「おおおおおッ!!」
「チィ……ッ!!」
漆黒の中、瞬く二条の流星。
かつての強敵を下した相手に出し惜しみする必要などなく、即座に卍解した一護は漆黒に染まる斬魄刀───新生『天鎖斬月』を振るう。
その刀には様々な想いが込められている。
一護の父・一心の斬魄刀『剡月』をベースに、護廷十三隊や仮面の軍勢、その他様々な者の協力を得て、彼の強大だった霊圧を失う以前を上回る霊圧を取り戻せるよう拵えた。
最後には一護の魂魄に馴染みやすいよう、全ての始まりとなったルキアと、一度”絆の聖別”で力を受け渡した焰真───二人の共同作業により力を取り戻すに至ったのである。
加えて、銀城に奪われた完現術も、その全てが一護の中から消えた訳ではなかった。
僅かばかり残滓として魂魄に留まった完現術は、それを扱うべく鍛え上げた肉体と共に以前を上回る力を揮っている。
天鎖斬月の特筆すべき点は、卍解の超絶とした力を日本刀大に押し固める事により、破壊力と速度、そして持続力。この三点を遺憾なく発揮している事に他ならない。
地形を抉る威力を誇る霊圧の刃、月牙天衝。
隊長格でさえ視認する事の難しい超速移動。
体力切れという戦法を許さない燃費の良さ。
「糞!! こんな筈では……ッ!!」
“特記戦力”を相手にする以上、キルゲには油断も慢心もなかった。
ただ、それ以上に一護の強さが規格外であっただけ。
「いやぁー、流石は黒崎サンっスねぇ。敵サンも随分押されているご様子……」
「おい! お前は加勢しなくていいのか!? 二対一の方が良いに決まっている!」
「そうでヤンス! 一護を助けるでヤンス!」
瓦礫の陰に他の面子と隠れている浦原は、目を回して気を失ったネルを抱えるペッシェと、つい先ほど(砂の中から)救出されたドンドチャッカから抗議を受けていた。
「そんなムチャ言わないでくださいよ。あんな戦いにホイホイ割り込める訳ないじゃないっスかァ」
が、浦原はひらりと流す。
直後、衝突の余波で巻き起こった砂の津波が浦原達を襲う。激しく咳き込む破面を余所に思案を巡らせる浦原は、そのまま視線と一護へと戻した。
二人の言い分も理解できるが、生憎今回は状況が悪い。
一護は勿論の事、敵方である
例え始解して加勢したと言えど、一護の超速戦闘と、彼の猛攻を凌ぐキルゲの防御力を前には有効打になり得ない結果が目に見えている。更に言えば、自身が加勢する事で非戦闘員の面々が危険に晒される事態を危惧していた。ならば最初から最後まで一護に任せよう───浦原はそういう魂胆であった。
「まァ、戦況を見る限り黒崎サンが優勢っス。このまま戦っていてもいずれ彼が勝つでしょう」
「そ、そうか……? なら一護に任せるしかないな! な!? ドンドチャッカ!」
「えぇ~!? なんでオイラに聞くでヤンスか!? まさかペッシェ……戦いたくないでヤンスか?」
「ば、ばばばばば、馬鹿を言え! 私は決して怖くなんてないぞ!」
「別に怖がってるなんて一言も言ってないでヤンス」
「は!?」
と、二人の漫才は流し、浦原は冷静に分析を開始する。
采配としても、自分が加勢するよりも情報収集に徹した方が理に繋がる事は理解していた。
だからこその観察。浦原の慧眼は、持ち得る幾万の知識と照らし合わせられ、刻一刻と敵の正体を暴いていく。
(滅却師の異様。あれは滅却師最終形態とも違うものっスね。滅却師完聖体と仰ってましたが、確かに別物なんでしょう)
それでいて霊子の絶対隷属能力は持ち合わせている。霊力の衰えが感じられない以上、発動と代償に力を失うようなものではない。
継戦能力がある。その一点だけでも、滅却師最終形態とは天と地ほども隔たりがある。
(それと『ブルート』と呼んでいた能力。見る限り、血管に直接霊子を流し込んでいる様子……それで防御能力が飛躍的に上昇している。いえ、反撃しようとする際の挙動を見る限り、攻撃側にも割り振れるんスかね?)
