『刀神』、二枚屋王悦。
彼が主を務める鳳凰殿は、選り取り見取りな美女が酒池肉林の様相を呈する豪華絢爛な屋敷───などではなく、その先の岬にポツンと寂しげに建つ一軒の襤褸小屋であった。
一護と焰真の修行もまた、この小屋にて繰り広げられていた。
一歩踏み入れ、断崖と言って差し支えない高所より飛び降りれば、そこには無明の空間が広がっていた。
差し込む光は入り口からの陽光だけ。
ろくに周りを見渡す事もできない空間には、一見何もないように見える。
しかし、それは今も尚
「アレレ、どうしたんだい? もうGive Upかい?」
「ぜぇ……はぁ……する訳、ねえだろ……!」
「ヒュ~♪ 言う
肩で息をする焰真を見下ろす王悦は、彼を取り囲む無貌を指さしながら言う。
「その───『
***
総勢六千名を超える護廷十三隊隊士。
彼らが院生時代一時貸与され、入隊と同時に正式授与される無銘の斬魄刀───『浅打』。
遍く死神は、この浅打と寝食を共にし、錬磨を重ねることで己の魂の精髄を浅打へ写し取り、己の斬魄刀を創り上げていく。
その斬魄刀をたった一人で創り続けてきた男こそ、この二枚屋王悦だ。
だが、その彼が言う。
───斬魄刀の
ある者は、己の斬魄刀をこう呼んだ。
───道具と。
───部下と。
───相棒と。
───家族と。
───友人と。
───先輩と。
───後輩と。
───ペットと。
───知人と。
───恋人と。
───愛人と。
死神の数だけ千差万別の在り様を見せてきた斬魄刀。
しかしながら、それを
彼らは怒っている。他ならぬ死神に対して。
対話と同調? 確かに必要だ。
具象化と屈服? 己をそこまで磨き上げた勤勉さには感動すら覚える。
だが、違う。
そもそもが違う。
誰もが勘違いしている。
死神は斬魄刀を使うもの。
斬魄刀は死神に使われるもの。
そこが違う───何故違う?
何故ならば、
ならば心身から対話し、どちらに同調するか決し、心魂の形を具象化し、いずれかを屈服せねばなるまい。
「ン~、ダメダメだ
呆れたように首を振る王悦。
二人の死神が浅打と拳で語らい優に二日を越え、そろそろ三日目の晩に突入しようというところであった。
だが、修行の進捗は芳しくない。
「焰真チャンは
「んだとッ……!?」
「心ココに在ら
辛辣な言葉を叩きつける二枚屋の視線の先───そこには血みどろで横たわる一護の姿があった。
最早立ち上がる事さえままならない様子。
それでも持ち前の闘志で立ち上がらんとする姿には、王悦も素直に感心する。
しかしながら、そういう問題ではないのだ。
「俺はまだやれる……!」
「ノンノン。浮気性な一護チャンはこのままじゃ見初めてもらえないし、チャンぼくとしても刀を握らせるつもりはない。つまり、斬月は治ら
「てめえ……!!」
「おっと、そろそろ夕方のチャイムが鳴る時間
「ま、待ってくれ!! まだ俺は───」
「Bye-Bye-Bye、一護チャ~ン♪」
見限られると分かるや、最後の力を振り絞って立ち上がる一護。
しかし、その寸前で謎の門を開いた王悦により、彼の姿は鳳凰殿───否、霊王宮より消え失せる。
一瞬の出来事に唖然とした焰真であったが、すぐさま襲い掛かる浅打の群れに、意識を引き戻された。
「う、ぐッ……!!」
「ホラホラ! もっともっと頑張らなくっちゃ
「誰が……俺と煉華はそんなんじゃねえ!!」
「じゃあ、見せてご覧
***
「ここは……」
雨が降っていた。
叩きつけるような雨。まるで無様に追い返された自分を責め立てる勢いの。
傘も持っていなかった一護は、ただただ茫然と立ち尽くし、雨に打たれるだけであった。それから気付く、自身の体が死神のものではない───現世に置いてきた肉体である事に。
(確か体は浦原商店に置いてきた筈だ)
ならば誰が?
