BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*93 MASK

「死ぬなよ、銀城」

「殺した奴が言う台詞かよ」

 

 不意に現れた空間の裂け目───黒腔より飛び降りる黒崎一護の一党。

 口振りからして偽物ではない確信を得たリジェがディアグラムを構えるも、すぐさま大剣を振るう銀城によって阻まれる。

 首にかけた十字架のペンダントを変形させた完現術だ。織姫程の特殊能力はないにせよ、斬月のように単純なパワーに優れている。

 

 咄嗟に避けるリジェ。その間にもぞろぞろと黒腔から飛び降りる一護と破面の混成部隊は、XCUTIONに任せて先を急ぐ。

 

 尚も銃口を向けんとする狙撃手であったが、宙に浮かぶ裂け目はたちどころに広がり、銀城達ごと謎の空間に包まれる。

 周囲に構築されるビル群。射手にとって不利な見晴らしのいい光景が広がった。

 

 一瞬にして地の利を潰され、リジェは眉間に皺を寄せる。

 

「奇怪な術を……」

「てめえの相手は───俺達だ」

「そういう訳さ。()()()()()、お手柔らかに頼むよ」

「……」

 

 大剣を構える銀城の隣に立ち並ぶ月島へ、リジェの表情が苦心に歪む。

 それはまるで、長い時を過ごした同志と刃を交えなければならぬ戦士の苦悩がありありと現れているようであった。

 

 初対面は先程の筈なのに、リジェにとって月島秀九郎という男はユーハバッハに忠誠を誓うより前に固い友情で結ばれた親友に等しい存在なのだ。

 だからこそ、表面上は冷静を保っていても銃口には迷いが生まれる。

 

 すると、空に現れるホログラムに幼さを残す少年の顔が浮かび上がった。

 

『相変わらずあくどい能力だね。まあ、その調子で頼むよ月島さん』

「ああ、任せてよ雪緒。リルカとギリコも援護よろしくね」

『お任せを』

『ちゃっちゃとやっつけちゃってよね! あたしが協力してやってるんだから!』

 

 画面の端に移り込む眼帯を着けた壮年の男性と、ピンク色のツインテールが眩い少女も、滅却師に対峙する二人に各々の性格がにじみ出るような応援の言葉を投げかける。

 

 彼らは『XCUTION』。

 現世にて、異能を持つが故に普通の世界より追いやられた完現術者の集い。

 ()()()()()()宿()()()、世界にとってのイレギュラー。

 

 

 

「そういう訳だ。てめえが死ぬ迄付き合うぜ、滅却師」

 

 

 

 神の領域を侵す者達は、神の使いに刃を向ける。

 

 

 

 ***

 

 

 

「大儀じゃったな、ロカ。お主が居なければまんまと狙撃されておったところじゃ」

「いえ、私だけの力では……雪緒さんの完現術があってこそです」

「そう謙遜するな。お蔭で儂らは無傷で先に進める」

 

 XCUTIONに任せ先を急ぐ一護達。

 先頭を行く夜一は、“反膜の糸”で今回の作戦の中核を担った女破面へ礼を述べる。

 

「お主の反膜の糸による認識同期の再現と、雪緒の『画面外の侵略者(デジタル・ラジアル・インヴェイダーズ)』による分身体を先行させ、黒腔から滅却師の城に近づく……まったく、喜助の奴め。儂が居らぬ間にも色々と知略を巡らせおって」

 

 そして、予め今回の事態を予見した作戦を立案していた幼馴染に、期待通りだと言わんばかりの笑みが零れた。

 霊王宮から撃退された際、霊王宮大内裏に目印の楔を打っていた夜一だが、そこまでの移動手段を考案したのは他ならぬ浦原だ。

 その方法こそ、XCUTIONの一員である少年の完現術と、狂気の科学者である虚が造った破面が持って生まれた再現能力の組み合わせである。

 

 理屈は前述の通り。

 要約すれば、リアルタイムで座軸を把握できる分身体を先行させ、安全圏から後追いするというものだ。

 単純に滅却師の街並みと化した霊王宮を突き進むよりも、不意の襲撃に遭っても被害が最小限になるメリットがある為に採用された案であったが、これらには他ならぬ雪緒を含めた完現術者の協力がなくば成し得られない。

 

「奴等に任せておけば背中は安全じゃろう。じゃが、前から来る敵は儂等が対処せねばならんぞ。気を引き締めろ」

「回りくどい真似しやがって。さっきの野郎も直接ぶっ殺してやればよかっただろ」

「まったくだぜ! あーあ、俺なら楽勝だったのによー!」

 

 しかし、不平不満を垂れる破面が二人。

 それを窘めるのも、また破面だ。

 

「口を慎みなさい、グリムジョー。慢心すれば足下を掬われるわよ」

「驚いたな、ヤミー。お前じゃあ的にされる木偶の坊が精いっぱいだと思ったんだがな」

「「アァ!!?」」

 

 やや棘のある言い草に、揃って二人が声を荒げる。

 破面№6(アランカル・セスタ)グリムジョー・ジャガージャックと、破面№10(アランカル・ディエス)ヤミー・リヤルゴ。

 破面の中でも指折りの実力こそ誇るが、粗野で粗暴な口振りから分かる通り、自身の実力を過信するが故に不覚を取りやすいのが彼らだ。

 

 ヤミーを窘めた───というより弄った───のがウルキオラであるのに対し、グリムジョーを窘めたのは癖のついた緑髪を靡かせる美女である。

 顔に刻まれた横長の仮面紋と欠けた仮面の名残が特徴的な彼女は、かつて十刃でありながらも、その慈悲故にとある破面の憎悪に襲われた悲劇の女傑だ。

 

「敵地を突破する事がどれだけ危険か分からないとは言わせないわ。私達は虐殺をしに来たんじゃないの。世界を護る為……勝ちに来たのよ。そこを履き違えないで」

 

 

 

第3十刃(トレス・エスパーダ)

ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク

 

 

 

 破面の幼女『ネル・トゥ』の真の姿こそ、この妖艶な美女だ。

 頭部と仮面に負った傷から霊圧が流出し、記憶を失くした上で子供の姿と化していた彼女だが、浦原の作った腕輪の機能により自由に大人へ変身できるようになった。

 数年のブランクこそあるが、それでも第5十刃(クイント・エスパーダ)だったノイトラと互角の戦いを繰り広げられる実力は折り紙付きだ。

 

 集う破面はいずれも十刃クラスの実力者であり、死神で言えば隊長格と同等の。味方となればこの上なく心強い存在である。

 ……やや協調性に欠ける点が玉に瑕だが、今のところ致命的なレベルにまで至っていない事が幸いか。

 

(浦原さん、よくこいつらを味方にできたな……)

 

 協力するに至った経緯を知らない一護にしてみれば、不思議でしかない面子である。

 しかし、それも浦原の話術あってこそだと思えば辻褄が合う。グリムジョーもヤミーも短気で直情的。奇しくも一護と似通った性格をしている。

 となれば浦原に舌戦で勝てる筈もなく、まんまと言いくるめられた光景が目に浮かぶというものだ。

 

 だが、こうも内輪でピリピリされても必要以上に神経が磨り減る。

 

「なあ、ウルキオラ。お前がビシッと言やあ丸く収まるんじゃねえか?」

「十刃の序列はあくまで殺戮能力に則っている。階級を理由に諍いを収めようとするのは、力で恫喝するのとなんら変わらん」

「あー……」

 

 ならば彼らが言う事を聞く筈はないだろう。

 何となくではあるが、一護は察した。

 

「お前も苦労してんだな……」

「どういう意味だ」

「いや、こんな奴等をまとめなくちゃならなくてよ」

「まとめているつもりはない。俺はあくまで第4十刃(クアトロ・エスパーダ)、ウルキオラ・シファーだ。虚夜宮の守護こそが今の俺の果たすべき任務。この馬鹿共の諍いを止めるのもその延長に過ぎん」

 

 淡々とウルキオラが紡げば、『誰が馬鹿だって!?』と怒号が飛ぶ。

 余りにも小気味いいテンポで繰り広げられる会話に、思わず織姫の頬は綻んだ。

 

「みんな仲が良いんだね! ウルキオラくんにも友達が居るみたいで、あたし安心しちゃった……」

「……これを仲が良いと言っていいのか」

 

 泰虎にとっては疑わしいところだが、彼女の目から見れば仲が良い範疇らしい。喧嘩する程なんとやらというが、喧嘩にしては殺気が満ち満ちている気がする。

 首を傾げつつも、それ以上の言及を止める事に決めた泰虎は、静かに口を一文字に結ぶ。それ以上は墓穴だからだ。

 

「無駄口はそれぐらいにしておけ」

 

 と、たわいない会話を止める夜一。

 

「どうにも、さっきから凄まじい霊圧を感じるのう。滅却師の城の目の前じゃ」

「! ……誰かもう戦ってんのか」

「左様。じゃが、儂には憶えのない霊圧ばかりじゃ」

 

 何奴かのう……、と顎を擦る夜一であったが、機械のように淡々とした声が返ってくる。

 

「───あれは、コヨーテ・スタークとティア・ハリベルの霊圧だ」

「知ってんのか、ウルキオラ?」

№1(プリメーラ)№3(トレス)、俺より序列は上だ」

「……マジかよ」

 

 ウルキオラよりも階級が上と聞き、一護の顔から血の気が引く。

 幾ら自分が過去より強くなろうが、当時の刀剣解放したウルキオラに手も足も出なかった記憶は拭い去れるものではない。

 

「だが、空座町に侵攻してから音沙汰がなかった。てっきり死んでいたものとばかり思っていたんだがな」

「……よかったね、ウルキオラくん」

「何がだ、女」

「知っている人が生きててくれて。なんだか、ウルキオラくんがホッとしたような顔してたから」

「……俺が?」

 

 硝子玉のように無機質な瞳が見開かれる。

 そのまま己の顔に手を振れるウルキオラ。だが、織姫の言うような表情の変化は触れてみただけでは分からない。

 

「俺の自覚しない機微でも判るとでも言うのか」

「え? いや、ううん。そんなわかった気になってるつもりとか、そういうんじゃなくって」

「ならばなんだ」

「なんだろう。上手く言えないんだけど……ウルキオラくんの心が伝わってきた、っていうか」

「……そうか」

 

 頭ごなしに否定する訳でもなく、静かに目を伏せる。

 

「お前の目には、そう見えるのか」

 

 存在の否定など、疾うに止めた。

 それが無駄だと───虚しいと悟ったからではない。確かに在ると自覚させたのは、他でもない彼女達であるのだから。

 心あるが故に絶望的な力の差を覆す奇跡を起こしてみせた彼らを、ウルキオラは否定しない。

 

 少なくとも解る。

 心は、魂の原動力だ。

 だからこそ彼らは尚も進み続けている。

 

「頭の片隅には留めておこう」

「! ……うん!」

 

 自身の言葉を拒絶せずに受け入れるウルキオラに、織姫は一瞬呆けたようにあんぐりと口を開いた後、鷹揚に頷いた。

 人間と破面。元を辿れば、人間と虚という被食者と捕食者の関係であるが、それを思わせぬ穏やかなやり取りに、一護と泰虎もまた口元に微笑を湛えた。

 

 これもまた井上の強みか、と感心する夜一は、程よく緊張が解れたところで口を開く。

 

「顔が利くのなら安心じゃのう。味方かもしれん相手に襲われる心配がなくなった」

「縁起が悪ィこと言うなよ……」

「何分状況が混沌としておるからのう。喜助とも連絡を取り合いたいところじゃが、それもままならん。ロカ、お主の反膜の糸が頼りじゃ。霊王宮中に情報網を張り巡らせてくれ」

「かしこまりました」

 

 げんなりする一護を余所に、情報網の拡大をロカに頼む。

 過去に、瀞霊廷と同時並行で現世にも糸を張り巡らせた実績のあるロカにかかれば、時間さえあれば霊王宮全土に情報網を拡げ、アーロニーロの能力“認識同期”を再現し味方との連絡を取り合うことができるようになるだろう。

 戦場で最も恐ろしい状況は“孤立”。

 救援も増援も望めぬ中、単独で敵に囲まれでもすれば、生存は絶望的になる。

 敵が零番隊───言い換えれば護廷十三隊全軍に匹敵する彼らに勝る力を持っている以上、少しでも多くの戦力を結集させなければ勝機はない。

 

 それこそ、護廷十三隊以外の戦力───破面や帰面、完現術者、果てには滅却師と手を組んでこそ、未曾有の危機に瀕す三界の未来は切り開かれるだろう。

 

「急ぐぞ、早くしなければ()()がやられるやもしれん。儂等も加勢してやらねばのう」

 

 好戦的に笑う黒猫は、一度とった不覚を一矢報いる気概に満ち溢れている。

 それに応じる一護もまた同じだ。

 

「───おう! この際だ、全員でユーハバッハのところに殴り込んでやろうぜ!」

 

 人間でも。

 死神でも

 滅却師でも。

 虚でも。

 完現術者でも。

 

 誰であろうと関係ない。

 護りたい未来が同じ世界であるのならば、手を取るのに些少の躊躇いも要らない。

 

 

 

 一護の瞳は、煌々と輝く希望の光に満ちている。

 

 

 

 今は、まだ……───。

 

 

 

 ***

 

 

 

 静けさが落ちる街並みの中、一人の男が肩で息をしていた。

 

「はぁ……はぁ……どうにか撒けたか? あ~、ちくしょう……」

 

