BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*86 君を守って、君を愛して

「……」

「あの……浦原さん」

「はい?」

「走りながら何してるんですか?」

 

 何処までも続く暗黒の空間、黒腔。

 三界の周りを埋め尽くす黒腔には、常時霊子の乱気流が吹き荒れており、油断していると足元に形成した足場から滑り落ちそうになる。

 にも拘わらず、手元に張った正方形の結界の中を弄繰り回すという器用な真似をしていた浦原に、織姫は尋ねずには居られなかった。

 

「いやァ~、もうすぐ奪われた卍解を取り返す道具が作れそうなんスよ。腰を据えて作りたいのは山々なんですが、そんなに悠長にしていたら滅却師の侵攻に間に合いません……って言うより、急に技術開発局と連絡が取れなくなりましたんで、十中八九攻めてきたでしょうね」

「えぇ!?」

 

 驚愕の声を上げる織姫であったが、浦原は『大丈夫っスよ』とやけに自信に満ちた声を返す。

 

「アタシの秘密兵器……もとい、応援の方達は到着している筈です。彼らに任せれば、アタシの卍解奪掠阻止の道具が完成するまで時間は稼げます」

「ホントに()()で……?」

「えぇ」

 

 見る限り、ただの黒い丸薬だ。

 しかしながら、どことなく禍々しい雰囲気を感じ取る織姫は、今この場に居ない想い人と世話を看てくれた仮面の一団を思い返す。

 まさか、とあたりをつける織姫。

 すると浦原が後ろについてくる泰虎と、それよりも後方なやや距離を取った位置に付いてくる丸薬製薬に携わった面々に目を遣った。

 

「まだ気が早いっスけど、ご協力ありがとうございました。これで()()の第一段階は成立っス。尸魂界(むこう)に付き次第、アタシもアナタ方の要望を叶える為に動きますよ」

「たりめえだろ。これで実は嘘だったなんてほざいたら、俺がてめえをブチ殺すぞ!」

 

 並ぶ面々の中、最も体躯の大きい浅黒い肌の大男が怒鳴るように叫ぶ。

 

「ヤダなァ、嘘だなんて。アタシこれでも小売店の店長っスよ? 契約には五月蠅い方でして♪ 隠し事は多いっスけど、嘘は言わないって近所の奥さんにも評判だったり……」

 

 威圧感に圧されることもなく、おどけてみせた浦原は続ける。

 

「兎も角、契約した以上仕事はこなします。それがお互いの利益の為……そういう事にしておきましょう」

「……本当だろうなァ?」

「嘘じゃありませんって。嘘なんて、善意だろうと悪意だろうと───言った瞬間から負い目を作ってしまうモンなんスから」

 

 神妙な面持ちで締め括った浦原に、誰も言い返す者は居なかった。

 

 

 

 浦原率いる一団の第二次侵攻参戦まで、もう少し。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……元三番隊隊長、市丸ギンか」

「なんや、誰やとか聞いた癖に知っとるやん」

「尸魂界を裏切った君が何故ここに居る? まさか、混乱に乗じて藍染惣右介を助けに来た訳ではないだろう?」

 

 情報(ダーテン)から得た記憶の中から、対峙する相手を思い返す蒼都。

 

 大逆の使徒、市丸ギン。

 掴みどころのない性格をしているが、実力は本物。特記戦力が一、藍染惣右介がただ一人副官として認めた男であり、尸魂界を裏切った彼と共に虚圏へ。

 その後は空座町における護廷十三隊との戦いの末、藍染敗北を機に遁走。以降の消息は、東仙要共々把握する事ができなかった。

 

 対して市丸は、あくまで飄々とした態度を崩さない。

 

「あほくさ。ボクも一度裏切った手前、そない虫のいい真似できんわぁ」

「ならば、何故尸魂界に利する道を選ぶ?」

「うん?」

「僕ら滅却師と敵対する、それ即ち尸魂界に味方する行為だと言っている」

「ああ、そゆこと」

 

 素っ頓狂な声で応答する。

 

 これが真か嘘か判断つかないところが、市丸の市丸たる所以。

 張りつけられた笑みの奥に潜む真意を見抜けない。だからこそ不気味で悍ましい人物であり、三番隊からは畏怖の意味も込めて慕われていた。

 彼を警戒する蒼都は、その一挙手一投足、紡がれる言葉の端々に気を配る。

 それが足元を掬われない為の心構えだった。

 

 しかし、市丸は固めた心すらも弄ぶ。

 

「なんやァ、別にどない理由でもええやん。勝手知っとる庭……って言おうかと思ったけど、今はキミらの町になっとるやったね。あらら、これじゃボクが育てた柿の木もどうなったことやら……」

「……問答は無意味みたいだ。君と話していると癇に障って仕方がない」

「そらスミマセンわ」

 

 両手を上げ、眉尻を下げる市丸。その様子がまた不必要に蒼都の苛立ちを募らせていく。

 

 会話の相手をするだけ無駄だ。

 引き出せる情報も期待できない。

 ならば、敵対行動を示した以上早々に戦場という舞台から降りてもらうしかあるまい。

 

「君に恨みはない。けれど、死んでもらう」

「急に怖いこと言わんでよ。そないなこと言われたら、ボク───」

「ッ!! 『大紅蓮……!!」

「手ぇ出てまうやん」

 

 袖に隠れていた鋒が向いた瞬間を見逃さなかった蒼都が、咄嗟に反撃の構えに出た。

 が、それよりも早く神速の刺突が蒼都の体に襲い掛かってくる。

 神鎗───始解としてはシンプルな刀身が伸びるという能力の斬魄刀。

 ただそれだけ。故に持ち手の技量に大きく左右される。

 そして、市丸ギンという死神を主に持った神鎗はと言えば、その力を遺憾なく発揮するに至っていた。

 

 冷気が届くより前に、刃が蒼都の体に迫る。

 すぐさま聖文字を発動した彼であったが、刺突の勢いまでは殺せず、そのままその場から数十メートルほど吹き飛ばされた。

 

「……」

 

 吹き飛ばすや、乱菊を一瞥してから瞬歩で蒼都の下まで駆ける市丸。

 崩れた瓦礫。それらが霊圧で吹き飛ばされるや、中からは無傷の蒼都が現れる。

 しかし、その身から迸る冷気に対し、表情に浮かぶ烈火の如き怒りは隠し切れていない。目敏くも蒼都の苛立ちを見逃さなかった市丸は、口角を吊り上げながら蒼都に語り掛ける。

 

「なんや、卍解使うてるのに大して強くないなァ」

「……何を見て言っている? 僕の肉体(からだ)は君の攻撃程度の刃を防ぐ事なんて訳じゃない」

「へぇ、ただ硬いだけ(ちゃ)うんや」

「僕の聖文字は”I”……“鋼鉄(ジ・アイアン)”。僕こそが陛下の盾であり、死神の刃を打ち砕かん敬虔(けいけん)な神兵さ。確かに君の攻撃は速い。だが、それだけだ。僕には傷一つつけられやしない」

 

 文字通り、鋼鉄が如く硬さを有す蒼都は、吹き飛ばされる際に砕けた氷を再生する。

 氷輪丸は氷雪系最強。水さえあれば何度でも蘇る。

 その点、絶大な防御力を有する蒼都とは持久力という点で相性が良く、優秀な攻撃性能を備えたのもあり、同じ隊長格でも太刀打ちする事が困難な滅却師が誕生したのであった。

 

「ふーん……」

 

 しかし、市丸の笑みは崩れない。

 

「そんな大口叩くなんて、よっぽど硬いのに自信あるんやね」

「自信じゃない。端的な事実を述べたまでだ」

「せやけど、ボクの刀がキミに通じるんと、キミがボクに勝てるんはまた別の話や」

「そうだ。だから敢て言い切る。君は僕に勝てない───絶対に」

「卍解使えるんが嬉しいみたいやね。微笑ましいなぁ」

 

 毅然と、それでいて不遜に断言する蒼都。

 が、市丸はのらりくらりと死の宣告と取れる言葉を受け付けない。

 

───やはり、力で分からせるしかあるまい。

 

 どれだけ強く絶望的な言葉を突きつけても、暖簾に腕押し。

 ならば、二度と───それこそ永遠に喋れなくするよう、殺すのが手っ取り早いだろう。蒼都は威圧にと冷気と共に霊圧を解き放つ。

 

「……まさか君は、僕が卍解を奪っただけで浮足立つ人間だと思っているか?」

「あれ、ちゃうの?」

「卍解を手に入れてから僕達は、これを制御できるよう鍛錬を積んだ。もしも君が本来の所有者の手になければどうとでもなると考えているなら、すぐに訂正した方が賢明だ」

「親切にどーも。でも、甘いなァ……」

「……何だと?」

「だって君らの考え───甘すぎて吃驚するもん」

 

 薄気味悪い半笑いのまま、市丸の瞳が僅かに見開かれた。

 獲物を狙う爬虫類の目。まさしく今、己が見つけた獲物を呑み込まんと彼は舌なめずりをしていると、蒼都は錯覚した。

 

「ッ!!」

 

 反射的に一歩飛び退く。

 迂闊に前に出れば危険だ。彼の本能がそう告げたのだ。

 

 しかし、蛇の睨みは終始彼の動きを追い続ける。

 

「親切ついでに教えとくわ。卍解は習得して最低十年は鍛錬せんと使い物にならんシロモンや。君がいくら鍛えたか言うても、出せる力は奪った隊長さんの五割もあらん」

「……そうか」

 

 睨まれた蛇もまた、凍てつく冷気を迸らせ曇天へと翔け上がった。

 滅却師の霊子操作技術は死神の非ではない。飛簾脚はその代表的な歩法と言えよう。加えて、氷の翼を羽ばたかせて勢いづけた蒼都は、あっという間に市丸の遥か上空へと辿り着く。

 

「それは、これを見ても言えるかい?」

 

 群鳥氷柱(ぐんちょうつらら)

 

 次の瞬間、空を見上げていた市丸の下へ鋭利な氷の雨が降り注いだ。

 地面を這いずり回る事しかできない蛇にとって、まさに地獄のような光景。市丸は次々に降りしきる雨を振り払わんと刃を振る。

 が、彼の剣術を以てしても捌き切れなかった氷の雨は、槍の雨を掻い潜る。

 やがて、無数の氷柱が天に向かって伸びる光景が仕上がった頃、市丸はその身に纏う白装束の至る所に血のまだら模様を描いていた。

 

「なんや、()()()()()()()

「……何の事を言っているが知らないが、これが現実だ。君の斬魄刀の情報(ダーテン)がないと思っていたら大間違いだ」

 

 天より市丸を見下ろす蒼都は淡々と告げる。

 

「『百本差し』───刀百本分伸びる君の斬魄刀の別称だ。つまり、君の攻撃を喰らわないようにするなら、文字通り刀百本分距離を取ればいい話だ」

「自分の体にボクの刃は通じんなんてゆうてた矢先に、けったいなやっちゃな」

「わざわざ相手の間合いで戦う必要はない。これも卍解を使いこなすという意味だよ」

「こら一本取られましたわ」

 

 おどける市丸は、軽く手の甲で血を拭い取る。

 

「……でも、あかんなァ」

「また安い挑発か? もう聞き飽きたよ」

「ほんまあかんわァ。一度凍らされた手前思うんよ。キミなんかより、あの隊長さんの卍解(それ)の方がずっと怖いわ」

「……」

「せやから、そんな卍解持ってるキミにいきられると、ボクも本気出さなあかんと思ってまうやろ?」

 

 身構える市丸。

 腰を低く落とし、緩やかに靡く袖で切っ先を覆い隠す。

 構え自体は神鎗と同じ。

 だが刹那、周囲の空気が凍てつくような威圧感が解き放たれた。首筋に刃を添えられるような恐怖と焦燥。すぐにでも動かなければ殺されると直感した蒼都は、すぐさま市丸の間合いから離れんと羽搏いた。

 

 それに蛇は舌を出し嘲笑(わら)う。

 

 

 

───もう、遅い。

 

 

 

「卍    

 

 

 

   解」

 

 

 

 刃が、地平線を描く。

 

 

 

「───『神殺鎗(かみしにのやり)』」

 

 

 

「ッ、グゥ゛ッ!!?」

 

 呻く蒼都。気づけば空から引きずり降ろされるように刃の餌食と化した彼は、体勢を整える間もなく地表へと叩きつけられる。

 全身を襲う激震。

 頭が揺さぶられ、一瞬視界が白んだが何とか寸前で堪えた。

 

(届いただと!? いや、それよりも……!)

