ディー・グレンツェ・ヴァルト   作:葉月つづら

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eins

 全く、なんて日だろう。見渡す限り辺りは薄暗い森、不気味な何かのポケモンの羽ばたきが聞こえ、ざわざわと不穏な音を立てて木々がさんざめく。来た方向も進むべき方向も正直分からず、僕はああ、と大きくため息をついた。横にいるユーリはいつも通り憮然とした顔をしているが、やはりどこか焦っている様子。ああ、本当に最悪だ。最悪の日だ。

 そもそもの発端は、仲間内の一人が兄姉から聞いたという都市伝説だった、曰く、ハルザイナの森の奥には朽ちかけた洋館が建っていて、そこには昔の公爵の亡霊が住み続けているという。その亡霊は死んだ今でも、館の奥に広がる、古今東西あらゆる生き物の墓が立ち並ぶ墓地を守っていて、森に迷い込んできた人間を自分と同じ永遠の墓守りにしようと襲い掛かってくる、云々。

眉唾ものの話だが、今や時は夏休み中盤。大抵の事はやりつくし、僕らは正直、長すぎるトレーナーズスクールの休みに飽いてきていた。そこで持ち上がってきた怪談話である。幸いここはリザイナシティ、ハルザイナの森は歩いて二時間といったところか。この程度ならば、小休止を取りながら向かえば遠足のようなものだ。

そこで僕らは、親には「星空の観察に行ってくる」とまことしやかに嘘をつき、ハルザイナの森へ向かったのだった。

歩いている途中は皆、新しい刺激に興味津々、公爵の亡霊なんて俺のポケモンでぶっとばしてやる! と息巻いていたのだが、実際夜の森というものは恐ろしいものである。森の入り口辺りはまだ木々もまばらで、本当に星々をくっきりと見やることが出来たし、たまに飛び出してくるポケモンの影も、どこか面白く思っていた。

だが、森の奥へ行けば行くほど、背の高い木が星空を真っ黒に塗りつぶし、月の光さえ当たらない。道は曲がりくねって枝分かれし、ポケモンは用心深く、目を光らせこちらを見やるばかり。今来た道がどっちだったか、朧気になってきたところで、一人が鼻声で足を止めた。

 

「ねえ、もう帰ろうよ、帰れなくなっちゃうよ。俺もうやだよ……」

 

「はあ? お前ここまで来てそれかよ。意気地なし!」

 

「そもそもお前が行こうって言い出したんだろ」

 

「そうだけどぉ……」

 

 俺ともう一人以外の三人が揉め初めて、完全に僕たちの足は止まってしまった。ああ、どうしよう、と僕がおろおろとうろたえていると、

 

「帰るなら、もう帰った方がいい。一応まだ帰り道は覚えているけど、これ以上進んでからだと、朝になるまで動けなくなりそうだ」

 

 と、いやに冷静にそれを押しとどめる声が横から発せられる。最初っから止めとけばいいのに、と言っていたユーリだ。その声に、言い争っていた三人もぴたりと喧嘩をやめて、顔を見合わせた。確かに、これ以上進むのは本当に危険かもしれない……。無言でのアイ・コンタクトが交わされ、僕らは頷きあう。そうだ、もう帰ろう。

 やれやれ、とどこか安心した空気が流れた時、僕の目の端を青白い光がかすめた。

 

「ねえ、なんか今光ってなかった?」

 

 と、つい声に出して、そちらを振り向く。すると、キャキャキャキャ、と甲高い笑い声が聞こえて、突然、目の前にヨマワルが現れた。

 

「「「「ぎゃああああああーーーーーーーーっ!」」」」

 

「あっ、おい! そっちは違……ああ、くそ!」

 

 元々すごく雰囲気のある場所だった事も手伝って、僕たちはたまらず絶叫する。そして、パニックに陥った僕らは、というか僕は、今来た道ではない、先へ先へと進む道を走りだしてしまった。後ろから、焦ったユーリの声が聞こえたけれど、僕は止まれない。味を占めたヨマワルが僕を追いかけてきて、耳元でゲラゲラと笑っている。怖い。怖い、怖い怖い怖い! もう嫌だ!

 

「チッ……カラカラ、ホネこんぼうだ! おい、リノ、この隙に逃げるぞ!」

 

 と、ユーリのカラカラがヨマワルを思いっきり、手に持った骨でぶん殴る。その突然の重い攻撃に、ヨマワルはどうやらひるんだ様子。びっくりして腰が抜けかけた僕の手を、カラカラをボールに戻しながらユーリが無理矢理に掴んで、僕らは無我夢中で森を駆け抜けた。

 

 

 

 そして、落ち着いてみれば、僕だけでなく彼も道を見失ってしまったという。それで仕方なく、どこか休めるような開けた場所を探そうと、道を踏みしめているわけだった。

 

「ユーリ、本当にごめん……。僕のせいでユーリまで迷っちゃった」

 

「別にいいよ。リノを一人にする方が不安だ」

 

「皆は……帰れたかな?」

 

