果ての山脈にあるとある洞窟。今では何もない空間でしかないのだが、約100年前まではそこには十数本の花の芽が所狭しと育っていた。その洞窟が狭いわけではない。しかしその芽たちは1箇所に固まっていたのだ。
その植物は何故か僅かに届く日の光では成長しなかった。日が沈み、月が輝く時にだけ成長していた。そしてその植物たちは成長する傍ら、争いをしていた。花を咲かせるためにはさらに根を伸ばし、さらにリソースを吸収しなければならない。それはつまり周囲の同胞が邪魔なのだ。その存在を排除するために植物たちは成長するときに合わせて吸収しあったのだ。己の天命さえも奪う力にしてまで。──まるで己のみが花を咲くのだと言わんばかりに。
やがてその争いを制した一つの植物が花を咲かせた。が、普通ではないその花はやはり異常をきたした。その花は開花した次の日には姿を変えていた。
──美しい女性へと変わったのだ
花が意志を持ち、そう願ったのか。それとも何かの因果により、突然変異となったのか。その真実は本人にもわからなかった。
その女性は外に出るとすぐに木を衣服へと変化させ、それを身に纏った。羞恥心によるものではない。肌寒さを凌ぐことが目的だ。
やがて人が住む場所へとたどり着き、言語を学び、その集落の一員となった。その美しさに目を引かれる者も多くいたが、その美しさ故か言い寄る者は現れなかった。
その女性は衣食住を提供する人たちへのお礼として、己が扱える神聖術を行使し、大いに助けた。その話が広まることはなかったが、人界初の整合騎士に目撃されたことによりその存在は最高司祭の知るところとなる。
非常に慎重に行動する最高司祭は、己の世界に脅威となり得る存在を容認できない。極度の心配性とも言える。人界の守護竜たちすら殺すような人物だ。そんな最高司祭が取った行動はいたって明快。
──殺害するのみ
しかし、整合騎士では相性が悪い相手だ。物質を変化させることすらできる彼女が神聖術に秀でていることは明白。未だ修行を積んでいる身では到底太刀打ちできない。そのために最高司祭はその重い腰を上げるしかなかった。
「死になさい」
「ぇ?」
二人はちょうど集落から離れている時に遭遇し、そして一方的な攻撃が始まった。混乱する女性は、防衛本能に従い次第に抵抗を始める。瞬時に同じ神聖術を放つことで相殺するのだ。
それは決着がつかなくなるものだと思われた。しかし実際にはそうならなかった。彼女の暴走が始まったのだ。
元をたどれば奪うことで成長した植物だ。
──目の前に己を脅かす脅威があるなら殺す
──そのためには何でも犠牲にする
その衝動を抑えられず、天命を犠牲にしてまで最高司祭が放つ神聖術すら凌駕し始めた。それが明確に最高司祭へと放たれていたら最高司祭も危うかっただろう。しかし、暴走した彼女の狙いは散漫なもので、せっかくの神聖術もそのほとんどが無駄打ちと化していたが、それも次第に狙いが定まっていく。
それには冷や汗を掻いた最高司祭だったが、彼女が暴走を始めてからというもの、空間リソースの減りが少なくなっていることに気づいた。
「自滅するのが落ちね。私はそれまで凌ぐだけでいい」
「悪いがそれはやめてほしいね」
彼女の自滅を待つ。方針を変えた最高司祭の後ろからその者は現れた。これと言って特徴があるわけではない。どこにでもいるであろう少年。取るに足らない存在。
そんな少年なのだが、その瞳からは強い意思が読み取れる。彼女を死なせたくないという意思が。
「……何のようなのよ」
「あの子を死なせない。それだけだ。俺が敵対する気がないのはお前も分かってるだろう?」
「わざわざ出てきた私がそれを容認すると?」
「あの子を止められたらその後にお前を納得させられる条件を提示する。納得できなかったら殺せばいい」
「……はぁ。あなたには借りがある。それを全て無くす代わりに認めるわ」
