過ぎない!!! 死にゆく世界が瞼を閉じる微睡に垣間見る夢のように!!! そのような世界を私は認めない!!! 認めてなるものか!!!」

「藍染サン、貴方は……」

「ならば、私が世界の死という境界の悉くを打ち崩す!!! その為の崩玉だ!!! そして、その為に私は―――」

 

 突如として藍染を貫く刃が、彼の言葉を遮った。

 痛みは大した問題ではない。だが、自身の言葉を遮られた藍染は顔を顰めて振り返る。

 視界に入るのは、黒衣を纏った死神の姿。漂白されたように白く染まる髪を靡かせる焰真であった。

 今にも泣きだしそうな悲痛な面持ちを浮かべている彼は、震える手で星煉剣の柄をしっかりと握り、藍染を貫いた刃をじっと見つめる。

 

「……結局、貴方を止める事はできなかった」

 

 ポツリポツリと吐露される思い。

 

「ずっと……横に並びたかった。それも叶わなくなって……それでも貴方を止めたいって……でも、俺にはこうして背中から必死に突き出した剣を届かせるのが精いっぱいで……っ!」

 

 絞り出す涙声に、藍染の顔から険が薄れていく。

 その間にも胸を貫く刀身からは、焰真の手の震えが伝わってくる。いや、もしかすると別の震えかもしれない。

 

「心から……悔しくてたまらない」

 

 俯いていた面が上がる。

 泣き腫らした目元は赤く染まり、とめどなく溢れ出す涙が頬を伝っては零れ落ち、地面に無数の染みを描く。雨後の地面のように濡れた大地からは、焦げた土の匂いが立ち上ってくる。

 その匂いごと鼻を啜る焰真は、濡れた眼で藍染を見つめた。

 

「俺は!! やっぱり貴方が憎い!!」

「……それは結構な事だ。だからこそ君はこうして私を―――」

「でも、貴方は俺が憎んでるのは罪を犯した人じゃなくて、犯した罪だって教えてくれた!! 俺、その言葉にすごい救われて……だから今の俺が居るんだと思うんです!!」

 

 真っすぐだ。

 どこまでも真っすぐ。

 それこそ地平線のように限り無い景色の如く、彼が吐露する想いは純粋で愚直だった。

 

「何度も貴方の言葉に救われた。今思えば、口から出まかせだったかもしれないけれど、その言葉で俺は救われたんです。嘘だとしても心を(すく)われた……」

「……」

「そんな貴方との思い出が愛おしい。よくよく考えりゃ、楽しかった思い出の方が多いですから」

「だから私を斬ると言うのかい? これからを想い君にとって私が君の憎むべき対象として存在し続ける事になるからこそ、虚像の私との美しい思い出を穢さないよう、私を殺すと……」

「いいえ。貴方が教えてくれた……憎むべきなのは犯した罪だって。だから俺は……()()()()()()()

 

 次の瞬間、藍染の星煉剣を握る手の力が強まった。

 

「赦すなどと大層な言葉を……君は一体どの立場からものを言っている?」

 

 不服であったのは焰真の言葉だ。

 赦す―――その言葉は藍染にとって、まるで上からものを言われているに等しい。誰よりも上に立たんと進んだ男にとって、それこそ最も赦し難い言葉であったのだ。

 だが、剣呑な空気を漂わせる藍染に対し、焰真は吹き出すように微笑みを浮かべた。

 

「何も、そう難しく考えなくたっていいじゃないですか。赦すってのは、こう……喧嘩の後で友達を仲直りする為に、握手の手を差し出すような……そんな感じの事です」

「……」

「でも、だからって今すぐに貴方を赦せる程……俺は……強くない。心も……体も……」

 

 藍染を貫く刀身に火が灯る。浄化の炎だ。藍染がこれ以上抵抗するのであれば、地獄に堕とす事さえ辞さないという彼の覚悟が窺えた。

 メラメラと燃え上がる炎は悠然と佇む藍染に鮮烈な痛みを与える。しかし、どうにも抗う気にはなれない。抗うよりも先に耳を傾けるべき言葉があると■■が訴えた。

 

「俺は正直言って貴方が怖い。だから、待っていたいんです。貴方が罪を償っている間……貴方の本当の心を知れるように強くなる為に」

「―――そうかい」

「!」

 

