BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*97 Spirits Are Always With You

 ここは魂の生命線、綜合救護詰所。

 一時は見えざる帝国によって機能を奪われはしたが、滅却師の街並みが剥がされたことにより、元の治療施設へと復活していた。

 

「重傷者はこちらへ!」

「もうとっくに寝台が足りないんだ! 誰か毛布を持ってこい!」

「大丈夫、大丈夫ですから! もうちょっと頑張って!」

「安置所も満杯なんだ! 一体どこに置けってんだ!?」

 

 しかし、状況は芳しいとは言えない。

 あれほどの激戦の最中、辛うじて運び込まれてくる者のほとんどは瀕死の重傷を負っていた。

 

 識別救急の観点においては傷が深い者から治療するのが普通だ。しかしながら、本来最優先するべき者を治療していれば、次に優先するべき負傷者の状態が悪化して死に至る。そうして助かるべき命を見捨てるケースが幾度となく発生した。

 

 既に遺体安置所は満杯だ。先の第一次侵攻で運び込まれて以降、火葬するのも間に合わなかった遺体が山ほど存在している。そこに運び込むのもままならない以上、絶命した者は寝台を開ける為にも邪魔にならぬ場所に移動するしかない。

 

(……まずいな)

 

 立ち込める沈んだ空気に、四番隊第三席・伊江村八十千和は危機感を覚えていた。

 第二次侵攻が始まってから既に二日経った。単純な疲労もさることながら、終わりの見えぬ戦いより湧き上がる不安が、隊士達の士気を大いに下げていた。

 こればかりは責めきれないと伊江村は独り言つ。隊長・副隊長が現場に居らず指揮を執る立場に立ち、度々叱咤激励を飛ばしてきた自分でさえ、今ばかりは疲労と不安で倒れてしまいそうだ。

 

(だが、卯ノ花隊長と虎徹副隊長はこの場を私に任された。今私が諦める事は助けられる命を見捨てるも同義。気張れ、伊江村。お前が立たずして誰が傷ついた者を癒すのだ)

 

 頬を張り、酷い隈が浮かんだ顔を引き締める。

 空元気もいいところだが、護廷隊の主戦力が昨晩霊王宮へと上がったと技術開発局から連絡を受けた。今のところ音沙汰はないが、彼らの勝利を信じて待つしかない。

 

「……よし、時間だ!! 第八から第十救護班は休憩に移れ!! 休息を取らねば救える命も救えんぞ!! 第十一から第十三班までは私と共に負傷者の治療に当たれ!!」

「し、しかし伊江村三席! もうずっと寝ておられないのでは……?」

「気にするな、私はお前達とは鍛え方が違うのだ。心配している暇があるならお前もさっさと交代に向かえ!」

「は……は!」

 

 心配する隊士に内心謝りつつも檄を飛ばし、伊江村は自身が担当する負傷者への治療に移ろうとした。

 

「っ……なんだ!?」

「三席! 空から光が!」

「なんだと……!?」

 

 しかしその時、空から眩い光の雨が瀞霊廷目掛けて降り注いでくる光景が目に入った。

 とてもではないが直視できぬ光量。敵襲かと咄嗟に身構える伊江村は、一瞬死を覚悟したかのように瞼を閉じる。当然詰所内も謎の光にどよめきが走ったが、

 

「……何も……ない? 敵襲じゃないのか?」

「さ、さ、三席!」

「今度は一体どうしたというのだ!?」

「あ、っと……そ、その」

「いいから落ち着け!」

 

 蒼白と紅潮を繰り返す顔で駆け寄って来た隊士の一人が、言葉がまとまらぬ内にある部屋の方向を指さす。

 

「い、遺体……死体が、う、うご、動いて……!」

「なに!?」

「他の場所でも同様の、あわ、わわわ……!」

「ええい、もういい! 私が直接確かめに行く!」

 

 要領を得ない報告に我慢できなくなった伊江村は、動揺に沸き立つ通路を押し退け、遺体安置所へと飛び込んだ。

 

「な……なんだ、これは……!?」

 

 そして愕然とする。

 そこには死んだはずの隊士が何事も無かったかのように起き上がり、蘇生した当人が生きている事実に困惑し合う───何とも荒唐無稽で、夢と疑うような光景が広がっていたのだから。

 しばし茫然自失と立ち尽くしていれば、どこからともなく現れた第八席・荻堂春信が『おぉ……』と気の抜けた声を漏らす。

 

「……伊江村三席」

「……おい、荻堂。私を殴ってくれ」

「はい」

「ごぶっ!!? かっ、間髪入れず殴る奴があるか!!」

「え~、殴れって言ったのは伊江村三席じゃないですかー」

「貴様……!!」

 

 伊江村の斬魄刀を荻堂が白刃取りする。

 こんなことをしている場合ではない───と言いたいところがだが、こうでもしていなければ正気を保てぬ程に信じ難い状況なのだ。

 ある者は驚きに立ち尽くし、ある者は喜びに沸き立ち、ある者は溢れる感情に涙を流すばかりである。

 

 悲喜交々の波濤はそうして詰所全体に波及していく。

 

「───皆、病室ではお静かに」

 

 鶴の一声が、聞こえるまでは。

 シンッ……、と静まり返る詰所。畏怖と困惑に塗り替えられた空気の中、ようやく口を開いた伊江村は、やはり信じられぬ人物の登場に眼鏡がずり落ちた。

 

 

 

「う……───卯ノ花隊長!」

 

 

 

 体裁を取り繕う余裕もなき、目尻に涙を浮かべる生真面目な部下に、四番隊の母たる死神は柔和な笑みで応えた。

 

「八十千和、綜合救護詰所(ここ)をしばらく空けてしまいすみませんでしたね。とても苦労を掛けてしまったでしょう」

「そんな……そんな……私はただ必死に……!」

「して……勇音はどこへ?」

「虎徹副隊長でしたら上へ……いえ、霊王宮へ京楽総隊長率いる部隊と共に、ユーハバッハを討ちに向かいました!」

 

 部下の報告に『成程』と頷く卯ノ花は、胸に刻まれた傷跡をなぞりながら空を見遣る。

 今尚光の雨が降り注ぐ雲一つない朝焼けの空は、どこまでも広く、どこまでも澄み渡っていた。

 

 阻むものは何一つなく。

 そうして傷つく臥した者に恵みをもたらす“力”は、とある男を覚醒(おこ)す犠牲となった卯ノ花にも命を吹き返させたのだ。

 

 血と死の臭いに満ち満ちる戦場を洗い流す慈雨は、紛れもない奇跡となって死神を祝福する。

 清廉な雨に打たれる卯ノ花もまた、掌に零れる力の温もりに頬を緩ませ、実に晴れ晴れとした微笑みを天上へと向けた。

 

「……やり遂げたのですね」

 

 確信と共に振り返る。

 

「皆、静粛に」

『!』

「仲間の傷が癒え浮足立つ気持ちは分かります。しかし、今我々が為すべき事はなんでしょう? 喜びと驚きにその手と足を止める事ですか? ───いいえ、違うでしょう」

 

 弛緩していた空気が四番隊士の表情と共に引き締まる。

 

「……それで良し」

 

 満足気に微笑む護廷隊の慈母は、隠す必要のなくなった傷跡を晒しながら羽織を翻す。

 

「共に救いましょう、傷ついた者を癒す……それこそが四番隊の責務なのですから」

 

 

 

 ***

 

 

 

 冷涼な風が頬を撫でる。

 血が通っている。そう悟ったのは数秒遅れてからだった。

 

「……あ?」

「おう、起きたかバズビー」

「……リルトット」

 

 怠そうに身を起こすバズビーは、傍から声を掛けた金髪の少女へ目を遣った。

 ついでに自分の胸へと手を当てる。復讐の炎に駆られるがまま特攻を仕掛け、命を賭して隙を作った身体には不思議な事に傷一つ見当たらない。

 

「生きてたのかよ」

 

 自分にも、そして先行していた少女にも言い放つ。

 

「『生きてた』、って言い方には誤解があるな。『生き返った』って言った方が正しいか」

「あぁ?」

「口で言ってもわからねえだろ。でも……ほら」

 

 見てみろよ、とリルトットが空を指さす。

 既に夜が明けた空からは眩いばかりの光が瞬き、傷ついた人へ、大地へ、世界へと降り注いでいく。

 

 見覚えのある現象だと唖然するバズビーは、同時に導かれる(こたえ)に驚愕を零す。

 

「……聖別(アウスヴェーレン)……」

「ああ。どうやらオレらの王様は一杯食わされたみたいだぜ」

 

 味方ながら『傍若無人』と称すより他ないユーハバッハが聖別で叛逆した者を蘇生する等、それこそ天地が引っ繰り返りでもしなければ起こるはずもない。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()

 