キルゲの表皮に奔る模様。それを浦原は見逃さなかった。
詳しい論理はさておき、血管に霊子を流し込む事で攻撃か防御か、いずれかの能力が向上する───これが重要だ。
今でこそ天鎖斬月の超速戦闘を凌ぐ鉄壁の守りを見せるキルゲだが、逆に言えば攻撃側にブルートを発動すれば、一気に守りの手が緩む訳だ。
攻撃と防御、どちらにも割り振れば効力が薄まるのか、はたまた一度に発動可能なのは片方だけなのか。
いずれにせよ両方同時に発動していないところを見る限り、付け入る隙はあると見た。
(そして卍解奪掠……しかし、これは)
殉死した雀部の報告にあった最も注意すべき滅却師の能力。
───なのだが、幾度もキルゲが詠唱を口にし、謎の波動を放つ金属板を掲げたところで一護の卍解は奪えていなかった。
特定の条件が揃わなければ奪えないのか?
奪われた者と奪われない者の差異は?
それとも、一護そのものに理由があるのか?
(黒崎サンは色々と
今は、滅却師にも奪えない卍解があると分かっただけでも万々歳だ。
更なる観察を進めよう───そう視線を光らせた浦原の懐にて、一台の伝令神機が震えた。
すぐさま応答ボタンを押し、阿近から届いた電話に出る。
「ハイ」
『───緊急事態だ、浦原喜助』
───そんな予感はしていた。
予想していた最悪の事態は、昔のようにまんまと的中していた。
だが、その時と同様に焦燥も動揺も見せない彼は毅然と現実を見据える。全ては事態の解決を図り、次なる一手を打つ為だ。
───さて……既に打った手のどれが役立つか。
未曽有の危機の渦中にある瀞霊廷の報せを受けながら、浦原の思考は巡る、巡る。
***
───滅却師は卍解奪掠の手段を持ち得ている。
その情報を死神全員が共有していたかと言えば、それは違う。
正確には“卍解を封じる手段を持っている”と認識していた。それが奪掠か封印かは判明していない現時点で、最も正確に言い表せる表現であったからだ。
初めから奪掠だと分かっていれば、誰であろうが卍解を使おうとは思わなかっただろう。
しかし、それは誰か一人でも犠牲にならなければ明らかにならない。
ならば、自分が───そう奮い立ちながら活路を切り開こうとした隊長格であったが、彼らは平静ではなかった。
開戦直後にも拘わらず既に千名を超える犠牲。大勢の死神が死した事で力を持たぬ住民を護る陣も意味をなさなくなっていたのは明瞭。
そんな焦燥が、“封印ならば破る術を見つければいい”───何とも甘く、淡く、それでいて浅薄な幻想と希望を抱かせた。
そう。既に死神達の中に、絶望が立ち込めていた他ならぬ証拠であったのだ。
「これは……封印ではない……」
瞠目する白哉。
「───な……」
言葉を失う砕蜂。
「卍解を……奪われた!!!」
後方を見遣る狛村は、消えていく鎧武者に手遅れである事を実感した。
「何も……感じねえ……何とか言えよ……何とか……言ってくれよ……氷輪丸……!!!」
だが、
「氷輪丸!!!」
ただただ悲痛な慟哭が、死神の断末魔に混じって空に木霊するだけだ。
「フふフ、フ。貰っちャッタ……君ノ
『成程、これが雀蜂雷公鞭……確かに破格な威力だ。お前に代わり有意義に使わせてもらうとしよう』
「アッハハァ!! 奪われるって分かってて使うってホーント馬鹿みたい!! 飛んで火にいる何とやらってね」
「……安心するといい。君の卍解は───僕と共に生きる事になっただけだ」
死神の切り札を手中に収めた滅却師───その中でも指折りの実力者にのみ選ばれる聖絶の使徒は、動揺の渦に呑まれる死神へ慈悲なき凶刃を振り下ろす。
卍解なくば勝てぬ相手。しかし、卍解は奪われた。