 いつか聞いた穏やかな声音にハッとするも束の間、藍染の体に異変が起こる。

 体から突き出す無数の光。それらは十字架のように変形し、藍染の体を縛り付けていく。

 

「これは……!」

「封っス。先ほどの鬼道に込めて放ったもの……崩玉と融合した藍染サンを封じ込められるようアタシが開発しました」

 

 驚く焰真に対し、平然とした面持ちの浦原は淡々と語る。

 その不気味なまでの説明口調と藍染の異変に焰真が慄いていれば、不意に胸を貫かせていた星煉剣が抜け落ちた。藍染が手で抜いたのだ。

 だが、今にも封印架に封じ込められようとする藍染には、焦燥も、困惑も、更には抗う様子さえないと来たものである。

 

―――このまま何処か遠くへ行ってしまう。

 

 そう直感した焰真は、思わず手を伸ばした。

 

「―――一つ、君に伝えておこう」

「!」

 

 藍染の声音に、焰真がハッと瞳を見開いた。聞き覚えのある声だった。

 何度も何度も自分を教え、導き、死神としてあるべき姿を見せてくれた恩人のそれ。

 

 揺れる紅玉の先には、男が薄らと三日月を湛えている。

 奴は彼とは別人だ。いや、元々自分が見ていた藍染 惣右介という男は居なかったのかもしれない。

 けれど、焰真がその瞳に映していた五番隊隊長、藍染 惣右介が今だけは目の前に立っていた。

 

 不意に、過去に脱ぎ捨てられた隊長羽織と、追いかけた背中に描かれた花を幻視する。

 

 五番隊の隊花は『馬酔木』。花言葉は、犠牲、危険、そして……清純な愛。

 

 彼は幾万の嘘で大勢を偽ってきた大逆の徒。

 しかし、彼を追いかけた一人の死神が抱く親愛の情は、最後まで真のものとして貫かれた。

 

 それこそ、自然とあの頃の己を再現するように。

 

 涙に濡れてぼやける焰真の視界。

 封印されている途中にも拘らず、堂々とした佇まいを崩さない藍染が告げる。

 

「君のその恐怖を退けて進もうとする歩みの名は……“勇気”だ」

「勇……気……?」

「私は君の歩む道の先に先回りするとしよう―――さらばだ、芥火焰真」

「藍ぜっ……!!?」

 

 伸ばした手が届く事もなく、藍染は封印架へと封じ込められた。

 その余波が焰真の前髪とマントを靡かせ、最後に零れ落ちた涙が弾けるように零れる。だが、零れ落ちた物は涙などではない。

 心のどこかがポッカリと穿たれた喪失感が体を襲い、膝から崩れ落ちる焰真。

 掌を地面につけて四つん這いになった彼であったが、胸を締め付ける熱い痛みに、思わず胸を抑え付け、喘ぐように嗚咽を漏らし始めた。

 

「あぃっ……ぜんっ……!!」

 

 堪らず瞼を閉じれば熱い雫が目元から溢れ、同時に藍染との思い出が脳裏を過る。

 他愛のない会話から、今の自分を作るに至った心に残った場面まで……思い出は様々だ。

 そこで焰真は確かに感じていた。胸を―――心を温かくものの存在を。

 

(……ありがとうございました、藍染隊長)

 

 

 

―――父に対する子どもの愛情だ。

 

 

 

 とても優しい錯覚の余韻に浸りながら、焰真は只管に涙を流す。今は溢れる想いを流すだけ、勇気を持って前へ進めると確信して。

 

 

 

 ***

 

 

 

「これで皆の治療は一先ず終えました」

 

 隊長羽織を靡かせる卯ノ花は、周りに居る死神達へ向けて言い放つ。

 藍染達との戦いでほぼ全員が傷を負った。それを一人で治療するのは骨の折れる作業と言わざるを得なかったが、大部分の治療は完遂させた。

 後から虚圏から帰って来た白哉や剣八などには、すでに応援に来た四番隊士が治療に当たっている。

 

 そのような四番隊の献身的な治療も甲斐あって、瀕死に陥っていた者達もすっかり生気を宿した顔を浮かべていた。

 

「はぁ~、それにしても体痛いわぁ~! このまま救護詰所に連れてってくれるんやったら、俺可愛いナースちゃんに看られたいわぁ~!」

「じゃあかしいわ、ハゲ!! 傷口に響くねん!!」

「俺よかお前の方が五月蠅いやんけ、ひよ里!!」

 

