キリトたちにとってソードゴーレムの出現は予想外だった上に、絶望的な存在だった。関節部分を攻撃したところで砕くこともできず、大してダメージも入っていないのかすぐさま反撃された。
そんなソードゴーレムに雷撃を浴びせながら現れたのがキリトとユージオを導いたカーディナルだった。カーディナルはソードゴーレムに雷撃を浴びせて半壊させ、重症を負ったキリトとアリスを癒やした。
アドミニストレータと同等の実力を持つカーディナルだったが、ソードゴーレムが人間の姿を強引に変えられた存在だと知ると戦うことができなくなった。カーディナルは人を殺せないという制約があるからだ。
そしてソードゴーレムは30の剣によって形どられているが、その剣はアリス以外の30人の整合騎士の記憶によって動くのだ。しかしそこでアリスは疑問を抱いた。なぜなら、レオンハルトは一度も記憶をとられていないはずだからだ。
「レオンの記憶は取っていないはずです。30個目はどうしたのですか?」
「あー、簡単なことよ。レオンハルトは
「……え?」
「なるほど。リゼルやフィネルが後からその座を奪い取ったように、レオンも後からスリーという座に就いたのか」
リゼルとフィネル。キリトとユージオが殺されかけた二人だが、この二人は整合騎士となっているものの実力は騎士見習い同然だ。それは前任者の二人を暗殺したことで特例として整合騎士と認められたからである。
そんな人物がいることを知っているからこそキリトはその答えに至ったのだ。しかしそんな答えに至ったキリトに怒る人物がいた。
「レオンが前任者を殺したというのですか!? そんなことありえません! 斬り伏せますよ!」
「ごめんごめん! そういうつもりじゃなくて!」
「アリスちゃん。レオンハルトは殺してないわよ。ただ単に前のスリーだった子がすぐに死んじゃって、その騎士の代わりにレオンハルトがスリーになったのよ」
「あ、そういうことでしたか。でしたらいいのです」
「……おぬし本当にレオンハルトのことが好きじゃのぉ〜」
「はぁっ!? な、なにを言っているのですか!?」
「……アリスちゃんも乙女ねぇ。生きてる年数的にお爺さんが相手よ?」
「で、ですからそんなわけではありません!!」
図星なのか、それとも誂われてるからなのか、アリスは頬を染めながら必死に否定した。アリスが頬を染めたのもアドミニストレータにさえ誂われてからだったため、本当に気があるのかは誰も知る由はなかった。そもそもアリスすら何も分かっていないのだから。
話はここまでだと判断したアドミニストレータは、ソードゴーレムを動かした。人を殺せないカーディナルは、抵抗せずにアドミニストレータに殺されることを条件にキリトたちを見逃させることを約束させる。
アドミニストレータの神器であるレイピアから雷撃が放たれ、一度、二度、三度と回数を重ねるたびにその威力を上げていった。初めは耐えていたカーディナルだったが、三度目には体を痙攣させながら倒れた。
それをただ見ることしかできないキリトたちは、己の無力さを悔やんだ。導かれ、何度も助けてくれた恩人を見殺しにしないといけないのだから。
「ふふ、ふふふふ、はははははは! 200年、200年間この瞬間を待ってたわ! まだ死なないでちょうだいねー!」
ただ一人、この状況を喜んでいる者がいた。無論、カーディナルを殺したがっていたアドミニストレータだ。誰にも邪魔されず、抵抗もされない。己の好きなようにいたぶれるからか、アドミニストレータは隠すことなく高笑いを響かせた。
カーディナルの天命を削り、己の嗜虐心を剥き出しにするアドミニストレータが、ここにきて最大の威力を込めた雷撃をカーディナルへと放つ。
そんな時だった。
誰もが予想しなかったことが起きたのは。
──バリィン!