ならば待つ結末は一つ……蹂躙という未来だけ。
一つ、また一つと命の灯が消えていく。
ある者は失意の中で、ある者は絶望に打ちひしがれ、ある者は最愛の者に言葉を唱え。
閃いては消える星の数々に───焰真は奮っていた。
「劫火!!! 大炮ォォォオオオ!!!」
絶叫に等しい雄叫びと共に大文字がハッシュヴァルトを襲う。
しかし、断罪の砲火も滅却師には通じなかった。
静かに構え、一閃。横薙ぎの斬撃が大文字を両断してみせる。
難なく攻撃をいなしたハッシュヴァルトはと言えば、炎の奥で身構える少女を垣間見た。
「次の舞───“白漣”!!」
───二段構え。
炎の次に襲い掛かる冷気の波。
棒立ちしていれば氷像になりかねない攻撃に、ハッシュヴァルトは剣を振るった。
すると、瞬く光刃から一本の矢が解き放たれる。
「はああっ!!!」
それを許さぬのが焰真だ。
友へ迫りくる矢を、殺さんばかりの勢いで斬り落とす。余りの刃の威力に、神聖滅矢は音を立てる間もなく霧散した。
「無事か、ルキア」
「済まぬ。しかし、奴は手練れだぞ。生半可な攻撃では……」
「分かってる」
並び立つ焰真とルキア。
当初は一人で死闘を演じていた焰真であったが、遅れて到着したルキアと共に眼前の滅却師に立ち向かっていた。
強い───底が見えぬ程。
焰真でさえ煮えくり返るような激情がなければ、恐れおののき、挙句震えていたかもしれない。ルキアも彼と同様に多勢ながら劣勢に傾いている戦況に冷や汗を流している。
「焰真、聞け」
「なんだ?」
「私が卍解を仕掛けて隙を作る」
「なっ……に言ってんだ、ルキア!?」
「いいから聞け! 私の卍解は一瞬だ。発動と共に攻撃の大半は終える……ならば私が奴の足を止める。貴様はトドメを刺せ」
端的に語られた作戦に焰真は目を見開く。
───ダメだ、ルキア。
辛うじて言葉に出さなかったものの、余りに分が悪い賭けだ。
しかも、彼女の卍解は一瞬の攻撃力に特化した結果、その直後から彼女自身の防御は紙に等しい心許なさになる。
仮にトドメを刺し切れず反撃を受ければ、その時死ぬ人間は紛れもなく彼女だ。
幾ら事態が切迫しているからと言って、彼女を危険に晒すような真似はできない。
だが、このままでは延々と戦いが長引き、犠牲が増えていく一方である事もまた事実。
葛藤に苛まれる焰真からは、ギリッ……、と歯ぎしりする音が響いた。
彼には苦しい決断を強いる。
しかしながら、自分の命惜しさに及び腰になり犠牲を増やしてはならない。ルキアは最愛の姉や義兄、そして生まれたばかりの姪の顔を思い出しながら、霊力を高める。
全ては、決着をつける次の一瞬の為。
「白霞罸か」
「っ! 何故その名を……!」
「君達の卍解は我々の情報として共有されている。朽木ルキア……君の卍解は美しく、繊細で───余りにも脆弱だ」
「……試してみるか?」
強がるルキアだが、的を射る発言に背筋が悪寒に襲われた。
するとやおらハッシュヴァルトの視線が焰真へ移る。
「芥火焰真。私が滅却師である以上、君の始解では決定打は与えられない。星煉剣ならばまだしも、煉華で私を倒す等無謀だ」
「……本当にそうだと思うか?」
「虚勢は無駄だと言っている」
「舐めた事抜かすなよ。刃さえありゃあ、お前を斬るには事足りる」
「成程」
滅却師に死神の情報は筒抜けだ。
どうやって手に入れたかは不明だが、卍解の能力も知られている以上、ルキアの提案した捨て身の特攻も本来の効果を得られまい。
さらに言えば、敵の
(此奴に傷をつければ私達にも傷が現れる。傷の共有が能力か? 出来れば一撃で仕留めたかったが、始解では……!)