まさか虚圏に居る浦原が律儀に家へ返した訳でもなかろう。義魂丸がない以上、物言わぬ体だけを置き去りにする訳にもいかないのだから。
しばし思案し、目線を上げた。
「あっ……」
クロサキ医院。
看板に掲げられた文字に啞然とする。そして掘り起こされる記憶が点と点を結び、一つの結論を導き出した。
(もしかして親父が)
「───あら、一護じゃない」
「ッ! ……おふくろ?」
「帰ってきてたのなら一言言ってくれればいいのに」
一護の思考を遮ったのは、穏やかな声音を転がせる母親───真咲であった。
買い物帰りなのか、大きな買い物袋を携える彼女は、『それにしても』と言葉を続ける。
「こんな雨の中家の前でボーっとしちゃって。風邪でも引いたらどうするの?」
「あっ……悪ィ……その、考え事……してたんだ」
「悩み事? 合宿からバックレてきたとか、そういうの?」
「ち、違ェよ!!」
「うふふっ、冗談よ冗談。どっちにしても家まで来たんだから、夕飯。食べていくでしょ?」
「お、おぉ……それじゃあ俺が袋持つよ」
「ダ~メ。一護はビショビショなんだから、先にそっち片づけるのが最初」
軒先で傘を畳み、雨粒を振り落とす真咲。
玄関に一護を待機させた彼女は、そのままテキパキとタオルや着替えを用意するや、『冷えるといけないから』とシャワーを勧めてきた。
言われるがまま、濡れた衣服を洗濯機に詰め込みつつ、風呂場へ向かう。
麒麟殿の広さには敵わないが、やはり実家の風呂場は心なしに安心するものがある。
いつもより長めにシャワーを浴びていれば、トントンと小気味いい音が扉の先から聞こえてきた。
もしや、と上がって髪を乾かし、台所を目指す。
すると案の定、真咲が夕食の用意をしていた。
「お袋、上がってきたぜ」
「あら、さっぱりした? う~ん、やっぱり一護は男前ね。学校の子からはモテてるんじゃないの?」
「別にモテてなんかねーよ……」
「そう? 昔のお父さんみたいにイカしてるのに」
「……あの髭親父に似てるって言われても全然嬉しくねェ」
「まあ、確かにお父さんもイケメンって感じじゃなかったけどね」
「褒めてねーじゃねえか!」
思わず全力でツッコめば、コロコロと真咲がおかしそうな笑い声を上げる。
いつもこうだ。いくつになっても自分は母に振り回されている。父も二人の妹も、家族の中の誰一人だって母に振り回されない人間は居ない。
紛れもなく、彼女は黒崎家の中心だ。
それを改めて認識した一護は、漂ってくる美味しそうな匂いと音に耳を傾けながら椅子に座って待つ。
しかし、次第に胸奥で膨れ上がる疑問に耐えかねたのか、一護は意を決したように口を開いた。
「……なぁ、お袋」
「うん? なぁに、一護」
「親父の事なんだけどよ……」
「あーッ!? おにいちゃんが帰って来てるゥー!」
そんな時、騒々しい声が食卓のある部屋に響き渡る。
声に驚いて振り向けば、そこには今帰宅したと思しき装いの妹二人が、父と共にズカズカとやって来るではないか。
「お兄ちゃんおかえり! もう合宿終わったの?」
「お、おぉ……おかえり遊子。ちょっとな」
「おかえり、一兄」
「おう、おかえり夏梨」
「おっかえりー、イッチゴー!!」
「帰ってきて早々てめえは暑苦しいんだよ!!」
「うおお!!? よ、よくぞ俺のドロップキックを防いだ……もうお前に教えることはなにも……」
「はいはい、皆。もうすぐ夕ご飯できるから支度しておいでー!」
『はーい!』
騒々しかった部屋が、真咲の一声により一瞬で統率された。これが黒崎家のいつもの光景。
少し待てば、荷物を置いてきた妹と父が加わり、料理が並ぶ食卓を家族全員が囲む形となる。
