▶つづきからはじめる   作:水代

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追憶(キオク)

 

 

 突然の事態に状況が理解できず、半狂乱になってもがく。

 全身に走る激痛に悲鳴を上げそうになりながら、けれど開いた口からはごぼごぼと泡ばかりが漏れる。

 まるで全身を鎖に絡め取られてしまったかのように体は重く、動かない。

 もがけばもがくほどに深く深く落ちていき。

 

 苦しくて、苦しくて、苦しくて。

 

 怖くて、怖くて、怖くて。

 

 ごぽり、と。

 

 口から吐きだされた息が泡となって水面へと浮かんでいった。

 

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 * * *

 

 

「良い天気ね!」

 

 好奇心の強い子だと自分を指して両親は良く言っていた。

 何にでも興味を持って、無鉄砲に飛び出して、それでいて何とかする、何とかなってしまう。

 危ない目に遭っては心配もかけたし、それでも帰ってくるから同時にどこか信頼のようなものもあった。

 その日もヨシノシティの実家を飛び出しては街中を駆け巡った。

 

 子供にとって世界は未知で溢れている。

 

 大人が普段気にも留めないような些細な物は、けれど子供の視点から見ると摩訶不思議なオモチャ箱だ。

 自販機の傍に転がるペットボトルのキャップや公園に捨てられた中身の入ったガム、路地裏に転がったコンクリートの破片にゴミ捨て場に捨てられたサイズの大きな段ボール。

 一体何がそんなに面白いのか、どうやったらそれで楽しめるのか、そんな風に大人が首を傾げるようなものですら子供にとってはおもしろおかしい遊び道具になり得る。

 

 とは言えコトネはすでに自称『大人の女』なのだ。

 

 そんな子供のママゴト道具は疾うの昔に卒業している。

 そんなコトネの今一番夢中になれる遊びは『街の外』にあった。

 どこの街でもそうだが『街の外』は基本的に子供……どころかポケモンを持たない人間が出歩くのは危険とされている。

 

 街の外では野生のポケモンが暮らしており、とても危険だからだ。

 

 当たり前だが野生の生物なのだ、その領域を侵せば敵対行動を取る。

 そうやって毎年何人もの人間がポケモンの被害に遭うのだから警告もされる。

 だが子供にとってそんな理論は通用しない。

 現にコトネはこれまで何度と無く街の外に出て何事も無く帰ってきているのだから。

 だから大丈夫、これまでだって大丈夫だったから、きっと今度も大丈夫に決まっている。

 そんな根拠の無い自信は子供どころか大人だって持っているものだから、だからそれを自制しろ、と子供に言うのは無茶な話だっただろう。

 

 そうしてコトネは今日も街の外へと出かける。

 

 今日の行き先は街の北東だ。

 森を少し抜けた先に湖がある。何度か行ったことのあるそこが今回の目的地である。

 何度も行っただけあって迷うことなくたどり着く。

 

 と言ってもここに何があるわけでもない。

 ただ広いだけの湖だ。チョウジタウンのほうには『いかりのみずうみ』というコイキングやギャラドスばかりが住み着いた湖があるらしいがこっちの湖は別にそんなことも無い。

 とは言えこの湖も実はそれなりに不思議に満ちてはいるのだが子供であるコトネにそんなこと分かるはずも無く、実際湖に入ってみるか釣りでもしなければただの湖である。

 

「いしころー♪」

 

 畔を散策しながら見つけた丸い石を湖で洗ってみれば真ん丸で綺麗な形状にご満悦になる。

 別にその辺に落ちているただの石なのだが、子供からすれば宝物を見つけたような気分になった。

 

「こっちは……いらなーい」

 

 転がっている石を見つけ、また綺麗な丸い石だろうかと期待してみたが普通に角ばった石だったので湖に投げ捨てる。

 しばらく湖の畔で遊んでいたがやがて興味は森のほうへ。

 森には長い木の枝や大きくて形の綺麗な葉っぱなど、子供ながらに冒険心をくすぐられる物が多い。

 歳を取ってみればゴミで済むようなものでも、子供ならば十分な冒険の成果である。

 綺麗な丸い石をポケットに入れる、幸いにしてそう大きい物ではない。何せまだ八歳のコトネが片手で持てるのだ。

 とは言えそれなりの重みはあるのでよたよたとバランスを崩しながらコトネが森のほうへと歩いて行こうとし。

 

 ぽつ、ぽつ、と空から雫が降り注いだ。

 

「……え?」

 

 頬に触れた冷たさに手を当て、濡れた指先を見て、それから空を見上げる。

 

 途端。

 

 ざあ、と雨が降り始める。

 

「あっ、わわ!」

 

 慌てるように走り出し、すぐ傍の森の木の陰に入る。

 青々と茂った木々の葉が小さな子供を雨が守り、ようやく一息。

 とは言え雨である……この状況では遊ぶのも難しい。

 