 イレギュラーである仮面の軍勢もこの通り。

 和気あいあい(とは言い難いが)の空気を漂わせる平子とひよ里に、周りで見ていた者達は決戦が終わり緊張感から解けた事から、普段笑わない者の表情も随分と和らいでいる。

 

 しかし、浮かない顔を浮かべる者が一人、卯ノ花の下へ。

 

「卯ノ花隊長」

「狛村隊長。どうなされて?」

「東仙は何処へ」

 

 敵でありながら四番隊として卯ノ花が治療を施した藍染の腹心が一人・東仙。

 檜佐木の風死で喉を貫かれるという重傷を負った筈の彼の姿が見えない事に、無二の親友である狛村は、彼を治療した卯ノ花に問う。

 すると、卯ノ花は遠い場所を見つめるような眼を浮かべる。

 

「そう言えば、いつの間にか居なくなっていましたね」

 

 その一言で狛村は察した。

 彼はもう発ったのだと。

 正義感の強い彼であるが、彼は延々と死神を―――瀞霊廷を恨んでいた。大逆の徒として殛刑が確実な身として、黙ってこの場に留まっているかと問われれば、彼が去る事も已む無しだと狛村は考える。

 だが、彼の表情に不安など微塵も浮かんではいない。

 

「東仙……」

 

 友として許し合った身。

 例え目の前から居なくなろうとも、彼が以前のように外れた道を進む事はないと確信していた。

 ならば、せめて彼が平穏であれと、祈るように空を仰ぐ。

 

(視ろ……貴公の友が愛した世界はこんなにも美しい。だからもう一度、貴公の眼で世界を視て回るのだ)

 

―――きっと、以前とは違った景色が視える筈。

 

 憑き物が落ちたように安らかな表情を浮かべる狛村は、ピコピコと耳を動かし、吹き渡る穏やかな風の音を聞くのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 流魂街の町から外れた林に挟まれている道。

 そこで彼らは邂逅する。

 

「や、東仙サン」

「市丸……貴様」

「ちょちょっ、そない物騒なモンここで抜かんといてや」

 

 何事もなかったかのように声をかけてくる市丸に対し、東仙は鞘に納めていた斬魄刀を僅かに抜く。

 その様子を前に、途端に慌てる市丸は『もう終わった事やん』と東仙を宥める。

 終わった事―――それは勿論藍染との繋がりだ。

 しかし、行動を共にしていたというだけであり、元より市丸と東仙個人の相性はそれほど良くはない。

 

 加えて、尚も東仙の藍染に対する恩義がなくなった訳ではなかった。

 藍染を斬魄刀で貫き、あまつさえ猛毒で溶かし殺そうとした事を東仙は目の当たりにしている。

 

「なんや、東仙サン。あそこから逃げて来たんやから、ボクと同じと思うてたのに……」

「……そうだ」

 

 すると、東仙は思いとどまるように鞘に斬魄刀を収める。

 

「私は瀞霊廷に裁かれて死ぬつもりなど毛頭ない」

「へぇ、意外やわァ。東仙サンて真面目な印象やったから」

「履き違えるな。復讐の為に入った組織にむざむざと殺される事を、私は償いだとは思わない。私は私の正義に則って動くと言っている」

 

 大罪を犯したから死をもって償う。成程、確かにその手段もあるだろう。

 

 しかし、東仙は自身の罪を死だけで償えるとは毛頭思っていなかった。同時に、未だ憎しみを覚えている瀞霊廷の手にかかって死ぬ事も、彼にとっては許せぬ事だ。

 

 その上で償う。それこそが東仙の見出した道。決して許されず償えぬ罪だとしても、一生をかけて償っていく―――亡き友の為に。

 

「そ。まァ、それも東仙サンらしいと言えば東仙サンらしいわ」

「……一つ訊こう、市丸。お前は何故、藍染様を裏切った」

「なんや、今更そないな事訊きたいん?」

「いいから訊かせろ。でなければ、私はお前を……」

「あ~、はいはい。言えばええんですやろ、言えば」

 

 降参と言わんばかりに手を上げる市丸。

 東仙と斬り合うのは彼としても真っ平御免であった。故に口にする。

 

「―――好きな女の子の為なら、男の子なら頑張りたいやん?」

「……」

「東仙サンは分からん?」

「……いいや」

「なら良かったわ」

 

