ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
スマートフォンを片手に、ステラは声を潜めていた。
苗木などで死角になる位置から、真っ暗になっているラジエスシティを見渡すことができた。
時刻も昼下がりである。これほど暗くなるなど異常だ。そう思って空を見上げれば、真っ暗な雲が漂っていた。いまにも雨が降り出しそうである。
『ステラ姉ちゃんは、いまどこにいるんだ?』
「私はハロルドタワーの、サウスタワーにいます」
まさにいま、占拠されているハロルドタワーにステラは身を置いていた。
状況はとてもまずい。
「実はオープンの式典に参加していたのですが、そこにバラル団が押し寄せてきたのです。いま、サウスタワーには重要人物がたくさんいますから」
『なるほどなあ、よく姉ちゃん無事だったな!』
「え、あ、そ、その……」
まさか手洗いに行っている隙だった、などとは言えまい。
「と、ともかく。窓から外を見ればリザードンが見えましたので、カエンくんかと思い電話しました」
『フリーザー見なかったか? あの、エレザードとかバリヤードみたいな名前のやつ!』
「イズロード、ですね。はい、こちらから確認はできてます。ノースタワーの屋上にとまっているのが見えます」
そうか、彼が。ステラは向かいのビルの屋上にいる、青い鳥ポケモンを見ながら思う。
綺麗なポケモンだ、と思う。フリーザーは伝説の鳥ポケモンであり、数あるポケモンの中でも随一の美しさを持っている。羽をひとはらいするだけで空気も凍てつくと言われており、飛んでいるだけで雪をおこすのだと言う。
だが、それは野生であれば、だ。あのフリーザーは明確な主人を得ている。それもおおよそ、このラフエル地方では最悪の人物に仕えているのだ。
イズロード。バラル団の幹部のうちの一人。
ネイヴュジムのジムリーダー、ユキナリをしても互角、いや、状況を考えればイズロードの方が一枚上手であっただろうと目される人物だ。
そんな人物がこの事件の主犯である。規模を考えれば納得だろう。
……現状、PGも動けない状況だろう。政府要人を人質にとられているならば、手出しをしようものならどうなるかわかったものではない。
強引に突破しようにも、態勢を整えるためにどれほどの時間を要するか。
幸いにして、パーティーの参加者の面々には、ステラも懇意にしている人物もいる。むろん、PGの偉い者から実績のある者までだ。
であるならば、ステラが取るべき行動とは。
「私がノースタワーへ行きます」
『ステラ姉ちゃん、手伝ってくれるのか!? オレも行くからな!』
「いいえ、カエンくんは動かないでください。おそらくですが、バラル団もあなたに気づいていることでしょう。下手に動けば、まずい状況になりかねません。反面、私はまだ見つかってませんから」
それに、この状況に、カエンの言うカーシャという人物は不要なはずだ。
彼らの目的が「バラル要人を人質にした政府への要求」や「ラジエスシティを停電にし混乱に陥れる」ことなのだとすれば。
ならば、理由はわからずとも理解できることがある。
「この事件の鍵は、あなたの友達です」
『わ、わかんねえよ! シンジョウ兄ちゃんもわかってるみたいなこと言ってたけど!』
「その人もことは存じあげませんが。ともかく! ここは任せてください」
そう言って通話を切り、ステラはビルの中を確認する。
エレベーターは使えないと言っていいだろう。おそらく、第一に制圧したのはパーティー会場ではなくコントロールルームだ。
であるならば、階段は無事だろうか。そう思い目を向けると、バラル団が一人立っている。
「でも、一人なら」
ステラは自分のポケモンを呼び出した。アブリボンである。フェアリータイプとむしタイプを併せ持つポケモンだ。火力不足かもしれないが、様々に応用ができる技を覚えることで、ステラは頼ったのだった。
「むしのさざめきで、あの人を」
その指示に従い、アブリボンはバラル団にこっそり忍び寄り、そして羽を震わせた。
突然の音に驚いたのか、バラル団のしたっぱが飛び跳ねる。だが、気づいたときにはもう遅い。音波によってバラル団のしたっぱは前後不覚になり、そのまま倒れた。
ごめんなさいね、と小さく断ってその人物をまたぎ、階段へと突入する。
長い階段である。それもそうだ。このハロルドタワーはノースタワーもサウスタワーも地上65階まである。いままでいたパーティー会場だって60階なのだ。
15階からは10階おきにノースとサウスをつなぐ渡り廊下があるはずだ。55階まで降りれば、すぐである。
……尤も、ノースタワーに行ってからまた屋上へと上がるのは厳しいものがあるが、弱音は言っていられなかった。
修道服の裾を持ち上げて階段を駆け下りる。そのまま急いでノースタワーへの渡り廊下を走った。
