それとこの作品では戦闘シーンは必要にならない限り、全カットになります。
なぜかって? ラブコメだからだよ。
私、篠ノ之箒は考える。
どうしてこうなってしまったのか。
昨日。私は織斑一夏と数年ぶりの再会を果たした。
この世界において、最早確定事項であるそれに対して、驚くことはなかった。
最初だけ……否、最初からすでにおかしかった。
原作よりも距離感が近く、何故か髪型ではなく、見た瞬間にわかったと言い、謙遜すれば褒め殺してくる始末。
熱血漢というより、激情家という言葉の方が合っていた性格とは打って変わって年齢以上の落ち着きを身につけ、セシリアとの口論においても冷静に努めていた。この時も怒ることには怒ったものの、これに関しては一夏は十分に我慢したと褒めてあげたいところだ。
これらを踏まえ、当初は自分が篠ノ之箒に憑依した弊害で少し性格が変わったのかもしれない、と思う程度だった。
しかし、違った。
原作通りルームメイト同士となった私達だったが、ここで一夏がいちゃもんをつけた。
もちろん、いずれも正当性があるものだった。
にもかかわらず、原作との齟齬に違和感を感じて深入りしたのがマズかった。
一夏が私に隠していた気持ち――早い話が恋心を暴露させてしまった。
その事実に混乱している最中、覚悟を決めた一夏に勢いのまま押し切られ――
――交際することになりました。
こうして冷静に考えると、やはりこうなった原因の九割は私にあるように思える。残り一割は一夏がいちゃもんをつけたせいにしておこう。これぐらいの責任転嫁は許してほしい。
……と、とはいえだ。
事故でもなんでも私は一夏の好意を受け入れ、彼女となった。ゴール手前で足踏みしていたら、突如、突風が吹いてよろめきながらゴールテープを切った感じだが、ある意味ではこれで良かったのかもしれない。そう思うことにしよう。少なくとも、現状私の意思で最後の一歩を踏み出す勇気はなかったのだ。
「……ダメだな」
どうも昨日のことで竹刀を振る手に雑念が混じってしまう。普段通りにしているつもりでも、やはり自分を騙す事はできない。
「篠ノ之さん、大丈夫?」
「すみません。今日は少し調子が悪いようです」
どうやら様子が変だと思われたらしい。
流石に今の状況を部活動の先輩とはいえ、人に話す気にもならず、適当な理由をつけた。
「最初は環境の変化に戸惑って調子を崩すことってよくあることだから気にしないで」
「ありがとうございます」
先輩に一礼した後、竹刀と防具を片付け、更衣室に向かう。
剣道着から制服に着替える途中で、ふとロッカーに取り付けられている小さな鏡に目がいく。
そこに映っているのは当然私の顔。篠ノ之箒の顔だ。
中身が変わったことで色々なことが変わったし、変わる努力もした。もちろん、変わらないための努力も必要だったし、多少の誤差はあれど原作と遜色ないよう努めた。特に見た目は何より重要で、ある意味一番努力したと言っても過言ではないだろう。
そのおかげで一部の目立ちたがりに目をつけられた時もあったが、それが逆に容姿のレベルの高さを裏付ける結果となり、あまり苦ではなかった。
苦があったとすれば、行く先々の学校及び周辺他校の男子生徒に頻繁に告白されたことぐらいか。
元々、美少女の篠ノ之箒だ。原作のやさぐれをなくしてコミュニケーション能力を高めれば自ずとモテる。
転校して一週間程度経った頃ぐらいで男子達の告白競争が始まる。もちろん、眼中になかったので丁重に断った。
それもこれも全ては理想のメインヒロインであるため………だったのだが。
……既に惚れていたなんて。
「ま、まあ? 流石は篠ノ之箒。流石はメインヒロインだ。少々急だが、うむ。これで勝利は確定だな」
鏡に映った自分に賞賛を送る。
心なしか、顔が熱いし、赤くなっているように見えなくもないが、これはきっと運動をしたせいだろう。そうに違いない!
べ、別に告白してきた時の一夏の顔なんか思い出してないからなっ!?