互いに───否、正確に言えば焰真とハッシュヴァルトの間に存在する傷の数々。
ハッシュヴァルトが手練れとは言え、ともすれば卍解以上の力を発揮する完現術“絆の聖別”を前にすれば、体のあちこちに浅い刀傷を刻まれる結果は避けられなかった。
しかし、そうして焰真が一太刀加える度に焰真の体の同じ部分にも傷が生まれる。それは隣に居るルキアも例外ではなく、敵の攻撃を受け、あまつさえ自分らが加えた傷が浮かぶ分、二人には余計な負傷が増えてしまっていた。
だからこそ能力が発動されるよりも早く───一撃で仕留めたかった。
それが不可能となれば、やはり残された道は地道に削り合う消耗戦。
けれど、それではいけないのだ。相手に分があり過ぎる。
(どうする? どうする? どうする……ッ)
思考が途切れた。
遠方で唸る轟音の中で、最愛の一つが風に吹かれて消えんとする気配。
これは───。
「───兄様……?」
「ルキアッ!!!」
遠方で掻き消されそうになる気配に意識が向いた瞬間だった。
解き放たれる矢から庇うように焰真がルキアを抱きかかえ、その場から離れる。
「焰真!!? 済まぬ、私の所為で……!!」
「平気だ!! それよりいったん体勢を整えるぞ!!」
だが、と叫びたかったが、寸前で呑み込む。
自分を抱きかかえる焰真の肩からは、むせ返りそうな鉄の臭いと共に、生暖かい液体が伝って落ちてくる。
肩を穿つ光の矢を引き抜いたのは、先程まで交戦していた場所からほんの少しばかり離れた物陰。その気になれば直ぐに見つけられてしまうだろうが、今はそれで十分。
はぁ、と一つ大きな息を吐く焰真。
大きく肩を揺らす彼は、じっとりと汗に滲んだ顔を手で覆いながら告げる。
「ルキア。朽木隊長なら大丈夫だ。近くには恋次だって居る。だから……だから……」
「焰真……」
己へ言い聞かせるように繰り返す焰真。
彼の心中を察し、ルキアはそっと震える手を重ねた。
───冷たい。
あれだけ激しい戦いを演じていたにも拘わらず、目の前の戦友の手は酷く冷え切っていた。
徐に顔を覗けば、血の気が引き切って蒼白と化した面持ちが視界に飛び込んでくる。
これ程までに弱弱しい姿は見た事がない。現世へ先遣隊として赴き、彼が抱えていた秘密を吐露してもらった時でさえ、ここまで動転した様子は見せていなかった筈だ。
気持ちは痛い程に解った。解ってしまっていた。
ルキアも今すぐに絶叫したい衝動に駆られている。
最愛の家族が死に絶えようとしているのだ。育て親の顔も知らず、野良犬のように流魂街を駆けまわり、安寧を求めて死神となろうとした最中、生き別れた姉と共に掟を破ってまで家族へ受け入れてくれた義兄が、だ。
彼らは何者にも代え難い宝物。そこへ一人の赤子が、決して離れる事のない家族の絆の象徴として生まれ落ちた───その矢先に。
耐えられない。心臓が張り裂けそうだ。今すぐにでも走って駆けつけたい。
しかし、そんな彼女の理性の箍こそ、目の前の友を支えようという献身の一心であった。
───最早、已むを得まい。
これ以上失わぬよう、ルキアは決意した。
「……焰真。貴様は滅却師の頭目の下へ向かえ」
「……は?」
突然の提案に焰真も理解が追い付かなかった。
けれど、自分を見つめる瞳の真っすぐさが、それを嘘だと打ち払う考えを許さない。
「良いか、冷静になれ。賊軍は私達の情報を知っている。その上で貴様と戦う事を選んだ奴には、貴様に対抗する手段を持っているという意味だ」
「そりゃあ……まあ、そうかもしれねえけど」
「だが、逆に考えてみろ。
「!」
そう言えば、と焰真がハッシュヴァルトの言葉を思い返す。
長ったらしい肩書の細部までは思い出せない。が、それだけの肩書を持つ以上、相応の実力を持っている事は実際に体感した所だ。
そして、先の会話が鍵となる。
敵は自身の斬魄刀の能力を知っていた。
仮に自分が敵方の能力を知っているとして、味方と駒として動かせるならば───有利になる組み合わせを狙う筈。もしくは明確な目的を踏まえて、だ。
それが導き出す答えは、
「奴の目的が……焰真! 貴様の足止めだとするならどうするべきだ!?」
