ピョンピョン進みますぞ。
レオンハルトがエルドリエの下に駆けつけた時には、既にキリトたちの姿がなく、気を失っているエルドリエをデュソルバートが介抱していた。シンセサイズの秘儀の際に本人の最も大切な記憶が抜き取られる。その代わりに植え込まれるのが『敬神モジュール』と呼ばれるものであり、公理教会に絶対の忠誠心を植え付けられるのだ。
しかし、記憶がなくとも心は覚えている。抜き取られた記憶に関する情報を知った時、整合騎士は激しく動揺することになる。そして、まだ一年しか経っていないエルドリエは馴染みきっていなかったのか、モジュールが抜けかけたのだ。
レオンハルトは、エルドリエの様子を確認しながらデュソルバートに声をかけることにした。矢を放ったことは辺りを見れば分かるが、肝心のキリトたちの姿がない。戦闘の跡もエルドリエとのものだと見て取れる。つまりデュソルバートはキリトたちと戦闘と呼べることをしていないのだ。
「デュソルバート、敵は?」
「レオンハルトか。あの者たちは逃亡した。飛竜に乗りながらだったのだが、地上に降りたときには姿を消していた」
「追わなかったのか?」
「気配すら消えたのでな。仕留めることはひとまず諦め、騎士エルドリエに治療を施すことにした」
「……なるほど」
エルドリエに近寄り、外傷の有無を確認する。幸いモジュールは元に戻っているようで、今は気を失っているだけなのだろう。このまま外で寝かせるわけにもいかず、レオンハルトとデュソルバートはなるべくエルドリエに負担が掛からないように気をつけながら部屋へと運んだ。
エルドリエ本人の部屋へと運びベッドに寝かせる。最後にもう一度だけ異常がないか確認した二人は、静かに部屋を後にした。
デュソルバートは真面目な男だ。姿を消したキリトたちがまた現れると予想し、すぐさま捉えられるようにと先程の場所へと戻ろうしているのだから。当然それを止めたのはレオンハルトだ。止められる言われはないはずなのに。
「なんのつもりだ」
「どうせすぐには戻ってこないさ。それに、あいつらの始末をどうするかはファナティオの判断に任せることになった」
「副騎士長殿の? どういうことだ」
ファナティオとの会話を包み隠さずに全てデュソルバートに教える。硬派な男であるデュソルバートはその内容を訝しんだが、副騎士長が決めたのであればと引き下がることにした。
しかし、この男も少々頑固なところがある。朝にファナティオと話し、先に二人を見定める許可を漕ぎ着けようと言うのだ。レオンハルトも、二人を見定める役がファナティオでないといけないとは思っていない。騎士長が不在の中騎士たちを従えさせられるファナティオなら、他の騎士も黙るだろうと考えていただけだ。
殆どの騎士からいい顔をされない自分でなければ誰でもいい。ファナティオから許可を取った上での決定なら、堅物で知られるデュソルバートの言葉も通用する。
「ま、好きにしろよ。それならお前も明日に備えて寝てろ」
「一日寝なかったところでどうということはない」
「俺は自分の立場を理解している。あいつらの処遇を決められるわけじゃないってな。それなら俺が一晩起きてて警備してたらいい。ソルスが昇って2度目の鐘が鳴ったら寝させてもらう。その時にはお前らも起きてるわけだしな」
「……まさか貴殿がそこまで殊勝とはな。何か企んでいるのではないかと疑いたくなってしまうぞ」
「ひでぇなおい。……さすがに今回はふざけないさ。曲がりなりにもエルドリエを破った相手なんだからな」
「……わかった。ここは貴殿に任せよう」
レオンハルトが本気でそう考えていると分かったデュソルバートは、ようやく折れて己の部屋へと帰っていった。それを見送ったレオンハルトは、エルドリエとワインを飲みかわしたベンチにもう一度座る。今度はワインではなくただの飲料水と少量の食べ物を持って。
「気配すら消えたってことはお前が助けたってことだろ? 腐らずに待ち続けた甲斐があったじゃないか
誰の耳に聞こえるわけでもない。もちろんカーディナルという人物にも届いてはいない。