「借りがあるくせに上からだなぁ。……ま、いいけど。それじゃあちょっと止めてくる」
突如もう一人現れたことで一旦攻撃を止めていた彼女だったが、その者は立ち去る意思がなく、それどころか向き合った。その行動を敵対と判断し、再び神聖術を放ち始める。
彼はそれを完全に防げる程の実力はない。悠々自適な生活を望んでいたのだから当然だ。それ故に彼が取る行動は一つしかなく、それを臆することなくすぐに実行した。
今度は最初から狙いを定められていたが、防がなくてもいい神聖術もある。彼は全力で一直線に走り、正面から飛んでくる神聖術のみ
「捕まえたっと」
「ゔぅーっ!」
「だから喋ろうってば……。とりあえず敵意がないことを伝えればいいかな」
「アァ……ぁ……」
「落ち着き始めてくれてそうなんだけど、神聖術はぶっ放されるんだ……」
彼が行っていることは、この状況に合っていないようなことだ。まるで暴れる子供あやすように彼女をそっと抱きしめ、一定の間隔で背中を優しく叩く。そんなことで止まるはずがないと誰もが思うようなことだった。
そのはずが彼女の暴走は次第に弱まり、終いには完全に止まった。その光景にさすがの最高司祭も呆れるしかなかった。
「ごめ……ん、なさ……い」
「ん? いいよ別に。それより天命が尽きかけてるね」
「……いいんです」
「駄目駄目。それだと助けた意味がなくなるから。とりあえず俺のを奪って」
「え……」
「敗者は勝者の言うことを聞くものだし、やっちゃってね。その剣に
「……わかりました。……ごめんなさい」
誰にも教えていないはずの能力を言い当てられたことで彼女は折れた。常に持ち歩いていても一度として使ったことがないその剣を彼に突き刺し、彼の天命を吸い取り己のものとする。そうすることで尽きかけていた天命をある程度回復させることに成功した。
天命の心配がなくなったからか、それとも慣れない戦闘で張っていた気が解けたからか、はたまたその両方なのか。彼女は彼の体に寄りかかり眠りについた。
その一連のやり取りを見届けた最高司祭は、彼へと近づき先程話していた条件の話を切り出した。互いに譲れない点、妥協できる点など存在し、その話し合いは日が沈むまで続いた。その結果、それまで気の赴くままに生活していた彼は、先日命を落とした整合騎士の代わりにシンセシス・スリーの位置に就くことになった。
☆☆☆
「んっ、んん〜。……ここ、は?」
「お、目が覚めたか」
「あなたは……たしか……」
「自己紹介はひとまず置いといて、とりあえずは確認かな。ここはセントラル=カセドラルにある一室。ここで生活するから。それで、容態は?」
辺りを見渡していた彼女にそう教え、容態を確認する。特に問題がないことがわかると、彼は飲み物を用意して手渡す。頭が追いつかない彼女だったが、温度が調節されたその飲み物で温まると、ひとまず落ち着くことができた。
「自己紹介するか。俺はレオンハルト。この前任命されちゃったから、レオンハルト・シンセシス・スリーってのが正式名だがな。レオンでいいよ」
「わかりました。レオンと呼びます」
「あ、それと敬語とかじゃなくていいから。それで君の名前は?」
「……無いわ。名前なんて持ってないし、あそこでもなんか崇められてる感じがあって、誰も名前をつけてくれなかった」
「ふーん?」
名前がないとは思っていなかったレオンハルトは、どう呼んだものかと考え込んだ。その集落でどういう生活を送って崇められることになったのか、それも若干の興味はあるが、そこまで聞き出す気はないらしい。
神聖術とは無縁の生活を送っていた人たちの元に突如現れた美しい女性が、集落を飛躍的に発展させるほどの手助けを神聖術でした。それだけで十分に崇められる対象となり得るのだが、彼女はそのことに気づいていない。そして詳しい事を知らないレオンハルトもまた気づきようがない。