「俺が……滅却師の頭目を……!?」
「最早猶予はない! この戦争を……いや、虐殺を終わらせたいのなら、それしか方法はない!」
───それだけの力があるのだから。
柔らかな微笑みと共に、二人の間に拳を握ったルキアが告げた。
その時、殺戮の天使も舞い降りる。
「そうはさせません」
『!!』
「私が今回陛下から直々に下された命は一つ───“特記戦力・芥火焰真を喰い止めよ”」
やおら、ハッシュヴァルトが地面の影へ腕を突き立てる。
すると引き抜かれた腕にはどこからともなく現れた盾が装着されていた。一見何の細工もされていない代物に見えるが、態々己が受けた命令を暴きながら追いかけてきた以上───本気になった事は確かだ。
焰真は即座に臨戦態勢へ。
しかし、そんな彼を足蹴にするように飛び出たルキアが、喉から声を迸らせた。
「往けェ!!!」
「ッ───ああ!」
それから振り返る事はなかった。
瞬歩で立ち去る焰真。彼を追いかけようとするハッシュヴァルトであったが、行く手を阻むように断崖の氷壁が生み出される。
「……まんまと追わせると思ったか、滅却師」
「……降伏するのであれば命は見逃しましょう。陛下は寛大な御方だ。芥火焰真と共に我らの麾下に加わるとなれば、例え死神の君でもお許しになられる筈だ」
「たわけた事を抜かすな。誰が貴様らの……仲間を殺して回る輩と!!! 焰真が手を組むかァ!!!」
降伏を勧めるハッシュヴァルトであったが、それがルキアの逆鱗に触れた。
迸る冷気は彼女の怒りの現れ。
周囲は無差別に解き放たれる冷気で白銀へと彩られていく。
それすらも
「……それが君の選択という訳か」
残念がるように。あるいは、落胆するような口振りで。
「最早この戦争に、意味等はない」
「……なんだと?」
「初めから決まっている、この戦争の未来は。それを陛下は御知りになられている」
「未来、か。残念だがその未来は当てにならんな……貴様らの思い通りになると思うな」
「誰もがそう口走る」
剣を空に掲げるハッシュヴァルト。
直後、彼の頭上には眩い光を放つ光輪が生まれた。
「そしてこう言うのだ───『こんな筈ではなかった』とな」
「!!」
一条の光芒が、氷を焼き尽くす。
***
届かない。
届かない。
どれだけ手を伸ばしても。翼を生やしても。天目掛けて矢を放とうとも。
遥か上を行く月を───黒崎一護を捉える事ができない。
「くそおおおッ!!!」
苛立ちを隠さぬキルゲ。自棄とも取られかねない様相で放つ神聖滅矢の驟雨は、一斉に一護へ降りかかる。
「月牙……天衝ッ!!!」
「ぐう!!?」
だが、たった一閃の黒い牙が光の矢を呑み込んでいく。
「!? 何処に、ッがぁ!!?」
視界を覆う黒を血装───正確には防御用の
その一瞬の隙に一護の姿を見失ったが、答えは直ぐに自身を横に弾く斬撃によって返ってくる。
肺から空気が絞り出されて意識が眩む。
だが、キルゲの矜持───滅却師としての誇りが気絶するという醜態を許さない。光の翼で羽搏き、強引に上空へ飛び上がる事で体勢を整える。
それを追うように飛翔する一護は、お返しと言わんばかりに繰り出される神聖滅矢を弾き、キルゲの頭上に回り込むや否や全力で天鎖斬月を振り下ろす。
「ぎいいいいッ!!?」
地面へ垂直に落下する天使は、砂の海へまんまと叩き落された。
間もなく這い出てくるキルゲであったが、その頃には一護も地へ降り立ち、直ぐにでも攻撃へ移れるよう身構えている。
最早取り繕う余裕すらなかった。
今目の前に居る特記戦力は、自身の想像を遥かに上回る力を持っている。決して侮っていた訳ではない。陛下が特記戦力と特別視した以上、護廷十三隊の隊長格同様、いやそれ以上の警戒心を持って対峙したつもりだ。
───それでもまだ足りないというのか!?
黒崎一護が死神の助力を得て力を取り戻した経緯は、勤勉なキルゲだからこそ
しかし、霊力と言っても所詮は本人の素質に依存する。
例え黒崎一護が霊力を取り戻したとて、得られる力は失う以前と同じでしかない───そうとばかり思っていた。
(厄介だ……こいつの戦闘力は最早私が対処できるレベルではない!
