「あ〜〜いい湯だわ〜。温度もちょうどいいし」
「……」
レオンハルトの頼りない記憶に従って歩くこと10分。レオンハルトとアリスは風呂場へと到着した。そこは自然の力で水温が高くなった場所であり、無論壁など存在しない。外の世界で言うところの露天風呂というものであるのだが、二人はそんな名前など知らない。レオンハルトは分かりやすく外風呂と呼んでおり、西の果ての山脈へくれば必ずここに入ってる。と言ってもまず任務に出ることが少ないため、本人も5年ぶりとなるのだが。
自然の風呂であるここでは、もちろんの事ながら脱衣所もなければ男女で別れているわけでもない。セントラル=カセドラルにある大浴場ほどの広さもないため、遠く離れた位置に浸かり、湯気を利用してお互いの姿を見えないようにするという手段も使えない。
風呂には入りたいが、レオンハルトに肌を見られたくないアリスは、どうしようかと悩んだ。しかし、そんなアリスをよそにレオンハルトはせっせと服を脱いで体を洗って湯船に入ってしまった。その行動に呆気にとられたアリスだったが、レオンハルトが上裸になった瞬間顔を真っ赤にして背を向けていた。
「アリスは入らないのか〜?」
「は、入れるわけないじゃないですか!」
「なんで?」
「なんでって…、男性に素肌など晒せません!」
「大丈夫大丈夫。俺以外いないから」
「何も解決してませんからね!?」
アリスはツッコミで思わず振り向いてしまった。しかし、レオンハルトが肩まで浸かっているだけでなく、お湯が白いためレオンハルトの体を見ずに済んでいた。見えるのは水面から出ている首から上だけだ。そのことに安堵したものの、結局何も解決はしていない。
「こんな感じで肌見られる心配はないぞ?俺が目瞑っときゃあ解決だろ?」
「あなたは信用できません」
「辛辣だなぁ!…アリスの裸とか興味ないし見ても何とも思わないしなぁ」
「女性としては複雑ですね…」
「試すか?」
「試しません!」
「仮眠取るから自分で決めろー。別に交代とかでもいいが、置いていくから。帰ってこられる自信があるなら交代でいいんじゃね?」
「…わかりました……って寝るの早いですね」
天然風呂の縁に頭を乗せ、脱力状態で寝息をたて始めた。何度か起こしたことがあるアリスには、レオンハルトが本当に寝ているということがわかった。風呂に入りながらも寝るのはどうなのだろうか、と呆れるも勿論起こすなんてことはしない。自分はどうしようかと考えるも、日はすっかり暮れており、慣れない飛竜での長時間移動による疲労もある。それらを加味した末に、アリスは風呂に入ることにした。
レオンハルトが寝ている間に体を洗い、アリスは極力レオンハルトから離れた位置でお湯に浸かることにした。しかし、アリスが入ろうとした場所は、本人が思っている以上に深くなっていた。体を洗えた上に、風呂に入れる。そのことで気が緩んでいたアリスは態勢を崩してしまい風呂で溺れてしまった。
「──っ!?」
「…あ?……アリス?」
「──!!」
「えー、風呂で溺れるのかよ。ったく」
「プハッ!ハァハァ…ご、ごめんなさいレオン。起こしてしまいました」
「気にするな。それより大丈夫か?」
「はい、なんとか。まさかここまで深いとは」
「平らになってるわけじゃないからな〜」
「気をつけておくべきでした…。あの、もう大丈夫なので離してくださ……い?」
「ん?ああそうだな。……アリス?」
「っ〜〜〜!!!?」
─バシン!
