BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*9 届く言葉、届かぬ聲

 ひどく不透明だ。

 焰真はおぼろげながらそう感じた。

 

 白亜の長方形型の建物が一つだけ、天を衝く如き高さにてそびえ立っている。

 焰真はその建物に圧巻されながら、建物の中へと通ずるであろう扉の前に佇んでいた。おどろおどろしい装飾が施された扉だ。教本の挿絵に乗っていた、地獄の扉に似ている。

 

(またこの夢か……)

 

 不意に思い至る。これは夢の中だ。霊術院に入り、護廷十三隊に入隊すれば正式に授与される斬魄刀『浅打(あさうち)』を渡されてから見るようになった夢。

 すると決まって一月に数度、現とは思えぬ場所に茫然と立ち尽くす夢を見るようになった。

 

「―――」

「っ!」

 

 突然、聴き取れぬ声が響き渡る。

 声が反響することにより、声の主を見つけることに些か手間がかかるものの、焰真は必死にあちこちを見渡し、ようやく声の主を目の当たりにした。

 

 影。

 

 到底人には見えぬ、それでいて人型の影が扉の前に佇んでいた。

 ノイズが奔るように焰真の視界は時折砂嵐に見舞われる。しかしその度、白く染まる世界に赤と青だけが彩られ、その影の瞳の色だけが鮮明に浮かび上がった。

 右目は青、左目は赤。

 怜悧でいて艶やかな雰囲気を漂わす瞳。

 彼―――否、彼女は女なのだろう。

 

「あんたは……」

 

 焰真は不鮮明な影の下へ歩み出す。

 少し近づけば正体をはっきりと見出せるのではないか、と。

 

 しかし焰真は何者かに引き留められる。

 その場から動かぬようにと肩を掴む者が誰か。それを確認すべく振り返り目の当たりにしたのは、これまた正体の定まらぬ影だった。

 だが、肩に触れる手から伝わる感覚―――影の感情だろうか。染みわたるように伝わってくる影の感情を、焰真は何故か手首の辺りに強く感じ取った。

 

「あっ……」

 

 やおら袖をまくれば、そこには幼き頃より身につけていた五芒星のペンダントがあった。

 用途も分からないペンダント。そもそもペンダント自体が己の身なりを着飾る以外の用途がないことに気が付けば、用途云々は些少の問題にもならないだろう。

 

 だが、それだけではない。

 本能的に別の用途があると直感している焰真は、じくじくと熱を放つペンダントを握る。まるで手首の血管から熱が伝わり、全身が熱せられるような灼熱を覚えた。

 刹那、扉の前に居たもう一つの影が眼前に現れ、その華奢な掌でペンダントを握る焰真の手を包み込んだ。

 

「―――鍵は」

「っ……!?」

「“血”か“誇り”」

 

 明瞭に聞こえた。

 確かに目の前の女の声だ。目が点になるほどに驚愕する焰真が目の前の女のことを眺めて言うと、不明瞭で不鮮明であった影がぼんやりと体の線を浮かび上がらせていく。

 だがしかし、同時に女の体は風に吹かれる砂のように霧散していくではないか。

 

「ま、待ってくれ!」

「おぼ……お……わた……名……は……げ―――」

 

 消えゆく女。

 同時に世界も崩れていく。

 その刹那、焰真は女の先―――扉の中央に五芒星を目の当たりにした。

 

 まさしく、焰真が身に着けているペンダントがぴったりと嵌りそうな窪みを。

 

 

 

 ***

 

 

 

「みそしる!?」

「は?」

「……は?」

「いや、こっちのセリフだよ。なんだ、開口一番『みそしる』って。どんな寝言だよ」

「……おはよう」

「おはよう」

 

 飛び起きた焰真に対し、寮の同じ部屋で過ごしている院生が変な物を見る目つきで焰真を眺める。

 朝から中々に鬱屈な気分になりそうな視線だ。

 変な夢も見た。背中は掻いた寝汗でじっとりと湿っており、とても心地よい状態であるとは言えない。

 

 それでも日々の早寝が功を奏し、体力は有り余っていると実感できた。

 窓から燦々と差し込む朝日を浴びれば、寝ぼけていた意識や体も覚醒してくる。数分後にはキビキビと布団を畳める程度に目覚めた焰真は、斬魄刀が収納されている袋を見遣った。

 

―――鍵は“血”か“誇り”。

 

 謎の女が口にした言葉がリフレインする。

 

(訳分からねえ……)

 

 目覚めたとは言っても、やはり朝。

 思考は上手く回らず、つい先ほど見たばかりの夢の内容の推察さえも億劫となり、焰真は私物が入っている棚の取っ手に手をかけ、

 

(……今日は持って行くか)

 

 大事にしまわれていた五芒星のペンダントを取り出した。

 一つのくすみもないペンダントは、以前のままの白銀の輝きを不気味なほどに放っている。

 霊術院に入ってから授業―――特に斬術や白打の授業の時に邪魔になると考え、自然と肌身から放すようになっていたペンダントだが、学院卒業の今日ばかりは持っていこうという気分になった。