刹那、脳裏を過る主君の顔。
誰よりも偉大で神聖なる滅却師の王である人物だが、平和の為ならば味方の犠牲を厭わない節がある。
とりわけ不始末を犯した配下に対しては、死を以て償わせるきらいがあった。
もしもここで『敵に勝てませんでした』とおめおめ帰ってみろ。待っているのは断罪と言う名の一方的な虐殺。滅却師の王たる彼に、遍く滅却師は反逆する事を許されず、ただ力と魂を命と共に奪われるだけ。
(そんな結末は認められん! 私は今まで身を粉にして陛下へ尽くしてきたのだ! それが……それがたった一度の敗北で泥を塗られ、陛下に見限られるなど!)
「あっては───ならんのだ、あ゛ッ……!!?」
「なっ!?」
血反吐と共に吐き出した。
突如として訪れた結末に目を見開くのはキルゲだけではない。
一護は、彼の胸から突き出る鋭利な凶爪と、次の瞬間に心の蔵を握り潰した一匹の人獣を見遣った。
「グリムジョー、お前……!?」
「……ケッ!!」
キルゲの胸から腕を引き抜いたグリムジョーは、一山いくらの肉塊と成した臓腑を投げ捨てる。
彼はキルゲの手により動けなかった筈。そう思い至った一護であったが、
───舜盾六花か。確かに彼女の事象の拒絶であれば、得体の知れない封印術であっても回帰によって無力化できるだろう。あの崩玉でさえ融合以前に回帰させた神の領域を冒す異能だ。それだけの芸当を為し、納得こそすれど疑問は抱かない。
これにて虚圏を脅かす脅威は打ち払われた───にも拘わらず、漂う空気は戦闘中の緊迫感のままだ。
「黒崎ィ……これで漸くてめえとやり合えるな」
「ま、待てよグリムジョー! 俺は今日お前と戦う為に来た訳じゃ……!」
「うるせえ! てめぇがどんな心算で来たか知らねえが、他人様の縄張りにまたノコノコと足踏み入れたんだ。喰われる覚悟は当然できてるだろ……!?」
獰猛に笑うグリムジョーが牙を剥く。
最早戦闘は避けられない。張り詰めた緊張感に身構える一護であったが、そこへ投げられる伝令神機が場の空気を変えた。
「黒崎サン、緊急事態です。尸魂界へ向かって下さい」
「浦原さ……!?」
「説明は後です。穿界門は開いておきました。詳細は移動しながら阿近サンから聞いて下さい」
普段の飄々とした様子はどこへやら。
いつになく真面目な面持ちの浦原は、そう言って穿界門を指し示す。
「ッ……ああ、分かった」
それだけの言葉で事態の重大さを理解した一護は、迷う事なく穿界門へと飛び込んでいく。
「逃げんな、黒崎ィ!!」
「まーまーまー、ちょっとお待ち下さい。事情はアタシの方から説明させて頂きますから」
「退け!! てめえから殺してやろうか!!」
一護が立ち去った虚圏では、早速彼を逃がした浦原がグリムジョーに詰め寄られていた。
グリムジョーによって一護は殺さなければ気が済まない好敵手。それをみすみす逃がされてしまったのだから、彼にしてみれば怒り心頭にならざるを得ない。
(大丈夫かなぁ、浦原さん……)
それを遠目に眺める織姫。
浦原の腕は心から信用しているだけあって、グリムジョーに殺される心配はしていないが、元々心優しい彼女の性根だ。無益な険悪な雰囲気はどことなく落ち着かない。
どれだけ力になれるかは分からないが、自分も仲裁に割って入ろうか。
───その時、視界が光に覆われた。
「!」
反射的に腕で顔を覆い隠す織姫であったが、白に包まれる景色の中、数名の霊圧が消えた事を直覚した。
「浦原さん!? グリムジョーくん!!」
「ぐッ……なん、だァ……!?」
「ッ……迂闊な」
それは完全に全員の虚を突いた襲撃だった。
体を掠った霊子の矢に射貫かれた浦原とグリムジョーは血を流し、光の檻に捕らえられていた。
浦原でさえ、その襲撃は予測できなかった。
胸を貫かれたのだ。心臓と背骨の一部を失った。人体の構造的に動ける筈がない───そんな油断が生み出した結果に、浦原は歯噛みし、自身らを捕らえた檻を作った滅却師に目を向ける。
虚でないにも拘わらず胸に虚空を穿たれたキルゲは、『してやった』と不敵な笑みを浮かべていた。
今にも死にそうな姿。
口からは滂沱の血がとめどなく溢れ出しており、全身の至る所が脱力していた。
しかしながら、彼の体を支える霊子の糸の束は傀儡のように彼の体を緻密に操る。
才ある一部の滅却師のみが体得できる、霊子を操る眷属としての超高等技術。
「フ、フハハハ……みすみす行かせはしませんよ。私が陛下に与えられた命は……命を賭しても黒崎一護を足止めする事!!」
「っ、待って!」
剣を振り上げるキルゲに織姫と泰虎が駆け出したが、既に遅かった。
キルゲから解き放たれた光矢は、穿界門を潜って尸魂界へと向かっていた一護の下へ疾走する。
それだけであれば、二人の一護への信頼から無事を確信していただろう。
しかし、直後に黒腔の中で消失する霊圧を感じ取れば、少なくとも平静は取り繕えなくなっていた。
(何、あの能力!?)