 

 速い、それも途轍もなく。

 市丸の一挙手一投足へと目を配り、どんな不意打ちにも対応できるよう構えていたつもりだ。油断も慢心もありはしなかった。

 そんな彼の心構えごと食い破らんとする神速の刃。

 誇張無く目にも止まらぬ速さで伸びきった刀身は、そのまま蒼都を巻き込む形で地表を斬りつけたのだ。

 

「まだやで」

「!」

 

 瓦礫の中から立ち上がる蒼都へ、神殺鎗を携えた市丸が切りかかる。

 既に元の脇差程度の長さに戻された神殺鎗。それで乱舞するように斬撃を繰り出せば、蒼都は劣勢を悟ったかのように冷や汗を流してしまった。

 しかし、僅かばかりでも“負ける”と考えた己に気付いた彼は、自身の不甲斐なさに憤り、悔悟憤発せんと鉤爪を振るう。

 

 直後、交わる両者の刃。

 至近距離で睨み合う二人。片や飄々と変わらずの笑みを張り付ける死神と、憤怒に歪んだ表情を晒す滅却師。

 

「あらら、ほんまに傷一つついてないやん。硬いなァ。斬り込んでるこっちのんが折れてしまいそうやったわ」

「……失敗(しく)じったな」

「へェ?」

「真に僕の虚を衝いて倒すつもりなら、君は今の一撃で確実に仕留めるべきだった」

「そらご丁寧にどうも」

「だが君は、唯一と言ってもいい機会を永遠に失った」

 

 切り結んでいた刃を押し、互いに距離を取る両者。

 塵と埃に塗れながらも、その鋼鉄の肉体に傷一つ窺えない蒼都は、ボロボロになったマントを放り投げる。

 

「君の卍解は恐ろしく速い。確かに攻撃の威力に“速さ”は切っても切り離せない関係にあるだろう……が、それでもやはり君は僕を倒せやしない。君の刃は僕の鎧を貫けない。それが最終的な結論だ」

「……ふふっ」

「何が可笑しい」

「いやァ、面と向かって言われるとショックやなァ思うて」

 

 言葉とは裏腹にヘラヘラと笑う市丸は、あからさまに警戒する蒼都に対し、僅かに身を屈めた。

 限限(ぎりぎり)表情が窺えない角度。

 何を見つめているのか、何を思っているのか、どんな表情をしているのか───その一切を敵に悟らせぬ姿勢のまま、市丸は語る。

 

「僕の神殺鎗は最速の斬魄刀。伸縮の速度は、ざっと音速の500倍ってところや」

「……同情するよ。共に生きてきたものの力が、目の前の相手に通用しない現実にはね」

「せやけど、本当に恐ろしいんが速さやないってこと……君に教えたるわ」

 

 やおら、胸の中央を柄尻で突くような構えを取る市丸。

 

「神殺鎗“舞踏(ぶとう)”」

 

 音を捨て去り、鋒は蒼都の体へ突き立てられる。

 技を出されるより前に鋼鉄化していた蒼都の体には、やはり通じない。

 しかしながら、刀身はグングンと距離を延ばす。何棟もの建物を突き破ったところで、漸く身を捩って鋒から逃れた蒼都は、脳裏に一つの疑問が過った。

 

「キミ、ボクの卍解がどんだけ伸びるか不思議に思ったやろ?」

 

 図星を突く一言が、蒼都の心を揺さぶる。

 

「確かに距離取られたらかなわんわァ。せやけど、それならキミの言う間合いの外からボクも攻撃すればええ話や」

「……忘れているようだから教えよう。大紅蓮氷輪丸は氷雪系最強の斬魄刀。天地全ての水を御し、無限に氷を作り出す卍解だ」

 

 飛翔する蒼都。

 目指すは遥か上。先ほどよりも高く、より高く。

 神鎗では届かぬ高度まで上昇した蒼都はと言えば、指揮棒の如く右腕の鉤爪を振るう。

 

 するや、厚い雲に覆われて仄暗かった瀞霊廷が、より一層冥い闇を増していく。

 

「その最たる能力の名は───『天相従臨』。半径約12㎞の空を支配する絶対の力。例え君の卍解が始解より長く伸びたとしても……例え僕の前から尻尾を巻いて逃げたとしても……どの道君はこの卍解からは逃げられない」

「12㎞……」

「……君に分かりやすく言えば四方三里という言い方になるだろう」

「ああ、おおきに」

 

 朗らかに笑って応える市丸は、蠢く空に向けて鋒を向けた。

 

「せやったら、ボクも親切ついでに教えなあかんなァ」

「……何だと?」

「ボクの卍解の延びる長さは───」

 

 “舞踏”と同じ構えを取り、蒼都に狙いを澄ませる。

 

 

 

「13㎞や」

 

 

 

 神殺鎗“舞踏連刃(ぶとうれんじん)

 

 

 

 突如、蒼都に襲い掛かる刺突の嵐。

 多い───否、多いと錯覚してしまう程に伸縮の速度が超絶としているのだ。

 遥か上空へ退避したと無意識の内に油断していたのだろう。神殺鎗の真に恐るべき力は、その伸縮()()と伸縮()()を両立している点にあったのだ。

 

「くっ……!!?」

 

 前方より押し寄せる無数の鋒に、蒼都は呻き声を上げた。

 とどのつまりは連続の刺突。到底自分を倒し切るには至らないだろう。にも拘わらず、敵の熾烈な攻撃から逃れる事ができずに居た。

 

 (はや)い。

 長い。

 絶え間がない。

 

 故に───逃れられない。

 

 動こうとするや、四肢のいずれかを衝かん鋒が自由に身動きを取らせる事を許さない。

 蒼都は自分の意志に反し、上へ上へと運ばれていく。

 

「こんな……もので!!」

 

 強引に振り上げた腕が、曇天に巨大な穴を穿つ。

 

「逃げられるとは思わない事だ! 全ての力を解放すれば、瀞霊廷全てを凍土に変えてみせるくらい訳なんてない!」

 

 最早声が届かぬ距離と知りながらも、矜持に駆り立てられる蒼都は叫ぶ。

 

「喰らうといい! “氷天百華(ひょうてんひゃっか)───」

「……あぁ、あかんわ」

 

 放たれんとする大技───それよりも上に広がる景色に、市丸は独り言つ。

 

 

 

()、危ないで」

 

 

 

「……ッ!!?」

 

 直前、蒼都は気づいた。自身の背中に迫るものを。

 敵? 違う。

 味方? 違う。

 それは()()()()()()()。本来、滅却師の侵攻を阻む筈だった防壁。

 殺気石より造られ、断面から霊力を分解させる波動を放ち侵入者を阻む絶対の隔たり。

 それが、今まさに遥か上空へ突き上げられる蒼都の目と鼻の先にまで迫っていたのだ。

 

 

 

(遮魂膜───)

 

 

 

 刹那、上空で火花が咲いた。

 

「あ~あ、()()()()()()()()()()()

 

 どこか満足気に呟いた後に、背後から聞こえた足音に振り返る。

 

「……()()()()()()()()?」

「それは……こっちの台詞よ」

 

 胸から血を流す乱菊が、息も絶え絶えとなりながら現れたのだった。

 動ける方が不思議な傷。そんな傷を負いながら無理を押してやって来たのは、偏に彼が此処に居るからに他ならない。

 

「どうして瀞霊廷に戻ってきたの……何であんたが滅却師と戦ってくれるの……?」

「……」

「助けに来てくれたの……? 答えてなさい……答えてよ、ギンっ!」

「乱菊……()()()

「っ!?」

 

 庇うように傍に近づくや、腕を広げる市丸。

 すると空から血の尾を引く手負いの氷竜が見えるではないか。するや、着地の衝撃を羽搏きで和らげる事もなく、ただただ重力に従って墜落する。

 

「流石、頑丈やなァ」

「あいつ……遮魂膜にぶつかってもまだ……!?」

「はっ……はっ……はっ……!!」

 

 しかし、蒼都は既に満身創痍。

 幾ら鋼鉄級の硬度を誇る彼とは言え、そもそも霊力を分解する遮魂膜に触れれば、聖文字も静血装も意味はなさない。

 再生する氷の翼も、削られて剥き出しになった背中から噴き上がる血で真っ赤に染まり上がっていた。命にかかわる重傷である事は言うまでもない。

 

 だが、そんな傷でさえ強引に氷結して防ぐ蒼都は、滾る憎悪を瞳に宿し、市丸と乱菊を睥睨してみせた。

 

「僕は……僕は、陛下以外の手では殺されやしない……!!」

 

 血に濡れた氷の翼が広げられる。

 

「絶対に君等では……!!」

「なんて執念なの……それに、どうやってあそこから……っ!?」

 

 蒼都の体を眺める乱菊が勘付く。

 異様に体の前面の中で血の染みが大きい腹部。よく目を凝らせば、滅却師特有の白装束が横に向かって裂けているのが見えた。

 

「まさか……!!」

「っ……()()()()()()()()()。硬過ぎるのもそうだが……速過ぎるのも運の尽きだったようだ……」

 

 硬過ぎるが故に受け止める。

 ならば、守りを解いて刃を受け入れる。すれば神速の刺突は難なく己の骨肉を貫いてくれる。刃に貫かれたまま横に逸れれば、肉体こそ大いに傷つくが、背中から崩壊するという死は免れられるだろう。

 

 傷を受け入れ、死からは逃れた。

 

 しかし、傷ついたものは体だけではない。

 蒼都の───滅却師としての誇り。それを穢された蒼都の目の色は、先刻のものとは思えぬ程に豹変している。

 

 血塗れの眼に宿る飢餓。勝利への飢餓だ。

 

───敬愛し、信仰し、崇拝する神へ捧げる聖戦なのだから。

 

───自分は一人でも多くの死神を殺さなければならない。

 

「二度は……通じない……僕は君達を……!」

「キミ───油断し過ぎや」

「……?」

 

 眉を顰める蒼都。

 市丸は彼を心底嘲笑するような半笑いで見つめていた。

 

「自分の力に慢心する。他人の力でいきりよる。その癖プライドはいっちょまえやから、ちょっとでもしてやられるんが許せなくなって冷静じゃなくなる」

「ッ……」

「そんで極めつけは、敵のボクん言葉素直に信じすぎることや」

「なん……だと……ッ?!」

「当たり前やん。敵サンにわざわざ自分の能力明かす? 只より高い物はないってゆうやん」

 

───だからキミはボクの舌の上で転がされた。

 

 絶望したような表情を浮かべる蒼都の前に、市丸が掲げたのは神殺鎗である。

 

「見える? ここ欠けてんの」

「……それは僕の“鋼鉄”で……!」

「違う違う。これな、キミん中に置いてきたんや」

「な───」

「ボクの卍解、言うた程速くは延びん。言うた程長くは延びん。ただ……刀の内側に細胞を溶かし尽くす猛毒があるんや」

 

 種明かし。

 マジシャンが観客にマジックをしてやったと言わんばかりに浮かべる時の愉悦に満ちた表情(かお)。市丸が浮かべるのは、まさしくそれであった。

 散々刃が通用せず、四苦八苦した様子を見せた理由は遮魂膜で殺す為ではない。

 遮魂膜から抜け出す一瞬の無防備の隙に、鋼鉄の肉体すら(ころ)す毒を仕込む為であったのだ。

 

 無情な現実を突きつけられた蒼都は、揺れる、揺れる、揺れる。

 どれが真実だ?

 どれが嘘だ?

 どこまでを信じていい?

 どこからが奴の虚言なんだ?

 全てが、市丸ギンという死神の一挙手一投足に疑心暗鬼になる蒼都は、最早平静では居られなくなっていた。

 

「ッ……ッ……!」

「信じられん顔やね」

 

 そらそうや、と市丸は欠けた刀をちらつかせながら語を継ぐ。

 

「自分に都合悪い事はとことん信じたない。それが───人間の“(さが)”や」

「ぅ……ぅおおおおお!!!」

 

 それが一人の滅却師の覚悟を、流儀を、誇りを打ち砕いた。

 死に体の体を突き動かし、両腕の鉤爪を合わせるようにし、巨大な蛇を為した霊圧の牙を剥く。

 

「“蛇勁爪(シェジンツァオ)”!!!」

 

 決死の一撃。

 

 

 

「ほな、さいなら」

 

 

 

 しかし、その覚悟でさえも届きはしない。

 

 

 

(ころ)せ───『神殺鎗』」

 

 

 

 抵抗を無為に帰す毒が、鋼鉄の肉体を溶かし尽くした。

 最早命は形を留める事すらできず、凍った地面へと吸い込まれていく。

 

「……ギン」

「なに?」

「さっきの答え……訊かせなさいよ」

 

 一人の敵を倒したとは思えぬ静けさが二人の間に満ちる。

 こうして二人きりで面と向かって話す機会は、それこそ久しくなかったかもしれない。以前ならばまだしも、今は立場上敵対していた関係だ。

 それでも尚、二人を繋げるのは過去の思い出。

 流魂街で共に暮らした貧しくもささやかな幸せに溢れていた日々だ。

 

「……乱菊、髪切ったん?」

「ッ! ギン!」

「ええやん、似合ってるよ。ボクは短い方も好きやなァ」

「あんたね……ッ!」

 

 求めていた答えが得られぬ怒りとは裏腹に、少女のままの自分が少年のままの彼とのやり取りを彷彿させ、得も言われぬ感覚に浮足立ってしまう自分が憎らしい。

 

「ええやん。別に」

「は……?」

「ボクが死神になった理由、憶えてる?」

「そんなの……!」

「憶えてても憶えとらんでもええ。けど、ボクが来たんは単純や」

 

 

 

───乱菊が泣かんようにしたる為や。

 

 

 

 徐にそっぽを向いた市丸。

 彼の胸中は未だに見抜けない。

 しかしながら、その横顔があの日とそのまま重なるのだ。

 

 息を飲む乱菊は、続々と込み上がってくる想いに顔を涙で濡らした。

 嗚咽を上げながら、台無しになった容貌を彼に見せたくないと女の意地に駆り立てられた彼女は、困ったような笑みを湛える市丸の胸に顔を押し付けた。

 

