未来への遺産   作:塩崎廻音

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プロローグ ある日、銀世界の廃墟にて

「――静かだねぇ…」

 見渡す限りの銀世界。

 分厚い雲に空を覆われた薄暗い死の世界で、俺――望月歩夢は雪に覆われた廃墟を眺めて独り言ちた。

 吹きすさぶ風により巻き上げられた雪でその半ば以上が埋もれているとはいえ、立ち並ぶ建物やビルのどれもが原型をとどめていた。最近訪れた街の中では一番状態がいい。だから、もしかしたら生き残りがいるんじゃないかと、少し期待してしまったのだ。

 もっとも、わずかながらにも期待していたのは俺の方だけで、相方――勅使ヶ原命はまったく期待していなかったようだが。

――歩夢さんを基準にしたら、どこでも人間は生きていけますけど。

 とは彼女の談。どうにも俺は、他人に対して期待を高く持ちすぎているらしい。

 

 ため息を一つ。視線を落として今立っている建物の下の大通りを見下ろす。誰の足跡もない滑らかな雪の表面は、薄暗い太陽の光を反射して暗い青に染まっている。嫌になるほど見慣れた光景だ。

――目を凝らしたら、実は足跡の一つや二つあるんじゃないか。

 そんな未練がましい考えが頭に浮かぶが、凝らすまでもなく足跡がないことははっきりとわかる。自分の目の良さが少しだけ呪わしい。

 そんな風にしばらく雪景色を眺めていると、建物の下に現れた少女――命がこちらを見上げながら声を張り上げた。

「――歩夢さん、やっぱりシェルターの中もダメでした!」

「――そうか、ありがとう!」

 シェルター内部の確認を頼んだ彼女からの言葉は、事前の予想通り。分かっていたことであるにもかかわらず、歩夢はわずかな落胆の念を禁じ得なかった。

 

 もう一度ため息をつき、肩の雪を払いつつ立ち上がる。

 命がシェルターを探索する間の見張りとしてそこそこの高所に陣取っていたのだが、結局それが功を奏すような出来事はなかった。

 一応、少し離れたビルに気になる反応はあるが…

「――とりあえず、こちらは異常なし!今そっちに行くから!」

 そう言って、俺は立っていた建物から飛び降りる。

 数秒の落下の後、雪で覆われた地面にぼふりと着地する。

 その横で、着地の際に巻き上げられた雪を頭からかぶった命がじっとりとした目でこちらを睨みつけて…

「…歩夢さん、わざとですか?」

「あ……ええと、ごめん。これくらいどうとでもなるかなって…」

「いつも言っていますが、歩夢さん基準で考えるのはやめてください」

「いやあ、分かってるんだけど、つい…」

「……はぁ」

 呆れた様子で深くため息をつく命。俺はそんな命に謝りつつ、その体にまとわりついた雪を優しく払いのけていく。

「いやあの、歩夢さん?」

「…どうしたの?あ、熱源操作で一気に乾かした方がよかった?」

「いえ、そう言う雑なのは……まあ、別にいいんですけど…」

「…?」

 ときどき、命の言うことは分からない。とりあえず、文句はないようなので続けることにする。

 頭、肩、両腕、胸元…そうやって分厚い防寒服の上からぽふぽふと雪を払っていくと、雪をかぶった冷たさのせいか顔を赤くした命が、居心地が悪そうな様子で話しかけてくる。

「…あ、あの、異常なしってことは、”巨獣”は出てこなかったんですか?」

「ん?ああ、うん。珍しいけどね。向こうのビルにちっこいのが一匹寝てるけど、あとは全く」

「本当に珍しいですね……なにか巨獣が避けるようなものがあるんでしょうか?」

「分かんない。特に変わったものはなさそうだけど」

「んんん……なんでしょう、気になるなぁ…」

 そう言って、命は考え込んでしまう。

 雪を払い終わって特にすることがない俺は、そんな命の横顔を眺めることにする。

 

 ”巨獣”というのは、この雪と氷の世界に適応すべく進化した生物たちの総称。体温を保持するためにどの種族も非常に大きな体を持っていることから名付けられたらしい。

 しかも、数百年前の”終末戦争”の影響でめちゃくちゃになった環境に適応するために、まさに異能と言うべき特殊能力を持つ種族もいる。この世界で「外」に出る際の大きな障害のひとつだ。

 そして、こういった街の跡には数種類の巨獣が住みついていることが多い。寒さに適応した巨獣とはいえそれを逃れることができる方が望ましいので、廃墟に住み着いて風雪を凌ぐのだ。もちろん巨獣が住み着かない廃墟というのもあるにはあるのだが、それも大抵は毒ガスの吹き溜まりになっていたなどの理由があってのこと。特に問題もなさそうなこの街で巨獣を見かけないのは本当に珍しい。