 少年のような理由に対し、一時は難色を示した東仙であったが、自分にも思い当たる節があったのか最終的には同意を得られるに至った。その事に市丸は満足気な笑みを浮かべ、再び空を仰ぐ。

 

 “好き”の意味は違えど、一人の女性の為に一途に戦い抜いた男二人。

 別れ際にてようやく共感し合えた彼等は、今までの剣呑な雰囲気が嘘であったかのように清々とした顔を浮かべていた。

 

「まァ、また会う時があったらそん時はよろしくお願いしますわ」

「無いだろうが……いいだろう」

「それじゃ」

 

 藍染の突き進む道の後を追っていた二人が己の道を行く。

 寒風にゆられて響く木の葉のさざめきは、彼等の新たなる門出を祝う拍手のように中々鳴りやまない。

 

 

 

 どこまでも一途で、どこまでも不器用だった男達が自由になれた瞬間だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 主の居なくなった虚城にウルキオラは佇む。

 永遠の夜が続く虚圏から藍染惣右介と言う名の太陽は消え去った。最早、この城を守る必要もなくなっただろう。

 だが、ウルキオラは思う所があるように建物に穿たれた孔から空を見上げる。

 偽りの青空―――その奥に佇む真実(よる)を。

 そして、浮かぶ三日月を。仄かに虚圏を照らす三日月をジッと見つめるウルキオラは、無い筈の胸にこそばゆい違和感を覚えつつ、尚も空を見上げる。

 

「……心……か……」

 

 自分にはないと思っていたもの。

 しかし、在ると思い知らされたもの。

 

「……月のようなものか」

 

 不意に思う。

 太陽がある訳でもないのにも拘らず満ち欠けし、消えては現れる月のような存在―――それこそが心なのではないか。そして、誰かに照らされてこそ光り輝くものなのではないか、と。

 

 (こたえ)は分からない。

 だが、時間は有り余っている。

 この虚圏には冥い静寂が取り戻された。ウルキオラはその中で只管に考える。

 

 

 

 心とは何か―――と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 吸い込まれそうな程の青が目を奪う。

 一護の胸から零れ落ちた崩玉。浦原が創り出した方の代物である。藍染を倒す―――その為に一時的に一護と融合した崩玉であったが、既に融合は解け、こうして一護の掌に収まっていた。

 このようなビー玉のような物の為に、何人もの命が犠牲となったと考えると、一護は遣る瀬無い気持ちとなる。

 

「でも、ありがとな」

 

―――俺に力を貸してくれて。

 

 崩玉を握り締めた拳を額に当てて強く念じる。

 すると、そんな一護の感謝の言葉に喜ぶよう数度明滅した崩玉は、途端に砂の如く崩れ去り、一護の掌から零れ落ちていった。

 それが崩玉(かれ)の意志。月牙六天衝を受けて存在前に回帰しようとする(からだ)を辛うじて留めていた崩玉が、己が居た事によって生み出された悲しみに心を痛ませる一護の心を取り込んだのかもしれない。

 

 崩玉の残滓は吹き渡る風に乗り、行く当てもないだろうに旅立った。

 どこまでも、どこまでも。

 見届ける一護の顔には一抹の寂しさが浮かんでいた。

 

「……」

「黒崎サン、お疲れ様です」

「浦原さん」

 

 もう見えなくなってしまった崩玉をいつまでも眺めていた一護へ浦原が歩み寄る。

 

「藍染サンの封印架は瀞霊廷に運ばれました。直に四十六室の手によって処遇が決定されるでしょう」

「……そうか」

「……どうしてそんな顔をしてるんスか。皆サンの命も、この世界も、貴方が命懸けで藍染を倒して護ったんスよ。貴方は正しい事をした。なら、そんな顔をする必要はないんじゃないスか?」

 

 陰鬱な表情を浮かべる一護に浦原は慰めるように説く。

 一護は倒すべき敵の命までは取らない程に優しい気質を持つ少年だ。そんな彼だからこそ、藍染の処遇に対して思う所があるのだろう。

 しかし、藍染が受ける罰は因果応報でしかない。一護が気に病む必要など微塵もありはしない筈なのだ。

 

 それでも、一護は思いを馳せる。

 