「多分大丈夫。全員、来た道を駆け戻っていったから。道なりに行けば、まだ迷わないはず」

 

 その言葉にほう、と胸を撫で下ろす。ユーリはいつも冷静沈着で、周りをよく見ている。特待生としてスクールに入学しているけど、自分でバイトをして生活費などを稼いでいると言っているから、彼はとても大人だ。そんな彼が言うなら、きっと皆も大丈夫だろう。

 それにしたって、僕らは一体どこまで来てしまったんだろう。見渡す限りの木、茂み、葉っぱ。月光もあまり差し込まず、時間さえもよく分からない。なんだか二時間も三時間も彷徨い歩いている気分になって、僕はその場にへたりこんでしまった。

 

「おい、リノ」

 

「ご、ごめん……。ちょっと休憩させて……」

 

 道のすぐ傍にある木に身体をもたせかけて、僕はうなだれる。それを見て、ユーリが軽くため息をついて、同じように隣に腰を下ろす。一度腰を落ち着けてしまうと、この森は思ったより風がさやさやと優しく吹き流れる場所のようだ。先程までは気が動転していて、全く気付かなかったし、むしろうすら寒いような気がしてきたけど。もしかしたら開けた場所が近いのかな、と思いつつ少しだけ目を閉じる。ユーリが隣で案ずるような気配がする。なんでもないよ、と口を開こうとして、コツ、コツ、と地面を歩く固い足音が微かに聞こえてきて、僕は目を見開いた。

 

「リノ? おい、本当に大丈夫か」

 

「ねえ、ユーリ、何か聞こえない? 足音みたいな……」

 

「足音?」

 

 僕の緊張を感じ取ったのか、ユーリも真剣な顔で耳をすます。コツ、コツ、コツ。一定の速度の足音。コツ、コツ、コツ。どうやら近づいてきている。コツ、……。音が止んだ。僕とユーリが腰を浮かせたところで、

 

「おやおや、これは珍しい。子供のお客さんは久々だ」

 

「うわああああーーーっ!」

 

「なっ……なんで後ろに……!」

 

「おっと、これは失敬」

 

 と、突然背中から声がかけられた。さっきのヨマワルの件もあって、僕はついに足腰から力が抜けて、叫びながら地面に尻餅をついてしまった。ユーリもユーリで、いつ後ろに回っていたのか分からないこの男に困惑を隠せないようだ。そんな様子の僕たちを見て、ヒヒ、と不気味な笑いを隠さない男。黒にもほど近い紫色をした重い前髪で目元は見えず、さっきからずっと口角は上がりっぱなしだ。長いマントを身に着け、手には懐中電灯、それになぜか灯の入っていないランタンを持っている。異様というか、奇怪という他ない。よくよく見ればマントの下には前時代的な貴族のような服を着ている。そこで、僕ははた、とあの噂を思い出した。

『ハルザイナの森の奥には朽ちかけた洋館が建っていて、そこには昔の公爵の亡霊が住み続けているという。その亡霊は死んだ今でも、館の奥に広がる、古今東西あらゆる生き物の墓が立ち並ぶ墓地を守っていて、森に迷い込んできた人間を自分と同じ永遠の墓守りにしようと襲い掛かってくる……』

 こんな夜中に、ハルザイナの森の奥も奥、人がいるのはおかしい。それに、男の恰好の時代錯誤さ。これは、もしや、本当に……。

 

「一体この時間にこの森に、何の用かは知らないけれど。君らは迷子だろう。俺の家まで、」

 

「ごめんなさいごめんなさい! 食べないでください! 僕らは美味しくないです!」

 

 未だに地べたに座ったままの僕に手を伸ばす男の言葉を遮り、俺は勢いよく頭を下げる。いわゆる土下座といっ

たポーズに、目の前の男は、

 

「……ふむ」

 

 とだけ呟くと、クツクツと喉を鳴らして笑いだした。突然笑い出した彼につい身構えていると、彼は未だ笑いを含んだ声でやんわりと否定した。

 

「俺の噂は一体全体どこまで酷くなっているのか気になるが、俺は亡霊じゃあない。生きた人間に他ならないよ。全く全く……。なかなか君は面白いな。俺はルーイヒ。君たちの名は?」

 

「あ、……俺はユーリ。こっちはリノです。すみません、友人が失礼なことを」

 

「いやなに。こんな辺鄙なところに住んでいると娯楽も交流も少ないからね。良い暇つぶしになりそうだ。それより夜も更けてきて、これから徐々に寒くなる。ポケモンたちも活発になるし、さっきのようにヨマワルに脅かされたくなければ一緒に来なさい」

 

 朝になったらきちんと街まで送ってあげるから、と再度手を差し出され、今度は恐る恐るその手を取った。男――ルーイヒの手は存外に熱く、確かに生きた人間であると認めざるを得なかった。とはいえ、先程のヨマワルの話は……。傍らのユーリと顔を見合わせ、僕の喉から三度絶叫が迸るまで、あと一〇秒。

 

 

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