未来への遺産   作:塩崎廻音

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第一話 衝撃的な出会い

――どうしよう、甘く見ていた!

 数百メートル先も見えないような吹雪の中、一人の少女がひた走る。

 その少女を一匹の巨獣が追いかける。数十メートルもの体長をもつ長大な巨獣。”ワーム型”と呼ばれるその巨獣は、氷河期に適応するために巨大化した巨獣達の中でもひときわ大きい。そして、筋肉の塊ともいえるその長大な体は驚くほどの早さを生み出す。雪を巻き上げて迫りくるその巨体は、もはや生物というよりは自然災害そのもの。

 少しでも動きが止まればと林に逃げ込めば、その木々をなんでもないかのようになぎ倒して迫りくる。地面の裂け目を飛び越えて逃げても、その長大な体躯でもって裂け目を乗り越える。もはや、打つ手がない。

 それでも、普通の人間であれば、数メートルも進まぬうちに追い付かれて丸のみにされてしまうであろうその巨体から、その少女は辛くも逃げ続けている。

 障害物の少ない雪原とはいえ多少の高低差はあるし、何より積もった雪が足をからめとる。

 そんな状況でも少女がワームから逃げられているのは、少女が持つ特殊な道具――環境適応兵器『八重桜』があるからであった。

 

 ”環境適応兵器”

 環境適応能力の恩恵を持たない人間が厳しい環境のなかで生き残るために生み出された兵器。それは、環境適応能力と同様に使用者の身体能力の向上などの強化を図ることで、氷河期の環境や”巨獣”への対応を可能にするテクノロジーだ。物によっては下手な適応能力者よりも強大な力を発揮することができるが、一方で生まれ持たない能力を十分に操るためには多くの訓練が必要であるという欠点もある。

 少女が持つ環境適応兵器は追ってくるワームを撃退するには十分な力を秘めていたが、少女自身がその力を扱いきれなかった。

 だからこうして、身体能力の強化だけに力を注いでワームから逃げ延びていたのだが…

――この巨獣、どれだけ逃げても追ってくる…!

 もうどれくらい経ったか分からないほどの時間逃げ回っているにも関わらず、そのワームは少女を諦める様子がなかった。

 少女は知らなかったことだが、過酷な氷河期の環境を生き延びる巨獣達は、一度見つけた獲物に異常なまでに固執する。厳しい自然の中で獲物を見つけ出すという幸運が都合よく何度も訪れるわけがないことを、その本能で理解しているのだ。しかも、この獲物は「反撃する力もない」。必要があれば同族との殺し合いを経てでも餌を確保する巨獣にとって、少女は逃すわけにはいかない絶好の獲物であったのだ。

 

 ギリッ、と少女が歯噛みする。

 使命感だけで半ば衝動的にシェルターを飛び出してきた少女であったが、それまでシェルターの中で箱入りに育てられた少女にとって外の世界は未知の連続であった。

 極寒の過酷な環境も、そこに住まう巨獣の存在も、知識として知っていただけのそれらは想像をはるかに超えた脅威であった。対抗策として持ち出した環境適応兵器も、十分に扱えないのでは意味がない。

 死の恐怖が、すぐ後ろまで迫りくる。

――嫌だ、こんなところで死ぬわけにはいかない!

 頭に浮かぶのは、使命も忘れて日々を無為に生きる一族の人間たち。あの人たちのようになりたくないから、危険を冒してまでシェルターを飛び出したのだ。こんなところで、何も成せないまま死にたくはない。

 でも。

 チラリと、八重桜のエネルギー残量を確認する。通常起動であれば数週間は持つはずのエネルギーは、ワームから逃走する中で既に一割を切るまでに減っていた。このままでは、逃げることすらできなくなるのもそう遠い話ではない。

 そうであれば、一か八か打って出るべきか。

 このワームを打ち果たすことができれば、通常起動に戻すことで残りのエネルギーでも何日かは活動することができる。そうすれば、どこか近くのシェルターにたどり着くことができるかもしれない。

――でも、私一人で倒せるの…?

 環境適応兵器ですら初めて触った少女に、巨獣との戦闘経験などもちろんない。戦闘稼働の八重桜を上手く振り回せばいくらかの傷くらいは追わせることができるだろうが、ただでさえ常識が通用しないといわれる巨獣に対して、付け焼刃の応戦で対抗できるとは思えなかった。むしろ、半端な傷を与えることで怒らせるだけになるかもしれない。

 だが、このまま逃げ続けてもどうにもならないのは事実。

 ならば。

 少女が覚悟を決め、ワームに反撃するべく振り返ろうとしたその瞬間。

 

 前方の丘の上に、棒のようなものを持った軽装の少年が現れた。

 

「ッ…?!」

 虚を突かれて、心臓が跳ね上がる。思わず足が止まってしまいそうになるのを気力でねじ伏せる。

 はじめに頭に浮かんだのは、逃げて、という言葉。

 だが、その言葉が口を出るより前に別の思いが心に浮かぶ。

 こんな場所に一人、しかもあんな軽装で現れる人間。

――”環境適応能力者”、それも高位の能力者かもしれない。

 そうであれば、むしろ彼が私の助けになるかもしれない。

 このワームを、倒してくれるかもしれない。

 

「ッ……!」

 それに気づいた瞬間、少女の心は揺れ動いた。

 少年の実力は分からない。もしかしたら、ただ単に見回りのために出てきただけかもしれない。そうであれば、ワームに目を付けられる前に逃げてほしい。巻き込むわけにはいかない。

 でも、もし彼がワームを撃退できる力を持っていたら?