なんとも皮肉なもので、本来楽ではないはずの授業をしている時が一夏や私にとって一番楽な時間だ。もちろん、精神的な意味合いで度合いも一夏の方が断然上だ。
…….いや、今しがた私も一夏に匹敵するだけの有名人になった。
――篠ノ之束。
ISの生みの親にして、稀代の天才。そして私の――篠ノ之箒の姉。
原作と違い、私は姉さんに対し、恨みつらみを抱いてはいない。
私が一夏を好きではなかったこと、何が起こるかを知っていたこともあるだろう。苦労させられたことに変わりはないため、言いたいことがないわけではないが、それでも原作の箒に比べれば微々たるものだ。さっき授業が始まる前に質問責めにされたこともプラスして、せいぜい全身全霊の正拳突き一発ぐらいでいいレベル。
「まさか男ってだけで専用機まで渡されるとは思わなかったよ」
「特例措置というやつだろう。色々と例外だからな、お前は」
「なんか頑張ってる人に悪い気がするな。ただでさえ、ISって少ないのに」
うーん……やはり一夏がIS事情に詳しいととてつもない違和感がある。いや、バカな方がいいというわけではないのだが。
「ならば一層精進する他あるまい。特に来週の月曜にお前は――」
「――安心しましたわ。まさか訓練機で対戦しようなどとは考えていなかったでしょうけど」
私の言葉を遮って現れたのはイギリスの代表候補生セシリア・オルコットだった。
「まあ? 一応勝負は見えていますけど?流石にフェアではありませんものね」
「別に負けるつもりもないし、言い訳するつもりもないけどな。……でも、そっちの言う通り、これで条件は対等だ」
厳密には対等ではないが、ここでそれを私が言うのも野暮だろう。
一夏は現時点で原作よりも身体能力も知識も上だ。やる気も十分。勝てる可能性は十分にある。
「あら、昨日と違って威勢がいいですこと。そちらに篠ノ之博士の妹さんがいらっしゃるからですか?」
セシリアの言葉の矛先が私に向けられる。
成る程。そういう解釈もできなくはない。昨日、一夏は穏便に済ませようとした。だが、今日は戦う事が決まっているため強気に出た。その理由が私から……篠ノ之束の妹から協力が得られるから。
……そこまで強みになるとは思えないが……さしずめ天才の妹は天才という理論か。今まで色んな人間からそう思われてきた手前、さして気にもならないが。
「……待てよ。箒は箒だ。束さんは……姉は関係ないだろ」
……だが、気にならなかったのは私の方だけらしい。
怒気を孕んだ瞳で睨みつける一夏にセシリアが後ずさったが、それも無理はない。
さっきとはまるで別人だ。小学生の頃に一夏が怒っているのは何度も見たが、所詮は子どもだ。
ただ、今の一夏は違う。なんともいえない威圧感がある。そしてそれはどことなく千冬さんに似ている。
私が怒られているわけではないのに少しビクッとした。決して私が小心者なのではなく、千冬さんが怖すぎるだけなので悪しからず。
しかし、セシリアにも意地があるのか。さっきと同じように胸を張り、びしっと一夏を指差す。
「と、ともかく。あなたがどれだけ策を弄したとしても、わたくしの勝利は揺らぎませんわ! せいぜい足掻いて下さいまし!」
そう言うとセシリアは踵を返して去っていった。
「悪いな、箒。俺のせいで」
申し訳なさそうに一夏は言うが、私は首を横に振る。
「一夏のせいではない。ああ思われても仕方のないことだ。事実、私は『篠ノ之束の妹』だからな」
少なくとも、私を知らない人間からすれば、第一印象がそうなってしまうのも無理はない。二世タレントやスポーツ選手がそう思われるのと同じことだ。
「けど――」
「だから私は親しい人間が『篠ノ之箒』を見てくれているならそれでいい。たとえ、大多数の人間が私を『篠ノ之束の妹』として見るとしてもな。簡単なことだ」