「浦原さん。崩玉は……孤独を無くす為に創られたんだろ?」

「……どうしてそう思うんスか」

「俺もちょっとの間だけ崩玉と融合して感じたんだ。崩玉が記憶してる思いを。藍染が創った崩玉は、藍染の孤独を埋めようとしてあいつと一緒になった。浦原さんの創った崩玉は、俺に味方してくれた。二つの崩玉に触れたから分かるんだ。どっちの崩玉にも意志があって、性格もちょっとばかり違えけど、同じだったんだ……誰かの孤独を助けようって思いが」

 

 『誰なんだ?』と一護は真っすぐな瞳で問う。

 浦原は数秒逡巡した後、トレードマークでもある縞々模様の帽子を脱ぎ、空を―――否、もっと遠くに在る物を見つめるように顔を上げた。

 

「……藍染サンがその座を取って代わろうとした相手っス」

「藍染が?」

「ええ。彼は世界になくてはならない存在。故に孤独を強いられたとも言える存在っス。崩玉はその存在に代わる事ができる代物……捉え方次第じゃ、藍染サンがその座を取って代わる事でその存在をこれから続く孤独から助けるとも言えるでしょう」

「浦原サンもそのつもりで崩玉を創ったのか?」

「いいえ、アタシはただの探求心です……研究者としての。ただ、そういう使い方もあると知ってからは、崩玉にそのような大義を背負わせる事で、創ってしまった崩玉(かれ)を認めようとしていたのかもしれません」

「……そうか」

 

 浦原のぼかした説明にも熱心に耳を傾けていた一護は、説明を聞き終えるや否や、清々しいと言わんばかりの笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「ありがとな、浦原さん。それならあいつも報われるよ」

「! それは……崩玉の事スか?」

「ああ」

 

 最後は自分に味方し、一時は融合を果たして心を取り込んだ藍染を止める力を貸してくれた崩玉―――彼に思いを馳せる一護はこう言い放つ。

 

「崩玉は心を取り込んで具現化する能力(チカラ)持ってるんだろ? だったら、俺の『また会おうぜ』って心もわかってくれた筈だ」

 

 存在してはならないなど悲しすぎる。

 故に一護は、消え行く崩玉に一つの願いを胸の中で唱えた―――またどこかで会えるように、と。

 

「生まれ変わりとかそういうの今まで信じてなかったけどよ……きっと、また会えるよな」

「……ええ。輪廻とはそういうものっス。貴方が心の底から願うのであれば……」

「―――黒崎くんっ!」

 

 溌剌とした声が木霊する。

 弾かれるように一護が顔を向ければ、そこには命懸けで助けた仲間達が並んでいた。

 涙ぐんだ顔を浮かべる織姫を始め、雨竜、泰虎、ルキア、恋次、焰真と。真っ先に駆けつけてくる織姫は、別れた時より大分恰好の変わった一護に目を白黒させるも、『井上!』と呼びかける彼の声を聞き、細かい事は頭から捨てるように満面の笑みを浮かべる。

 

「よかったぁ……本当によかったよぅ……皆無事でぇ……!」

「なんつー顔してんだよ、井上。ほれ、俺はこの通り怪我ないぜ」

「怪我はなくとも聞きたい部分は色々とあるがな」

「その通りだぜ」

 

 うれし泣きする織姫の背を擦るルキアの視線は、一護の恰好へと向いている。

 続いて恋次が『なんだよ、そりゃあ』と揶揄うような口調で続けた。

 

「ルキアも髪短くなりやがったと思ったらよ、オメーは髪長くなったり短くなったり忙しい野郎だぜ」

「は? ……あぁ、ルキア髪短いな。どうした?」

「今更か、焰真!!」

 

 ここに来てようやくルキアの髪が短くなったことに気が付いた焰真の呑気な言葉に、ルキアのみならず他の者達も驚いたように焰真へ視線を向け、次の瞬間には堪らず吹き出していた。

 朗らかに、そして緩やかに流れる穏やかな時間。

 これこそが一護達が護ろうとしていたものだ。

 他愛のない、それでいて掛け替えのない日常。元通りとまではいかないが、これからは今まで以上に素晴らしい日々を送れる予感を覚えさせてくれる。

 

「そうだ! 井上、舜盾六花返すぜ」

「あ、そう言えば!」

「サンキューな。こいつらのお陰で俺は戦えた。こいつらと井上のお陰だ」

「う、うん……」

 

