▶つづきからはじめる 作:水代
年の近い子供たちは皆トレーナーという職種に憧れを持っているらしいが、自分がそうなのか、と言われるとそうでも無い、としか言いようが無かった。
十歳になって、成人として認められるようになり、トレーナーとして旅に出ては挫折して戻ってくる子供たちを見るたびにトレーナーという職種に対する不信感が募る。
幼馴染のグリーンは祖父であるオーキド博士の影響で幼い頃からトレーナーとしての道を見出していたようで、それに巻き込まれて十歳になる頃にはトレーナーとしての最低限の知識……ペーパーテストに合格できる程度の知識は身についていたが、だからと言ってトレーナーになろうと思っていたかと言われると実のところ全くそんなことは無い。
そんな私が何故トレーナーになったのかと言われれば、ピカチュウに出会ったから。
十歳になって、トレーナー資格を得て。
グリーンに誘われはしたが、それでも私は旅に出る気なんて無かった。
ただポケモンは欲しかったので一緒にオーキド研究所へ向かう。
オーキド研究所は昔からグリーンと共によく入り浸っていた場所だ。
別にトレーナーになる気はなくともポケモンは嫌いじゃなかったし、田舎町のマサラタウンで遊んでいて一番楽しい場所と言えば真っ先にそこが挙げられた。
マサラタウンの子供の特権、というべきか。
十歳になり、独り立ちする時にオーキド研究所でポケモンがもらえる。
と言っても研究所にいるポケモンたちは基本的には研究用の物で、子供たちが好き勝手に選べる物ではない。
グリーンはイーブイを貰っていた。茶色の毛色のぴょこぴょこと動く可愛らしいポケモンだった。
そして私がもらったのはピカチュウだった。
好奇心が旺盛、というか『やんちゃ』な性格で出会った時からずっと振り回されっぱなしだったと思う。
少なくとも基礎の基礎しかできていない新人トレーナーに渡すには少しばかり不適格だったのではないか、と今となって考えてみれば思わなくも無い。
バトルをしようぜ、とグリーンが提案してきた。もらったばかりのポケモンを早速試したくて仕方ないのだろう、好奇心に疼いた瞳に嘆息しか出ない。
昔からトレーナーになるために勉強していたグリーンとそれに付き合ってはいたがさして興味の無かった私、勝負の結果なんて見えていた。
やんちゃなピカチュウの手綱を取れず振り回される私と冷静に対応してくるグリーン。
まあ惨敗だった……当然の結果である。
―――まあ俺とお前じゃ当然の結果だな、つっても折角の初バトルだしもうちょっと手ごたえが欲しかったけどな!
イラっとした私は悪くないと思う。だがそれ以上に怒ったのがピカチュウだった。
研究所の回復装置で回復するや否や怒って電撃を放ち回り、研究所を走り回り、そのせいでオーキド博士から物凄く怒られたがアレは新人用のポケモンとしてはどうなんですか、とジト目で尋ねたら汗をかいて視線を逸らされた……オイ。
まあ兎にも角にもこのまま負けっぱなしじゃいられない。
それはピカチュウだけでなく、私にもあった気持ちだった。
幼い頃から一緒だったグリーンだからこそ、余計に舐められたままというのは苛立つ物で。
そのせいでトレーナーになる気なんて無いと言っていられなくなった。
グリーンの後を追うように旅に出た私に待っていたのはけれど過酷な現実だった。
まずピカチュウが私の指示を聞かない。
単純に私の指示が拙いこともあるだろう。トレーナーとしての勉強なんてほとんどしてこなかったのだ、頼りにならないと思われても仕方ない。
そうして野生のポケモンに突撃していっては傷を負って戻ってくる。
『きずぐすり』だってタダではない。
元よりトレーナーになんてなるつもりは無かったので準備を怠った私のPCボックスにあったのは『きずぐすり』一つ。
いざ、という時を考えるとマサラタウンの実家に戻ってゆっくり休むしかなかった。
この時点でグリーンとの差が一つ開いた、それが分かっていたから無意識に焦りのような物を感じていた。
トキワシティにたどり着くまでに一週間かかった。
その間毎日のように旅から帰って来る私に、この子本当に大丈夫なの? という母さんの視線が痛かった。
そうして折角トキワシティにたどり着いたのにまたマサラタウンに戻ってくる。
理由は簡単だ、オーキド博士に呼ばれてトキワのフレンドリーショップに届け物をさせられたから。
そんなもの自分でやれ、と言いたくなるが代わりにポケモン図鑑をくれる、というので仕方なく従った。
ポケモン図鑑は現在カントー地方で確認されているポケモンの大半の情報をインプットされた高性能電子機器だ。
実際買おうとすれば凄まじく高い。というかまず普通に売ってない。
研究所とコネがあり、尚且つ大金を払える人間だけが入手できる。
その新作……最新版の試作品らしい。
トレーナーとしての知識が少ない私にとって、ポケモンの情報が載っている図鑑は非常にありがたい物で、折角トキワシティに来たのにマサラタウンに戻ることになったとしても条件を飲むだけの価値はあった。
図鑑は非常に高性能だった。
対峙しただけで相手の情報が分かるというのは実際とても便利だ。
何よりようやくまともな指示が出せるようになった私にピカチュウが従ってくれるようになったのも大きい。
そうしてトキワシティにたどり着いた私は真っ先に仲間を増やそうと思った。
さすがにピカチュウ一匹でいつまでも戦えないだろうと思ったからだ。
フレンドリーショップでボールを買う。少ないお小遣いから少なくない額が飛んでしまったが仕方ないと割り切る。