それこそ他人が色眼鏡で見てきたとしても、親しい間柄の人間が私を篠ノ之箒として認識し、接してくれているのであれば大して気にもならない。
「少なくとも今は……お前に、織斑一夏に『篠ノ之箒』として認識されているならそれでいい」
「……大丈夫だ。俺にとって箒は箒だ。束さんは関係ない」
「ならば良い。これでこの話は終わりだ」
「そうだな。……それじゃ、飯食いに行くか」
「うむ」
「ねえ。君って噂の子でしょ?」
食堂で昼食の日替わり定食を一夏と食べていると、不意に女子が一夏に話しかけた。
リボンの色が赤色――つまり三年生の女子だ。
「えーと、多分」
一夏がそう言うと、三年生の女子は自然な動きで隣の席に腰掛ける。
「代表候補生の子と勝負するって聞いたけど、ほんと?」
「はい。成り行きで」
「でも君、素人だよね? IS稼働時間いくつくらい?」
「……二十分くらい、と思いますけど」
「それじゃあ無理よ。ISって稼働時間がものをいうの。その対戦相手、代表候補生なんでしょ? だったら軽く三百時間はやってるわよ」
「まぁ、そうですよね」
「でさ、物は相談なんだけど、私が教えてあげよっか? ISについて」
言いながら、三年生の女子はずずいっと一夏に身を寄せる。
この辺の件は原作にもあったことを思い出す。
女子からしてみれば、これをキッカケにお近づきになり、あわよくばと考えているんだろう。
もっとも、一夏には既に彼女がいてチャンスなんて随分前から存在しないが。
原作で箒はこれを遮った。
けれど、私は一夏の意思を尊重することにした。
もちろん、私もISの知識については十二分に持っている。ただ、IS操縦経験は残念ながら一夏と大差ない。というか、代表候補生のような例外を除けば入学したばかりの新入生が何十時間もISを動かせるわけがない。たとえ私が篠ノ之束の妹だとしてもだ。
だから、この場において三年生の先輩を頼るのは正しい選択だ。
しかし――
「すいません。先輩の厚意はありがたいんですけど、俺は箒に教えてもらいます」
一夏の視線がこちらに向けられ、次いで先輩の視線が向けられる。
「この子に? でもこの子も一年生よね? あなたとあまり変わらないと思うけど」
「大丈夫です。小さい頃からの付き合いですけど、すごく頭良いし、教え方も上手なんで。それに仲が良い相手の方が気兼ねなく勉強できますし」
「でも――」
「また機会があれば頼りにさせてもらいます。先輩もそろそろ忙しい時期だと思いますし、今は自分の方に専念してください」
人当たりの良い柔和な笑みを浮かべて言う一夏に三年生の女子は「た、確かに君の言うことも一理あるわね」と言って、帰っていった。
……その頬がほんのりと赤らんでいたのを私は見逃さなかった。
流石は主人公。流石はイケメン。
いくら相手に下心があったとはいえ、勘違いさせるようなことを言ったわけでもないのにいとも簡単に落としてしまうとは。
「しかし、良かったのか?」
「なにが?」
「評価してくれているのは嬉しいが、私も天才というわけではない。あの先輩に教わった方が多少勝率は上がるのではないか?」
そう言うと、一夏は何故か苦笑する。
別に客観的事実を述べただけで、おかしなことを言ったつもりはないのだが……。
「ほんと、箒は昔からそういうところが変わってないなぁ」
「む。それはどういう意味だ?」
意味がわからず問うてみると、一夏はこちらに顔を近づけ、私以外には聞き取れない声で言った。
「異性からの好意に鈍いところ」
「なっ!?」
思わずガタッと音を立てて、立ち上がってしまった。
それも仕方のないことで、あの原作で唐変木かつ朴念仁と称された織斑一夏に鈍感だと言われたのだから。
そんな訳はない。伊達にヒロイン力を高めていたわけではないのだ。
確かに一夏の好意に気づかなかったが、あれはまだ男としての意識が強かっただけで中学の時は……うん?