「でも名前が無いのは不便だな。というか俺が困る。なんて呼んだらいいか分からないし」
「なら名前をつけて」
「え?」
「だってレオンが困るのでしょう? それならレオンが私の名前つけて」
「マジで?」
「うん」
レオンハルトは天を仰いだ。と言っても天井があるため、その視界にはシミ一つない綺麗すぎる天井しか映らないのだが。
視線を戻すと彼女のブルージルコンの瞳が真っ直ぐとレオンハルトの目を射抜く。本当にそう思っているということだ。それが分かったレオンハルトは、考え込んだ。今までで最も考え込んだ。それもそうだろう。名付け親になる経験などないのだから。
「難しいな」
「そんなに?」
「そりゃあな。……んー、フィアはどうだ?」
「フィア?」
「うん。フィア」
「フィア……フィア……うん。いい響きね。ありがとう」
「気に入ってくれて何よりだ」
何度か名前を自分で呼んだフィアは、その名前を気に入り柔らかい笑みと共に礼を言う。レオンハルトも笑みを返す。フィアの名前が決まったところで、レオンハルトは最高司祭と取り決めたことをフィアにも教えた。
フィア一人に大きな制限がかかるものとなってしまったが、フィアは文句を言うことなくそれを受け入れた。生きていられるだけありがたい状態だったことを自覚しているからだ。
それでもレオンハルトは、フィアに対して申し訳ないという思いを拭えなかった。だから、時折彼女を連れて飛竜に跨がり、外へと連れて行くという共同生活が始まったのだ。
「ふふっ、こうやって連れ出してくれてありがとう。もちろん天翔もありがとう」
「どういたしまして。……いつか必ず自由に外を出られるようにするから」
「うん。待ってるわ。あなたとの生活でも十分だけど」
☆☆☆
「……夢か。懐かしいな。……アリス?」
目を覚ましたレオンハルトの寝所に、アリスがもたれ掛かるように眠っていた。その手はレオンハルトの手と繋がれ、可愛げな寝息をたてていた。寄り添ってくれていたアリスの髪を撫でていると、部屋にベルクーリが入ってきた。
「やっと起きたか」
「ベルクーリ。俺はそんな寝てたのか?」
「丸二日はな。ま、黒髪の坊主よりは先に起きたわけだが」
「キリトが目を覚ましていない? どういうことだ」
レオンハルトは気を失ったためにその時に何があったのか把握していない。ベルクーリもその場にはいなかったのだが、アリスやユージオ、そしてカーディナルから話を聞いており、それをそのまま伝えた。とはいえベルクーリもまた全てを聞かされているわけではない。外部の人間とのやり取りに関しては何も知らないのである。
寝所から降り、代わりにアリスを寝かせながら話を聞き、レオンハルトも現状を把握する。キリトが意識を戻さないこと。東の大門の天命がいよいよ尽きかけていること。そしてカーディナルが後方支援として参戦することを。
「カーディナルは殺しができないからな。でもま、十分すぎる戦力であることに違いない」
「そうだろうな。聞けばファナティオの傷も治してくれたらしいしな」
「そうだな。……戦争の準備も編成も任せる。俺は隊を率いるなんて向いてないし、集団行動なんてできないしな」
「オレも向いてるわけじゃねぇんだがなー。仕方ねぇ奴だ」
「悪いな。……それと、しばらくは一人にさせてくれ」
「……そうだな。オレは戦争の準備に戻る。他の奴にも伝えとくが、せめて嬢ちゃんとは話してやれよ。ずっと側にいたんだから」
「…………あぁ」
ベルクーリが退室し、2度鐘が鳴ってからアリスは目を覚ました。自分が寝てしまった時の記憶もなく、気づいたらレオンハルトの寝床に自分が眠っていたという状態だ。寝ぼけて重たい瞼をなんとか持ち上げ、周囲を確認する。
「私……寝てしまっていたのね。……あれ? レオン?」