 天から砂粒を見下ろしていた魔王が、砂粒と断じていた星々に眼を焼かれたと断じるには十分過ぎる光景が広がっている。

 しかしバズビーの表情は晴れない。

 

「……どうでもいい」

「それもそうか。だが、案外死神もやるもんだな。察するに黒崎一護と芥火焰真辺りが仕留めたんだろうな。特記戦力たぁ言われてたが、まさかそこまでのタマとは」

「……そうだな」

「なんだ、さっきから辛気臭ぇ面しやがって」

「……別に……」

 

 そっぽを向く男に少女はやれやれと一息挟む。

 

「にしても、甘ちゃんは死神の中だけじゃなかったみたいだな」

「あ?」

「誰がオレらをここまで運んだと思ってんだ」

 

 言われて納得する。

 死ぬ直前を思い出せば、胴体を貫かれた後に放り投げられたはずだ。それがわざわざリルトットと同じ場所に集められていた以上、何者か意図して仕向けたに違いない。

 

「てめえも一言くらい礼は言っておけ」

 

 振り向かぬまま、背中の方へ向けた親指で指し示す。

 そこには銀架城で何度も見かけたことのある女性が畏まった様子で佇んでいた。

 

「てめえは……ハッシュヴァルトの」

 

 皇帝補佐たるハッシュヴァルト、その側近を務めていた聖兵の一人。

 聖文字こそ持たないが、純粋な弓矢の取り扱いや戦闘力では一部の星十字騎士団にも勝るとも聞き及んでいる。

 

「俺は裏切り者だぞ」

 

 単刀直入に言う。

 ユーハバッハに反旗を翻し、あまつさえ彼女の主たるハッシュヴァルトすらも手にかけた以上、殺される理由はあっても救われる理由はない。

 黒目がちな女滅却師の思惑を見透かすべく、あえて喧嘩腰は崩さない。

 すれば凛とした表情を崩さぬまま女滅却師は口を開く。

 

「ハッシュヴァルト様のご命令です」

「……なんだと?」

「『何があろうと、滅却師の未来を繋げ』───それがハッシュヴァルトのご意思であられました。故に負傷した滅却師はひとまとめに回収し、我々が手を尽くしておりました」

「……あの野郎」

 

 つまり、始めから殺すつもりはなかった訳か───否、手向かうのなら殺めるのも厭わない。そういうスタンスであったのだろう。

 どこまでも生真面目で融通の利かない彼らしい命令だ。

 

 最後の最後まで友情と忠義の間で揺れ動き、全社に秤を傾けた男の……。

 

「……そう……かよ」

「おい、バズビー」

「……なんだ」

「感傷に浸るのもそこまでにしとけ」

 

 客人が来てるぜ、と彼女にしては柄でもない揶揄うように顎で指し示す。

 言われるがまま振り向くバズビー。瞬間、世界が止まったように身動きが取れなくなった。

 

「……お……まえ」

 

 事前に思い至ることはできた。

 そうならなかったのは偏に込み上がる自責の念からだ。友を殺したという拭い難い罪から。

 

 それでも“彼”は手を差し伸べた。

 

「───バズ」

「───ユーゴー」

 

 焼け焦げたコートは熾烈な死闘の名残を色濃く残している。

 しかしながら、灼熱の炎に貫かれた胸には傷一つ残ってはいなかった。自分達の闘争など無意味だと言わんばかりの姿。それが今は堪らなく悔しく、堪らなく喜ばしい。

 悲喜交々とする頭では苛立つくらい言葉が出てこない。それほど感情はゴチャゴチャとバズビーの中で渦巻いていた。

 

 だがあれこれ考えている内に自然と手を取り合っていた。

 何の躊躇いもなく。今までの心火や葛藤が嘘であったかのように。

 

(いや……きっと最初からそんなもんだったんだろうな)

 

 ただ、意地を張っていただけだ。

 子供の頃からずっと抱いていた優越感が裏返り劣等感へと変わったその嫉妬の炎を、大人になっても延々と燃やしていたに過ぎない。

 

 快く送り出せばいいものに追い縋り、歩み寄ればいいものを突っ撥ねて。

 

 馬鹿は死んでも治らないというが、まさか一度死ぬまで張り合うとは思いもしなかった。

 だからこそ、先刻の殺し合いがおかしくて仕方なくなる。

 辛気臭い表情を浮かべる親友を前に意図せず噴き出せば、ハッシュヴァルトは困ったように笑ってみせた。

 

「仲直り……してくれるか?」

「……仕方ねえな、子分の頼みならよ」

 

 そう言ってみせるのがせめてもの意地。

 どんなにつまらない意地でも千年も張り続ければ立派なプライドだ。そう言わんばかりに下がらないバズビーに、ハッシュヴァルトもお手上げと友を引っ張り上げた。

 

「……分からねえな、男の友情は」

 

 ただの友として握手を交わす二人に、リルトットは淡々と感想を紡ぐ。

 

「だがまあ……珍しいモンは見れたな」

 

 

 

 ***

 

 

 

「生きとる」

 

 開口一番、市丸が言い放った言葉がそれだ。

 

 ペルニダの『強制執行』を喰らい心臓を中心に内臓を折り畳まれ絶命したが、訳も分からぬ内に蘇っていた。日番谷が気を遣って生み出しただろう氷の棺の奥では、かなりの瓦礫が積もっている。それだけで自分が死んでからかなりの激戦が繰り広げられていたことは想像に難くない。

 井上織姫の“事象の拒絶”でもなければ、四番隊の回道でもない。ましてや芥火焰真の“絆の聖別”でもないが、空を見上げる限り似たような事象が起こって死人が蘇生しているとは察しがつく。

 

───また死に損ねた。

 

 希死観念があるつもりはないが、自分が生きていると知ればうるさい者が一人居る。それも此度は劇的な別れをした分、再会した時になんと言われるか想像しただけでも億劫になってくるようだ。

 

「……ま、ここに居ってもしゃーないしなぁ……」

 

 どちらにせよ霊王宮に居る以上、人知れずトンズラといく訳にもいかない。

 ユーハバッハに勝ったにしろ負けたにしろ、この天空楼蘭を去るには自分一人の力ではどうにもならないのだから。

 

「気ィ重いけど皆ンところ行くしかないかぁ」

 

 言葉よりは飄々と。

 しかしながらやはり重そうな足取りで見覚えのある霊圧を感じる市丸は、誤魔化すように朝焼けへ顔を向けた。

 

「いやぁ、それにしても……───ええ天気やなぁ」

 

 こんなにも頬が紅く染まる理由は百年来の想いを告げたからか。

 やはり足取りは重く、それでいて浮足立つように市丸は先を急ぐことにした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 天より降り注ぐ光の雨。

 聖別───幾千年もかけて奪い去られた魂の力が、今だけは傷ついた人々を癒す恵みの雨と化していた。

 

「ぐおおおお!? ば、馬鹿な……こ、これはまさか……!」

「ようやく理解したか、ユーハバッハ」

 

 今尚力を放出し続けるユーハバッハへ、聖別によって傷が癒える一護が淡々と告げる。

 

「銀城から貰った完現術……そいつの中にはXCUTIONの皆の完現術も混じってた。月島の『ブック・オブ・ジ・エンド』……それに沓澤のおっさんの『タイム・テルズ・ノー・ライズ』。二つの力をあの時の月牙天衝と一緒にアンタへぶち込んだ」

「過去に挟む力……そして時の神との契約……ぐっ、成程! 確かに私を謀るにはこの上ない力だ! ───しかし!」

 

 力を奪い続けられても尚、超絶とした霊圧を漆黒の波濤として解き放つ魔王は叫ぶ。

 

「甘いぞ! 霊王を取り込んだ私に……私の力に高々完現術如きで抗えると思うな!」

 

 完現術とは霊王の欠片を取り込んだ者に発現する力。

 全知全能の神であった霊王の魂の一部分でありながら、神の領域を侵しかねない権能を発揮する一方で限度はある。

 織姫の『舜盾六花』も死した霊王の蘇生は叶わなかった。“事象の拒絶”ですら回帰が叶わない霊王の力と体の特異性を示すケースだ。

 

 そして今、ユーハバッハは斯様な霊王を取り込み全知全能の神の座を簒奪してみせた。舜盾六花の一例を考慮すれば、今回の虚を突いた作戦も『全知全能』により改変されてもおかしくはない。

 

 しかし、あくまで四人の勇者は泰然と魔王を見据える。

 

()()? 違うな、抗えないのはお前の方だ」

「なんだ───とォ!?」

 

 澄み渡る焰真の宣告。するや改変に手を染めようとした魔王を美しくも禍々しい翡翠の炎が包み込む。

 抵抗する魔王を裁く火刑の如く、猛々しく燃える炎。それは契約を破棄せんとする不届き者へ科される絶対の報復であった。

 『タイム・テルズ・ノー・ライズ』───一度仕掛けた時の歯車は、全ての契約を履行するまで止まりはしない。仮に取り出そうと手を掛けようものなら歯車は下手人諸共塵と還る。