 逃げて、と促すべきか。

 助けて、と求めるべきか。

――どうすればいいの?!

 懊悩するうちに、雪原を疾走する少女は瞬く間に少年の傍まで近づいていく。

 少年と目が合う。少年は少女に気付いているようで、少女を、あるいはその背後のワームを見つめている。

 その表情は自然なもので、特に気負った様子も感じられない。

 

 あの少年は、この巨獣のことを恐れていない!

 

 そのことに気づいた瞬間、少女は無意識のうちに叫んでいた。

「――助けて!!」

 その叫びを聞いた瞬間、その少年は大地を踏み抜き一気に飛び上がった。

 少年の背後に、その反動で巻き上げ荒れた雪が雪崩のように荒れ狂う。

 飛び上がった少年は少女の真上を飛び越し、その背後に迫ったワームを蹴り飛ばした。

 轟音が、衝撃波となって少女の体を打ち据える。

「きゃッ…!」

 決死の覚悟が緩み体力も限界に近づいていた少女は、背後からの思わぬ衝撃に足をもつれさせて倒れこんだ。

――いけない…!!

 背後に巨獣が迫った状況で無防備に倒れこんだ少女は、心臓が凍るような感覚を覚えて転がるように体勢を立て直す。

 だが、起き上がって後ろを向いた少女が見たのは、顎を蹴りあげられて仰け反るように上体を反らすワームと、その足元で深く腰を落とし槍を構える少年の姿。

 

――ギュイィィィィィィィィィィィィィイイイ!!

 咆哮したワームが渦巻くように蠢動し、足元の少年に狙いを定める。その目には、己の狩りを妨げた邪魔者に対する怒りが込められているように見えた。

 一瞬の静止の後、その巨体が少年へ襲い掛かる。

 過酷な氷河期を生き抜く巨体が突進の衝撃で雪を巻き上げて襲い来る様は、まるで雪崩が迫りくるような威容であり。少年の背後、その突進の進路上に身を置く少女は、その圧倒的な光景がもたらす死の予感に身を固くする。

 まるで自然災害のような、抗いようのない死の光景。

 せめてもの抵抗に、と少女が環境適応兵器『八重桜』を手に身構えた瞬間。

 ドクン、と空気が脈動するような感覚。

 それと同時に、目の前にいる少年がワームより巨大な何かに変貌したかのような感覚を覚える。生存本能が、それがただの錯覚ではない事を告げる。目の前の少年はその体格こそ人間大のままであるが、その力はいまやあのワームよりも超大であると。あれは、人の形をした巨獣以上の化け物であると。

 鳴動する大気が収縮し、少年の手元に渦巻く力が凝縮されていく。

 ワームが少年の眼前まで迫りくる。だが、少年はその光景に欠片も恐れる様子はなく。

 そして、引き絞った弓から矢を放つように。

 

 少年が槍を投げ放つ。

 

 ごう、と集められた空気が解き放たれ、その反動で槍が爆発的に加速する。

 放たれた槍は一条の光となってワームの頭部に疾駆し、その堅牢な外皮を紙のように引き裂き脳髄を破壊する。再び仰け反るように上体を反らすワーム。だが、その巨体は今回はそのまま後ろに倒れこんでいく。常識外れの能力を持つ巨獣と言えど、中枢神経を破壊されれば生き残ることはできない。断末魔の声を上げる間もなく、もはやワームはその生命活動を完全に停止させていた。

 

「すごい……」

 我知らず、口からその言葉が零れ落ちていた。少女が死を覚悟するしかなかったあの巨獣を、この少年はこともなげに打倒した。同じ人間とは思えないような強大な力。

――これが、高位の環境適応能力者の力…

 ふと、シェルターで警備の人間から何度も聞いた言葉が少女の頭に思い浮かんだ。

 高位の適応能力者は人間じゃない。

 当時は差別主義者の戯言だと半ば無視していたその言葉を、こうして実物を目の当たりにした今となっては否定できなかった。あの言葉は、自分と違う人間に対する侮蔑ではなく。自分たちでは逆立ちしても敵わない強大な怪物に対する畏怖の言葉だったのだ。

 

 少年がこちらに振り向く。

 先ほどまでの少年の圧倒的な強さを思い出し少女の体がびくりと跳ねるが、今はもう彼からは何の威圧感も感じない。そのあまりの落差にあっけにとられていると、少年はにっこりと笑って少女のもとに近づいてきた。

