闇の中に影が佇む。
脈動する影の支配者は、今や三界の闇そのものを纏い、尸魂界の
唯一絶対の支配者を前にするハッシュヴァルトは、残された星十字騎士団───否、
「ユーハバッハ様。黒崎一護の一党と護廷十三隊の一党がほぼ同時に侵入した様です。この……」
「『
頭を垂れて蹲る側近に、その顔に無数の瞳を浮かべたユーハバッハは告げる。
「この城はやがて新たな世界の礎となった。唯一つの真の世界。『
それは予言。
滅却師の王が見開いた瞳で覗いた世界の涯。
何者にも変え難く、何者の介在の余地も許さぬ道を示したユーハバッハに、ただただハッシュヴァルトは頷いた。
「……未来においてこの城はそう呼ばれるという事ですね。ならば奴等を最後の一兵まで打ち滅ぼしましょう。陛下の御眼に映る未来を成し遂げる為」
疑いも。
不安も。
湧き上がる感情の一つ一つを不要と断じた上で紡ぐ。
「新たな礎となる、この───真世界城で!」
千年血戦に終止符を打つ墓標に、遍く魂が集う。
***
太陽の門が光り輝く。
直後、どこからともなく光に包まれた一団が真世界城の目の前に現れた。
「───街の形が変わったせいで多少移動地点がズレてたが、どうにか銀架城の近くには出られたな」
憮然と言い放つリルトットは、眼前に佇む巨大な城の名が変わっている事実を知らず、背後に待機する護廷十三隊の一党に喋りかける。
当初の提案とは少々予定が狂った。
常人ならば命を握られているも同然の中、この状況に肝を冷やすだろうが、リルトットにしても護廷隊にしても予定外の事態が多過ぎた為、不必要に責め立てる者は現れない。
「十分だ。遠目から見た時は何事かと思ったが、こんだけ近くに来られりゃあ御の字だろうよ。ありがとな」
「礼を言うのはユーハバッハをブッ殺してからだ。兎も角、こっから先は見えざる帝国の腹ん中も同然だ。いつ星十字騎士団が襲ってくるかもわからねえ」
「用心なら間に合ってるさ、とっくにな」
「そいつは殊勝なこった」
軽口を叩き合うリルトットと焰真。
今一度見上げる真世界城は、瀞霊廷に聳え立っていた銀架城より一回りも二回りも巨大だ。否、巨大な楼閣の上に銀架城だった建物が乗っていると表現した方が正しいだろう。
天を衝かんばかりに佇む様は、まるで霊王宮を乗っ取り尸魂界の王となったと言わんばかりだ。
「京楽隊長、これからどうします?」
「そうだねぇ。
「一護達は……」
「一護クン達の霊圧は感じられる。無事なのは間違いないだろうから、後から追ってくる事を信じよう」
「それまで俺らが道を拓く、と」
為すべき事が明らかになるや、一護と親しい者達の口元が弧を描く。
黒崎一護を知る者であれば、誰しも彼がユーハバッハの許まで辿り着く未来を疑わない。理屈ではない、心魂が既に解を出しているのだ。
微塵の疑いも不安も抱えぬ一同は、準備が整ったと察するや先を進もうとするリルトットの後を追いかけんとした。
その時、
「───ウワハハハ!!!」
「ッ!!!」
けたたましい笑い声と共に人影が
尋常ではない高さから飛び降りた衝撃で、立派な城門と石畳は見る影もなく踏み砕かれてしまう。
「何者だ……!?」
「侵入者達よ! よくぞここまで来た!」
土煙の中より出でし人物。
中世の剣闘士を彷彿とさせる鉄仮面に上裸といった装いの男は、護廷隊を歓迎せんばかりの声色を上げる。
「我が名はジェラルド・ヴァルキリー! 陛下にこの身を捧げし、高潔なる神の戦士!」
“M”
“
「ジェラルド……!」
「む? そこに居るのはバズビーとリルトットではないか! 何故護廷十三隊などと一緒に……よもや、敵軍の捕虜となった訳ではあるまいな!」
「悪いな、それはねえ。オレらがこっちについてんのは……その陛下に弓引くつもりだからだ」
「何だと!?」
放胆なリルトットの言葉に驚愕するジェラルド。
が、直後に歯を剥き出しにして笑みを覗かせる大男は、目にも止まらぬ速さで抜いた剣を彼女目掛けて振り下ろす。
(速い!!)
隊長格ですら反応に遅れた者が多い神速の一閃。リルトットは眼前に迫る死に円らな瞳を見開いた。
間髪入れずに襲い掛かったジェラルドはと言えば、獰猛な笑みを湛えたまま、反応し切れず無防備を晒す少女の首に刃を滑り込ませる。
「───ならば我が断罪しよう!! 陛下の役に立たん者なら、その命に価値はない!!」
「ちぃ……!!?」
「安心しろ、苦しむのは一瞬だ!!」
それが慈悲だ。
言外に告げるジェラルドの刃に迷いはなく、同族に振り抜かれ、
「させるかよ!!」
焰真の煉華に弾かれた。
「虚閃!!」
「むぉ!!?」
続けざまに虚白が放つ赤黒い閃光がジェラルドを呑み込み、その場から離れた建物の壁に吹き飛ばす。
「今だよ、アクタビエンマ! こいつはボクらが引き受ける!」
「無理そうなら退けよ! いいな!?」
「もうちょい信用してくれてもいいんじゃな~い?」
「信用云々じゃねえ! ただ、命捨ててまで倒そうとするなって話だ!」
先を急ぎつつも帰面を心配する焰真に、虚白は飄々と受け応える。
最初は敵として。後に怨敵として。そして最後に救うべき相手として刃を交え、今この場には仲間として立っている彼女へ、どうしても告げなければならぬ言葉は一つ。
「死ぬなよ───絶対に」
「死なないよ───絶対に」
瓦礫の中から立ち上がるジェラルドの前に、幾人もの影が立ちはだかる。
虚白を筆頭とする帰面の一党。総勢十名もの虚の力を宿した者達は、迷う事なく仮面を被った。
直後、立ち昇る禍々しい霊圧はジェラルドと護廷隊を隔す壁と成る。
仮面の奥に佇む眼光は、ただ一人の剣士をねめつけた。
「お手柔らかに頼むよ、滅却師さん」
「愚か者めが! 貴様らでは如何なる“奇跡”が起きても我を倒せまい!」
「奇跡ね。まあ、起こせるものなら起こしてみたいけど……」
でも、と斬魄刀を抜く虚白は語を継いだ。
「ボクらは奇跡なんかより、運命を信じたい
「ウワハハハ! 折角有り余る力の差を前もって教えてやったというのに愚かしくも勇ましい賊だ! 下の星十字騎士団を倒し、余程調子づいていると見た! ならば貴様らの快進撃……我がこの場で断ち切ってみせよう!」
「それはこっちの台詞。絶ち斬るのは───ボクの専売特許さ」
白亜の剣に囁きかける。
「絶ち斬れ───『
白一色の剣に淡い光が宿る。
真世界城に満ち満ちる霊子を刀身に宿し、巡らせ、魂を切り裂く剣と化す。数多もの虚が重ねられ、死神を喰らい、滅却師を取り込んだ末に生まれた憎悪と怨念が、強い意志によって怨嗟の連鎖を絶ち斬る為に生まれた力は、戦火の火蓋を切るような甲高い音を響かせた。
「ボクらを
漂白された少女の言葉を皮切りに、仮面を被った魂が真の姿を顕現させる。
一人の死神が引き連れた百鬼夜行。彼女達を倒すのは、“奇跡”が起きても一筋縄ではないかないだろう。
絶望と奇跡。両者の戦いの狼煙が上がる。
***
「……あれ?」
「ん?」
真世界城を進軍する中、突如間の抜けた声を漏らす浦原。
思わず尻目にかける京楽であったが、彼もまた奇妙な違和感に首をひねった。
「涅隊長ってどこ行ったんスか?」
「あれェ? おかしいな……」
「この期に及んで独断行動かい、マユリのやっちゃ……まあ、あいつなら別に一人でもええか」
「そう言えば更木も居ないな」
「あぁんのクソボケ共ォ!! ここが敵の本拠地って事分かっとんのかァ!!」
やれやれと頭を抱える平子であったが、砕蜂の気が付きで憤慨に至った。
「ここをどこだと思っとんねん!」
「るっさいわ、ハゲ真子! いつまでも足並み揃えられんアホ共に気ィかけとったら身が保たんわ!」
「アァン!?」
「なんやァ!?」
「ま、まあまあお二人共……その辺りで」
痴話喧嘩を繰り広げる平子とひよ里に、雛森が仲裁に入る。
藍染が隊長だった頃とはまったく違う人柄の平子故、副隊長として求められる対応も変わってくる事から、彼女の気苦労も窺い知れよう。
「大変だな、雛森……」
「ううん、これはこれで楽しいから!」
「……そうか、なら良かった」
「うん!」
しかし、焰真に労われるやパァっと笑顔を咲かせる分、心の底から嫌がっていない点が幸いだろうか。
雛森の笑顔にほんの少し緊張が和らいだ焰真も、穏やかな微笑みを返す。
「───待て」
第一に察知したのは、僅かな空気の変化を感じ取った砕蜂だ。
彼女の声に、護廷隊のみならず先を行く滅却師も足を止める。すると、目を凝らしてやっと目にできる距離に、何者かが銅像の如く佇んでいる様が窺えるではないか。
「何か居るな、敵か」
「ああ、そうみたいだねぇ……」
「なんだァ、あのフード野郎は?」
ジッと目を細める砕蜂に続き、額に手を当てる京楽や眉間に皺を寄せながら睨む拳西が続けて独り言つ。
遠目から見ても分かる異様さが、迂闊に前へ踏み出す真似を許さない。
一方、ジリジリと足を擦るようにゆっくりと近づいてくる存在に、リルトットがぽつりと呟いた。
「ペルニダ……」
「知ってる奴のか?」
「名前ぐらいはな」
遠回しに知らされる未知の敵対者との邂逅。
瀞霊廷に残された星十字騎士団とは違い、霊王宮まで連れてこられた以上、かなりの実力者である事に間違いはない。
「どうします?」
「こういうのは───先手必勝だ」
一番槍を務めたのは、拳西であった。
断風を振り抜けば、疾走する剣閃がペルニダに直撃し、直後に炸裂する。無反応なまま喰らったペルニダは、血飛沫と呻き声を上げながらその場でよろめいた。
続いて敵が見せた寸隙を衝くように、俊足の砕蜂が肉迫する。
「得体の知れない奴め……能力を見せる前に仕留める!」
「───『雀蜂』」
右手に握る斬魄刀が鋭い針を有した手甲へと変化する。