 

「ぐ、がああああっ!」

「万全のお前なら結果は違っただろうな。だけどこの賭けは……俺達の勝ちだ!」

「おのれぇぇえっ!」

 

 ユーハバッハが改変しようにも、時の神の報復がそれを許さない。

 苛烈に燃え上がる炎は抵抗する力を奪い、結果的に聖別によって振り撒かれる力の量を後押しする。

 

 焰真が告げた通り、これは全員が掴み取った勝利だ。

 

───太陽の門に導いたリルトット。

───ジェラルドを引受けた帰面。

───ペルニダを命を賭して仕留めた市丸。

───リジェを相手取ったXCUTION。

───ハッシュヴァルトを討ったバズビー。

───御寝を妨げ、力の回復を抑えた護廷隊。

───業と魂を代償に『全知全能』に抗った焰真。

───真世界城を破壊して援護した雨竜。

───全員の完現術を託しに現れた銀城。

───渾身の一撃と共に未来への布石を打った一護。

 

 遡れば数え切れない。だが少しでも運命の歯車がずれていれば、砂粒は希望に縋る間もなく轢き砕かれていただろう。

 だが一人一人の力が。未来を変えようとする意志が、未来を変えようと迫る魔の手を喰い止め、轢き砕こうとする歯車を狂わせて一矢報いたのだ。

 

 苦しむユーハバッハへ一護は告げる。

 

「アンタ言ったな、俺達に変えられるものなんてないって」

「ぐ……ぐぐぁ……!」

「今度は俺が言ってやろうか。今のアンタに───変えられるもんなんて一つもねえよ」

「がああああああっ!!!」

 

 絶叫、もしくは慟哭とも呼べる声を迸らせる魔王は地に膝を着ける。すれば立ち昇る光の柱は一層輝きを増す。

 何千、何万、はたまた何億にも及ぶ魂を糧とした力の流出は早々に止まるはずがない。

 刻一刻と天を満たす光の暈はどこまでも広く、どこまでも明るく世界を照らし上げる。その渦中に立つ四人も、降り注ぐ恩恵を浴びては戦いの傷が全快していく。

 

 形勢逆転。

 この場を言い表すに、それ以外の言葉は見当たらない。

 

───福音はそれだけに留まらず。

 

「───一護! 焰真!」

 

 声を揃えて振り返れば、爛々と瞳を輝かせる少女が一人駆け寄ってくる。

 瞬間、泰然を装っていた焰真の顔がみるみるうちに崩れていく。二度と言葉を交わせないと覚悟した。だからこそ再び言葉を、眦を、心を通わせられる喜びは一入だった。

 

「ルキア……!」

「何を泣いておる、このたわけめ!」

「うるせえ……っ」

「まったく……貴様は私が居ないとすぐ腑抜けになる」

 

 溜め息を一つ零し、少女は面を伏せる少年の肩に手を置いた。

 だが強がれるのも長くは続かなかった。忸怩たる思いを抱くルキアは、鈴を転がしたような心地よい声音を紡ぐ。

 

「目が覚めるまで酷い悪夢を視ていた……敵の傀儡となり仲間に刃を向ける夢だ」

「……あぁ」

「……夢などではなかったのだろう? 皆には辛い思いをさせてしまったな。悔やんでも悔み切れぬ……───済まぬ」

「……誰もお前の後悔に興味なんてねえよ、気にするな」

「っ~~~、貴様ぁ! 人が折角謝ってやってるというのに!」

 

 がなるルキアに足蹴にされつつも、焰真は微動だにせぬまま穏やかな笑みを浮かべるばかりだ。

 と、漫才のようなやり取りをしていれば続々と見知った霊圧が集まってくる。

 そこには神敵の傀儡と化し、仲間に剣を振り翳す死霊は一人も居ない。

 

 駆けつける黒の葬列は刻まれた勇気の軌跡を辿り、未来を切り拓いた奇跡の舞台へと到着した。

 

「一護ぉ! てめえ、やりやがったんだな……焰真も!」

「恋次! ───いいや、まだだ」

「なんだと?」

「本当に決着をつけるのは……これからだ」

 

 審判を下すように刃を振り下ろす焰真。

 その鋒の先を全員が辿る。

 其処にはあらゆる命を吸い尽くし、世界を混沌へと陥れようとした巨悪が蹲っている。既に力の大部分は吐き出され、先刻までの骨身を磨り潰そうと圧し掛かる霊力は感じられない。

 必死に身を起こそうと突き立てる腕は震え、畏怖と暴虐をまき散らしていた威風は見る影もない。

 

「───終わりだ、ユーハバッハ」

 

 今度こそ、と付け足す。

 弱弱しい王の命は最早風前の灯火。誰が見てもそう思う他ない光景を前に雨竜が呟く。

 

「……“三重苦”。見えざる帝国の人間から聞いた話だ。ユーハバッハは力を奪い続けない限り目も、口も、手も動かせない不全の身体に戻るらしい」

 

───今がまさにその時だ。

 

 やけに澄んで響いた言の葉を前に、魔王は冷笑する。

 

「フ、フハハ……終わりか」

「取り返せるだけのもんは取り返してもらったぜ」

()()()()()()()? ───馬鹿を言え!」

 

 嗄れた声を吐き出す男は天に手を翳す。

 

「ただの一度……私から奪ったから何だ!!」

 

 収斂する光。

 胎動する力の震動は霊王宮全土を激しく揺さぶり、眼前に立ち並ぶ戦士らの緊張を一気に高めていく。

 

「わざわざ私の前に現れるとは殊勝な事だ! 奪われたというのなら……今、ここで! もう一度貴様らから奪い尽くすだけだァ!」

 

 吹き荒れる力の余波が熱気の立ち込めていた場を薙ぐ。

 力を奪われたとしても滅却師の王。霊王を取り込んだ今、聖別で吐き出し尽くしても尚持ち得る力は凄まじい。

 

「野郎……!」

「この期に及んで!」

 

「───解ってねえな」

「下がってくれ、恋次。ルキア」

 

『!』

 

 しかし暴風から全員を護る様に二人が一歩前へ踏み出した。

 一護と焰真。黒衣を暴威に靡かせながら剣を振り翳す一護へ、背中を押す様に焰真が手を添える。

 

 刹那、極大の光の柱が双星に降り注ぐ。

 どこまでも眩しく、どこまでも明るく、どこまでも優しい温もりに溢れた光。木漏れ日から差し込む陽光にも似た一際強く光り輝く力の到来は、吹き荒れる暴風を瞬く間に抑え込む。

 

 これには魔王の表情に険が刻まれる。

 

「その力は……“絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)”か!!」

「ああ、そうだ」

「フ……フハハハハハハハ!! そうか!!」

「何がおかしい?」

 

 哄笑する相手へ問いかける焰真へ、ユーハバッハは答える。

 

「やはりお前達も私と本質は同じ!! 奪わねば何も成し遂げられぬ一つの魂よ!!」

「……」

「奪うなと謳いながら、その手は数多のものを奪ってきた罪に穢れている!! それは物であり命であり……幸福だ!! お前は他者の幸福を踏み躙り生き永らえている!! そうして築き上げた世界はお前にとってさぞ心地よいものだろうなァ!!」

 

 声高々に叫ぶ。

 対する焰真は目を伏せる。思う所があるのか噛み締めるように深く頷き、漸く上げられた面は───覚悟が固まったように凛然と化していた。

 

「───ああ、そうだ。俺はきっとたくさんのものを奪ってきた」

「認めるか、我が闇の子よ……ならば!!」

「だけどそればっかりじゃない。俺が手にしたものは全部奪ったものなんかじゃない。誰かが善意でくれたものだってあるはずだ」

「綺麗事を……一体誰がその心の裡を知れると言うのだ!? もしお前がそうだと思い込んでいるのなら余程御目出度く育てられたようだ!! 自身の欲望を知られぬ様にと目論む他人にな!!」

「……悲観してるんだな」

「何……?」

「だから世界が色褪せて視える。鬱陶しくて堪らないんだろ? その未来を見通す眼とやらでも映せない心が……そいつが自分を脅かすんじゃないかと不安で仕方なくなる。───違うか?」

 

 一心に注がれる視線に思わず狼狽する。

 が、それすらも湧き上がる力で抑え込んで吼えた。

 

「……知った風な口を利くなァ!!」

「ユーハバッハ……!」

「この世界は私が奪い尽くす為に存在する!! 力も……魂も……心でさえも!!」

 