 恨めしげな声色を紡ぎ、流れる滝の汗を手の甲で拭う。

 喉が渇いた時にと用意したはずのカフェオレ入りの水筒は、逃げるのに必死になったせいか、どこかで落としてしまったようだ。

 好物を失ってしまったナックルヴァールに残ったものはない。

 緊張感が解け、ドッと押し寄せる疲労と落胆に肩を落とす。

 

「あのバケモンめ。俺の毒入りボール(ギフト・バル)喰らったのにあんな動けるなんざ予想外だぜ……」

 

 剣八との鬼ごっこは地獄に等しい時間だった。

 

 “致死量”を操作し相手を殺すナックルヴァールにとって、異常なまでに体が頑丈で、尚且つ霊圧をほとんど用いないパワー型の戦士は苦手な部類に入る。

 剣八などはその典型。鬼道を使えなければ、斬魄刀も鬼道系ではなく直接攻撃系である。

 ただただ純粋な力で叩っ切ってくる剣八は、まさにナックルヴァールの天敵だ。

 

「あ~、怖かった……寿命が縮んだぜ」

 

 ドサリと腰を下ろす。

 と、そこへ近づく足音に、思わず背筋がピンと伸びて立ち上がる。

 いつでも逃げる準備が整えば、キラリと光を返す禿げ頭が現れた。

 

「敵か!? あいつは……隊長が追っかけてた奴じゃねえか! 隊長はどこ行っちまったんだ……?」

「やれやれ、こんなところに逃げ隠れていたとはね」

「ほっ……更木剣八じゃなかったか」

 

 胸を撫で下ろすナックルヴァールの前に現れたのは、剣八が率いる十一番隊の猛者───第三席・斑目一角と第五席・綾瀬川弓親だ。

 

 しかし、その反応がどうにも彼らの癇に障った。

 

「な~に安心してやがる。こんな時、喜ぶべきはてめえじゃなくてこの俺だ」

「はあ?」

「十一番隊第三席・斑目一角だ! さァ、てめえも名乗りやがれ」

「……いや、嫌だよ。なんでアンタに自己紹介しなくちゃなんねえんだ」

「おォい!? 折角こっちが自己紹介してやったのに、なんてつれねえ奴なんだ!」

 

 嘆かわしいと言わんばかりに喚き立てる一角に、ナックルヴァールは唖然とする。

 

「だってよォ、これから殺す相手に名乗ったところで無駄だろ?」

「はっ、てめえはそういうクチか。前にも似たような事言う野郎とやり合ったぜ」

「で? そいつは殺したってか」

「話が早ェな」

 

 獰猛な笑みを湛える一角が刃を抜く。

 何の変哲もない日本刀を片手に握り、もう片方に鞘を握る。これが一角のスタイル、つまりいつでも戦えるという意志表示───臨戦態勢だ。

 

「死ぬ前にてめえを殺した相手の名前くらい知りてぇだろ」

「成程ねェ、そういう流儀(スタイル)だ。だが、俺から言わせてみればスマートじゃねえな」

「あぁ?」

「流儀に酔って勝ちを捨てるなんざカッコよくないじゃない。()()()()()、斑目一角。アンタが卍解使えるってことは」

 

 ほんの少し一角の瞳が見開かれた。

 が、それもありえなくはない話だとすぐに驚愕は捨て置かれる。瀞霊廷でも一部の人間には明かしている事実だ。瀞霊廷の影に存在していた見えざる帝国であれば、自身が卍解を使える情報を知っていたとしても不思議ではない。

 

「だったらなんだ?」

「持論だがね、流儀に酔って勝ちを捨てるのが三流。流儀を捨ててでも勝ちを獲りに行くのが二流。そんでもって、流儀に沿って勝つのが一流……オーケー?」

「ああ、そりゃあ同感だ」

「だからさ、単刀直入に言うぜ。戦いを楽しもうがそうでなかろうが、卍解使おうが使わまいが、俺に勝てない時点でアンタは三流以下にしかなれねえ」

「……」

「どうする? 降参しとくなら利口な三流で済むぜ」

「断る!!」

 

 刹那、一角が跳ぶ。

 

「延びろ───『鬼灯丸』!!」

 

 唱える解号。

 同時に菊池槍のような形状と化した鬼灯丸を握る一角は、長い得物を存分に生かす間合いから敵目掛けて刺突を繰り出す。

 

「おっとっと!」

「どうしたァ!? 大口叩いてその程度か!」

「はぁ……───忠告したのによ」

「ッ……!?」

 

 威勢のいい攻勢に出ていた一角であったが、突然膝から崩れ落ちる。

 似たような状況はつい先ほども見た。だが、剣八が受けた毒々しい色合いの球体は喰らっていない。

 

「どういう……ことだ……!?」

「一角!」

「───“毒入りプール(ギフト・バート)”。この範囲内で致死とまではいかないが、俺が指定したものの耐性を下げる事ができる。アンタはこの霊王宮の霊子に中てられちまってんのさ」

 

 足元を見ろよ、とナックルヴァールが告げる。

 駆け寄ろうとした弓親が目を遣れば、毒入りボールに似た色合いが地面に広がっている様子が見えた。

 “毒入りボール”は触れなければ済むが、こちらはそうとも限らない。範囲で指定する以上、迂闊に足を踏み入れられず、味方の救援に向かう事もできない。

 

「糞っ……!」

「致命的だぜ、アンタら。戦いが本望とは言うが、戦えもせずに死ぬんじゃあ話にもならない。そうだろ?」

「それは……どうかな! 咲け───『藤孔雀(ふじくじゃく)』!」

「!」

 

 苦虫を嚙み潰したような面持ちであった弓親が、やおら始解を披露する。

 身構える、が実際のところは脅威ではないと踏むナックルヴァール。鬼灯丸同様、藤孔雀は直接攻撃系の斬魄刀だ。炎が出る訳でもなければ、氷が出る訳でもない。

 距離さえ取っておけば斬られる心配もなく、寧ろ近づかれた方が好都合だ。“毒入りプール”が敷かれている以上、不用意な接近は命取りなのは明白。

 

 考えなしに突っ込んでくるならば、そのまま毒の海に沈めてやろう。

 そう考えていたナックルヴァールであったが、

 

「破道の五十八『闐嵐』!」

「おっとォ!?」

 

 扇子の如く開かれる刀身の刀が回り始めれば、途端に周囲の砂や埃を呑み込む旋風が生み出される。

 突然の強風、そして鬼道に面食らうナックルヴァール。

 しかし、静血装さえ展開していれば無傷で過ごせる程度の威力だ。

 一体何のつもりだ───そう訝しんでいれば、地面に伏せていた一角の体が風で持ち上がり、明後日の方向へと吹き飛ばされていくではないか。

 

「うおおお、そっちかよ!?」

「一角は返してもらうよ!」

「───恩に着るぜ、弓親!」

 

 “毒入りプール”の範囲外に押し出された一角は、すぐさま体勢を整えて立ち上がる。

 若干中毒症状の影響が尾を引いてこそいるが、比較的短時間であった為、そこまで酷い状態ではなさそうだ。

 

「さぁて、仕切り直しといこうか!」

「……はぁ、まだやる気? そっちの奴が鬼道使えるのは分かったけど、アンタも使えるって訳じゃあねえだろ」

「チッ……」

「近付いたらお陀仏。アンタらがお好きな喧嘩なんてもの、俺に望まないでくれるか?」

 

 憮然と言い放つナックルヴァールであるが、事実言う通りだ。

 接近戦において真骨頂を発揮する二人にとって、近づけぬ敵とは何ともやり辛い手合いだ。

 

 近づけば毒に沈み、離れれば斬り合えない。

 生粋の十一番隊士である二人には、何とも歯がゆい状況であった。

 

(ツイてねえな……斬り合いもできねえんじゃあな)

(瑠璃色孔雀ならまだしも、一角の前じゃあね)

 

 剣八程規格外な頑丈さを有していない二人にとって、無理やり斬り込む真似などできたものではない。

 千日手、と呼ぶのは烏滸がましい。

 圧倒的不利。二人にはほとんど打つ手が無いに等しい状況であった。

 

 

 

「───フム、致死量を操る能力か。興味深いネ」

 

 

 

「「!?」」

「……アンタは」

 

 睨み合っていた三人の下に響く声。

 構えはそのままに視線だけを動かせば、記憶に焼き付く奇抜な化粧が嫌でも視界に飛び込んでくる。

 

「───涅マユリか」

「ホウ、私の名前を知っているとは。随分と勤勉なようだネ。敵ながら感心するヨ」

「明け透けな嘘はやめろよ。特記戦力にこそ入ってないが、アンタは俺ん中じゃ要注意人物だ。できりゃあ関わりたくない相手トップ10には入ってるぜ」

「特記戦力……ああ、君達が呼んでいる六人の事か。黒崎一護、更木剣八、藍染惣右介、兵主部一兵衛、浦原喜助、芥火焰真───私が取り立てる必要もない人間を入れている辺り、滅却師の底が知れるというものだヨ」

「……よくご存じで」

 

 誰から聞いたが知らないが、こうして見えざる帝国の情報を仕入れている点で既に警戒に値する人物には違いない。ナックルヴァールは確信した。

 

「でもアンタは芥火焰真に負けた。()()()()()()()()、な」

 

 だからこそ、揺さぶりをかけてみる。

 剣八のように本能のままに戦う者とは違い、マユリのように知力や技術が武器の手合いは得てして思考力を他に割いた途端、隙が顕著となる。

 

 挑発の効果は如何程か───平静を装うナックルヴァールに対し、マユリは告ぐ。

 

「そこまで知っているのかネ。そこまで目をかけているとは、余程奴を畏れている……と見ていいかな?」

「……なんだよ、案外怒らねえじゃねえか」

 

 眉の一つも動かさずに、あろうことか逆に煽り返された。

 

「アンタは自分の頭が通用しない相手にゃ怒り心頭になるタイプだと思ったのによ」

「何を言うのかネ、自分の想像の域を越えないものに悦びを見出せるものか。科学者というものは何よりも未知を好む生き物。予想通りの結果に落胆はあっても悦楽はないヨ」

 

 金色の歯を覗かせて嗤うマユリは、コキコキと人差し指を鳴らす。

 歪に歪む白指の先は、少し離れたナックルヴァールの輪郭をじっくりと、そしてゆっくりとなぞる。

 

「サテ、君はどうかな? “致死量”を操るんだ、薬の一つや二つを受けても死にはしないんだろう? 用意してきた薬ならごまんとある。是非とも、遠慮なく検体になってくれたまえヨ」

「……だから、やり合いたくなかったんだ。アンタを殺すには色々試さなきゃならなさそうだしな」

「それはつまり───期待してもいいという事かネ?」

 

 やれやれと俯くナックルヴァール。

 頑なにマユリと戦いたくない理由を言えば簡単だ。

 

(『致死量(デスディーリング)がある』なんて舐めてかかりゃあ、やられるのはこっちだ)

 

 それはマユリの飽くなき探求心によって製造された薬の数々に在る。

 マユリの血液から作られたものもあれば、そうでないものもある。卍解で散布される即効性の毒もあれば、じわじわと身体を蝕む遅効性の毒もあるだろう。さらに言えば摂取した量に関係なく、こちらを無力化する薬がないとも限らない。

 

 浦原喜助の恐ろしさを円転滑脱の権謀術数にあるとするなら、涅マユリの悍ましさは奇怪千万な奸智術数。

 倫理や道徳を排斥したからこそ生み出される発明の数々は、凡人の想像を遥かに超える手段として牙を剥く。

 

───ああ。なんで俺ばっかり、こんなめんどくせえのと当たるんだよ!