そのまま突き出される一撃目は、ペルニダが防ぐ間もなく直撃し、白い外套に覆われた肉体に一つ目の蜂紋華を刻み込む。
二度、同じ場所に攻撃を叩き込めば死に至らしめる脅威の能力。
その毒牙は、まさに今ペルニダにトドメを刺さんと振りかぶられ、
「弐撃決さ……───ッ!!?」
「砕蜂隊長!?」
「腕が! 離れて下さい!」
「くっ……!」
突き出されるよりも前に、敵に沿えていた左腕が折り畳まれ始める異常事態に、中止を余儀なくされた。
すぐさま瞬歩で距離を取ろうとする砕蜂。
だが、続けざまに同様の状態が脚を襲い掛かり、離れる事すらままならなくなってしまう。その間も肉が潰れ、骨が砕けていく異変と激痛は砕蜂を蝕み続ける。
「う、うおああああッ!!?」
「射殺せ───『神鎗』」
「ぐぅ!?」
絶体絶命の砕蜂を救う一閃。
鈍い音を響かせて潰れる左腕と左足を斬り飛ばしたのは、その長い刀身を振り回した市丸に他ならなかった。
味方の手足を斬ったというのに、彼は至って平然とした面持ちだ。
それに憤慨する者も居るも、状況的には最適解の行動。誰も非難できず、あるいは茫然とする中、市丸は淡々と告げる。
「ほな、回収よろしく」
「くっ!」
金沙羅を振るう鳳橋が、砕蜂の体に鞭状の刀身を巻きつけて引き寄せる。
その際にもペルニダは砕蜂への攻撃の手を緩めようとしなかったが、白哉や海燕、ルキアと言った遠距離攻撃を有す面々の援護により、追撃は阻止される結果となった。
手痛い反撃を喰らった護廷隊だが、ペルニダもまた未だに出血が止まっていないのか、破れたフードから脈動に合わせて血液を噴出させている。
「フーッ……フーッ……」
「ひゃー、気味が悪いやっちゃなァ」
「市丸、てめえ……よくも砕蜂隊長を!」
「そんな怖い顔して睨まんでよ。そら味方斬らんのが一番やけど、状況が状況やん」
「奴の……言う通りだ、大前田……!」
「隊長ぶっほ!?」
敬愛する隊長を傷つけられ下手人へ憤怒を露わにする大前田であったが、当の市丸を擁護する砕蜂に振り向き、頭に上った血を鼻から流させるように手加減のない拳が突き刺さった。
代わりに前へ出る京楽が問う。
「大丈夫かい、砕蜂隊長」
「これが大丈夫に見えるか……?」
「やれやれ、君でも逃げ切れないとなるとね……」
肩で息をする砕蜂を前に、京楽が熟考する。
この場に居る者の中でも、砕蜂の瞬歩はトップクラスに速い。そんな彼女に気づかれず、しかも逃げ切れない速度で四肢を折り畳んでくる攻撃を仕掛ける相手など、否応なく相手取れる護廷隊側の人材は限られる。
「せやったら、遠くから素早く攻撃できる人が残るんが賢明やあらへん?」
「ギン……あんた!」
「この滅却師さん、ボクが相手した方がええとちゃいます? ねえ、総隊長さん」
「……市丸くん、やれるのかい?」
誰よりも早く名乗り出たのは、砕蜂の手足を斬り落とした市丸であった。
傍から見れば味方を斬った責任を取るとも見られる行動。だが、彼の背後で戦々恐々する幼馴染の乱菊含め、誰が適任か熟考していた京楽も、彼が斯様な理屈で残る人柄でない事を踏まえて問いかけた。
対して市丸はと言えば、深刻な状況を思わせない軽薄な声音で応える。
「無駄に戦力割くんも時間割くんもアカンでしょ。せやったら、ボク一人でも適当にあしらっておきます」
「───一人任せにはしねえぞ、市丸」
そこへ更に名乗りを上げる者が一人。
十番隊隊長、日番谷冬獅郎。静謐な色を浮かべる碧眼の奥に、燃え盛る闘志を宿らせる彼は、『それで構わねえな?』と京楽に承諾を求める。
「触れちゃいけねえ相手なら、俺の氷輪丸が上手くやれる筈だ」
「あたしの灰猫も、ですよね?」
「───……ああ。こいつは俺と松本も相手する」
十番隊隊長・副隊長と共に市丸の隣に並び立つ。
その時、僅かに市丸の薄ら寒い張り付けた笑みが強張ったが、彼の前に立つ者がペルニダしか居なかった。
「そういう訳だ、お前らは先に行け」
「……任せたよ、日番谷隊長」
「心配はいらねえ、すぐに追う」
たった三人に得体の知れない相手と戦わせる。その采配に思う所はあるにせよ、敵の残存戦力が不明かつ強大だと分かっている以上、これ以上戦力を費やすのは得策ではないだろう。
日番谷の実力を信じながらも、万一の想像を脳裏に過らせる京楽は、残る戦力を引き連れて前へ進もうとする。
すれば、前方のペルニダが立ちふさがる訳だが、
「卍解───『大紅蓮氷輪丸』」
「ッ、ギィィイイイ!!!」
怒涛の冷気がペルニダの魔の手を阻む。
謎の触手らしき物体を凍らせれば、堪らずペルニダから悲鳴が上がる。その怯んだ隙を縫い、護廷隊の一党は左右を通り抜けて真世界城の奥へと進んでいく。
最低限、味方を先に生かせるという目的は達した。
ここからは敵対する滅却師の能力を暴き、護廷隊を追わせぬよう確実に仕留めなければならない。
「さて……どう仕掛けてくる」
「そう気張り過ぎたら勝てるもんも勝てへんよ、十番隊長さん」
「市丸……」
「冗談やって」
「……いや、頼りにしてる。あいつの正体を暴くには、お前の力が必要だ」
「あらら、急に信用してくれるんやね」
「別にてめえを信用してる訳じゃねえ。俺が信頼してるのは、俺の副官だ」
ああ成程、と市丸の口をついて出る言葉。
ともすれば、市丸は日番谷にとって幼馴染を陥れ、殺しかけた怨敵に等しい存在だ。斯様な人間を信用しろという方が無理な話である。
しかし、他の誰よりも信頼している乱菊が信用するなら話は別だ。
無理に自分が信用するつもりはない。ただ、信頼する副官の信用を信じればいいだけだ。それだけでグラグラと煮え滾る腹の内が冷えて落ち着く感覚を覚えた。
「正直な話、未だにてめえが味方面してるのが苛立って仕方ねえ。だが、責任感で刃を振るのが隊長だ。今だけはてめえへの恨みつらみは捨ておいてやる」
「ひゃあ、怖い怖い。背中から刺されんよう気をつけな」
「そんなことさせないわよ、ギン。隊長もあんまりカッカしないでくださいよ?」
「……ああ、分かってる」
日番谷と市丸。
水と油に等しい組み合わせの間を唯一取り持てる乱菊は、未だ冷気に覆われて震えるペルニダを見遣る。
「ッ……何、あいつ? 体が……」
「……いよいよ化け物染みてきやがったな」
慄く乱菊に続き、日番谷が険しい面持ちを湛える。
彼らが見据える先───凍り付いていたペルニダは、纏っていた外套をあらぬ方向に膨らませ、刻々と肥大化するではないか。
既に人の
その異様に警戒する日番谷や乱菊、市丸は、いつ来るか分からぬ攻撃に備えて斬魄刀を構える。
一分一秒が長く感じられる時間の中、とうとうフードが破れるや、隠れていた異形が露呈した。
「───腕……だと……?」
思わず、声に出た。
紛れもない腕の姿。
手の形を見るに左腕だろう。大人と同じ大きさを誇っていた左腕の掌には、二つ程の瞳孔が浮かぶ眼が埋め込まれており、立ちはだかる三人に死神を静かに見つめていた。
「何よ、あの化け物……!」
「……まさか、あれが
技術開発局の研究室で、宗弦から耳にした話を思い返す。
ユーハバッハの麾下に居るとされる、霊王の心臓と左腕。そのまま言葉の意味を呑み込むとするならば、ペルニダ以上に“左腕”と称される存在は居ないだろう。
指先に繋がる鎖を引き千切るペルニダは、皮膚に纏わりつく薄氷を砕くや、体勢を崩して転がった。
だが、間もなく露わになった肉面から肉が盛り上がり、その異様はみるみるうちに見上げる程の体躯へと成長していくではないか。
「これは……───難儀なやっちゃなぁ」
ぼそりと零れる市丸の呟きは、起き上がる左腕が轟かす鳴動に掻き消された。
「キ……ミ……」
「ッ!! あいつ喋れるの……?!」
発声器官など見受けられない姿から声が紡がれ、乱菊が驚きを露わにする。
だが、そんな彼女を見たペルニダは、途端に単眼を見開いた。
「
「え……?」
「キミ……
次第に強まる語気。
それに伴い、ペルニダから迸る霊圧も高まっていく。
威圧を感じざるを得ない単眼は、乱菊ただ一人に対して熱烈な視線を注いでいた。まるで、彼女の内に眠る別の物を見つめているかのように。
「カエシテ……ソレ……───ペルニダ、ノッ!!!」
「くっ、唸れ!!!」
「───『神殺鎗』」
「!」
ペルニダが差し向ける指から謎の触手が伸びる。
それに対し灰猫で迎え撃とうとした乱菊であったが、彼女の反応よりも早く卍解した市丸が、全ての触手を斬り落とす。
刹那の御業。
痛みに耐えかね、ペルニダは空を仰いで三度絶叫する。
「ギイイイイイッ!!?」
「───ああ、あかんあかん」
「フーッ、ギィ……ギィィイイ……!!」
「なんや、さっきから返してとか色々言うてるみたいやけど……」
薄ら笑いを張り付けた市丸。
だが、その細く開かれた瞳は笑っておらず、
「キミのモンなんて、ここに一つもあらへんよ」
強い意思を滲ませた言葉を紡ぎ、乱菊の前に踊り出た。
「ギン……」
「安心し、乱菊。これ以上、キミからは何も盗らせんから」
「え……?」
意味深な言葉を紡いだ市丸であったが、すぐさま普段の飄々とした雰囲気を漂わせ、ペルニダに対面する。
延々と切先をペルニダに向けたまま、蛇は舌なめずりする。
「ほな、霊王の左腕さん。
「ヒダリウデ……ナマエ……チガウ……」
「ほーん?」
「ペルニダ……ペルニダ───パルンカジャス」
“C”
“
霊王の左腕が名乗る滅却師としての名。
最早常人の理解力では追いつかぬ非常識の連続に、日番谷と乱菊も無駄な思考は捨て置き、ただ敵を倒す為だけに思考を回す。
「常識が通じねえ相手か……だが、俺達の力が通用しない訳じゃねえ。松本、俺の後ろから離れるなよ!」
「はい!」
「せやったら、ボクは気ままにやらせてもらいますわ」