「……はあ」

 

 嘆息一つ、帰らなければならない。

 つまり今日の冒険は早くも終了である……と言ってもすでに朝に家を出てもうすぐ昼近いのでどのみち一度は昼食を食べに帰らなければならなかっただろうが。

 

「詰まんないの」

 

 呟きながら帰るため森のほうへと視線を落として。

 

「リッ?」

 

 目があった。

 

 

 * * *

 

 

 みずたまポケモンルリリ。

 マリルの進化前であり、全長20cmという非常に小さなポケモンだ。

 ただし体躯とほぼ同サイズの尻尾に乗っているので普通に見るともう少し大きい。

 とは言えこの時のコトネがそれを知ることは無かったのだが。

 

「……ポケモン?」

 

 つぶらな瞳で自分を見つめるポケモンの姿に、コトネが一瞬ぽかんとして。

 

「可愛い!」

 

 破顔して手を伸ばす。

 幸いにして警戒した様子も無くその手を受け入れたルリリは頭を撫でられると少し嫌がる様子を見せた。

 

「ん……?」

 

 少し困ったようなルリリに気づき手を止める。

 また嫌がられたらどうしようとすこしおっかなびっくり、今度はその体に触れるとルリリがぱぁと笑みを浮かべる。

 

「……可愛い!」

 

 どうやら頭、というより耳元に触れられるのが苦手らしい。人懐っこい性格で、それ以外の場所ならばどこを撫でても喜んだ。

 野生のポケモンは危険だと言われていたコトネだったが、目の前の愛らしいポケモンを見てそんな危険があるようにはとてもでは無いが見えず、雨が降っているのにも関わらず夢中で撫でた。

 

「アナタなんて名前なの?」

「リ?」

 

 残念ながらコトネの知識にそのポケモンの名前は載っていなかったので尋ねてみたが、まあ当然ながら答えが返って来るわけでもなく、こてん、と可愛らしく首を傾げる。

 そうやってコトネがずぶ濡れになりながらポケモンと戯れていると。

 

 ざあああああああ

 

「あ……雨が……」

 

 雨足が強まり、目に映る視界すら雨で見えなくなってくる。

 こうなってくるとさすがのコトネも危機感を覚える。

 

「帰らないと……」

 

 だが折角この子と出会えたのに、と目の前で愛らしい瞳で見つめるポケモンへと視線を移し、僅かに逡巡する。

 だがさすがに止まない雨にさすがに不味いと考える。

 

「……ごめん、もう帰らないと」

 

 雨を吸って肌に張り付く服の心地悪さを感じながら最後にもう一度だけルリリへと手を伸ばして。

 

 どん

 

 直後に()()()()()

 

「あっ……か……」

 

 脇腹に感じた鈍い痛み。

 そして回転する景色。

 一瞬見えたのはルリリの後ろでこちらを鬼気迫る表情で見つめるルリリによく似た、けれど違うポケモン。

 

「……お母さん?」

 

 それがマリルと言う名のポケモンなのだと、最早知る術も無く。

 マリルから放たれたアクアジェットという名の水を纏った突進は小さな子供の体を軽々と跳ね飛ばし。

 

 ぼちゃん、と森からすぐ近くの湖へと落ちた。

 

 突然の事態に状況が理解できず、半狂乱になってもがく。

 全身に走る激痛に悲鳴を上げそうになりながら、けれど開いた口からはごぼごぼと泡ばかりが漏れる。

 まるで全身を鎖に絡め取られてしまったかのように体は重く、動かない。

 もがけばもがくほどに深く深く落ちていき。

 

 苦しくて、苦しくて、苦しくて。

 

 怖くて、怖くて、怖くて。

 

 ごぽり、と。

 

 口から吐きだされた息が泡となって水面へと浮かんでいった。

 

 それがコトネの最後の記憶だった。

 

 

 * * *

 

 

 マリルというポケモンはカントージョウト両地方を見渡すと実はジョウトにしか生息していない少し珍しいポケモンである。

 その愛らしい外見の通り、基本的に温和であり人懐っこく従順である。

 そのためパートナーとして人気があり、求める人間は多いのだが反面『スリバチやま』を含め極一部の地域にしか生息しておらず、その上もっぱら水辺や水中で生活しているため出会うことが稀な珍しいポケモンでもある。

 

 本来ヨシノシティ付近にマリルは生息していない。

 ならば何故そこに居るのかと問われれば。

 

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 需要と供給のバランスが崩れれば価格というのは大きく変動する。

 需要に対して供給が少ない、そんな存在は価格がひたすらに高騰する。

 人の欲とは尽きることは無く、だからこそ悪意の種はそこに芽吹く。

 

 ポケモンハンターという存在がいる。

 