そういえば、告白されることは何度もあったが、気づいたことってなかったような……。大体人づてに聞いていたような気がしなくもない。
「俺がさっき先輩の提案を断ったのは箒と一緒に居られる時間が減るからだ。もちろんさっき先輩に言ったことも本心だけど、一番の理由はやっぱそれだな。折角再会できて、俺の願いも叶ったんだ。出来る限り、俺は箒と二人きりの時間を作りたいし、大切にしたい」
「………」
ま、またこいつという奴はぁぁぁぁぁっ。
何故、こうも歯の浮くようなセリフを真剣な表情で言い切れるっ!? 少しは恥じらうべきだろう!?
それにいくら四人用の席を二人で使っているから近くに女子がいないとはいえ、どこで誰が聞き耳を立てているかもわからない現状でそんな発言ができるのか。
もしバレでもしたら、望み通りの二人きりの時間が侵害されるやもしれないのだぞ!? あ、いや、別に私は二人きりの時間を心から望んでいるわけではないがっ!!
……ただ、ここまで言われて嬉しくないのかと問われれば、当然嬉しいと答えるし、ヒロイン冥利につきる。
後は時と場合を考えて……い、いや、やはり時と場合を考えて言われても私には余裕を持って返事をできる気がしない。恥ずかしすぎて訳の分からないことを口走る可能性すらある。
というか、本当に一夏に羞恥心というものはあるのか?
「じゃあ、そういうことだから。よろしく頼むぜ、箒」
……うん。あれだ。昨日の告白で一夏は色々振り切ったに違いない。これは色々振り切った人間の表情だ。とても清々しく晴れやかなオーラを放っている。
「……んんっ。う、うむ。任せろ」
ともかく、私にどこまで出来るかわからないが、やれるだけやってみよう。
こ、好意はともかく、期待には応えなければならないからなっ。
結論から言うと、一夏は凄かった。
何が凄いって? 大体全部が、だ。
ISの知識は原作よりあるとわかっていたが、どうやら参考書を渡されてから二ヶ月足らずでほぼ全て暗記したらしい。
本人曰く、『スタート地点が違うから、死ぬ程勉強した』そうだ。
これで教えられそうなことはなにもない……とはならないのが真のヒロインたる私だ。
ISの知識だけに関しては一年生の範囲は既に勉強済みだ。なんなら二年生の範囲にも手を伸ばそうとしている。
何故これだけ勉強できたのか。
それは入学自体、私の意思に関係なく確定コースだったので、ちょっとだけズルして他の皆よりも先に教科書を貰っていたからだ。
幸い、IS学園は学年ごとに新しい教科書を買うという小中学校システムではなかったので出来るかはともかく、やろうと思えばどんどん先まで勉強できるが、どれだけ知識を身につけても、経験が補えるわけではない。
訓練機の貸出申請を出して、一度だけ使えたのが唯一の救いだろうか。
一夏が天才肌とはいえ、一度経験しているのといないのでは大きく変わってくる。
やれるだけの最善を尽くし、迎えた約束の日。
「専用機。まだ来ないな」
「当日には、という話だったが、随分もたついているものだ」
白々しく、そんな事を口にする。
試合開始の刻限まで迫っているが、一夏のISが今もなお届いていない。
だが、私は全く心配していない。試合開始までには必ず届くと知っているからだ。
「いざとなったら訓練機で――」
「お、織斑くん織斑くん織斑くんっ!」
わざわざ一夏の名前を三度も呼んだのは第三アリーナ・Aピットに駆け足でやってきた山田先生だ。
一応この世界において年上に当たる人物に大変失礼だが、毎度本気で転びそうな気がして、割と心配している。
「山田先生、落ち着いてください。まず、深呼吸を」
「は、はいっ」
何度か深呼吸をすることで山田先生も少しだけ落ち着きを見せる。
「それで、どうされたんですか?」
「と、届きましたっ! 織斑くんの専用ISが!」
「本当ですか!? 一体どこに――」
「――焦るな、馬鹿者」
山田先生に詰め寄る一夏を、颯爽と現れた千冬さんが引き離す。
「千冬姉……」
一夏がそう呼んだ瞬間、弾けるような打撃音が響く。音は軽いが威力は洒落にならない。あれだけは喰らいたくないものだ。
「織斑先生と呼べ。少しは学習しろ」
「……すみません、織斑先生」