 少女の目の前まで近づいた少年が、何でもないように口を開く。

「誰だか知らないけど、大丈夫だった?」

「へ?…ああ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」

「そっか。それなら良かった」

 そう言って、少年が微笑む。先ほどまでの凄まじい戦いぶりが嘘のような、毒気のない朗らかな笑顔だ。その穏やかな雰囲気に、少女はようやく助かったのだという実感を得て胸をなでおろした。

 同時に、それまでの疲労がドッと襲い掛かり、その場にへたり込んでしまう。

「きゃ…あ、あれ…?た、立てない……」

「ん?ああ、デカミミズから逃げきれて気が抜けたんかな?しばらくすれば治ると思うよ」

「そ、そうですか、お恥ずかしいところを……」

「いや、初めて巨獣を見た奴は結構そうなるし、気にしなくていいよ」

「…はい」

 そんな受け答えをして、少年が少女の顔をじっと見つめる。少女は腰が抜けてへたり込んでいる姿をじっと見つめられるのが恥ずかしくて少し赤面していたが、しばらくそんな彼女の様子を観察したのち少年が口を開いた。

「あんた、”上流”の人間?」

 上流。聞きなれない単語に少女はしばし戸惑うが、やがてそれが自分が住んでいた大型シェルターを揶揄した言葉であることを思い出す。たしか、各地に分散して存在する小規模なシェルターに住む人々が使う俗語だったはずだ。

「えっと、はい。第三都市シェルターの勅使ヶ原命と言います。助けていただいて、ありがとうございます」

「うん。俺は望月歩夢、よろしく。それにしても、やっぱ上流の人か。高そうな防護服を着てるからそうだと思ったけど」

「……あの?」

「仲間とかはいる?いるならそっちも助けに行くけど」

「え?ああいえ、色々あって私の一人旅なので…」

「ふぅん…?」

 歩夢は少し不思議だという風に考え込むが、すぐに考えるのをやめて、再び命に話しかける。

「まあ、気になることはあるけど、ここで離すのも危ないし。とりあえず俺の住んでるシェルターまで案内しようか?」

「…はい、そうですね。他の巨獣が来ないかも気になりますし」

 そう言った命であるが、歩夢にとっては巨獣などは脅威でもないかもしれないとも思っていた。なにせ、あの巨大なワームを一撃で倒してしまったのだ。どれほどの巨獣に囲まれたところで問題はなさそうだった。

――気を遣わせてしまったかしら?

 とはいえ、命にとって巨獣は脅威であることに変わりはないし、八重桜のエネルギーも限界なのであまりシェルター外に長居は出来そうにない。命にとっては渡りに船な提案だった。

 

 そう言うわけで立ち上がろうとした命であったが、両手に力を入れて体を持ち上げようとしても立ち上がることができない。だいぶ落ち着いたと思ったが、まだ腰が抜けたままだった。

「ん…?まだ立てない?」

「……はい、そうみたいです。ご迷惑を…」

 そう言って恐縮する命。肩を落として項垂れる彼女に対して、歩夢がスイと近づき、

「じゃあ抱えて行くから」

 そう言った。

「…え、ええ?!」

 歩夢の言葉に、命は一気に赤くなる。命の恩人とはいえ相手は異性。抱きかかえられて体を密着させるのはとても気恥ずかしい。

「あ、あの!もう少し休めば大丈夫ですから…」

「いや、これくらいなんてことはないから遠慮しなくていいよ」

「え、えっと、遠慮とかじゃなくって…ひゃわっ!」

 ワタワタと言い訳?をするも歩夢は一切気に留めずに命を持ち上げる。

――か、抱えるって背中に背負って?それとももしかして…?!

 混乱する命。頭の中に色々なイメージが現れては消え、恥ずかしさに頭が沸騰しそうになる。

 そんな命の様子に気づいた風もない歩夢は、抱え上げた命をグイっと持ち上げ…

「――――………えぇ…」

 まるで麻袋を担ぎ上げるかのように。

 ちょうど命の腹部が首の後ろに乗るような持ち上げ方で、彼女を抱え上げた。

――…これじゃない。

「あの、望月さん…?」

「ん?どこか痛いところでもあった?」

「……」

 そうじゃない。

 ちょっと前まで気恥ずかしさに暴走寸前だった命の思考が一気に冷え込んだ。別に嫌だとか何だとかではなかったが、こう、もうちょっと別の抱え方を期待して…もとい、予想していたのだ。配慮に欠けるとまでは言わないが猛烈にやり直しを要求したい気分だった。

「……いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 ため息をつきたい気持ちを何とか抑えて、命はそう返した。善意で行動してくれる命の恩人に対して文句を言うのは気が引けたのだ。

 とはいえ。

 微妙に釈然としない気持ちを心に抱えたまま、命は歩夢に運ばれてシェルターに向かっていった。

 

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