だがレオンハルトは言葉を放った。隠しきれない不敵な笑みとともに。
一晩待つもキリトたちが出てくることはなかった。レオンハルトはそのことに落胆することなく、むしろ期待を高めて部屋へと戻っていった。途中でデュソルバートがファナティオから許可を取ったことを知らされながら。
☆☆☆
アリス・シンセシス・サーティは、元老院から下された命令と副騎士長が放った指示が食い違っていることを当然耳にしている。普段のアリスならそのことを指摘し、どういうことか問い詰めたであろう。
しかし、昨夜レオンハルトがファナティオと話をしていたことを知っているためそうはならなかった。「こういうことか」と納得し、持ち場につく前に一度部屋へと戻った。
部屋で待っていたフィアに先程までのことを全て話していると、しばらくしてレオンハルトが帰ってきた。てっきり寝ぼけながら帰ってくるとアリスは予想していたのだが、レオンハルトは今が最高調だと言わんばかりに目が冴えていた。フィアはその理由を悟ったが、アリスにはさっぱり分からなかった。
「……もしかしてレオン、楽しんでますか?」
「んぁ? 楽しんでるように見えるか?」
「そう感じます」
「そうなのか。ま、楽しんでると言うよりかは、期待してるってとこだな。あいつらがどこまでやれるのかを」
聞く人によってはレオンハルトも反逆の意思ありと判断されるような発言だった。幸いレオンハルトを嫌う者はまずこの階にすらこないため、聞かれることもない。
アリスもレオンハルトのこの発言には面くらったが、レオンハルトが発言したというフィルターを通すことでその真意を推し量ることができた。
──戦うことが楽しみだ
──俺の所までたどり着け
要はこういうことなのだ。同じ整合騎士との模擬戦ならレオンハルトも退屈しない。しかし味方である以上、極力怪我がないように気をつけている。ダークテリトリー側との戦いも張り合う相手がいない。
しかし今回の反逆者は違う。既に整合騎士を一人倒しているためその実力は騎士たちと遜色ないことは明白。しかも己の武器が無い状態で勝っているのだ。レオンハルトが普段からアリスに教えている『臨機応変な戦い』。それができる相手なのだ。レオンハルトが楽しみにするのも無理はない。
「アリスは80階だっけ?」
「はい。レオンはそれより上のどこかで待機、だそうですよ」
「ん、わかった。……今から80階行っとくか」
「今からですか? 私はそのつもりですけど、レオンも来るのですか?」
「昼寝には持ってこい」
「あ、なるほど」
「そう言うと思って準備してるわよ。さっそく行きましょうか」
レオンハルトに軽食と飲み物手渡したフィアが、籠を持ってそう告げる。アリスはあの二人が自分のところまでたどり着くとは考えていない。しかしさすがに緊張感は持っている。
そうだと言うのに保護者二人は、まるでお出かけだと言う勢いの気楽さでいるのだ。不覚にも力を抜かれてしまっていることを自覚しながら、遊びじゃないのだと二人に忠告して部屋を出る。
三人が向かう80階は『雲上庭園』と呼ばれる場所であり、ソルスの光がよく差し込むようになってる場所だ。庭園と呼ばれるだけあり、セントラル=カセドラル内部では珍しく緑が多い場所である。
「よし、寝る!」
「そんな気合を入れて言われても……」
「お昼時には起こすから、それまではゆっくり休んでちょうだい。さ、
「ありがとうフィア」
「……もうツッコミませんよ」
上限に達していると思うほど既に仲が良かった二人が、知らぬ間にさらに仲良くなっている。そして目の前で膝枕という胸焼け展開が起きるのだが、もうこの二人に何を言っても仕方がないとアリスは諦めていた。
ため息をついてしまうのだが、すぐに寝息を立て始めて気持ちよさそうに寝ているレオンハルトと、そんな彼の頭をゆっくり撫でながら微笑んでいるフィア。そんな二人の様子を見ると、苦言も出なくなるというものだ。そして、この二人はずっとこんな調子でいてほしいとアリスはで望むのだった。