一見すれば光の檻にしか見えないが、それに囚われた者の霊圧を知覚できない事実に戦慄する織姫。
これでは黒腔を進む一護が無事であるかも分からない───いや、浦原達と同じように感じられないなら、彼もまた檻に囚われたと見て間違いない。
瞬く間に強者三人を封じ込めた能力に慄きながらも、織姫と泰虎はキルゲへ立ち向かう。
「孤天斬盾!」
「“
「無駄ですよ!」
『!』
共に立ち上がった二人であったが、死に体の身体にも拘わらず正確かつ俊敏な狙いで放つキルゲの矢から逃れる事はできなかった。
二人の眼前で花開いた光矢は、そのまま彼らを取り囲む格子を成す。
「こんなもの……なっ!?」
「双天帰盾! ……えっ?」
檻を殴り腕力で脱出を図る泰虎。
片や、双天帰盾の回帰で捕縛を無力化しようとする織姫であったが、自身を捕らえる光の監獄の異質さに目を見開いた。
(回帰……できないっ!?)
「ハハハハハ!!! 無念ですねえ!!!」
嘲るように哄笑するキルゲは、己が閉じ込めた者を見渡す。
誰も彼もがキルゲの創り出した監獄から抜け出そうと奮闘しているが、未だ抜け出せる者は居らず、一護を助けに向かえる者も居なかった。
目を覆いたくなる事実に織姫が息を飲んだ。
「そんな……嘘っ!」
「私が陛下より授かった
「貴方方はその“監獄”から逃れる事など決してできない!!!」
この能力こそが、キルゲが
一部の種族を除き、脱出不可能の監獄で対象を捕らえる事ができるのだ。戦闘向けとは言い難いが、敵を足止めするという一点に限ってはキルゲの右に出る者は居ない。現に尸魂界一の天才や十刃、そして特記戦力筆頭を封じ込めてみせた。
───最早私の勝ちだ。
間もなく自分は死ぬ。
が、与えられた使命を最低限こなした。
「しかし……
「まっ、待て……!」
動き出すキルゲを前に、
だがしかし、直後にキルゲの背後で歪む空間に目を見開く。
その微細な様子の変化を、キルゲは見逃さなかった。
「何者です!! 私の背後を取ろう等という不届き者は!!」
振り返ると同時に、再び“監獄”の矢を解き放つ。
すれば開きかけていた空間の裂け目が、みるみるうちに縫い付けられていく。
これでは出てくる者も出てこられない。
煌々と輝く光は、
「
「な゛、ぃ゛……っ!!?」
***
「はぁ……はぁ……はぁ……!!!」
走る。走る。走る。
線となる景色に目もくれず、瓦礫と化した街並みを、物言わぬ亡骸となった死神の尸を踏み越えて突き進もうとする。
だが、時折嫌でも目に入る覚えのある顔に、足の動きが鈍くなってしまう。
その度、焰真は血が滲む程に唇を噛み締めては、弔いたいと思う己の心を殺して先を急ぐ。
先刻から滅却師の頭目と思しき霊圧は、剣八と交戦状態に入っている。
しかし、状況は芳しくない。当初は強大であった剣八の霊圧が徐々に弱まっていく事で、彼の敗北の近さを瀞霊廷で戦う死神に否応なしに知らせる。
あの剣鬼を倒すとなれば相当の実力。
そんなことは分かり切っている。
卍解が使えぬ自分が向かったところで、どれだけ戦えるかも分からない。
それでも、それでもだ。
「……さねぇ」
薪をくべたように集う魂が。
「絶対に……赦さねえ……!!!」
応じて燃え盛る己の魂が、焰真を地獄の道へと導いていた。
よもや、これ以上
「───っとぉ! 見つけたぜ、芥火焰真ぁ!」
