ルーリッド村──正確にはその外れ──で過ごすこと数日。ユージオとアリスは滞在中にユージオの元の天職である樵をしていた。客人扱いをされる反面、元よりこの村の住民なのだ。何かしらしないと落ち着かないのだろう。何もしないで食事と寝床を提供されるのは耐え難いらしい。レオンハルトは二人のように樵をすることはなく、時折村へ出かけては何かをしている。何をしているかをアリスが聞いても「大したことじゃない」とだけ言って内容を話そうとしないのだ。
「お前はいつ復帰できるんだろうな」
「……」
「お前にはお前の役目があるんだろうし、復帰するならさっさとしてほしいものだな。……話しても無駄か。聞こえてるのかも怪しいし」
そのレオンハルトは、今キリトがいる部屋でキリトに語りかけていた。普段の気楽さもなければ反対に力強さもない。何も読み取れないような虚ろな瞳で。本人からすれば今が気を抜いた時のようだ。アリスを始めとした他の人物といるときは意図的に目に光を燈している。
「何をしているんだい?」
「ユージオか。大したことじゃないぞ。こいつはいつ復帰するんだろうなって見てただけだ」
部屋の入り口から声をかけるユージオに背を向けたままレオンハルトは言葉を返す。すぐに振り向いてしまっては、自分の
「僕も気にはかけてるんだけどね……。そもそも原因が分からないし、カーディナル様は心配する必要はないって言ってたけど」
「カーディナルがそう言ったのならそれでいいだろ。それよりユージオは俺に用があってきたんだろ? アリスと一緒に戻ってこなかったってことは」
「恐ろしいぐらいに見抜いてくるんだね」
気づかれるような素振りなど一切していなかった。そうだというのに見抜かれたことにユージオは目を大きくした。アリスの慧眼もレオンハルトによって鍛え上げられたことだと本人から聞いたユージオは、レオンハルトの評価を改めねばならなかった。鍛えられたアリスや戦ったキリトと違ってユージオは情報が少ない。戦闘力はアドミニストレータと戦ったのを見たあの一度だけ。ろくに会話もしていない。普段の様子や戦闘以外のことは聞いたことだけで判断しなければならなかった。想定よりも大きな存在である彼を見据え、ユージオは重そうにそれでいて決意を固めて口を開いた。
「なぜ……アリスの気持ちを無視しているんだい?」
「無視、か。それは見当違いだな。俺は応える気はないと明確に言葉にしている」
「そうか? 僕から見れば君はアリスと向き合っていないように思うよ」
ユージオのその言葉にレオンハルトは開きかけた口を閉ざした。図星だからではない。その言葉に呆れてしまったからだ。ユージオになんと言われようとレオンハルトの考えは変わるわけがないのである。それに気づけないユージオは畳み掛けるように言葉を続けた。
「真剣に向き合えよ。アリスのことを無視するなよ!」
「うるせぇなぁ」
「!? ぐっ!」
見当違いなことを続けられたレオンハルトは、自分でも驚くほど暗い声でユージオを黙らせた。その声で僅かに硬直したユージオの胸ぐらを掴み床に組み伏せる。左膝は床に付け、右膝はユージオの腹部の上に乗せる。そうすることで起き上がるのを防ぐのだ。
「俺が向き合ってない? 俺は向き合ってるさ。フィアに向けた想いは永遠に消えない。それなのにアリスの気持ちに応えてどうする? アリスに向かう気持ちがないのにアリスを側にいさせるのか? 何も考えてないのはお前だろ」
「まだ……まだ君は
「過去? お前あいつのことを……あいつの命をその一言で片付けろって言うのか!!」
ガスッ……ガスッ……、部屋に鈍く響くのはユージオが殴られている音だ。レオンハルトの琴線に触れてしまったユージオをレオンハルトは感情に任せて殴り続けた。彼がここまで感情的になるのはフィアのことだけだろう。己への侮蔑は笑って飛ばす男なのだから。
「20年も生きていないお前に何がわかる! お前たちの5倍以上共に生きて、全てを捧げてもいいと思っていた相手を失う苦しみを! 大切な、掛け替えのない存在を守れない虚しさを! この喪失感を! お前らなんかが分かるか! 分かってたまるか!! 共に外で生きることを誓った。争いから離れて、ただ幸せになろうと約束した。その機会を待ち続けていた。それを叶えられなかった! 俺の失敗のせいでな!! この処理できない気持ちをどうしろってんだ! 何も失わなかったお前が答えでも知ってるってのか!? アァ!?」
「ぐっ、うあっ……そん、なの。……そんなのわからないさ!」
「ぐっ……!」
溜めていたものを吐き出すように叫んだレオンハルトが、一瞬膝による拘束を疎かにした。押さえつけが弱まった瞬間を見逃さなかったユージオは、レオンハルトを押し倒して素早く馬乗りになる。形勢を逆転させ、レオンハルトが起き上がれないように押さえ込む。
「君の言ったことは僕にも、きっとアリスもカーディナル様も分からないさ! それでも君は止まってちゃいけないはずなんだ! 忘れろなんて言うわけじゃない。僕だってアリスのこと忘れられなくてセントラル=カセドラルを目指したんだから。でも、君の中で渦巻くその感情はどうにかしないといけないはずだ。それができないとアリスと本当に向き合えるはずがない! 君が留まり続けてたらアリスも道を進めないんだから!」
「はっ! いっちょ前に言いやがって。お前がなんでそんなに荒れるか言い当ててやろうか?」