「それでいい。……さて、今しがた焦るなとは言ったが、少し急げ。アリーナを使用できる時間は限られているからな。ぶっつけ本番でものにしろ」
「はい!」
力強く頷く一夏。
ピットの搬入口が開くと、私達はそちらに視線をやる。
そこには眩しいほどの純白を纏ったISが、その装甲を開放して操縦者を待つように鎮座していた。
「これが……」
「はい! 織斑くんの専用IS『白式』です!」
「織斑、すぐに装着しろ。時間がないからフォーマットとフィッティングは実戦でやれ。できなければ負けるだけだ。わかったな」
「はい」
返事をした後、一夏がこちらに視線を向けて、頷く。
実戦でのフォーマットとフィッティングについては昨日の段階で私が一夏に可能性の話として告げていたことだ。本来ならそんな無茶で無謀な真似はしないのだが、ここは物語として紡がれた世界。起こることはいつだって非常識極まる。
一夏がISに触れた後、千冬さんが指示しながら、ISを装着していく。
完全にISを装着した一夏を見て……少し羨ましいと思った。
専用機とか普通にかっこいいし、自分だけの機体とかロマンしかない。
原作の通りなら私が行動を起こさなくても、いずれ姉さんが渡しにくるとは思うが……。
なんだか誕生日が待ち遠しいなんて、転生する前の小学生の頃を思い出す。一夏同様、代表候補生でもない自分がISを簡単に貰えることに対して申し訳ないと思う反面、その瞬間を待っている私もいる。
よし。来たる日の為にも周囲から専用機を持つに相応しい人間と思ってもらえるように精進を――
と、そうこう考えている内に一夏の準備が終わったようだ。
……んんっ。ここは一つ。ここまで共に励んできた者として声援の一つも送るのが道理というものだろう。
そ、それにか、彼女でもあるわけだからなっ。ここで何も言わずに見送るというのは、私の求めるヒロイン像にはない。
「一夏」
「どうした? 箒」
「相手は代表候補生だ。絶対に勝て、とは言わん。全力を出しきれ」
「ああ。この試合が終わったら立ち上がる余力も残ってないぐらいの気持ちでやるぜ」
「その意気だ。一夏、お前の勇姿を私に見せてくれ」
「おう、任せとけ!」
一夏は力強くそう答えるとピットゲートへと進み、ゲート開放とともにアリーナへ向けて発進した。
さて、後は運がどう転ぶかだな。一夏がすべきこと、私ができること。やるべきことは全てやった。元々の実力差が大きいのだから、この一週間。どれだけの手を尽くしても覆ることはない。縮めるのが限度だ。
だから後は運にかける。原作であそこまでいけたんだから勝てると見込んでいるものの、やはり運を味方につけないことには――
「篠ノ之」
「はい。なんでしょうか? 織斑先生」
思考に耽っていると、突然千冬さんが私を呼んだ。
そちらを見れば、何故か千冬さんが愉しげな笑みを浮かべて、私を手招きしていた。
……な、なんだ、この嫌な感覚は。
今までに千冬さんがあんな愉しげな笑みを浮かべていたのは、私が幼い頃に将来的には千冬さんに匹敵する剣士になるかもしれないと父が口にした時ぐらいだ。あの時は獲物を見つけた獣のそれに近いものを感じたが、今はそれよりもマズいと本能が訴えている。
しかし、この場を離れることは出来ない。千冬さんから逃げたら後が怖いし、そもそも一夏の試合を観るにはここが一番いい。モニター越しでもリアルタイムのものだし。
おそるおそる千冬さんの方に向かう。もちろん、千冬さんに気取られないように普通に歩いたつもりではあるが、千冬さんが気づかないかはわからない。
「あの、それで何か――」
「何かあったのか、と訊きたいのは私の方だ。随分、織斑と親しげだったな?」
「……幼馴染みなら当然だと思いますが。それが久しぶりに再会する相手であれば尚更」
「とぼけるな、篠ノ之。これまでどれだけ私が織斑を見てきたと思っている。お前だけなら確証は持てないが、織斑は別だ。あいつの考えていることぐらい、手に取るようにわかる」
「へぇぇ。流石は姉弟さんですねー」
ふふん、と鼻を鳴らす千冬さんだったが、それを聞いて純粋に感心する山田先生の様子にはっとしたように咳払いをした。