 

 

「言ってる傍から……泣かすんじゃないわよ……このッ、ばかァ……!」

「……ごめんな、乱菊」

 

 

 

 不幸を知ることは怖ろしくない。

 怖ろしいのは、過ぎ去った幸福が戻らぬと知ること。

 愛していた人間を、愛せなくなってしまうこと。

 そして、『それでも』と気づいた愛を、永久に云えなくなってしまうこと。

 

 

 

『ねえ、ギ~ン~。足挫いちゃったからおんぶして~』

『乱菊は我儘やなァ。楽したいんと嘘吐いてるんちゃう?』

『嘘だったらおぶってくれないの?』

『別のそうは言うとらんよ、ふふっ』

『なに笑ってるの?』

『いやァ、乱菊って嘘吐けない女の子やなァ思うて』

『はぁ!? そういうギンは嘘ばっかり。もうウンザリしちゃう!』

『ごめんごめん。でも、せやからボクは正反対の正直な()が好きなんかもなァ』

『……それも嘘?』

『さァ、どうやろか』

『答えなさい、ギ~ン~!』

『わわッ!? 背中で暴れんといて!』

 

 

 

 百年来の素直な言葉をぶつけ合い、二人は密かに抱きしめ合った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ、あぁ……!」

 

 猛りを増す火柱に竜ノ介は慄く。

 遠方より眺めていても分かる火勢の激しさは、それだけ自隊の長が対峙する敵の強大さを表していた。

 

「───はぁ……はぁ……!」

「どうした、隊長さんよ。威勢がいいのは最初だけか、オイ!?」

 

 幾度も燃え盛る炎を鎮めるは水。

 しかし、戦況は芳しいものとは言い難かった。

 肩で息をする海燕は、至る所に傷を負っていた。炎に焼かれた痛々しい火傷の痕は、一つや二つなどではない。

 

「はっ……抜かせよ!」

 

 それでも闘志を滾らせる海燕は捩花を振るう。

 豪快な槍撃と共に放たれる波濤は、地面に残っていた炎ごとバズビーを呑み込まんと牙を剥いた。

 

「何度も言わせんなよ」

 

 呆れたように紡ぐバズビーが、人差し指を立てる。

 

「てめえの水なんざ───指一本ありゃ十分なんだよ!」

「ちぃ!?」

「バーナーフィンガー1!!!」

 

 吼えるバズビー。

 彼の咆哮と時を同じくし、指先から迸る灼閃が押し寄せる波濤に穴を穿つ。その先に佇んでいた海燕は、紙一重のところで顔を逸らし、頬を焦がされるだけで済んだ。

 

「まだだぜ!」

 

 しかし、捩花の波濤を穿つ程の熱量を有す灼閃は真横に薙がれていく。

 屈む海燕。通り過ぎた膨大な熱を凝縮した閃光は、滅却師の街並みの象徴でもある建物を溶かし、両断する。

 

「はっ!! 随分景気のいい技だぜ!!」

「分かるか? ならもっと見せてやるぜ! バーナーフィンガー2!!」

 

 今度は中指も加えて一緒に炎を紡ぐバズビー。

 鉤爪状に迸る炎爪は、劣勢により疲労が溜まってきている海燕へ容赦なく襲い掛かった。

 対して海燕は、振るわれる炎爪から熱を奪わんと、全身全霊で激流を纏わせた槍撃を繰り出す。

 

 螺旋を描く赫と蒼。水を灼く炎、炎を冷ます水の攻防は熾烈を極めた。

 

「おおおおおっ!!!」

「オオ───ッ!!! いいぜいいぜ!!! そうじゃなきゃ()り応えがねェ!!!」

「ッ、な……!?」

 

 激流を灼き尽くし、とうとう炎爪が捩花の柄を捉える。

 次の瞬間、バズビーに力任せに振り下ろされた捩花は地面へと深く突き刺さった。柄を握る手応えから判る───これは容易に抜けない。

 武器を無力化される明確な隙に焦燥する海燕。

 だが、それはほんの序の口。赫く熔け始める地面の光景を前にすれば、自身の中に芽生えた危機感が甘いものであると気付かざるを得ないだろう。

 

「バーナーフィンガー……3!!!」

「ッソが!!」

「おぉっと!! 逃げ足だけは速ェな!!」

 

 溶岩と化す地面に、すかさず“石破(せっぱ)”で捩花を引き抜いた海燕は、なりふり構わず跳躍した。

 一瞬でも贈れていれば、眼下に広がる溶岩の海に飲み込まれ骨も残らなかっただろう。

 

 肌が焼けるような熱さの中、冷や汗を流す海燕。

 しかし、現状が余りにも拙い。飛び道具を持つ敵相手に迂闊に宙に上がれば、狙い撃ちにされるのは当然。それもこちらが防ぐ手段を持たなければ尚更だ。

 

 獲物を罠に嵌め、命を狙う男……彼こそが狩人。

 勝利を確信したバズビーは獰猛な笑みを剥き、赫々と熱を収束させる指を海燕へと向けた。

 

「バーナーフィンガー……1!!!」

 

 

 

 命を灼く熱線は───天より降り注ぐ閃光に呑み込まれた。

 

 

 

「!!?」

「……誰だァ?」

 

 捩花の激流でさえ防ぎきれぬ熱線を消した閃光に海燕は瞠目した。

 何者かと訝しむのはバズビーも同じようであり、高濃度の霊子が満ちる空間でありながらも、ただならぬ存在感が漂う方向へと目を遣った。

 場所は、溶岩から逃れた屋根の上。

 一切の繋がりを感じさせないような凸凹な男女───性格には男性と少女が一組、片や倦怠感丸出しで、片や鼻息を荒くして立っていた。

 

(ッ……どうしてあいつらが)

 

 海燕は見覚えがある乱入者に、驚愕の色を浮かべる。

 

───敵か、はたして味方か。

 

「……はぁ。おい、聞いてねーよ。滅却師さんがこんなに強そうってのはよ」

「ここまで来てグダグダ言うなよ! 皆も頑張ってんだから気合い入れろよな!?」

「はいはい、っと……やれやれ。手伝いに来たはいいものの、人使いが荒ェなあ」

 

 男性は少女の頭に手を置いた。

 撫でるような仕草だが、突如として膨れ上がる膨大な霊圧にバズビーは目つきを鋭くする。

 

「てめえっ……!」

「悪いね、兄ちゃん。俺も折角拾った命は捨てたかねえんだ。だからよ───圧倒させてもらうぜ」

 

 

 

 孤狼の遠吠えが、炎を裂く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「どういう……ことだ……」

『心拍数、脈拍低下。霊圧減少。そろそろ限界か』

「なぜ……無窮瞬閧が通じん……!」

 

 数多もの火薬の炸裂に焼かれた肌は見るに堪えない。

 それでも辛うじて倒れぬ砕蜂は、自身の限界に近づくにつれ精細なコントロールが叶わなくなってきた風を見遣る。

 無窮瞬閧───白打における卍解と称しても良い白打最高戦術、その到達地点の一つだ。鬼道を纏わせた拳を敵へ叩き込む一方、維持するべく常に鬼道を練らなければならないが為に消費する霊圧は莫大である。その燃費の悪さを改善したのが無窮瞬閧だ。例え間違っても威力が下がっている筈はない。

 

 砕蜂の見立てならば、確実にBG9の肉体を突き破れていた威力。

 それが一切通用しない───無傷なのだ。

 ここまで効かないとなれば、何か理由がある。

 そう怪訝な眼差しを送る砕蜂に、BG9は『そろそろか……』と呟く。

 

『最早お前の戦闘から採取できるデータはなさそうだ』

「ほざけ……貴様と相まみえるのはこれで二度目だ。たった二度の戦闘で何が分かる?」

『十分だ。“叡智(ザ・ノーレッジ)”の私にとって、一度採取し、分析・解析したデータを下に本体(わたし)を最適化するなど造作もない』

「なんだと……?」

『既に瞬閧のデータがこちらに在った以上、当時と今のお前の霊圧を元に破壊力を推定し、それを防ぎきれるだけの強度を装甲に出力していた。つまり、お前の瞬閧は最初から私に通用しない運命だった訳だ』

「機械人形が運命などと妄言をッ!」

 

 振り絞る砕蜂の背負う翼が爆ぜる。

 直線の突進。余りにも拙い攻撃だ。攻撃の軌道は手に取るように分かる。

 BG9の体から伸びる機械仕掛けの触手は、飛び込んでくる砕蜂目掛け突き出された。

 が、次の瞬間、砕蜂の姿は消える。的を失った触手はと言えば、まんまと空を裂くだけに終わった。

 

(もらった!!)

 

 頭上から蹴撃を振り下ろさんと、砕蜂が刮目する。

 

『言った筈だ』

「! ぐぅ!?」

 

 しかし、直撃の寸前で砕蜂のしなる脚を別の触手が貫く。

 苦痛に顔を歪める砕蜂。そんな彼女も、驚愕する間もなく次々に残る手足へ突き立てられる触手と、それらに激しく瓦礫へ打ち付けられる衝撃に、視界が明滅した。

 

「かっ……はぁ……!?」

『お前の戦闘から採取できるデータはないと』

「ッ……!」

『残りのデータは……お前の命と引き換えに採るとしよう』

 

 瓦礫に磔となった砕蜂は凄まじい形相でBG9を睨みつける。

 その間も脱出を諦めぬ彼女は、貫かれた四肢の傷口から血飛沫が吹き出すのも厭わず、全身に力を込めていた。

 

『やめておけ。出血で早死にするぞ』

「……私が死んで……困るのは貴様の方だろう。私の息がある内に……データを採りたいようだからな……」

『……』

「……ッ、ぁぁぁあああぁぁああぁぁあ!!!?」

『気が変わった』

 

 貫かれた四肢を穿(ほじく)られ、苦痛の余り絶叫を上げる砕蜂にBG9が鉄仮面の奥に佇む瞳を妖しく光らせる。

 

『お前程の強靭な忍耐力を持つ者が、どれだけの痛みで悶え、苦しみ、許しを乞い、泣き喚いて矜持を放り捨てた挙句、死に果てるかがな』

「ああああああああ!!!」

『安心しろ。しっかりとデータは採る。拷問に耐えかねるお前の醜態と共にな』

「─────ッ!!!!!」

 

 最早、それは叫びと呼ぶ事さえ生温い。

 想像を絶する苦痛に反射的に飛び出してしまう絶叫と、それでも尚己を奮い立たせんと吼える雄叫び。

 両者が混じり、喉元でせめぎ合い、吐き出される間、聞くに堪えない悲鳴は曇天の下に響き渡る。

 

 その時、不意に轟く。

 

『……まだ居たか』

「ッ……!」

 

 背後からBG9の頭部へ突き刺さる五形頭。

 その得物を振るったのは砕蜂の副官、大前田だ。砕蜂が妹の希代を救ってから、巻き込まれぬよう離れていた彼であったが、上官の危機に駆けつけずに居られず助太刀に入ったのである。

 

───仲間がやられていたら好機と思え。

 

───間に入るな、後ろから刺せ。

 

───それすらできぬ程、敵との力量が隔たっているなら、

 

───その場で仲間は見殺しにしろ。

 

 ふと脳裏に過る上官の教え。

 自分は、今まさしくこの教えに背いている訳だが───怒られる事には慣れている。

 彼は仲間を見捨てられる程非情になり切れず、時には勇猛果敢に立ち向かう男でもあった。

 

 しかし、今回ばかりは相手が悪かった。

 

『拾った命を無駄にしたな』

「砕蜂隊長を放しやがれぇぇぇえええ!!!」

『お前から()す事にしよう』

 

 分かり切っていた結果だ。

 そもそも攻撃が通用しない以上、大前田に砕蜂を救う手立てはない。例えターゲティングを自身に向かせたとて、それはほんの一瞬砕蜂を延命するだけにしかならないと。

 それでも大前田は立ち向かう。

 眼前に迫る鋭利な触手。突き立てられようものなら、自分は砕蜂と違って即死するという確信がある。

 

(あ、俺死んだ)

 

 最後くらいカッコつけられただろうか。

 

 不思議と落ち着いた心境の中は、さながら海のようだった。

 現に視界も青い津波に埋め尽くされ───。

 

「お、おおおおわっぷあぁあぁあ!!?」

『くっ……なんだ!?』

 

 幻覚ではない激流が大前田を攫い、BG9の動きを制限する。

 更には砕蜂を縫い付けていた触手も斬り落とされ、絶体絶命に陥っていた彼女は謎の人影に救出されるではないか。

 激流が戦場を制圧する。

 まんまと砕蜂を奪われたBG9は、ゆっくりと霊圧を探知した方角に目を向けた。

 

『増援か? この霊圧……志波海燕ではないな。何者だ』

 

 これだけの水量、護廷十三隊の死神で操れるとするならば、十三番隊の志波海燕に他ならない。

 しかしながら、検出した霊圧がデータにあるサンプルとまったく適合しない事から、別人が繰り出した攻撃である事は明白であった。

 

 これだけの水量を自在に使役する戦士とはいったい。

 

 疑問に答えたのは、まさしく全てを攫う水を放った女───ではなく、その取り巻きであった。

 