まるで窓ガラスが壊れるような音だった。
そしてその光景は本当に窓ガラスが壊れたかのような光景だった。突如カーディナルの上の空間が壊れたのだ。その先は何も見えない白い空間だったが、そこから飛び出した雷撃がアドミニストレータのものとぶつかり相殺する。
「動かない相手をいたぶるのは楽しいか? アドミニストレータ」
「どうやって入ってきたのよ──レオンハルト!」
「……レオン?」
カーディナルを庇うようにアドミニストレータとの間に立った人物は、アリスの師にしてキリトが歯が立たなかった人物。最強の騎士と呼ばれる整合騎士であるレオンハルト・シンセシス・スリーだった。
レオンハルトはアドミニストレータを一瞥すると、カーディナルの天命を回復させてからキリトとユージオへとその体を投げた。
その扱いの雑さに一言言おうとしたキリトだったが、言葉を発せなかった。レオンハルトの雰囲気が先程とは全く違ったからだ。親しみやすい雰囲気だったのに対し、今のレオンハルトの雰囲気は話がけづらいものだ。
そんなレオンハルトをアドミニストレータも訝しみ、様子を見ることにした。レオンハルトはアドミニストレータにもゴーレムにも見向きをせず、アリスの方へと近づいた。
「レオン……フィアは大丈夫なのですか?」
「……まぁ。……それよりアリス、怪我は全部治ってるか?」
「? 全部というわけではないですが、あの方に癒やしてもらえたので」
「そうか。ならよかった。アリスはここで待っててくれ。あとは全部やるから」
「レオン?」
抑揚のない声で話すレオンハルトにアリスは疑問を抱くしかなかった。そして最もアリスが分からなかったのが、レオンハルトがアドミニストレータに立ち向かうことだ。フィアの命を握られているはずで、そんな状況なのにレオンハルトがこの場に来た理由が分からなかった。そもそもどうやってここに来たのかも。
だがレオンハルトはそのことを何も話さず、アリスの頭を優しく撫で、その頬に軽く唇を押し当ててから背を向けた。その行動に大混乱となったアリスは、レオンハルトに何も言うことができず呆然とその姿を見つめた。
「どうやってここへ……それとフィアのことがどうなってもいいの?」
「フィアが用意した道を通った。……それより上からうるせーな。墜ちろよ」
宙に浮かぶアドミニストレータの更に上から暴風を発生させ、それにより床へと叩きつける。レオンハルトがそれほどの神聖術を扱えないとタカを括っていたアドミニストレータは、完全に不意を付かれたために床に足をつくことになる。それだけでは満足しないのか、力を緩めずに這いつくばらせようとする暴風にアドミニストレータもまた同等の風をぶつけることで相殺した。
「この力は!? それに……
「とり……こんだ?」
「フィアを取り込んで自分の力としたのね! ふふっ、滑稽だわ! あれだけ守りたがっておきながら自分のために殺したんでしょ! 思い返せばアリスちゃんの記憶を奪った時もそうだったわよねぇ? 仲良くしておきながら裏切る。それがあなたのやり方かしら、良い趣味してるじゃない。……アリスちゃんの時は2年だった。でもフィアは100年以上。それだけ付き合いのある子を裏切って──今あなたはどんな気持ちなのかしら?」
「あぁ
レオンハルトの今の状態を察し、そのことを指摘すると、今度は真っ直ぐ伸びる豪炎がアドミニストレータを襲った。今度はアドミニストレータも余裕を持ってそれを防ぐ。総合的に見て、神聖術に最も秀でているのはアドミニストレータなのだから、それぐらい造作もないのだ。
アドミニストレータの発言を聞いたアリス達は、全員その言葉に驚愕した。人を取り込むなど信じられなかったからだ。そして最もそのことを信じられなかったのは、当然ながらアリスだった。レオンハルトとフィアの仲の良さをずっと見てきたから、レオンハルトがそんなことをするとは到底信じられないのだ。
(でも……たしかに眼の色が……)
そう。思い当たる節があるのだ。レオンハルトは目を合わせようとしなかったが、アリスは少しの間でレオンハルトの瞳を見ていた。レオンハルトの瞳の色はレッドアンバーだった。しかし、先程見た時は左眼がブルージルコンとなっていたのだ。その瞳の色をしていたのは他でもない。
──フィアだ
つまりアドミニストレータが語っていることは真実なのだ。レオンハルトはフィアを殺し、己の力の糧とした。その証拠が左眼であり、白味が増した銀髪の髪なのだろう。そして、まだ鞘に納まっているが、レオンハルトの神器もまた色に変化があった。
「レオン……本当なんですね?」
「……まぁな」
レオンハルトは否定しなかった。自分がフィアを殺したのだと。その事実を知ったアリスはその場に泣き崩れた。6年間共に生活し、神聖術だけでなく家事も教わった。あらゆる分野をフィアから教わり、導かれた。そんな彼女を失ったのだ。
だが、アリス以上にフィアと絆が強かったのは他の誰でもない──レオンハルトだ。
いったいどれだけの喪失感があることか──
そうしないといけなくなった現状に──
それを覆せない己に──
──いったいどれだけの怒りを覚えているのだろうか
──どれだけの悲しみを、いや絶望を抱いたのか
それを推し量れるものはどこにもいない。涙によって充血した目から得られる情報にも限りがある。推し量ることなど不可能だ。
「アドミニストレータ。逆恨みではあるが死んでもらう」
「あなたにそれができるかしら? まずはそこのソードゴーレムを突破できるの?」
「あ?
