▶つづきからはじめる 作:水代
ぴたり、と……吹雪が止んだ。
まるで一つの終わりを告げるかのように、陽光が山頂を照らし、白嶺に落ちた銀雪が眩いほどに輝いた。
「……強くなったな」
呟いた言葉に、けれど目の前の少女は何も答えない。
トレードマークの赤い帽子を目深に被り、表情すらもこちらに隠したまま。
「――――」
ぼそり、と少女が呟いた言葉はけれど少女の目の前にいた彼女の相棒にだけ届き。
ばちり、と稲妻が迸る。
尻尾を逆立ててこちらを威嚇するその姿はまるで、さあ来い、とでも言っているかのようで。
「……はぁ」
何も言えない。自らの過ちの結果と言えばそれまで、結局自業自得なのだ、こんなもの。
自分が語った言葉も、そこに込めた思いも、きっと百分の一だって目の前の少女には伝わっていないのだろう。
傷つけた、突き放した、見放した。
全部自分が目の前の少女にやったことで、今尚続く後悔の一つで、だからこそ、そうだからこそ。
伝えなければならないのだ。
一度は途絶してしまった自分と少女の関係を思えば、今更どんな言葉で語ろうと伝えることなど、届けることなどできるはずも無く。
だからこそ、たった一つ、唯一を掲げる。
「……頼むよ、相棒」
突き出した腕の先に持つ最後の一つ。
ぐっと握りしめれば僅かにかたり、と揺れたそれが自身の相棒たる彼の意思を何よりも物語っていた。
何度も負けて、何度も立ち上がって、その度に傷ついて。
それでもと吼え続けた相棒を自分は一度だけ裏切った。
どうしようも無いくらいに弱い自分は、ずっと相棒に縋って生きていたのだと気づいたのはそのしばらく後で。
手放した絆をもう一度手繰ろうとして、喧嘩して、互いの意思をぶつけあって。
だから二度と疑わない。
二度も裏切れない。
それは目の前の少女もまた同じことであり。
結局、ずっと願っていたはずの自分の夢すら通過点にして。
自分はこの場所に立っている。
もう二度と会うことも無いと思っていたはずの少女の前に。
絶対に勝てないと理解していたはずの少女に勝つために。
そのために、ここまで来て、ここまでやって、ここまで戦った。
だから、これが最後だ。
正真正銘、これが最後だ。
「勝たせてくれ……」
呟き、振りかぶる。
「ここで勝てなきゃ、全部意味がないんだ」
投げる。
―――たった一つ、伝えたい言葉があった。
けれど今更どんな言葉で語ったって無意味が過ぎるから。
だからこそ、たった一つ、唯一を選ぶのだ。
戦うこと。
ポケモントレーナーにとってそれ以上の言葉は無いのだから。
「最後の勝負だ」
その時、初めて少女と視線を合う。
ぶつかり合い、弾け合い。
「レッド」
少女の名を呼んだ。
* * *
生まれた時から意識があった。
生まれる前の記憶があり。
生まれた直後は何が起こったのか理解できず泣き喚いた。
ただの事故死だった。
日本でも毎週、下手すれば毎日のように起きている交通事故。
不注意と言えばそれまでの話だが、携帯片手に歩道を歩く人間なんて世の中には掃いて捨てるほどいて、その中でどうして自分だけが死ななければならなかったのか。
運が悪かった、と言えばその通り。
そもそももっと注意していれば、と言われてもその通り。
だがそんな正論など死んだ人間からすれば最早何の意味も無く。
悲鳴を上げるような痛みを味わったと思った直後には、自分は生まれ変わっていた。
勿論そんなこと当時の自分に分かるはずも無く、体が違う故に感じるはずも無い痛みを、けれど記憶に焼き付いた痛みの記憶が疼かせていた。
だがそんな痛みも一日で消え去る。
生まれ変わったのだ、それに気づいた瞬間、体を悩ませた痛みは消え去った。
だが同時に何故こんなことになったのか分からず極度の混乱に陥った。
とは言え傍から見れば良く泣く赤子でしかない。親に抱えられ揺られればあっという間に眠りに落ちる。
最初の数年はわけが分からずあっという間に過ぎていく。