「もう! おにいちゃんも帰ってくるなら言ってくれればいいのに! あたし、折角お母さんと一緒にご飯の練習してたのに」
「うふふっ、遊子ったらどんどん上手になるのよ。またお兄ちゃんが帰って来た時、一緒に作りましょうね」
「何? 一兄また出かけるの?」
「あ、ああ……今日は、その……たまたま帰ってきてな」
歯切れの悪い返答に、夏梨の目が細められる。
彼女は鋭い。ちょっとした嘘ぐらいならば見破ってしまうだろう。
それでも『ふーん』とだけ鼻を鳴らして済ませた辺り、止むに止まれぬ事情を察してくれたのだろうと一護は考える。
「えぇー!? またおにいちゃん出掛けちゃうのォー!?」
「そうみたい。今日は偶然忘れ物を取りに来たらしいの。だから明日にはまた出かけちゃうわ」
残念そうな声を上げる遊子を真咲が宥める。
───嘘だ。自分は忘れ物を取りに来た等一言も言っていない。
「そんなァ……」
「お料理をお披露目するのはまた今度ね。それまでもっと練習しましょっか!」
「うん……」
「一護も遊子のお料理楽しみよね?」
「あ、あぁ! 期待してるぜ、遊子」
「ホント!? ようし、うんと練習してアッと驚かせちゃうんだから!」
作り笑いで言い放った空返事にも、妹は狂喜乱舞の如く気分を高めた。
「遊子! それなら試食役は父さんに任せてくれェ! なんでも美味しく平らげてやるぞォー!」
「いいよ。お父さん
「お父さん
しかし、父が出張った瞬間、そのテンションは急降下した。
ガーンッ、と涙目になる一心を、これまた真咲がおかしそうに笑う。
そんな一家の団欒の時間はあっという間に終わる。数日振りの帰宅に喜びを露わにする遊子も、そうでない夏梨も、明日に差し支えない程度まで夜更かししてまで一護の隣に居座った。
ようやく一護が解放されたのは、そろそろ時計の短針が12に差し掛かろうという頃合いだ。
夕飯時とは打って変わり、耳が痛くなる静けさに満ち満ちる部屋。
いつもが賑やかな家族がいるからこその部屋に居た一護は、漠然と過ごした家族とのひと時との剥離に茫然と立ち尽くしていた。
「……」
「一護」
「ッ……お袋」
それに親父も、と言いかけた一護は、不意に現れた両親の神妙な面持ちに、全てを察する。
その時が来たのだと。
「話さない? 少し……長くなっちゃうけれど」
「……ああ、頼んだよ」
***
語らねばならぬのは、両親の馴れ初め。
鳴木市で暗躍していた虚。
討伐に出撃した、当時十番隊隊長の黒崎───志波一心。
戦闘の最中応援に加わった純血統滅却師───黒崎真咲。
辛くも虚は倒されたが、その時の怪我が原因で虚化の症状に見舞われた真咲に、一心は当時も研究を進めていた浦原の手を借り、何とか彼女の命を救い出してみせた。
(親父が死神で……お袋が滅却師……)
驚くな、と言う方が無理な話だ。
しかも、片や隊長で片や虚混じりの純血統。とんでもない血縁の間に生まれ落ちたものだと愕然しつつも、意外に心は平静を保っていた。
何故かと理由を想起してみれば、案外単純なものだ。
並々ならぬ事情を汲み、優しく見守ってくれた母。
死神の力を失おうとも、己を護り抜いてくれた父。
最初から今迄の間、頑なに子供を守ってきた彼らに感謝は覚えても、不信など覚えられる筈もなかっただけだ。
「そんな事情があったのかよ」
「ごめんね、一護。ずっと黙ってて」
「いや、いいんだ。ありがとな、俺にちゃんと話してくれて」
胸の曇が晴れたような清々しい気分だ。
霊王宮で感じていた焦燥に荒波立っていた心が、今や嘘のように落ち着き払っている。
「これで……漸く戦える」