それから周辺でポケモンを捕まえようと思い、街の外を散策しているとグリーンと出会った。
どうやらもらったポケモンも随分と強くなり、新しいポケモンも手に入れたらしい。
―――お前はどうなんだよ、ちょっと見せて見ろよ。
と言って早速バトル。
数の不利はあるが、以前と違いピカチュウも私の指示を聞いてくれる。
それならばなんとかなるかもしれない、と楽観して。
ただ力の差を思い知らされるだけの結果となった。
―――何だよお前本当にへっぽこだな、そんなんじゃこの先やってけねえぞ。ま、俺には関係無いけどな。
どこか馬鹿にしたような表情のグリーンに苛立ちは募る。
それでもそう言われても仕方ないくらい圧倒的な負けだった。
―――トキワジムが閉まってたからな、俺は一足先にニビシティでバッジを手に入れてくるぜ。
そう言ってすたすたと去って行く
その間にグリーンに言われたことを確かめるためにジムを見に行けば確かにジムリーダー不在につきしばらく閉鎖と書かれていた。
そうなるとこの街にこのまま留まっていても仕方ない。
新しい仲間をゲットするために数日トキワシティ近郊を歩き回り、二匹ほどポケモンを捕まえた私はそのままトキワシティを出た。
そうしてたどり着くのがトキワの森である。
深い森ではあるがニビシティまでの巡行行路が作られており、そこを通れば基本的に迷うことは無い。
そうして森の中を進もうとした直後にぽつぽつ雨が降り出す。
ツイてないなあ。
直後にかかってきた電話を見やればグリーンから。
傘を差しながら電話に出て見れば。
―――俺様今ニビシティジムのバッジをゲットしたぜ、それで、お前今どうしてんの?
即座に切った。
長い付き合いで単純に自慢したいだけの電話だと声音から即座に察せられたから。
そうこうしている内に雨はどんどん強まってくる。
さすがにこの雨の中森を歩く気にもなれないので仕方なくトキワシティへと戻ることにする。
中々進めないなあ、そんなことを思いながら雨の道を急いで戻っている途中。
センセイに出会った。
* * *
冷たい雨の中の出会いだった。
けれど私にとってそれは、とても大切な出会いだった。
色々あって一晩泊めてくれた恩人が実はバッジを8つ集めた凄いトレーナーだったのはその時の私にとって天祐にも近かった。
弟子にしてください。
そう言った私に、どこか戸惑ったような反応をしていたのを覚えている。
それから黙りこくって何か考えているようだったが、その間の一分一秒がとても長かったのを覚えている。
―――いいよ。
そう言ってくれた時、まるで世界に光が差したかのようだった。
そうして私はセンセイの弟子になった。
それからセンセイは本当にたくさんのことを私に教えてくれた。
ポケモンバトルのやり方、旅のやり方。
それにそもそもポケモン自体について。
技の意味、タイプの意味、性格の意味、そして育てるということ。
トレーナーとしての私の大半がセンセイが詰め込んでくれたもので出来ていると言っても過言ではないくらい。
一緒に旅をして、道中でたくさんのことを教わり、たくさんのことに関わった。
その度に助けられて、教えられて、時々怒られて、それでも最後には褒められて。
たった半年、生まれる時期が違っただけのセンセイはとても大人だった。
……だから、だろう。
気づけなかったのは。
ずっとずっと、気づけなかったのは。
きっとそれが、今に至るまで残る私の傷なのだ。
* * *
バッジ8つ全てを手に入れた。
たった一月の出来事だった。
ほんの一か月前まで、スタートダッシュに失敗した典型的な新人のような有様を呈していた私が今やエリートトレーナーの仲間入りだ。
とは言え道中一度もグリーンに出会わなかったのでグリーンもまたすでに8つのバッジを取得したのだろう。
ただ一つ残念なことを言うならば。
―――もっとセンセイと一緒に旅をしたかった。
この一か月間、楽しかった。本当に……楽しかったのだ。
旅に出てからずっと苛立って、焦って、それを楽しむ余裕なんて無かったから。
誰かと一緒に歩き、食べて、寝て、そんな経験家族以外では初めてで。
楽しくて、楽しくて、楽しくて、一か月があっと言う間の出来事に感じられた。
その間にもセンセイにはたくさんのことを教わった。
もしかするともうグリーンよりもたくさんのことを知っているかもしれないと自負できるくらいに。
それにしても同い年でこれだけの知識を持っているセンセイは凄い。
もしかするとオーキド博士よりもポケモンについて詳しいかもしれないと思える。
そんなセンセイに師事できて本当に良かったと思える。
そう、だから。
―――もう教えることなんて無いよ。
そう言われた時には酷く愕然とした。
―――もう一人のトレーナーとして教えることは何も無い、だから……。
挑戦の時だ、とセンセイは言った。
―――カントーポケモンリーグ総本山、セキエイ高原。ポケモントレーナーが最終的に目指す場所だ。
戦って来い、とセンセイは言った。
その言葉の違いを考えず、私は期待されているのだと思った。
だとするならセンセイの弟子として恥じないように最後まで戦おうと思った。
例えカントーの頂点たる四天王だって、センセイの教えを受けた私ならきっと勝てる、そう無邪気に思った。
実際四天王たちは誰も彼もがとても強かった。
何度もダメだと思った、その度にセンセイの教えを思い出して戦った。
力を振り絞った、死力を尽くした。
そうして最後の四天王ワタルを倒した私を持っていたのは。
―――この俺様が、世界で一番、強いってことなんだよ!!!