「あぁん!? このお方を存じ上げてねえたァ、やっぱ三下はモノを知らねえなァ! おい、オメーら! 教えてやれ!!」

「オメーらって誰に言ってるんですの?」

「チョーシ乗ってるんじゃないよ、ブッ殺すぞ」

 

 喧嘩する程仲がいい───という訳でもなさそうだが、喋り始めた途端に内輪で揉め始める乱入者に、欲しい返答を得られなかったBG9は霊圧で苛立ちを表した。

 対して、背後で喧嘩する仲間を慣れたものだと目もくれない褐色肌の女は、凛然たる表情で抱きかかえた砕蜂に目を落とす。

 すれば、今にも意識が途絶えそうな砕蜂が、あり得ない人間の顔に驚きながら訊く。

 

「どう……して……貴様、が……」

「私はこの戦争に因果はない。だが、お前達にとって取るに足らん約束が、私をこの場に立たせている。その中でお前を助けたのは……共に刃を交えた者として、払わなければならん敬意もあるだろう」

「わざわざ……まじめな……奴だな。理解、に……苦しむ……」

 

───そんな事の為にわざわざ来るとは。

 

 とうとう意識を手放した砕蜂。

 しかし、得体の知れない者の腕の中で眠るにしては、彼女は実に安らかな表情を湛えていた。

 次の瞬間、女の姿は消える。

 また姿を現れたかと思えば、今度は津波に押し流されて水浸しになっていた大前田の前に立っていた。

 

「連れていってやれ」

「お……おぉ……? す、すまねえ! 誰だか知らねえが恩に着るぜ!」

 

 仰々しく頭を下げた大前田は、希代も抱えて姿を消す。

 

「三人共。あの二人を護ってやれ」

「はぁ!? マジで言ってんすか!?」

「嫌ならやるな、あたしだけでもやるぞ」

「抜け駆けは許しませんわよ」

 

 喧嘩する三人組の一人が不服そうな声を上げたが、忠誠を尽くす主の命令に他二人が迷いなく承諾した事から、渋々ながら大前田達の護衛へと向かった。

 

『逃がすと思うか?』

「追わせると思うか?」

 

 すかさず追撃をかけようとしたBG9。

 それを女が手の甲で弾き、阻止してみせる。

 

『……厄介な奴め』

「その通りだ。卍解を奪う事で死神の優位に立とうとした滅却師(おまえたち)には、それらと等しい力を揮える者達を無視する訳にはいかなかった」

 

 怜悧な眦がBG9を射抜く。

 

「だから破面を麾下に加えようと躍起になった。万が一にも()()()()()()()()()()事態にならぬように……違うか?」

 

 一瞬の静寂が、闇に響く。

 

『───違うな。虚圏の侵略など、尸魂界侵攻のデモンストレーションに過ぎん』

「その為に無関係の命を奪ったと?」

『必要な犠牲は何にもつきものだ。破面とて例外ではない』

「……そうか」

 

 悼むように視線を落とす女。

 刹那、瀑布の如き圧巻の霊圧が辺りを覆い尽くしていく。

 

「───ならば、私はその犠牲に報いるべく戦おう」

 

 

 

 蒼海のヴェールを纏う鮫が、血塗れの牙を剥く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐッ……!!」

「一角!」

 

 瀞霊廷のとある一角にて、一角と弓親が一人の滅却師と戦っていた。

 十一番隊きっての手練れである二人を同時に相手取っても尚、余裕を湛えた笑みを浮かべるのは、この男。

 

「オイオイ、情報(ダーテン)通りだな。どんだけピンチになっても奥の手は使いませんってか?」

 

 意味深な言葉を吐くのは、オセロのように白黒とした歯を覗かせる男滅却師。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“U”

無防備(ジ・アンダーベリー)

NaNaNa Najahkoop(ナナナ・ナジャークープ)

 

 

 

「あんたら隙だらけだぜ。いつまでもグダグダと戦ってくれたおかげで、霊圧配置は観察済みだ!」

 

 直後、ナジャークープから放たれる光が一角と弓親の体に突き刺さる。

 するや全身から力が抜けていく感覚に、堪らず地面に倒れ伏してしまう。

 

「ッ……んだ、こりゃあ……!?」

「体が……動か……!」

「動けねェ奴を殺すなら、チキンの足を捥ぐよりラクショーだぜ」

 

 地面を舐める体勢を取る二人を、屈んで覗き込むナジャークープ。

 絶対的優位を確信した彼はニヤニヤと笑みを湛えながら、神聖弓を発現させる。

 

「さぁーて、どうやって殺して欲しい?」

 

 甚振るように問いかける姿は、誰の目から見ても悪役だ。

 

───そんな悪を見逃さぬ者が、この世には居る。

 

 

 

「オイタはそこまでよッ!!!」

 

 

 

「なッ……!?」

 

 突如、背後から差し込む光にナジャークープが弾かれるように振り向いた。

 眩しくてはっきりとは見えないが、サングラス越しに辛うじて人影が見える。後光を背負う人影は、筋骨隆々で、長い髪をバッサバサと無駄に靡かせる特徴的過ぎるシルエットだった。

 一目見て分かる際物に、ナジャークープのみならず倒れる二人でさえ啞然とする始末だ。

 

「なんだァ……!?」

「このあたしが居る限り!!! この世に悪は蔓延らせない!!!」

 

 けたたましく響く台詞は、まるで事前に台本を読み込んできたかの如き役者ぶりを感じざるを得なかった。

 

「美しさが陽の目に当たらず輝けない世界……嗚呼、なんてつまらないの!!! でもね、あたしの美しさだけは今尚燦然と光を放っているわ!!! この心の愛、正義……そして───あら、なんだか焦げ臭いわね? って、ちょっとちょっとちょっと!!!」

「なんだよ、うるさいなァ。お前の言う通り照らしてやってるだろ」

「照明近過ぎなのよ!!? あたしの髪がチリチリになっちゃったじゃない!!!」

 

 眩し過ぎる照明のスイッチが切られる。

 すると、オカマ然とした男の陰から、これまた中性的な容貌の少年がニュっと現れ出てくる。

 

「もともとチリチリだし変わらないだろ」

「チリチリじゃないですゥー!!! パーマが利いてるんですゥー!!!」

「天然パーマだろ。それでパーマが利いてるとか抜かすな、片腹痛い」

「ちょっと辛辣じゃない!!?」

 

 無駄に高い場所で喧嘩する二名。

 何故斯様な茶番を見せられているのか理解できないナジャークープは茫然としていたが、一角と弓親の二人に限っては違っていた。

 

「おい、なんであいつが瀞霊廷に居やがる……!?」

「芥火に倒された筈じゃ!」

 

 見覚えがある()に、二人の動揺は収まりがつかない。

 

「……どういう訳だか知らねえが、口振りからして俺の敵って事だよなァ?」

「フンッ、自分の胸に聞いてみなさい……」

「ウザ」

「ねえ、一応聞いとくけどあんた味方よね?」

 

 と、ふざけた空気が拭えぬ謎の乱入者であったが、敵と認定されるや否や突きつけられる敵意に様子を一変させる。

 

「あら? あたしとやる気……?」

「陛下の命令は敵前軍の殲滅。どこの馬の骨だか知らねえが、死神に肩を貸すならてめえらも抹殺対象だ」

「身の程を知らないようね……あたしらを倒そうなんて百万年早いのよ」

()? ボクも入ってんの?」

「当たり前でしょ!!? 何しに来たのよあんた!!?」

「はぁ……うるさいなァ。わかった、とっとと済ませようよ」

 

 漫才のようなやり取りを経て、二人の霊圧が膨れ上がる。

 それまでの空気が嘘だったかのような、禍々しく力強い圧。間違いなく覚えのある感触に、一角と弓親は目を離さずに見届けた。

 

 

 

 花開く、その瞬間を。

 

 

 

 ***

 

 

 

「スターフラッシュ!!!」

「ぐううッ!?」

 

 腹部を貫く星形の光線を受け、狛村は致命傷を負う。

 しかしながら、すぐさま傷口は塞がる。まるで死が狛村から逃れていくような光景。それを生み出すに至った檜佐木は、滂沱の如き汗を流しながらも、狛村を信じる真っすぐな瞳を湛えていた。

 

「大丈夫か、檜佐木!?」

「まだ行けますッ!」

「済まん!」

「いえ、俺にはお構いなく! 狛村隊長は敵だけを見ていてください」

 

 とは言うものの、傍目から見ても疲労を隠せていない檜佐木に狛村は焦燥を募らせる。

 風死絞縄───風死の卍解であり、鎖で括った二者の命を霊圧が尽きるまで繋ぎ止める()()()斬魄刀の極致だ。

 一対一では同士討ちが精々の能力だが、味方に使えば即死する事態を免れられるといった使い道もある。

 敵が孤立している状況であれば、例え卍解を奪掠される手段があっても、誤って敵が使用しようものならば引き分けまで(もつ)れ込める。

 

 そう考えていた檜佐木であったが、自身の見通しが甘かったことに気がついたのは、マスキュリンの尋常ではないタフさにあった。

 

「おおお!! 天譴!!」

「させんぞ!! スターヘッドバッド!!」

「頑張れェー、ミスター!!」

 

 マスキュリンごとジェイムズを潰さんとする狛村であったが、ジェイムズ達の応援を一身に受けるマスキュリンの力は加速度的に増していく。

 最初は肉弾戦でも拮抗していた両者も、今や狛村が一方的にマスキュリンに嬲られる虐殺ショーと化していた。

 

(ちくしょう、奴等を同時に仕留めてえのに!! マスク野郎の声で小さいのは復活しやがるし、逆もまた然りだ!! 頭数……いや、単純にパワーが足りてねえ!!)

 

 狛村の卍解があれば結果は変わっていただろう。

 始解と卍解の差は大きい。それは死神も滅却師も認識は同様だ。

 だからこそ封じられ、狛村と檜佐木はマスキュリンに苦戦を強いられている。

 

(そろそろ決着を着けねえと、俺も狛村隊長も霊圧がヤベェぞ!!)

 

 戦いの終わりが近づいている。

 自身らの敗北が、だ。

 

 冷や汗を流す檜佐木も、狛村が中心になってマスキュリンを相手取っている一方で、何とか打開できる術はないかと思考を巡らせる。

 

(ちくしょう、何か───!)

 

 

 

 

 

『どォ───も! 護廷十三隊隊長、それから副隊長のみなさんこんにちは!』

「!? この声は……!」

『コチラは浦原喜助です。初めましての方もよく知らない方いらっしゃるかと思いますが、自己紹介は後回しにさせて下さい』

 

 

 

 

 

 突如、天廷空羅を通して聞こえる声に、檜佐木もまさに戦っている最中の狛村でさえも耳を傾ける。

 

『この通信と同時に皆さんの所に黒い丸薬を転送しました。卍解を持つ人のみ反応する丸薬です』

「これのことか……?」

『それに手でも足でもいいんで触れて下さい。触れた所から吸収され、丸薬は魂魄の内側まで浸透します』

 

 言われるがまま、檜佐木は足元にポツンと鎮座していた丸薬を手に取った。

 瞬間、通信通り丸薬は檜佐木の体───魂魄の中へと吸い込まれていく。

 

「ぐッ……!!?」

 

 異変が檜佐木の体を襲う。

 丸薬を手にしていた誰よりも早く、彼が異常を感じたのは既に卍解を発動していたからだろう。

 ()()()()()()に狼狽しつつ、今度は狛村の下へ飛来する光の帯を目撃した檜佐木は、その瞳に爛々と煌めく希望を宿らせた。

 

「これは……卍解が!!?」

「───久しいな、明王よ」

「ムゥ!!?」

 

 マスキュリンの拳を受け止めた狛村が、感慨深そうに右手に握る斬魄刀を見つめる。

 

「賊軍に貴公を奪われた屈辱と悔悟……儂はひと時も忘れはしなかったぞ」

「何をゴチャゴチャと……」

「ぬぅん!!!」

「おぉ!!?」

 

 気合いの入った一喝と共に、マスキュリンは鮮やかに投げ飛ばされる。

 瓦礫に突っ込む敵の姿を見届けた狛村は、ひしひしと伝わってくる命を繋ぐ者達に語り掛けた。

 

「……檜佐木よ」

「!」

「儂に───命を預けてくれるか?」

「……はい!!!」

「……相分かった。ならば、征こう」

 

 狛村より放たれる圧倒的な霊圧。

 不動の山が聳え立つが如き、重圧感に溢れた力の奔流をその身に受けるマスキュリンは、ようやく気付いた異変に目を見開いた。

 

「卍解……」

「何だ……何が起きている……!?」

「『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』───」

「卍解とは……姿を変えるものなのか……!?」

 

 取り戻した卍解と共に、狛村は発動せん。

 

 

 

 命を懸けて振るう刃を、命を縛る縄で繋ぎながら。

 

 

 

「『断鎧縄衣(だんがいじょうえ)』!!!!!」

 

 

 

 現れた明王に鎧はなく。

剥き出しとなったやせぎすの躰には、黒い縄が巻き付かれていた。

 骸のような頭部の眼孔には妖しげな光が灯っており、二巻きの角も相まってか、今迄の明王からは感じられなかった不気味さを身に纏っている。

 