 魔王より溢れ出す漆黒の波濤が大地を埋め尽くさんと領土を広げていく。

 だがしかし闇の侵略は光芒を前にして立ち止まる。一護と焰真より解き放たれる力が、魔の手を仲間へ伸びぬようにと阻んでいた。

 闇と光は決して相容れない。

 思想や願望、あらゆる点において分かり合えないと悟った一護は決意を固めた───それでいて寂しそうな感情を滲ませた顔で剣を掲げた。

 

「奪えねえよ、アンタには」

「───!!!」

「この力を……心の在り処はな!」

 

 光が、輝きを増す。

 

 闇の侵攻を歯牙にもかけない勢いで立ち昇る光の柱へ、ありとあらゆる方向から光がやって来る。

 何十も、何百も、何千と訪れる光は未だ留まる事を知らない。

 燦々と煌めく光芒。直視できぬ眩さを放ち、二人の死神を目指す力の許は傍に居る仲間だけではない。

 

 

 

 離れた世界に居ても、絆は繋がっている。

 

 

 

「見せてやるよ、ユーハバッハ! アンタにも変えられないモン……その眼に焼き付けろッ!」

 

 

 

 心がある限り、何処までも。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「おい、朝から何辛気臭い顔してんだよ。有沢」

「そりゃお互い様だろ」

「まあ……そりゃあ」

「この前隊長さんにあんなこと言われたばかりだしね。有沢と啓吾が不安なのも分かるよ」

「……その癖平気そうな顔してんな、水色」

 

 現世、空座町。

 太陽が昇れば町の住民がいつも通りの世界を送る───世界の裏側で命運を分かつ大戦が繰り広げられているとも知らず だが数少ない有識者として、一護や織姫の学友である浅野啓吾、有沢竜貴、小島水色の三人が居た。

 

 遠く離れた尸魂界で戦っている友人を想う三人。胸中に不安を覚えていないと言えば嘘になるが、誰もが彼らの無事を信じて待っていた。

 

「まあ、チャドと石田も一緒だろうしね。朽木さんを助けた時も、井上さんを助けに行った時も大丈夫だったんだから今回も平気さ」

「でもよ、万が一……」

「……あぁー!! むしゃくしゃする!!」

「うおおおお!!? あ、有沢さぁん……急に叫んでどうしちゃったの……?」

 

 突然頭を掻き毟る少女に恐れおののく啓吾。

 逃げ腰になりながら問いかければ、言うまでもなく苛立った様子の竜貴が啓吾の胸倉を掴み上げる。

 

「一護も織姫も! どうしてそんな大事な事を言わないまま先走んだ!」

「俺に言っても仕方ないよね!? あ、やめて有沢さん! そんな前後に揺らさないで! 俺の頭がシェイクされちゃうから! ただでさえバカなのにもっとおバカになっちゃう!」

「啓吾は元々バカだから心配ないよ」

「水色!? お前今サラッと酷い事言わなかった!?」

 

 と、散々な目に合う啓吾が解放されたのは竜貴の癇癪が終わった後。

 グロッキー状態になり電柱に寄りかかる啓吾を放した彼女は、はぁ~……と長い溜息を済ませて空を仰ぐ。

 

「他人の心配も知らないで……ホントっ……」

 

 呟くや、啓吾と水色も似たような空気を纏った。

 誰もが友人の心配をしている。いや、長い付き合いを経た彼らは“仲間”と呼んで差し支えない絆に結ばれていると確信していた。

 だからこそ許し難い。何の相談もなく危険な戦いへ身を投じた仲間が。自分らの心配を無下にするような彼らが。

 

「……いや、こりゃ八つ当たりか」

 

 しかし、すぐにそれは自分の頭が否定した。

 

 彼らはいつも他人の為に体を張る人間だ。

 泣き虫だった一護も、天真爛漫で優しい織姫も、義理堅い泰虎も、ひどく生真面目な雨竜も、いつも誰かの為に戦っている。

 彼らが戦う時があるとすれば、それは譲れないものを護る時に違いない。

 その中にはきっと自分の存在もあるのだろう。

 だから、この想いは我儘に過ぎない。頼りにされたいと願う自分の押しつけがましいお節介だ。

 

「でも、関係ないよな」

「ん?」

「一護ォー! 織姫泣かせたらぶっ飛ばしてやるんだからなァー!」

 

 突として叫ぶ竜貴に、首を傾げていた啓吾が驚きの余り跳ね上がり、そのまま電柱に頭をぶつけて悶絶する。

 

「うごごご……ちょっとちょっとちょっと、何急にハイになっちゃってるの……?」

「あー、すっきりした!」

「俺はちっともすっきりしてないんですが!?」

「あはは、有沢らしいね」

 

 抗議する啓吾を横目に笑う水色は、徐にその場の光景を写真に収める。

 

「一護に送っておこう。『啓吾が寂しくて奇行に走ってる』って」

「奇行に走ったのは俺のせいじゃなくね!?」

「何? あたしが織姫心配して文句あんの?」

「ありませんっ!」

 

 蛇に睨まれた蛙の如く、竜貴にガン飛ばされた啓吾は背筋を正して微動だにしなくなる。

 いつもと変わらないふざけたやり取り。

 しかし、どことなく物足りなく感じてしまうのは傍に居てくれる友人が居ないからだろうか。

 

 改めて離れ離れになっている仲間を想う三人は空を見上げる。

 鬱陶しいほどに眩い朝日に眼を細めながら、同じ時を過ごしているであろうと信じて心から願う。

 

「───ちゃんと帰って来いよな、織姫」

「一護ォ~! チャドォ~! 早く帰ってきてくれぇ~! でないと俺の醜態が水色にバラまかれるゥ~!」

「二人なら笑って流してくれるよ」

「『流して』って言ってくれちゃってるじゃん!? 苦笑い確定!」

「だぁー、いつまでもウッサイ! 早く行かないと遅刻するよ!」

「あぁ! 待てよ、有沢ァー!」

 

 彼らは待つ、いつも通りの日々の中で。

 

 

 

 仲間が帰ってくる居場所を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 流魂街のとある地区。

 何の変哲もない平屋が立ち並ぶ街の中、朝から一人空を眺める男は昨日から異変が巻き起こっている瀞霊廷の方を見遣っていた。

 

「織姫……」

「昊さん」

「あぁ、おはようございます」

「どうしました、こんな朝から」

「いえ……ちょっと瀞霊廷の方が気になって」

 

 『昊』と呼ばれた男はどこからともなく現れた住民に挨拶を返し、今一度瀞霊廷へと顔を向ける。

 すれば現れた住民が剣呑な表情を浮かべた。

 

「う~ん、私も詳しい話は分からないですけれど死神が賊軍か何かと戦っているようですね」

「それは……大丈夫なんでしょうか?」

「どうなんでしょう。以前も旅禍が侵入したようですが……私からは何とも」

「……いえ、きっと大丈夫ですよ」

「? 誰か知り合いでも?」

「や、そういう訳じゃないんですが……」

 

 過去に化け物と化した自分と戦い、妹とその友人を護ってくれた死神の少年を想い、昊は柔らかな微笑みを湛えた。

 

「俺も死神に助けられたので……彼らの無事を祈ってやりたい。それだけです」

「なるほど、昊さんらしいですね」

「ははっ、お恥ずかしい限りで」

「何を。そう言ってもらえたら死神冥利にも尽きましょう」

 

 一頻り笑ったところで住民は帰っていく。

 昊もまたいつもの日常へと戻ろうとしたところで、不意に足を止めた。

 振り返った先───瀞霊廷を望みながら祈るように拳を握る一人の兄は、彼らが護る魂の一つである家族に思いを馳せる。

 

「織姫……どこに居ても俺はお前の無事を祈っているよ」

 

 自分と彼女の距離が空と大地のように混じり合わぬ距離だとしても、今はこの想いだけ二つを繋ぐ雨となるだろうと信じて心から願う。

 

 

 

 兄として生まれたからには気持ちだけでも妹を護れる様にと。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 また違う地区の流魂街にて。

 

「おはよう、ユーイチ」

「あっ、おはよう! お母さん!」

「朝から精が出るわね」

「うん! だって空鶴のお姉ちゃんがたくさん用意してくれたんだもん!」

 

 せっせと折り紙に向かう少年・ユーイチは鶴を作っていた。

 それを優しい眦で見守る女性は、既に作り上げられた無数の鶴に目を遣った。

 彼らが住まう地区は瀞霊廷のひざ元。瀞霊壁と門一つ挟んだ先で繰り広げられている惨劇は、既に住民全員が聞き及んでいる内容であった。

 

 一部には威張り散らしていると心象の良くない輩も居るものの、中には兕丹坊のように親切な人当りの良い死神や志高く虚から護ろうとする死神も居る。

 彼らが死んでもいいかと問われれば───当然否だ。

 流魂街に来てまだ一年と数か月しか経っていないユーイチも、そんな凄惨な出来事に胸を痛める住民の一人であった。

 