 

「…まあ、とはいえ。考えていても仕方ありませんし、今日の寝床でも探しましょうか」

「あ、戻ってきた」

 思索の旅から帰ってきた命の様子に、思わず口からその言葉が出る。”上流”出身のお嬢様である命は何かと無防備なところが多く、こうやって何が出てくるかもわからない場所でも深く思索に没入してしまう癖がある。

 まあ、本人は『何があっても歩夢さんが守ってくれるだろうという信頼の表れです!』なんて言っているが、実際はただのうっかりだと思う。

 いつも指摘されているのにも関わらずまた考え込んでいたことを指摘された命は、カァッと赤くなると照れ隠しのように俺の足をてしてしと蹴りつけ、

「…歩夢さん、いつも私にばかり考えさせないで自分でも考えてください」

 などと言ってきた。

「それが役立つ時はね」

 なんて適当に返して、俺は寝床になりそうな廃墟を探す。原型こそとどめているものの、雪に埋もれたり壁が崩れたりと住居としての機能を残した建物はなかなか見当たらない。いっそ、適当な廃墟に潜り込んでその中にテントを張ってもいいのかもしれないが、せっかく街の跡に来たのだからテントよりはマシな環境で寝たい。

「…そういえば、さっきのシェルターは?」

「ああ、あれは完全に施設が死んでいたので。空気が循環していないみたいなので、あまり長居する気にはなりませんね」

「ままならないねぇ…」

 思わず、空を見上げる。そこには、以前よりもだいぶ薄くなったとはいえ、まだ厚い雲に覆われた灰色の天蓋が見える。今だ、夜になっても星空は見えそうにない。

 ため息を、また一つ。”終末戦争”から数百年にわたり人類が見上げてきた灰色の空を、俺もまた見上げていた。

 

***

 

 今から数百年前、緩やかに訪れる氷河期を予期した人類は、それに対応すべくいくつかのテクノロジーを生み出した。その一つが、”環境適応能力”と呼ばれる力を持った強化人間。遺伝子操作にとどまらない先進技術の粋を凝らしたその能力は、生物としては虚弱なはずの人間に破格なまでの生存能力をもたらした。

 環境適応能力により人類は氷河期の環境であっても生存可能になったが、その恩恵を受けられるのはごく限られた国の人間だけであった。

 富める国の人間だけが生き残り、貧しい国の人間は生存すら許されない。

 そんな残酷な格差を見せつけられた当時の貧困国の人々は、やがて格差の是正を暴力によって求めるようになった。

 初めは、小規模なテロや散発的な軍事活動を。しかし、時が進むにつれてその暴力の規模は際限なく拡大していった。

 そして、地球のすべてを滅ぼすとまで謳われた大量破壊兵器の使用とその報復の連鎖により、地球上のほとんどの生物は死に絶えることとなった。

 それを人呼んで、”終末戦争”。

 生物を滅ぼすだけでなく星の環境すらも歪めるまでに至ったその破壊の爪痕は、破滅の象徴ともいえる灰色の空は、今だ人類の頭上に暗くのしかかる。

 

***

 

――ゥルオオォォォォォォォォォォォォォォ……

 突然、遥か前方から何かが吠える声が聞こえてくる。

 まあ、何か、というかあのビルにいた「ちっこいの」だと思うが。

「…歩夢さん、さきほど、ビルに『ちっこいの』がいると言っていましたが」

「ん?ああ、あれじゃない?」

 そう言って、前方を指さす。その先には、ひと際大きなビルの割れた窓からのそりと這い出てきた一匹の白いクマ。体長は大体十メートルくらいだろうか。

「あの、ちっこいの、というのは…」

「え?小さいでしょ?」

「……あの、何度も言いますが、歩夢さんを基準に考えないでください」

 ときどき、命の言うことは分からない。

 なにやら「とういうか、あれがこの辺の巨獣を追い出したんじゃないですか~!」なんて言って泣き叫んでいるが。たかが十メートルのクマに何を驚いているのだろうか。その数倍の巨獣も何匹も見ているはずなのだが…