溺れたアリスをレオンハルトが助けたということは、当然のことながら二人の体が触れ合う。レオンハルトはアリスを助ける際に気を回しており、アリスの肩から上だけを水面から出すようにしていた。そこはアリスにとってもありがたいことなのだが、乙女のアリスからすれば、お互い何も身につけていない状態の時点で駄目なのだ。
声にならない悲鳴を上げると同時に、レオンハルトに力いっぱいビンタする。その力強さは、叩かれて残った跡が物語っていた。ビンタしてすぐに身を屈め、肩さえ湯船に沈めたアリスは、レオンハルトとは違う意味で頬を赤く染めていた。
「初々しい奴め」
「…あなたが非常識なだけです」
「長生きしてるせいかな?」
「知りません」
「んー、まぁいいか。俺上がるけど、アリスはゆっくりしてたらいいぞ」
「…先に戻るのですか?」
「アリスはどうしてほしい?」
その返しにアリスは声を詰まらせた。そもそもレオンハルトは、風呂から上がったらすぐに戻ると言っていたのだ。少し彷徨ってからこの場所にたどり着いたため、アリスも正確な道を把握できていない。戻るなら一緒に戻った方がいいと判断したという要因もあって、今湯に浸かっているのだ。
しかし、レオンハルトは今どうしてほしいかを聞いてきた。先ほど言っていたこととは異なり、自分の行動をアリスに任せたのだ。アリスは主導権を譲られた。が、結局少し恥ずかしさを忍ぶ必要がある。一緒に戻ろうと言うことに恥ずかしさを感じてしまうからだ。
「…その…待っていてくれますか?」
「わかった。少し離れたところにいるから、上がったら声をかけてくれ。拭くものとかも用意しとく」
「…ありがとうございます」
〜〜〜〜〜
アリスも入浴を済ませ、二人は天翔が待っている場所に戻った。持ってきた食料を始めとする荷物も無事であり、夜食を作ることとなった。
「なにを作るのですか?携帯食料以外食べるものもなかったはずですが」
「ずっと同じ物食べてても飽きるだろ?調味料とか持ってきてたら多少なりとも味を変えられる。明日はダークテリトリーにも足を踏み入れるから、あっちの食材を取れたら尚良し」
「…ダークテリトリー」
「怖いか?」
「怖くなどありません!私は人界を守るために天界より召喚されたのです!ダークテリトリーの住人なぞ恐れるに足りません!」
「…ま、アリスがそういうならそうなんだろうな。明日現実を見るわけだし」
「レオンは恐れているのですか?」
「多少はな」
「!!」
アリスにはそれが信じられなかった。最強の騎士ベルクーリに並んで称される男が、ダークテリトリーを恐れているというのだから。それと同時に羨ましいとも思った。アリスは生真面目な性格で弱音を吐くこともない。時には意地を張ることで、今みたいに認めないこともある。
しかしレオンハルトはそうじゃない。自分に嘘をつかず、正直に語るのだ。本当に恐れているのか、もし恐れているのならそれが何なのか。アリスには分からなかったが、弱さを見せることができるレオンハルトを羨ましいと思ったのだ。
「アリスには分からないか?」
「…少し馬鹿にされてる気がしますが、分かりません」
「ははは、そう聞こえたのなら悪かった。…俺はな、死ぬのが怖いんだよ」
「それこそ分かりません。レオンは閣下と並ぶ騎士のはずです。あなたが死ぬことなど想像もできません」
「それは根拠になるか?」
「…え?」
「たしかにベルクーリに負けないぐらいの力はあるさ。でも、それが死なない理由にはならない。俺やベルクーリより強い奴が向こうにいたら?そいつが出てきたら?…勝てないし、逃げきれるとも思えない。そしたらフィアを残しちまうだろ?それが何よりも怖いんだよ」
「ぁ…」
レオンハルトの恐怖は別の所にあった。アリスは召喚されてから日も浅く、人間関係もまだ広くない。そのため自分のことしか考えられないのも仕方がない。しかし、レオンハルトは3桁に及ぶ年数を生きている。騎士団内で問題児扱いされているとはいえ、フィアのように深い絆で結ばれている相手もいる。その人たちを置いて、先に命を落とすことを恐れているのだ。
なによりも、フィアの命はレオンハルトの存在が、何よりの生命線となっている。精神的な支えというだけではない。レオンハルトがいることで、フィアを疎く思う騎士も黙っているのだ。つまり、レオンハルトの死はフィアの死に繋がるのだ。
「使命に燃えるのもいい。けど、命は最優先で守れ。生きてりゃなんとかなる」
「…はい」
「…なんか説教臭くなったな。そろそろ飯もできるし、気持ち切り替えるか」
「…あの!」
「ん?」
持ってきた調味料や神聖術など、あらゆるものを駆使して携帯食料を作り直し、それを二人分に分けようとしているレオンハルトは手を止めた。アリスが聞きづらそうにしつつも、それでも何か聞きたいことがあるのだと察し、言葉を待っているからだ。
ずっと気になっていることであったが、果たして聞いていいことなのかわからない。だからアリスはずっと聞かずに過ごしていた。しかし、この話の流れなら聞けるかもしれない。そう判断し、意を決して言葉を発した。
「フィアは……フィアは何者なのですか?」
「……まぁ気にはなるか」
「すみません…」
「謝らなくていいよ」
いつか聞いてくるかもしれない。そう思っていたことをアリスは口にした。レオンハルトはできれば聞かれることなく過ごせたらと思っていた。聞かれて困る話でもないが、話したい話題でもないのだ。
止めていた手を動かし、食料を二人分に分ける。それをアリスに手渡し、レオンハルトはアリスの横に腰を下ろした。
「冷める前に食べよう。フィアの話はその後だ。…全部を話せるわけでもないがな」
「わかりました。あの…聞いても良かったことなのですか?」
「聞いたあとにそれを聞くのか。…ま、アリスならいいさ。他の騎士たちに変なこと教えこまれるのも面倒だし」
「……」
食事を取っている間、二人の間で会話はなかった。しかし、居心地が悪いわけでもなかった。レオンハルトはどこまで話すか考え、アリスは話を聞いても二人との距離を変えないようにしようと決意していたからだ。味を加えられた携帯食料を食べ終え、それを片付けたところでいよいよレオンハルトは話し始めた。
この日、アリスはフィアがなぜ異端者と呼ばれ、自由に動くレオンハルトがなぜ守るのかを知ることとなった。