 一護が織姫の手に触れれば、目に見えぬ力の流動と共に能力を失っていた織姫の形見のヘアピンに能力が戻った。その際、織姫の頬がやけに紅潮していたのは気のせいではないだろう。

 同時に、藍染との戦いで一護と共に活躍した六花達が、織姫との再会に喜ぶように彼女の周りを飛び回る。

 

 そのような微笑ましい光景に誰もが頬を緩める中、ただ一人、雨竜は一護の異変に気が付いていた。

 

「黒崎、お前霊力が……!?」

 

 一度失った雨竜だからこそ気が付けた異変だ。

 彼の言葉を耳にした者達は、一斉に一護の方へ向く。確かに一護の霊圧は限りなく小さくなっていき、感じられる霊力も次第に薄れていっている。

 衝撃の事実に驚愕と困惑を隠せない面々。

 一方で一護は不思議な程に落ち着いていた。

 

「ああ、俺はもうすぐ……死神じゃなくなる。今は霊体だから、まだルキア達の事も見えてるけどな」

 

 藍染を確実に倒せるよう、一護が己の全てを懸けた一撃。

 文字通り一護の虚として、滅却師として、そして死神としての全てを代償に得た一時的な超絶した力も程なく消えていく。

 その証拠に、死覇装と滅却師の白装束を混ぜたような服装も消え、真っ白な着物へと変容しているではないか。一護へ死神の力を渡したルキアの死覇装もそうであった。

 

 動揺を隠せぬルキア達。

 そんな中で、一護の覚悟を目の前で見届けた焰真が歩み出る。

 

「本当にいいのか?」

「ああ、後悔はねえよ。寧ろ、尸魂界的にはルキアから死神の力貰って俺が好き勝手やってた方がおかしいんだろ? 世界護って力失って……だったらこれでチャラじゃねえーか。後腐れもねえからこれでいいんだよ」

 

 強がりだ。一護の取り繕った言葉に隠された感情を誰もが理解していたが、口に出せなかった。

 

 それほどの覚悟を決めて失った彼の思いを踏み躙れようか?

 

「……そうか」

「……悪いな、気ィ遣わせちまって」

「何か手伝える事はないか?」

「そうだな……じゃあ、皆によろしく伝えておいてくれ」

 

 焰真を、恋次を、そしてルキアと順番に見つめた一護が、尸魂界に住む者達への想いを告げる。

 

 

 

「―――ありがとう」

 

 

 

 決して忘れられぬ時間を共にした仲間への感謝の言葉を。

 夢にまで見たただの人間へと戻る一護。言葉にできぬ喪失感により、ぽっかりと心に穿たれた孔を掌で覆い隠し、彼は非日常(にちじょう)から決別するのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 藍染の反乱から早数か月。

 世界は何事もなかったかのような日常を取り戻している。

 

 

 

「乱菊さん。これ、五番隊からの差し入れです!」

「お~、ありがとね雛森! って、あれ? 髪短くしたのね。ふ~ん……そうなのね、ふ~ん」

「な、なんですか……?」

「べっつに~♪ 隊長ォ~! 雛森のショートヘアー似合ってると思いませんかァ?」

「何で俺に話を振る……別に髪が切った事ぐらいなんだって……」

「あ~、ホントそういうとこダメダメね~」

「おい! なんか言ったか、松本ォ!」

「何も言ってませ~ん! 雛森、お茶しに行くわよォー!」

「えっ!? あ、あたしまだ仕事が……」

「待て、松本ォ!!」

 

 

 

 取り戻した日常の尊さを噛み締めながら、彼らは今日も生きている。

 

 

 

「恋次、私はもう上がるぞ」

「へ? あぁ、はい! お疲れ様でした、朽木隊長!」

「……最近朽木隊長上がるの早いですね、恋次さん」

「理吉。そりゃあ、朽木隊長には家で可愛い嫁さんと―――」

 

 

 

 取り戻した日常は、ともすれば良い未来だと言えるだろうか。

 

 

 

「地獄も中々悪い場所じゃあないな、バラガン」

「アルトゥロ……ふん、ちょうどいい。虚圏には飽き飽きしていた所だ。まずは儂が地獄の王―――否、神とでもなろうかの」

「何? 貴様、私の目の前で神になるとほざいたか? 笑わせてくれる!! この阿鼻叫喚の地獄を統治するに相応しいのはこの私だ!!! いずれ三界をも我が領地とする足掛かりの為にな!!!」