フィアの隣に腰掛け、愛剣である『金木犀の剣』の天命を回復させる。フィアは"遠視"によって反逆者であるキリトたちの様子を見ることができる。フィアはその二人のことを見ているはずなのだが、アリスには伝えなかった。そしてアリスもまた聞くことはしなかった。
──それは騎士たちを信じていないということだから
だからアリスはフィアと他愛もない話をした。エルドリエとの訓練がどうとか、レオンハルトとの訓練がどうとか、料理の種類を増やしたいとか、そんないつもと変わらぬ話を。
その話が終わったのはレオンハルトが目覚めてからだ。フィアは時間になるまで寝かせるつもりだったが、本人が起きたのだから何も言わなかった。レオンハルトに挨拶を告げ、持ってきた籠から昼食を取り出す。いつも通り三人で食事を取るのだ。
「これはアリスも手伝ったのか?」
「そうですけど……分かるものなのですか?」
「俺を誰だと思ってる。フィアの料理を一番食べてるんだぞ。それに、アリスの料理のことも最近細かく分かるようになったしな。味付けを少し変えてみたんだろ?」
「……正解です。口に合いましたか?」
「おう! フィアもいつもありがとな!」
「いいのよ。こうやって食べられることが嬉しいんだから」
また惚気が始まった。アリスはそう思うしかなかったが、それでもこのやり取りを見る時間が好きだと思うようになっていた。
フィアが多くの種類の料理を作れるからレオンハルトも舌が鍛えられたのか、はたまたレオンハルトが味に細かく気づけるからフィアの腕が上達していったのか。それは聞かなければわからないことだが、アリスは二人のことを根掘り葉掘り聞くことに躊躇う。
何故か踏み入れることが怖いから。だが、この二人と一緒にいられる時間はアリスも好きだ。そしてどこか二人のやり取りを羨望の眼差しで見ていた。
どういう状況であれ、やり取りを変えないでいられる関係性。
その絆の強さ。
お互いを想い合う心。
この二人以上の関係性を持つ人物はいないだろうと、アリスがそう思うほどに二人は親密だった。そしてその関係が羨ましいとさえ思うのだ。
そんな時間は昼食を取り終えたら終わってしまった。完全に目を覚したレオンハルトが、フィアと共にさらに上階へと上がっていくからだ。
真っ当に考えれば持ち場につくために。
レオンハルトの性格とフィアの力を含めて考えれば、
そのどちらなのかを聞かずともアリスは分かった。だが既に持ち場についているために何か行動するわけでもない。引き続き少しでも愛剣の天命を回復させるためだ。
一方、アリスがいる80階よりさらに15階上がり、95階にレオンハルトとフィアは陣取った。キリト達がアリスをも突破できるのか、愛弟子が負けることはないと確信しながらも期待してしまう。矛盾した思想をするレオンハルトの頬をフィアは引っ張ってからかい、レオンハルトはそれを払いながら肩の力を抜く。
「そっち座るか」
「いいわね。……肩を借りても?」
「もちろん。気にせずよりかかってくれていい」
「ありがとう」
95階は『暁星の望楼』と呼ばれる場所だ。飛竜の発着場以降、頂上まで外に出られる場所は基本的に無いのだが、ここだけは壁がない。しかし95階であるのだから外を眺めるしかできることはない。落ちれば騎士であれさすがに天命が尽きてしまうから。
そんな望楼の端に二人は腰掛け、外を眺めながらフィアが同時に"遠視"でキリトたちの様子を見る。外を眺めると言っても町が見えるわけではない。雲の隙間からは見えるが、建物が小さく見える程度だ。視界の殆どは空と雲を捉えている。
アリスの下へとたどり着いた二人だったが、キリトとアリスの一騎打ちが始まり、その間ユージオは見届け人となった。
アリスが圧倒していたのだが、さすがのレオンハルトとフィアも予想できなかった事態が起きる。アリスとキリトの《完全武装支配術》がぶつかり合い、その破壊力が『不朽の壁』を一時的に破壊したのだ。
──つまりアリスとキリトは壁の外に放り出された