ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
「一本取られたかあ」
イリスの声が洞窟に反響した。
この洞窟はドリュウズやディグダが掘り進めたものであると言われており、迷路のようになっている。
シンジョウとイリスはバラル団の手によってこの洞窟の底へと叩きつけられた。はずだった。
空中でとっさに出したのは、マフォクシーとエーフィだった。それぞれがサイコショックとサイコキネシスで落下する瓦礫と二人を浮かばせて、衝撃を和らげたのだ。
着地して、態勢を整えたシンジョウとイリスは、マフォクシーの能力と炎を頼りにして出口を目指していた。
「いい子だよね、マフォクシー。未来を見通す力、その応用で洞窟の出口までわかるなんて」
そう言ってイリスは、マフォクシーにエサを与えた。うれしそうに受け取ったマフォクシーは、洞窟を照らす火を強くした。
さらにイリスは、シンジョウにパンを投げ与える。缶詰のパンであり、多くは非常食として使われるものであった。
「……美味い」
「お世辞はいいよ。不味いでしょ、これ」
一口含んでシンジョウが言うと、イリスが笑いながら言った。確かに不味いな、とシンジョウは思うも答えはしない。
「それにしてもバラル団、なりふり構わずだね」
イリスが言う。そうだな、とシンジョウは頷いた。
はっきり言ってしまえば、バラル団という存在を侮っていた。
危険な存在であると知っている。犯罪を平然とできる者たちであることも知っている。
だが、知識と経験は別物だ。ただのポケモンバトルのつもりで彼らに立ち向かうのは、まったくの間違いである。
シンジョウとイリスは、まだ覚悟が足りなかった、ということだ。
ジムリーダーだから、というのは言い訳にはならない。時と場合によっては立ち向かわなくてはならない悪である。
己の力不足を、ただただ悔いた。
「次はこうはならない」
「当然! やり口はわかったんだから。それに、シンジョウくんとなら負ける気もしないね」
冗談か本気かわからないことをイリスは言った。そうだな、とシンジョウはそっけなく答えるのみにとどめる。
「ねえ、シンジョウくん」
どれくらい歩いたか。時計を見れば、大した時間は経っていない。
それでもイリスを飽きさせるには十分だったようで、話題が変わる。
「チャンピオンってどんな人がなるべきかな?」
「強いやつだ」
即答だった。イリスは少し驚いたようで、声に滲んでいた。
「うわ、すごい表現。ジムリーダーとしても、やっぱりそうなの?」
「お前はチャンピオンを目指してるんだろう」
え、とイリスはつぶやいて立ち止まる。つられて、シンジョウも立ち止まった。
「はは……ううん、ちょっと違う。私は、次期チャンピオンらしいんだ」
少し恥ずかしそうに、イリスは言う。
ずっと黙っていた、彼女の身の上だった。言えないのも当然だ。出会って一日や二日の人間に対して、次のチャンピオンなのだ、とは言えまい。
実力は申し分ない、とシンジョウは思う。彼女が全力を出せば自分も負けてしまうだろう。
だが、らしいという言葉に引っかかった。シンジョウはイリスの方を振り向く。
彼女はシンジョウを見ていなかった。他所の方を眺めている。
「いまのチャンピオンの指名なんだけどね。それで修行を兼ねて、あちこちを旅してたってわけ」
「それで、納得してるのか」
「シンジョウくんって、なんでもまっすぐ言うよね」
してるわけないじゃん、とイリスは言った。
「だって私、チャンピオンになりたいんじゃないんだもん。一番になりたい。だからチャンピオンは目指すの。……でも、わからないことがある」
イリスは珍しく歯切れの悪い言葉選びをした。その姿は大人になりきれない子供だ。
「どうして指名なんかしたんだろう。だって、まだ負けてないんだよ」