 だからこそわざわざ空鶴に出向いてまで折り紙を用立ててもらい、住民全員で千羽鶴を折るよう頼み込んだのだ。

 

「虚白のお姉ちゃんやリリネットのお姉ちゃんが言ってたんだ! 瀞霊廷じゃ死神の人たちが世界を護る為に頑張ってるって!」

「ユーイチ……」

「それにね! きっと現世でぼくを助けてくれたチャドのおじちゃんや死神のお兄ちゃんとお姉ちゃんも頑張ってると思うから! ぼくも負けてなんかられないよ!」

「そうね、皆も喜んでくれると思うわ」

「うん!」

「それじゃあお母さんも手伝ってあげるわ」

「ほんと!?」

 

 喜びの声を上げ『それじゃあお母さんの分!』と数枚差し出す息子に、母親である女性は柔和な笑みを湛えて折り鶴を作り始める。

 

「ユーイチのお願い……届くといいわね」

「うん!」

 

 親子は折り鶴に願いを込める。

 二人を導いてくれた人々に、その善意に報いるような祝福あれと強く心から願う。

 

 

 

 重なる折り鶴が救った人の証だと、彼らの誇りを護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 瀞霊廷の一角。

 無差別に降り注ぐ光の雨───聖別によって死者や負傷者が生き返る中、懸命に救護活動を行っていた宗弦率いる滅却師と護衛を務めていた隊士は、辺りで巻き起こる奇跡に目を丸々と見開いていた。

 

「……あぁ、これは……」

 

 悟る宗弦が涙を浮かべる。

 数多もの同族を奪ってきた掠奪の光が、今だけは遍く傷つき倒れた人々を癒す恵みの雨となっているのだから。

 長年かけて研究を続けてきた彼にとっては胸に込み上がる感情も一入だ。

 

 しかし喜ぶにはまだ早いと自分に言い聞かせる。

 

「みなさん、聞いてください! これは霊王宮へと目指した護廷隊の方々がユーハバッハと戦い、そして勝った何よりの証拠です!」

『!』

「ですが我々はまだ手を止めてはなりません! 真に戦いが終わるまで我々は出来得る限りのことをやるべきなのです! 今はまだ意味を為さないかもしれない……じゃが、きっとこの行いは未来で意味を持つはず! 滅却師と死神が手を取った、揺るぎない事実として!」

 

 鷹揚に語る宗弦の言葉は、浮足立っていた場を引き締める。

 例え死神の多くが生き返ったとして傷つけられた、あるいは殺された事実は決して消えはしない。

 だからこそ戦争の裏側で滅却師が死神を助けていた事実も重要なのだと謳う。

 溝は深い。それでも取り合える手はあったのだと伝えなければならない。

 

「最後まで命を護りましょう───滅却師の誇りにかけて!」

『はい!』

 

 宗弦の演説は引き連れた滅却師の士気を大いに高める。

 敵と見間違えられぬようにと死覇装を纏う彼らは、一瞥すれば死神と区別がつかない。ましてや共に死神を救おうとしている今、そこに種族の垣根など存在はせず。

 

 宗弦が長年夢見ていた光景が、目の前には広がっていた。

 

「……もっと……」

「宗弦様? 如何されました?」

「いや、なんでも……さて、ここが正念場。儂も老骨に鞭を打つとしようかの」

「ご無理はなさらずに! 我々だけでも務めは果たしますから!」

「ありがとう。でも大丈夫じゃ。君は君に出来ることをしなさい」

 

 喜びに突き動かされる身体は、例え何人たりとも止められはしない。

 気遣いする滅却師の少女を促し、宗弦はまた命を救う為に動き出す。

 

 滅却師の───そして大切な家族の為に。

 

(雨竜や……儂はお前を信じておるぞ)

 

 未来を託した最愛の孫。

 彼がどんな立場に立とうとも向ける愛情に変わりはなく、自分の行動が滅却師の未来を繋いでいくであろうと信じ心から願う。

 

 

 

 最愛の家族の未来を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空座町のとある一軒家。

 黒崎医院と看板の掲げられた小さな診療所の横に併設される家には、娘二人を見送り、受付が始まるまでの穏やかな時間が流れていた。

 窓から流れ込んでくる冷涼な風に頬を撫でられながら、夫婦二人で飲み物に口をつける。

 

「……ふぅ」

「心配か?」

「まさか」

 

 以心伝心と言わんばかりに通じ合う二人。

 彼らの心に在ったのは、今まさに世界の命運を分かつ戦いに身を投じている息子であった。

 

「どこに居ても一護は私達の子なんだから、きっと大丈夫よ」

「そうだな! なんたって母さんの子供なんだからな!」

「あら、そういう貴方の息子でもあるのよ」

「おっと、そうだった! いやァ~、こんな美人な母さんとハンサムな父さんの子で一護は幸せ者だ!」

「うふふ、お父さんったら褒め上手なんだから」

 

 本人が居ればすかさずツッコミと共に手なり足なりが飛んできそうなやり取りの間も、真咲はニコニコと温かな微笑みを浮かべていた。

 彼女は黒崎家の太陽だ。一心も、一護も、遊子も、夏梨も、家族の誰もが真咲のことを愛している。

 

 そんな真咲もまた家族全員を心より愛していた。

 

「……大丈夫よ、一護なら」

「……ああ」

「あの子はとっても強いんだから。泣き虫で、たまに一人で抱え込んじゃうこともあるけれど───私達の子供なんだから」

 

 掛け値なしの無償の愛。

 

 それを注ぐには“子供だから”、それ以上の理由はいらない。

 

「私達は信じて待てばいいの。そうしてれば、ここがあの子の帰ってくる場所になるんだから」

 

 家だから家族が居るのではない。

 家族の居る場所が家となるのだ。

 

 そう諭す真咲の瞳は温もりに溢れ、何もかもを照らす太陽のように眩しかった。

 

「……ああ、あいつはまだ独り立ちするにゃガキだしな! 俺達が家を護ってやらにゃあな!」

「ええ」

「そうと決まれば父さんは家族の為に張り切らにゃあな! さあ、じゃんじゃんやって来い患者共ォー!」

「ちょっとお父さんったら不謹慎~!」

「おっと、そうだったな!」

 

 豪快に笑う一心につられ、真咲も華やかな笑顔を咲かせる。

 滅却師と死神などという垣根も存在せず、ただの男女として、夫婦として、そして両親として帰りを待つ二人は一護を信じて心から願う。

 

 

 

 子供の帰る場所を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ム!?」

 

 とあるテレビ局前。

報道番組の一コーナーを行う為に集められたスタッフに紛れ、一人ゲストとして招かれた奇抜な恰好の男は、どこからともなく感じ取った気配に明後日の方を見遣った。

 

「戦っているのだな、マイ一番弟子よ!」

「観音寺さーん! そろそろ本番でーす!」

「オーケィ、すぐに向かおう!」

 

 勝手に『愛弟子』と呼んで慕う少年の気配にテンションを上げる彼は、カリスマ霊媒師ことドン・観音寺。

 こう見えて霊能力は本物の彼は遠く離れた───それこそ世界と次元を跨いだ場所に在る魂の胎動を感じ取ってみせた。

 

 彼もまた魂を護る為に戦っているのだと思えば師として鼻が高い……等と感慨に耽っていれば、あれよあれよと本番が始まる直前に差し掛かっていた。

 全国の視聴者が自分を目の当たりにする。

 

 刹那、観音寺に閃きが走った。

 

「本番、5秒前! 3……2……1……」

「スピリッツ!! ア~~~、オールウェイッ!! ウィズ、ィイュー!! 全国の視聴者、お待たせしました!! あなたのドン・観音寺!! わたしのドン・観音寺!! みんなのドン・観音寺が帰ってきました!! 帰って!! きーまーしーたーよーッ!!」

 

 余りにも強い顔面の圧。

 何よりも予定外の行動にスタッフは困惑の余り唖然と棒立ちになってしまう。

だがエキストラとして集められた小さな子供はハイテンションな観音寺の雰囲気に笑顔を咲かせ、『あれやってー!』と催促を始める。それも一人や二人ではない。ちびっこに圧倒的な支持を持つ彼には欠かせぬ決め台詞があるのだ。

 

 このカリスマ霊媒師と言えば、あれしかない。

 

「アンダスタンッ!! それなら皆さんもご一緒に~~~……ボハハハハー!!!」

『ボハハハハー!!!』

 

 腕を胸の前でクロスさせ、腹の底から笑ってみせる。

 

(マイ一番弟子よ、聞こえているかね? 遠く離れた地に居ようとも私の(スピリッツ)はキミと共にある!)

