ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle 作:真城光
木の葉の擦れる音が響く。
残っていた水滴が落ちてきて、シンジョウの頬を撫でた。
それと同時に、無数の影が飛びだしてくる。
激しい羽音が響き渡る。思わず耳を塞ぎたくなるほどだった。
「スピアーか!」
毒の棘を持つポケモン、スピアー。
だが、目の前に現れたのはとんでもない数のスピアーであった。
巣を突いてしまったかと思ったが、それは違うだろう。雨によって活動することができず、腹を空かせていたスピアーたちは苛立っているのだ。
縄張りを侵したからか、あるいはこの少女やワシボンが何かをしでかしたのか。
「エンペルト、ラスターカノン!」
イリスの声が響く。エンペルトは自身に光を溜めて放出した。はがねタイプのワザだ。眩しい光線はスピアーの群れに届く。
だが、ラスターカノンの射程はともかく、攻撃範囲はそれほど大きいわけではない。群れを一掃するには足りないのだ。
「ゴウカザル、ストーンエッジ!」
シンジョウのゴウカザルは、大きく地面に拳を叩きつけた。
そして刃のような岩の断片が、重力に逆らって空へと伸びていく。
いわタイプのワザの中でも一際強力なものであった。命中精度の低さなど、目の前にいる大群を相手にするのであれば問題はなかった。
度重なる攻撃で、スピアーたちは民族衣装の少女とワシボンではなく、シンジョウとイリスに目をつけた。敵意を向けているのだろう。
よし、と内心でつぶやいた。いくらか戦いやすくなるだろう。
「でも、決定打が足りない」
イリスのつぶやきは、シンジョウの思考の代弁でもあった。
ポケモンバトルであれば、シンジョウは自信がある。イリスのエンペルトの育ち具合からも、彼女の実力も相当なものであることがうかがえる。
だが、こうして大群を相手にするのであれば別だ。
高火力技が必要になる。無論のことシンジョウにはほのおタイプの理を活かした技もあるし、イリスほどの手練れであれば火力を発揮するための技も用意しているはずだ。
相手は野生のポケモンである。できることであれば追い払うだけに留めたい。シンジョウの手持ちのポケモンで追い払うだけの力を発揮すれば、この森を燃やしてしまうことになる。イリスについても、防衛で手一杯という風であった。
この状況を打開するには、シンジョウとイリスがスピアーの大群を引っ張っていく必要がある。その間に少女だけでも逃がせればいい。
「れいとうビーム!」
「もう一度ストーンエッジだ!」
氷の光と、岩の刃が再び飛んでいく。スピアーたちの何匹かは直撃を受けていたが、群の総体として大きなダメージは受けていないようであった。
「さて、どうしますかシンジョウくん。何か策は?」
「このまま全滅させる他ないだろうが……あの雨が原因なのだとしたら、あまりに忍びない」
「私の言う事、信じるの?」
「否定する論拠を持ち合わせていない」
「オッケー、じゃあ逃げる方向で」
途端に、シンジョウとイリスは駆け出す。驚いている少女を腕に抱えたのはシンジョウだった。ゴウカザルとエンペルトも二人を追う。
木の根の入り組んだ先へと飛び込む。イリスもそれに続いた。そして、二人は偶然にも口をそろえる。
「「くさむすび!」」
くさむすびとは、草を結んで忍ばせるワザだ。本来の用途はポケモンを転ばせるワザであり、特にいわタイプなどの重量のあるポケモンに効果的である。だがむしポケモンであり、軽量級であるスピアーを相手に用いるには不適切であろう。
しかし、ここでシンジョウとイリスは、草による防壁を築き上げるために用いた。
ばちばち、と激しい音が響いた。草の防壁をスピアーが叩いているのだ。
ふう、と息を吐く。ひとまず安心だ。彼らがその敵意を収めるまで、おとなしくするべきだろう。
「あの、あの」
「どうしたの?」
何か言いたげにしている少女に、イリスが優しく声をかけた。自分にはできないことであるから、シンジョウはこの場をイリスに任せることにした。
「助けてくれてありがとうございます……でも、実は友だちと待ち合わせしてて」
「え、じゃあここに来るかもしれないってこと?」
イリスが視線をシンジョウに送る。
それはまずい。この状況はこの少女を守るためだけの布陣だ。いまからここを飛び出して、その友人も救うとなればそれなりの危険を伴う。かと言って見捨てることもできない。
スピアーたちをすべて倒すのも、可能であっても躊躇われる。森にも大きなダメージを与えるだろう。
少しの逡巡を経て、シンジョウは口を開いた。
「どんな子だ、教えてくれ。俺がリザードンで外に出て回収する」
「あ、その、リザードンにいつも乗ってます」
「リザードンに?」
ほのおタイプのポケモンは数は多けれど、リザードンの使い手となれば数は限られてくる。
「もしかして、そいつは髪の赤い男の子か?」
「は、はい! 知ってるんですか?」
少し緊張したように、少女は答えた。
シンジョウは頷く。同時に安心もした。
彼であれば、大丈夫。それ以上に、彼であるならばこの状況すらも打開してみせるだろう。
「スピアーたち、落ち着いてくれ!」
噂をすれば何とやらである。幼い少年の声が響いた。
「お腹が空いたんだろう! あっちにお前たちの好きなきのみがある!」
くさむすびを解いて、シンジョウは木の根の下から抜け出た。イリスと少女も、そのあとを恐る恐る出てくる。
スピアーたちは空高く退いていた。それどころか、統率のとれた動きで遠く離れていくではないか。
ポケモンとわかりあう力。明確な意思疎通をし、あまつさえ野生のポケモンに言うことを聞かせてしまった。
そんなことができる人物を、シンジョウは一人しか知らない。
木の間から、リザードンがゆっくりと降下してくる。
その背には一人の少年がいた。
「カーシャ! 遅くなってごめんな!」
「大丈夫だよ」
優しく微笑んで、カーシャと呼ばれた少女は、リザードンの少年を迎え入れる。
よっ、という声をともに地面に降り立った少年は、少女を見てにんまりと笑うが、カーシャの後ろに立つ二人の男女を見て、目を見開いた。
恥ずかしいところを見られたかのような動揺と、思いもがけないところで出会った驚きとがないまぜになった表情で、赤い髪の少年は大きな声をあげた。
「し、シンジョウ兄ちゃんなんだな!?」
「久しぶりだな、カエン」
この赤い髪の少年こそ、かつて自分の元に預かってジムリーダーとして一人前にした少年、レニアシティのジムリーダー、カエンであった。