「これが……黒縄天譴明王? 姿がいつもとは……!」

「───『断鎧縄衣』。本来、鎧を脱ぎ捨て霊圧のみになった明王は、命を捨てたに等しい脆く、危うい存在。命が繋がっている儂にとっては、如何なる攻撃とて致命の一撃に成り得る諸刃の剣が如し卍解」

「!!」

「檜佐木よ、礼を言おう。貴公が居なければ、儂は無様に散っていたやもしれぬ。元柳斎殿の想いも、東仙の想いも護り抜けぬままな」

「狛村隊長……」

 

 即ち、檜佐木の風死絞縄があってこそ、漸く狛村が見せる事を決意した明王の異形態。

 そして、一つ補足がある。鎧を脱ぎ捨てた明王は、防御力が無に等しい状態で巨体であるが故に脆い。しかしながら、鎧を脱ぎ捨てたからこそ(はや)く、剥き出しとなった霊圧は超絶とした破壊力を発揮するようになるのだ。

 

「覚悟せよ……滅却師!!!」

「ム、ムウウウ!!?」

「明王!!!」

 

 狛村の咆哮に呼応し、明王が動いた。

 鎧を纏っていた状態とは比べ物にもならない俊敏な動き。それでいて巨体故の超重量は健在なのだから、振り下ろされた一撃は数多もの強化を経たマスキュリンでさえ、受け止めきれるものではなかった。

 

「おおおおお!!!」

「ムオオオオ!!?」

 

 巨大な刃を受け止めていたマスキュリン。

 しかし次の瞬間、激震と共に彼の姿は巻き起こる砂煙の中へと消えていった。地面を割断し、隆起させる程の一撃。

 例えどれだけ強靭な肉体を持つマスキュリンであろうとも、真面に喰らえば戦闘不能は必至。

 

「そんな、ミスター!!」

「やった!! 狛村隊長、すぐにそっちのを!!」

「ああ!!」

 

 やっとの思いでマスキュリンを打ち伏せ、檜佐木がジェイムズを見やりながら叫ぶ。

 いくらマスキュリンを倒そうとも、彼の回復役を務めるジェイムズも始末しなければ、永遠に戦いは終わらない。いや、正確に言えば霊圧が先に尽きるこちらが負ける。

 故に急ぐ狛村。

 慌てふためくジェイムズは、オロオロとあたりを見渡しながら助けを求めていた。

 

「ミ、ミスター!! 助けてェー!! 殺されちゃうゥー!!」

「恨みはないが……御免!!!」

「ミスター!! 助けて、()()()()()()()!!」

 

───いや、倒せる。

 

 檜佐木は明王から振り下ろす斬撃を眺めながら、勝利を確信していた。

 今までの戦いを見る限り、マスキュリンの速力ではジェイムズを救出できない。詰みだ。これでジェイムズを倒せば、後はマスキュリンを確実に仕留めればいい。

 

「───ゥゥゥウウウオオオオオ!!!!!」

 

 そう、考えていた。

 明王が激しく動く轟音を掻き消す方向と共に、空に一つの五芒星が瞬き始めた。

 

「正義のヒーローは!!! 負けんのだあああああ!!!」

 

 刹那、五芒星が鮮烈な光を放つ。

 すると明王を操っていた狛村と、彼と繋がっていた檜佐木さえも吹き飛ばされる。

 

「が……はぁ!?」

「ぐッ!! ……なんだ……あの異様な姿は……?」

 

 立ち上がる狛村が、絢爛な輝きを放つ光輪と光の翼を宿したマスキュリンを一瞥して呟いた。

 卍解とは違う。

 しかし、強大な力である事には違いない。

 しばし思考する狛村であったが、自身の知識の中からマスキュリンの異様が何たるかにあたりをつけた。

 

 

 

「───滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)というやつか!」

 

 

 

「ワガハイはあああああ!!! スーパースターァァァアアア!!!」

 

 ジェイムズの前に降り立ったマスキュリンは、何故か柄が変化したマスクを被る顔に、舞台(リング)に立つ勇猛なプロレスラーの如く奮い立つ。

 

「またの名をぉぉぉおおお!!! 『神の威光(キュリオース)』───ッ!!!」

 

 発動されし滅却師完聖体。

 死神に卍解が取り戻された一方、卍解を御する為のリソースを払っていた滅却師は、本来の強大な力である姿を晒せずに居たのだ。

 

 死神は卍解を取り戻す。

 滅却師は完聖体を現す。

 

 卍解が死神の手に戻ったのは、必ずしも戦争の被害を治めるだけにはとどまってくれない。

 力と力。二者の衝突はより激しい死闘の一途を辿り、破壊の余波で命を薙ぎ倒していくようになるのだ。

 

「ワガハイの真の姿を見たからには生き残れると思わん事だ!!! か弱きファンの為に立ち上がったスーパースターを前に、悪の尽くは滅びん!!!」

「チッ、勝手な事ほざきやがって……!」

「檜佐木よ……ここが正念場だ。気張れよ!!!」

 

 暗にそれを察する狛村が、檜佐木に檄を飛ばす。

 限界が近づき辛く苦しいだろうが、ここまでの努力が水の泡にならぬよう、誰よりも自分が精神的な支柱にならんと狛村は意気込む。

 

「征くぞ……檜佐木!!」

「はい!!」

「かかってこい、悪党どもめ!!! ワガハイの心は貴様を倒す正義の使命に、燃え尽きるほどに火を噴いて───」

 

 

 

 

 

「卍解───『清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)』」

 

 

 

 

 

 割って入った、静かな声。

 リンと鈴を転がしたような、清らかな音色と共に、辺りに暗闇の舞台が広がった。

 光も、音も、臭いも感じられぬ無明の世界。

 何もかもが閉じられた世界の中に囚われた三人は、困惑した様子で暗黒に溺れていた。

 

「な……急になんなのだ、これは一体……!?」

「これは……いや、()()()()は……!」

 

 最初に気づいたのは狛村だった。

 遅れて、檜佐木がハッとする。

 

「……来て……くれたんですね」

「───ああ」

 

 誰に向ける訳でもなく、独りでに紡がれた言葉に返答がくる。

 すると、次々に視覚や聴覚といった感覚が取り戻され、視界が鮮明に映っていく。とはいってもほとんど光の無い暗い空間ではあったが、それでも彼の存在を知覚するには十分過ぎた。

 

 聞きたい事は山ほどある。

 けれども、不意に歩み始める人影が狛村に向かっているのを目の当たりにし、檜佐木は口を噤んだ。

 持ち上げられる腕。その指先は酷く覚束なく、触れんか触れまいか、その寸前のところで行ったり来たりを繰り返していた。

 

 数秒の躊躇いを経て、その指が───世界の曇りを払いのけた。

 

 

 

「───やはり貴公か……東仙」

「久しぶりだな……狛村」

 

 

 

 生き別れた親友。

 一度は裏切られ、刃を交えたものの、紡いだ絆に嘘偽りはなく。

 

何故(なにゆえ)、貴公が瀞霊廷に?」

「……私は世界を廻ってきた」

 

 ぽつり、またぽつりと言の葉が紡がれる。

 

「彼女の言っていた世界の正体を知るべく。私が心底憎んだ世界で、彼女は一体何を見ていたのかを……私はそれ捜して廻った」

「……」

「だがな、彼女が夜空を仰ぎ星と例えていたものを見ようとした時……いつも私の脳裏に雲が過るんだ───狛村。それがお前だった」

 

 ほんの僅かに、狛村の瞳が揺れた。

 

 かつてのやり取りと共に、記憶が呼び起こされる。

 

『私は彼女の貫かんとした正義を消したくなかった』

 

 東仙の親友───歌匡の墓前で聞いた言葉だ。

 彼は、歌匡が愛した世界の為に正義を貫かんとしていた。夜空を世界と例え、浮かぶ星々に美しさを見出し、その雲を払いのけたいと願う彼女の。

 ならば、彼女の言う雲とはなんだ?

 彼女が愛した世界は、東仙が愛した世界ではない。

 東仙が恨み、憎み、苛烈なまでの正義で滅ぼさんとした世界。そんな星々を覆う雲とは、まるで彼らを護るように立ちはだかった───。

 

 復讐に身を窶し、一族郎党畜生の咎を受ける業を背負った血が流れる彼の瞳は、溢れんばかりの情動に揺れ動いていた。

 それを盲目の東仙が見えているかまでは分からない。

 だが、涙声を押さえる狛村は震えながら言葉を返す。

 

「まだ世界を憎んでいるのか?」

「……わからない」

「わからない、か」

「だが、一つだけ理解(わか)っていることがある」

 

 そこには、いつもと変わらぬ親友の姿があった。

 

「このままでは彼女の愛した世界が壊されてしまうだろう。それを私の正義は許さない」

「東仙……」

「私は私の正義を貫く為に戦う。その為には、私が世界を愛する必要がある……狛村。私がここに赴いた理由を、親友を助ける為だと云ったら───お前は笑うか?」

「……笑う筈もなかろう。貴公がそれをよく知っている筈だ」

「───ああ」

 

 僅かな憂いも、最早失せた。

 

「……平和の為なら滅すも已む無し。狛村、終わらせてやれ」

 

 心ゆくまで言葉を交わした東仙は、無明の地獄で叫んでいるマスキュリンとジェイムズを見やりながら告げる。

 互いに名を呼んではいるが、清虫終式・閻魔蟋蟀の能力により、彼らの声は暗黒に吸い込まれるだけだ。

 

 舞台は整った。

 

 そう言わんばかりに背中へ手を当てる東仙に、狛村は神妙に頷く。

 

 振り上げた刃には、最早一分の迷いもなかった。

 

「おおおおお、黒縄天譴明王!!!!!」

 

 全身全霊を以て振り下ろされる斬撃。

 親友とその部下の想いすらも乗せた一撃は、不死鳥のように蘇っていた敵を一瞬にして叩き潰す。

 地面に吸い込まれる肉塊が何度か声を上げたが、それすらも届く事はなく、英雄という名の虐殺者は血と共に地面へ吸い込まれていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「帰ってきたな、氷輪丸……」

 

 右手に握り締める斬魄刀。

 鈍い銀光を放つ刀身に感慨深そうな眼差しを向ける日番谷は、体中から滴り落ちる血を溢れ出す冷気で固める。

 

 そして、

 

「卍解」

 

 

 

───大紅蓮氷輪丸───

 

 

 

 天を統べる氷竜が君臨する。

 

「これで終いにするぜ、滅却師」

「なっ……!?」

 

 日番谷を追っていたバンビエッタの足が止まる。

 彼女が目にしたものは、自身の周囲を取り囲む巨大な氷柱。風に流れる冷気は爆炎で熱された空気を急速に冷やしていく。

 

「こんなもの───!」

「もう遅ぇ」

 

 衝きつける剣。

 それをまるで錠に鍵をかけるかの如く捻れば、無数の氷柱が暴虐を働く女を封じ込める氷獄を成した。

 

「───千年氷牢」

 

 圧倒的な質量と冷気がバンビエッタに押し寄せる。

 氷と氷がぶつかり合う轟音が大気を揺らし、遥か遠方へと鈍く木霊した。かっちりと噛み合った氷柱は微動だにしない。

 

「ッ……くっ、これで……」

 

 途端に全身から力が抜ける。

 ガクリと膝を折る日番谷は、最早満身創痍。絶え間ない爆撃により受けた傷は少なくなく、比例して流した血の量も相応であった。

 

 卍解が取り戻せなかったらどうなっていた事か。

 

 朦朧とする意識の中、何とか味方が居る場所を目指そうと踵を返す。

 一刻も早く合流し、体勢を立て直さなければ───。

 

 

 

 バキンッ。

 

 

 

 と、思案する日番谷の耳に届いた音。

 何かが割れる甲高い悲鳴は、そのまま亀裂を広げていくように勢いと速度を増していく。

 

「嘘……だろ……」

 

 嫌な予感と共に振り返る。

 その瞬間、日番谷は音の元凶を目の当たりにする間もなく、爆炎と衝撃に呑み込まれて吹き飛ばされた。

 

 氷の翼を砕かれて地表へと落下する。

 だがしかし、立て続けに襲い掛かる光弾が引き起こす爆発が、爆撃者の犠牲になった少年の行く先すらも掻き消す。

 

「舐めんじゃ……ないわよォー!!!」

 

 爆音、爆音、爆音……。

 絶え間なく轟き続ける音は、死滅を広げんとする暴力の光を放ち続けていた。

 

「どこよ、出てきなさァーい!!」

 

 その光景を生み出しし張本人であるバンビエッタは、煌々と光を放つ光輪(ハイリゲンシャイン)と翼を携え、無数に起こる街並みを見下ろしていた。

 敵味方関係なく爆砕する暴力は縦横無尽にばら撒かれ、何が起こったかも分からぬままに巻き込まれて死ぬ者も大勢だ。

 

 しかしながら、バンビエッタにそもそも味方の被害を少なくしようという魂胆はない。

 彼女は酷く気分屋で我儘。それでいて残虐だった。

 自分の気分を晴らす為ならば、他人の命すらも厭わない。

 そんな彼女がたった一人の死神を殺す為に発現していたのは、聖なる力を遺憾なく発揮する暴力の権能。

 

「さっさと出てこないと、あたしが全部ぶっ壊してやるんだから!! この……」

 

 怒りに呑まれ、狂気の宿した笑顔を張り付けたバンビエッタは叫ぶ。

 

 

 

「『神の鼓動(エバンスター)』でねッ!!」

 

 

 

 また一つ、破壊の種がばら撒かれる。

 縦、横、斜めと隙間なく降り注ぐ霊子の雨は、次の瞬間に景色の全てを紅蓮の爆炎に包み込む。

 悲鳴も、町も、命が生きていた形跡さえも炎に焼かれ、爆風に潰されていく。

 

「アッハァ!! もう生きてらんないでしょ!!?」

 

 死体すら残さず滅し飛ばすつもりだったバンビエッタは、眼下に広がる更地を眺め、喜悦に滲んだ声を上げる。

 

「ん?」

 

 だが、一箇所にだけ不審なものを見た。

 朧げに光る結界のような壁。焦土に等しい廃墟の中では一際輝いて見える生命の気配が其処にはあった。

 

(は? なんで……“爆撃”の中でどう生き残ったのよ?)