 

 心にどくどくと湧き上がる厭気に顔を顰める。これより訪れるであろう倦厭を思えば、今から帰りたくて堪らなくなるようだ。

 だが、困った。

 厭で厭で堪らないというのに、胸を満たす厭気は甘美な毒として全身を巡る。目の前に迫る死が、何よりも自身の生を実感させるというのだから、ナックルヴァールは自分も同じ穴の狢だと自嘲する。

 

「好奇心は猫も殺すってか。どうやら俺も、()()()()()()()()()()()()()()

 

 毒を以て毒を制す蠱毒の戦いは、静かに幕を上げようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もしかして俺ら蚊帳の外か?」

「そうかもね」

 

 

 

 ***

 

 

 

 リジェ・バロは、最初に聖文字を与えられた滅却師だ。

 

 それはリジェにとって誇りであり、自分が他の星十字騎士団の誰よりも勝っているという自負にも繋がっていた。

 事実、星十字騎士団内でも屈指の実力者に位置する彼は、神赦親衛隊に抜擢されている。

 一度は二枚屋王悦に不覚を取ったものの、聖別により復活した後は一矢報い、そのまま他の零番隊を数名打ち倒した。

 

 護廷十三隊の隊長格を遥かに上回る零番隊を倒したリジェにとって、XCUTION等という烏合の衆に負ける理由はない───筈だった。

 

「……どういう事だ」

 

 煙くゆる銃口を持ち上げたリジェが、訝しげな声音を紡ぐ。

 視線の先では、()()()()()()()()筈の月島が平然と立ち上がっていた。走った体は液晶バグがの如く揺れ動き、次の瞬間には穿たれた穴が塞がる。

 

「───やれやれ、本当に強くて参っちゃうよ」

「どういう絡繰りだ」

「絡繰り、ってね。何度も説明しただろう? ()()()()()()()()

 

 不気味ささえ覚える張り付いた笑みを向けてくる男は、栞が変化した刀を構えながら説明する。

 

「ルールは簡単さ。戦うのは僕と銀城のペア、そして君一人だ。時間は無制限。僕らに関しては一定時間経つごとにステータスにバフがかかる」

「……」

「そしてここからがミソさ。勝敗が着く前にステージから抜け出した瞬間、()()()()()()()()()

 

 月島が視線を落とす。

 すれば、血溜まりに沈んでいた銀城が何事もなかったように起き上がる。

 

「ふぅー、また駄目だったか」

「銀城はゲームが下手だね。何も考えなしに突っ込んでっちゃ勝てるものも勝てないよ。最近じゃあバフをかけるなんて小学生でもわかるセオリーなんだから」

「へーへー、そうかい」

 

 知識でマウントを取ってくる月島に、空返事を返す銀城。

 そうした彼らのやり取りでさえ不可解だと首を傾げるリジェは、咄嗟に銃口を構え、引き金を引いた。

 刹那、迸る不可視の弾丸が火を噴く。

 しかし、それを見据えていたように掻き消える二人は、左右からリジェへと向かって刃を振るう。

 

(こいつら、僕の弾道を読み始めている)

 

 煌めく剣閃を紙一重で避ける。

 だが、脳裏には己の動きへ付いてくる敵対者の順応に対する僅かな焦燥が過っていた。

 幾ら殺せども、何度も蘇る銀城と月島。その度に隔絶していた実力差は経験、あるいは彼らが言う“アイテム”とやらによって埋められ、侮れない一閃を繰り出してくる。

 

「───だが、お前達はミスをしたな」

「なんだって?」

「そのルールとやら、聞けば聞くほど弱い君達にとって有利なものだ。覆しようがないとはいえ、実力差を認めるならば黙ったままの方が君達に利する筈」

「成程。つまり君は僕らが嘘を吐いてハメようとしてるって事を言いたい訳だ」

「でなければ、お前はただの馬鹿か狂人だ」

 

 不遜な物言いのリジェに、青年はクツクツと喉を鳴らす。

 

「そういう考え方になるのも道理だね。でも、君は分かっていない。ゲームっていうのは、お互いがルールを知ってこそだろう?」

「……成程」

 

 神速で狙いを定めたリジェが引き金を弾いた。

 

「つまり、この場でお前達を殺せばいい訳だ」

「理解が早くて助かるよ」

「雪緒! リルカ! ギリコ!」

 

 画面外に待機する仲間へ銀城が呼びかければ、続々と戦場に援軍が訪れる。

 

『ドールハウス』

 

 可愛い生き物を模したぬいぐるみがリジェへと殺到し、銃口の狙いを銀城と月島から逸らし、あるいは視界を覆い隠す。

 それを厭わず突き進む弾丸は、何体ものぬいぐるみに綺麗過ぎる銃創を残し、大群の陰に隠れていた銀城の脳天を撃ち抜いた。

 しかし、これもまた映像が揺れ動き、最初からその場に誰も居なかったかの如く霧散する。

 

『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』

 

 直後に響く飛来音。それが自身に降り注ぐミサイル群によって生み出されたものだと知った瞬間、彼の左目は眼光を放つ。

 間もなくして連なる爆音が戦場に轟く。

 超常的な力を持つ死神や滅却師であろうが、人間の括りである以上、轟音や熱波にはそれなりの効果が見込めるだろう。

 現にリジェは攻勢から一転、回避に徹するかのように爆炎から飛び退いて出てきた。

 

「くっ……小賢しい真似を」

「───卍解」

「!」

「月牙……天衝!!」

 

 紅い霊圧の刃が、神の使いへ牙を剥く。

 一護から奪った完現術───それに伴い一護の能力を得た銀城の繰り出す月牙天衝は、銀城自身の完現術と親和性が高い。

 故に、解き放つ技は相応の威力を発揮する。卍解すれば尚の事。

 生まれる前に母親が虚に襲われた銀城には、その霊力(チカラ)の根源に虚の力も混じっている。本来、卍解と虚の力は相性が悪く、仮面の軍勢に属していた隊長格でさえ虚化の暴走を危惧し、併用は止めている程だ。

 

 だが、一護のように生まれ落ちた瞬間から虚の力を持っているならば話は別だ。

 藍染に無理やり虚化させられた仮面の軍勢と違い、魂そのものに融け込んだ力は共存して然るべきと言わん活躍を虚圏で見せつけていた。

 

 銀城も同じだ。

 魂魄レベルで融け込んだ虚の力は、死神の力と反目し合う事はなく、共に自分自身の力として存分に本能の暴力を顕現させる。

 髑髏を纏った獣染みた異形。強膜は血に染まったかの如く真紅の妖しい輝きを放ち、同様の色合いの翼をその背に生やす。

 怨念の化身と称しても過言ではない悍ましい姿だ。

 だが、その静穏な瞳からは一切の憎悪の念は感じ取れない。

 ただ、只管に。胸に抱く一心のままに刃を振るう銀城は、時の神が自身の背中を押す感覚を覚えた。

 

『タイム・テルズ・ノー・ライズ』

 

 極まる力。

 全身全霊を以て、銀城はリジェを斬り捨てた。

 

「これで終いだ」

「───三度目だ」

「……!?」

 

 平然と言葉を紡ぐリジェの声が鼓膜を揺らす。

 咄嗟に飛び退く銀城は、振り抜いたクロス・オブ・スキャッフォルドに視線を移す。

 

───血がついていない。

 

 あれだけ深く体に滑り込んだ大剣に、それこそ一滴も。

 

「どういう事だ……!?」

「僕は両眼を開いている間だけ、“万物貫通”の真髄を行使できる」

 

 無傷の躰で上体を起こす滅却師は、閉じられていた左眼を見開いていた。

 照準を模した模様が浮かび上がる左眼から、特にこれといった力の波動を感じる訳ではない。

 ただ、異質であった。

 その場にリジェが居る事自体が不思議でならない感覚。視覚では彼の姿を捉えているというのに、戦場に流れる空気の感触が変わったかのようだ。

 

「つまり、僕の銃撃はお前の体を貫き、僕の体はお前の剣を貫く。この瞬間、この世界に僕を殺せる武器はなくなる」

「───ただしそれは戦闘で危機に陥ったごく短い瞬間だけ。それ以降も眼を開けていられるのは、三度目から……だよね」

「そうだ、月島秀九郎」

 

 知人のようにフランクな声音で説明を足す月島に、リジェは首肯した。

 

「お前も知っているだろう。僕は陛下が最初に力をお与えになった滅却師。陛下の最高傑作。最も神に近い男。その僕が三度も眼を開かされる事など───あってはならない事だからだ」

 

 リジェの左眼から光が解き放たれた。

 それは巨大な五芒星───滅却十字(クインシー・クロス)を為し、聖文字として刻まれていた年月分の力を完全開放するに至る。

 霊圧の波濤により巻き起こる砂塵が、たった一度の羽搏きで掻き消された。風に吹かれたのではなく、光輪や翼に霊子として取り込まれたのだ。

 

「……来たか」

「気をつけなよ、銀城」

 

 死神に卍解があるように、滅却師にも真の姿は存在する。

 滅却師完聖体。護廷十三隊に敗北を喫した滅却師が、数百年にも渡る歳月を経て昇華させた神聖なる神の尊容を体現する力。

 

 

 

「───『神の裁き(ジリエル)』───」

 

 

 

 穴が空いた四対の翼は、清廉な風を辺りに吹かせる。

 しかし、それが暴虐の嵐へと変貌したのは一瞬の出来事だった。

 

「───!!」

「ぐッ……!!」

 

 苦悶の声を上げる完現術者。

 彼らの体には無数の空洞が開き、そこからは夥しい量の真紅がとめどなく流れ出てくる。

 

(糞、避け切れなかったか……)

 

 脇腹の傷を抑える銀城は、滝の汗を流しながら光芒を振り撒くリジェを睨みつけ、大剣の鋒を掲げる。

 

「こいつはどうだ!!」

 

 解放される暴力の閃光。

 リジェの体を呑み込まんばかりの虚閃は、そのまま光放つ四肢の全てに喰らい付いた。

 だが、閃光を通り過ぎれば、五体満足の天使が悠々と宙に漂う光景が広がるばかり。ただの一つの傷すらも与えられずに終わった事に、銀城は瞠目する。

 

「なんて野郎だ……!?」

「言った筈だ。どんな攻撃も今の僕には無意味だとな」

「くそがァ!」

「……見るに堪えない悍ましい姿だ。醜悪な死神と虚の力に穢された魂───罪深いな」

 

 眩い光を迸らせる光輪。

 直後、光の輪が広がった。それは万物を切り裂く刃として振れるもの皆両断し、立ち並ぶ建物ごと二人を斬り殺さんとする。

 

「くっ、一旦退くぞ月島!」

「ああ……!」

「逃げ場なんて無い。確かに此処はお前達が用意した舞台……幻覚に近い異空間だ」

 

 戦闘の中で得た事実から推論を立てていたリジェは、考え出した打開策に則り、尚も光の輪を広げていく。

 

「霊子か何かは分からないが、実際に触れられる以上破壊は可能だ。そして、この異空間を創るのは君達の仲間……異空間の外に居るというなら僕の“万物貫通(ジ・イクサクシス)”で諸共滅し飛ばすだけだ」

 

 “万物貫通”を前には、如何なる防御も意味を為さない。

 故に如何なる拘束も無意味であり、敵が用意した戦場からの脱出も容易い。

 

「大方、君達も分身か何かだろう。決着前に脱出すれば死などという理不尽なルールの強制も、僕をこの場に留めて置く為のブラフだろう。仮に本当だとしても、ステージの破壊という穴を衝けばいい」

「チィ!」

「尤も───今の僕を殺せる方法など、ありはしない」

 

 光輪が爆ぜた瞬間、()()()()()()

 すればどこからともなく見えざる帝国の街並みを被った霊王宮が眼下に広がる。

 自身から発する光で敵の居場所を炙り出すリジェは、慄いた表情で空を仰ぐ賊軍を捉えた。まさか脱出されるとは思っていなかった───そう言わんばかりの驚愕が、ありありと浮かんで見える。

 

「これで終わりだ。裁きの光明を受けるがいい」

 

 罪人に与える慈悲などない。

 淡々と断罪の光を放たんとするリジェからは、神々しい炎が迸る。

 

「……? ……───ッ!?」

 

 ()()()()()()()()

 

 

 

「契約を破棄なされましたね」

 

 

 

 まさしく今、XCUTIONへ裁きを下さんとするリジェに対し、紳士然とした壮年の男が淡々と告げる。

 彼が右手に携えている物体は、年季が入った懐中時計。

 小気味いい音と共に針を進ませる時計と共に、リジェには全身を焼き尽くさんばかりの炎が燃え盛る。

 

「なん、だ……これはッ!!?」

「私の完現術、『タイム・テルズ・ノー・ライズ』です」

「完現術だと……馬鹿な!!? 今の僕に攻撃を当てる事なんて……!!」

「ですので、雪緒さんの創り出した空間そのものにタイマーを仕掛けたのです」

 

 瞠目するリジェに、眼帯の男は慇懃な物腰で語る。

 

「私の取り付けた“タイマー”の“条件破棄”を行った場合、“タイマー”の作用する対象は全て時の炎によって焼き尽くされます」

「時の炎……だとッ……」

「左様。私の完現術が司るものは“時”。時を贄として差し出せば相応の対価を得られます。しかし、一方で時の神とは残酷な存在。仮にも条件を破棄しようものなら、今貴男の身を焦がす時の炎による報復を受けるのです」

 

 リジェが犯した罪、それは雪緒の完現術によって生み出された空間を破壊し、脱出した事にある。

 

「神の使いを自称する貴男だ。持ち得る力は強大……とても私が身に纏う力で抗うには、かなりの時の贄を差し出さなければならぬでしょう。ですが、貴男が一方的に契約破棄を行ったのであれば話は別だ」

「なら……その二人も焼かれる筈……!」

「ああ、あれは嘘だよ。僕達にタイマーは取り付けられていない」

「!?」

 

 平然と紡がれる真実に、リジェの瞳が見開かれた。

 その様子にほくそ笑む月島は、してやったりと言わんばかりに喜色を滲ませた声音で続ける。

 

()()()()()()()()()()。まさか、君を倒す策の一つや二つを弄せないとは言わせないよ」

「まさか……()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「ああ。君の性格はよく知っているからね」

 

 陛下の最高傑作を自負するリジェは、例え銀城達が束になっても倒せぬ実力の持ち主だ───普通に戦えば、の話だが。

 完現術者とは死神や虚から斜め上に外れた異能の持ち主。

 能力の種類は千差万別で、ともすれば井上織姫のように神の領域を侵す代物を発現する場合もある。

 

 愛したものを自由に出し入れする力。

 自身が生み出す電脳の世界を操る力。

 時間を代償に、強大な対価を得る力。

 過去に己を挟み込んで分岐させる力。

 

 どれも人間が持つ事を許された力の範疇を逸したものばかり。

 その中でも月島は、特に悍ましい完現術を持っていた。

 『ブック・オブ・ジ・エンド』───栞から変形した刀で相手を斬る事で、自身の存在を相手の過去に挟み込める能力。

 それもこれも、全ての種族の始祖とも呼ばれる霊王の欠片をその身に宿すからこそ出来得る、神の御業に等しい所業。

 

 

 

 一介の神の使い如きに負ける由はない。

 