そうしてある日自分がポケモンの世界に生まれたことに気づいた。
それはむしろ気づくのが遅かったというべきだろう。
何せポケモンはこの世界において社会に大きく密着した存在だ。
日常生活の中でポケモンは当たり前のように隣にいる存在であり、街の中を見ればどこもかしもポケモンだらけだ。
ポケモン……ポケットモンスター。
前世において流行していたゲームのタイトルであり、そこに出てくる大半のキャラクターの総称でもある。
創作の世界に転生など、まるでテンプレートな三流小説のようではないか、と笑ったこともあったが、現実となると途端に笑えない。
ポケモンは生物である。
何を当たり前のことを、と言われるかもしれないが、そんなことは無い。
ゲームとしてのポケモンを知っていたからこそゲームのように考えてしまっていたが、ゲームのポケモンは生物ではない、ただのプログラムだ。
決められた場所に出現し、決められた行動の中から乱数によって行動が決定され、プレイヤーの指示に忠実に従い、瀕死直前の重体の体で何一つ変わらないパフォーマンスを発揮する。
現実においてポケモンは生物である。
その差異を理解したのはトキワの森で死にかけたピカチュウを見つけた時のことだ。
ポケモンは死ぬ。
生物なのだから当たり前の理である。
野生の生物なのだから、縄張り争いだってあるし、争いに負ければ傷を負って逃げ出すことだってある。
そもそも初代ポケモンでは実際に死んだポケモンの幽霊なんてものまで出てくるのだ、シリーズを追うごとにそういうブラックな要素はオミットされるかほのかに匂わせる程度に留められているが、現実にはポケモンは傷を負うし、病にもかかるし、最後には死ぬただの生物なのだ。
傷だらけで血塗れのピカチュウを見つけた時、頭が真っ白になった。
それまで頭の中で思い描いていた優しい世界は一瞬にして砕かれ、ただ冷酷なまでの現実だけがそこに残っていた。
フレンドリーショップで『きずぐすり』を買った……効果が無かった。
なけなしのお小遣いで『げんきのかけら』を与えた……効果が無かった。
ポケモンセンターに連れて行った……手遅れだった。
屍となったピカチュウを見つめながらただ呆然としていた。
森のポケモンが一匹自然に淘汰されただけ。
トキワシティに……いや、この世界においては良くあることだった。
死。
それは余りにも唐突だった。
それは余りにも理不尽だった。
良く分かる……だって自分だってそれを味わったのだから。
違いは一つ。
自分はもう一度生を得た。
ピカチュウは生を失くした。
自分は生きている。
ピカチュウは死んでいる。
それだけの違いだった。
それから自分は塞ぎこんだ。
脳裏に刻み込まれた死の恐怖に震え、何もできなくなった。
大人たちはポケモンの死を見たせいだと思ったらしい、そんな自分を腫れ物に触るかのように扱った。
毎日毎日自宅に引きこもり、夜になるとそっと家を抜け出してはトキワの森へ行った。
危険なのは知っていたが、死を知る身からすれば危険だから、程度の理由で足は止まらなかった。
森の浅いところに墓があった。
屍となったピカチュウを引き取り、自分が作ったものだ。
救えなかったのは自分のせいではない、そんなこと分かっていたが、それでも心にしこりが残る。
ずっとそれが引っかかっているせいで、前にも後ろにも進めない。
一週間、ずっと停滞したままそんなことを繰り返してた。
彼に出会ったのはちょうど一週間目だった。
綺麗な満月が夜を照らしていた。
いつものように家を抜け出し、トキワの森へ。
そしてピカチュウの墓の前に立つ。
墓と言っても穴を掘って死体を埋めて、そこに石を並べて木の棒を指しただけだ。
子供が作る程度の物故にそれ以上は望めなかった。
いつものように墓の前に座り込み、手を合わせる。
別に宗教に興味は無い。元日本人らしい無宗教だ。だからうろ覚えのような動作に意味はない。