なにに、とは言われなくてもわかる。
チャレンジャーもそうだろう。チャンピオンとは、ポケモンリーグの頂点に君臨する者のことだ。認められた者ならば誰でもなれる。だが往々にして認めるというのは、敗北を意味することであった。
一方で、シンジョウはラフエル地方のチャンピオンの事情を知っている。
ラフエルリーグチャンピオン、グレイ。灰色の竜使い、門を超えた者。
だが同時に、彼は病弱でもあった。生まれつき身体が強くないにもかかわらず、ジムリーダーを次々と破り、チャンピオンに輝いた、まさに鮮烈な存在である。
負けてないといえば、彼の体調のことも言っているにちがいない。
「ずっと友だちだった。理解者だったし、ライバルだった。でもわからないものはわからない。まだ私は、彼を追いかけてるんだ」
そう言ったイリスの顔は見えなかった。どんな顔をしているのか、目をしているのか。
シンジョウは思いを馳せる。己の姿が重なった。
きっと、イリスは自分と同じなんだ。
力をつけて、腕を磨いて。たくさん見てきて、たくさん出会って。
その中にあるはずだった自分の目指した場所を失っている。
「チャンピオンはどういう人物が相応しいか、と言ってたな」
シンジョウはそう言った。独り言のようでもあった。イリスは視線だけシンジョウに向けて、耳を傾けた。
「答えよう。チャンピオンは”希望”だ」
「……希望?」
「そうだ。ポケモントレーナーなら誰もが憧れ、熱狂し、あがきながらも諦められない場所。なぜそうさせる? なにがそうさせる? それは希望があるからだ」
ラフエルの伝承に曰く、彼の者は希望という船から捨てられ、絶望に飲まれながらも、前に進む事をやめなかった。すべての希望は己の中にある、と言って、獣の王にだって立ち向かった。
もし、ラフエル地方にラフエルという存在が息づいているのであれば、リーグの頂点に立つことの意味はおそらく。
「希望を背負える者、それこそが
はっ、とイリスは顔をあげる。
そしてシンジョウは、決定的なことを突きつける。
「希望の星に置いて行かれるのが嫌なんだろう。だったら、追い越さないとな」
シンジョウはイリスに背を向けた。
……シンジョウは答えを知りたがっている。挑戦者の持つ答えに興味があった。どんな思いで旅をしてきたか。どんなものを見てきたか。どんな経験をしてきたか。
それはすべて、バトルに現れる。そういう想いから、八番目のジムリーダーとなったのだ。
だから言葉にしたとき、後悔があった。言うべきでなかったかもしれない。
イリスはどのような選択をするだろう、と思いながら一歩を踏み出した。
「あああああああ、もう! 悔しい!」
「……は?」
シンジョウは驚きが隠せなかった。珍しく、口に出してしまうほどに。
イリスは泣きそうになりながら、いいや、ほとんど泣きながら、叫んでいた。
「悔しいよ、なにもかも! バラル団のことも! グレイのことをわかってるみたいな君も! 自分のことがわからない自分も!」
だから! イリスは指をシンジョウに向ける。
「私、絶対に勝つからね! バラル団もとっとと倒す! グレイだって超えてやる! そして自分にだって、勝つ!」
そしてそのときは。イリスはシンジョウの前にやってくる。
目の色が違っていた。優しい彼女ではない。誰よりも苛烈で、負けず嫌いなイリスがそこにいる。
「必ずなるよ、一番に。だからいつか私とバトルして、
いつだってチャレンジャー、いつだって冒険者。ポケモントレーナーの鑑とも言うべき存在をシンジョウはイリスに見た。
ああ、と思わず感嘆の言葉を漏らしてしまった。きっとこれこそが、グレイがイリスを、次のチャンピオンに指名した理由なのだ。
「そのときは聞かせてくれ。お前の答えを」
シンジョウはそう言って、微笑んだ。
初めて見せたシンジョウの笑みに、イリスは驚きながらも、笑顔で頷き返した。