その先のことはよく覚えていない。
ただ立っていたのは私の相棒で、グリーンが呆然と空っぽのフィールドを見つめていた。
チャンピオン。
それが私に与えらえた新しい肩書だった。
カントー地方のトレーナーの頂点。
最強のトレーナー。
呼び方は色々あったが、そんなことはどうでも良かった。
ただ報告したかった。
センセイに、勝ちました、とそう言いたかった。
手続きだ何だとやたらと時間がかかってしまったが、それでもようやくトキワシティのセンセイの元へとたどり着き。
―――止めてくれ。
告げられた言葉に思考が止まった。
―――もう関わらないでくれ。
どうして、そんな言葉が沸いてきて。
―――お前と居ると、惨めになるんだ。
それから、ようやく理解する。
―――お前となんて……。
ずっと……ずっと。
―――出会いたくなかったよ。
私はこの人を傷つけてしまっていたのだと。
* * *
逃げるようにしてカントーを離れた。
幸いにもチャンピオンだけが入ることを許される場所というのがジョウト地方にはあった。
シロガネやま。
白銀の霊峰。カントージョウト地方における最大最難のポケモンの巣窟。
その頂上でキャンプの準備をする。
野宿のやり方ならば旅の途中で教えてもらった。
……ズキン、と胸が痛んだ。
寝床を確保したら次は食べる物の確保。
幸いにも自然の中の食べれる物食べられない物の見分け方も教えてもらった。
……ズキン、と胸が痛んだ。
そうしてポケモンを出して戦った。
戦い方もまた『あの人』に教えてもらった。
……ズキン、と胸が痛んだ。
夜になり、テントの中で毛布に包まって眠る。
シロガネやまの頂上付近は年中吹雪が舞っている豪雪地帯だ。
そのため夜は非常に冷え込む。いつかのふたごじまもそうだったが、寒いところで寝るならば相応に準備が必要だと教えてもらった。
……ズキズキと胸が痛んで眠れなかった。
拒絶された傷がじくじくと痛んだ。
だがそれ以上に、自分が大切な人を傷つけていたと知ったことが何よりも痛かった。
考えれば分かることだ、何のためにセンセイはバッジを8つも集めたのか。
ポケモンリーグに挑戦するためだ。
どうしてセンセイの名はリーグに刻まれていなかったのか。
勝てなかったからだ。
どうしてセンセイはトキワシティにいたのか。
どうしてセンセイは教えることが無いと言ったのか。
どうしてセンセイはリーグに行けと言ったのか。
どうしてセンセイは勝って来いと言わなかったのか。
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
考えれば考えるほどに気づくヒントはいくらでもあった。
それでも気づかずに私は無邪気にセンセイを慕った。
センセイもまた笑顔で私を褒めてくれた。
その裏で、どれだけ傷つけていたのだろう。
分からない、分からないが……それでも最後の叫びはきっと。
―――お前となんて……。
きっと……きっと。
―――出会いたくなかったよ。
センセイの本心だったんだろう。
ズキリ、と胸が痛んだ。
* * *
傷つけるのが怖かった。
傷つけられるのが怖かった。
これ以上触れ合えばきっとそうなると分かってしまった。
だから逃げ出して、逃げ出して……。
きっともう二度と会うことは無いのだろうと思っていた。
なのに。
「……どうして」
目の前に立つ敬愛すべき人の姿に、唇が震える。
紡いだ言葉はけれど吹雪にかき消され届かない。
それで良いと思った。
散々傷つけておいて、今更どんな顔をすればいいのか分からなかった。
旅の始まりからずっと使い続けてきた今ではすっかりトレードマークとなった帽子を目深に被り、旅の始まりからずっと一緒だった相棒に最後の言葉を紡ぐ。
「……勝って」
紡いだ言葉に相棒が頷き返し。
そうして。
そうして。
そうして。
やっぱここまで来て引き延ばしはずるいのであと一話投稿して、ちゃんと完結させます。