ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
追い込まれているカエンを、初めて見た。
カーシャは、ハリアーと戦うカエンを見ながらそう思った。
ステラはもうほとんど動くことができず、さりとてトレーナー狙いの攻撃をしてくるような相手であるから下手に倒れるわけにもいかない。
そんな状況であるから、なにもできないカーシャは歯がゆい思いをしていた。
カエンを助けたい。
想いがこみ上げてくる。けれどもその感情を、涙にしか変えることができない。
自分のせいで大勢の人を巻き込んでしまった。事実とは違うものの、カーシャの目から見た出来事はそう認識しても仕方ないものである。
リザードンが再び、メガジュペッタのシャドーボールを受け止めた。狭い空間では、大きな翼を持つリザードンは満足に戦えないだろう。かと言って他のポケモンであればメガジュペッタに対抗することもできない。
苦しそうなカエンの顔が見えた。劣勢を強いられていることも、自分の相棒であるリザードンが苦しんでいることもつらいのだろう。
思わず目を閉じる。もうやめてほしい。逃げてしまっても構わない。
傷つくあなたを見たくない。
うつむくカーシャの心は沈んでいく。
「目を開いてください」
けれども、それを許さない者がいた。
ぼろぼろになりながらも立っている女性、ステラだ。満身創痍であるにもかかわらず、まっすぐ前に見据えている姿は、外見からは想像できない。けれどもそれも美しさなのだと、カーシャは思った。
「じぶんのために戦っている人から、目を逸らしてはなりません」
「でも、私にはなにもできません」
「であれば、祈ってください。最後まで信じて、祈って、それでもなおと思った者に奇跡は訪れるものです」
奇跡。ステラはそう言った。
バトルは純粋な実力の世界である。運も実力と言えど、そこに奇跡の入る余地はないように思えた。
もしかすると、ステラの真の強さとは信じる心ではなく、この頑なにも前を向く想いなのかもしれない。
カーシャは祈った、祈ろうとした。けれども、何かを信じるという感覚が理解できない。信頼とは違うそれを考えたこともなかった。
「そろそろ終焉です。せめて精一杯、飾ってあげます。有終の美、という言葉を知っていますか? 終わりにこそ美しさが宿る、という考え方は私も深く理解を示すところです」
ハリアーがそう言った。リザードンはもはや倒れる寸前だ。カエンも、涙を瞳いっぱいに貯めている。
ステラはカーシャの手をつかんだ。長い黄金の髪が揺れる。この状況でも、笑みを絶やさなかった。
「願いなさい。強く、強く。それは必ず叶います」
「でも、どうすれば」
「まずはその願いを口にすることです。言葉にすれば、自然と想いも強くなるものですよ」
カーシャは、英雄ラフエルを信じていない。
存在したのだろう。じぶんの祖先の一人であり、リュサ族の始まりであるのだろう。
しかし彼を信仰したことはなかった。
だけど、ステラの言葉であれば信じていいのかもしれない。
必死に紡ぎだした言葉は、なんてことのない、平凡な言葉であった。
「カエンくん」
呼びかける。カエンは振り向かない。そんな余裕はどこにもない。
けれどもカーシャは構わずに呼びかける。
じぶんの願いを。祈りを。
奇跡でもなんでもいい。これが叶うならば。
またポケモンのしゃべっていることを教えてほしい。
一緒に森を探索して、雨宿りしながら最近あったことを話してほしい。
それから、いつか。いつか一緒に空を飛ぼう。いっぱい練習して、同じ高さで。
たくさんの願いとともに、カーシャは口にした。
「一緒に、いたいよ」
それに対するカエンの返答は。
拳を突き出し、親指を突き立てた。ハリアーから目を離さないためだったかもしれないし、照れ隠しだったかもしれない。
カーシャはその答えに、不思議と安心の笑みを浮かべた。
きっと、大丈夫。
絶対にキセキは起こる————!