竜と猫と蛇。三者が織りなす神殺しは、内に秘めたる想いを抱えたまま、粛々と始まるのであった。
***
「……ククク……」
真世界城の閑静な一室。
太陽の門の真上に副官と共に現れた男は、してやったりとほくそ笑みながら、眼前に聳え立つ真世界城を見上げる。
「滅却師の霊具とて、仕組みさえ解れば複製するなぞ容易い事……今頃私が居ない事に気付いて慌てている事だろうネ」
勝ち誇った笑みを湛えるマユリは、狼狽する浦原の顔を想像しつつ、喉をクツクツと鳴らす。
霊王宮へ立ち入る等、例え隊長であっても生涯入られるかも分からぬ経験。研究者としてはこの上なく探究心と好奇心をそそられるものだ。
故に、太陽の門の鍵を複製した上で、霊王宮へと繋がる門の座軸をズラすという手間暇を惜しみなくかけ、わざわざ護廷十三隊本隊から離れてまで単独行動を選んだのである。
「ともあれこれで俗物共に煩わされる事も無く思う存分……───私の研究の成果を試せるというものだヨ!!!」
「そうだな」
「!?」
ネム以外に居る筈のない他人の声。
しかも、犬猿の仲───ともすれば不倶戴天の間柄と言い切ってしまえる程に相性の悪い男のものだった。
弾かれるように振り向くマユリ。どうか幻聴であれと願うも、背後には威圧感を垂れ流して死神が構えていた。
獅子の鬣を思わせるざんばら髪に、顔の左半分に刻まれた刀傷。
凶暴を体現する剣の鬼は、眼前に聳え立つ強者の庭を前に獰猛な笑い声を響かせる。
「ざ……更木! 貴様何故ここに……!」
「いやァ、便所に行ってる間に全員行っちまって参ったがよ、お前ェがもう一度門を開いてくれて助かったぜ! そうだよなァ!? 山田!!」
「……ハイ……なんでボクあのタイミングでトイレ行ったんですかね……」
うっかり出遅れた剣八に付いてきた面々は、一角や弓親と言った十一番隊士だけでなく、丁度同じ頃合いに厠へと赴いた四番隊第八席・山田花太郎もであった。
今や懐かしい一護らの旅禍騒動の際、人質に取られながら人質の価値がないと言い放たれた不幸体質は、滅却師との一大決戦においても遺憾なく発揮してしまったようだ。
「だが便所に行って正解だったぜ。確かに別行動なら味方斬っちまう心配も無え。思う存分暴れられるこった……てめえなら間違って斬ったところで、そうそう死にゃアしねえだろうしな!」
「成程……確かに別行動なら五月蠅い虫を葬るにも都合が良いという訳だネ」
「誰のことだ?」
「誰の事だと思うかネ?」
剣呑な空気に、花太郎は泡を食う。
まさしくよりにもよってなグループに付いてきてしまった。花太郎は自分の不幸を呪うも、最早後戻りできないと言わんばかりに瀞霊廷と霊王宮を繋ぐ門は霧散する。
「精々俺の剣の前にだけは立つんじゃねえぞ」
「それは忠告かネ? それとも独り言かネ? 独り言なら無視するが」
「獲物は俺んモンだぜ!」
「……」
皮肉たっぷりに受け応えるマユリだが、当の剣八は意に介さず進撃を開始する。
矢張り反りが合わない───解り切っていたが、癪に障るものは癪に障るのだ。奇怪な化粧の下に青筋を浮かばせるマユリは、何か言いたげな雰囲気を漂わせるネムを視線だけで制しながら、遅れを取るまいと走り出した。
剣八に同調する訳ではないが、自身も研究成果を試すとなれば、一太刀で滅却師を殺しかねない彼よりも先に被験体を確保しなければならない。
つまり、ここからは戦いに飢えた野獣との競争だ。
「チッ……こんな事なら毒でも盛っておくんだったネ」
「お前ェの毒如きでやられる俺じゃねえよ」
「誰の薬で治療してもらったと思っている?」
毒を吐きながら突き進む面々。
一番前を行くのは当然剣八であるが、そんな彼の嗅覚が強者の気配を嗅ぎ取った。
「誰か居やがる!」
「げぇ。グレミィとやり合った特記戦力かよ……運がねえなあ、オイ。まあ護廷十三隊本隊よりはマシか……」
「ハッハァ!」
「って、え? イヤ、ちょっと……ぐおおおッ!?」
気だるげな態度を晒す男滅却師。
だが、有無も言わさず斬りかかる剣八により、建物が倒壊する轟音と共に彼の悲鳴が上がった。
敵ながら御愁傷様だと考える一角と弓親は、モクモクと立ち昇る土煙を見遣りながら生死不明な滅却師に同情した。
「あぁ? 手応えがなかったな……っつう訳は」
「無理無理無理無理ムーリー!!」
両手両足を振り上げる美しいランニングフォーム。
一目散に駆け出す滅却師は、振り返る間もなく剣八から敵前逃亡を図るではないか。
それを見て声に喜色を滲ませる剣八は、すぐさま追いかけ始める。
「は! やっぱり生きてやがったか! 待て! 俺とやり合おうぜ!」
「ぜってー待たねえ!!」
「なんだァ? てめえも戦いに来たんじゃねえのか?」
「戦いに来たんじゃなくてあんたらを殺しにきたの! コッソリ殺せりゃそれがベスト!」
「ちぃ、とんだ腑抜けと当たっちまった……がよォ、俺の鼻を誤魔化せねえぞ! てめえ、強ェだろ! 戦うのが好みじゃねえってんなら、俺と殺し合おうぜ!」
「うわー、ヤダー!! 言葉通じて話通じない奴!! 俺そういうの一番苦手だってのによー!!」
泣き言を喚きながら疾走する滅却師であるが、徐々に剣八との距離は縮まっていく。
「ちょ、ちょっと待った! これやるからな! 見逃してくれ!」
「あぁ? ……邪魔だ!」
滅却師が放り投げる毒々しい色合いの球体。
特別球速が早い訳でもなく、己にとっては欠伸が出る程に鈍い贈り物を、剣八は反射的に手で払った。
「───!」
刹那、異変が全身に襲い掛かる。
緩慢になる思考に、脱力する体。毒でも盛られたかの如く意識が朦朧となった剣八は、堪らず膝を着く。
「んだ、こりゃあ……?」
「おっとっと、こりゃ大発見だ。流石の更木剣八でも中毒にゃ敵わないかい」
「中毒……だと……?」
「そ。あんたは今、この真世界城の濃~い霊子に中てられて中毒になってる訳」
“D”
“
得意げに語る伊達男、ナックルヴァールは告げる。
霊王宮の霊子濃度は瀞霊廷や虚圏の比ではなく、場所によっては副隊長ですら立つこともままならない。
本来霊なる者に恩恵を与える霊子も、過ぎた薬が毒になるように、一定のラインを越えた途端に霊体に異常をもたらす。
今の剣八の状態もそうだ。人間に必要不可欠な酸素でさえ中毒症状があるように、濃密な霊子が毒となって剣八の体を巡り、生命を脅かしている。
「ぐぅっ……!?」
「精々そこで蹲ってくれよ、更木剣八。霊子中毒ぐらいであんたが死ぬたぁ思ってないさ。これからじっくり致命的なラインをじっくりと見極め───」
「ハハァ!!」
「おおおおっ!!?」
突然、立ち上がった剣八の斬撃がナックルヴァールの立っていた場所に振り下ろされる。
咄嗟に回避したものの、ただの剣圧と風圧だけで吹き飛ばされるナックルヴァールは、信じられぬものを見たかのように目を見開いては全力疾走を再開した。
「おいおい、なんで動けるんだよあんた!!? バケモンかよ!!」
「こんぐれぇで俺を止められるたぁ、甘く見られたモンだぜ……」
飢えた肉食獣の如く犬歯を剥き出しにする剣八は、毒に冒されたとは思えぬ俊敏な動きでナックルヴァールの追跡を開始する。
「相手を弱らせる手合いか……いいぜ、悪くねえ!! ハンデ
「っだァー!! 俺ホントあんた嫌い!! 腕力に物言わせる脳筋野郎が一番やりにくいんだってのォー!!」
「ははははは!! おい待てェ!!」
「どうせ追われるならムサい男よりカワイ子ちゃんが良かったぜ、ちくしょー!!」
美少女とキャッキャウフフな追いかけっこ───とは行かず、ナックルヴァールは背後より迫る剣鬼に涙を迸らせる。
真世界城全土を舞台とした、命懸けの鬼ごっこ。それを目の前で眺めていた者達は、剣八から逃げる羽目となった滅却師へ、再三の同情を思い浮かべるのであった。
「やれやれ、野蛮な奴め……何も考えずに攻撃を受けて追い込まれるとは目に余る短慮だヨ。まあ、それでも更木の化け物染みた身体能力には滅却師も予想外だったようだがネ」
悠々と歩を進めるマユリは、これからの算段を口にする。
「適当にやり合わせて弱ったところを横取りするのが賢明かネ。どうせなら、邪魔されん程度に更木も半殺しにされてくれれば、この上ないんだが……」
「……聞こえてますよ、涅隊長」
「おっと、失敬。聞かなかった事にしてくれたまえ」
「サテ……あの莫迦を見失わない内に追いかけようかネ。全ては───護廷の為だヨ」
漁夫の利を狙うマユリは、不敵な笑みを湛えたまま滅却師の領土と化した霊王宮の地を踏みしめて進む。
「……」
滲む喜悦の色を感じ取りながら、ネムはマユリの背中を追う。
今迄がそうであったように、これからも歩みを進める。
***
「
突き出す切先に従い、宙に生成された鋭利な氷柱がペルニダに降り注ぐ。
ペルニダ程の巨体もあれば回避もままならぬ弾幕の厚さだ。
しかし、当の滅却師はと言えば文字通り指先に光の弓を生み出し、無数に放つ矢で的確に氷柱を迎撃する。
刹那、攻守が逆転。今度はペルニダが謎の触手を繰り出し、宙を疾走する日番谷を捉えんと手を伸ばす。
「松本!」
「はい!」
だが、日番谷もまんまと攻撃を喰らうつもりはなかった。
一声かければ意図を察した副官が始解した斬魄刀を振るう。広範囲に広がる灰状の刀身、それに卍解した氷輪丸から迸る怒涛の冷気を以て氷壁を為せば、ペルニダの魔の手を阻む防壁と化す。
「灰猫、ハウス!」
ただ、それだけでは終わらない。
氷に包まれた灰猫の刀身が、乱菊の声に応じて柄へと戻る。
すれば氷壁の中身は忽然と消え、一見薄く脆い氷の壁が出来上がった。これだけではペルニダの攻撃を防ぐには不十分───かと思いきや、謎の力を宿す触手は凍てつく氷の壁一枚を捲り上げるだけに留まり、中々その先を舞う日番谷へと届かない。