「んんっ。ともかく、詳しいことは『後で』聞かせてもらうとしよう。お前も、今は織斑の試合が気になるだろう」
気にならないわけがない。この一週間ともに頑張ってきたのだ。それに原作と比べ、一夏がどれほど強くなっているかを知る機会でもあるのだから。
緊張感を誤魔化すために一度深呼吸をしたのち、一夏とセシリアの試合に意識を向けた。
結論から言うと、試合の結果は一夏の辛勝で幕を閉じた。
そもそも代表候補生に勝ったのだから大金星と言ってもいいのだろうが、如何せん本人が勝ったという割に浮かない顔をしていた。
聞けば、『せっかく箒に手伝ってもらったのに上手く戦えなかった』とのこと。
操縦時間四時間弱。
そ、それはそれとして、だ。
この一週間。一夏はよく頑張ったと思う。本人は納得していないが、結果も良かった。
だ、だから……うむ。
「ど、どうだ。一夏。く、首は痛くないか?」
「お、おう。全然大丈夫っていうか、正直……最高」
ご褒美に膝枕ぐらいはあげてもいいだろう。
言い出したのは一夏…….ではなく私の方だ。
あれだけ頑張って結果を出した人間に何の報酬もないのは可哀想だ。一応今回の試合の勝者にはクラス代表の地位が与えられるが、これは一夏が望んでいないので報酬とは言えない。
そこで一夏の努力を称え、個人的に何かしてあげようと考えた結果、膝枕でもしてあげようという考えに至った。
キスならともかく、膝枕ぐらいなら少し気恥ずかしい程度なので問題ない。
はたして、こんな行為で一夏の努力が報われるか怪しいところだったが――
「……その顔を見るに、この行為はお前にとって十分価値があるようだな」
「まぁ……一応、こういうのに憧れてたしな」
照れ臭そうに頬をかく一夏。
好きな人に膝枕をしてもらうことが嬉しいというのは理解できる。……といっても、概念的な意味でだが。
「……現実、なんだよな」
「どうした、突然」
「なんかさ。今までずっと好きで、心の底から会いたいと思ってた幼馴染みと再会して、勢いで告白して、OKもらえて、恋人っぽいことしてもらえてるのが俺にとって都合が良すぎる気がしたんだ」
「だから現実感がない……か」
男でISを動かした方が現実感がないと思うが……確かに一夏視点でみればうまくいきすぎて、実は夢なんじゃないかと疑いたくもなるだろう。
「では、夢にしてしまうか? 明日から私たちはまた幼馴染に戻る事に――」
「それは絶対に嫌だっ!」
がばっと勢い良く体を起こし、力強く拒絶する一夏。少しからかうだけのつもりだったが、一夏にとっては笑えない冗談だったようだ。
「そう必死になるな。私とて自分の言動には責任を持つ。お前自身が恋仲を解消したいとでも言わない限り、有耶無耶にはしないぞ」
いくら勢いで押し切られた節があるにしても、一夏の好意を受け止めたことに違いはないわけだしな。
「……箒。今の冗談は心臓に悪いって」
「すまない。つい、な」
弟を相手にしているような感覚が強かった時の名残か、時々一夏をからかいたくなる。
昔はそれで一夏が拗ねるものだから、余計にからかいたくなったものだが……今になって思えば一夏が拗ねていたのは好きな相手に男として見られていないと感じていたからかもしれない。
好きな相手から異性として見られていないというのは深刻な問題なのだろう。だからこそ、今の一夏があるという解釈も出来なくはないが。
私が仕切り直しの意味をかねて、ぽんぽんと自分の太腿を叩くと一夏は先程と同じように――
「「っ!?」」
――頭を乗せようとした瞬間、ドアをノックする音で互いに弾かれるように離れた。
オートロック式なのでこの部屋の人間以外勝手に入れるわけはないというのに、お互い初々しさがあることもあってか、殆ど反射的に離れた。
「……」
「……えーと、俺の方が近いし、俺が出るよ」
そう言うと、一夏は小さく溜息をついて、ドアの方に向かう。
残念がらなくても、膝枕ぐらい頼まれればやってやるというのに。
そう思っていると訪問者の元へ向かった一夏がこちらに戻ってきた。
「誰だったのだ?」
「織斑……ああ、別に今はいいか。千冬ねえが、箒に話があるってさ」
「千冬さんが?」
……いや待て。そういえばそんなことを言っていたな。