* * *
地下の戦いは佳境を迎えていた。
バシャーモとガブリアスの格闘戦は目にもとまらぬ速度での応酬だった。
お互いは技という技を出す隙もない。バシャーモの脚とガブリアスの鎌が交錯する。
「くそ、赤い帽子のやつってのはどうしてこうもこうも……!」
「君にも因縁の相手っていうのがいるのね」
「そうだ!」
クロックはそう叫ぶ。ガブリアスがじしんを放った。バシャーモは地面を跳び、天井を蹴って後退する。
メガシンカをしたポケモン同士のバトルというのは、常軌を逸したものになる。それは火力も速度も桁違いであり、ときには強大な威力でさえ防ぎきる防御力を手にいれるからだ。
常識の埒外にある戦闘速度に、トレーナーは慣れなければならない。
そのうえでイリスは、先ほどからクロックに対する違和感が拭えなかった。
「君、本当は悪いやつじゃないでしょ」
「それはわからないな。まあ他の団員ほど、手を汚したことがないのは事実だよ。唯一やった悪事はフレンドリィショップの陳列棚を並び替えたくらいで」
「うわぁ、小さい……」
「やっぱ帽子のやつは気に食わないなあ!?」
ガブリアスの攻撃が激しさを増した。バシャーモはイリスの目前まで退却する。
お互いに距離をとって小休止。バトルは仕切り直される。
「それでもね、僕だってわかってるんですよ」
クロックは言う。自嘲であった。
「最初は義理だったし、組織に忠誠を誓ったわけでもない。でも、こうして組織のやってることに加担して、自分は直接誰かを手にかけていないから手を汚してないなんて、幹部の僕が言ってしまえば興ざめだろうってね」
「やっぱり君、いいやつだよ」
「そりゃどうも。気に食わない相手だけど、美人に言われるなら嬉しいね」
「まあ、美人なんて! グレイもジョーくんも言ってくれなかったんだけど、どう思う?」
「そういうところじゃないっすかね」
「よーし、全員ぶっ倒してやるぞ」
気持ちを新たに、イリスは目の前の相手を倒す理由を見つける。
バトルしてみればわかる。クロックはかつて、イリスと同じ道を歩んだ者なのだ。
強くなりたくて、がむしゃらに頑張って。その先にある才能ある者たちに敗れて。いままで積んできた経験や、ずっと考えてきた事が無駄になってしまった。
それはもしかしたら、グレイと戦った自分の、もうひとつの道であったのかもしれない。
だとすれば、その道を選ばなかった自分は、勝つしかない。
「悪いけどね、こんなところで立ち止まっていられないのよ。さっさと倒れなさい!」
イリスのその言葉と同時に、空調室の入り口の方が騒がしくなった。
バラル団が殺到してきている。口々にイリスのことを指差して、捕らえるように言う。
「バトルはお預けね。じゃあ、私はさっさと私の目的を達成しましょう。ジョーくんも、カエンくんも、カーシャちゃんも待ってるしね」
イリスはそう言って、ピカチュウを呼び出した。
実のところ、イリスの相棒と呼べるポケモンは、このピカチュウなのである。
最初に出会ったポケモンであり、十五年におよぶ旅をずっと共にしてきた仲だ。切っても切れない絆があった。
「おい、やめろ! そいつに手を出すな!」
クロックの声も届かず、バラル団の団員はそれぞれポケモンを出して、イリスへ襲いかかる。
だが、それは叶わなかった。十にも及ぶバラル団のポケモンたちは、一瞬にして無力化されてしまう。
それはいましがた、ピカチュウの放った技にあった。
「でんこうせっか……いや、早すぎる! なんだ、そのピカチュウは!」
「長い旅の果てに手に入れた、私たちだけの力!」
「まさか、しんそく!?」
でんこうせっかより早く、でんこうせっかより強い、完全なる上位互換となる技がある。
しんそく。覚えられるポケモンも強力なものが多い。そのため、初手に出されてしまえば一瞬で決着がついてしまう、なんてことも少なくはない。
それをピカチュウが使える。少なくともクロックは聞いたことがなかった。
「くそっ、でもでんきタイプなら」
「ガブリアスの相手は、こっち!」
バシャーモのとびひざげりが、ガブリアスの顎に入る。
度重なる激突で消耗していたガブリアスは大きく吹き飛び、壁に激突した。もう戦闘をすることはできない。
「やはり、強い……!」
「うん、君も強い! でもね、君は心から戦えてないよ。不本意な戦いだって本当は思ってるでしょ。チャンピオンを目指したなら、希望を抱いて戦わないとね」
「それは強者の理屈だ! 強くなければ、夢を見ることだって許されない! 自分の弱さを自覚してしまった者はどうすればいい! 歩き方もわからなくなってしまった者は、君のようにはなれないんだ!」
「そうかな。強さって、ただの実力のことじゃないと思う。強くなることと、強く在ろうとすることは別なんだから!」
なんてね。それはついさっき、教えてもらったことだけど。
イリスは心の中で感謝の言葉を述べる。いろんな夢を抱いたっていい。それで折れてしまうことだってあるだろう。まっすぐ進んでいたつもりが、曲がり角で方向を失ってしまうことだってある。
そのことに気づいて、認めて。初めて見ることのできる夢だってあるはずだ。
いつまでもその
「それだって、僕には……!」
次のポケモンを出そうとするクロック。だがそれより先に、周りのバラル団が動き出していた。
彼らは次なるポケモンを呼び出し、イリスのピカチュウとバシャーモへと迫る。
だがイリスは動じない。ピカチュウへと指示を出す。
「あの装置を止めるよ!」
あろうことか、ピカチュウは精製装置の電極へと近づいていく。そこに流れる強力な電気エネルギーは、ポケモンでさえショックで傷つけてしまうほどのものだ。
それでもピカチュウは駆け寄る。そして大きく跳躍した。
途端、電気エネルギーはピカチュウに集まった。装置は機能を落とす。
この現象はとても単純だ。イリスのピカチュウの特性は『ひらいしん』。電気を自身に集めて強化するというものである。
だがそれだけでは、ピカチュウにかかる負荷は相当なものである。エネルギーを発散する必要があった。
「10万ボルト!」
代名詞とも言える技が、通常の何十倍もの威力となって放たれた。
四方八方に飛び散ったものの、そのすべてがきちんと狙いが定められている。むろん、標的はバラル団のポケモンたちだった。
それはイリスへと迫るポケモンたちをすべてなぎ払ってしまうほど強力なものであった。
一瞬で静まり返る。そして、その状況でもイリスは攻撃の手を緩めない。
「これで、終わり! バシャーモ、フレアドライブ!」
炎を全身にまとったバシャーモが、装置に設置されている楔へと突っ込んでいく。
メガシンカしたバシャーモは凄まじい速度で、炎の突撃を見せた。
激突する音、何かが砕ける音、落ちていく音。
いでんしのくさびとなるはずだったモノは、ここに失われ。
この作戦でのバラル団の目的は喪失したのだった。