「ミルフィーユ大作戦行けますよ、隊長!」
「そんな作戦名にした覚えはねえ。が……もしもの時の為にと考えていた技が、こんな場所で使えるとはな」
付け焼刃などではない連携が光り、乱菊と日番谷は光明を見出していた。
灰猫の灰で作った多層の壁の表面を薄い氷の壁で覆い、灰猫だけを刀に戻す事できる防壁───真空多層氷壁だ。
本来は卍解を掠奪されている間、始解の氷輪丸が生み出せる氷の生成量を想定した作戦であった。
しかし、卍解を取り戻した今であれば当初の見込みよりも堅牢かつ巨大な氷壁を生み出せる。結果、ペルニダの謎の触手から三人を守る防壁として役立っていた。
仮に通用していなかったのであれば、地表を駆けまわるしかない乱菊と市丸は一山いくらの肉団子と化していただろう。
「おおきに、十番隊長さん」
「市丸……そっちはどうだ?」
「どう、ちゅうんはどういう意味で?」
「……お前ならあいつをやれるか?」
険しい形相をする日番谷の問いに、降り注ぐ神聖滅矢を斬り払う市丸は変わらず飄々と受け応える。
「いやぁ、わからんわぁ。ただ斬ったり刺したりするだけじゃ倒せそうな雰囲気でもあらへんし」
「お前もそう思うか」
「とんだ貧乏くじやったわ」
「だが、まったく太刀打ちできない訳じゃねえ。俺らで対処できる内に仕留めるぞ」
「どないするん?」
「市丸、少し時間を稼げるか? 最大出力ならあの図体でも芯まで凍らせられる筈だ」
霊圧を高める日番谷に、せやねぇ……、と市丸は呟く。
「そない期待されたら、やらなアカンやん」
「援護するわよ!」
「おおきに」
神殺鎗を腰の横に構える市丸に続き、乱菊が柄を振るう。
すれば灰状の刀身が周囲に広がり、ペルニダの視界を塞いでみせたではないか。
「ジャマ……!」
「そらこっちン科白や」
「!!?」
声がペルニダに届くよりも早く、一閃が五本の指を斬り落とす。
灰を裂いた先に垣間見える市丸が刀を振り抜く姿。音速を遥かに上回る伸縮速度を誇る神殺鎗にしてみれば、一瞬の隙ですらも致命の一撃を与えるに十分な時間だ。
これまでは回避に徹していた市丸だが、日番谷が攻勢に出ると分かった途端、強気に攻め出した。
「───『猫輪舞』!!」
それは乱菊も同様であり、指を失って神聖弓を生み出せなくなったペルニダの傷口に塩を塗り込むかの如く、灰猫の刀身を回転させて巨大な左腕の皮膚を削る。
氷輪丸の冷気が、より芯まで届くように。
二人の連携は当初より攻勢気味だったペルニダを守勢に回らせる。
「ウ……ウゥ……!」
「お膳立てはこれくらいでええ?」
「十分だ!!」
空を覆う曇天を穿ち、不香の花が葬列を為して舞い降りる。
間もなくペルニダを捕える氷獄は、現時点の日番谷が繰り出せる最強の技だ。裏を返せば、これを防がれてしまうと打つ手が極端に限られてしまう。
(いや、いける!)
五体───と言って正しいか、ペルニダは武器を構成する五本指のいずれも斬り落とされている。謎の触手も凍ってしまえば機能を失う以上、敵の滅却師の攻撃手段はいずれも封殺していた。
「くらえ、『
確信を現実にすべく、日番谷は勝利へ王手をかけた。
降り注ぐ白い雪は、ペルニダの体表に触れた瞬間に美しい白銀の花を咲かせる。振り払う間もなく一輪、また一輪と咲き誇る氷の花は、謎の触手ごとペルニダを凍結させる氷の棺と化した。
百輪の花が咲き乱れた頃、ペルニダは枯れぬ供花に覆われ、死神を大いに恐れさせた魔の手を止めるに至る。
氷の中で微動だにしないペルニダを見つめる。
残心───心を途切れさせる事なく、滅却師へ警戒心を注ぐ日番谷。白い息を吐いたのは、聳え立つ氷像に罅が入り、中のペルニダが粉々に砕け散った後であった。
「……やったか」
「ひゃあ、こら綺麗なモンやなぁ」
「これのどこが綺麗なのよ、気持ち悪ぅ」
地面に転がる左腕の欠片を見遣り、乱菊は鳥肌を立たせる。
見れば見る程歪な造形。砕け散った掌の中央に埋まっていた眼球は、よく見れば瞳孔が二つあるではないか。
「これじゃあ単眼って言えるかも怪しいな……」
「こら霊王サマも普通の人か怪しいわ。まあ、滅却師の親玉さんに殺されてるんなら、それも無理な話やなぁ」
「うぅ……今になって生理的に受け付けなくなってきたかも。隊長ォ~、そろそろ皆を追いましょうよ」
「そうだな、今からなら十分追いつける……───」
踵を返した日番谷の耳に入る、奇妙な音。
それは転がる氷塊が氷点下の冷気に軋む悲鳴。だが、日番谷は僅かな違和感を覚えていた。他人からすれば分からない、ほんの小さな音色の違いだ。
───嘘だろ?
脳裏に過る最悪な予感。
振り返れば直視できぬ真実が待ち受けているかもしれない。だが、ここで振り替えなければ命を対価としなければならないだろう。
「松本! 市丸!」
目にするよりも前に名前を叫び、注意を促す。
それほどまでに必死な声色に、思わず二人も弾かれたように飛び跳ねた。光の矢が弾雨となって降り注ぐのは、次の瞬間の出来事。
「嘘!? あれを喰らって生きて……!」
「……へぇ」
戦慄する乱菊に対し、市丸は目撃する。
巨大な左腕を覆った氷獄の傍。辛うじて氷結範囲から逃れた場所に転がっていたペルニダの指が、痙攣するように脈動しながら手の形を成す光景を。
「そら反則やん」
柄にもなく冷や汗を流す市丸は、みるみるうちに聳え立つ五体のペルニダへ、吐き捨てるように呟いた。
「クソっ……! 斬り落とされた部位から再生だと!? ふざけやがって……!」
同様の心境を抱く日番谷。自身の卍解で氷結させる算段が、まさか凍結し損ねた指から復活するとは思わなんだ。
たった一手で数の利が潰された。
今、三人に対峙するペルニダは五体。見せかけだけでなければ、それまでのペルニダ同様の攻撃を掻い潜りながら、今度は五体全員を屠らなければならないのだ。
絶望、その二文字が脳裏を過る。
「───アセッテル?」
「!」
苦心を露わにする死神へ、不意にペルニダが問いかけた。表情と言っていいかどうか分からぬが、その瞳にはありありと嘲笑の感情が浮かんでいる。
「コワイ? ニゲタイ? デモ、ニガサナイ。チャント、カエシテ」
「けったいなやっちゃなァ。自分の腕増やせるんやったら、ちょっと体が欠けてるくらい些事ちゃうん?」
「ケッタイ……ッテ、ナニ?」
「あら、知らん? そら堪忍や。そんなに頭数あるんやったら一人くらい知っててもええと思ったんやけど……まあ、数があるのと頭があるんはちゃうか」
言い返す市丸。
刹那、僅かにペルニダの纏う雰囲気が変わる。
「……イマ、ワルクチ、イッタ?」
「そらキミの感性の問題やわ」
「ワカラナイ、コト……ダイタイ、ワルクチ」
「───なんや、分かっとるやん」
口角を吊り上げる市丸は、斬魄刀を構える音を静かに響かせる。
すれば、ペルニダ達も神聖弓を構え、霊子の矢を死神へと向けた。
「“テキ”ノイウ、コト……“クインシー”ノ、ワルクチ……許、サナイ!」
憤るペルニダが放つ神聖滅矢が三人を襲う。
それらを各々の刀で斬り落とす。収束していた霊子は霧散し、塵となって辺りに溶け込むように消えていく。
だが、問題は矢ではない。
「っ、十番隊長さん!」
「分かってる!」
矢に繋がる触手。四肢であれば斬り落とすか凍らせれば済むものの、胴体に喰らえば一巻の終わりである恐ろしい代物が、全ての矢に付属しているのだ。
迸る大紅蓮氷輪丸、奔る灰猫、閃く神殺鎗。
三人の刃が矢を斬り落とす中、忍び寄る魔の手は刻々と彼らを追い詰めていた。
「下や!」
市丸が叫ぶ。
咄嗟に足下へ目を落とす乱菊であったが、地中を潜って忍び寄っていた触手は、彼女の周囲を囲うように展開していた。
「くっ……!?」
「───射殺せ」
神殺鎗、と。
呟いた市丸の呼応する刃は、乱菊へ殺到していた触手を瞬く間もなく蹴散らした。
しかし、その一瞬の隙を衝くかのように市丸へ迫っていた触手が無防備になっていた彼の左腕を貫く。
腕が歪み、あらぬ方向へと折れ曲がる激痛に目を見開くも束の間、市丸は迷いなく腕を斬り落とす。
即断即行の甲斐もあり、異能は彼の胴体まで達するまでにはいかず、左腕を血溜まりにするのみに留まる。
「市丸! 腕を出せ!」
露わになる肉の断面目掛け、氷輪丸の冷気を奔らせ応急処置をする。
鼓動に合わせて噴出する真紅の血も、日番谷の斬魄刀を以てすれば瞬く間に凍り付く。
「おおきに」
「礼はいい! それよりも……」
「敵さんの能力の正体、ちょっとだけ見当ついたで」
「なんだと?!」
「───神経や。多分、間違いあらへん」
軽くなった左腕を見ながら、市丸は予想を告げた。
見えざる帝国の滅却師には、血管に霊子を送り込んで能力を高める戦闘術が存在する。ならば、血管以外を霊子で制御できる力があってもおかしくはない。
外的な圧力ではなく内側からの反応で操作されるのならば、人体の動きに最も密接な関わりを持つ神経を操られている可能性が高いだろう。
「人でも物でも、神経潜り込ませたもんに動きを強制する……ボクが言える口やないけど、随分と性悪な能力や」
「神経か……こういうのは涅の方が得意だろうがな」
「居ないもんはしゃあないわ」
「そうだ……なっ!!」
迫りくる矢と神経に、日番谷は再び氷壁を生み出し、乱菊と市丸を守る盾を築く。
幸い卍解の圧倒的な氷の生成量を以てすれば、ただの神聖滅矢ならば氷壁である程度防げ、神経も氷点下に触れ続けて動きが緩慢になる。
打開策を練る時間としては十分か否か、それは当人にしか分からないが、
(五体分を凌ぐのは流石に厳しいぞ……いつまで保つ!? いや、保たせるしかねえ!!)