───一分の曇りもなく。
そう、席を立とうとした瞬間だ。
「待って、一護」
「まだお前には……伝えておかなきゃならん事がある」
「? まだ何かあんのかよ」
これ以上に何を知れというのだろう。
怪訝に思いつつも耳を傾ける一護に、不意に真咲はカレンダーに目を遣った。
「一護……9年前の今日、6月17日。何があったか覚えてる?」
「!」
一護の顔から血の気が引く。
呼び起こされる忌まわしい記憶に、彼の表情はみるみるうちに陰っていく。
しかし、何度も己の弱さを打ち払ってきた彼だからこそ、拳を握りながら真っすぐ母の顔を見つめ返した。
「お袋が……倒れた日だ」
今思い返しても背筋が凍る。
あれは、今日のような雨の日の出来事だった。
当時幼かった自分は、道場でたつきに泣かされた後、迎えに来てくれた母と手を繋ぎながら家へと向かっていた。
堤防沿いの道を歩き、荒れた川を眺める。
不安になって母の顔を見遣れば、優しい眼差しを湛える母の姿が目に入り、ホッと胸を撫で下ろした。
───真咲が倒れたのは、その直後。
「……俺は急にお袋が倒れて、訳わかんなくて……泣いてることしかできなかった」
「……」
「結局、救急車を呼んだのは偶然通りがかった人だったんだ……」
すぐさま真咲は病院に搬送された。
何が起こったのか分からず震えることしかできなかった一護は、ただただ運び込まれた病院で母の無事を祈っていた。
忘れ去りたい無力だった頃の記憶。
だが、そうしたものに限って鮮明に覚えているものだ。
『どうにかならねえのか……?』
『どうにかできているなら既にしている!』
『……原因は取り除いた筈なんだろ?』
『取り除いたさ、ああ! だが、真咲は一向に目が覚めない……叶絵もな。時間が掛かり過ぎたか、また別の理由が───』
一か月、二か月と経っても目が覚めない母の下へ、家族にも学校にも内緒で見舞いに向かった際、偶然通りがかった部屋の中から響く父と主治医の会話から聞いてしまった。
その時、自分は心臓を握り潰される感覚を覚え、全身から血の気が引いた。
自分が救急車を呼ぶのが遅れたから。
そのせいで手術が遅れたから、救えたかもしれない母が死にそうになっている。
母を───自分が殺すかもしれない。
全身から力が抜け、呼吸もままならなくなった自分はそのまま崩れ落ちた。
その音を聞きつけた父が部屋から出てくると、蒼白となった表情の自分を見るや、力強く抱き締め、何度も『大丈夫だ』『母さんは助かる』と囁いたのだ。
それからまた一か月後。
ようやく目が覚めた真咲は、後遺症が濃厚だという診断が嘘のような回復を見せ、半年後には何事もない日常を過ごすようになっていた。
「……それから俺は、弱い自分が嫌になった。何もできねえ……ただ泣いてる事しかできねえガキの自分が……」
これが、黒崎一護の強さの原点。
己の無力を恨み、強くあろうと抗い始めた始まりである。
「でも、それがどうかしたのか?」
「……一護、お前の友達の雨竜君。彼の母親の話は聞いた事があるか?」
「……いや、あいつはそんな……家族の事とか話すタイプじゃねえし……」
「彼の母親は片桐叶絵と言って、混血統の滅却師だった」
彼女は、と一心が言う。
「9年前の6月17日に倒れ、そのまま3か月の後に死んでいる」
「!!?」
弾かれるように真咲に目を移す一護。
そこには沈痛な面持ちで、叶絵という名の女性を悼む母の姿が在った。
「一護」
「お袋……?」
「私は……───私も、同じように死ぬ筈だったの」
「なんっ……だって……!?」
死ぬ筈だった?
母が?
9年前の6月17日に?