 

 

「さようなら、リジェ。君とは仲良くしていたけれど、これでお別れさ」

「つ、月島……秀九郎おおおおお!!!」

 

 怨嗟の絶叫が轟く。

 だが、名前を呼ばれた当人は全く意に介さない。興味も失せた、と刀も栞に戻す。

 ブック・オブ・ジ・エンドで挟み込まれた過去───リジェにとっては掛け替えのない思い出の数々は、時の炎によって欠片も残らず焼き尽くされる。

 

 やがて敬虔なる神の使いは、神の四肢に等しい体は消え去った。

 絶対の忠誠を尽くす我が主ではなく、万人を等しく支配する時の神によって。

 

「───時の力のなんと怖ろしい事か」

 

 塵一つ消えてなくなった場所を見つめるギリコが、神妙な面持ちを湛えて言葉を零す。

 かつては自分の取り付けた条件を破棄し、代償として右目を失った彼だからこそ、言葉の節々には実体験に基づいた愁いを帯びている。

 

「だが、勝ったのは俺達だな」

 

 告げられる勝利宣言。

 皆が振り向く先には、勝ち誇った笑みを湛える銀城が卍解を解いているところだった。

 

「即興にしては中々の連携だったじゃねえか」

「そりゃあ僕の完現術を挟んだんだ。三度眼を開いたら何も効かなくなるなんて相手、絶対に殺し切れるように色々と考えるでしょ」

 

 此度の立役者の一人である月島が、焼失した滅却師をせせら笑うように紡ぐ。

 

「『ブック・オブ・ジ・エンド』で弱点を暴いて『画面外の侵略者(デジタル・ラジアル・インヴェイダーズ)』でこっちの戦場に引き込む。そこに『タイム・テルズ・ノー・ライズ』でタイマーをセットし、後は現実の僕と銀城の動きが連動する分身体を戦わせる、と」

「ちょっと! その説明じゃあたしがなんもしてないみたいじゃない!」

「リルカも十分頑張ってくれたよ」

 

 組み立てられた勝利へのプロットに抗議するリルカであるが、彼女も『ドールハウス』で援護を担ってくれた重要な戦力の一つだ。三界以外で唯一黒腔に存在し得る空間『叫谷』に“許可証”をつけ、雪緒の完現術で生み出した空間内に取り込み事により、空間全体の強度を上げていたのである。……その叫谷に許可証を取り付ける事に最も難儀したのは、また別の話だ。

 

「これはXCUTIONにしかできなかった。皆、もっと誇りに思っていいんじゃない?」

 

 上辺だけではない。

 心の底から吐き出した月島の言葉に、三者三様の表情だった完現術者は僅かに表情を綻ばせる。

 

「さてと……滅却師を一人ブッ倒したし、最低限義理は返せたろ」

「じゃあ、もう帰る?」

「はぁ!? バッカじゃないの! ここでノコノコ帰るつもり!?」

 

 銀城と月島のやり取りに、真っ先にリルカが抗議の声を上げた。

 そんな彼女の隣に立っていた雪緒は、キンキン響く金切り声に、耳を抑えながら顔を顰めている。

 

 自分が死んだ後、少しでも関係が変わっているかと思っていた銀城であるが、相変わらずの犬猿の仲ぶりには頬も引きつる。

 

「リルカ、随分やる気じゃねえか」

「別にやる気とかそんなんじゃ……」

「一護が心配なんだね?」

「ち、ちちち、違うわよ!? 誰があんな奴のことなんか! 心配する訳なくもない訳でも……あ゛ぁー!!」

「う゛ッ!! てめッ、何で俺蹴りやがった!? そこは月島だろうが!」

 

 発狂した叫びを上げるリルカのハイキックが、銀城の脇腹に刺さる。

 月島ではなく何故自分に? 完全なる八つ当たりに、流石の銀城も澄ました顔が崩れ、ぎゃいぎゃい喚く少女と口喧嘩を始める。

 

「……ギリコ」

「はい」

「思ってることあるんだけど言っていい?」

「……どうぞ」

「僕、リルカのああいうとこ嫌いなんだよね」

「はぁ……」

 

 雪緒に返す生返事。こういったやり取りも何度目か、とギリコも辟易していた。

 しかし───断固として嫌う訳ではない。

 世界で数少ない対等な関係を築く者達だからこそ、得られる感情もあるものだ。自然と見下してしまえば、自然と仰いでしまえば、見えなくなってしまう景色は必ず存在する。

 完現術者にとって、XCUTIONこそが唯一対等で触れ合える繋がり。

 

 誰かが死んでも尚、断ち切れない絆そのものであった。

 

 一頻りリルカと言い合っていた銀城は、尸魂界に来てから───浮竹と腹を割って話してから憑き物が落ちた顔の口角を吊り上げる。

 

「それじゃあリルカのご要望だ」

「誰のご要望よ!」

「これで一護への義理は返した。尸魂界にもわざわざ助太刀する必要もねえ」

「ちょっと、銀城!」

「だがこいつは()()の戦いだ───XCUTIONのな」

 

 その言葉に、リルカだけでなく他の者達の瞳も見開かれる。

 反応は大小さまざまだが、共通して言える理由は他ならぬ一護について。利用する為に勧誘し、確固たる信頼関係を結んだ上で、発現した完現術を奪った少年だ。

 

 客観的に見れば、助ける理由など残っておらず、利用された側も裏切った相手の助けを拒む筈だろう。

 しかしながら、完現術(ブック・オブ・ジ・エンド)で過去を改変されていたとは言え、その時の銀城はあくまで“仲間を殺した敵が月島だったら”の姿。

 

 言わば、本来の死神代行・銀城空吾としてあったかもしれない未来の一つだ。

 

 銀城は根っからの悪ではない。

 仲間を死神に殺され、復讐の炎に駆られたからこそ歪んでしまった(こころ)

 ()()()()()()()()()()()()だ。

 

「……同じ組織のよしみだ。長旅してまで尸魂界に来たんだ。折角なら、この戦いの涯まで見届けようぜ。異論はねえな?」

「フ、フーンだッ! リーダーのあんたがそういうなら仕方ないわね!」

 

 上気した頬を浮かべるリルカが、腕を組んでそっぽを向く。

 そんな彼女に続き、他のメンバーも口を開いた。

 

「どうせ嫌だって言っても連れていくんでしょ? 空吾はそういうとこあるからね」

「皆さまが赴くのであれば、私も同行いたしましょう」

「だってさ、空吾。僕も君が行くなら付いてくよ。仲間外れは嫌だからね」

 

 雪緒も、ギリコも、月島も。

 皆が銀城と共に一護へ助太刀する旨を露わにする。

 

 それらは概ね自分の予想通り。

 しかし、嘘が下手な彼は微かな喜びを誤魔化せぬままに話を締めんとする。

 

「意見は出揃ったな。それじゃあ……───」

 

 

 

「───と……思うなァ……」

 

 

 

『!?』

 

 何故。

 全員の脳裏に過ったのは、まずそれだ。

 

「馬鹿な……時の炎で焼き尽くされた筈では……!?」

 

 その思考を補足するのがギリコだ。

 タイム・テルズ・ノー・ライズの条件破棄による報復は、タイマーが取り付けられた対象を跡形もなく焼き尽くす。

 リジェもまた時の炎による火刑を受け、塵も残らず焼失していた。

 

 だが、目の前に収斂する光の束が、確信していた勝利もその余韻の悉くを打ち崩していく。

 

「神の……使いが……人間にィ……!」

「ッ……バケモンがよ」

 

 吐き捨てるように呟いた銀城の目には、正しく化生の姿を顕現させるリジェが光臨した。

 

「完現術者ごときにィ……殺せると思うなあああアアア!!!」

 

 轟く雄叫び。

 収斂していた光は、異様なまでに首の長い鳥の化生を形成する。先程まで目の当たりにしていた滅却師完聖体の名残もあるが、一回りも二回りも肥大化した体は、最早別物と言っていい巨躯を誇っていた。

 

「雪緒!! 全員連れて逃げろ!!」

「空吾ッ?!」

「お前しかできねえ!! 早くしろ!!」

 

 真っ先に反応したのは銀城であった。

 怒鳴るように出した指示は撤退。即ち、暫定的な敗走に他ならない。

 

(タイム・テルズ・ノー・ライズで仕留められねえ相手を殺し切る手段は俺らにはねえ! こうなったのは挟み込んだ月島も想定外ってとこだ!)

 

 改変した過去から、様々な情報や変化を齎せられるブック・オブ・ジ・エンドだが、必ずしも万能とは言えない。

 生きている人間を死んだ事にはできぬように、過去を弄った結末である未来の大幅な改変までは不可能だ。

 

 故に、知る由もなかった。肉体を焼き尽くされても尚、復活するリジェという滅却師の不死性を。

 

 こうなった以上、XCUTIONに為す術はない。

 戦えば殺される───その確信を得た今、銀城は自分が殿となって他のメンバーを逃がすべく、剣を握り立ちはだかった。

 

「待つんだ、銀城。僕も残る」

「いいや、駄目だ! てめえも雪緒と一緒に逃げろ!」

「……どうしてだ?」

「聞いただろ、滅却師の親玉の力を!」

「ッ……!」

「未来をどうこうするかもしれねえ能力なら、お前の完現術ならどうにかできるかもしれねえ! お前が一護を助けろ!」

 

 再び卍解を発動する銀城は、果敢にもリジェへと突っ込んでいく。

 振るわれる刃より放たれる霊圧の牙は、そのまま翼を羽搏かせる鳥の化生を襲う。が、半ば想像していた通りに月牙天衝はすり抜けてしまった。

 弱りながらも復活したのではなく、一分も弱体化せずに復活したことを自分の手で証明した銀城は、苦心故に歯を食い縛る。

 

 霊力切れを狙うなど、万に一つは勝ち筋が残されているかもしれない。

 だが、それ以上に全滅の可能性が高かった。余りにも分が悪い賭けに臨み、全員が死んでしまっては元も子もない。

 それを理解(わか)っているからこそ、銀城は己を切り捨ててでも他のメンバーを行かせる決断をした。

 

 月島も彼の覚悟が解らないでもない。

 しかし、何もかも合理的に選んでいたならば、彼はこの場には立っていないのもまた事実。

 

 心が揺らぐ。

 足は、その場から離れなかった───離れられなかった。

 

「……どこの誰から聞き及んだか知らないが、陛下の御力を知っているらしい」

 

 たたらを踏む完現術者を前に、眼下の光景を姦しい喧騒だと見下すリジェは、細長い腕を振り上げる。

 

「罪深いな」

 

 刹那、その巨躯を遥かに上回る大きさの喇叭が顕現する。

 銃口が向く先は、天に揺蕩う神の使いを見上げる人の児ら。

 無垢を装うその瞳。その何と汚らわしい事かと清浄な光で照らし上げるリジェは、どす黒い魂の肚の奥深くにまで積もった罪も焼き払わんと、光を収束させる。

 

 

 

「『神の喇叭(トロンペーテ)』を、聴いて死ね」

 

 

 

 それは神に抗う逆賊を滅殺する音色。

 鼓膜が揺れた時には、既に聴いた者の全てが消滅するジェリコの喇叭も同然の絶技。

 

 完現術者一人、あるいは死神一人で抗うには余りにも強大な力。

 だが銀城は通用しないと知りながらも剣を振るう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「うおおおおおッ!!!」

 

 己を奮い立たせる雄叫び。

 直後、聖絶の音が響き渡った。

 本来音を伝える空気すらも貫く“万物貫通”の光は、通り過ぎた道の万象を抉り、空洞となった大気の穴に空気と霊子が雪崩れ込む轟音と響かせる。

 

 それらがXCUTIONの面々に届く頃には、銀城の半身は破滅の光に呑み込まれていた。

 “万物貫通”の光芒に呑み込まれれば、如何なる頑強な肉体を持とうが、堅牢な鎧を纏おうが、言うまでも無く貫かれた部位は欠片も残らない。

 故にリジェの半身の塵も残さず掻き消えた。

 

「……な……」

「……ン?」

 

 瞳を見開く銀城が、滅し飛んだ半身に触れる。

 破滅の光芒に呑まれ、肉や骨、臓腑の断面に至るまでを大気に晒していた筈。確かに感じ取った死の感覚は既になく、明瞭な視界ははっきりと捉える。

 

 ()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 ペタリ、と異様なまでに長い腕で失った半身の所在を確かめるリジェ。

 本来在る筈の体を触れようとしても、掌は虚空を掴むばかり。永遠に失った体に触れる事はできなかった。

 

「……バカな」

「───君が()()()聖文字を授かった滅却師なら、僕は()()()聖文字を授かった滅却師さ」

「貴様は……」

「最初と最後。順当に考えるなら、後に作られた方が完成度は高い。道理だろう?」

 

 忽然と聞こえてくる謎の声に、リジェのみならずXCUTIONの視線も集まる。

 やって来たのは純白のマントを靡かせる少年───否、滅却師。

 眼鏡の奥に佇む静謐な双眸は、確固たる理性と意志を感じさせながらも、明確な叛逆を行動に表していた───リジェを殺めるという意味で、だ。

 

 

 

「石田……雨竜……!?」

 

 

 

 見えざる帝国次期皇帝。

 現世に生き残った最後の滅却師の少年が、侵入者ではなくその迎撃に当たっていたリジェに弓を引いたのだ。

 即ち、それは見えざる帝国への───延いてはユーハバッハへの叛逆に等しい行い。

 

