ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
退けない戦い
リザイナシティは研究都市として名を馳せていた。その研究は世界にも轟いているが、このところはもっぱら「Reオーラ」と「キセキシンカ」について、すなわち世界全体の事象を明かすことよりも、ラフエル地方特有の事柄に関する研究を行なっていた。
これにはポケモン学者のみならず、地質学者や気候学者、医学者に加えて天文学者や歴史学者まで集められている。
「ラフエル地方最大の研究機関として、ラフエル地方最大の謎を明かすのだ」と言ったのは現在の超常現象解明機関:CeReSの所長だった。
だが、その様を揶揄する者は言う。「何かに焦っているのではないか」と。
バラル団の活動が活発になる一方で発見されたキセキシンカについて、躍起になって調べるのは、その現象そのものがバラル団と関係があるから……などという勘ぐりをする者がいても、当然と言えるだろう。
「俺には関係ないがな」
と、ばっさりと切り捨てたのはCeReSの研究員の一人にして、この街のジムリーダーを務めるカイドウであった。
『超常的頭脳』と呼ばれるほどの図抜けた計算能力、知識量、そして研究における感覚から飛び級でやってきた、天才児だった。
「あら、そう? 組織なのだから、世間体というのを大切にした方がいいと思うのだけれど」
対して、そんな青年に声をかけてのは怜悧な女だった。
顔だけを見ればメガネがポイントの知的な美人、スタイルも整っている。が、それは女日照りの研究員の意見であり、カイドウのものではない。
むしろ彼は、彼女の着ている制服こそを忌々しく見ていた。
PGのものであるが、水色と白を基調にしたものである。胸にあるマークはダイブボールだ。
彼女こそは極北のPG、この地方で最も堅牢な牢獄であり、かの悲劇的事件『雪解けの日』の舞台となった場所、ネイヴュ支部、その支部長を務める女である。
カミーラ、と名乗ったその女はカイドウの警戒心を高めるのに十分な気配を持っていた。
なにより目が笑っていない。
こういう手合いは、油断をすればどこまでもつけ込んでくるのだ。
CeReS内部の者にどうにか渡りをつけて、対等になるように取引を持ちかけてきたことから、それは明らかだ。
「それは俺の仕事ではない。俺は研究し、発表するまでが仕事だ。それを伝えるように考えるのは別のやつの仕事であり、ましてや組織の運営など、上の者が勝手にすればいい」
「さて、私は組織の上の者、という立場なのだけれども」
そうは言ってられないのよねえ。
なんて、柄にもないことを言う。
誰よりも他人を気にしていなさそうな、この女が何を言うか。
「サンプルの提供は感謝している」
「ちょっと、私の部下なんだから、そういう物みたいな言い方はよしてくれないかしら」
カミーラの持ちかけた取引は、こうだった。
キセキシンカを経験した者を差し出すから、地質に関する研究機材と知識人数名を貸与してほしいと。
自分自身の目でキセキシンカを見たのは一回だけ。さらに言えば、同僚であるレニアシティのジムリーダーによるものは、映像などの記録に残っていないのが惜しいところであるが伝え聞いている。
そしてもうひとり『雪解けの日』で初めて観測された者、すなわち今日の実験サンプルだ。
偶然であるが、いずれもがメガシンカが知られているポケモンであり、そのうちの二匹は人間と感応するのが得意なルカリオである。
ガラス越しにある、リザイナジムのバトルフィールドでウォーミングアップをしているのはネイヴュ支部のPGである少女と、そのポケモンであるルカリオだった。
はっきり言ってしまえば、このような状況でキセキシンカは起こりえないだろう。
この実験はあくまで観測が目的だ。あのルカリオとトレーナーに何か特別な素養があるのであれば、それまで。ないならば別の角度から研究を進めなければならない。
「てっきり貴方が相手をしてくれるのだと思ったのだけれど」
「それも考えた。だが、どうにも無駄が多い。自分の力ではなく、相手の力を引き出すように戦うのは不得手であるし、バトルをしながら観察するのは得意なところであるが、勝つための思考と動きの観察はまったく別だ。計器の動きもリアルタイムで見たい」
「けれど、あなたのジムトレーナー程度で、ウチの子の相手は務まるかしら」
それは侮りではない。自分が育てた番犬、あるいは狂犬への自信だった。
自分の脚でどこまでも走り、戦い、食らいつく。ジムリーダーが身を引いていられるほど、楽はできないわよ、という意味だ。
エスパータイプのジムで、かくとうタイプのポケモンを使うという愚かな状況であってもそれは揺るがない。
そして彼女の実力を見るに、それは間違いではない。
自分が多少なりとも指導しているジムトレーナーたちは、いずれもきちんとした実力をつけている自負があるが、彼女と渡り合えるとは思えなかった。