「成程……ならば、まずは貴様を始末せん事には話は始まらん」

「面白い。いい加減貴様とは決着をつけたかった所だ。構えろ、バラガン」

「望む所じゃのう……アルトゥロ」

「クハハハハ!!!」

「フハハハハ!!!」

 

 

 もしかすると、悪い未来なのかもしれない。

 

 

 

「ねえ」

「ん? なあに、リリネット」

「あんた、会いたい人が居るんじゃなかったっけ?」

「ああ、それは―――」

『お~い……ハリベルが呼んでるぞ~』

「あ、スタークだ! ごめん! その話、また後で!」

「オッケー! ―――……大丈夫、きっとまた会えるもんね。()()()()()()()

 

 

 

 それでも彼等は前に進む。

 

 

 

「お袋、俺が車道側歩くよ」

「あら、そう? うふふっ、一護は女の子思いね」

「……別にそういうんじゃねえって」

「冗談よ。でも、本当に大きくなっちゃって」

「そりゃあ高校生にもなりゃあこのぐらい……」

「でもね、一護。親からすれば子供はいつまでも子供なんだからね。あんまり心配にさせる事しないでほしいなぁ」

「……ああ」

「そうね……私は早く孫の顔が見てみたいわね~♪」

「っ……今そういう感じの雰囲気じゃなかったろ!」

「時々来るあの子……織姫ちゃんだっけか? お母さん、あの子良い子だと思うんだけど……」

「だぁー! だからそういうのは―――」

 

 

 

 前に進まなければならないから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 廻っている。

 

「あ~、ルキアの仕事が終わるの待ってたら約束の時間過ぎそうだぞ」

「五月蠅い!! 慣れぬ仕事も私なりに頑張っているのだ!!」

 

 世界は廻っている。

 

「都さんが寿()で三席から降りて……それでお前が三席になったんだからな。都さんの分も頑張れよ」

「言われずとも分かっているわ、たわけっ!!」

 

 歯車のように、世界は廻っている。

 

「ひさ姉の赤ちゃん……女の子だったか?」

「そうだ! 姉様のように美しく、兄様のように凛々しい面影のあるそれはもう……」

「あ~、ああ。聞くと長くなるの忘れてた」

「何だと貴様!!」

 

 例え命が、歯車に轢き砕かれる砂粒だったとしても、

 

「ほれ、そうこう言っている内に見えてきたぞ!」

「ん? 門の前に立ってるのって……」

「姉様!」

 

 太陽に焦がされ、雨に溺れ、風に引き裂かれようと、

 

「ルキア、焰真……! うふふ、年甲斐もなく待ち切れなくこうして待っておりました」

「ひさ姉、その子が……」

「はい」

 

 

 

―――『六花(りっか)』です。

 

 

 

 その上に一輪でも花が咲くのであれば、

 

「六花……」

「あうぅ~」

「六花……ははっ! ―――生まれてきてくれてありがとな」

 

 それだけで報われる。

 

 繋がる命が希望(みらい)になると信じ、彼らは進む。




この度はBLESS A CHAINを読んで頂き誠にありがとうございました。
78話に及ぶ長編となりましたが、皆さまには楽しんで読んで頂けたでしょうか? 原作では本来死亡していたキャラの生存、展開の変更など、自分なりに色々と試行錯誤して執筆致しました。読者の皆さまの琴線に触れる作品に仕上がったのであれば、作者冥利に尽きます。

BLESS A CHAINはこうして破面篇を区切りとして完結とさせて頂きます。
個人的には元破面ズの動向は別作品…外伝として書きたいと思っているのですが、何分これから私事で執筆に時間がとることができませんので、投稿するまではかなり期間が空いてしまう事はご了承下さい。
千年血戦篇については未定です。

他にも綴りたい事はありますが、その他の事については後程活動報告にまとめさせていただきますので、そちらをご覧になって頂ければと思います。

改めてにはなりますが、BLESS A CHAINを読んで頂き誠にありがとうございました。
主人公・焰真の救済の物語は、緋真と白哉の娘・六花(名前の意味は活動報告の方にて)の誕生で締めくくらせて頂きます。
また違う作品でお会いできればと思います。

それでは、柴猫侍でした。

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