穿たれ、捲られる傍から氷壁を追加する日番谷は、湧き出る霊圧を片っ端から氷の生成へと注ぎ込む。
しかし、敵は五体だ。構えられる弓は5×5の25。それらから絶え間なく霊子の矢を撃ち込まれ、更には繋がる神経で氷に罅を入れられるのだから、日番谷としてはいつ突破されるかと堪ったものではない。
「隊長……!」
「狼狽えるな! 諦めるにはまだ早ぇ!」
「っ……はい!」
「───いや、乱菊は逃げ」
「!?」
日番谷の声に己を奮い立たせていた乱菊に冷や水をかける声。
紛れもなく市丸が言い放った一言に、彼女の瞳は点となって浮かび上がる。
「あんた……何言って……」
「自分でも分かってるやろ。乱菊、キミお荷物や。正直、ボクと十番隊長さんが居っても庇いきれんわ」
「市丸! てめえ!」
灰猫の柄を握りしめる手が震える。
それを尻目にかけた日番谷は怒りのままに声を荒げたが、尚も市丸が吐く毒は止まらず、震える乱菊の体を冒す。
「なあ、乱菊。キミなんでここに居ってん?」
「それは……瀞霊廷を護る為に……」
「それ、ほんとに瀞霊廷の為なん? せやったらキミんこと救えんわ。ほんに瀞霊廷護る為やったらずっと下に居ればよかったんとちゃう。自分の力も弁えんとここまで付いて来て───それ、犬死言うんやで」
冷たく浮かぶ双眸が、乱菊を射殺す。
「正直に言ったる。乱菊……───邪魔や」
吐き出された毒は乱菊の胸へと突き刺さり、その鼓動に宿るを緩やかな死へ向かわせる。
「ふんっ!!!」
「ごぶっ!!?」
「んなっ!!?」
───なんて事はなく、全身全霊の右ストレートが市丸の顔面に突き刺さった。
突然の暴挙に市丸のみならず、日番谷も呆気に取られる。スーッと吸い寄せられる視線の先には、青筋を立て、蟀谷をピクピクと痙攣させる乱菊が、鬼のような形相で仁王立ちしているではないか。
「あんた……もういっぺん言ってみなさいよ。あたしがなんですって?」
「せ、せやから邪魔やって……」
「ふざけたこと抜かすんじゃないわよ!! ここまで来といておめおめ逃げ帰るなんて女々しい真似出来る訳ないじゃない!! それに何!? あたしがお荷物ですってェ!? 途中まであたしと隊長に守られてたのはどこのどいつよォ!!」
「やめろ松本ォ!! それ以上揺らすと市丸が死ぬぞ!?」
市丸の胸倉をつかみ、激しく前後に揺らし激昂する乱菊。
そんな彼女の苛烈な揺さぶりに、先程まで冷血に彩られていた市丸の顔も、次第に青褪めてきた。
このままでは敵に殺されるより前に味方が死ぬ───冗談ではなく真面目に命の危機を悟った日番谷も、副官の怒りを鎮めんと必死に声を上げる。
その甲斐があってか否か、乱菊の暴走はすぐさま止まった。
しかし、今度は一変して感傷的な雰囲気が漂う。
「……ふざけんじゃないわよ……あたしが邪魔だなんて……置いて行かないでよ……」
絞り出すような声。
気丈な彼女とは思えぬ弱弱しい声音に、長年共に過ごした日番谷以上に、市丸の瞳が見開かれた。
「乱菊……」
「分かってるわよ、あたしが隊長やギンみたいに強くないって。でも、勝ち目がなくったって立ち向かわなきゃならない時があるじゃない……立ち向かってでも守りたいものがあるじゃない! それを守りたいからあたしは此処に居るの! 死神になったのよ!」
「……」
「あんたはどうなのよ、ギンっ!!」
涙も憚らずに訴える。
悲痛に響く声は、重く彼の心に圧し掛かる。
───知ってた。
知っていたが、答えない。答えられない。堪えられない。
───ボクもキミと同じや。
守りたいものがあった。
取り戻したいものがあった。
だから死神になった。
彼女を泣かせまいと、彼女以外の全てを───自分すらも捨てた。
なのに、この無様はなんだ。
諸悪の根源が討ち取られ、流浪の旅人となった今も、彼女を泣かせる者が居る。それが自分とは笑い話にもならない。
───でもな、キミとは一緒に居られんわ。
穏やかな笑みを湛え、圧し掛かる乱菊を押し返す市丸。
僅かな驚きに丸い目を見開いた彼女へ、市丸の眉尻は少しだけ下がった。
「御免な、乱菊」
「……また答えてくれないの?」
「それは……
「え……?」
的を射ぬ言葉に乱菊が首を傾げる。
どういう意味だ? ───どれだけ思考を巡らせても、市丸ギンという男を思い返しても、その
「くっ……お前ら!! 話は終わったか!?」
しかし、切羽詰まった声が乱菊の思考を中断させる。
気づけば三人を守る氷壁は、ペルニダの集中砲火によって大部分が削られてしまっているではないか。後から生成する氷で注ぎ足すものの、薄皮一枚で現状維持している状態。このまま凌げるとは到底思えない。
「認めたくねえが、このままじゃ全員やられるのが関の山だ!! 一旦撤退して態勢を整える!! 朽木辺りを呼んで、確実に仕留めて───」
「それは、あたしを庇っていたらの話ですか?」
唐突な問いに、声も上げられない日番谷。
だが、その反応がどんな言葉よりも明快な答えだと、乱菊は続ける。
「それならあたしが囮になります」
「なっ……馬鹿言うな、松本!」
「命を捨てる訳じゃありません。あたしだってまだ死にたくありませんよ……でも、分かるんです。ここが命の賭け時なんだって」
決意に満ちた表情を目の当たりにすれば、在籍する隊において唯一の上長たる日番谷は、信頼を裏切る行為をできないと苦心に顔を歪めた。
「乱菊……ええ加減に」
「ふんっ!」
「痛い!」
すれば、当然市丸が止めに入るが、有無も言わせぬ頭突きが炸裂する。
後頭部を掴み、固定した上での一撃。突き抜ける衝撃と鈍痛に、市丸の目尻には大粒の涙が浮かぶ。
「ちょ……乱暴過ぎん?」
「あたしが大雑把なの、あんたも知ってるでしょ」
それとこれとは話が違う。
そう、告げようとした瞬間だ。
「女の覚悟、舐めんじゃないわよ」
不敵な笑みと共に襲い掛かる熱烈が、市丸の口を塞いだ。
「───……? ……っ!!?」
「ぷはぁ! ま、見てなさいよ♪」
「は……?」
柄にもなく唖然と放心する市丸を前に、してやったりと笑みを浮かべる乱菊が立ち上がる。
「隊長。あたしが解放したら、構わず離脱してください」
「何をする気だ、松本」
「滅却師相手にはやめた方がいいと思ってましたけど、こういう手合いが相手なら寧ろ今が使い時です」
「? ……っ! まさか、お前!」
「ギンもいいわね? あんたの瞬歩と斬魄刀なら逃げきれるから」
信頼に満ちた声を二人にかけ、一人の死神が刀を構える。
緩やかに高まる霊圧。
しかし、周囲を威圧する圧倒的な力の本流もなければ、本能に訴えかける超然とした霊気も感じられない。
静かに。不気味なほど静かに、一つの魂の生と死の境目が崩れていく。
次第に血色の良い肌も、艶やかな黄金色の髪も、華々しい碧眼も───やがて全ての色が、魂から抜け落ちた。
「……卍解……」
白とも黒ともつかぬ存在となった死神が紡ぐ。
とうとう氷壁を、光の一矢が貫く。
すぐさま瞬歩でその場から離れる日番谷と市丸であったが、一陣の光矢は動かぬ乱菊の胸を貫いた。
直後、灰色の体は脆く儚く吹き消え、
「唸れ……」
「ッ!!」
忽然と左腕の異形の眼前へと現れるや、塵状に崩れる腕を振るう。
刹那、風に吹かれて漂う灰が爪を為し、巨大な眼球を斬りつけた。
「ッ、ギャアアアア!!?」
視界を塵状の刃で削られたペルニダが、苦悶の悲鳴を上げた。
「……成程なぁ。確かに
化け物に一矢報いた光景を前に、ポツリと独り言つ。
その間、灰より精製される
さらさらと結んでは崩れる体は、吹けば今にも消えてしまいそうな危うさと、何処からともなく現れる唐突さを両立しているようであった。
「あれは……
矢の弾雨から逃れた日番谷が言い当てる。
今の乱菊は、まさしく灰猫そのもの。全身が灰となり、ある時は塵と消え、ある時は灰同士が結合して現れる。
斬魄刀と命を共有する点では狛村の『黒縄天譴明王』と、霊体が広範囲に拡散する点では八代目“剣八”・痣城双也の『雨露柘榴』に酷似しているだろう。
脆く、解けやすいからこそ、直ちに結びやすい。
檜佐木の『風死絞縄』とは別ベクトルで不死性を体現する卍解───それが『灰冠』。
灰の肉体は神聖滅矢で穿たれても風圧で散るだけに留まり、肉体を操る神経も塵灰程の大きさに通せぬまま空を切る。
そうして生まれた隙を衝き、乱菊は灰を押し固めて形成される玻璃の爪や牙で、ペルニダを翻弄していた。
だが、少し様子見に徹しただけでも、敵との相性や致命的な弱点も見えてくる。
「市丸、今の内に作戦を言っておく! 俺がもう一度最大出力で凍らせる! お前らには凍らせる前に、出来るだけあいつをバラバラにしてほしい!」
「それなら凍らし易いちゅうことやね。異論はないわ」
「いくぞ……次で決める!!」
乱菊の言った通り、今が正念場だ。
再度高まる日番谷の霊圧。それだけで辺りの気温はみるみるうちに冷え、大気中の水分が結晶化していく。
その間、市丸はと言えば、
「破道の五十四『
日番谷を狙う矢と神経の露払いを務める。
先程の光景から推測するに、ペルニダから分離した肉片から増殖する可能性が高く、それを考慮した上で少しでも攻撃の手を減らすべく、切り分けた肉片を灰色の炎で塵も残さず焼き尽くす。
ただ、片腕である以上限界はある。
斬り損ねた矢こそないものの、地面に落ちた矢に繋いであった神経は、関係ないと言わんばかりに市丸や日番谷を襲う。
「させない!」
それを阻むのが乱菊だ。
ほんの僅かでも早く日番谷の準備が整うように、市丸と二人三脚で守りの手を担う乱菊は、灰から精製する玻璃の壁で神経を防いでみせる。
無機物すら浸食する神経だが、ペルニダの意思で操られるよりも前に霧散しては、再び神経を阻む壁として立ち塞がっていく。
(もう少し……もう少しよ……!)