「どういうつもりだァ!?」

「此処に来た理由を知りたいなら答えよう。迎撃に当たった君の霊圧が突然消えたから、じゃ不満か?」

 

 淡々と答える雨竜に納得しないリジェは『違うゥ!!』と絶叫する。

 

()()は、君の能力(チカラ)かァ!?」

 

 半身を失った憤怒の余り狂い叫ぶリジェ。

 “万物貫通”を発動する彼を殺せる手段など、聖文字の創造主たるユーハバッハを除けば皆無に等しい。

 

 だからこそ疑問が過る。どうやって雨竜が自分に攻撃したのか、その一点だけを知らなくては、死んでも死にきれない。

 

「ああ、そうさ。これが僕の聖文字……“A”───“完全反立(アンチサーシス)”」

完全(アンチ)……反立(サーシス)……だと!?」

「指定した2点の間に“既に起きた”出来事を“逆転”させる事ができる」

 

 指定した物体は“銀城”と“リジェ”。

 指定した事象は“傷”。

 つまり、『神の喇叭』を受けて半身を滅し飛ばされた銀城の傷が、そのままリジェへと移った事になる。故に喰らった側の銀城は、リジェの無傷という結果をそのまま移され、致命の一撃から逃れた訳だ。

 

 物理的現象ではなく、概念の発生という神の領域を侵す力。

 数少ない“万物貫通”に対抗し得る手段は、まさしく味方であった筈の雨竜の弓引によりリジェへと矛先を向けられたのであった。

 

「君が忠実に侵入者を殺さなければ、僕は君を殺せなかっただろう」

「……成程。()()()()()()()……」

「どうとでも受け取れ」

 

 踵を返す雨竜。羽織うマントは、清廉な風に吹かれて揺れ動く。

 その後ろ姿を眺めるリジェは、執念で保っていた姿を維持できなくなり、全身に罅が入り始める。

 バラバラと砕け散る肉体には、最早神の力は残されていない。

 抵抗する術も失われたリジェは、ただの霊子へと霧散する己の肉体を眺めながら、孔が開く程に雨竜の背中を睨みつけていた。

 

「ゆ……許さないぞ……ゆる、ゆ、うりゅ、石田、いしッ、い、うりゅ、りゅりゅ……」

「君のお蔭で()()()()()()()()()()()()になった。感謝するよ」

「うりゅりゅりゅりゅりゅるるるるるるるんッ」

Adieu(さようなら)、リジェ・バロ」

「りゅー!!!」

 

 一際甲高い金切り声を最後に、鳥の肢体は弾け飛んだ。

 四散するリジェだった光は四方八方へと広がるや、放物線を描いて地表目掛けて墜落を始める。

 やがて霊王宮の真下に存在する瀞霊廷へ降り注ぐかもしれない───が、ユーハバッハが世界の命運を握っている今、爆発四散した敗北者を気にしている暇はない。

 

 水を打ったように静まり返った戦場では、雨竜の真世界城を目指す足音だけが際立って鳴り響く。振り返る事もなければ、流眄(ながしめ)で見る事もしない。

 最早彼にとってリジェが眼中にない存在である事実を如実に表すような態度だった。

 

 しかし、それを良しとしない物が少年の歩みを制する。

 

「おい、待て」

「……待つと思うか?」

「お前もそのまま行けると思ったか? それともあれか。一護の野郎を嵌めたからって、俺らは信用できねえってか」

 

 卍解を解き、元のジャケット姿へと戻った銀城が自嘲気味に言い放つが、当の雨竜は彼の言葉を否定する。

 

「見当違いだ。生憎と私怨で動いている訳じゃない」

「はッ! 私怨で動いてる訳じゃない、か……だったらなんでお前は滅却師側についてるんだ?」

「全ての滅却師が見えざる帝国に与していると思っているなら、それは穿った偏見だと訂正しておこう」

「……つまり、お前は一護の味方って訳か」

 

 返ってくる言葉はない。

 雨竜の歩みは再開する。

 

「待てって言ってんだろ!」

「待たないと言った。僕にはやる事がある」

「……そいつが見えざる帝国についた理由って訳か。一護の野郎も頑固なダチを持って苦労してんなァ」

「世間話をしに来たなら帰ってくれないか」

「ここまで来といて帰ると思うか?」

 

 ───思わない。

 くれられた一瞥は、如実に語る。

 

「……黒崎も、井上さんも、茶渡くんも、他の皆もだ。誰彼構わず此処にやって来るから、正直迷惑だよ」

「おいおい、そいつは誤解が生まれるってもんだろ。お前なら分かってた筈だろ。一護と他の奴らが突っ込んでくる事くらい」

 

 一護を知る者ならば必ず思う。

 彼は為すべき事を知れば、例え赴く先が如何様な死地であるとしても、全身全霊を以て力を尽くす、と。

 短い間だけの付き合いの銀城でさえも確信を抱いているのだから、二度も共に敵地へ乗り込んだ間柄の雨竜が知らぬ由も無い。

 

 だからこそ、銀城は遠慮も配慮もなく言い放つ。

 

()()()()()()()。一護が来る事をな」

「……」

「案内しろよ。俺達はお前の味方じゃねえが、一護の仲間なんだからな」

 

 滅却師に始まり、死神、破面、そして完現術者をも味方につけた死神代行を誰もが想う。

 真っすぐで、馬鹿で、短気で、直情的で、一つを護ると決めたらやり遂げるまで幾度折れようとも立ち上がる少年を。

 

 誰もが───救われたのだから。

 

「……あいつの」

「?」

「あいつの所為で準備を急がなくちゃならない。人手が足らないんだ」

 

 徐に口を開く雨竜。

 その要領を得ない内容に、誰もが首を傾げる。

 

 しかし、裏切り者の仮面を脱ぎ去った少年は、本来の表情を曝け出していた。

 

「どうしても付いてくると言うなら、少し手伝ってもらおうか」

「……何をするつもりだ?」

「僕は……」

 

 聳え立つ城を見上げる雨竜は、心に秘めた覚悟のままに紡ぐ。

 

 

 

「───この真世界城(ヴァールヴェルト)を落とす」

 

 

 

 立っていたのは、一人の友達に過ぎない少年だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 毒、と一口に言っても様々な種類が存在する。

 生物毒と科学毒から分かれ、出血毒、麻痺毒、神経毒、溶血毒……元となる毒素まで分類したとすれば、それこそ数え切れぬ量に達するであろう。

 裏を返せば、それだけの毒に対抗し得る薬もまた人類は作り上げていた。

 しかし、有史以来数多くの天才が毒を中和する薬や血清を生み出して尚、人の手に余る毒性を誇る猛毒は数知れず。

 

「フム……───これも効かないとは驚きだヨ」

「アンタも言ってただろ? 俺は“致死量”を操作する。発動するには俺自身が指定した物質を取り込む事……つまり、アンタが俺に投薬した瞬間から俺の“致死量(デスディーリング)”は発動してんのさ」

「成程。得てして、私のような戦い方をする者には不利という訳か……」

 

 マユリとナックルヴァール。

 二人の毒を操る傑物は、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 とは言うものの、互いに刀や剣で斬り合う戦いを好む性分ではない。

 あくまで己が得意とする領分に相手を引き込み、じわりじわりと勝利を手繰り寄せていく。あらゆる手段で敵の勝ちの目を潰すのだ。

 

 用意した万策が尽きた瞬間、自身は相手が仕掛けた毒沼に引きずり込まれ、永遠に出られなくなるだろう。

 

(まったく……ヒヤヒヤするぜ)

 

 余裕ぶった笑みを湛えるナックルヴァールは、隠せぬ好奇心に破顔している科学者をねめつける。

 ナックルヴァールの“致死量”は強力だ。それこそ瀞霊廷で戦っていた星十字騎士団の中で、唯一神赦親衛隊に選抜される程には。

 指定した物質とは、毒や薬のみならず、水や霊子といったありきたりな物質は勿論のこと、特定した個人の霊圧であっても問題はない。

 

 どれだけ強大な霊圧を持つ戦士であろうが、ナックルヴァールに霊圧を摂取され、免疫をつけられようものならば、それからはどう足掻いても霊圧による攻撃は一切受け付けられなくなる。

 

(だが、こいつはそういう手合いじゃあねえ)

 

 しかし、一見無敵に見える能力にも穴はある。

 霊圧を取り込んだところで、腕力に頼った肉弾戦までは無力化できない。故に更木剣八のような斬術一辺倒の手合いはナックルヴァールにとって天敵だ。逆に砕蜂の『雀蜂』であれば、蜂紋華による弐撃決殺すら無力化できただろう。

 

(だから言ったんだ。()()()()()()()()()()()って)

(───はてさて、あらゆる毒を無毒化する能力、か。実に面白い能力だが、このままではジリ貧だネ)

 

 決定打を欠く現状に歯噛みするナックルヴァールだが、それはマユリも同じ。

 千載一遇の霊王宮へ立ち入る機会となって、あらゆる毒と薬を携えてきた訳であるが、その悉くを眼前の滅却師は無力化していく。

 精魂込めて作製した逸品の数々を無為にされては、敵の能力の有用性に興奮を覚えた───が、そろそろ()()()()()

 

 所詮は“取り込んだ物質の効果を無力化する”能力でしかない。

 能力に幅がある訳でもなければ、それ以上の進歩性がある見込みもない。

 

(検体としてはこの上なく有用だ)

 

 だからこそ、研究者として思う。

 

「君には綺麗な体を残したまま死んでほしいヨ」

「おいおいおい、急に物騒なこと口走るんじゃねえよ」

「安心したまえ。今の私ともなれば、死んだ人間の蘇生など容易い事……君には後顧の憂いなくその命を絶ってほしいんだが」

「はい、わかりました───なんて言う奴が居てたまるか! アンタ、マジで頭のネジぶっ飛んでんな!」

「それは誉め言葉かネ?」

「ああ、半分はな」

「君如きから賜る賞賛など侮辱に等しいヨ。虫唾が走る」

「……はぁ~、ホント他人のペースには乗らねえなァ」

 

 頭を抱え、やれやれと首を振りながら声に出す。

 

「アンタも、そろそろ思ってんだろ?」

「主語は明らかにしたまえ」

「おっと、ワリィな。でも頭の良いアンタなら薄々気付いてんだろ? このままじゃ千日手だってな」

「それは君の主観だろうに。押しつけがましいのは感心しないネ」

「そうかい。だがまあ、俺もいつまでもビクビクしながら戦うのは気が滅入って仕方ねえ」

 

 だからよ、とナックルヴァールは言葉を継ぐ。

 

「そろそろ───勝負に出させてもらうぜ」

 

 ダンッ! と地面を蹴り、疾風が駆け抜ける。

 風の流れが変わった。大気に満ち満ちる霊子がマユリの下へと流れ動く。

 

「フム」

 

 刹那、刃が矢を弾く甲高い金属音が轟いた。

 

「武力行使、という訳か」

「冗談は止せよ。端からやり合ってたのに武力行使もくそもないだろ」

 

 疋殺地蔵で神聖滅矢を弾いたマユリに、神聖弓を構えたままナックルヴァールは次なる矢を番える。

 

「ただ、らしくねえのは認めるぜ。武器出してバチボコってのは性に合わねえんだ」

「弓を持ちながら異な事を言うネ。私の目には、どうにも君の姿が滑稽に映るんだが?」

「デリカシーのねえこと言うなよ。神聖弓(こいつ)を出したってのは、アンタとこれ以上長々とやり合いたくねえって意味さ」

 

 “致死量”を操る戦い方こそ、ナックルヴァールのスタイルだ。故に神聖弓を出した時点で、彼にとっては勝負を捨てたに等しい。

 だが、それ以上に捨てられぬものを抱えているのも事実。

 

「アンタは綺麗な体で死ねねえだろうが───そこはお互い様だ」

 

 居住まいが変わった男は、憮然と言い放った。

 いつでも番えた矢は放てる。神聖滅矢の一発や二発で倒せるとは毛頭思っていないが、霊子など辺りに腐る程にあるのだ。わざわざ相手の毒が尽きるまで付き合う必要はない。脳天や心臓を射抜けば決着はつく。

 

 引き絞った弦が解放され、勢いよく飛び出した矢が高速でマユリへと迫る。

 すれば、寸分の狂いもない刀捌きでマユリが斬り落とす。

 仮にも隊長だ。反射神経も並みの死神とは比べ物にならない以上、ここまでは想定内である。

 

 しかし、そこからはナックルヴァールも唸らざるを得なかった。

 

「うォオイ……アンタ、そんなに動けたのかよッ……!」

 

 矢継ぎ早に射るが、その全てがマユリに斬り落とされていく。

 仮にも星十字騎士団───神赦親衛隊が繰り出す神聖滅矢を、だ。

 

 明らかに武闘派ではないマユリの正確無比な動きに違和感を覚えたところで、答え合わせと言わんばかりの笑みが浮かび上がる。

 

「ナニ、先日疋殺地蔵にセンサーを埋め込んでネ。私の周囲2尺以内に入った矢を弾くよう設定しただけだヨ。つまり、君の矢を全て自動で受け切るという事」

「成程、そーいう訳ね……! だが、アンタ忘れちゃいねえか? 本命の得物はそっちじゃねえって事を!」

 

 矢の弾雨に紛れ、降り注ぐ毒々しい色の球体。

 

毒入りボール(ギフト・バル)!」

「忘れる筈もないだろう」

「!」

 