ただそうしたかっただけ、自己満足以外の何物でも無い。
そもそもからして、ピカチュウとは死に際に初めて出会い、死を看取った、それだけの関係でしかないのだからそれ以上の思い入れを持てない。
その死に心揺さぶられたのは自分の都合であり、その死を悼んだのは自分の事情であり、その死を弔ったのは自分の満足のため。
酷いエゴイストである、と思うがけれど多少はその死を憐れんでいるのだから許して欲しい。
手を合わせている時間は日によってまちまちだ。
とは言ってもだいたい一分かそこらで終わることが多い、所詮自己満足だ。
そんな自己満足も終え、さて帰るかと立ち上がった時。
ぱちん、と僅かに何かが光った。
突然の光に驚きながらも視線を向ければそこには夜の月に照らされた小さなシルエットが見えた。
直後、ぱちん、と二度目の光が放たれる。
それが電気であることに気づくと同時に、そのシルエットの正体を理解する。
ピチューと呼ばれるポケモンだった。
カントーでは野生で見かけることはまずないと言われる
それがピカチュウの眠る墓の前に立ち、まるで泣き喚くかのようにぱちん、ぱちんと電気で火花を飛ばしていた。
それがどういう意味か、何となく察して。
だからと言って何ができるわけではない。
さりとて見て見ぬ振りをするのもできなくて。
ただ見ていた。
吼えるように、嘆くように、喚くように火花を散らす小さなポケモンの姿を。
ただ見ていることしかできなかった。
* * *
森の中へ消えたピチューを見送りながら、呆然とした頭で帰宅する。
考えていたのは墓の前で火花を散らすピチューの姿。
それがどうした、というわけではない……はずなのだが。
どうしてもそれが頭から離れない。
脳裏に焼き付いて、その光景がずっと離れない。
眠るに眠れないままぼんやりとした頭でベッドで横になっていたその時。
こんこん、と窓が叩かれた。
時刻は深夜、家人の寝静まった家の窓を叩く存在。
真っ先に思いついたのは泥棒。
けれどカーテンの閉められた窓に映っていたシルエットは小さなものであり。
カーテンを開ければそこにいたのはピチューだった。
森に帰ったはずのピチュー。まさかこの状況で先ほどのとは別のピチューだなんて偶然あり得ないだろうから窓一枚挟んだ向こう側にいるのはずっと頭の中に浮かんでいたピチューなのだろう。
こんこん、と再び窓が叩かれた。
それはまるで開けろと言っているようであり。
何の躊躇も無く開いた。相手が野生のポケモンだから危険だ、なんてこと思いもしなかった。
そうして開かれた窓だったが、けれどピチューは動かなかった。
ただ窓辺りに立って、じっとこちらを見つめていた。
その視線にどこか気まずさを感じたのは、もしかするとピカチュウの死に対して多少なりとも罪悪感があったからかもしれなかった。
ばつが悪い視線から逃れるように顔を逸らすと、ピチューが振り返り窓辺りから飛び降りる。
帰るのか、と一瞬思ったが、けれどまだ窓の下で何かやっているらしいごそごそとした音が聞こえ、視線を向ければ。
モンスターボールを引きずりながらやってくるピチューの姿があった。
さすがにその小さな体でこの窓辺まで持って上がるのは無理だったらしく、窓の下からじっとこちらへ視線を送って来るピチュー。
もしかしてそのボールで捕まえろということか、そう察すると同時にそれを肯定するかのようにピチューがボールを自らの前面に押し出した。
じっと見つめ合う自分とピチューだったが、やがて痺れを切らしたかのようにピチューがボールの前面についたボタンを自らの手で押すと同時にその体が赤い光に包まれてボールの中へと消えていく。
かた、かた、かた、と二度、三度揺れ。
かちん、と音が鳴った。
ゲーム時代に何度と無く聞いた音だった。
ど、どくしゃがわるいんだ……どーるずでさんざんれっどさんをおんなのこだなんていうから、だからおもいついちゃったんだ(震え声