収斂される冷気を目前に、戦いの終わりが近づく実感が胸を過る。
幾度打ち砕かれようと、幾度射貫かれようと蘇る乱菊はペルニダを翻弄し続けていた。ペルニダも不死と錯覚せんばかりの乱菊を前に、苛立ちを募らせているかの如く挙動が乱雑となる。
(このままいけば───)
「松本! 市丸!」
「はい!」
「はいな」
日番谷の合図に、乱菊と市丸が動いた。
乱菊は鋭利な玻璃の爪を振り上げ、市丸は神殺鎗を胸の前に構える。八つ裂きにする準備は整った。後は、刃を振るうのみ。
「はああああ!!!」
「───愚か者め」
「なッ!!?」
鋭い爪がペルニダに到達しようとした瞬間、ペルニダの甲から吹き荒れる旋風が乱菊の攻撃を払いのける。
瞠目する市丸。が、彼女の攻撃を止められるのも想定済みだと神殺鎗がペルニダの命を付け狙う。
「そんなもので私を殺せると思ったか?」
刹那、ペルニダの体が掻き消える。
速い、凄まじく。市丸の動体視力を以てしても分身したと錯覚した移動速度で鋒から逃れた異形は、そのまま日番谷と市丸にも襲い掛かった。
立て続けの想定外に攻撃を中止し、二人は回避に徹する。
「なんだ、今の動きは!?」
「なんや、えらい早かったな。それに瞬歩みたいやったし……」
「しかも、あの背中の風……」
見覚えがある、二番隊隊長が纏う風の翼に酷似した技。そして歩法。
───『無窮瞬閧!!』
「まさか───他人の技を模倣できるのか!?」
「口振りも二番隊長さんみたいやったし、ない事もないんとちゃう」
「土壇場でなんて力を……!」
歯噛みする日番谷へ、休む暇も与えぬと言わんばかりに矢の弾雨が襲い掛かる。
上体を反らして躱したものの、先程とはキレが違うペルニダの射撃を前に防戦を強いられてしまう。
自分から離れた場所で窮地に追いやられる二人の姿に、乱菊の顔にも焦燥が浮かんだ。
「隊長! ギン!」
「何を畏れる」
「ッ……喋り方が……!?」
助けに駆けつけんとする乱菊であったが、彼女の前に一体のペルニダが立ち塞がる。
「世界は元あるべき形に戻るだけだ。そう、生と死の境界が崩れ、死という概念が消えていく……人は死を恐れるのだろう。ならば何故頑なに拒絶する、世界の改変を」
「訳分からない事をベラベラと! あんたは一体何者よ!」
「余は滅却師也。それ以上でもなく、それ以下でもない。哀れな魂の児……余の欠片も無ければ息をするのもままならぬか弱き魂よ。死を恐れるのならば受け入れろ、滅却師が創る世界を」
「冗談じゃないってのォ!!」
流暢な口調で語るペルニダであったが、理解よりも先に困惑がやって来た乱菊は耳を貸さず、少しでも自分へ攻撃の手が向かうよう灰状の体をバラまき、目潰しと攻撃を両立させんとする。
「───哀れ也」
だが、それは限りなく最悪に近い悪手であった。
「ッ……───あああああ!!!」
「松本!?」
突如、絶叫に等しい悲鳴を上げる副官に日番谷が気を向ける。
すれば、瞬く間に光の翼と光輪を為すペルニダに、最悪の事態が起こってしまったと理解した。
(滅却師完聖体か!!)
「───『
無数に繋がる手の輪───光輪に、灰状の乱菊の体が奪われていく。
これが雨露柘榴にも共通した灰冠の弱点、霊子や霊圧の吸収である。灰と化した刀剣と霊体が一体化している彼女にとって、ほんの僅かでも灰を隷属され、支配権を奪われた途端致命傷に等しいダメージが本体の魂に入ってしまう。
乱菊が途中まで頑なに卍解を使わなかった理由が、まさしく対滅却師にとって致命的なデメリットと化すこの性質にある。
日番谷は血相を変えて吼える。
「卍解を解け!!! 急げ!!!」
「不届きな死神よ、余を誰と心得る」
「クソ……ッ!!!」
「余は滅却師、魂を貪る亡者を
怨嗟が込められた呪詛を吐くペルニダの周囲に、光芒が差す。
「百万年……無為な時間を費やしたようだ」
周囲の霊子によって形作られる左腕。
本体と同じく内部に無数の神経を巡らせる怪物は、地面を揺るがしながら侵攻を開始する。聖なる執行者を中心に張り巡らされる神経の網は、さながら絶望をそのまま絵に描いた悍ましさを表しているようだ。
その頃、副官が窮地に陥る光景を前に日番谷は、極限まで高めた霊圧を一体でも減らす方向へ転換しようと身構えた。
───でなければ、乱菊が死ぬ。
霊子の絶対隷属で致命傷を負った乱菊は、最早戦える状態ではない。
卍解が解ける瞬間があるとするならば、それは最早彼女が死んだ瞬間に他ならない。何としてでも避けなければならぬ事態を前に、日番谷は自分の命を投げ打ってでも副官の命を救おうと駆け出した。
迫りくる神聖滅矢。矢には神経が繋がっているが、自身すら巻き込む出力で凍らせれば助かる見込みはある。
───待っていろ、松本!
手を伸ばす。
その瞬間だった。
「御免な」
彼を制する静穏な声。
「お前……───」
日番谷の目の前に割って入る人影。
刹那、眼前に映る背中から血の華が咲いた。飛び散る鮮血は日番谷に触れるまで、たちまちに凍り付いて地面へ落ちては砕け散る。
(あ)
ペルニダの矢が、市丸の胸を貫いた。
その光景を目の当たりにした乱菊の世界は、ピタリと止まる。
(いや)
突然現実と想像が嚙み合わなくなった歯車は、それ以上時が先に進まぬようにと抗っているようだった。
(いや)
押し寄せる感情の波濤は収拾がつかなくなり───涙となって乱菊の瞳に浮かぶ。
(いや)
刹那、目にも止まらぬ迅さの刃の雨がペルニダ達へ殺到する。
超速かつ怒涛の連撃。
たった数秒の間に何百、何千、何万と叩き込まれた刺突は、ペルニダほどの巨体と砕蜂から吸い上げた歩法を以てしても躱し切れるものではなかった。
やがて、刃の嵐が止んだ。
その時、漸く目に出来た神殺鎗の刀身は───
(嘘って言ってよ、ギン)
乱菊は手を伸ばす。
バラバラに割かれた骨肉の先で夥しい血反吐を吐き、
そう唱える、想い人へ。
「ピ、ギィィャァアアアアアア!!!???」
舞踏連刃で粉々にされたペルニダの体。それら一つ一つに仕込まれた神殺鎗の欠片から、瞬時に細胞を溶かし尽くす猛毒が溢れ出る。
再生する間も、増殖する間もなく溶かし崩される肉片は数知れず。
しかしながら、それでも尚増殖せんと蠢動する欠片は存在した。
「ッ……大紅蓮氷輪丸ッ!!!!!」
だが、それを日番谷は許さない。彼の命に懸けて、絶対に許しはしなかった。
どれだけ小さな欠片も残さぬ勢いで広がる冷気が、ペルニダの骨肉を凍てつかせる。すれば、再生しようとしていたものも神経を伸ばそうとしていたものも根絶やしにし───その命の灯火は吹き消された。
広がる銀世界。
吐く息が白く染まり上がる寒空の下、血溜まりに膝を着く市丸は、実に静穏な笑みを湛えて崩れ落ちた。
***
(御免な、乱菊)
心の中で紡ぐ。
(もしかしたらなんて夢見てた)
それが許される筈がないと、誰よりも
果てが、この様だ。
彼女が死ぬと思った時には、全てをかなぐり捨てて駆け出していた。
一度壊れた卍解が直せないと知りながら全てを尽くした。
一度死んだ人が生き返らぬと知りながら全てを尽くした。
時も、力も、魂も───愛のままに生き続けた。
どんな汚名を被っても、どんな罪を犯しても。
彼女の奪われたものを取り返せる
(でも、無理や)
心臓を貫く矢。それに繋がる神経が、周りの肉や骨を巻き込んで蹂躙する。
(ボクは、今、死ぬ)
死を予感しながらも、脳裏を過るのは彼女の笑顔。
命を賭して屠った神になど目もくれず、ただ乱菊の安否だけを目にし、空いた胸の穴に充足感が満ちていく。
すれば、過去の思い出が走馬灯のように瞼の裏に映る。
裕福でもなければその日の食べ物にも困る貧しい暮らし。頼れる大人も友も無く、ただただ二人で身を寄せ合った時間。
戻らぬ幸福だと知りながら、必死に手を伸ばした時間を思う。
───あんた、お腹空いてるの?
───……キミは?
───さては
───これ……。
───干し柿! 甘くておいしいわよ。あたし好きなの!
───キミが作ったん?
───ううん。ちょ~っと軒先にぶら下がってるのをもぎって……ね!
───……とんだ泥棒猫やなぁ。
───命の恩人に泥棒猫ってなによ、失礼ね!
───だって、事実やん。
───きぃー! あんた、何様のつもりよ!
───……誰、なんやろうなぁ。
───はぁ?
───だってボク、名前あらへんし。
───……そっか。じゃあ、『ギン』!
───ギン?
───そ! それが今日からあんたの名前!
───もしかして頭の色見て言った?
───ふふっ、名は体を表すっていうじゃん。
───……ははっ、そうゆうキミはなんていうん?
───乱菊! これからよろしくね、ギン!
───乱菊、乱菊。
────……うん?
────良かった、目ぇ覚めた。何があったんや。
────……痛ぁ……。
────さっきの死神か? 乱菊、誰かにやられたんなら言い。ボクが……。
───ねえ……
────ッ……、……。
────……お腹、すいたぁ……。
────……食べ。腹へって倒れるゆうことは、キミもあるんやろ? 霊力。
────……キミ……も……?
───あァ、ボクもや。市丸ギン、よろしゅうな。
────ギン……変な名前。
───なあ、乱菊って誕生日いつ?