 

―――今日は夢にまで見た卒業、つまり死神となる日。

 

 六年のカリキュラムを無事に終了し、三度の卒業試験、そして護廷隊への入隊試験を無事に突破した焰真は、今日を以て正式に真央霊術院を発ち、これから死神として生きることになる。

 長かったような短かったような六年間だった。

 少しギスギスしていた時期はあったものの、それ以降は同級生とも良好な関係を育め、十分に満足な学院生活を送ることができたと胸を張って言うことさえできる。

 

(死神……か)

 

 物憂げに過去を思い出す。

 脳裏に過るのは海燕。焰真が死神を目指す理由となった、いわば憧れの人物だ。

 それから緋真と白哉の交際を知り、半ば飛び出すようにして、ルキアの捜索をできるようにと真央霊術院に入り―――その矢先でルキアを見つけてしまった。

 少々死神になるための勢いを削がれてしまった感は否めないものの、殴打事件に際して出会った浮竹に諭され、自分がどういった人間であるかを客観的に知ることができた。

 

 “優しい”。

 

 それが浮竹の焰真に対する評価であったが、優しい死神になったのであればどうなるのであろうか?

 流魂街の民を、そして現世の無辜の魂魄たちを守る為に奔走することであろうか。

 否、それは単なる死神という仕事に情熱を抱いている者が為すことだ。

 であれば、優しい死神とは一体何を為すのか。

 

 今はまだ解は出ない。

 しかし、死神になるための情熱は依然として保たれている。

 仮に己を優しい死神と称するのであれば、自分が死神として歩んでいく生き様こそその解ではないかと考えつつ、焰真は卒院式に臨む。

 

(そう言えば、俺の隊って―――)

 

 

 

 ***

 

 

 

「私は十三番隊だぞ」

 

 ムフンと(無い)胸を張り自分が入隊する隊を述べるルキアに、焰真はげんなりとして落ちこむ。

 

「そうか……」

「ど、どうかしたのか? そう言えば貴様も十三番隊に入りたいと言っていたようだが」

 

 そこまで口にしてルキアは察する。

 さては、自分が入隊希望した隊に割り当てられなかったのではないか、と。

 そしてそれは正解だ。

 

「俺は十一番隊だ。十三番隊希望してたんだけどな……」

「そうか。それは残念だったな……」

 

 海燕や浮竹に憧れを抱く焰真は、当然の如く十三番隊を希望していた。

 だがしかし、実際割り当てられたのは護廷隊最強と謳われる十一番隊だ。“最強”と呼ばれる隊に入るのだから、名誉なことではないのか―――そう思う者も居るだろう。

 

 護廷十三隊にはそれぞれ特色がある。

 

 一番隊はいわばエリート部隊。護廷十三隊創設以来より総隊長を務める山本元柳斎重國が長として隊をまとめる一番隊は、所属していること自体が名誉とされているほどの部隊だ。

 

 次に二番隊だが、二番隊は隠密機動と呼ばれる組織と密接な関係を有している隊である。隠密機動とは、犯罪者の暗殺や危険因子の監理、そして廷内の警備や伝達を担う組織であり、護廷隊の中でも対人に秀でているのが、この二番隊の特色だ。

 

 他に特筆すべき点のある隊と言えば、四番隊や十二番隊が挙げられる。

 四番隊は治療に精通する部隊。回道と呼ばれる医療鬼道を会得しており、霊力を回復させることで外傷を治癒するといった、普通の治療行為ともまた違った治療をする。一方で戦闘を得意としない隊士が多いことから、生粋の戦闘部隊である十一番隊からは馬鹿にされがちといった傾向があるのも事実だ。

 

 そして十二番隊であるが、この隊は技術開発局と密接な関係を有している。

 初代技術開発局局長こと浦原喜助によって創設された技術開発局は、その後現在の十二番隊隊長・涅マユリの影響を大きく受け、ほぼ開発専門の部隊と化しているのだ。無論、戦闘を担う隊士は一定数居るものの、上位席官は軒並み科学者肌の者。人を選ぶ隊だと言えよう。

 

 他の隊に関しては、以下の通りだ。

 

 三番隊は強いて言えば落ち着いた、悪く言えば暗い隊。

 

 五番隊は隊長である藍染惣右介の指揮もあり、隊士の平均的な能力が高い隊。

 

 六番隊は厳格で規律が厳しいことで有名だ。そして代々五大貴族が一、朽木家の人間が隊長格に席を置いているためか、貴族主義的な一面が拭えない隊でもある。

 

 七番隊は仁義を重んじる、いわば“漢”が多い隊だ。一方で隊長が飼っている犬の散歩がてら、毎朝書類を集めることでも有名。

 

 八番隊は隊長の京楽春水が不真面目であるためか、部下である隊士がその分しっかりしている傾向がある。

 

 九番隊は瀞霊廷通信と呼ばれる死神の機関紙が発行される隊だ。文学向けの隊とでも言っておこう。

 

 十番隊は八番隊と似ており、出来るだけ怠けたい副隊長と、それ以上に怠けたい隊長が居る所為で、部下が真面目であるという。

 