まして、キセキシンカを起こせるほど追い込むことができるかなど、考えるまでもない。
「代わりを用意した」
「あら、そうなの。その人は貴方ほどの実力はあるの?」
「さてな。実際に戦ってないからには、わからん」
否定はしなかった。
伝えに聞く戦果を聞くに、その者については、紹介を送ってきたステラとランタナから聞いて話しか知らないが、実力は両者からのお墨付きだった。
カイドウからすれば、ジムリーダーという同僚だからと言って何か特別というわけではない。それぞれ個性的な凡夫だ、という認識である。
だがそれでも、その実力と実績について考慮すれば無視することもできない。
「肩書きだけを言うのであれば、彼は」
あくまでデータの話だ。彼のことについて知る一端を告げるならば。
「異邦のジムリーダーであり、メガシンカの継承者であるらしい」
キセキシンカもメガシンカと類似した現象であるからして、その意見は参考になるだろう、という考えもあった。
カイドウがステラからの推薦状を受け取ったのは、そういう理由もある。
「へえ。じゃあ、お手並み拝見といきましょうか。うちの子のね」
そう言って、カミーラもまた眼下を見る。
カイドウでさえ予想してなかったのは、ここからだった。
現れたそのトレーナーを見て、窓に手を置いた。
目を輝かせて、口を開けば。
「あらあら、あらあら、まあまあ!」
などと口走った。
……若作りが台無しだぞ、とは口にしないカイドウだった。
* * *
最悪な状況だ、とシンジョウは思う。
いいや、リザイナシティにやってきて、CeReSにくるまではよかったのだ。
カイドウの元に直接行っても、ジム戦以外の用事はまともに相手してくれないだろうというランタナのアドバイスに従い、ステラに連絡をとって推薦状を認めてもらったところまでは絶好調だった。
CeReSに着いて、キセキシンカの研究を手伝う代わりに意見交換の場を設けてくれるという話が出てきたあたりも、何も問題はない。
だがその相手が大問題であり、この日の運勢が急転直下を迎えたことを告げた。
「よりにもよってネイヴュ支部……」
アイスエイジホールに何かあると向かった際に、迎撃されたことは記憶に新しい。
というより、誰も寄り付かない放置された場所だと聞いていたにも関わらず、あのような事態になって困惑したのだ。
おまけにあのルカリオは見たことがある。
あのとき、“はどうだん”を撃ってきた腕のいいルカリオ使いだ。
ふと視線を上げる。ジムリーダーのカイドウがそこにいた。そしてその隣にいる女こそ、俺が見たネイヴュ支部のトップだった。
ってか、うわ、めっちゃガン見してくるんだけどアレ。
思わず若者ことばが口をついて出そうになるほど、シンジョウは困惑していた。
これは早く始めてしまって、今日のところは退散した方が良さそうだ。
そう考え繰り出したのはバクフーンだった。
反応したのは相手の少女、アルマだった。
「メガシンカの使い手とジムリーダーからは聞いていましたが」
「間違いない」
「使うまでもないと、判断しましたか」
「それは勘違いだ。俺は自分が育てたポケモンのいずれにも、自信がある」
信用すべき場面と、最適な選択がある。
その数ことがバトルにおいて重要なものになると、長い経験が語っていた。
リザードンが切り札であることには違いない。それはシンジョウ自身が得意とする戦いに最も合致した能力を持つポケモンであり、長年連れ添った相棒だったポケモンの子であるからだ。
しかし、このバクフーンを含めて、ゴウカザル、マフォクシーもまた自身が最高であると自信を持って言えるポケモンである。
けれどそれは、アルマにとっては侮りに聞こえたか。
「やります、ルカリオ」
構えをとるルカリオに、シンジョウは観察を重ねる。
瞬間、ルカリオの姿が消えた。
トレーナーの間でも、ルカリオは非常に優秀なポケモンであると語られることがある。
もちろん、愛情を持ってポケモンを選ぶことが大前提であるし、強さだけがポケモンの指標であるはずがない。
けれどもその器用さは、相手がルカリオを出してきた際に警戒すべきものだ、というのは常識として存在するのは事実だった。
特に強力な技がいくつかある。
“はどうだん”、“インファイト”、“ラスターカノン”、そして“しんそく”だ。
そしてこのチョイスは、間違いなく“しんそく”であった。
「バクフーン」
名を呼ぶだけで、彼は応える。
ルカリオの拳にバクフーンの“かみなりパンチ”が重ねられる。
まったく同じ顔を浮かべるアルマとルカリオ。
「初手の“しんそく”で相手に何もさせずノックダウンを狙う戦法は、読めていても防げるものではない」
「なら、どうして」
「やりようはあるってことだ」
電気が金属に引っ張られることを利用し、ルカリオの金属部分を探知したバクフーンが動きを合わせたのだ。
どこから来るのか、を理解できれば、タイミングを合わせるのみだ。であれば、バクフーンに“しんそく”という技を慣れさせればいい。
