ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
『へえ、ジョーくん、シャルムシティにいるんだ』
通話口から響いた声には、羨むようなニュアンスが滲んでいる。
自分しかいないホテルの一室、ベッドの上でシンジョウは、急に電話をかけてきたその人物に不満を持ちながらも応答する。
「イリスは?」
『メーシャタウン! 久しぶりに帰ってきたけど、こっちは変わらないねえ』
ラジエスシティで別れたあと、二人はそれぞれ南北へと向かっていった。シンジョウが北であり、イリスは南である。
彼女の故郷があるらしいメーシャタウンには大きな城があるようで、テレビ通話をする一方で写真が送られてくる。確かに、風光明媚な場所のようだ。シンジョウの知っている城といえば、カロス地方の宮殿であったが、作られた時代が違うのか要塞としての機能が色濃く見える。
「いつか行こう」
『本当? だったらウチに寄っていってよ。親にも言っておくからさ。あ、でも』
言葉を濁らせたイリスは、その表情を珍しく曇らせている。
『恋人なの? とか言われたらめんどくさそう』
「違いない」
古今東西、恋愛にさして興味のない者に対してその話題は、いらぬお節介であることが多い。
『結婚はどうするの、とかうるさくてさあ。ジョーくんはどうなの?』
「悪い相手ではないと思うが」
『……嬉しいけどそういう意味で言ったわけじゃないからね』
「すまん忘れてくれ」
自分のことを聞かれたのだ、などとはつゆも考えていなかったシンジョウは、己の失態を悟り顔を熱くする。
『その頬の怪我も、女の子にちょっかい出してやらかしたわけじゃないでしょうね』
シンジョウの頬には大きなガーゼが貼られている。
半日が経ってなお、まだ血の滴る傷跡を見かねたルシアの手によって施されたのだ。しかしそれも功を奏することはなく、いまもなおじんじんと痛むのだ。
決してナンパなどをしたわけではないが、見方を変えれば「女の子にちょっかいをかけて痛い目を見た」と言えなくもないから、シンジョウは少し困った。
尤も、あの女支部長を女の子にカウントするならば、だが。
『え、マジなの?』
「誤解だ。少し、厄介ごとがあってな。そこで聞きたいことがあるんだが」
『なんだいなんだい。イリスお姉さんに任せてくれたまえよ』
PGと戦ったことやアイスエイジホールについて伏せながら、状況を伝える。
自分を狙った攻撃が、リザードンのドラゴンクローさえも突き破って、超高速で繰り出されたこと。大きさにして手のひらに乗るサイズで、トレーナーの手から放たれたように見えたことを話す。
ふうん、とイリスはあごに手をあてて考え事をした。
『ごめん、わかんないや』
あっさりとイリスはそう言う。期待はあまりしていなかったが、自分より見地の広いイリスにわからないとなると、シンジョウもお手上げである。
『でも聞いた限りだけど、それ特殊攻撃じゃなくて物理攻撃だよね』
「あの攻撃そのものがポケモン、というわけか」
『でもそのサイズで、そんな凄まじい物理攻撃ができるポケモン、いたかなあ』
というふうに首をひねる。シンジョウにも心当たりはなかった。
物理攻撃に優れた……それもメガシンカしたリザードンの爪でさえ軌道を変えるのが精一杯なポケモンの正体は、謎に包まれたままだ。
『もしかしたらアローラ地方にならいるかも』
「というと?」
『私、アローラ地方の旅の途中でこっちに戻ってきたんだよね。だからあっちのこと、そこまで詳しくないの。消去法でアローラかなって思うんだけど』
「あながち、間違いではないかもしれない。なにせ……」
リージョンフォームのキュウコンがいたのだから。
そこまで言ってしまえば、自分がネイヴュまで赴いたことがバレてしまうだろうから、言いはしなかった。
『あ、シャルムシティのジムリーダー、確かアローラ出身じゃなかったかな』
「本当か。なら、明日はそこに行くか」
『それがいいと思う。お役に立てず申し訳ない』
「いや、有益な情報だった。感謝する」
『あともうひとつ有益な情報! シャルムシティには温泉がありまーす!』
「それは知っている」
『なんでー!?』
わざとらしく悔しがるイリスに、シンジョウはこっそり笑った。
そもそもそれを目当てにしてこの街にやってきたのだから、知っていて当然である。
だが、その目的を果たすことはできなかった。
「温泉だが、入ることはできなかった」
『へ? なにかあったの?』
「熱すぎる」
『ジョーくん、熱いの苦手なの? なんか意外だなあ、ほのおタイプ使いの印象から外れるというか。ちょっとかわいい』
「70度あるらしい」
『ごめん私が間違えてました。って、70度!?』
それはシンジョウが、ルシアの治療を受けたあとのことだった。
温泉へと向かうとそこには立て看板があり、書かれていたのは温泉の状況によって休業ということだった。
近隣の火山で何らかの異変があったのだろうという話は聞いた。落ち込んだシンジョウは、そのままホテルをとり宿泊することにしたのだった。
『それは立て続けに災難だね』
「いろんな出会いがある。悪いことばかりではない」
『ポジティブ。そういうところ好きだよ』
「冗談はよせ」
『本気で言われたって困るでしょー』
と言って笑うイリスは、少し大人っぽく見える。年齢を考えれば、十分に大人であるのだが、普段の言動が少し幼い印象のあるイリスからしてみれば珍しい顔だ。
『眠くなってきた。付き合ってくれてありがとね。おやすみさない』
「ああ、おやすみ」
……ただ眠かっただけかもしれない。
* * *
どこか遠いところの光景なのだろうと思う。
枝の曲がった木々が生い茂っている。葉が舞い散り、寂しさを感じさせる。
地面は砂利が敷き詰められて道にようになっていた。シンジョウは、足音を踏みならして、その空間を歩いた。
ひとはだれもいない。だが、その光景はひとの手によるものでしかありえない。よもやポケモンが作り出したわけではないだろう。
尖った岩が、まるで山のように景色の溶け込んでいる。
それぞれがなにかに切断されたようでありながら、風化によって柔らかい印象を生み出している。
峻厳さと包容力を内包した世界であった。
ジョウト地方にはこういう文化があったように思うが、その名を思い出すことができない。
自分という存在が稀釈されているような感覚さえあった。薄くなって、平べったくなって、世界に溶けてしまいそうだった。
それでも。シンジョウはその景色を目に焼き付ける。
この景色を見せている何者かは、自分になにかを伝えようとしている。
そう思えてならないからだ。
すると、目の前に老人が現れる。深くかぶった笠で表情を隠していた。
「デアッタカ」
そう口を開いた。片言で、シンジョウはその意思を読み取ることができない。
であったか。そうだったのだろうか。
出会ったか。顔を合わせたのか。
出合ったか。それぞれ揃えたか。
「オマエ タチ アッタカ」
オマエ。疑うことなく、お前。
タチ。太刀?
アッタカ。あったか。会ったか。
立ち会ったか。
立ち合ったか。
お前たち、会ったか。
「キルカ キラレルカ」
「ツクカ ツカレルカ」
「ナグカ ナガレルカ」
「その首、どうしてまだついているのかしら?」
「その顔、なぜ笑っていられる?」
「その足、いかにして進められるか?」
「その手、握ってはくれないのですか?」
「その目、合わせることができないの?」
「その口、まだ————ないんですか?」
ナラ イラナイ
散っていく葉は雪に変わる。
そして視界は赤に染まった。