 しかし、死に至らしめる毒は咄嗟に割り込んだネムが広げる傘に防がれる。

 どこぞの魂魄を改造した悪趣味な装飾の傘だ。“毒入りボール”を喰らった瞬間、息も絶え絶えな悲鳴と嗚咽が辺りに響き渡るが、それに構わずマユリが次なる一手をかける。

 

「疋殺地蔵……」

 

 赤子の顔を模した鍔───その閉じられた目の中へ、指を押し込む。

 

「“恐度四”」

 

 けたたましく木霊する赤子の泣き声。

 

「なんだよ、こりゃあ……───ッ!?」

 

 情報にはない能力に飛び退いたナックルヴァールであったが、時すでに遅し。

 突然全身の自由が利かなくなり、足元の霊子を制御する事もままならなくなり、重力に引かれるように墜落を始める。

 間もなく地面に激突するナックルヴァール。衝撃による痛みで眩暈を覚えるが、全身を襲う痺れにより、呼吸を整える事もままならない。

 

「気分はどうかネ? 意識が落ちない全身麻酔とはこういうものさ。ああ、だが痛覚はそのままだから安心したまえ。仮に痛みで意識が落ちようとも、それ以上の痛みで君の目覚めを手助けしよう」

「ッ……!」

「そう恨めしい目で睨まないでくれ。私も抵抗できない人間にこのような真似はしたくないのだが、死化粧があるように、出来る限り死体も綺麗に取っておきたいだろう?」

 

 いけしゃあしゃあと言葉を並べるマユリは、実に愉しそうな狂笑を湛えたまま、倒れた滅却師の下へ歩み寄る。

 

「とある死神の所為で滅却師の研究も満足ままならなくてネ。そんな中で出会った君だ……最高の待遇で迎え入れてあげるヨ」

 

 

 

───あくまで、検体として。

 

 

 

 一歩、また一歩と歩み寄る。

 懐から取り出す薬は、致死性はないものの人間一人を行動不能にするには十分な効能を有した代物だ。

 ほんの一滴さえ与えれば指先一つ動かせられなくなるような劇物。それは指定した物質を多量摂取する程に操れる致死量の幅を拡げられるナックルヴァールにとっては、数少ない相性の悪い毒と言えよう。

 

「───そいつはゴメンだぜ」

「!」

 

 しかし、だからこそ用心していたナックルヴァールが動く。

 疋殺地蔵の能力で全身麻痺していた彼が動き出す事態は、マユリからしてみれば予想外の出来事であった。

 咄嗟の出来事に、コンマ一秒という短い間だけ硬直する。

 その寸隙を衝くナックルヴァールであったが、マユリの前に飛び込んだネムが盾となった。

 

 放たれた神聖滅矢は構えられた斬魄刀ごとネムの手を、腕を、そして胸を貫いた。

 ゴポッ、と夥しい量を吐血したネムは膝から崩れ落ちる───が、すぐさまマユリは回収した後に復活を果たした滅却師の前から飛びのく。

 

「……どういう事だ……いや、まさか───!」

「流石に気付くのが早ぇな」

 

 

 

 乱装天傀

 

 

 

 才ある滅却師の中でも、一握りの天才しか扱えぬ絶技。

 束ねた霊子の糸を体に括りつけ、傀儡の如く全身を意のままに操る術だ。本来年老いた滅却師が、虚滅却の為だけに自由の利かぬ体を動かすべく生まれた経緯を持つが、而して全身麻痺したナックルヴァールにはお誂え向きの霊術であった。

 

 反応から察するに、マユリも知らぬ訳ではない。

 ただ、()()()()()()()()。二百年前の滅却師殲滅戦以降、尸魂界が観測する滅却師の数は激減し、必然的にマユリが研究に用意できるサンプルの数も比例して少なくなる。

 更には流魂街の一件により滅却師の蒐集の禁止令を出された出来事が拍車をかけた。つまり、彼の滅却師研究は一度そこで終わりを迎えてしまった。

 となれば、数少ない種族の天才しか扱えぬ技術の情報など得られたとして断片的だ。故に戦闘中に用心したところで限界がくる。

 

 今回はその穴をまんまと衝かれた形となってしまった。

 

「どんな天才でも油断する場面ってのは存在するもんだな。自分が勝つと確信した瞬間とかな。致命的だぜ、涅マユリ」

「……それで勝ったつもりかネ?」

「まさか」

 

 当然、通常と乱装天傀で動かしている状態とでは前者の方が意のままだ。

 しかし、形勢を覆す為の一手を打つぐらいならば十分だった。

 

 徐に地面に零れた血を掬う。

 それはネムから流れ出た血液だ。決して多い量ではないが、マユリとネム以外には様々な効能を発揮する薬剤が融けた劇物。

 だが、神々しい輝きを放ちながら掌から血杯を呷る滅却師には通用しなかった。

 

 

 

「───『神の毒見(ハスハイン)』」

 

 

 

「うっ!」

「グッ……」

 

 ネムのみならず、マユリの口からも苦悶の声が上がる。

 ネムはマユリの娘。誕生の経緯が経緯である事から純粋な娘と呼んで疑わしい部分もあるが、マユリとほぼ同質だからこそ血液中に混じる薬も彼女自身に害を及ぼさない。

 裏を返せば、ネムの血液に含まれている薬や毒の幾つかはマユリ自身にも仕込まれている事を意味する。

 

───(ネム)の血を一度呷れば、(マユリ)にも影響は及ぶ。

 

 ナックルヴァールの狙いの一つがそれだ。

 彼は今、滅却師完聖体を顕現させ、神の如き威容を露わにしている。

 

「ぷはぁ……おぉー、俺ン体で暴れてやがるぜ。アンタの毒がな」

「……」

「不思議かい? 俺に毒が効かないのが」

 

 綽々と継ぐ。

 

「なんてことはねえよ。用意周到なアンタのことだ、血の中にアンタらの血液由来の薬を山ほど仕込んでただろうが───俺の完聖体は()()()()に適応する」

「……それはまた医者が咽び泣いて喜びそうな能力だヨ」

「察しが良くて助かるぜ。つまり、どんな複雑な連鎖反応を起こす薬を仕込もうが、アンタの血がベースな以上、免疫の方を瞬時に変化させて無効化できるって寸法な訳だ」

 

 ナックルヴァールの“致死量”による免疫生成速度は途轍もなく早い。

 だが、免疫とは本来一つの毒に対してのみ効果を発揮するものだ。インフルエンザのように抗原性がほんの少し変化しただけで、同じ型のウイルスにすら免疫は効果を揮えなくなる。

 

 だが、『神の毒見』はその前提を覆す。

 毒の土台が同じであるならば、どれだけ上辺が変化しようとも関係ない。

 

「アンタの卍解───金色疋殺地蔵だったか? そいつの恐ろしさは毎回毒の配合が変わる事だろ。けど、()()()()()()()()。始解の方がよっぽど怖いぜ」

 

 しかし、撒き散らされる毒霧の生成に用いられる物質はマユリ自身の血と霊圧。

 解放の度に毒の組成が変化する金色疋殺地蔵には、通常人間が得る免疫が意味を為さない───が、ナックルヴァールに限っては()()()()相性が悪かった。

 

 始解は乱装天傀で。

 卍解は完聖体で。

 ナックルヴァール以外であれば必殺に等しい能力を持った手札。その悉くが意味を為さぬ紙屑と消えた。

 

「チッ……」

「まあ待てよ、勝負はまだ決まってねえだろ。アンタみてえな手合いは、弄した策一つ一つを潰してやらねえと安心できねえ」

 

 紫毒(しどく)の監獄が帳を下ろす。

 “極上毒入りボール(ギフト・バル・デラックス)”───最大級の“毒入りボール”は、存在そのものが劇物に等しい男を毒殺せんと毒牙を剥き出す。

 

 帳に浮かぶ円模様。それらが線によって結ばれ、錠がかけられた。

 

「“領域(ベライヒ)”を区切った。俺はキツい言葉を遣うのが好きじゃなくてね。キツい言葉を遣う奴ってのは余裕が無く見えるだろ? 余裕のある男でいたいもんでね」

 

 その俺が言うぜ、念を押す宣告が響く。

 

「この“猛毒領域(ギフトベライヒ)”からは、()()()()()()()()

「……つまり今の我々は袋の鼠という訳だ」

「そうだ、何事も口に出しての確認は大切だぜ。親切心で言っておくが、こいつは嘘じゃあない。俺が意図的にでも解かない限りはな」

「それはどうも」

 

 真偽こそ定かではない。だが、追い詰められている事態に変わりはない。

 全身を蝕む中毒症状に汗を流すマユリ。傍ではネムも苦悶の声を漏らしながら、地べたに這いつくばっている。

 

「情けない事だヨ……まったく」

「そう言ってやるなよ、アンタの娘だろ? それともアレかい、自分の役に立たない道具は無価値ってクチか? 哀れでならねェな、アンタに忠義を尽くしてるフウなのによ」

「知ったような口を利かないでくれたまえ、滅却師。生憎と私のネムの関係は君とユーハバッハのそれとは全くの別物だヨ」

「そりゃそうだ、実の親子に主従関係を引き合いに出されちゃあな。だが俺もポメラニアンの倍ほどは忠誠心があるつもりだぜ」

 

 星十字騎士団にもユーハバッハへ向ける感情は様々だ。

 ある者はその力に畏怖し。

 ある者はその業に心酔し。

 ある者はその智を崇拝し。

 人の手に負えぬ天変地異に神を見出すように、滅却師もまたユーハバッハという男に神を見出す。

 

 ナックルヴァールが神に見出したものは───純然たる興味。

 

「現世、虚圏、尸魂界。世界を3つも潰してその後に何かを創ろうとしてる。そんな人が陛下の他に居るか? 例えばここで陛下を逃して、その次に誰かそんな奴が出てきてくれると思うか?」

 

 瀞霊廷は半壊し、零番隊は退けられ、霊王は死んだ。

 三界の調整者(バランサー)が戦火に焼かれ死に絶える今、世界の命運はユーハバッハが掌中に収めていると言っても過言ではない。

 

 まさに今、滅びか存続かの狭間で揺れ動く世界の渦中で、ナックルヴァールは望むものは一つ。

 

「3つの世界を潰した後に陛下が何を創るのか、それを見たいとは思わねえのか? なァ、涅マユリ」

 

 一つの世界が終わりを迎え、新たな世界が始まる変遷。

 時代の節目を前にした興奮が、今のナックルヴァールを毒す麻薬に他ならなかった。

 

「───興味深いネ」

「へェ、やっぱりアンタも気になるかい」

「だが、同時に落胆もしたヨ」

「……何だって?」

 

 喜悦を表す笑みであったが、間もなく底冷えするように沈む。

 面食らうナックルヴァールはマユリの変化に底知れぬ寒気を覚えて一歩退く。

 

 これは───そうだ、未知への恐怖。

 知らぬからこそ警鐘を鳴らす本能が、奴に近づくなと怯えた顔を見せる。

 

「アンタはてっきりコッチ側だと思ってたんだがな」

「馬鹿を言わないでくれないか。私と君とでは見えている世界がそもそも違うのだヨ」

 

 瞼を閉じたマユリが、皮肉を込めたように紡ぐ。

 

「私と君との興味には天地程の差もある。君が視たいと願うものは、凡人の好奇心となんら変わりはない。私は……未知の“深淵”を解き明かしたいのだヨ」

「深淵……だと……?」

「物理学者が相対性理論に美しさを見出すように、我々科学者は未知の肚の中に埋もれた理を解剖する事に快楽を見出す生き物だヨ。だからこそ我々は未知に喜び、未知を貴ぶ。陳腐な言い回しになるが、未知こそが私にとっての───“神”だ」

 

 毒に冒されるマユリは、瞼の裏に幻を見る。

 それは微睡みの中にのみ生まれる夢幻。心地よくも残酷なひと時に身を寄せる彼は、込み上がる厭悪の念を吐き出していく。

 

「だが、私は神を嫌悪する。何故だか解るかネ?」

「……もうちょい解り易い言い回ししてくんないかァ?」

「大衆の認知で語るならば、神とは欠ける事のない“完璧”を象徴する存在。“完璧”とは“停滞”。“停滞”こそ我々科学者の“絶望”。そこに“進歩”も“進化”も無く、“希望”の付け入る隙も無い」

 

 持論を雄弁に語るマユリは、狂ったように破顔する。否───元々狂っていただけかもしれない。

 

 それこそが、科学者足り得る才覚だと言わんばかりに。

 

「君は言ったな、三界を潰した後に創られる世界に興味があると。私にとって、それは回帰であって進歩ですらない」

()()だと? そいつァまるであんたが陛下の創る世界を知ってるような口振りじゃねェか」

「ナニ、単なる推察に過ぎないヨ。その上で言おう。私は───()()()()()()()()()()()()()()()

 

 理由は至極単純。

 傾いた好奇が、今の世界を向いていた───それだけだ。

 

「……ナルホドな。あんたも他の奴等と一緒って訳かい」

「無礼極まる評価だネ」

「そう気を悪くするなよ。頭の出来を言ってんじゃねェんだからな。でもまあ、これで心置きなくアンタを倒せるってモンさ。アンタとの話は粗方済んだ」

「そうかい。なら、今度は私の実験に付き合ってもらおうかネ」

「……なんだと?」

 

───まだ抵抗する術があるのか。

 

 身構えるナックルヴァール。

 だが、直後にマユリが斬魄刀を構える姿を垣間見るや、これより訪れる未来を幻視した。

 