レオンハルトが神器を抜刀すると、やはりその刀身にも変化があり、刀身はフィアの髪色さながらの純白となっていた。その剣をその場から動くことなくゴーレムに向かって振るう。たったそれだけのことだったが、ゴーレムは完全に崩れ、集まっていた30本の剣は部屋中に飛び散った。
「な……なにをしたのよ!」
「簡単なことだ。核の位置が丸見えだし、構造上仕方ないとはいえ、剣で防いでたって隙間だらけだ。
「……なるほど。あなたの能力とはたしかに相性が悪いわね。けど、それでもあなたは私に勝てないわよ。金属武器は私に通じないのだから」
「慢心してろ」
神器を手に取ったアドミニストレータに彼は一瞬で距離を詰めた。《心意》を活用し瞬発力を爆発的に上げることでそれを可能としたのだ。上から真っ直ぐと下ろされる彼の剣を彼女は神器であるレイピアで防いだ。
金属なら殺されないはずだというのに。
それは彼があまりにも自然に武器を振るったからだ。分かりきっていることをするはずがない。つまりレオンハルトの神器が金属ではない可能性が高いのだ。いや、そうだと断定して違いない。
「なんだ防ぐのか」
「その神器……
「
「なるほど……つくづく相性が悪いわね!」
「知ったことか」
アドミニストレータはレイピアを持っているにも拘わらず、レイピア以外のソードスキルをも発動した。ソードスキルはこのアンダーワールドにおいては"連続剣"または"秘奥義"と呼ばれる。並大抵の努力では身につかないものであるが、彼女は己の権限を利用することで再現しているのだ。
しかし、レオンハルトはその尽くを防ぐ。同系統の剣技によって防ぐのではない。常人を超えた反射速度と経験によって、最小限の動きのみで防ぐのだ。キリト以外知らないが、かつてこんな芸当をしてみせたのは、《絶剣》と呼ばれた少女のみだ。その少女と同じことをしているが、動きが少ないことを含めるとその少女すら超えているのだろう。
「その程度か?」
「ぐっ」
連続剣の連続使用すら行った彼女だが、キリトの時と同様に、彼は動じることなく相殺する。そして下段からの切り上げによって、それを防いだ彼女の体を宙高く浮かせる。彼女の体は仰け反り、その視界に天井が映った。体勢を立て直そうとする彼女だが、それよりも防御を優先することを選んだ。彼が天井にいたからだ。
彼は後から追いかけるように跳躍したにも拘わらず、一度彼女を追い越し、天井を足場として再度跳躍することで彼女を上から叩きつけようとしているのだ。その速度は《心意》だけでは説明がつかない。跳躍するために踏ん張った床も、足場として活用した天井も、そのどちらものが抉られ過ぎなのだ。
「死ね」
「なめないで……ほしいわね!」
剣技では彼に敵わない。さらに体勢が不安定なこの状況では隙を晒すだけとなる。そこで彼女が取った行動は、得意の神聖術の仕様だ。レイピアの切っ先を彼に向け、そこから雷鳴を響かせる。
既に天井を蹴っていた彼はそれを避けることはできない。どうすることもできず、雷に体を貫かれる。それを見た瞬間彼女は口を歪め、形成を逆転できると確信した。
──しかしその確信はあっけなくすぐに崩れ去る
雷を受けた彼の勢いが衰えず、本人も天命が減っていることを気にせずに彼女に剣を振り下ろしたからだ。咄嗟に防いだものの彼女の体は床へと叩きつけられる。