「何が……何があったんだよ……!」
「『聖別』。9年前に行われたのは、ユーハバッハの手による滅却師の“選別”だ」
「……滅却師の伝承にこんな歌があるわ」
900年を経て鼓動を取り戻し
90年を経て理知を取り戻し
9年を経て力を取り戻す
記憶に刻まれた歌を口にした真咲は、自身の胸に手を当てる。
「ユーハバッハは自分の力を取り戻そうと、自分が“不浄”と取り決めた滅却師から力を奪い去ったの。力を奪われたのは、私のような虚に穢された純血統の滅却師と、カナちゃんのような混血統の滅却師。それで体の弱かったカナちゃんは……」
口振りからして、真咲と叶絵の仲が悪いものではなかった事は察せられる。
だからこそユーハバッハに対する恨みや憎しみを覚えたが、それ以上に湧き上がる疑問に一護は険しい形相を浮かべた。
「……なんで……なんでそんな事ができるんだよ?」
それは、人としての良心の所在をも問うていた。
「王だからか……? ユーハバッハってのは何者なんだよ……!?」
「……ユーハバッハは滅却師の始祖。滅却師は彼から始まったの。そして」
───全ての滅却師には彼の血が流れているの。
真咲にも。
息子の一護にさえも。
全ての滅却師は、ユーハバッハとその身に流れる血で繋がっている。
誰も血の呪縛から逃れる事はできない。
ユーハバッハが生まれた、その瞬間から───。
明かされる真実は残酷で。
受け止めるには重過ぎて。
だが。
真っすぐに自分を見つめる両親の姿に、一護は決心をつけた。
「お袋。親父。……ありがとう」
全てを話してくれた両親に向けて。
するや、父と母は優しく微笑み合い、今一度温かな眼差しを送ってくれた。
「……俺、二人の子供で本当に良かったよ」
「! 一護……」
「おいおい、急になんだ? らしくねえ事言っちゃってェ~!」
「うっせ!! でも、ホントに思ったんだから別にいいだろ」
涙ぐむ真咲とからかってくる一心を余所に、一護は席を立つ。
「もう夜も遅いし、俺は寝るよ。明日からちゃんと……ちゃんと皆を護れるように頑張らなきゃなんねえから」
火を噴く顔を隠しながら、そそくさとリビングを後にする。
しかし、もう一つだけ言わなければならない言葉がある事に気がつき、真咲の方へと振り返った。
「そうだ。なあ、お袋。……生きててくれてありがとな」
「……どういたしまして」
強く生きてくれた母への感謝。
これを告げずにいたら、どうにも心残りになりそうだったから。
真っすぐな息子の言葉に胸がいっぱいの真咲は、涙に濡れた頬を拭いながら、自分の胸に手を当てる。
自分も、息子に伝えなければならない事がある───と。
「ねえ、一護。最後に一つ、お願いしてもいいかしら?」
「ん?」
「お礼を言ってほしいの。前にその人と会った時、伝えそびれちゃって……」
「別にいいけどよ……誰なんだ? その相手って」
「……ところでなんだけど、昔滅却師の中には分け与える力を持つ人が生まれてくるっていう言い伝えがあるの」
「はぁ?」
突拍子もない話題に素っ頓狂な声を上げた一護。
しかし、真咲はうら若き日の出会いを思い出しながら紡ぐ。
「その滅却師に触れるとね、自分の中の欠けたものが満たされていくのよ。例えば、
「……───っ!」
「……ねえ、一護。もしも
「……ああ」
母が言わんとする相手。
“彼”とやらに見当がついた一護は、真咲の願いをしかと聞き届けた。
「任せてくれ。必ず伝えるよ」
「……お願いね、一護」
夜は更けていく。
まだ夜明けには早いが、必ずや日が昇ると一護は信じて疑わない。
***
一護が姿を消し、数刻。
尚も続く鳳凰殿での修行に、焰真は───。
「ぅ……はぁ……」
「どんな気分だい? 焰真チャン」
「何……が……」
「斬魄刀の前で這い蹲ってる気分
無数の浅打の中心に倒れていた。
流れ落ちる血は小さな水溜まりを作り、これまでの激しい戦闘の様相を如実に表している。
これだけ見れば焰真の完敗。多勢に無勢で数で圧殺された死神が、一人転がっているだけだ。
しかし、誰もまだ諦めた様子は見せていない。
焰真も、王悦も、周りを取り囲む浅打でさえも。
誰も芥火焰真という死神を見限っては居なかった。
「悪くは……ない気分だ……」
「そうかい、なら結構。But! いつまでもウジウジしてたら浅打が痺れ切らしちゃうかも
パンパンッ! と急かすように手を叩く王悦。
すると立ち止まっていた浅打が動き出し、倒れる焰真へ殺到する。
そのまま蹂躙されるか───と思いきや、寸前で立ち上がった焰真が群がる浅打を一体一体投げ飛ばしていく。
「いい
煽る王悦だが、本当に彼に体力が残っているとは思っていない。
満身創痍である事は誰の目から見ても明らか。
こうして激しい動きを見せているだけでもおかしいとすら言い切れる。
「ぜぇ……う゛ッ……!」
「アチャ~」
当然、そのような状態で長く続く筈もなく、間もなく浅打に殴り飛ばされた焰真が地面に転がった。
「がっ……はぁ……!」
「ダメだ
「だ、れが……!」
「そういうなら
「……俺が……全力じゃないってか?」
「ソウソウ。全力を出して
Bang! と指で鉄砲の形を作る王悦は、白い歯をこれでもかと覗かせる笑顔を浮かべ、焰真を指さした。
「焰真チャン。君
「ッ!」
───どうしてそれを。
───いや、今気になるのはそっちじゃない。
「まさかあんた……俺の完現術がまだ奪われてないとでも言うつもりかよ……?」
「ピンポンピンポーンッ!」
「……そんな筈……」
僅かに宿る希望。
だが、それはすぐさま自身に否定される。
仮に完現術───“絆の聖別”が奪われていないとすれば、己の意思で魂を呼び寄せ、力を高める事ができるだろう。
それができない今、やはり自身に完現術が残っているとは思えない。
全て奪われたのだ。
紡いだ絆の力の全てを、ユーハバッハに根こそぎ。
「チッチッチ、鈍い
「ぁ……?」
「君は見えて
「そんなもん、今更……」
言われなくても分かっている。
言いかけた瞬間、焰真は口を噤んだ。
分かっていないから、この体たらくなのではないか?