───知らない。あんたと会うまで日にち数えられるような生活してなかったし。
───……なら、ボクと会うた日が乱菊の誕生日や。
(なっ、ええやろ乱菊)
彼女は力を奪われた。
その時、削られた魂と共に大部分の記憶も抜け落ちた。
奪ったのは死神。
その頭領が藍染惣右介という男。
それだけで、刃を向ける理由は十分だった。
松本乱菊という少女は、一度自分を置いて
藍染惣右介に殺された。
天真爛漫で、我儘で、その癖寂しがりやで。人肌が恋しいと肩を寄せてきた彼女は、忘却の彼方へと自分を捨て置いてしまった。
もしも、奪られたものを取り返せたのなら。
もしも、失ってしまった記憶が蘇るのなら。
残りの人生の全てを捧げ、過ぎ去った幸福を彼女の心に思い出させ、自分は消えていなくなろう。
それだけ。
たったそれだけの為に、百年以上もの間、淡い期待に身を寄せながら雌伏の時を過ごした。
例えそれで彼女の傍に居られなくなったとしても。
傍に居た思い出さえあれば、彼女の記憶に残るのであれば───他に何も残すものは要らないと。
置いて殂かれる苦しみと痛みを知っているからこそ、何も残せない。
彼女を苦しませたくはない。
例え泣かせてしまったとしても、彼女を傷つけるよりはよっぽどマシだ。
(愛してたんや、乱菊)
淡々と独白する。
(キミを、本当に)
心の底から、と付け加える。
───でもな、キミにだけは『愛してる』なんて口が裂けても言って欲しないわ。
大切なものを取り返す為に、少々この手を穢し過ぎた。
人を殺めたそのクチで愛していると宣う自分を、決して受け入れて欲しくはない。もしも受け入れられれば、失った記憶を取り戻す代償に払った命の数の分、自責の念に圧し潰される未来が視えていたから。
───この罪はボクが背負って殂く。
彼女の未来にケチをつけたくない。
彼女の未来に泥を塗りたくはない。
彼女の未来の傍らに立つ事は───許されない。
───誰よりも、キミを愛しているから。
彼女を護り何も残さず死に殂けるのならば、本望。
どうか自分を、愛していると嘯いた幻として忘れ去って欲しい。
そう願いながら意識を鎖そうとした瞬間、聞こえる。
「───ギンッ!!!!!」
自分を呼び止める声。
魂が肉体から離れ、死に絶えそうな灯火を包む柔らかな祈り。
「待ってて!!! 今すぐそっちに……!!!」
「駄目だ、松本!!!」
だが、駆け寄る彼女の前に氷の壁が聳え立った。
『隊長!!? どうして……どうして止めるんですか、隊長ッ!!!』
『ッ……』
『隊長!!! 行かせてくださいッ、隊長ォ!!!』
隊長! と絶叫し、分厚い氷の壁を何度も殴りつける乱菊。
拳から血が出ても尚抗う彼女を止める日番谷は、ただただ食い縛ったかの如く顔を歪めるばかりで言葉を発さない。
取り乱す副官を叱責する事もできただろう。現実を諭して宥める事もできただろう。
それでも日番谷は押し黙る選択をした。彼女の心が壊れてしまわぬよう、その悲しみや怒りの受け皿として己が身を差し出したのである。
(おおきに、
「ごぼっ……」
『ッ───!!!』
夥しい血が口から零れる。
体の下に広がる血溜まりの量からして、取り返しのつかない段階まで来ているのは明白だ。
しかし、それ以上に体内に残る神経の残骸を憂慮していた。
仮に駆け寄った彼女に、この神経が牙を剥けば───そう想像した瞬間、市丸は今際の際であろうが彼女の傍には居られないと自分に言い聞かせる。
悟り、血に濡れた面を上げた。
とても他人様に見せられる顔ではないが、最期くらい彼女の顔を拝んでもバチは当たらないだろうと開き直る。
自分と彼女を阻む氷に手を添え、壁越しに見える顔の輪郭をそっと撫でた。
指先に纏う血が、なぞった輪郭に軌跡を描く。
それをまた壁越しに眺める乱菊は、涙と嗚咽でぐしゃぐしゃに歪んだ表情を湛える。
(別嬪さんが台無しや)
いけしゃあしゃあと心の中で紡ぐ。
『馬鹿……なんで、なんであんたは……!』
氷越しの声が耳に届く。
『なんでそうやって……あたしを置いて殂こうとするのよ……!』
涙に震えた指先は、迸る熱で氷を解かす。
それでも尚、阻む壁は厚く、想いを届ける人へは遠く。
『全部……あたしの為なの……? あんたが藍染を裏切ってまで戦ったのもそうなんでしょ!』
(───)
『教えて……教えてよ、ギン!!』
乱菊の言葉に瞳を見開く市丸。
霞む視界の中、必死に彼女を探せば、後悔と自責の念に打ち震える姿が目に映った。
『……あんた、あたしが何も知らないとでも思ってるの? 馬鹿……馬鹿、馬鹿バカバカばかばかァ!!! あんたってホントばかよ!!! あたしの、気もッ……知らないでェ……!!!』
「……ッ……」
『思い出してるわよ……あたしの、
───奪う者が居れば、与える者も居る。
───欠けた彼女の魂を埋めるのは、分け隔てない愛に生きる死神の魂。
───そうして呼び起こされた記憶は、欠落した乱菊の記憶を取り戻すに至った。
信じられないと言外に訴える瞳を見つめ、乱菊ははにかんだ。
それが今できる精一杯の笑顔。散々泣き喚いてむくんだ顔だが、彼に向ける表情が暗いものであってはならないという強がりが窺えるようだった。
息もままならず、強張った喉からは声が出るかも疑わしい。
だが、それでもだ。
今伝えなくてはならない、そう直感する乱菊は告げる。
『好き───愛してるわよ、あんたのこと。ずっとずっと昔から』
百年もかかった。
置いていき、置いていかれ。
そうして何度もすれ違った先で、漸く告げられた愛の言葉。
『ねぇ、ギン……』
「……」
『あたしのこと……───ッ!』
乱菊が息を飲む。
いつの間にか、曇天からは血を覆い隠す雪がしんしんと舞い落ちる。
死神になって彼女を泣かせまいと誓ったあの日に似た空模様。
百年前は
『……いってらっしゃい、ギン』
寂しくはない。
もう、心だけは傍に居ると知れたのだから。
***
「……松本」
「……はい」
「もう立てるか」
「はい」
「まだ戦えるか」
「はい」
「それなら───征くぞ」
「はい!」
涙を拭い、泣き腫らした顔を晒す乱菊は、覚悟を決めた顔を湛えていた。
追うのは隊長の───此度の戦火を拡げた元凶を打ち倒しに向かう男の背中だ。
「必ず……必ずだ。ユーハバッハの野郎を倒すぞ! 市丸の……皆の仇を取る為にもだ!」
愛に生きた男の生き様を魂に刻み、彼らは進む。
***
「あちこちで霊圧の衝突が起こってるのう……」
「あれは……冬獅郎の霊圧だったな」
先導する夜一に続く一護が、空を覆う暗雲が晴れていく光景を見て呟いた。
「冬獅郎くん……それに乱菊さんも。なんでだろう、この霊圧……とても悲しい気持ちが伝わってくるの」
胸に手を当てる織姫は、伝わってくる感情に心を痛ませていた。
ただ事ではなさそうだ。
それこそ、最愛に等しい人を失った喪失感に似ている。これほどの規模の戦争だ、いつ誰が死んでもおかしくはない状況だが、だからといって死んでもいい人間など一人も居ない。
「それにしても、他の奴等の霊圧は随分前に居んな。俺らよりもユーハバッハに近ぇんじゃねえか?」
「喜助が何かしたか、はたまた別の手段か……どちらにせよ今の儂等には前進の道しかない。急ぐぞ、霊王宮がユーハバッハの手に落ちた今、一刻の猶予もありはせんのじゃからな」
急かす夜一に、一護は静かに頷いた。
浦原のお蔭で霊王宮に辿り着いたはいいものの、到着した頃には零番隊が全滅し、果てには霊王が剣に貫かれていたのだ。
(あの野郎……俺ん中の滅却師の血がどうとか言いやがって)
そして、謀られたのだ。
剣に込められていたユーハバッハの霊圧が、一護の滅却師の力と呼応し、一時的にではあるが体の主導権を握ってきたのである。
詳しい原理は分からない。
だが、体の自由を奪ったユーハバッハに、一護はまんまと霊王を袈裟切りにし、三界崩壊に決定打をかけてしまった。
すぐに
夜一が寸前で目印に打ち込んだ楔を頼りに、黒腔から舞い戻ってきたものの、その頃にはこの有様だ。既に霊王宮は滅却師が支配する新たな城として生まれ変わっていた。
(落ち着け。俺の親父は黒崎一心で、俺のお袋は黒崎真咲だ。奴が親だなんて妄言に惑わされるな)
頭を振って、ユーハバッハから告げられた言葉を思い返す。
自分が滅却師の血を引いている事実など、とうに母から告げられた筈だ。例え本当に全ての滅却師の始祖としてユーハバッハが君臨していようが、自分の親は決して奴などではない。
「痛い? 黒崎くん」
「井上? いや、ほら。舜盾六花のおかげで傷は塞がってるし───」
「ううん、痛いよね。石田くんに撃たれたんだもん……」
織姫の言葉で瞳を見開く一護。
すれば、今は塞がった矢を受けた肩口がじくりと痛んだ。
「……井上」
「あ……ご、ごめんね! 蒸し返したい訳じゃなくって……」
「いや、いいんだ。おかげでもう一発分石田を殴るのを忘れるとこだったぜ」
「まだそれ覚えてたんだ!」
「ったりめーだ! いくらなんでも矢ァブッ刺すのはやり過ぎだろ! いよいよあの澄ました顔ごと眼鏡ぶん殴ってやらなきゃ気が済まねえ……!」
募る苛立ちを露わにする一護に、織姫は乾いた笑い声を漏らす。
「まったく、血の気が多い奴じゃのう……」
───まあ、ショックで腑抜けるよりはいいが。
そう夜一は独り言つ。
一護は人並外れた根性こそあるが、年相応に膝を崩す事も少なくない。それを理解しているからこそ、怒りで奮起する今の彼の姿には胸を撫で下ろしていた。
銀城の一件での経験則から、仲間に裏切られる事と護る力を奪われる事、この二点こそが一護という刃が折れる状況だと把握している。
雨竜に裏切られ、意気消沈していないかと心配していたが───どうやら杞憂だったようだ。
(問題は道中敵の襲撃があるかどうかじゃが……)
敵軍の本丸に足を踏み入れた以上、考え得る迎撃方法は二通りだ。
───待ち構えているか、向こうから向かってくるか。
ユーハバッハは頭目である以上、仰々しい城の天辺に居座っているだろう。
しかし、彼の側近と見られる神赦親衛隊もそうだとは限らない。一瞬の対峙であったが、それだけでも