 

 自身の火力で殺し切れなかった相手への苛立ちもあったが、それ以上に困惑がバンビエッタに湧き上がった。

 バンビエッタの“爆撃”は霊子を打ち込んだものを爆弾にする。

 例え如何なる堅牢な壁や盾、結界ですらも爆弾に変えてしまえば一気に無力化してしまえる凶悪な性能だ。

 

 その“爆撃”を撃ち込まれただろうに健在する結界

 

 

 

───おかしい。一体何者が?

 

 

 

 思案を巡らせたバンビエッタであったが、すぐさまウダウダと考えるのを止め、自身の目で確かめんと翼を羽搏かせた。

 

「! なによ……あの女?」

 

 結界に包まれていたのは、肩につかぬ程度に髪を切り揃えた可憐な少女だった。

 羽織を着ている訳ではないが、左腕には副官章を着けている。

 少なくとも副隊長ではあるらしいが、副隊長如きに“爆撃”を耐えられた事実にバンビエッタの苛立ちは加速していく。

 

 だが、舞い降りる破壊の天使に目もくれない少女は、理不尽な暴力を断つ結界の中で、襤褸雑巾のように痛々しい姿の日番谷を抱きかかえていた。

 

「シロちゃん……ごめんね。助けに来るのが遅れて……」

「ひ……な、もり……」

「でも安心して。今度はあたしがシロちゃんを護るから」

「やめ、ろ……おまえじゃ……」

「大丈夫だよ。だから、ここで休んで」

 

 回道で軽い応急処置を済ませた少女───雛森は、日番谷の制止の言葉に笑みを返し、いくらバンビエッタが霊子を打ち込んでも爆弾化できなかった結界を()()()()()

 

「!!? あんた、今どうやって……」

「……貴方が町をこんな滅茶苦茶にした人ですか?」

「はあ? ……そーよ。あたしの顔に傷つけてくれた死神を殺すのに、ぜーんぶぶっ壊してやったわ!!」

 

 高らかに笑うバンビエッタに対し、雛森は目を伏せる。

 認めたくない程の残酷な現実。しかしながら、このまま目を逸らし続ければ、暴力はより勢いを増して命の芽を摘んでいく。

 

 色んな人との思い出が詰まった地が、戦火に焼かれていく───それだけは許せない。

 

 決意を固めた雛森は、摘まむように持っていた力強く握りしめた。

 刹那、丸薬は急速に吸収されていき影も形もなくなる。

 卍解奪掠の秘策たる道具は、今、まさしく雛森の魂の奥底へと染み渡った。

 

 そして、それは彼女の闘志を猛らせる着火剤と化す。

 

「……それなら遠慮はいらなさそうですね。あたしが貴方を倒します」

「……は? 今なんて言った? 副隊長如きが? あたしを? 倒すゥ~? 馬鹿も……───休み休み言いなさいよねッ!!」

 

 今度こそとばら撒かれる霊子の雨。

 対して雛森は、赫々と光を放つ飛梅を地面に突き立てる。直後、地面に描かれる紋様と共に広がる霊圧の波濤は、天を衝かんばかりに猛る火柱を上げた。

 やがて火柱は七つの枝からさらに小枝を伸ばし、百枝となった枝先から灼熱の実を生らせた。

 

 

 

「卍解」

 

 

 

 それは紡いだ絆の結実。

 

 

 

 ***

 

 

 

 侵影薬(しんえいやく)

 

 それこそが卍解奪掠を阻止するべく、虚圏に残留して浦原が開発した丸薬だ。

 一見ただの黒い丸薬にしか見えぬが、その実態は魂魄に浸透した後に卍解を“虚化”させるという聞く人によれば危険極まりないと錯覚してしまう代物である。

 

 しかし、そこは天才の浦原だ。例え卍解を虚化させたとしても所有者への副作用は、顔に虚のような仮面が浮かぶ程度であり、命に関わる副作用が出る訳ではない。これも百年に及ぶ虚化研究の賜物と言えよう。

 

───では、何故“虚化”で卍解を取り戻せるのだろうか?

 

 浦原が虚化に糸口を見つけるに至った理由は幾つかある。

 一つ、虚の力を持った人物からの卍解を奪掠できない点。

 一つ、ほぼ同質の能力である破面の刀剣解放が奪われていない点。

 

 浦原もマユリも、後者については原理として奪えない理由が思い当たらないと同意見であった。

 

 そこから導き出される結論は、即ち───滅却師にとって虚の力が命を脅かすものに他ならないからだ。

 

 二百年前、死神と滅却師の溝を決定的にし、滅却師殲滅作戦を決行するに至った理由の根底には滅却師の虚を滅却する力にあった。

 本来輪廻を巡る筈の魂魄が現世、あるいは尸魂界に留まり続ける。

 すると着実に片方に世界に留まり続ける魂魄が、いつかは二つの世界の天秤を大きく傾け、両界の崩壊を招くという最悪の事態に陥る事となろう。

 

 しかし、滅却師は言葉が通じない獣でなければ、話が通じない狂人の集まりではない。

 それでも尚、彼らが死神の言葉を無視し続け、虚を滅却し続けた理由は生命の危機にもたらすものに対する根源的な恐怖にあった。

 

 ただの人間でさえ、自分に害をなし終には命に関わる事態を招く生き物には、徹底的な駆除に打って出るのだ。

 滅却師もそれとなんら変わらない。感染すれば生還する可能性が絶望的な細菌と同じように、僅かに傷口から入れば衰弱しやがて死に至る虚の力は、徹底的に虚という種を根絶やしにしなければならぬ程に恐れていた、それだけである。

 

「いやはや……しかし、卍解を取り戻した途端敵サンも本気を出してくるとは困りましたねェ」

「君も全く予想していなかった筈じゃないだろうがネ。ただ、何も策を弄さずに居るよりは遥かに勝機があると思うが?」

 

 わざとらしく呟く浦原に、マユリが淡々と答える。

 これまで卍解を奪われる事を危惧し、必然的に始解で戦わざるを得なかった面々、あるいは卍解を奪われていた面々、そのどちらもが自身の最大戦力を発揮できぬという大きなハンデを負っていたのだ。

 それが五分五分に引き上がっただけでも、侵影薬の価値は大いにあったと言えよう。

 

 しかしながら、楽観的には居られない。

 どう見積もっても、現在の護廷十三隊では見えざる帝国の戦力相手には勝率が低くなってしまう。

 浦原もまた劣勢の状況を打開する新しい手段に取り掛かるが、そんな時懐に仕舞っていた伝令神機に通信が入る。

 

「ハイ。───……黒崎サン!?」

 

 浦原の口から飛び出た言葉に、技術開発局の一室にどよめきが走る。

 霊界の英雄。大逆の徒、藍染惣右介を打ち倒し、前回の見えざる帝国による尸魂界侵攻の折、滅却師を率いる親玉であるユーハバッハを追い返す役目の一端を担った死神代行だ。

 その潜在能力は目を見張るものがあり、零番隊に霊王宮へ連れて行かれた事からも、誰もが彼が新しい力をつけて助けに来てくれる事を信じて疑わない。

 

 そんな彼の参戦を予感させる通話より、更なる報せが一つ。

 

「ハイ……ハイ……ええ、わかりました。待ってますよ、黒崎サン」

 

 短い通話。

 しかしながら、浦原から僅かに滲む安堵の気配を付き合いの長い面々は察していた。

 するや、柄にもない笑みを湛えた浦原が告げる。

 

「みなさん、お報せっス。黒崎サンがたった今、霊王宮を発ったと連絡が入りました」

『おぉ……!』

『黒崎一護が来てくれるのか!』

『心強い……これなら……!』

「それともう一つ」

 

 

 

───芥火サン方は、もうすぐ瀞霊廷にご到着のようで。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「副隊長が……卍解?」

 

 宙に舞うバンビエッタは、眼下に佇む少女が紡いだ単語に首を傾げた。

 主要な情報(ダーテン)以外読み込むつもりのない彼女でも知っている。斬魄刀戦術の最終奥義。護廷十三隊の死神にとっては隊長格が使う奥の手である、と。

 

───それを、たかが副隊長如きが?

 

「舐め、てん、じゃ、ない、わよッ!!」

 

 完聖体となり、背中から生えた一対の光の翼から破壊の種をまき散らす。

 

「副隊長が卍解? だったら何よ!? どうせ卍解覚えたって言っても付け焼刃でしょ⁉︎ そんなのであたしを倒そうなんて百年早いっつーの!!」

 

 破壊の種は、真っすぐ雛森の居る地面へと降り注ぐ。

 

「そーいう冗談は……あたしの“爆撃(ジ・エクスプロード)”から生き延びてから言ってみなさいよッ!!」

 

 隙間なく埋め尽くす絨毯爆撃が、今さに瀞霊廷の大地を焼き尽くさんとする直前であった。

 一方、雛森の斬魄刀は刀身どころか柄までもが地面へと吸い込まれ、辺りに霊力の根を這わす。紅蓮の霊圧はみるみるうちに周囲の霊脈に作用し、グラグラと地面を煮え滾らせた。沸き立つ溶岩が紋様を描き、その中央に佇む少女は立ち昇る陽炎に揺れている。

 

 するや、空いた細腕を空へと掲げれば無数の枝先に生っていた実に火が灯った。鮮やかな紅の燐光を散らす様は線香花火。

 だが、その絢爛な光景とは裏腹に内に秘めたる灼熱を届けんと実った蒴果は、

 

 

 

「弾け」

 

 

 

爆ぜるように、空へと咲いた。

 

 

 

 

 

「───『百枝紅梅殿(ももえのこうばいどの)』───」

 

 

 

 

 

 刹那、巨木の枝先から迸る爆撃が、瀞霊廷に降り注がんとしていた破壊の種と相打つ。

 雛森とバンビエッタ。大地と空。その両者の間で広がる爆炎の壁は、仄暗い瀞霊廷を紅蓮の光で照らし上げた。

 

「なっ……!」

 

 上空まで吹き荒れる爆風に、バンビエッタは飛んでいきそうな軍帽とはためくスカートの裾を押さえる。

 

「あの女……よくもッ!!」

 

 己が聖文字を、しかも滅却師完聖体の状態であるというにも拘わらず、それを相殺せしめた同じ爆撃に、バンビエッタのプライドは爪を立てられたような感触を覚えた。

 その憤懣は加速度的に膨れ上がり、次なる破壊の種を生らすに至る。

 

「あたしと弾幕勝負するつもり!? いいわ、やってやろうじゃないのッ!! 全部ぶっ飛ばしてやるわ!! この……瀞霊廷ごとねッ!!」

「させない!!」

 

 雛森の卍解とバンビエッタの“爆撃”の衝突は、激化の一途を辿った。

 絶え間なく破裂する爆炎が、大地と空の狭間に火の海を作り上げる。

 霊子を打ち込んだものを爆弾にする“爆撃”に対し、百枝紅梅殿は飛梅から純然たる強化を果たし、尚且つ固定砲台化した卍解だ。

 火力を増した爆撃の威力は飛梅の比ではなく、素の戦闘力では大きく劣っているバンビエッタに対しても、辛うじて喰い下がっていた。

 

 しかし、デメリットも当然ある。

 

「ほらほらァ!! 最初の威勢はどうしたのォ!?」

「くッ……!!」

 

 あくまで霊子を打ち込むバンビエッタに対し、雛森が撃ち出すのは己が霊力だ。

 それも遥か格上の相手に対し、百枝にも分かれた砲塔から、“爆撃”を相殺せしめるレベルの火力を撃ち出している。

 雛森も霊力保有量が飛び抜けた死神ではない。

 つまり、バンビエッタと拮抗するだけでも桁違いの霊力を尋常ではない速度で消費せざるを得なかったのだ。

 

「大口叩いた癖に案外大したことないわね。このまま押し切って……───ッ!!?」

 

 地力の差にものを言わせようとしたバンビエッタであったが、不意に焦げ臭さに混じって鼻腔を撫でる甘い香りに違和感を覚えた。

 

 瞬間、天地がひっくり返る。

 

 大地が上へ、空が下へ。

 足が上へ、頭が下へ。

 右手を動かしたかと思えば左手が動き、左足が下がったかと思えば右足が下がり、景色が自分の方へと向かってくる。

 上下どころか左右も前後も逆となった世界。

 くらりと眩暈を覚えたバンビエッタは、突如として鏡の中の世界に陥れられたような感覚に順応できず、その場でたじろいだ。

 