そう思うと、嘘でもそのような事は口にできなかった。
「ウ~ン、悩んでる
「……は?」
「ちゃんボクは
慄くように瞠目する焰真に、王悦が人差し指を立てる。
「一問目! 焰真チャンはいつ始解の足掛かりを得た? サア、十秒で答え
「はぁ!? ちょ、ちょっと待て! っと……」
突然のフリに焦りはしたものの、回答にはそう時間を要しなかった。
「───虚と……ディスペイヤーと……戦った時だ」
「ピンポ~ン! そんジャ、続けて二問目ェ! 焰真チャンはいつ始解ができた
「それもディスペイヤーと戦った……滅却師の女の子を救いたいと思った時だ」
「ピンポンピンポ~ン♪ いい
王悦に問題を出される度、自分の死神としての転機となった出来事が走馬灯のように脳裏を過る。
「そのまま三問目いっちゃおう
「その時……!? 俺は……」
「サァ、思い出してみな。君が───どんな想いで始解したのかを」
「俺は……」
初心に立ち返り、過去を辿る。
初めは緋真を護りたかった。
いつしかルキアや恋次といった同期が加わっていき、両手に抱えきれない程に仲間が増えていった。
その中で対峙した最凶の虚───ディスペイヤー。
何度も辛酸を舐めさせられ、何度も苦渋を味わわされた。
そして滅却師の少女を喰われようとした時、誓ったのだ。
命を守るか、誇りを守るかではない。
命を救う事こそが、自分の誇りであると。
煉華が───応えてくれたのだ。
「俺は……救いたかったんだ」
「何を?」
「命を……皆を!」
「皆って?」
「仲間を……いや、仲間だけじゃない! たくさんの魂を!」
心の底が、奮えた気がした。
「強くなってたくさんの魂を救いたかった!! 死神も滅却師も虚も関係ない!! 俺が!! 俺が救いたいと願う人を!! 死んでも救いたかった!!」
「それなら最終問題
「一緒に……傍に居て欲しいんだ!!!」
血反吐を吐く勢いで叫んだ焰真は、死に体で立ち上がる。
王悦の見立てでは、既に立ち上がれぬ体。
それでも現に彼が立つのには理由がある。その理由を垣間見る王悦は、焰真からの魂の叫びに破顔した。
「そうかい……なら、もっと叫んでやり
「ああ……言われなくたって言ってやる!! 俺は好きだ!! こんな俺に力を貸してくれる煉華が!!」
湧き上がる想いに限りはなく。
「好きだ……好きなんだ、この世界が!!! 俺と駄弁ってくれる友達も!!! 導いてくれる隊長も!!! 頼ってくれる部下の奴等も!!!」
繋がる絆にも限りはなく。
「流魂街も!!! 瀞霊廷も!!! 現世も!!! 色んな景色が!!! 皆と一緒に過ごした時間が!!! 楽しかったり、嬉しかったり、哀しかったり、ムカついたり!!! そんな掛け替えのない時を過ごした世界が大好きだ!!! 愛してる!!!」
分け与える愛にも───限りはなかった。
「煉華!!! 俺はお前に力を貸してくれなんて言わない……でも……それでもまだ!!! 俺と一緒に居てくれえええ!!!」
道具でもなく。
部下でもなく。
相棒でもなく。
家族でもなく。
友でもなく。
先輩でもなく。
後輩でもなく。
ペットでもなく。
知人でもなく。
恋人でもなく。