 密猟者などが多いことから犯罪者の代名詞のようにも言われるポケモンハンターだが、実はれっきとした公的機関の一つである。

 正確に言えばポケモンレンジャーの系列と言ったところであり、その役割はポケモンレンジャーが自然の状態保存なのに比べて、生態系の調和である。

 基本的に自然界において人間が手を入れることは生態系のバランスを崩すことになるため控えるのが基本なのだが、ふとした偶然などから人間の有無に関係なく生態系のバランスが大きく崩れることがある。

 

 例えば敵愾心の強いポケモンの大量発生や逆に消失。

 その結果の温和なポケモンの大移動や大量発生、消失。

 

 一見良いように見える結果も生態系という奇跡的なバランスの上に成り立っている自然界からすればバランスが崩れることは大きな損害を与える結果にしかならない。

 そんな時のために存在するのがポケモンハンターだ。

 

 公的にポケモンを()()するのが彼らの役割であり、それを以て自然の調和を保つことが使命もである。

 また研究所からの依頼で一部希少なポケモンを捕獲したり、逆に希少なポケモンの保護のために動いたりとその役割は意外と多く、世界における生態の保存に一役買っている存在でもある。

 さらに一概に『駆除』と言っても本当に殺すような真似は例外中の例外であり、大抵の場合捕獲して別の地区に移住させたり、研究機関などに引き取ってもらったり、時々だがトレーナーに引き取ってもらったりする。

 

 つまりポケモンレンジャーが自然という土地そのものを保全するのが役割だとするならば、ポケモンハンターはその土地に住まう生物を保全するのが役割と言え、そのための権限なども有する。

 

 だがそういう特別な立場を利用して悪事を行う存在というのが後を絶たないのもまた事実である。

 指定外のポケモンの捕獲。そして捕獲したポケモンを『金銭目的』に売却。

 そういう密猟者の存在のせいでポケモンハンターには汚名がつき纏うことが多いのだが、そう言われても仕方ないだろう。

 

 何せマリルがそこにいるのは、結局そんな人間の悪意に依る物だったのだから。

 

 元々の住処だった『スリバチやま』で人懐っこいルリリが捕らえられ、そのルリリを餌に親であるマリルもまた捕らわれた。

 だがヨシノシティの近くまで運ばれる途中、野生のポケモンが密猟者に襲いかかり、その隙を突いてマリルたちは逃げ出したのだ。

 幸い……と言っていいのかどうか、ヨシノシティ付近で野生のポケモンに人間が襲われたせいで街の人間がやってきて、そのせいで密猟者は密漁が発覚し逮捕された。そしてマリルたちは無事逃げ延び。

 

 だからこそ、誰も気づかなかった……逃げ出したポケモンの存在に。

 

 人間の勝手によって住処に押し入られ、人間の悪意によって子を人質に取られて捕まったポケモンのことに、気づかなかった。

 

 たとえ温和なマリルとてそこまでされて人間に敵愾心を抱かないはずもなく。

 

 だからこそ我が子に手を伸ばす人間を見た瞬間、一瞬で頭の中で何かが降り切れた。

 

 気づけば最速にして全力の一撃で人間を跳ね飛ばし。

 

 ()()()()()()()()()()()姿()()()()

 

 幼い子供だったと、吹き飛ばしてから初めて気づき。

 

 笑みを浮かべる我が子を見て、それが間違いだったのだと直後に気づいてしまった。

 

 気づいた時には、すでに、何もかもが遅かったのだが。

 

 

 * * *

 

 

「お前さっきから虚空に向かって誰と喋ってるんだ?」

 

 告げられた言葉の意味を一瞬理解できず、首を傾げる。

 何を言っているのだと考えて、コトネへと視線を向けて。

 

 顔を真っ青にするコトネの姿を見た。

 

「誰って……コトネだけど、友達の」

「えっと……どこにいるの?」

「どこって、からかってんのかよ、センセイ。コトネならすぐ目の前にいるだろ? ほら、こっち」

 

 指さしながら告げる言葉に、センセイが顔を引きつらせ。

 

「……誰も居ないんだけど、その……大丈夫?」

「何言ってんだよ! コトネ、お前も何か言ってやれよ!」

 

 告げながらコトネのほうに一歩、足を踏み出した……直後。

 

「っ!」

 

 びくり、とコトネが体を震わせて一歩、後ずさった。

 

「……コトネ?」

 

 何か様子がおかしい、それに気づいて思わず親友の名を呼べば。

 

「……ヒビキ……ごめんね」

 

 呟き、そうして振り返って走り出す。

 

「あ、おい! コトネ!」

 

 直後にぽつり、ぽつりと雨が降り始め。

 

「コトネェェ!!!」

 

 自身の叫び声にも立ち止まることなく、その背はどんどん強まる雨の中へと消えていった。

 




次回、最終回『真実(ホントウ)』。

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