 そんな俺の釈然としない気持ちを読み取ったのか、命はあきれ顔で反論してくる。

「並の人間にとって、十メートルのクマは死を覚悟する相手です」

「えぇ~、命ならあのクマくらい倒せるでしょ?」

「無理です!”適応兵器”も温存する必要がありますし、使えてもあれは命がけですよ!!」

 声をひそめながら叫ぶという器用な芸当を見せる命。クマを刺激しないために声を落としたつもりだろうが、残念。すでにあのクマは命に狙いを定めている。

「ねえ、そろそろあのクマが命に襲い掛かってくると思うけど」

「あの、いつものトーンで恐ろしいことを言わないでくれますか?」

 そう言った命はクマの方に目をやり、そのクマが命を見つめていることに気づいて「ヒッ」と身をすくめる。そして、そそくさと俺の後ろに隠れる。

「歩夢さん!何とかしてください!!」

「りょーかい。任せといて」

 命のお願いに二つ返事で応える。命なら大丈夫だと思ったから放置していただけで、元から俺の役目は命の護衛であり。こういう状況で矢面に立つのが俺の仕事だ。

 

――グルォォォォォォォォォォオオオオオオオオ…!!

 クマがこちらに向かって突進する。

 その巨体は筋肉の塊であり、まして”巨獣”は常識外れの力の持ち主。

 遥か前方にいたはずのクマは、瞬く間にその距離を詰めて近くまで迫ってくる。

 歪められた環境の生み出した怪物である巨獣の、桁外れの力の発現。

――もっとも、その程度じゃ『遅い』!!

 だが、そのクマがこちらにたどり着く遥か前に、既に迎撃の準備は完了している。

 相手が歪んだ環境に適応した”巨獣”であるように、こちらはいかなる場所でも生きる力を与えられた”適応能力者”。相手が自分より巨大な獣であっても、生き残れない道理はない。

 半身に構え、少し腰を落とす。そして、相棒たる鉄の槍を右手に、その切っ先を地面ぎりぎりに落とす。

 勝負は、一撃で決める。

 傲然と襲い掛かるクマが、見る見るうちに近づいてくる。

 数舜の後に眼前に迫ったクマがその前足を振り上げるのを見上げ。

 

 俺は、殺意を込めた槍の一撃を繰り出した。

 

 渾身の一撃がクマの体を貫く。

 まずヒュゴ、と空気が吸い込まれる音が鳴り。

 ほとんど同時にバチュ、と水を詰めた袋が破れたような音が鳴り。

 遅れて空気を叩いた衝撃波とともにクマの半身が四散する。そのクマは、自分がどんな一撃を受けたか理解するよりも前に絶命したのだろう。断末魔の叫びすら上げることなく地面に倒れ伏す。

 そして、クマの背後に積もった雪が衝撃波により舞い上がり、眼前の光景を白一色に染め上げた。

 

 確認するまでもなく絶命したクマを横目に、俺は臨戦態勢を解く。

「っと、これで終わり」

「…相変わらずの化け物ですね、歩夢さん」

 少し後ろに逃げていた命が、徐に近づきながらぽつりとそんなことを言ってくる。俺にとっては慣れ親しんだ力であるが、”適応能力”を持たない命からするとたいそう恐ろしい力のようだ。

「化け物とは失敬な。化け物ってのはさっきのクマみたいな恐ろしい存在のことを指すんだよ?」

「いや、その化け物を倒したんだから歩夢さんも化け物でしょう」

「なるほど、違いない」

 そう言って、命と笑いあう。こんなやり取りももう何回目か。力のない命と、力を持った俺との、それはいつものじゃれ合いだ。

「というか、化け物って…さっきはちっこいのとか言ってませんでした?」

「いや、命がビビッてたから一般的には恐ろしいものなのかと」

「…模範的な回答をありがとうございます」

 命が何やら疲れたような雰囲気でそう言った。

 今日はいろいろあったから、今になって疲れが出たのかもしれない。これは、早めに寝床を探した方がよさそうだ。

 

「それじゃあ、危機も去ったところで今日の寝床を探そうか」

「…さっきの歩夢さんの一撃で寝床まで吹き飛んでなきゃいいですけど!」

 そう言って俺に向けて舌を出して駆け出した命が、えぐられた雪に足を取られたのか「キャッ」と可愛い声を上げて倒れこむ。受け身をとろうとしたようだが、手をついた先は降り積もったフワフワの雪であり。抵抗むなしく命は雪の中にめり込んでいった。

――初めてあったときは、こんなアホの子だとは思わなかったけどなあ…

 倒れこんだ命に駆け寄りながら、ふと、彼女と初めて出会った日のことを思い出す。

 初めて会ったあの時、命はいかにも”上流”のお嬢様と言った感じで、それにどこかミステリアスな感じだった。

 今の、雪にめり込んでじたばたともがく彼女の様からすると信じられないが。

 

 全ての始まりであるあの日に、思いを馳せる。

 そう、あれはまだ俺が自分の「夢」を自覚していなかったころ。

 今と同じ灰色の空の下で、ただただ毎日を生きていたころの話だ。

 


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