「なん……なの、これ……?」

「───『逆撫(さかなで)』。俺の斬魄刀や」

 

 振り返れば自分の背後に───否、前に居たのかもしれない───意識の外に佇んでいた男が、柄尻に輪っかがついた斬魄刀を回しながら胡散臭い笑みを湛えていた。

 

「どや? 落ちゲーのトラップみたいでおもろいやろ」

「あ、あんた……!?」

「俺の副官が世話になったみたいやのう。ま、俺としちゃあ可愛い桃の卍解の晴れ舞台や。部下に華持たせたいっちゅうんが親心や……けど、ホンマにアカン状況で手ェ出さずに居られるほど大人でもないんや」

 

 堪忍してや、と告げるは五番隊隊長・平子真子。

 雛森の上官である彼は、天地の狭間で繰り広げられていた弾幕勝負に形勢逆転の一石を投じるべく、自身の斬魄刀を解放した。

 逆撫───刀身より発生した匂いを嗅いだ者の上下左右前後の認識を反転させる、鏡花水月同様相手の五感に作用する斬魄刀だ。

 

「どや? これでもまだ桃ん火の玉、狙い撃てるか?」

「!!」

 

 逆撫により平衡感覚を失った僅かな隙を狙うように、バンビエッタへ爆炎が襲い掛かる。

 

「チィ……舐めてんじゃないわよ!!」

 

 しかし、爆炎より抜け出すバンビエッタは、多少衣服が焼け焦げてこそいるが目立った傷は負っていない。

 ボロボロになった星十字騎士団の一張羅を脱ぎ捨て、覚束なくも滞空し続けるバンビエッタは強がるように吼える。

 

「どっちにしろ火力不足ねッ!! たかが副隊長の卍解如きじゃあ、あたしの血装は突破できないわ!!」

「あー、なんや血管に霊子流し込んでどーこーってやっちゃか」

「そうよ!! チマチマとウザったい飛び道具なんか、あたしには通用しないのよ!!」

「せやったら、性に合わんけど刀で斬らなあかんなァ……」

「はんッ!! できるもんならやってみなさいよ!! その前に……あたしの“爆撃”でぶっ飛ばしてやるけどねッ!!」

 

 “爆撃”に明確な死角はない。

 射角は広く、ほぼ全方向に向かって起爆剤の霊子を発射できる点が、彼女の無差別な破壊活動に突破力と殲滅力を齎していた。

 何より縦横無尽に発射できるならば上下左右前後が反転していても関係ない。適当にばら撒けば、それだけで一定の破壊を生み出せるのだから。

 

「さあ、全員まとめてぶっ壊して───」

 

 翼から、破壊の種が振り撒かれた瞬間、バンビエッタの脳裏に一つの疑問が過った。

 

───なんでこいつあたしの後ろに居たの?

 

 現世とは違い、尸魂界では特殊な術なり道具なりを駆使しなければ、霊子を操る滅却師でもない限り空中に立つといった芸当は不可能だ。

 さらに言えば、現在の瀞霊廷全土には死神への妨害として高濃度の霊子が散布されている。霊子の掌握権が滅却師にある以上、死神に制空権は無いに等しい状況だ。

 

 それなのに何故、この男は空中に立てているのだろうか。

 

 破壊の種はばら撒いた。

 最早、回収は叶わぬ不可逆の状態。

 爆炎を咲かす種の萌芽は───バンビエッタを包み込むように巻き起こった。

 

「なっ……くぅ、きゃああああ!!?」

 

 すぐさま静血装で爆炎から身を守りはしたものの、吹き荒れる爆風にはどうしようもきない。逆撫で平衡感覚がないバンビエッタにとって、縦横無尽に襲い掛かる爆風の嵐の中留まり続けることは不可能に近かった。

 

 間もなくバランスを崩したバンビエッタは、錐揉み回転しながら直下の焦土に叩きつけられる。

 大したダメージこそないが、高高度より墜落した衝撃は無視できない。

 元より眩暈を覚えていたバンビエッタは痛そうに頭を抱えながら、ふらついた足取りで立ち上がる。

 

 その可憐な容貌に浮かぶは、困惑と憤懣の色。

 何が起こったのか分からぬままに、自身が地に落ちた現状への苛立ちがありありと現れていたのだった。

 

「ちくしょう!! 一体なんなのよ……!?」

「『伏火(ふしび)』を『曲光(きょっこう)』で隠して網張るんは、やっぱ器用な術式やのォ。俺には絶対真似できへん」

 

 ひらりと舞い降りる平子が、直に首に巻くネクタイを直しながら笑みを湛える。

 

「隊長ん俺んコトも仕込みに利用するなんざ、ほんま桃も(したた)かんなったもんやわ」

「意味……わかんないんだけど!!」

「やめとき」

「!!」

 

 無差別に霊子を繰り出したバンビエッタであったが、平子が手を翳すや放り投げられる瓦礫の数々───破道の五十四・『大地転踊』が盾となり、両者の間にまたもや爆発を起こす。

 爆風の煽りを受けるバンビエッタは危なげに体勢を立て直し、盛大な舌打ちをかました。

 

「こいつ!!」

「不意打ちなら兎も角、種が分かりさえすれば対処は簡単や。桃と嬢ちゃんの戦い、じ~っくり観察させてもろたからのう」

「女の尻に隠れて見物なんて大した御身分じゃない。サイッテーね。そんなんだからモテないのよ、このおかっぱ頭!!」

「誤解が生まれる言い方やめい。俺がモテへんから女ん尻追っかけ回しとるみたいやないか、って誰がモテとらんやアホ抜かすな」

 

 そんなんしてたら桃に怒られるわ、と冗談染みた口調で応える平子が、一変して神妙な面持ちを湛えて語を継ぐ。

 

「さーて、どないする? もう嬢ちゃん勝ち目薄いんとちゃう?」

「ふざけたこと……抜かすんじゃないわよ!! 言ったでしょ、全部まとめてぶっ壊してやるって!! 上下も左右もわかんなかろうが、ここら一帯更地にするのなんて訳ないんだから!!」

「おー、こわっ」

「舐めた口利けるのも今の内よ!! あたしをコケにしたあんたらは塵も残さない!!」

 

 湧き上がる激情のままに膨れるバンビエッタの霊圧。

 これは一度日番谷と乱菊を分断させるに至った大爆発の予兆だ。霊子の爆弾のように物体を爆弾化させるのではなく、直接爆風で周囲一帯を吹き飛ばす攻撃。これには幾ら爆弾化の盾にできた瓦礫であっても防ぎきれるものではない。

 

「はあああああッ!!!」

 

 眩い光を放ち、刻一刻と力を溜めるバンビエッタ。

 その光景を前にして悠長に見物を決め込む平子は、ハァ、とため息を吐いた。

 

「しゃあないのう……」

「もう!! 遅い!! っての!!」

 

 限界まで収束した爆滅の光は、間もなく臨界点を迎える。

 刹那、バンビエッタを包んでいた光が辺りに眩い光芒を撒き散らし、自身に仇為すもの全てを呑み込まんと弾けた。

 

 街も、命も、何もかもを消し飛ばす滅殺の衝撃波が広がる───筈だったが、爆発の直前にバンビエッタを正方形の結界が囲う。

 するや、爆風は結界を壊す事もできず、密閉された結界の中で縦横無尽に暴れまわり、結果として中に閉じ込められたバンビエッタの下へと帰っていく破目になった。

 光が止んだのは数秒後。やがて収まる土煙の中には、爆風から免れられなかったバンビエッタが倒れている姿があった。

 

「いっ……な……」

「───“白断結壁”。滅却師の力の侵入を一時的に完全に断つ結界です」

「あん……た……!」

 

 倒れ伏すバンビエッタの下に現れたのは、滝のような汗を涼やかに拭う雛森であった。

 

「考案したのは七緒さんですけれど、あたしも教えてもらって使えるようにだけはしておきました。本来の用途とは少し違いますけれど、貴方のような能力の持つ人を閉じ込めるにはちょうどよかったみたいです」

「こ、の……!」

「迂闊でしたね。能力を過信し、相手を見くびったのが貴方の敗因です」

 

 足元を掬われた事実を示されたバンビエッタは歯噛みする。

 まさか副隊長如きに自身の“爆撃”を逆手に取られるとは。決して広くない密閉空間で半径数百メートルを吹き飛ばす威力の爆風を放てば、自身にも爆風が返ってくる程度の事は分かっていた。しかし、それを利用された理由は、偏に奇怪な術を使ってくる目の前の女に在る。

 

「誘った……って訳……!?」

「───ええ、まあ。遠くから貴方の戦いが見えて、あたしは入念な準備をして戦いに臨みました」

「なん……ですって……!?」

 

 瞠目するバンビエッタに、雛森は続ける。

 

「正直、あたしの卍解でも貴方を倒し切れない事は明白でした。だから出来る限り貴方自身の攻撃を利用しようとしたんです」

「いやァ~、俺もパシリにされるとは思ってなかったで」

「その節はありがとうございました、平子隊長」

「……真面目か」

 

 揶揄うように声を上げた平子であったが、頭を下げる雛森にスカを喰らう。

 構わず続ける雛森の顔は、普段の可憐な少女のものではなく、副隊長の威厳に溢れた凛々しくも逞しい面持ちであった。

 

「百枝紅梅殿で撃ち出した火球は、全部が全部貴方の霊子を撃ち落とす為のものじゃありません。わざと外した火球の中にはあらかじめ曲光で覆い隠した伏火を仕込んでいて、火球が弾けると同時に中身が広がる仕掛けになっていたんです」

「それを鬼道で姿隠してた俺が、せせこましく空ん上に蜘蛛の巣みたいにキレーに張っとったんが俺っちゅう訳や」

「あたしが貴方の注意を集めなきゃいけない危険な賭けでしたけど……」

 

 

 

「嘘よッ!!!」

 

 

 

 バンビエッタの絶叫が轟く。

 血反吐と共に吐き出された声は、静まり返った戦場へ劈くように響きわたり、雛森の言葉を遮った。

 

「そんな……そんな何から何まで計算済みみたいなマネできる筈がないじゃない!!」

 

 認められない。認めてなるものか。

 

 自身の攻撃が通用しないからと、相手の攻撃を利用する脆弱な輩になんて。

 “爆撃”を封殺すべく、緻密に練り上げた術式を展開していたなんて。

 あろうことか滅却師の力を断つ等という反則的な力を備えていたなんて。

 

 全てが、全てが認められない。

 星十字騎士団の中でも屈指の実力を持っていた自分が。

 同様の女滅却師の中でリーダーを務めていた筈の自分が。

 それまで他の隊長と副隊長を一方的に嬲っていた自分が。

 

「あんたみたいな……あんたみたいな雑魚が───」

「……あたしを誰だと思ってるんです?」

「は……?」

 

 酷く冷たく重い声。

 豹変した声音に怖気を覚えたバンビエッタは、恐る恐ると視線を上げる。

 そこには優しさや憐憫といった情を感じられない冷血な眦を浮かべた雛森が、こちらをジッと見据えていた。

 思わず言葉が戻っていく。言葉と共に飲み込んだ血が絶妙な不快感を覚えさせ、バンビエッタの額に脂汗を滲ませる。

 

───なに? なんなのよ、こいつの威圧感は……!?

 

 相手の方が確実に格下だ。

 にも拘わらず、バンビエッタはそれ以上に言葉を紡ぐ事を許されない重圧に圧し潰されそうになっていた。

 

「ぐ、うッ……!?」

「知らないなら教えてあげますよ」

 

 慄くバンビエッタに有無も言わさぬ雛森が名乗りを上げる。

 

「あたしは雛森桃───()()()()()()()()()()()()()()

「!!」

「隊長副隊長含め、斬魄刀と鬼道を併用した融合戦術において右に出る者は居ません」

 

 藍染惣右介。

 それはバンビエッタでさえも知っている、特記戦力の一人。

 剣術も鬼道も並みの隊長を遥かに上回る力量と技量を携える彼は、無間に囚われている今でも最重要戦力としてユーハバッハに目をかけられている。

 

 斯様な男の副官と名乗られれば、否応なしにバンビエッタの中での印象が覆る。

 

 知っていれば油断はしなかった。

 いや、自分の性格のことだ。油断はしていたであろうが、度重なる奇策に都度困惑することはなくなっていた筈だと自省の念は尽きない。

 

───クソ! クソ! クソ!