試合が終わっても何も言ってこなかったので、今日の話ではないと勝手に思っていた。
「わかった。もしかしたら長話になるやもしれん。その時は私を待たずに寝るのだぞ。ただでさえ、今日は疲労が蓄積しているだろうしな」
「ああ」
多分消灯時間過ぎても待っているに違いない。大方『寝付きが悪い』だのと説得力のない言い訳をするのだろう。しょうがないやつだと思わせつつも、そういうところは少し好感が持てる。ナチュラルイケメンとはこのことか。
……もちろん、時と場合によっては強引にでも寝かしつけるが。
「織斑先生。話とは」
「立ち話で済ませるには少し長くなる。寮長室に行くぞ」
千冬さんはそう言うと私の返事も聞かずに歩き出す。
この人もこの人で所々強引すぎるというか、傍若無人とも取られかねない言動をする時がある。そういう意味では類は友を呼ぶという言葉を体現しているとも言える。
……間違っても本人には絶対言わないし、仄めかしもしないが。
寮長室に入るとそこは魔境だった……ということもなく、家事全般が苦手である千冬さんとは思えないほど部屋は綺麗さを保っていた。
服を脱ぎ散らかしてるわけでもないし、ゴミ袋がその辺に転がっているわけでもない。目につくといえば、机の上に置かれている未開封のビール缶とつまみぐらいだ。未開封であることを考えれば、これも私を呼びに来る前に準備したものだろう。
「誰が突然訪ねてくるかわからん以上、こまめに掃除はしている。この部屋は職務上私の部屋になっているだけだからな」
部屋を見回す私に千冬さんが答える。
公私混同はしない、と豪語する千冬さんらしい回答だ。多分一夏なら『じゃあ、自分の部屋も掃除してくれよ』と言いそうだ。
「さて、ここなら私以外に聞くものはいない。腹を割って話し合うか。
どかっと腰を下ろすと千冬さんは手に取った缶ビールを開ける。
私を名前で呼んだ、ということは今から『教師』でなく、『一夏の姉』という一個人として話をするという千冬さんなりの合図なのだろう。
「率直に聞く。一夏と付き合っているのか?」
「はい。つい先日、一夏からの告白を受け、交際することになりました」
隠すつもりも、意味もないので正直に答えた。
「なるほど。やはり予想通りか……少し意外ではあるがな」
「意外、ですか?」
「一夏は昔から幼いなりにお前を意識し、アピールしていただろう? お前はそれをどうにも気づいてない……というより、そも一夏を異性として見ていない節があったからな。私はてっきり年上にしか興味がないとばかり思っていた」
「未熟だっただけです。私はあれも一夏なりの接し方としか思っていませんでしたから」
こればかりは元男だったから、など説明できようはずもないのでそう答えた。
そういうものか、と微妙に納得してなさそうな千冬さんだったが、缶ビールを一息に飲むとふぅと一つ息を吐いた。相変わらず、この人は一挙手一投足が男らしいというか、なんというか。
「まぁ、なにはともあれ、一夏の恋が成就したのなら姉として喜ばしいところだ。一夏が好きになった相手をどうこう言うつもりはなかったが、私も出来ればお前が良いと思っていた」
「私が、ですか?」
「意外か?」
「ええ、まあ」
千冬さんの事だから、てっきり私が一夏に相応しいか見定めてやろうと言い出すのではないかと勘ぐっていたのだが、まさか千冬さんが私に対してそう思ってくれていたとは。
「家事全般が得意で教養がある。ISはともかく、生身での実力は高く、性格も良い。さらに容姿も整っているとくれば、仮に私が男でも嫁に欲しいくらいには能力が高いぞ?」
「あ、ありがとうございます」
こんなストレートに褒められると少し照れる。
しかもあの千冬さんが手放しに褒めてくれるのだから尚更。以前は最後にオチがあったのに今回はないようだ。
「鈍感なのが玉に瑕だが、付き合ってしまえば関係ないだろう」
……と思っていた矢先。姉弟揃って同じことを言い放った。
こ、これではまるで私が原作の一夏のようではないか。ち、違う! 断じて違うぞ!? 決して私が鈍感だったわけではなく、そもそもあの一夏があれだけ早い段階で好意を抱いてくれているという発想がなかっただけだ!