 

 

 

Spirits Always With You(魂はいつも貴方の傍に)

 

 

 

 魂を勇気づける魔法の言葉。

 それこそが観音寺という霊に生きる者の信条でもあった。

 

 テレビの前に居る視聴者に届くように、そして遠く離れた地で奮闘する少年へ届くと信じ心から願う。

 

 

 

 孤独を打ち砕かれそうになる勇気を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一つ。

 

 

 

「な……何だ……」

 

 

 

 また一つ。

 

 

 

「この力は……一体……」

 

 

 

 また一つと心が繋がる。

 

 

 

「一体、どこから……」

 

 

 

 繋がった心は点描画のように結ばれて。

 

 

 

「───どこから湧いて出てくると言うのだ!!?」

 

 

 

 星座の如く絆の形を瞬かせる。

 

 

 

「───こいつが心だ」

「ッ……!!」

「あんたの眼には視えやしない……人の強さだ!!!」

 

 息を飲むユーハバッハへ一護は語る。

 

「現世で待ってくれてる奴等や瀞霊廷で戦ってる死神や滅却師の皆……それに流魂街で祈ってくれる人達も……皆の心がこの刃に集まってくれてる」

 

 一歩。

 

「俺一人の力じゃねえ。俺一人の絆でもねえ。でもな、心を一つにして力を合わせるなんてのも大して難しい話じゃねえ」

 

 また、一歩。

 

「全員が全員同じ事考えるなんて土台無理な話なんだよ。それでも似たような事を考えて……大切な相手を想い合って、心を傍に置く」

 

 一護は背中を押してくれる勇気と共に歩み出す。

 

「そうして俺達は心を一つにするんだ」

 

 折れた天鎖斬月から天を衝かんばかりに漆黒の柱が立ち昇る。

 遠く離れた地に居ても、繋がった心を伝って集まる力によって湧き上がる霊圧の奔流。

 無尽の想いによって成される一振りの刃は、夜の帳の如く空を埋め尽くす力に眩い金色の燐光を瞬かせていた。

 

 それら一つ一つがこの場で戦う人間を、死神を、滅却師を、虚を、完現術者を想う心より放たれた願い。流れ星のように閃いては彼らの力に為れとの望みを叶え、また一護の刃に強く光り輝かせる。

 

 また一つ、鼓動を高鳴らせては夜が広がり、星が瞬いた。

 

 まるで天地が覆されたかの如き光景。

 先刻まで運命の歯車に轢き砕かれる砂粒と軽んじていた人間の未来。それが今や眼前を覆い尽くす星空と化すなど、一体誰が想像できただろうか?

 

 否、想像できなかったのは他ならぬユーハバッハだけだ。

 彼に立ち向かう勇者は一途に追い求めていた。大逆転の未来───暗澹たる現実を乗り越えた先に待つ希望に満ちた明日を。

 

 その帰結こそまさに今、この瞬間。

 

「まだ変えられると思うかよ。俺達の未来を」

「これは───夢か?」

 

 茫然とした声音を紡ぐ王へ、少年は『ああ』と答える。

 

 

 

「あんたのふざけた夢物語は……これで幕引きにしてやる!」

 

 

 

 天を鎖す。その全知の眼を閉じんと。

 月が斬る。その全能の力を絶たんと。

 

 

 

「見せてやるよ、ユーハバッハ! こいつが……」

 

 

 

 願いを込めるかのように彼の者は名付けた。

 

 

 

「こいつが未来を斬り拓く───

 

 

 

───月牙天衝だぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 

 

 願いを背負った星は、閃くように闇夜を斬り裂く。

 

「ぐ、ぅ、ぉぉぉおおぉぉぉぉおおおおお!!!」

 

 全ての力を解き放ち、雄叫びを上げるユーハバッハは真正面から迎え撃つ。

 余力を振り絞り、黒崎一護を中心とした世界を束ねた一閃へ、幾億もの命を奪ってきた魔の手を振り翳す。

 

 衝突した双方の腕から漆黒の火花が散る。

 次元を超えた力のぶつかり合いが空間に歪を生み、その裏側に潜む黒腔を開いたのだ。

 空前絶後の力の激突はそのまま大気を激しく揺さぶり、霊王宮に立つ者達の心身をも揺るがす。

 

「行けェ、一護!!」

「ユーハバッハの野郎をぶった斬れェ!!」

 

 拳を握るルキアと恋次の声が。

 

「無念のうちに斃れた者の為に……!!」

「今も戦うとる奴等ン為に!!」

 

 柄にもなく熱く語気を強める白哉と平子の言葉も。

 

「隊長としてじゃねえ……一人の男として護り抜きたいもんがあるッ!!」

「また一緒に会おうって約束した友達が居るから!!」

「家で待ってる家族の為にもよォ!!」

 

 震える日番谷と雛森、そして海燕の叫びに呼応するかのように次々と魂は吼え立てる。

 

「一護ォ!!」

「黒崎一護!!」

「一護クン!」

「……黒崎一護……!!」

「黒崎ィ!!」

「クロサキイチゴ!」

 

 連なる声援は束になって押し寄せる。

 たった一人、先頭に立って刃を振るう少年の許へ。

 

 だが、彼の心は決して一人ではない。

 

「一護!」

「黒崎くん!」

「黒崎!」

 

 親友を。

 好きな人を。

 腐れ縁を。

 

 各々が思い描く形は違えども“仲間”と言い切れる少年の為に、少年少女は魂の奥底から声を上げた。

 

 

 

───この想いよ、一護(かれ)をどうか護ってくれ。

 

 

 

───世界が救われるのは、そのついででいいんだから。

 

 

 

「───一護」

 

 

 

 繋いだ心が生み出す力を注ぎ込む死神が最後に紡ぐ。

 

 

 

「護ろうぜ……みんなを!」

「───ああ!」

 

 

 

 その覚悟を決めた顔には、最早一点の曇りもなく。

 

「う……ぐぅ……!!?」

 

 熾烈な拮抗の様相を呈していた光景に罅が入る。

 

「お、ぉお、ぉおぉおぉぉおおおおぉぉぉおお……!!?」

 

 ジリジリと。

 ほんの少しずつ魔王の足が後退る。背中より伸びる魔の手が地面に指を突き立てるも、すぐさま地表が砕けては無為に帰する。

 そうして刻まれた轍でさえ、前へ前へと進み続ける純黒の一閃に削られては滅し飛ばされた。

 

 天秤は傾いた。

 

「お、ぉ、お、おおおおおおおおおお!!!!!」

 

 崩壊は一瞬。

 ユーハバッハの足元───そして背後の空間に巨大な裂け目が生まれる。

 

 黒腔(ガルガンタ)。三界の間に存在する虚無の空間。常に霊子の乱気流に晒される暗黒は、一度迷おうものなら二度と戻れはしない三途の川となる。

 まさに背水の陣を強いられた魔王は刮目する。

 

「おのれ!!!!! この程度……我が『全知全能(ジ・オールマイティ)』で……ッ!!!!!」

 

 純然たる力に打ち倒されようと、自身には未来を書き換える力がある。

 ここまで追い詰められた以上、傲りでもなく一縷の望みを託す魔王は未来へと眼を向け───愕然した。

 

 

 

───視えぬ……だと?

 

 

 

 黒。

 視えるのは、ただそれだけ。

 

 

 

───そんな馬鹿な。

 

 

 

 今一度未来を視る。

 奴等でなくともいい。

 死んだ自分の姿さえ視られれば、それだけで書き換えるには十分のはず。

 

 が、視えない。

 どれだけ、どれだけ眼を凝らそうとも斃れた自分の姿はおろか、純黒の一閃に立ち並ぶ死神共の姿も視えない。

 

 

 

───いや、違う。

 

 

 

 瞬間、悟った。

 

 

 

───()()()()()()()()()()

 

 

 

 遥か先まで見渡して辿り着く幾億万の未来(きぼう)

 その全てが黒く、黒く、黒く───どこまでも黒く塗り潰されていた。今まさに眼前に迫る漆黒の牙の如く。

 

「黒崎ッ……一護ォォォオオオオオッッッ!!!!!」

 

 ───月牙天衝。

 未来を斬り拓くと豪語した一閃は、己が死した未来まで突き進んでも尚、歩みを止めぬままに煌々と閃いていたのだ。

 

 刹那、軋んでいた世界が崩れた。

 

「オ、オオオオオオオッッッ!!!!?」

 

 歪んだ空間の景色が弾けると共に、奥に潜んでいた強大な暗黒が魔王を呑み込んでいった。

 支える者は何もなく。

 足元に固める霊子の足場でさえ、二人の超絶とした霊圧を前には数秒と持たず瓦解し、間もなくユーハバッハを深淵の奥深くへと滅し飛ばす。

 

 どこまでも、どこまでも。

 夜明けを迎えた世界が小さい星と化すように遠のく。

 

