ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
シンジョウの聞いたことのない名前だった。
イリス、と脳内で一度だけ反芻する。
「君の名前は?」
「シンジョウだ」
「そっか。じゃあシンジョウくんね。私はラフエル地方の出身でねえ、三年前も旅してたんだけど、こんな場所は初めて。どんな謂れがあるんだろう」
火に小枝を加える。ばちり、と音が鳴った。火が揺れると同時に、洞窟内の模様も変わったようにも見えた。
くしゃみが響く。イリスのものであった。火にあたっていても、そんなすぐに服が乾くわけではない。
シンジョウは無言で自分の羽織っていた上着を渡した。イリスは数度の瞬きをしたのち、礼を言って受け取る。
「君は違う地方から来たの? 時期が悪いねえ、この頃は物騒だから」
「それはさっきも聞いたな」
シンジョウが言うと、そっかそっかとイリスは笑う。
「そちらこそ、この時期に帰ってきたのか」
「はは、うん。むしろ、こういう時期だから、かな」
そう言って曖昧にしたイリスを、シンジョウは見逃さなかったが、追及しなかった。
「それで、リーグ挑戦が目的なのかな」
「いや、俺は……知らないものを見に来たんだ」
「ほうほう、観光ですか。いまどきな場所はわからないけど、メーシャタウンはおすすめだよ。古いお城があってね、英雄ラフエルにまつわる話も多く残ってるんだ。いまでこそラジエスシティとペガスシティが中心になってるけど、遠い昔はメーシャこそがラフエル地方の心臓だったんだから」
それに、私の出身地なんだ、ともイリスは続けた。そうか、とシンジョウは頷く。
別段、観光が目当てというわけではない。旅はむしろ好む方ではあるものの、それを最優先にするのも話が違った。
「英雄ラフエルのことを知りたいんだ」
はっきりと、シンジョウは言った。
「男の子だねえ」
「そういう歳でもない」
「いいんだよ、幾つになっても、ヒーローに憧れたって。それに、ほら」
ばさり、とイリスはシンジョウが貸した上着をマントに見立てて翻した。そして口元を隠して、にやりと笑う。
「こうして気遣ってくれた君は、私のヒーローだよ」
「できることをしたまでだ」
「むう、つれないやつ。でも嫌いじゃない。本気で言ってるみたいだしね」
くすくす、と笑われる。シンジョウは幼い頃より大人に近く見られていたからか、このように構われることは新鮮であった。
「ま、だったらこのあたりにいるのも納得かな。レニアシティに行くんでしょ?」
「ああ。ラフエルの末裔である『英雄の民』、その一人が知り合いなんだ。会いに行こうと思ってな」
「いいね。私も久しぶりに友達に会おうかな」
などと言って、イリスは再び座る。
シンジョウはいつの間にか彼女のペースに巻き込まれていたことを自覚した。
どんな話を投げても返ってくる。膨らませてみせる。決して否定せず、笑顔を絶やさない。
なるほど、これは強い。人としての強さをイリスに感じたのだった。
しばらくして、外が少しずつ光を取り戻してきた。雨があがり、雲の間から日が差したのだ。
外を眺めていたイリスは、ふうん、と息を漏らす。
「それにしても、奇妙な雨だね。すぐに止んじゃった」
「山の天気は移ろいやすいと言うが」
「だとしてもなあ。なにか引っかかるんだよね」
奇妙な雨、という感覚はシンジョウにはわからなかった。だが、言われてみれば、雨が降る予兆などは感じなかったし、夕立というには早すぎるし、あまりにも急に思える。風も乾いていたような気がした。
いや、事実、このあたりは乾いているのだ。岩場もあちこちに覗いていたし、この洞窟もまた、乾燥した空気によって絵が残っていたのだろう。
だとすれば、異常気象か、あるいはポケモンの仕業だろうか。
原因はわからないが、この洞窟の壁画に影響があるのであれば、それはとても惜しいことである。
「それで、イリス、あなたの旅は何を目的にしてるんだ」
「うん? そうねえ、君に近いかも。私も、知りたいことがあるんだ」
「見つかるといいな」
シンジョウがそう言うと、イリスは少しだけ驚いた顔を浮かべる。そしてにっこりと笑いながら上着を返した。
「君、いいやつだね」
「どういう意味だ」
「それ以上でも以下でもないよ。ありがとう、上着も火も、助かったよ」
そう言われてしまえば、シンジョウも口をつむぐしかなかった。
改めて上着を羽織り、身支度を整えた二人は洞窟を出る。すっきりと晴れた空を見て、イリスは体を伸ばした。
「うーん、これは、私もレニアシティに向かおうかな。本当は野宿するつもりだったけど、知りたいことができたし」
「なら、一緒に行こう。俺のリザードンであればその荷物ごと運べる」
「本当に!? 力持ちなんだね。けっこう重いと思うんだけど」
シンジョウがモンスターボールからリザードンを呼び出そうとしたそのときだった。
悲鳴が聞こえた。幼い女の子のものだろう。
二人は顔を見合わせる。
「人? こんなところに?」
「……よくみれば、道になっているのか」
声のした方をむくと、わずかであるが石が避けられており、道のようにもなっていた。それもポケモンが行くための獣道ではない。人が歩いて踏み固められたものだろう。
相談することもなかった。シンジョウとイリスはともにその道を駆け下りる。
森へと続いているその道を駆け抜けると、うずくまっている少女がいた。見慣れぬ衣服を身にまとっている。恐らくは民族衣装だろう。
彼女の前にいるのはポケモン、ワシボンであった。しかしそのワシボンは、少女を守っているようにも見える。
であれば、脅威は別にいるのだ。
二人は咄嗟にモンスターボールを手繰り寄せ、ポケモンを繰り出す。
「いけ、ゴウカザル!」
「きて、エンペルト!」
炎を吹き上げ登場したのは、細身に長い手足を持つ人型のポケモン、ゴウカザル。
鋭い眼光とともに現れたのは、ずんぐりした胴体に鋭い鋼の羽を持つポケモン、エンペルト。
二匹のポケモンとそのトレーナーは、周囲の気配を探った。