愛人でもなく。
ただ───愛する存在の一つとして、彼女を求めた。
「お願いだ、煉華えええええッ!!!!」
『───もう、しょうがない人』
一人の浅打が、姿を変えた。
長い白髪。赤と青のオッドアイ。今思えば、どこか滅却師の白装束を彷彿とさせる和洋折衷の装いに身を包んだ少女が、赤らんだ頬を浮かべたままこちらを見据える。
「煉、華……?」
『そんな熱烈な告白されちゃったら、出てこない訳にもいかないじゃない。もう』
「……ありがとな」
『いいの。貴方の本当の想い……確かに聞き届けたから』
再会の喜びを二人は分かち合う。
だが、
「ヒュー! お熱いプロポーズ、ちゃんボクも聞き届けた
案内する王悦を負い、ウォータースライダーの筒の中へ
ほぼ垂直に等しい角度を存分に堪能すれば、巨大な瀑布のカーテンが並ぶ湖が広がっていた。
「ここが……」
「ご察しの通り
『はぁ───い♡』
黄色い声と共に五つの人影が王悦を襲う。
肘で突き、尻でぶつかり、手刀を延髄に叩き込み、小指を折り、最後に踏みつけられる。
(俺は何を見せられてるんだ)
とんだ過激な茶番劇と共に、彼女達はやって来た。
『二枚屋親衛隊、参上!!!』
五人組の女性が、王悦を足蹴にしている。一応彼は主の筈なのだが、あまりにもあんまりな扱いだ。
そんなことを考えていれば、無様に地面に寝そべっていた王悦が面を上げた。
「サッ……君も来るんだYo」
「!」
直後、煉華の姿が一本の細長い鉄塊と化した。
「よっしゃッ!!」
王悦の前に突き刺さった鉄塊を、メラが口から放つ苛烈な炎で熱する。
「またこんな面倒なことに巻き込まれるなんて……最悪の人生ですわ……」
「おしごとスから! 頑張りましょう、時江さん!」
その間、時江とのの美が小道具の用意をする。
一方で、ハス花は赤熱の様相を呈する鉄塊をツインテールで掴み上げ、王悦の前で固定した。
「……」
最後にマスクで口元を覆っていた罪子が、自らの歯を一本抜くや否や、それを一振りの鉄槌へと変化させる。
これにて準備は終い。
後は───極限まで鍛えるだけ。
「さァ、始めようじゃない
星を煉った剣は、間もなく再誕する。
***
「……
「はぁ……はぁ……御指南、ありがとうございました。隊長……」
流魂街の一角。
幾つものクレーターが描かれた荒野の中、傷だらけの檜佐木は九番隊隊長に着任した拳西へ頭を下げる。
その時、遠方でもまた一つ爆音が轟いた。
「おっ、真子んトコも派手にやってんな」
満足気に好戦的な笑みを浮かべる拳西は、今尚頭を下げる檜佐木を見遣る。
「よし、まだまだ行くぜ。滅却師がいつ来るか分からねえんだ。少しでも使いこなせるようになった方がいい」
「ッ……はい、よろしくお願いします!」
既に疲労困憊の檜佐木だが、隊長直々の申し出を断ることはなかった。
誰もが次の侵攻に向けて力を蓄えている。
次、何の用意もないままに侵攻を許せば、瀞霊廷───延いては尸魂界が破滅を迎えるだろう。
それを理解しているからこそ、檜佐木は今瀞霊廷に居ない恩人を思い浮かべながら、鍛錬に精を出す。
(東仙隊長……俺は守りますよ。貴方が居ない瀞霊廷でも……!)