「諦めが悪いったらありゃしねえよ! 言っただろ、あんたの卍解は俺に───」

「本当に、そう思うかネ?」

「ッ……!?」

 

 肉片が集まった不気味な形の鍔を握れば、小骨が折れる不快な音が鼓膜を揺らす。

 するや、ブクブクと膨れ上がってはおどろおどろしい肉体が形作られていく。血の気が引いた土留色の肉は、やがて巨大な赤子の形を成す。

 

「───卍解」

「させるかよ!! “猛毒の指輪(ギフトリング)”!!」

 

 右手の腕輪が外れ、頭上で光輪と化す。

 躊躇なく投擲された光輪はそのまま膨張を続ける肉塊へと突き刺さり、鮮烈な閃光を瞬かせては炸裂した。

 噴き上がる血飛沫。本来の金色とは離れた色合いの赤子に似た巨体は、肚を破られ、それから微動だにしなくなった。

 

 “致死量”の能力を一点に集中させ、ピアッシングした敵の“部位”を即死させる技───“猛毒の指輪”。

 これはマユリの卍解『金色疋殺地蔵』が生物型の斬魄刀だからこそ有効な攻撃だ。

 

「フゥー……焦ったぜ。幾ら毒が効かないっつってもアンタの事だ。どんな最後っ屁くらうか分かったモンじゃねえ」

「……」

「これで万策尽きた、ってことでいいかい?」

「……ククッ、君の言う万策とはどれの事かネ?」

「なっ……!?」

 

 もぞり、と。

 ずちゃり、と。

 

 弾けた肚の肉を掻き分けて、“何か”が産まれる。

 

「なんだよ……そりゃア……!?」

「改造卍解」

「───ォォォオオオギャアアアアアアアアア!!!!!」

 

 生まれ落ちた赤子は、血と羊水を滴らせ、産声を上げた。

 

 

 

金色疋殺地蔵(こんじきあしそぎじぞう)魔胎伏印症体(またいふくいんしょうたい)

 

 

 

 ただ一つの意味を持って生まれた落胤は、巨躯を揺らして滅却師へにじり寄る。

 見た事がない。

 聞いた事すらない。

 情報が皆無の化け物を前に、ナックルヴァールはブルリと身震いした。

 

「改造卍解……だと……!?」

「驚いて結構な事だヨ。“魔胎伏印症体”は私が金色疋殺地蔵を改造して造った金色疋殺地蔵の異形態。その能力は戦闘中に私が送り込んだ情報を基に、新たな疋殺地蔵を産み落とす事」

「ッ!!」

 

 覚るナックルヴァールが飛び退く。

 言葉をそのまま受け取るのであれば、目の前から迫りくる赤子は自分を倒す為に生まれた存在。

 “致死量”か滅却師の力、どちらかに対し有効な能力を得ているか、純然たる力で圧殺する個体か。どちらにせよ接近する愚行は犯さず、ナックルヴァールは安全圏からの攻撃へと移行する。

 

「怖い事言うなよなァ……!! でも、忘れたとは言わせねェぜ!! この“猛毒領域(ギフトベライヒ)”は脱出不能の毒の要塞!!」

 

 瞬間、周囲を覆っていた監獄が狭まっていく。

 次第に強まる中毒症状に、涼しい顔を浮かべていたマユリも顔が歪められる。先程まではほんの序の口。“致死量”の真価はこれからだと言わんばかりに毒の濃度は高まっていく。

 

「知ってるぜ、卍解は刀の所有者が死ねば消える!! そのバケモンに何かされるより前にアンタを殺せば万事解決ってなァ!!」

「解っているじゃないか。だが───もう遅いヨ」

「ウォオっ!!?」

 

 刹那、滅却師を目指して突進していた赤子から血霧が吹き上がる。

 “猛毒領域”に満ち満ちる鉄の臭い。思わず顔を顰めるナックルヴァールは、“領域”を狭めたのが悪手だったかと反省しつつも、マユリとネムの動向に気を配る。

 

 

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

「ごぼッ……」

 

 血が放物線を描いた。

 

「な……んだ、こりゃアッ……!!?」

 

 喉の奥から込み上がる血反吐を拭うナックルヴァールが、毒々しい色合いに変色しては発疹が浮かぶ肌を見遣り、困惑した悲鳴を上げる。

 考える。考える。巡り巡る思考。

 だが、それでも答えは出ず、彼の体は謎の症状に蝕まれていく。

 

「嘘だろオイ!!? 一体どうやって“致死量”を……!!」

「───免疫とは……生体内に侵入した病原体……若しくは非自己物質に対し働く人体の殺滅機能だヨ。君の免疫は……特に獲得免疫の延長線にあると見た」

「ッ……流石科学者、詳しいな……!!」

「特定の病原体への初回応答から作られた免疫記憶は、同じ特定の病原体への遭遇に対し増強された応答を示す……君の能力は、それを極限まで高めたもの……」

「だったらおかしいンじゃねーか!! 俺はその免疫で守られてる……はっ!!?」

「───敏いネ」

 

 自身の血で化粧を施される滅却師の姿を映す瞳は、嘲笑うかの如く弧を描いては、獲物を仕留める寸前の獣同然に鋭い眼光を閃かせた。

 

「先程君に受けて貰った薬は……ナニ、そんな大層な物じゃあない」

 

 

 

───()()()()()だヨ。

 

 

 

「……これは私の血液から作った薬じゃあない。故に君の完聖体で無力化もされない。それを先の疋殺地蔵の毒霧と一緒に撒き散らしておいたヨ……」

「ッ───ごぼッ、がばっ……!!」

 

 心なしか先程よりも苦痛に歪むマユリの顔を見据えるナックルヴァールが、驚嘆と畏怖に震えながら吐血する。

 

 今の彼を襲うのは免疫の過剰反応───アレルギー症状。

 ナックルヴァールが自身に害を及ぼさぬよう無意識に掛けていた箍がマユリの薬によって外された今、彼の究極とも言える免疫は微量の抗原すらも駆逐せんと、宿主の体内で猛威を振るう。

 

「限界以上に拡張する細動脈の血管は破裂し、肺の細気管支は呼吸もできぬ程に収縮する……同時に、血流からは組織へ体液を漏出し、場合によっては失神や呼吸困難を引き起こす……!!」

「アナフィラキシー……ってか……げぼっ!!」

「よくご存じだ……そんな君にこれから起こる事を簡潔に教えてあげるヨ……」

 

 指折り数えて誘う刻。

 引き金を引いて作られる拳は、一人の男の終わりを告げる。

 

 

 

 

  

   

    は

へ 

  

裏   

    

 

 

 

「ごぼッ!!」

 

 夥しい量の体液を吐き出せば、地面が血の海と化す。

 朦朧としつつある意識の中、ナックルヴァールは思案する。

 

───ヒジョーに不味ぃな。

───まさか“致死量”を裏手に取られるとは思わなんだ。

───確かに俺はリジェさんやジェラルドさん程じゃねえけどよ……。

 

 身内の人智を越えた能力者を抜きにすれば、まだ死ににくい方だったと自負があった彼を、まさに虚仮にするような戦術には舌を巻くしかない。

 

───ホント、パッとしねえよなァ……。

 

 十八番を封じられた以上、ナックルヴァールに残された活路は一つしかなかった。

 

「それじゃあ……見苦しくてもやるしかねえんじゃねえの!? ったくよォ、オシャレじゃねえったらありゃしねえ!」

 

 即座に霊子で得物を作り出す。

 血反吐を吐くナックルヴァールに残された時間は少ない。しかし、それはマユリ達にも言える事実だ。

 

 暴走した免疫に委縮し猛毒領域を解除すればマユリの思惑通り。

 覆された盤面を元に戻すには、せめて対峙する死神を仕留めて安全を確保してからでなければならない。

 

 自身を奮い立たせるように強がるナックルヴァールは吼える。

 

「知ってるぜ! どうせあんたもロクに動けやしねえ! 我慢比べといこうじゃないの!」

「……残念だが、君の相手をするのは私じゃないヨ」

「なんだ───とオッ!!?」

 

 マユリに飛び掛からんとしていたナックルヴァールだが、突如覆い被さる影に視界を塞がれたかと思えば、途轍もない衝撃が顎に突き刺さる。

 

「がっ……!!?」

「───ネム」

「───はい」

 

 片腕を捥がれ、胸を貫かれ、艶やかな唇を血紅で染めながら膝蹴りを叩き込んだ被造魂魄(むすめ)創造主(ちちおや)が告げる。

 

 

 

制限(リミッター)解除許可をやるヨ。───30秒だ、その間に仕留めろ」

「畏まりました、マユリ様」

 

 

 

 ドグンッ。

 

 

 

 と、何かが爆ぜる音が大気を揺らす。

 刹那、ネムが身に纏う霊子の流れが変わった。外気に晒される痛々しい肉の断面、そこから溢れる血肉は噴き出す霊圧により、沸騰したかの如く泡を放つ。

 あからさまに変貌する死神の雰囲気に、目を白黒させながら距離を取るナックルヴァール。

 

 だが、大地を蹴るネムが、次の瞬間には眼前に迫っていた。

 瞬歩ですらない純然な脚力。箍が外れたかのような身体能力から繰り出される回し蹴りは、静血装も間に合わぬ滅却師の脇腹に襲い掛かる。

 

 線と化し瓦礫に叩きつけられながらも、ナックルヴァールは必死に身を起こす。

 

「んだ……そりゃア!!?」

「私がマユリ様に与えられた死神としての肉体……その能力を組織崩壊0.8%手前まで引き出しております」

「!!?」

 

 絶句した。

 彼女は簡単にやってみせているが、本来なら斯様な真似は出来ていい筈がない。

 技術的な問題ではない───生命を維持する観点から、あってはならない自爆行為に等しい暴挙だからである。

 

「オイ、んな特攻染みた命令ホイホイ引受けてよォ!! カワイイ顔してんだから、もうちょい自分大切にしなさいよっと!! あんなドSな科学者の言いなりになんてならずによォ!! 無茶ぶりに答える必要なんか全然ないんだぜ!!?」

「御心配には及びません」

「ッ……!!?」

 

 刹那、ネムのしなやかな脚より繰り出された上段蹴りが、振り翳されていた霊子の長棒を弾き飛ばす。

 

 無防備を晒す胴体。

 息を飲み、冷や汗を流す敵の表情には目もくれず、胸の中央───全身に血を巡らせる循環器目掛けて貫手が放たれる。

 

 背中より咲く彼岸花。

 一瞬にして枯れた後、残された血塗れの掌が掴む心臓は躊躇いもなく握り潰される。

 

「マユリ様の御命令に不可能はありません」

「……がふッ……」

「私は……マユリ様の最高傑作なのですから」

「へ、へへっ……」

「下さる御命令は全て、私への信頼の証です」

「そーゆう……訳、ねっ……」

 

 ガクリと脱力するナックルヴァール。

 だが胸を貫かれている以上、地に崩れる事もできぬままネムに倒れかかる形となり、

 

「最期が……こんな美女の腕の中なら……まあ、死に方としちゃあ上等か……ね……」

 

 満足気な笑みを作り、自分に言い聞かせるように眠りについた。

 

 毒を毒で制する戦いの結末。

 それがこのような肉弾戦とは、笑い話にもならないとマユリは心の中で毒を吐いた。

 

「……君の“死を遠ざける究極の方法”とやらも、完璧からは程遠いらしいネ」

 

 やれやれと首を振るマユリ。

 

 そして、力なく前のめりに倒れた。

 

「成程ッ……これは、確かに……毒だヨ……ッ」

 

 息も絶え絶えとなりながら、迫りくる“猛毒領域”の壁を見遣る。

 ナックルヴァールが死に解除されるかと思いきや、言葉通り彼自身の意思でなければ脱出は許されないらしい。

 しかも、刻一刻と全身を蝕む症状は重くなる。

 要塞の主たるナックルヴァールに害を及ぼさぬよう加減されていた“致死量”が、極限まで威力を高めていく。

 

 最早身動きすら取れぬ肉体。

 どうする事もできないとマユリは静かに瞼を閉じた。

 

(免疫強化剤の効力は続いているが……はて、いつまで持つか。それよりこの空間そのものに圧し潰されるやもしれんな)

 

 人事は尽くした。

 癪な事に、後は流れに身を任せるしかない。

 

 結果を待つばかりの無様に反吐が出るような想いを抱くが、不意にそんなマユリの肩を何者かが担ぎ上げる。

 

「……何をしている、ネム?」

 

 毒沼で足掻く者が一人。

 血涙を流し、鼻血を垂らし、流血でしとどに濡れる片腕を晒し、死に体をぎこちなく動かす副官がどこへともなく歩を進める。

 

「この場より脱出を試みます」

「違う、私はお前の状態を訊いているんだヨッ!!」

「問題ありません。マユリ様が許可してくださった時間を超過こそしましたが、猶予はあります」

「……貴様……」

 

 耳を疑った。

 ともすれば、即死に直結しかねない行為。猛毒に溺れ、呼吸もままならぬ現状ならば尚の事。幾ら免疫強化剤を摂取したとは言え、死を早める愚昧にマユリは怒声を上げる。

 

「私がいつそんな命令を出した!!」

「命令はありません。私はマユリ様をお守りする使命を果たすだけです」

「違う!! お前の使命は成長だ!!」

「その成長を、マユリ様を守る事でお見せできると考えます」

 