 

 拳を地面に叩きつけるバンビエッタは、そのまま拳で軋む体を持ち上げ、残された力を振り絞るように立ち上がった。

 

「だったら……何よ!! 誰の副官だろうが関係ないわ!! それに……この白断なんたらって奴も見切ったわ!!」

「!」

「確かにあたしの“爆撃”は通用しない……けど、霊子を奪えない訳じゃない!! これなら聖隷(スクラヴェイ)で霊子を奪い尽くせるわ!! こんな術式の結界、早々に二枚目が張れる訳がない!!」

「おお、意外と頭回るやん」

 

 素直に感心する平子が雛森とアイコンタクトを取る。

 こうしている間にも白断結壁の霊子が吸われていくが、それすらも見越していたかのように雛森は落ち着き払っていた。

 

「……滅却師が霊子を奪う種族という情報はこちらにもありました。こうなるのは予測済みです」

「そりゃそうでしょ!! でも、霊子を奪うのを止める術はない!! 違う!? だからあんたらはそうやって眺めてるしかない!! 残念だったわね!! この結界がなくなった時が運の尽きよ!!」

「───だから、その前に命を頂戴します」

 

 

 

「………………は?」

 

 

 

 唖然と瞠目するバンビエッタは垣間見る。

 雛森の掌に浮かぶ()()()()()()()を。

 

「……滲み出す混濁の紋章。不遜なる狂気の器」

 

 続けざまに紡がれていく詠唱に呼応し、小さな箱は力を増していく。

 蠢きを見せる力の奔流は雛森の前髪を緩やかに揺らす。それを目の当たりにしたバンビエッタの瞳には───明確な怯えと焦燥が浮かんだ。

 迂闊だった。突破口を開くべく、容易に聖隷で白断結壁から霊子を奪った真似が、命運を左右したのである。

 

 一度霊子を奪われた結界は、霊壁の組成が脆くなる。

 それこそ、外部から強い衝撃と圧力を受ければ崩壊してしまいそうな程に。

 

「湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き、眠りを妨げる」

「ちょ……」

「爬行する鉄の王女。絶えず自壊する泥の人形」

「待って……待ちなさいよ!!」

「結合せよ。反発せよ。地に満ち……己の無力を知れ」

「お願い待って!! 殺さな───」

 

 涙を溜め、結界の壁に張り付きながら必死に命乞いをするバンビエッタ。

 だが、彼女は殺し過ぎた。

 

 慈悲も温情もなく、手向けられるは黒の棺。

 収められた命を土に返す、重力の奔流に満ちた処刑場。

 

 

 

「破道の九十───『黒棺(くろひつぎ)』」

 

 

 

 懇願の声をも飲み込む重力場の嵐が、()()()()()()()()()()()白断結壁を崩しながら、中に閉じ込められていた少女を押し潰していく。

 大地が、大気が、その棺の中に収められた森羅万象が等しく軋み、歪み、潰れ果てていく鈍い音は聞くに堪えないものである。

 しかしながら、片時も目を離さなかった雛森は、棺が朽ちて姿を現した血化粧を施された女が崩れ落ちる瞬間まで見届けた。

 

「───はぁ……はぁ……これで……ッ」

 

 途端に気が抜けたようにその場に倒れ込む雛森。

 正直、限界が近かった。

 会得して間もない卍解。そこに仕込んだ複雑な鬼道の術式。果てには格上相手にすらも致命傷を負わせる九十番台破道の完全詠唱。

 消費した霊力もさることながら、何より精神が擦り切れていた。

 込み上がる安堵は計り知れず、雛森の気は緩み切ってしまう。

 

「これであたしも……」

「───ぁぁぁあああああ!!!」

「!!?」

 

 だからこそ、執念で立ち上がったバンビエッタに一歩出遅れた。

 鬼のような形相で吼える彼女は、無防備な姿を晒す死神へ神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)を構える。最早完聖体を維持する力も聖文字を使う力も残されていない。

 

正真正銘、これが最後の一撃。

 

「死ねえええええッ!!!」

「───させへんで」

「え、ぁ、あ゛……ッ!!?」

 

 それを許さぬのが、ひと時も気を緩めていなかった平子であった。

 バンビエッタが動き出すや、瞬歩で背後に回り込んだ彼は、守りが手薄になっていた背中へと斬魄刀を突き立てる。

 すれば、それまでの堅牢さが嘘のように刃はスッと皮膚と肉を突き破り、反対側の胸を貫いて飛び出した。

 

「か……はぁ……!!?」

「カンベンしてな」

「ク、そッ……!!」

「けど、これが戦争や」

 

 そう締めくくる平子は刃を引き抜いた。

 間もなく支えを失ったバンビエッタが、今度こそ沈黙する。虫のような息遣いと痙攣する指先こそ窺えるが、抵抗する力は残されていないだろう。

 鎖結を貫いた。霊力発生の源だ。

 今度こそ立ち上がる力を奪った平子は、刃を伝う真紅の血を振り落とす。

 

「ふぅー……これで厄介な敵さんの一人は倒したっちゅう訳か」

「あの、平子隊長……」

「ん、なんや?」

「すみませんでした! あたしが気を抜いたばかりに!」

「……せやなァ。いくら倒したっちゅーても、それで反撃喰らってお陀仏なんて笑い話にもならんで」

 

 ボリボリと頭を掻き毟る平子は、心底申し訳なさそうな面持ちを湛える雛森を見つめ、フッと口角を吊り上げる。

 

「まァ、俺は優しいからの。部下の尻ぬぐいは上官の務めっちゅうことで仕舞いにしといたる」

「平子隊長……」

「それに桃のかわいいお尻やったらいくらでも……」

「平子隊長?」

「怖ッ!? 桃、その笑ってるのに笑ってない目ェすんのやめェ!!」

 

 セクハラ紛いの冗談を口にした途端、腹に包丁でも刺してきそうな雰囲気を雛森が漂わせる。

 失言だったと震え上がる平子は、何とか話題を逸らそうと『そうや!』と別の話を見繕う。

 

「それにしても意外やったで。お前があんなこと言うなんてな」

「あんなこと?」

「せや。惣右介の副官ですー、なんてな。前の桃からは想像つかんわ」

「あぁ、あれは……」

 

 表面上は恥ずかしそうに。しかし、そこに至る経緯に様々な葛藤があったことを匂わせる複雑な表情を一瞬覗かせた雛森は、感慨深そうに語り始める。

 

「確かに藍染隊長は許されないことをしました。でも、芥火くんが言った『愛したまま止めてあげればいい』って言葉に救われたって、前に一度お話したと思います」

「ああ、聞いたな。それこそ最初の頃になァ」

「はい。だからあたし、思い返してみたんです。あたしが藍染隊長のどこが好きだったのか、どこに尊敬していたのかって」

 

 今となっては瀞霊廷を裏切った罪で投獄されている藍染であるが、彼から授かった知恵や知識は決して無駄にはなっていない。真央霊術院で採用されている鬼道のカリキュラムも、元々は藍染が考案したものであり、その有用性からも今尚教材として利用され続けている。

 

 そうした形で残り続けるものもあれば、違う形もまた然り。

 

「たくさんあるんです。隊士みんなに優しくって、仕事がバリバリできて、どんな虚でもあっという間に倒せちゃうくらいに強くて……そんな藍染隊長の死神としての在り方に、あたしは憧れていたんだなぁ、って」

「桃……」

「だから、関係ないんです。憧れていた人の正体がなんだって。あたしが目指していたものは……死神像はこれからもずっと変わりません」

 

───皆に慕われていた五番隊隊長の副官。

 

 それが雛森の目指す死神。

 愛を利用され、愛に眩み、愛を諭され、愛を()る。

 多少遠回りこそしてしまったが、雛森は確固たる目指すべき死神像を見て進んでいたのだ。

 

 想像していたよりも立ち直っている部下の姿に、平子は目頭が熱くなる感覚を覚えた。

 そして安堵の息を吐く───杞憂だったか、と。

 

「……強うなったのう、桃」

「それも平子隊長のおかげです。ありがとうございます」

「そか? なら俺も鼻が高いわァ。なんなら、俺んことも憧れてええんやで?」

「え? いえ、その、平子隊長に感謝はしていますけど、全面的に尊敬できるかと言われたら、まだその段階じゃ……」

「ものっそい言葉選んどるやんけ。逆に一番傷つく奴やわ……」

 

 平子は思わぬところでダメージを負った。

 

「いえ、ほんとに感謝はしてるんですよ!?」

「感謝“は”言うとるやんけ!! あれか!? 『この人面倒看てくれるけど、あんまり関わりたくないなァ~』っちゅう口振りやで、それ!!」

「ご、誤解です! 平子隊長の被害妄想です!」

「ほんまか!? 信じてええんやな!?」

「当然です! 誰の副官だと思ってるんですか! 信じてください!」

「さっき惣右介ん副官言っとったやないかい! 信用できへんわ!」

「あ……あれは言葉の綾です! そんなことより日番谷くんの治療が先です! さあ、行きますよ平子隊長!」

「あ、逃げたな!? あー、怖ッ! うちの副官怖いわァー!」

 

 漫才のようなやり取りを経てその場を離れる二人。

 一年以上前の悲劇を乗り越え築かれた関係は、確かに瀞霊廷を護る固い繋がりとして存在感を発するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちくしょう……あたしが……死神に負けるなんて……」

 

 血だまりに倒れながら、バンビエッタは怒りと屈辱に震えていた。

 

「5人の中で……あたしが最初にやられるなんて……」

 

 自ら率いる滅却師のチームが居れば、こんな醜態を晒す羽目にはならなかった。

 

「許せない……こんなの絶対……許せるわけない……!」

 

 そうだ、悪いのは自分ではない。

 負けたのは全て自分を置いていったチームのメンバーだ。

 そう、自分の肩を持つことでしか、バンビエッタは己を慰める術を持たなかった。

 

───その時、歩み寄る足音が四人分。

 

「かわいそうなバンビちゃん」

「!」

「助けてあげる」

 

 自分の顔を覗き込む四人。

 それは紛れもなく、()()()()()()()()()()()()であった。

 

「リル……ミニー……キャンディ……ジジ……!」

「ボクたち、バンビちゃんがいないと寂しいもんね───ッ」

「! ……やだ……やめて……やめてよ、ジジ……」

 

 覆い被さる影。

 間もなく懇願する声は、僅かな呻き声の後、二度とは聞こえてくる事は無かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───銀架城(ジルバーン)への帰投命令が出ました。失礼します」

「おいおい、ここまできて帰るってのかい」

「陛下の命は絶対です」

 

 不可侵の壁越しに睨み合っていた二者の内、ハッシュヴァルトが颯爽と踵を返す。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───ッ!!? チッ、てめえら、運が良かったな」

「逃げるってかい? まぁ、そっちの方がこちらとしちゃあ助かるがね」

『ちょっと、やる気ないこと言ってんじゃないよ!』

「……次にやり合う時がてめえの最期だ。首洗って待ってやがれ」

 

 同時刻、二丁拳銃の銃口を突きつけられていたバズビーもまた、烈火の如く猛っていた怒りを収め、自身の城へと戻っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

『陛下はそうお考えになるのか』

 

 完聖体を解くBG9は神妙な声音を紡いだ。

 

「……逃げる気か」

『捉え方はお前の自由だ。ただ、()()()の方が優先すべき事象なのでな』

 

 

 

 ***

 

 

 

「時間切れか……はっ! 運が良かったなァ、あんたら」

「運がいいのは貴方の方よ。このまま戦っていれば、負けていたのはそっちなんだから」

「そうそう。こんなオカマ相手しなくても良くなったアンタは運がいいよ」

 

 どういう意味よ! と甲高い抗議の声が上がるが、構わずナジャークープは獲物を見つけた肉食獣のように笑う。

 

「あんたらよりもビッグな手柄が手に入れられそうなんだ。悪いが、勝負はお預けだぜ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「何故星十字騎士団を銀架城(ジルバーン)へ? 完聖体も戻り、士気は高かったと思われますが」

 

 次期皇帝としてユーハバッハの側に仕えていた雨竜が問う。

 

 戦況としては拮抗していた筈だ。

 死神が卍解を取り戻したとは言え、それすらもユーハバッハにとっては想定内の出来事。加えて、本来の力を取り戻した星十字騎士団は、寧ろ以前よりも殊勝な働きを見せてくれるだろう。

 

 にも拘わらず、この中途半端なタイミングでの撤退の意図とは一体?

 

 怪訝に問いかける雨竜。

 瞳を閉じていたユーハバッハは告ぐ。

 

「……これは予感だ」

「予感?」

「ああ、直感とも言えるな」

 

 豊かな髭を湛えた口元を歪ませ、悠々と瞼を開く。

 見上げるは(そら)

 暗雲に覆われた景色は未だ晴れる気配がない───が、滅却師の父たる彼は体の内で疼く血潮を感じ取っていた。

 

「もうすぐあ奴は此処へ降りてくる」

「奴……とは」

「ああ」

 

 ()()の勘が告げる。

 

 

 

 

 

「芥火焰真が───帰ってくる」

 

 

 

 

 

 見上げるは闇夜。

 

 

 

 星が一条煌いた。

 

 

 

 




✳︎紹介✳︎

https://syosetu.org/novel/213313/

破面篇〜完現術篇間の出来事を描いた番外編。
こちらを読んでいただけると、これからの本編を楽しんでいただけるかもしれません。

✳︎設定紹介✳︎
・神の威光(キュリオース)…マスキュリンの完聖体。名称の元ネタは、神の威光を知らしめる役割を担う主天使の別名『キュリオテテス』。

・神の鼓動(エバンスター)…バンビエッタの完聖体。名称は『バンビエッタ・バスターバイン』のアナグラム。

・百枝紅梅殿…雛森の卍解。七支刀だった始解から更に刀剣から無数の刀身が伸び、その枝先から無数の爆炎を放つ順当な始解からの強化型の卍解。
 名称の元ネタは、百枝→『たくさんの枝』、紅梅殿→『飛梅の別名。または梅の精』。
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