シンジョウのポケモンは、そうしていくつものパターンに対応できるように育てられているのだった。
ルカリオが後退していく。そこへ“スピードスター”が追い打ちとしてかかる。“はどうだん”と同じく、抜群の追尾性能を持つ技であり、違いは覚えるポケモンと放たれる弾の数だろう。
両手を器用に振るうルカリオは、“スピードスター”の弾をすべて弾いてみせる。
「見事だな」
「本気で褒めてますか」
「もちろんだ。トレーナー自身が格闘技の使い手でなければ、ルカリオであってもそんな動きはできない。よく育てている」
「……申し訳ないですが、私にとってそれは褒め言葉ではありません」
「すまない。ただ実力は本物だと思っている。俺たちも油断できん」
謝りながらも、攻撃の手は緩めない。ルカリオもまた反撃の機会を伺っている。
「“でんこうせっか”だ」
「“しんそく”!」
同じ系統の技の激突。しかし技を見ても、速さに関わる能力を考えても、ルカリオが一枚上手であることに変わりはない。
それでも、バクフーンは追いすがる。高速でポケモン同士が入り乱れるバトルフィールドを見るに、互角の戦いだった。
「そうか、身のこなしが違う! ルカリオの動きを予測して、最短を走ってる!」
アルマが驚愕とともに言う。
良い目をしている。シンジョウはルカリオだけでなく、アルマのことも観察する。
ポケモンバトル、すなわち公正なルールの下でバトルを行なったことは少なさそうだ。けれどもポケモンの練度は申し分なく、判断も的確だ。
なにより、よい信頼関係が築けているのを感じ取る。
心地よいバトルだ、とシンジョウは笑みをこぼす。
カミーラがいなければ、もっとよかったが。
「……“はどうだん”!」
「“だいもんじ”で迎え撃て」
ルカリオの放った光弾は、まっすぐバクフーンへと向かっていく。
避けられないならば迎え打てば良い。威力が高い方が勝つのであればシンジョウのバクフーンに分がある。
大の字になって広がった炎はバトルフィールドを埋め尽くした。はどうだんを打ち払って余りある威力に、ルカリオは包まれた。
やりすぎたか、と思うも杞憂だった。
ルカリオは炎を抜けてバクフーンへと迫る。“はどうだん”は“だいもんじ”を切り抜けるための布石となっていた。弾の後ろを“しんそく”で追ってくる目論見なのだろう。
それは少なくないダメージを受けながらも成功した。
「“インファイト”!」
ルカリオはバクフーンの懐へと潜り込み、拳を突き出す。ファイトスタイルを技へと昇華させた、乾坤一擲の攻撃だった。
拳の乱打がバクフーンを襲う。だが、バクフーンもただ襲われるだけではない。
その異名にかざんポケモンの名を持っているバクフーンは炎と、完璧には程遠くとも噴煙から生まれる雷さえ操る。
ルカリオの拳が唸るたびに、バクフーンからは炎と雷が舞った。
ポケモンの世界には存在しないが、インターネットにおける不法侵入を防ぐためのツールとしてファイアウォールというものがある。字面だけを見るのであれば、シンジョウのバクフーンはまさにそれを展開していた。
防壁のようにルカリオの拳を阻む力に、アルマは焦る。
まるで通用しない、なんて。
対するシンジョウは独り言を漏らす。
想像以上だ、と。
「負けない、負けられない。あの人の前で、負けられるか!」
「よく言った」
アルマの叫びに、シンジョウは賞賛を送った。
だからシンジョウも全霊を持って応える。
「"だいもんじ”」
「そんな、ゼロ距離で!?」
バクフーンは、ルカリオに噛み付くほどの距離で炎を放つ。
炎の嵐に巻き込まれるルカリオであったが、脚に力を入れて耐える。
膝をつくほどの大きなダメージを負ったが闘志は未だ健在だった。一方のバクフーンも少なくないダメージを受けている。
けれど、勝敗は見えている。通常のポケモンバトルであれば、ここでやめさせるところだ。
「まだ立ち上がるか」
目の前でルカリオは立ち上がる。アルマも同じように、シンジョウを睨みつけていた。
「引き際は見極めた方がいい」
「私は、あなたのような甘い戦いをしていない」
「…………」
「退けない戦いは、いくつもあった」
そうだろう、と思った。
いままで戦ってきた相手……グライドやアバリスのような者たちと戦ってきたのであれば、それはポケモンバトルなどと比ではない苛烈な戦いだ。
そこにはルールがない。命の尊厳もない。
だがそれでも、シンジョウは言わねばならない。
いかなる者とて、ポケモンとともに生きる者であるならば。
「自分の弱さに、ポケモンを巻き込むな」
「……ルカリオ!」
激昂とともに、アルマはルカリオの名を呼んだ。
エネルギーの高まりを感じる。けれどもそれは、メガシンカでもキセキシンカでもない。
ただの波動だ。シンジョウはバクフーンへ、最後の指示を下す。
「そこまで!」
声をかけたのは、カイドウではない。
コツコツ、とハイヒールの音を鳴らして歩いてきたのは、ネイビュ支部の女支部長だった。