 どれだけ羽搏こうと、どれだけ足掻こうと光の許へは帰れない。

 

 

 

───視えない。

───変えられない。

───未来が視えない。

───未来を変えられない。

 

───奪えない。

───与えられない。

───希望を奪えない。

───絶望を与えられない。

 

───どれだけ目を凝らそうと。

───どれだけ手を伸ばそうと。

───希望を望む事も。

───絶望を滅す事も。

 

───叶わない。

───敵わない。

───この夢は、叶わない。

───この力は、敵わない。

 

───足りない。

───足らない。

───一人では、足りない。

───一人では、足らない。

 

───この夢を叶えるには。

───この未来を遂げるには。

───一人では、力が足りない。

 

 

 

(そうか)

 

 

 

 常闇の奥深くで、男が眠るように眼を瞑る。

 

 

 

(これが魂の)

 

 

 

 解けるように

 満たされぬ魂同志、寄り添い合っていた二つの魂は光の塵となり闇の中へ消え入る。

 

 

 

(人の───心の強さか)

 

 

 

 何年も。

 何十年も。

 何百年も。

 何千年も。

 幾星霜もの時を費やして埋めようとした魂の裡を晒け出し、己一人では変えられぬ未来を視たまま

 

 

 

 滅却師の王は、眠りについた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 満を持し幕が閉じられる。

 月牙天衝によって開かれた黒腔の閉鎖。それに伴い溢れていた乱気流は止み、霊王宮に佇む者達の頬を優しい風が撫でていく。

 

「……やった」

 

 水を打ったように静まり返る場に響くルキアの呟き。

 自然と口から出た言葉を自分の耳で聞き、今一度言葉の意味を反芻する。

 

「やったのだ……ユーハバッハに……!」

 

 

 

───勝った。

 

 

 

 遅れて胸に刻み込まれる事実に、全員が歓喜に沸き立った。

 

「一護!」

「黒崎くん!」

「黒崎!」

 

 各々が決着の余韻に浸る中、世界を救った英雄の元へ仲間が駆け寄る。

 

「チャド! 井上! 石田!」

「ム……やったな」

「おう! チャドもサンキューな」

「う゛ぅ……よかったぁ……! ごめんね、黒崎くん……あたし、みんなを傷つけようとなんかして……!」

「い、井上っ!? そんな泣くなよ! お前は悪くねえ! だから、な!? ほら、泣き止めよ!」

「まったく、君という奴は……見てるこっちが冷や冷やしたよ」

「石田……フンッ!」

「ぶっ!? なっ、なんで急に殴るんだ君は!?」

 

 泰虎、織姫と和やかな空気を漂わせていたが、雨竜と視線を合わさった瞬間に一護の鉄拳がまんまと頬に直撃する。

 不意の一撃に抗議する雨竜だが、彼の怒気に負けず劣らずの一護が詰め寄った。

 

「うるせえ! 心当たりがねえってトボけんなら、もう二、三発ぶん殴ってやる!」

「やめろ! 人がどんな気で奔走していたかも知らないで……!」

「だからって相談もなしに行く奴があるか!」

「君に相談なんて馬鹿な真似を犯すと思うか! 情報漏洩甚だしい!」

「んだとォ!?」

 

「く、黒崎くん! 石田くん! そこまでにしよう! ねっ!?」

 

 胸倉を掴み睨み合う二人に織姫の仲裁が入る。

 片や女性の乱入に手を収めた雨竜であるが、すぐにでも手が出そうな一護に関しては背後から泰虎が羽交い絞めする形となった。

 世界の命運を分かつ死闘の直後とは思えぬ幼稚な喧嘩。それを眺める周囲の目は呆れ半分、微笑ましさ半分と言ったところか。

 

「ははっ。まったく元気だな……」

「お蔭様でね」

 

 傍で眺めていた焰真の呟きに纏骸を解く虚白が応える。

 焰真が浄化した元破面に囲まれる彼女は、感慨に耽るような遠い目を浮かべながら一護と雨竜の言い合いを共に眺めていた。

 

 彼女にしてみれば過去に喰らった人間の血縁。

 まったく思う所がないはずもないが、自責の念や後悔といった後ろめたい感情を感じさせぬ程、浮かべる笑みは晴れ晴れとしていた。

 

 それを見て、

 

「どう思う?」

 

 と問いかければ、

 

「悪くないね」

 

 そう、はにかんだ。

 

「……随分、長い時間がかかったな」

「遠回りも旅の醍醐味だよ」

「知った風な口利いてくれるぜ、千年が遠回りか。そりゃ長旅ご苦労さんって気分だな」

「ホントにね」

 

 言い争う死神と滅却師を見つめ、二人は語らう。

 だが彼らの目には、それよりも人として“友”として接し合う少年達の姿にしか見えなかった。

 

「……あいつの言ってたこと、少しだけ解る気がするんだ」

「あいつって……滅却師の王様?」

「ああ。何をするにも人生は短すぎるって話」

 

 噛み締めるように述懐する。

 

「死神も、滅却師も、虚も、完現術者も……みんな人間なのに解り合えないこともある」

()()()()()()

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 あっけらかんと答えられるも、それこそ真理である。

 

「だから、時間をかけてでも解り合える。自分一人の人生じゃ足りなくったって、次の世代に託す形で。……確かに一人一人の実体験とかは消えるだろ。それでまた繰り返すのも真実だろうけど……」

「けど?」

「代わりに、生きている限り消えない恨みとか憎しみとか……そういうのもひっくるめて消えてくれると思うんだ。“死”ってのは、多分そういうものを清算する為に……」

「……終わりも悪いことばかりじゃないってことね」

「本当に明るい未来を創っていけるのは、歴史を正しく知って、それでも何の軋轢も感じなくなった人達の世代なんだろうな」

 

───それこそ彼等(一護や雨竜)のような。

 

「ついでに、キミもね」

「そうか?」

(ボク)を人として見てたキミが言う?」

「……それもそうか」

 

 フッと笑みが零れる。

 何もかもが未熟で青臭かった頃を思い出せば、恥じらいで紅潮してしまいそうだ。

 

 愚直に突き進み、人の好意の中で生きていく時間は幸福そのものだった。

 何も最初から善人ばかり居ると思っていた訳ではない。流魂街で嫌という程に悪人と呼んで差し支えない人間に出会ってきたものだ。

 

 だからこそなのかもしれない。

 初めて触れた無償の愛はこの上なく温かく、この上なく愛おしかった。

 

 死神としての背中を見せてくれた人間が海燕だと言うのなら。

 人と向き合う姿勢を見せてくれた人間は緋真だったと言える。

 

 嫌いだからと突き放すのではなく。

 清濁併せ吞んで付き合い、各々が好ましい距離感を保つように接し合う大切さを教えてもらった。

 

 嫌いな人間や苦手な人間は山ほど居るが、その中でも好きになれる部分や尊敬できる部分を見つける。

 すれば、億劫になっていた一歩を踏み出せた。

 靄がかかっていた世界が澄み渡り───ほんの少し広がっていった。

 

 

 

───『純真』

 

 

 

 緋真に出会い、焰真が手に入れたかけがえのない心。

 その心の目を通して生きる間、世界には一つ、また一つと宝物が増えていった。気付いた時には抱えきれない量の宝物に溢れる世界は───誰にも渡したくない宝箱のようなものになっていた。

 

「……綺麗だな」

「……うん」

「こんなに近くにあるのにな」

「うん」

 

 朝焼けに染まる空を見つめながら、漠然と彼方を眺める。

 鮮やかな赤と深い青が入り混じる中、黄金色に煌めく雲が浮かぶ光景は、厳かだと思わせる一方で、ずっとこの場から離れたくないと感じさせる穏やかさに満ちていた。

 

 『自分が護った世界だから』との理由は、少々強すぎる。

 しかし、困ったものだ。

 

 この世界には───随分と美しいものにありふれているようだ。

 

「あっ!」

 

 勝利の余韻たる熱が落ち着いた頃、ふと気づいたように織姫の声が響き渡る。

 それに誰と言われるまでもなく足を止めたのは一人の破面だった。

 

「……なんだ、女」

「えっと……どこに行くのかなぁ~、って……えへへ」

「……ヤミーを連れ戻しに行く。あの馬鹿一人じゃ虚夜宮どころか虚圏に帰れるかも怪しい」

 

 ウルキオラは奇跡の神兵を相手取っている巨漢を迎えに行くと言う。

 既に戦闘の霊圧は感じられず、ヤミーと零番隊によるジェラルドの戦いも終わったものだと思い至った。

 

 戦争は終結に向かっている。

 それが意味するのは、束の間の共闘の終息───訪れる別れを示していた。

 寂しげな眦を隠さぬ織姫。かつては敵であった者に対し、斯様な表情を湛えられるものか。ウルキオラの能面染みた無表情はピクリとも動かないが、幽かに纏う雰囲気が揺れ動いた。

