「準備はいいか?」
「はい」
「なら行こうか。実戦だ」
朝食を取り終え、天翔に乗って果ての山脈からダークテリトリーへと侵入する。今から行われるのは、実戦という名のアリスの訓練。包み隠さずに言ってしまえば殺し合いである。アリスはこのアンダーワールドの仕組みを知らないが、レオンハルトは知っている。動的オブジェクトを破壊する、つまりは生き物を殺すことでより優先度の高い武器や防具などを扱えるようになることを。シンセサイズされたことで、本来ならアリスも、最高レベルを誇る優先度の神器級の武器を扱える。
しかしレオンハルトはそうさせなかった。初めから強い状態だと、誰もがダークテリトリーの軍勢を甘く見てしまうからだ。ベルクーリやレオンハルトと言った最古参の騎士しか戦ったことがない拳闘士や暗黒騎士の精鋭は、まず最前線に出てこない。その時期ではないと分かっているからだ。時折やってくる暗黒騎士は、己の力を試しにくるものばかりだ。つまり、勝てる試合だけを経験させていては、来たる時に力を出しきれなくなるのだ。
経験したことのない命のやり取りを戦争で初めて体験していては、動揺によって生まれる隙をつかれて命を落とす。整合騎士の総数が少ない以上、そのような真似をさせたくない、というのがレオンハルトの考えだ。
「
「真下に……え、真下ですか!?」
「しっかり捕まってろよ!」
「き…きゃぁぁぁぁあ!!」
普通ならば真下に行くために大きく旋回して戻ってくる。しかし、主人であるレオンハルトと同様に常識破りである天翔はそんなことはしない。真下と言われれば、
レオンハルトの真後ろに座っているアリスが必死に背中にしがみつくが、それだけでは天翔の全力には耐えられない。レオンハルトが片手で手綱を握りつつ、急降下が始まる直前にアリスの腰に手を回した。アリスを自分の前に持ってくることで飛ばされないようにし、尚且つアリスがよりレオンハルトを掴みやすいようにしたのだ。…それでも安定はしないため、アリスは生きた心地がしなかったという。
「…すでに疲れたのですが」
「これぐらいで音を上げるなよ」
「あなたのせいですよ!」
「それより武器を構えろ。そろそろ
「え、来るって…」
アリスのその疑問に答えたのはレオンハルトではなかった。レオンハルトが見つける視線の先から聞こえてくる足音。それがアリスの疑問の解答となった。ゴブリンの小隊が現れたのである。
「だいたい20人弱か」
「20…」
「アリスはどこまでやれるかな?」
「…全員倒してみせます」
「んー、まぁいいや。死なないように頑張れ」
レオンハルトは一歩下がりアリスが動きやすいようにする。反対にアリスは武器を構え、ゴブリンたちがどう動くか見極めようとしている。ゴブリン達はレオンハルトとアリスの姿を認識するや否や敵対心を剥き出しにした。ゴブリンは一人一人が武器を持ち、連携はせずとも味方の行動を利用するように動く。
「白イウムだ!殺せー!…男は!」
「男は殺す!女は連れ帰って売るぞ!」
「「「ウォォォー!!」」」
「っ!最低です!」
「いつものパターンだけどな〜」
「…いつもの?」
「話してる暇はないぞ。集中しないと死ぬが視野を広げとかないと足元掬われるぞ」
「くっ!」
レオンハルトに鍛えられているためアリスも早々に負けることはない。最初に接近してきたゴブリンの攻撃を躱しながら切り払い、次に迫るゴブリンの攻撃を弾いてすぐに右から来るゴブリンを切り捨てる。攻撃を弾かれたゴブリンが、背を向けているアリスを斬ろうとするも、それよりも先に身を翻したアリスが胴を斬る。
(これならいける)
先駆けてきたゴブリンを退けたアリスはそう判断した。しかしそう判断するのは早計だった。その後も四人のゴブリンを連続で倒したアリスだったが、この小隊の長が出てきたことで形勢が逆転した。
隊を束ねる者は他の者より体が大きい。それが一つの見分け方であるのだが、それは必ず当てはまることではない。他のゴブリンと体の大きさが変わらずとも、強ければ隊を率いるからだ。そしてこの小隊は
─アリスが切り捨てたばかりのゴブリンを後ろから蹴飛ばしたのだ
アリスが予想していない展開だった。死体とはいえ味方を蹴飛ばすことでアリスの視界を封じようというのだ。そしてその目論見は、小隊の長ギルグの予想をも超えた。ギルグの都合の良いように。
知らなければ対応できない。それがアリスの最大の弱点だ。突如視界を覆うように飛んできた死体に対応できず、アリスはそのまま押し倒された。混乱から抜ける間もなくギルグに馬乗りにされる。足でアリスの両腕を踏みつけることで行動を完全に封じて。
「カカカ!もっと手間取りそうだと思ったがァ、あんなショッボイ手で終わるタァな!」
「…この外道め!味方をなんだと思っているのです!」
「ゲトー?殺し合いにンなもん関係ネェだろ!使える物は何であれ使う!強者に勝つためならツマンネー拘りを捨てる!それがギルグ様のやり方だぜ!」
「そんなんだからあなたは弱いのです!」
「ご高説どもー!そんな弱者に負けてるお前は虫けらか?白イウム」