鶏冠を彷彿とさせるモヒカンを揺らす男が立ち塞がる。
「てめえが此処に居るって事は、ハッシュヴァルトの野郎ヘマこきやがったな! だがまァ、それで俺んトコロに手柄が来るんなら願ったり叶ったりだぜ」
相手の口振り。やはり自分は滅却師の軍勢から特別視されているのだろう───漸く確信を得られた焰真は、凄惨な表情のまま、言葉を発する事なく斬魄刀を抜く。
「待て、バズビー。俺も混ぜろよ。手柄はお前だけのもんじゃねえ」
「チッ……下がってろよ」
「そうつれねえ事言うなよ、なぁ?」
遅れて現れ、白黒と交互に彩られた歯を覗かせて笑う男もまた、焰真を狙う狩人。
前後を挟まれた。
前門の虎後門の狼と言ったところだろうか。
しかし、敵の来襲はそれだけにとどまらなかった。
「うむ!? 先を越されてしまったな、エス・ノト!」
「君ガ時間をカけ過ギルからダヨ」
「そう言うな! ヒーローは遅れてくるものなのだからな!」
白哉と恋次の二人と戦っていた滅却師の霊圧だ。
自然と斬魄刀の柄を握る力も強くなる。いや、吉良を殺した仇が目の前に現れた瞬間から抑えられていなかったのだろう。
形容し難いドロドロと熱に熔かされた感情を表すように、空間が軋むほどの霊圧が焰真から解き放たれる。
瞳を見開く四人の滅却師。
それから吊り上がる目尻や口角は、眼前の死神が想像通りに想像以上で想像以下な力しかないと断定したからか。
一つだけ断言できるとすれば───四人に焰真の前から立ち去るという選択肢がないという事だ。
「悪く思うなよ。こいつは戦争だ。リンチになろうが俺らが知ったこっちゃねえ」
「そういうこった。精々抵抗しないで死んでくれよ」
「まあ待て、二人共! ワガハイに良い提案がある! なあ、エス・ノト!」
「……ワかっタ」
焰真の左右に立つマスキュリンとエス・ノトが懐から
謎の金属板。
見慣れぬ物体に怪訝そうに眉を顰めた焰真であったが、仄かに感じ取る魂の残滓に『まさか』と息を飲んだ。
「悪党を成敗するべく、悪党から手に入れた力を使いこなしてみせよう! 罪で穢れた力をワガハイの活躍という名の威光で雪ぐのだ!」
「綺麗だヨ……ヨうく見テごラン」
次の瞬間、
───『卍解』、と
「──『
恋次の。
「───『
白哉の。
『なあ、聞けよ。俺は新しく手に入れた
藍染との戦いの後、共に鍛錬する最中で聞いた友の言葉が。
『これは我が誇りを護る為の剣だ。家名と瀞霊廷。そして何より……家族を』
六花が生まれた後、娘が握って放さない刀ごと抱き締め、柔らかな微笑みを湛える中で紡いだ誓いが。
(こんな)
血の滲むような努力や、込められた想いも知らぬ輩が。
(こんな)
自分を討つ為に、我が物顔で使おうとしている。
(こんな)
その時だ。
赫々とした血潮が全身を巡る感覚を、焰真は直覚した。
「そいつは」
破裂せんばかりに拡張される血管。
そこを巡る霊力は真っすぐに刀身へと巡った。
間もなくして紅き紋様が焰真の全身に浮かび上がる。体内どころか、体の外へまで怒りの手を伸ばさん限りに力を迸らせ───魂が叫ぶ。
「そいつは……お前が……お前達が……ッ」
『!!』
「使っていいもんじゃ!!!!! ねえ゛んだよォォォォォオオオオオオ!!!!!」
戦火は広がる。
零れる涙では消し切れぬ程に、残酷に。