幸いにして、ビル内にバラル団は少ない。そもそも団員自体が、それほどの数がいないのかもしれない、という報告はPGから受けていた。館内の警備が手薄なのは、要所に戦力を集中しているからだろう。
この状況はステラにとっては好機だった。そのまま一気に、今度はノースタワーを駆け上る。
* * *
「あら、お目覚め?」
そういう声が聞こえた。カーシャはうっすらと目を開く。
知らない場所であった。上も下も、見たことのないものばかり。
なにより自然の場所ではなかった。洞窟の中でもなければ、誰かの家でもない。
ただ広い空間に、赤い布の敷物が敷き詰められていた。
真ん中にある椅子とテーブルに座っている人物がいる。本を手に持ち、優雅にお茶を飲んでいるようであった。
「文明に添わず生きている者がどのような反応をするかと思えば、無反応ですか。キャパシティを超えているのかもしれませんね」
女性だ、と気づいたのはそのときだった。
「どうしました? 言いたいことがあれば言うことです」
「どう、して」
カーシャはそう言った。いま、自分は寝転がされている。見上げるような姿勢で、声がか細かった。
「それはここに来た手段ですか? それはわかっているはずですよ」
そうだ。自分は攫われたのだ。突然、自分たちの里を襲ってきた氷の鳥ポケモンに。
であるならば、ここはカエンの言っていた敵、バラル団というものたちの巣窟なのだろうか。
いいや、それはいま、問題ではない。自分に迫っている危機がなんなのか、知らなければならない。
「聡明な子ですね」
その女は、そう言って本を開いたまま歩み寄ってくる。
「リュサ族の里、そこに伝わる伝承はこんなものだそうですね」
書いてある文字を指でなぞる仕草を見せる。
文字という文化を持たないカーシャには、わからないが。
「かつて、ラフエルがやってきたとき、人はいなかった」
「……え」
それはカーシャが、カエンにも秘密にしてきた話である。
門外不出の物語。英雄ラフエルの伝説。
いままさに、それが紐解かれようとしている。それも他人の手によって。
「この地は獣のものだった。人もまた、獣だった。ある日、ラフエルがやってきた。彼は二つの王を従えた。巨いなる脅威を戦う剣を持つ彼の元に、獣たちは集まった」
「そん、な」
こんなにもあっけなく、紡がれていく言葉たち。
シンジョウも、イリスも聞きたがっていた話を、あっさりと述べる。
「そしてラフエルは、獣と結ばれた。子を産み、育み、そして散った。……ふふ、絵面は想像したくありませんが、素敵な話ですね。異種婚姻譚というやつです。ポケモンと人が繋がって、生まれる命。さて、それはどんな形をしているのでしょうか」
女は、カーシャの顔を覗き込む。ひっ、とカーシャは声を漏らした。
張り付いたような微笑み、深淵を覗くかのような瞳。
すべてを見透かしているとさえ思わせる。
里の者を除けばカエンとシンジョウ、イリスとしか会ったことのないカーシャではあるが、この人物が尋常でないことは理解する。
「ああ、目の前にありました」
カーシャは思わず、後ずさりする。だがその女は、変わらない笑みのまま近づいてくる。
「その末裔というのが、リュサ族。そうですね、カーシャさん?」
「……は、い」
思わず、そう答えるしかなかった。
女はわずかに笑みを深くする。
「よく答えられました。ええ、栄えるしか脳のなかった多くの人類とは別に、あなたたちは伝承を守り、よりポケモンに近い場所で生きてきた。そのことには敬意を覚えます」
ですが、ええ、とても残念なことに。
「私たちにはあなたが必要だったのです。あなたの、血が。ポケモンに近い、人の血を持つ者が」
その女はカーシャの腕をつかむ。
「あなたはここにいるだけでいいのです。それだけで、ええ、”彼”はきっと気づいてくれますから」
女はカーシャに迫った。逃がしはしないと、言う風に。
恐怖による存在の支配。それを試みようとしているのだ。
物腰は柔らかいが、その実、カーシャの存在など歯牙にも掛けていない。
離せない。話せない。
振りほどかなくてはいけないのに、逃げなければいけないのに。
「たすけて、たすけて!」
「無駄ですよ。ここは地上65階。はるか空の上です。それに、ほら、ビルの周りはいま雷雨が降っているのですよ。ここに飛んでこれる人なんて」
女がそう言ったときだった。
扉が開く。非常階段の扉だ。二人が同時に、そちらに目を向ける。
「はあ、はあ……見つけました、あなたがカーシャちゃんね」
現れたのは、黒い服に身を包んだ金髪の人物だ。
おそらく年齢は、自分を襲おうとした女と同じ程度だろうとカーシャはあたりをつける。
その人は、肩で息をしながらも、微笑みを浮かべた。
「これはまた、ずいぶんなお客様ですね」
カーシャを挟んで、二人の女性がにらみ合った。
「そうして汗にまみれていると、いくらか扇情的ですよ、ラジエスシティの聖女サマ?」
「あら、ご挨拶ですこと。バラル団幹部の悪女さん?」
これがハリアーとステラの、宿命的な出会いであった。