 傍目からすればマユリの人形や傀儡に等しい言動をするネム。

 その彼女が真っ向から主に反論し、果てには一瞬でも押し黙らせる偉業を為したところで猛毒の城壁が往く手を阻む。

 使い手が“脱出不可能”と称した毒の要塞。

 それを破壊して出ようというものなら、並大抵の攻撃では為し得られぬのは想像に難くない。

 

 チャンスは一度限り。

 それを無為に帰さぬべく、ネムに打てる手段は唯一つ。

 

「『義魂重輪銃(ぎこんじゅうりんじゅう)』を使います」

「ッ……巫山戯た事を言うな!! そんなものを撃とうものなら、お前は……!!」

「問題はありません」

 

───父が与えてくれた体を信じている。

 

 そう言わんばかりに紡いだネムは、攻撃の余波に巻き込まれぬようにマユリを下ろす。

 すれば、残った右腕に直接切削した魂魄を収束させ始める。霊圧を注ぎ込むのではなく、魂魄そのものだ。唯霊圧を込めた弾丸とは違い、霊を司る肉体そのものを弾丸とした場合、威力は天と地ほども隔たっている。

 

 その代償として、文字通り()()()()

 

 不可逆な喪失。

 魂を削り過ぎれば生命維持すらままならなくなり、だからといって弱気になれば威力が足りなくなる。不可逆である以上、生命維持を考慮した上で二発目、三発目ともなればどうしても威力が下がる。

 

 なればこそ、一発目で決めなければならない。

 決めなければ死ぬ。

 成長を見せる事も、成長を見る者も消えてなくなる。

 

(それは、駄目)

 

 知っている。

 “被造魂魄計画”───無から魂を造り出す涅マユリの夢こそが、眠七號(じぶん)であると。

 

『起きたまま見る夢など馬鹿気ている。よって、私はこの計画を“眠計画”と名付ける』

 

 いつぞや、阿近から聞かされた話。

 自分が生み出された経緯と、その裏に隠れたマユリの想い。ぞんざいな扱いも、全ては己の傑作を信ずる心情を抱くからこそ。

 

 歪な信頼。

 歪んだ愛。

 生きている間延々と続く夢の中でしか存在しえぬ愛情を抱え、マユリとネムはこの世界に生きている。

 

 どちらが欠けても、この夢は醒めてしまうのだから───ならば。

 

「魂魄切削……10%……」

「やめろ、ネム!!」

 

 父の命も夢も背負い、娘は一歩、自分の足で踏み出した。

 

「『義魂重輪───……!!」

 

 

 

 

 

「───オヤ、誰かと思えばマユリかえ」

 

 

 

 

 

「「ッ!?」」

 

 突として毒々しい色の壁が開かれる。

 まるで縫い目を外すように、するりするりと。

 差し込む光芒の先に佇む人影は、死に体の二人を目の当たりに妖艶な笑みを湛えつつ、絡繰りの腕に携えていた針を仕舞う。

 

「貴様……何故此処に……」

「悪趣味な天幕の中で賊軍が争っているのを見かけたまで。成程、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。妾が手を掛けたらするりと開いたぞえ」

 

───つくづく癇に障る女だヨ。

 

 射殺さんばかりの視線を向けられても尚、妖艶な美女は微笑を浮かべるのみ。

 瑞々しい唇を歪め、賞賛の言葉を口にする。

 

「まあ、なんにせよ賊の一人を討ち取ったのは大儀よのう」

 

 会いたくない人間が居るとすれば、浦原喜助の次ぐ人物。

 よもや彼女に救われるとは思いもしなかったマユリは苦虫を嚙み潰したような顰め面を浮かべるが、

 

「おいおいおいおい!! 折角俺様達が来てやったのになんつう湿気た面晒してやがる!!」

「ちゃんボク達じゃ不服だったかNa()?」

 

 喧しい男の参上に、更に歪める羽目になった。

 

「怪我人に絡むテンションじゃないでしょうがッ」

「痛ェなちくしょー!!」

「Ouch!?」

 

 しかし、騒々しい乱入者は、のっしのっしと豊満な巨体を揺らす女に叩かれ地に沈んだ。

 

 瀕死で茶番を見せられる身にもなってみろ───マユリは瞳で雄弁に語る。

 

「わっはっは!! 皆、大分調子が戻ってきたようじゃの!!」

 

 そこへ呵々と笑う男が、カランコロンと下駄を響かせる。

 沈丁花を背負う羽織を靡かせる坊主頭は、死に体のマユリとネムを抱え、崩壊寸前の“猛毒領域”から連れ出すや、ニカッと白い歯を覗かせた。

 

「わざわざ霊王宮までご苦労じゃったの!!」

「……今更ノコノコと殊勝な事で」

「そこを突かれると耳が痛いのう。じゃが、ユーハバッハの事なら心配は無用じゃ」

「それはまた悠長な事を……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 豊かな髭を生やす顎を擦る和尚は、百万年もの世界の流転を見届けた慧眼を閃かせた。

 尸魂界の万物に名を名付け、霊なるものの真の名を()る彼の知見があればこそ、断言できる未来もある。

 

 

 

「今のあやつらならば、ユーハバッハにも敗けはせん」

 

 

 

 舌先三寸の希望的観測ではない。

 蓄えられた叡智は、これより訪れる未来を見透かしている。

 

 

 

 例えそれが改変されると知っても尚、揺るぎなく。

 

 

 

「わし等はわし等にしか負えん役目もある。さて、死神や破面の小僧共じゃ手に余る兵も居るようじゃし、一肌脱いでやらんとな」

 

 

 

 ***

 

 

 

「!」

 

 遠く離れた場所で、霊圧が一つ感じ取れなくなった。

 高濃度の霊子と近場の強大な霊圧が邪魔をし、正確な判別をつけられない。だが、状況から言ってマユリのものであると察した者はちらほらと居る。

 一方的に嫌悪されている浦原も、ある意味長い付き合いの焰真も。

 しかし、誰もが彼の生存を信じて疑っていない。彼はこの程度で死ぬようなタマではない───そのような確信があるからだろう。

 

「……結構上まで来たな。あとどれくらいだ?」

「さあな。勘で上っちゃいるが、ユーハバッハの野郎なら最上階に居るだろうよ」

「勘って……お前なァ」

「文句言うな。これだけ派手に模様替えされてたら、案内も糞もないだろ」

 

 リルトットの言葉に呆れる焰真。

 元々案内してくれる代わりに霊王宮へ連れていく約束だったはずなのに、これではただただ同行しているだけではないか。

 

 しかし、彼女の言い分も尤もだ。味方を切り捨てて築き上げられた城塞である以上、見限られた者達に詳細な地図が与えられる道理もない。

 太陽の門を通じ、真世界城近くまで転移できただけでも万歳と言ったところか。

 自分を納得させる焰真は、天を衝く滅却師の居城の石畳を踏みつけながら首魁の許を目指す。

 

 だが、勇んでいた歩みは唐突に静止する。

 

「ッ!」

「? どうした」

「……お出迎えが来たみたいだ」

「あ? 一体誰が……───!」

 

 夜の帳が下りた今、月光さえ届かぬ暗がりに佇む人間の気配を悟るのは至難の業だ。

 だが、嫌という程に刃を交えた仇敵の息遣いや歩みの感覚、そして極限まで抑えられた霊圧ですらも間違えはしない。

 

 

 

 

 

「───出てこいよ、ユーグラム・ハッシュヴァルト」

「───名を覚えられていたとは光栄だな、芥火焰真」

 

 

 

 

 

 見えざる帝国皇帝補佐であり、星十字騎士団最高位。

 ユーハバッハの側近───ハッシュヴァルトが、影よりその姿を現した。

 

「……お前が出てきたって事は、そろそろユーハバッハの処に辿り着くって意味だよな?」

「その問いに答える義務は無い。だが、私の責務は真世界城に侵入した賊軍の排除……つまり、君達は此処で私が葬り去る」

 

 剣を抜く滅却師に、死神も刀を抜いた。

 

「この頭数を相手に一人とは……皆サン、気をつけて下さいよ」

 

 傍から見れば多勢に無勢。圧倒的にハッシュヴァルトが不利だ。

 しかしながら、迎え撃って来た以上策があると踏む浦原は最大級の警戒心を以て身構える。

 

 だが、

 

「待ってください」

「芥火サン?」

「こいつは……俺一人でやります」

 

 煉華を握る焰真が対峙する。

 

「……理由をお聞かせしてもらっても?」

「こいつは自分の傷を相手に移す能力があります。大勢でかかれば相手の思う壺だ」

「成程。それで芥火サンなら上手くやれると」

「───星煉剣が一緒なら、やれます」

「承知いたしました」

 

 皆サン、と浦原が声を上げる。

 その一声で大方を察した黒の軍勢は、行く手を阻むハッシュヴァルトを無視して進軍を再開した。

 

「征かせはしない」

『!』

「陛下の御寝を妨げる者は───何人たりとも許されない」

 

 それを妨げんと、光の翼が開かれた。

 神々しい輝きを放ち、夜を照らす清浄なる光。

 

「───『神の審判(ハシュトロン)』───」

「卍、解ッ!!!」

「!」

 

 だが、それすらも焼き尽くす浄罪の獄炎が雄叫びを上げる。

 

「───『星煉剣』ッ!!!」

 

 振るわれる刃が衝突し、眩い天火を辺りに散らす。

 それは真世界城そのものを揺らす激震を生み出し、一つの階層に広がる衝撃波で亀裂を刻む。

 鍔迫り合いを演じる両雄。

 片や赤い燐光を放つ白炎を滾らせれば、片や青い幽光を揺らせる光輪を閃かせる。

 刹那、霊子の衝撃波が波紋の如く広がり、辺りの砂塵を吹き払う。

 距離を取り、刃を構える焰真は険しい形相のまま、一度は辛酸を舐めさせられた相手に闘志を燃やす。

 

「……二度も仲間をやらせはしねえ。ルキアの……十三番隊の皆が受けた傷の借り、俺がこの場で返させてもらうぞ……!!」

「……何をそう(いき)り立つ。私を殺したところで死んだ人間は生き返らない。無為に人を殺める柄でもないだろう」

 

───お前に私は殺せない。

 

 暗に示唆するハッシュヴァルトであるが、眉尻を顰めた焰真は剣呑な雰囲気を纏ったまま、今一度柄を強く握りしめる。

 

「……そうだな、死んだ人間は……生き返らない」

 

 今は亡き者達を想い、燻っていた魂が熱を帯び、灼熱となって燃え盛る。

 それは業火を彷彿とさせる霊圧となって噴き上がり、闇夜を照らす明星と化す。

 

「だから……俺は死ぬ気で護ってきた。今までも……これからもだッ!!!」

「……無駄な足掻きだな。君に変えられるものは何一つない」

「その運命を変えにきた」

 

 満ちる静寂を、仄かな光が照らす。

 

「……」

「……」

 

 カチャリ、と刃が振れた。

 

 

 

「───ォォォオオオ!!!」

 

 

 

「なっ!?」

「ッ……!!」

 

 突如、暗黒を紅蓮の炎が染め上げる。

 

「ユーゴー!!!」

「バズビーか……」

 

 リルトットと共に霊王宮へ同行した星十字騎士団、バズビー。

 己の存在を知らしめるように爆炎を迸らせた彼は、グラグラと燃え上がる瞳を仲間だった滅却師へ一心に注ぐ。

 

「漸く会えたぜ……なあ」

「……どういうつもりだ。死神と手を組んだか?」

「手を組んだ? 馬鹿言え、先に手を切ったのはユーハバッハの方だろうよ。それに俺は死神と組んだつもりはねェ」

 

 今にも爆ぜんとする闘志を抑え込み、バズビーは紡ぐ。

 

「俺はてめえと決着をつけに来たんだ、ユーゴー」

「───……」

 

 幽かに、翼が揺らいだ。

 それはバズビーの熱に煽られたのか、はたまた別の理由か。

 

 陽炎の中で揺らめくハッシュヴァルトの姿を目の当たりにする焰真は、乱入者へと問いかけた。

 

「……本当にそいつと戦うつもりか?」

「あぁ? 何当たり前の事訊いてやがる。俺は元からそのつもりだ」

「ユーハバッハを殺すよりも前に、か?」

「……あぁ」

 

 一触即発の空気だが、焰真もまたハッシュヴァルトとの戦いを望む者。

 彼は強い。前回は卍解が使えない状態だったというのもあるが、それを差し引いても余りある練達された技と力があるのを知っている。

 だからこそ、聖別で力の多くを奪われたバズビーに立ち向かえる相手でない。

 

 しかし、決意に固められた眼を見るに、口で言って聞く筈もないのは火を見るよりも明らかだ。

 

「……勝手に戦え。だけど、俺もそいつを負かさなきゃならねえ」

「てめえ……」

「確か言ってたよな? 手柄って訳じゃねえが───こいつは奪い合いだぜ。先に用を済ませたもん勝ちだ」

「チッ!」

 

 不承不承といった態度。

 だが、バズビーもまた退き下がる様子を見せぬ焰真に合意せざるを得なかった。

 

「仕方ねェ……どうにかてめえを出し抜いてやるよ、芥火焰真」

「だからって俺を狙ったらぶった斬るからな」

「はっ! 上等だァ……俺は誰にも敗けるつもりはねえぞ!!!」

 

 指折り数えて待った雌雄を決する刻。

 

 

 

「俺と戦え、ユーゴォォォオオオオオ!!!!!」

 

 

 

 燻っていた心火は、鬨の声を上げた。

 

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