「それで? 一夏とはどこまでした? まさかこの短期間で既に済ませたわけではないだろう?」
「済ませ……?」
「おいおい、男と女が一つの部屋ですることなんて一つしかないだろう?」
「っ……な、な、ななな何を言っているんですか!?」
これには思わず叫んでしまった。
あっけらかんと言ってのけるものだから、一瞬何を言っているのかわからなかった。
千冬さんの言うところの『済ませた』というのはつまりそういうことだろう。
「うるさいぞ。いくら防音されているといっても、全く外に聞こえないわけではない。あまり騒ぐと他の教員からクレームが来る」
「す、すみません」
「第一、そこまで驚くことでもないだろう? お前がお遊びで一夏と付き合っていない限り、いずれはすることになる。それが在学中か、卒業後は知らんがな」
「そ、それは、そう、ですが……きょ、教師として生徒の不純異性交遊は許容してはいけないのでは?」
「当たり前だ。だが、さっき言ったろう?私は『姉』として聞いているだけだ。仮にお前が『毎日している』と答えたとしても罰を与えることはしない。……まぁ、その反応を見るにまだ済ませていないようだが」
「あ、当たり前ですっ。学生である以前に交際した男女がたった一週間でせ、性交渉をするなど……は、早すぎますっ」
これは価値観の違いによって有りという人もいるかもしれないが、私は早すぎると思っている。第一、お遊びでないにしても、私が一夏を愛しているかというのも怪しいところだというのに性交渉など早すぎるどころか、遥か彼方にある。
「そういうものか? まあいい。する時はくれぐれもバレないようにな。私個人が気づいた場合には見逃してやるが他の生徒に露呈してクレームが来た場合は教師として其れ相応の対処をしなければならない」
「で、ですから、そ、そういう心配は結構です」
というか、千冬さん個人が気づいている場合は見逃すって、それはそれでいいのだろうか? 公私混同しているような気がする。
「話はそれだけ……と言いたいところだが、ついでに一つだけ聞いておきたいことがある」
そう前置きすると、さっきまでニヤニヤしていた千冬さんの表情が真剣なものになる。
「あいつは……束はどうだ?」
「……所在まではわかりませんが、定期的に連絡が来るので元気なのは確かです。それと、今のところは大人しくしているつもりみたいです」
あれだけの監視下に置かれていたのにその隙間を縫うように姉さんはありとあらゆる手段で私に連絡を寄越していた。内容は日常的なやりとりだったが、あれはあれで姉さんなりの気遣いだったのだと思う。だからといって傍若無人なのに変わりはないが。
「……そうか。今のところは、か。願わくば今後一切厄介ごとを起こさずにいてもらいたいところだが……そうはいくまい」
私と一夏がここにいる以上、事は必ず起こる。おそらくほぼ全ての事件が原作通りに起こるはずだ。
止めようと思ったこともある……が、止めようと思って止められるのなら苦労はしない。
姉さんが天才であり天災である所以。迷惑なことこの上ない……時々変な物を送ってくるし。
「まぁ、あいつのことは任せろ。あまり度が過ぎるようなら力ずくで捩じ伏せる」
「……出来れば死なない程度でお願いします」
「殺して死ぬようならあいつは成人する前に死んでいるさ」
「……」
どこか誇らしげに語る千冬さんに私はそれ以上追及することができなかった。