 

「……女」

「えっ!? ……なあに?」

「心は、傍にあるんだろう」

「あっ……」

「……俺は行く」

 

 踵を返すウルキオラはもう振り返らなかった。

 だが、彼の放った言葉の意味を理解した織姫は、目尻に浮かび上がる大粒の嬉しさを零しながら大きく手を振る。

 

「またね! ウルキオラくん!」

 

 答えはない。

 ただ、一瞬だけ。空を掴むように小さく上げられた掌は、一人の少女にとって十分な別れの挨拶だった。

 あの日取った(たなごころ)が、今は離れていても繋がっている。

 

 そう、確信できたから。

 

「ったく……愛想ねえ奴だぜ」

「彼に何を期待してるんだ、君は……」

 

 文句を垂れる一護に淡々と雨竜がツッコむ。

 その間にも纏骸が解けた虚白はじめ帰面の面々もまた、今後の動向について軽く話し合っていた。

 何をするにもまずは瀞霊廷に下りなければ話にならない。

 

 そこで注目を浴びるのは、当然この男。

 

「おい、喜助。儂らはどうすれば下に下りれる?」

「え……アタシっスか?」

「当然じゃろ! 上に連れてきたのなら下りる方法ぐらい用意してみせい」

「そんな無茶苦茶な……」

 

 夜一の理屈に、流石の浦原も頬を引きつらせている。

 霊王宮へ上る直前、二度と戻れないかもしれないと言った手前、そうホイホイと降下手段が用意できるはずがない。

 

「まあ、ないことにはないっスけど……」

「あんのかよ!?」

 

 と思いきや、そこである意味期待通りに裏切るからこそ浦原喜助なのだ。

 小気味のいい声を響かせる一護に、扇を広げて口元を隠す浦原はカラカラと笑う。

 

「正規の手段じゃないのでオススメはしないっスけどね~。ど~しても危ない橋を渡るスリルを味わいたい方なら別っスけど……如何です?」

「誰が行くか!」

「とまあ、零番隊に送ってもらうのが正規ですし一番無難っスね」

「結局そうなんのかよ……」

 

 この人数だ。天柱輦は期待できない。

 また普通の瞬歩で一週間かかる階段を下りる破目になるかと思えば、今から既に気が重い。道程を知る一護や焰真はげんなりとした様子を隠さない。

 そこへ『しかし』とルキアが一歩踏み出す。

 

「瀞霊廷に帰らぬ事には始まらんな。まだ見えざる帝国の残党と護廷隊が戦っているだろう。早々に加勢してやらねば」

「流石朽木サン、熱心っスねぇ~」

「茶化すな、浦原!」

「そう言うと思ってまして、ロカさんに予め話は通してます! その気になれば黒腔を通って帰れますヨンッ♪」

 

「なら早く言えよっ!」

「なら早く言わんか!」

 

 先程の会話を丸々省ける回答に、一護とルキアも思わずツッコミという名の蹴りを繰り出す。が、予見していた浦原にさらりと躱されるのはお約束だ。

 立て続けにまんまとしてやられる一護は、ドッと疲れた表情で深々と息を吐く。

 しかし、これで状況に追い立てられることなく仲間と合流できる事実に、少年の湛える笑みは平穏そのものであった。

 

「そうだ! 銀城やリルカ達も呼ばねえとな。まだちゃんと礼も言えてねえし」

「それはそれは。そう遠くはない場所に居るみたいですし、皆サン足並み揃えて帰るとしましょうか」

「おう!」

 

 感謝を告げたい人が山ほど居る。

 それこそ心を一つに合わせてくれた護廷十三隊の死神、宗弦率いる誇り高き滅却師、現世での出来事を忘れずに居てくれた流魂街の住民、そして遥々離れた現世から自分達を想ってくれた友達や家族……数えてはキリがないくらいの繋がりが自分にあると、奇しくもこの戦争が教えてくれた。

 

 早く会いに行きたい。

 逸る思いのままに一歩踏み出す一護であったが、

 

「焰真、立ち止まったりなんかしてどうしたんだよ」

「……ん? あぁ、いや……なんでもない」

「そうか? ならいいんだけどよ」

 

 後ろ髪を引かれるように、焰真は皆が目指す方向とは真逆へ振り向いていた。

 その時の表情はどこか影を落としていた。だが、一護の呼びかけに応えるや、パッと顔を綻ばせて仲間の許へ駆け寄る。

 

 

(……ユーハバッハ。この世界が罪の上に成り立ってるってお前は言ったな)

 

 

 

 暗い影───拭えぬ過去と罪を知りながらも、

 

 

 

(なら俺は……それを禊ぐ為に生きていくよ)

 

 

 

 明るい日の許を目指す。

 

 

 

 この心と魂に宿る勇気と共に。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───! みんな、避けろ!」

 

 刹那、大地が割れた。

 軋み、歪み、最後に砕けて開かれた闇の門が開かれるや、無数の目玉が浮かび上がった液体が生々しい音を奏でて噴き上がる。

 

 突如として現れる異様な光景。

 そして、根源的な恐怖へ擦り込まれた霊圧に誰もが瞠目する。

 

「伏せろォ!」

 

 各々が刀を抜くよりも早く、斬魄刀を握り締めた焰真が闇の許へ駆ける。

 

───霊圧は小さい。

───恐らくユーハバッハの力の残滓。

───死に際に放った苦し紛れの一矢だろう。

───これさえ凌げば。

 

 確信と共に一閃。

 

「これで……最後だぁ!」

 

 清廉な炎を纏いし刃が、滲み出す闇の天幕を焼き切った。

 窮余の一撃は余りにも呆気なく灰と化す。

 パラパラと舞い散る灰塵の中、焰真は油断も慢心もせぬまま眼光を閃かせていた。魔王の手が仲間に降りかからぬよう、平静を崩さず。

 

 

 

『───()()()()()()

 

 

 

「なっ……!?」

 

 頭の中に澄み渡る。

 冷然とした魔王の声が。

 

 敵影はない。

 確かに魔の手は焼き払った。

 

 にも拘わらず、仲間も故郷も奪わんとしていた神敵の声は反響する。

 何度も語り掛けるように響いては、頭を殴りつけるような痛みを錯覚させた。

 

「ユーハ……バッハ!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前の勝ちだ、焰真』

「なんだと……!?」

『だが、私が負けた訳でもない』

 

 他の者には聞こえぬ滅却師の呼びかけと共に、死神の魂に力が満ち満ちていく。

 

 

 

───何者にも穢されることのない祖の純血が。

 

 

 

「……(アウス)……(ヴェーレン)……!?」

『そうだ。ただし───“奪う”のではなく“与えた”』

 

 魂を巡る心血が、徐々に、徐々に侵されていく。

 

『お前に託そう、残された私の全てを』

『血も、力も、心も』

『お前が継いで』

『叶えてくれ』

『我々の───夢を』

 

 時が経つにつれ体の自由が奪われる。

 ユーハバッハに───滅却師の王に。

 

(……いや……)

 

 己が内で目覚める何者かは()ではない。

 

 

 

 

 

(お前は───()()?)

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「焰真!」

 

 悲鳴にも似た声を上げ、切迫した面持ちのルキアが走り出す。

 ユーハバッハの力の残滓は、全て焰真が焼き切った。

 傷を負った様子もない。無事に討滅を果たしたと言ってもいい光景であったが、心配なものは心配なのだ。

 

 ルキアのみならず、恋次や雛森、海燕と続々に親しい者が一人の死神へ近寄ろうとする。

 

「待て、みんな!」

「……一護?」

 

 突如、一護が天鎖斬月で先頭を走っていたルキアを制す。

 何故止めるのか。その理由が察せられない死神の少女は、困惑した眼差しを相棒へと向ける。

 

 しかし、直後に始まる異変が否応なく理由(わけ)と現実を突きつけた。

 

 こちらに背を向けたまま棒立ちになっていた一人の死神。

 するや、彼が纏っていた死覇装の色がみるみるうちに落ちていく。

 

 夜に染めたような黒衣が、雲のような純白の衣へ。

 一瞬の変貌に息を飲む面々。同時に覚える良からぬ予感が、止まっていた者達の心臓を痛いくらい締め付ける。

 

 ギリッ、と響く歯軋りの音。

 そんな一護の反応は胸中に湧き上がっていた予感が的中していると暗に伝えているようなものだった。

 

「……焰真……?」

 

 恐る恐ると。

 震えた声で呼びかけるルキアへ、純白の死神が───。

 

 

 

「───()()()()()()()()()

 

 

 

 否。

 

 

 

「慶べ、全ての魂の児らよ」

 

 

 

 ()()()が産声を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───新たる王の誕生の瞬間だ───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その者がもたらすは、破滅か救世か。

 

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