アドミニストレータは決して弱くない。ただレオンハルトの力が異常なほどに高まっているのだ。それを実現する仕組みを彼以外誰も分からなかった。叡智をもつカーディナルやそんな彼を目の前にして戦っているアドミニストレータでさえだ。
体を蹌踉めかせながら立ち上がったアドミニストレータは、悠然と立ち、止まることなく剣を振るうレオンハルトを睨みつけた。どこか畏怖したような目で。それもそうだろう。近づいてくる間に雷撃や炎を当てても怯むことなく、むしろその度に加速して迫り来るのだから。
「なんなのよ……あなたいったいなんなのよ! 今まで何もしなかったくせに! 世界に興味なんて持っていないくせに!」
「そうだな。フィアがいなくなった以上世界のことなんぞどうでもいい。だから言ったろ? 逆恨みでお前を殺すって」
「ふざけなっぐぅっ!」
「前しか見ないからだ」
レオンハルトがよく使う手法だ。相手の背後、或いは足元、とにかく視覚外から枝を飛び出させてアドミニストレータの腹部を貫く。それによって怯み、動きが止まった一瞬を彼が振るう剣が襲った。
たった一振り。それだけを受けた彼女の天命は、本来ならありえない程に削られた。急いで距離を取った彼女を追撃しようとした彼だが、その体は前に進むことなくその場で崩れ落ちた。
「レオン!」
咄嗟に駆けつけたアリスはレオンハルトの容態を確認し、そこで気づいた。さっきまでの力は"時限付き"だったということに。
痙攣する体。異様なまでに溢れ出る大量の汗。激しく乱れ満足にできない呼吸。それらが裏付けとなった。
「ふ、ふふっ。勝負はあなたの勝ちでいいわ。でも、最後に笑うのは私よ」
もうレオンハルトは戦えない。それが分かったアドミニストレータは、外界へ逃げるためにコンソールを操作した。天井に突如生まれた謎の穴。おそらくはそこから外へと出られるのだろう。
カーディナルも気を失ったまま。アリスもレオンハルトの容態に動揺しているため大した攻撃を放てない。キリトやユージオが神聖術を放つも、二人は神聖術が得意というわけではない。アドミニストレータが容易く相殺する。
「それじゃあね。……ふふっ、レオンハルト。私を殺せなかったということは、フィアが無駄死にだったということになるわね」
「! 最高司祭様……あなたという人は!!」
「ゲホッガハッ。……アドミニストレータ。俺はもう言ったことを違える気はない。お前を殺すといったからには殺す」
「どうやって?」
「今が最後の機会だってことは分かってるさ。なぁ、そうだろう?
レオンハルトのその言葉に呼応するように、部屋の端で力なく横たわっていたチュデルキンが起き上がり、己に炎を纏わせてアドミニストレータへと飛びついた。誰もがチュデルキンにこんな力が残っているとは思っていなかった。レオンハルトを除いては。
6年前にレオンハルトがアリスをシンセサイズさせたあの日。レオンハルトはチュデルキンに攻撃を加えていた。その時にチュデルキンの脳に"種"を植え付けていたのだ。こういう日が来ることを信じ、チュデルキンを操れるように。
「最高司祭猊下ぁー! 小生もお供しますー!」
「チュデルキン離しなさい! あなたなどいらないのよ! 早く離せ! 私の天命が……!」
「お前が道具と思ってた奴に殺されろ」
「おのれレオンハルトぉぉー!!」
「手向けだ。クソ……が……」
「レオン……? レオン! しっかりしてください!」
アドミニストレータとチュデルキンの天命が尽きると同時にレオンハルトは意識を失い、アリスの腕の中に倒れ込んだ。