 十三番隊は隊長である浮竹が病弱であることから、そのような彼を支えようとする隊士たちにより、結束が固く、温かい隊風が特徴である。

 

 そして焰真の入ることとなる十一番隊についてだが、この隊は根っからの戦闘狂が入るとされている戦闘部隊。『幾度斬り殺されても絶対に倒れない』ことを意味する名『剣八』を名乗る隊長により率いられる隊士は、暇があったら戦うような者達ばかり。

 “最強”と言えば聞こえはいいが、要するに死を恐れない猪突猛進な戦闘狂ばかりの隊と総評できる。

 

「う~ん、やっていけるだろうか……?」

「心配するな。貴様の斬術は目を見張るものがある。それを考慮しての十一番隊なのだろう」

 

 慰めるように焰真の肩に手を置いて語るルキアに、焰真は『そうか?』と不安げに応える。

 六年間同じクラスで過ごしたルキアとの鍛錬のおかげで、一通り平隊士に要求されるレベルの鬼道はできるようになった。そこまで努力したのは偏に『十一番隊気質』と言われた頃からスキルアップし、十三番隊に入隊するためであった。

 にも拘わらず、結局は十一番隊。

 十一番隊が悪いという訳ではないが、望み通りにいかずやりきれない想いがあることは事実だ。

 

「まあ、やれるだけやるしかないか」

「うむ、その意気だ! ところで焰真。貴様に渡したいものがあるのだ」

「渡したいもの?」

 

 ルキアの言葉を反芻する焰真。

 彼が首をかしげて待っていると、ルキアは懐から一枚の封筒を取り出した。

 

「これだ。読め」

「……」

 

 恐る恐る受けとる焰真は、信じられないような面持ちでルキアを見遣った。

 

「お前……これ……」

「ん? なんだ」

 

 きょとんとするルキアを前にし、焰真は封筒を開ける。

 卒業の日に手紙など、どこぞのシチュエーションだと問いかけたい場面であった。しかし封筒の中に入れられていた中身は、彼が思うようなメルヘンチックな青春を感じさせるものではない。

 

 『緋真』。

 

 まず目に飛び込んだのはその文字だった。

 次の瞬間、焰真は真摯な表情となって食い入るように手紙だと気が付いた紙を眺める。達筆な文字が連なる手紙は、それだけで一枚の絵画であるかのような美しさを感じさせた。

 『拝啓』から始まる文章は、まぎれもなく緋真から焰真へとあてられたもの。

 この霊術院での六年間、それ以前の期間も含めれば十年に達しそうなほど顔を合わせていない慕った女性からの手紙に、焰真は緊張と高揚を覚えた。

 

 常套句である季節についての文章の次には、彼女の焰真に対する想いが綴られている。

 

 焰真の霊術院合格と、ルキアの生存の報せに対する当時の驚き。そして感謝。

 話は流魂街でルキアを共に探していた頃まで遡り、赤裸々に当時の緋真の己に対する想いが綴られていた。

 

 本当の弟のように愛していた、と。

 

 その文章を目にした時、ひどくこそばゆくも心地よい感覚を覚え、頬が紅潮してしまう。

 そして最後はこう締めくくられていた。

 

『貴方の死神としてのお姿を目にしたいと存じます』

 

「……これって要するに」

「うちに来いという意味だなっ。死覇装を着て」

 

 いつのまにやら焰真の背中にぴょこんと抱き着くように飛び乗り、顎を肩に置く形で手紙を覗いていたルキアが、緋真の焰真に対して家へ招いているということに言及した。

 

「い、いいのか?」

「なんだ、柄にもなく緊張しおってからに。良いに決まっておるだろう」

 

 あっけらかんと述べるルキアであるが、焰真にしてみれば緊張することこの上ないお誘いだ。

 久しぶりに親しい人に会うというのも勿論あるが、赴く家が五大貴族の屋敷。粗相をしてはいけないと想像はつくものの、具体的にどのような粗相をしてはいけないのかという、人生経験の少なさに起因する緊張がその大部分を占めていた。

 

「じゃあいつ行けばいいんだ?」

「む? それは……貴様の休みの日で良いのではないか? 基本的に姉様は家に居るからな」

「……そうか」

 

 いつでも準備万端とも言える状況が、逆に焰真に焦燥を抱かせる。同時に早く会いたいという逸る気持ちもあった。

 

(死神としての姿……か)

 

 緋真の文に綴られていた一節を思い出す。

 それと同時に緋真の下から飛び出した時のことも。

 

(なんやかんや死神になれるんだな、俺)

 

 感慨深かった。今はただ、そう感じた。

 

 真央霊術院六年第二組、芥火焰真。

 その所属を十一番隊に移し、彼もまた一人の死神としてその激務に身を置くこととなる。

 

 これは一つの終わりでもあり始まり。

 無力の民としての終わり、死神としての始まり。

 そして只の傍観者から、

 

『―――早く私の(こえ)を耳にして。奪われるより前に、奪ってみせて』

 

 激闘に身を置く一人の戦士としての始まりだ。

 


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