***
『セイ! セイ!』
「腰を入れろ、腰をォ!」
『セイ!』
「そんな剣では滅却師どもを斬れんぞォ!!」
『はい!!』
隊舎の練武場では、隊士が指南役の男に喝を飛ばされていた。
「はぁ~あ……男どもはむさ苦しいわねェ~」
そんな光景を通りがかった際に見た乱菊は、呆れたように溜息を吐く。
十番隊隊長、日番谷の卍解は滅却師に奪われてしまった。その時の記憶を思い返せば、乱菊は何もできなかった己の未熟さに鬱屈としてしまう。
だが、ここにはそんな未練さえも断ち切ってしまうような勢いがある。
故に、乱菊には少々空気が合わなかったというべきか。
(……暇があると、あいつのことを思い出しちゃうわね……)
今もどこかを放浪している筈の想い人。
瀞霊廷の危機を無視し、どこをほっつき歩いているのやら。いや、自分の危機と言い換えた方が心境的には正しい。
一年経っても未練を断ち切れない自分が忌まわしい。
今がそんな状況ではないと分かっているのだから、尚更だ。
「助けに来なさいよ、ばーか……」
乱菊の独り言は、誰に聞かれることもなく廊下の奥へと消えていく。
***
何度聞いただろう。
鉄を鍛える音。
鼓動のようなリズムを刻めば、刀に命が宿っていく。
瞼を閉じ、精神を集中する。
すれば、焰真は一つの塔の屋上に立っていた。
「……お前は」
『……来たか』
焰真の精神世界。
満天の空の下に聳え立つ浄罪塔の屋上に、彼ともう一人が立っていた。
黒衣を靡かせる壮年の男。その相貌は今だからこそ分かる。自分を息子と呼び、力を奪い尽くさんと手にかけようとした滅却師の王。
こちらの方がやや若い。
だが、間違いなく彼はユーハバッハその人であった。
「……お前は一体何なんだ……誰なんだ?」
『私はお前の中の滅却師の力の根源。ユーハバッハでありユーハバッハではないもの』
「敵か? それとも……味方なのか?」
あくまでも焰真の声音は穏やかだった。
何となく気付いていた。
自分の中の力が、死神のものとは少し違うという事に。
何度も滅却師と出会う事により、自身の力が死神よりも滅却師に近しいものではないかと気づけない程、焰真も鈍くはなかった。
対して、滅却師の力の根源を名乗る男は告げる。
『敵ではない。味方でもない。だが、言葉にも心にも嘘はない』
「そう、か……」
『……』
「なら、十分だ」
少し驚いたように弾かれた顔の双眸が焰真を見つめる。
そこには、昔から変わらぬあどけない笑顔を咲かせた彼が居た。
「ありがとう、今迄力を貸してくれて」
『……焰真、私は───』
「いいんだ。お前が誰だって、俺に力を貸してくれたのは紛れもない事実なんだからな。それでたくさん守ってこられた。たくさん救ってこられた」
『……本当にいいと
「いいんだ。別に滅却師の力を嫌ってる訳じゃないからな」
それが真の想い。
相手の正体を知っても尚、その存在を赦す旨こそが焰真の決意だ。
「だから、もう力は貸してくれなくていい」
『自分の力で戦っていくのか?』
「ああ……って言いたいところだけど、やっぱり俺って弱いからさ。一人じゃ全部を救いきれない」
『それでもいいと?』
やおら、焰真が手を差し伸べる。
「俺だけじゃない。
『……私とさえも、か』
「ああ」
『……良かろう、ならば受け取れ』
応えるように、差し伸べられた手を握り返す滅却師の力。
刹那、黒衣の男は一振りの剣と化した。
網膜を焼き切らんばかりの光を放つ力そのもの。それこそが今迄抑えつけられてきた力の全貌だと知るや、焰真の力には無尽と錯覚しかねない膨大な力の奔流が流れ込んでくる。
「これは……」
『ユーハバッハが奪った力は、お前の絆の力の上澄みにしか過ぎん』
彼は言う。
『力とは肉体に宿るものではない。魂から発せられるものだ』
『彼奴は目先の力に気を取られ、貴方の力の真髄にまで目を向ける事はなかった』
彼女も言う。
優しく、剣を握る焰真の手に自身の手も添えて。
『力は貸すものではない』
『力は借りるものでもない』
『力は与えるものではない』
『力は奪うものでもない』
『力は───』
『力は───』
「力は───合わせるものだ」
満天の星が瞬く。
闇夜を煌々と照らす
彼らは焰真の握る剣へと光を射る。
すれば、みるみるうちに剣が輝きを増していく。
永久の夜に包まれた焰真の世界を、真っ白に包み上げんとする光。
「……ありがとう、煉華」
───俺と力を合わせてくれて。
新生『煉華』───再誕。
死神、滅却師、完現術。
三つの種族の力を宿す剣は、何者にも分け隔てなく温かな光を放ち続ける。