「くっ…」
「ンんー?いい顔立ちしてんなぁ。これならよく売れるぜ!」
「誰が…売られるものですか!あっ!」
「煩いうるさい。勝敗は決まったんだシ、敗者は大人しくしとけって。まぁでも、ここまでの上玉なら俺が味わってからだよなぁ!」
持っている剣でアリスの鎧の留具を器用に壊し、アリスの体を守っていた鎧を取り外す。次いで腰に携えていた小型ナイフでアリスの服を少しずつ切り裂いていく。徐々に顕となる己の素肌が見え、アリスは羞恥に赤面しながら悔しさに涙を流した。その反応こそギルグが喜ぶスパイスとなるとも知らずに。ゆっくりと進むナイフによってアリスの胸が顕になりかけた途端、ギルグの体を無数の黒い枝が貫いた。
「ガア!?」
「お楽しみ中悪いがそこまでだ。うちの娘はまだ恋すら知らないんでな。そういうのはご法度なんだ」
「きさ…ま……」
「とっととアリスの上からどけよ」
「ぁ……アァァァ!!……………」
「…こいつは
まるで枝が生きているかのように靭やかに動き、ギルグを投げ飛ばすことでアリスの上からどかせた。地面で跳ねているところをすぐに追撃するために、枝が集合して一つの鋭い針となる。それが寸分狂わずにギルグの眉間を貫き絶命させる。
「お前らはどうすんだ?俺を殺して名をあげてみるか?」
「け…ケケ、勝てないって分かってて挑むほど馬鹿じゃねぇんだぜ」
「だろうな。そっちが仕掛けないなら俺も何もしねぇ。失せるなら10秒で失せろ。…あ、遺体を回収するなら回収しろ。遺族に会わせる気があるならな」
「……」
「やんなくていいなら燃やすが?」
「い、いや回収する!…お前変わった白イウムだな」
「ははは!仲間からもそう言われるよ!」
相容れない敵同士であるため礼は言わずとも態度が柔らかくなったゴブリン達。レオンハルトはそんな彼らに手を振って見送るのだった。
ゴブリンが言ったとおりこんなことをするのはレオンハルトだけだ。必ず全員が殲滅するわけではないが、遺体を回収させるという異様とも言える行動を取るのはこの男だけ。警戒されるのが当然なのだが、その時にはレオンハルトは武器をしまい、戦意を霧散させるのだ。だからこそゴブリン達も仲間の遺体を大人しく、だが素早く回収して帰っていったのである。
「さてさて、初めての実戦はどうだった?…おっと。……怖かったか」
レオンハルトに顔を見られないように抱きついたアリスだったが、その様子から察せられてしまった。小さく体を震わせるアリスを落ち着かせるため、レオンハルトはそれ以上は何も言わずにそっと頭を撫で続けた。
「もう大丈夫かな?」
「…はい。……ごめんなさい、見苦しいところを…」
「気にするな…ってのは無理か」
「はい。無理です」
「うむ。まぁでも、とりあえず敵がどんなもんか分かったろ?あのギルグってのは珍しい方だが、それでも戦っている間は仲間なんて意識してないことが多い」
「そう…みたいですね」
「他にも教えてやりたいが、その前にやることがあるな」
「やることですか?」
「アリスの服直さないとな。この身長差だとばっちり見えちゃうし」
「なぁっ、〜〜〜-―っ!!レオンの変態!!」
またもやレオンハルトの頬に綺麗な紅葉がつくこととなった。レオンハルトは自分に非はないと抗議したが、原因であるギルグはレオンハルトが倒している。そしてレオンハルトがもっと早く助ければアリスは服を切られることはなかったのである。
「いや、アリスが負けるからなんだけどな?」
「うぐっ…」
こうなることを予見していたのか、ここに来る直前にレオンハルトは服や鎧を修繕する術をフィアに覚えさせられていた。慣れないなりにアリスの服をすぐさま修繕したレオンハルトは、アリスがつかれたくない点に切り込んだ。分が悪くなったアリスは視線を逸し、レオンハルトの反撃を無視する。
それも程々に終わらせ、先ほどの戦闘の良かった点悪かった点をアリスに上げさせ、気づいていないことがあればそれをレオンハルトがつけたした。その後改良点を上げさせる、ということがレオンハルトが今決めた方針だった。与えられてばかりでは成長できない。それを危惧してのことだ。
「さてと、今回はこんなとこだな。他に来る敵もいない……はずだったんだけどなぁ」
「他にも敵が?」
「うん。
「え……。…あれは飛竜?」
レオンハルトの視線を辿ったアリスも、上空から迫り来る敵を目で捉えた。ダークテリトリー側で、人界とよく似た飛竜に跨る敵は1種族だけ。人界の整合騎士と対とも言える暗黒騎士だ。
力が全てのダークテリトリーだが、その中でも数少ない正統派。姑息な手を使うことがない者達の一人だ。対等で戦いたいのか、ある程度高度が下がると飛竜から飛び降り、レオンハルトとアリスの前に着地する。レオンハルトはアリスを後方に下がらせつつ、土煙で姿が見えなくなった暗黒騎士を警戒する。
「ふっ、今度こそ私が勝たせてもらうぞ」
「…その声と気配。間違いない、か。ジャックだな?」
「あぁそうだ!貴様を殺す男だ!」
「萎えた。帰れ」
「はぁぁ!?」