彼らが同時に来れば勝ち目は薄い───が、そもそもその可能性もまた薄いだろう。
現状、護廷十三隊本隊が真世界城に侵入しているのだ。自分達が上がってから移動した時間を考慮しても、敵が早々に展開できたとも、守りを手薄にして攻めに出たとも考えられない。
寧ろ戦力を結集させ、本丸で待ち構えている可能性が高い。
(さて……できればこのまま会敵しなければいいんじゃが)
と、考えを巡らせる夜一の視界に光が閃く。
「ッ、避けろ!!!」
隠密機動で鍛えた観察眼、そして反射神経を以て回避を促す。
「なッ……!?」
だが、それでも遅過ぎた。
軌道すら見えぬ狙撃は、一護らが集まったまとまりの後方に陣取っていた岩鷲の胸に大きな空洞を穿つ。
「ちぃ!」
「岩鷲!!?」
「足を止めるな! 狙い撃ちにされるぞ!」
突然の襲撃に動揺が奔るも束の間、夜一の一喝が直ちに全員を臨戦態勢に移させる。
一護は斬月を抜き、泰虎は両腕の拳を握り、織姫は舞う花弁に祈りを捧げ、言われた通りに足を動かす。
「夜一さん、どこから撃たれたんだ!?」
「わからん! じゃが、こちらから索敵できぬ位置から撃ってるのは確かじゃ!」
「じゃあ……打つ手はねえのかよ!」
「岩鷲の傷から撃たれた方角を推測するしかあるまい! 少々遠回りになるが、建物の陰に隠れて進むぞ!」
「くそ……!」
倒れた岩鷲を捨て置くしかない現状に歯噛みする一護は、何処に潜むかも分からぬ襲撃者に睨みを利かせる。
しかしながら、その甲斐もなく数分後には第二撃がやって来た。
「ムッ……!?」
「チャド!」
「茶渡くん!?」
光が瞬いたのと同時に、咄嗟に右腕の盾を構えた泰虎が、その盾ごと胴体を撃ち抜かれたではないか。
余りにも綺麗な貫通の痕。放たれたのが弾丸なのかも疑わしい攻撃は、着実に一護に焦燥と危機感を覚えさせて精神を削っていた。
「また来るぞ!」
また数分後、半ば無意味だと知りながらも叫ぶ夜一の声に、今度は織姫が抗わんと紡いだ。
「五天護盾……私は拒絶する!」
泰虎よりも速力に劣る自覚のある織姫に残された手立ては、必然的に防御しかない。
事象の拒絶───破壊不能と言われた崩玉すらも、融合前に回帰した力を組み込めば、如何なる弾丸であっても受け止められる。
そう踏んだ織姫の心臓を、不可視の弾丸は難なく抉り抜いた。
「う……そッ……」
「井上ェ!!」
「気を逸らすな!! 避けることにだけ集中しろ!! ッ───ええい!!」
「がっ!?」
次々に倒れる仲間に慟哭する一護を、瞬歩で迫った夜一が蹴り飛ばす。
刹那、一護を庇った夜一の脳天が滅し飛んだ。苦悶の声を上げる間もなく絶命し、地面に崩れ落ちる夜一の姿に、一護の体は頭を過る最期の言葉の残響に従った。
「くそ……なんなんだよッ……くそォ!!!」
最早隣に並ぶ友は無く、共に戦ってくれる仲間も居なくなった。
「誰なんだ……一体何処から───」
真世界城を見上げる一護。
その時、視線の先で光が閃くと同時に、彼の世界は闇に鎖された。
***
「───特記戦力とはいえ、僕の敵じゃあない」
構えていた狙撃銃を担ぎ、腹這いの体勢から身を起こす男。
褐色の肌が装束の純白を際立たせる滅却師は、なんの感慨もなさそうに鼻を鳴らした。
「どんな堅牢な盾だろうと、どんな鋭利な刃だろうと───僕の前には等しく貫かれる」
“X”
“
神赦親衛隊の一人であり、星十字騎士団の中でも屈指の射撃能力を誇るリジェ。
彼の聖文字“万物貫通”は、神聖弓『ディアグラム』の銃口と標的に存在する万物を等しく貫通する能力。如何なる頑強な肉体でも、神の領域を侵す拒絶の力でも、決して防げはしない。
他の星十字騎士団が血眼で殺そうとしていた特記戦力筆頭を殺しても尚、リジェの顔色は微塵も変わらなかった。
陛下に仕える神の使いである以上、仇為す賊軍は処して然るべき。
それが雑兵であろうが特記戦力であろうが然したる違いはない───そう言わんばかりの面持ちであった。
「次は護廷十三隊の本隊か……」
休憩する間もなく歩み始めるリジェは、次なる標的を目指す。
数だけで言えば黒崎一護の一党よりも多い護廷十三隊本隊、それが次に屠る相手だ。真正面から立ち向かえば苦戦を強いられるだろうが、斯様に馬鹿正直な真似をするつもりはない。
───着実に敵の射程外から必殺の一撃で一人ずつ仕留めていく。
それこそが神の使いとして為すべき役目。
ユーハバッハから最初に聖文字を授かった星十字騎士団としての自負と誇りが、リジェの傲岸不遜な態度とそれに比例する力の根源であった。
(さて、一度真世界城まで戻るとしよう。敵を仕留めるのに、少し城から離れてしまったからな)
侵入者を排除する為とは言え、真世界城を後にし、元々零番離殿であった街並みの方まで繰り出してしまった。
それも城を守る他の神赦親衛隊や、何よりも崇拝する滅却師の王が負ける筈がないという信頼からだ。
だが、敵を仕留めた以上、目的もなく城から離れるのは忠義に反する。
踵を返したリジェは、足早に己の城を目指して歩み始めた。
「……?」
その時、不意に覚えた
本当に些細な理由だ。あれほど陛下が警戒していた特記戦力筆頭が、ああも簡単に殺せてたまるだろうか?
自分の腕に絶対の自信はある。
それでももう一度死体を確認しなければ安心できないと疑心暗鬼になったリジェは、ちょうど先程一護を撃ち殺した場所に目を向けた。
「───ッ……なんだ!?」
目を疑った。
心臓を穿たれ、光が転げ落ちた瞳を湛える一護の死体が消えていくではないか。
それだけならば別段驚く現象ではない。霊子の世界において、死した魂魄は身に纏う衣服諸共塵となり、世界を形作る霊子の一部と化して消えゆくのだから。
問題は
普通、死んだ魂魄であれば風化した岩石が砂になるかの如く、サラサラと風に吹かれて消えていく。
だが、血溜まりに沈んでいた一護はその限りではない。
言い表すのであれば───ノイズが走った。
まるで、初めから
リジェも馬鹿ではない。
自分が撃ち抜いた黒崎一護の一党が本物ではなく、何かしらの手段で用意された偽物であると瞬時に理解した。
だがしかし、持ち得る
(浦原喜助か? 奴が霊王宮に上る前に、義骸か何かを用意して……)
最も可能性が高いのは、一護とは別に特記戦力として選び出された未知数の“手段”を持つ男、浦原喜助の用立てだ。
思考を巡らせる間、リジェは今一度真世界城に背を向け、侵入者がやって来るであろう零番離殿に体を向ける。
スコープを覗き、何処から標的がやって来ても撃ち抜けるようにと。
───スッ───
それは余りにも唐突な襲撃。
銃を構えたばかりのリジェにとって、完全に不意を衝く攻撃であった。
「なっ……」
斬られた、背中側から。
肩から腰にかけて一閃。余りにも滑らかに入った刃には、リジェは一度撃ち殺した零番隊のラッパー風情が来たのかと錯覚した。
しかし、どうにも違う。
斬られた痛みも無ければ、傷から血が流れる事もない。
───挟まれた?
己という魂の中に、得も言われぬ異物を挿入されたかのような違和感を覚えるも束の間、今度はビリビリと肌を焼きつける霊圧が迫ってきた。
「───月牙天衝」
「くっ」
咄嗟に屈めば、先程まで自身の頭が佇んでいた高さの延長線上に佇む建物が、斬撃と共に解き放たれた霊圧の刃に両断される。
想定外の奇襲を受け、一旦態勢を整える必要があると考えたリジェは飛び退き───謎の来襲者をその目に捉えた。
「ちっ、外れたかよ……」
「あーあ、折角のチャンスだったのに」
「うるせえ、お前が挟み込まずに斬り殺してれば済んだ話だろうが」
「どんな相手にも“挟み込んで”万全を期すのが僕のやり方さ。君も知ってるだろう?」
「ちっ……メンドくせぇ」
身の丈程もある大剣を構える大柄な男と、何の変哲もないような刀を握る長身痩躯の男が気安く語り合っている。
「……お前達は何者だ? 情報にはない顔だ」
しかし、無名にしては木っ端とは思えぬ霊圧だ。
眉尻を顰めるリジェは反射的に問いかけたが、それに長身瘦躯の男の方が薄ら笑いを湛えて答えた。
「本当? 僕らのこと知らないの?」
「……少なくとも初対面の筈だが」
「いいや、違うさ。
「……? ……ッ……!」
怪訝そうにするリジェ。
刹那、彼の脳裏には無数の記憶が溢れ出た。幼い頃から今に至るまで、ありとあらゆる場面が思い起こされる中───その人生の中で大きなウエイトを占める重要な記憶の中には、いつも“彼”が傍らに立っていた。
「お前は───月島秀九郎……!?」
慄くリジェに。
笑みで応えた月島は、隣に佇む男に一瞥をくれる。
「良かった、思い出してくれたみたいだよ。
「へっ、そうかよ。そりゃあ良かった」
「じゃあ、これからどうする?」
「……決まってるだろ」
握っていた大剣を振り翳す男───銀城空吾は、未だ困惑の渦中にある滅却師目掛け、処刑人の刃を振り下ろす。
「義理を返すんだよ。あいつらにな」
───彼らはXCUTION。
世界から見放されたはぐれもの。
誰よりも、何よりも。
愛を求めては、見放した世界へ断罪の力を振るう私刑の執行人。
原罪を魂に宿し、神の領域を侵す者達は、神の使いの敵として立ちはだかった。
理由は、それは酷く単純なもので。
───それでも愛したものを、護る為。
「───そういう訳だ。行け、一護」
「───おう、サンキューな。銀城」
死神の代わりに護ろうとした意思は、確かに次代に受け継がれ、
*設定解説*
・神の試練(ヴァーハル)…ペルニダの滅却師完聖体。手を繋ぎあったような光輪が頭の上に浮かび、翼も手のひらのような形になる。名称の由来はヘブライ語の『試練』を意味する『パーバル』。
・灰冠(はいのかんむり)…乱菊の卍解。乱菊自身が『灰猫』となり、実質的に物理攻撃を無力化できる半生半死状態へとなる。灰の身体は任意で玻璃(ガラス)へと変化させられ、灰状の刀身時よりも高い攻撃力を期待できる。半面、鬼道系の範囲攻撃には弱い一面があり、特に滅却師の扱う霊子の収束や隷属には肉体を奪われるも同然の為、相性が悪い。
名称の由来は『シンデレラ(灰被り)』の類似した作品の一つ『灰被りの猫』。灰猫からの連想でした。