「なにを──」
「
「っ!」
ユージオの言葉を遮るように放たれたレオンハルトの言葉は、ユージオの核心をついていた。動揺を隠せず瞳を揺らすユージオを見てレオンハルトは口角を上げた。そしてフィアが知ったら怒るほどらしくない顔で追い打ちをかけ始める。
「お前はアリスへの気持ちを忘れられない。アリスを取られたって思ってんだろ? アリスに俺が応えたらお前は諦めることができる。つまり、
──
「うる、さい
「たしか傍付きの子がいるんだったな? 貴族の中でも爵位の低い家の赤毛の子。その子の気持ちを察しているから、そっちなら確実だからお前は本命を諦めて楽な方に流れたいだけだろ」
「うるさいうるさいうるさい! 僕はそんな最低な人間じゃない!」
「いいや違わないね! お前のその狼狽ぶりが証明してるじゃねぇか! 過去を超えろ? 馬鹿を言うな。お前がそんなことを言う資格なんてねぇんだよ!」
「うるさーーい!!」
ユージオの拳がレオンハルトの顔へと振り下ろされる。顔を横に向けることで頬に当たるようにさせたが、口の端が切れたようで血が流れ出す。それでもレオンハルトはそんなことを気にせず不敵に笑っていた。まるで道化のように。嘲笑うかのように。
それを見たユージオはますます頭に血が上り何度も何度も拳を振り下ろす。10回を超えたところでレオンハルトも反撃出た。自由になった腕を動かしユージオの拳を止める。体を起こしてすぐさまユージオを殴る。ユージオもまた負けじと殴り返す。それからはただの泥仕合だ。殴っては殴り返す。ただそれだけのことが続いた。どちらかが気絶するまで続くのかと思われるほど長く続いた殴り合いを止めたのは、一人の少女だった。
「二人とも……何してるのーー!!」
「がっ!」
「いだっ!」
「まったく。様子を見に来たら喧嘩なんて。これをお姉さまが見てたら両断されてると思うわよ」
「セ、セルカ……」
「さすが、アリスの妹……腕が……あるな」
二人を止めたのは、アリスの妹であるセルカだ。フライパンを両手に持ったセルカは、身長が足りないがために椅子を動かし、そこからジャンプして二人の頭にフライパンを叩きつけたのだ。それにより立ち上がって殴り合いをしていた二人は再び床に沈没。何気にこの一撃が最も天命を削ったということにセルカは気づいていない。床に倒れ伏しながら天命を確認し合った二人は、これ以上はまずいと気づき大人しく仲裁を受け入れることにした。
「あなた達はなんで喧嘩なんてしていたのかしら? それにキリトが動けないのに巻き込んでたらどうするのよ」
「そこは配慮していたぞ。なぁ? ユージオ」
「うん。それはキリトに申し訳ないからね」
「はぁ。そこは息があってたのね。なんでそれで喧嘩するのよ」
「ま、男にはいろいろあるんだよ」
「そうそう。僕らだけの秘密だよ」
まだ幼さが残る少女に問い詰められているという状況に耐えられなくなった二人は、どちらからともなく笑い始めた。そんな二人についていけないセルカをよそに、二人は和解の証として握手を交わした。問答していたことの答えは出ていない。だが、これはもう追求し合うものではないと判断したのだ。
結局置いてけぼりになったことで機嫌を損ねたセルカをユージオに押し付け、レオンハルトは用意されている家へと戻っていった。「薄情者!」と叫ぶユージオには良い笑顔でサムズアップを返していたあたり、少しは靄が晴れたのだろう。レオンハルトが戻ると、そこには既にアリスが戻ってきており、夕食の準備をしていた。
「レオン今日は遅かった……ってどうしたのその怪我!?」
「ん、ちょっとユージオと喧嘩しただけだ」
「ユージオと? なんで?」
「いろいろあるんだよ。仲直りはしたからそんな気にするな」
「はぁ。それならまぁいいけど。……戦闘とかじゃなくてよかった。レオンに何かあったら……」
「心配させたか。ごめんな」
アリスの頭を撫でたレオンハルトは、アリスが作ろうとしている料理を覗き込む。アリスは出来上がるまで待っていてと言ったが、それに首を横に振ったレオンハルトは手を洗って料理を手伝い始めた。レオンハルトが料理を作ることは滅多にないが、作れないわけではない。むしろうまい方だ。
台所にこうして二人並ぶことは、アリスにとってもレオンハルトにとってもフィア以来だ。懐かしさに浸りつつ、意識を怠ることなく料理を続け、完成したら共に食べる。食事を取りながら会話を交わし、終われば片付けて順に入浴する。それも終わればまた会話を始め、頃合いを見て寝室へと移動する。それがここでの日常生活だ。
「アリスはなんでこっち来るわけ?」
「話が終わってないから。何かあるんでしょ?」
「……まぁな。とりあえず寝台に腰掛けるか」
アリスに気づかれたことに驚きつつ、その反面成長を喜ぶ。どうしても保護者として、師としての感覚は抜けないようだ。レオンハルトに招かれ、アリスは彼の隣へと腰掛ける。騎士といえどアリスもまた年頃の乙女だ。話をするだけだと分かっていても、今の状況に妙な緊張を覚えても仕方ない。顔を俯かせながらも落ち着かないアリスの様子に苦笑し、レオンハルトは口を開いた。
「俺の話をする前に、アリス。アドミニストレータを倒した日のその後のことを教えてくれ。主にキリトが話していた内容を」
「それは……」
「間違いなく今後のことに影響する話のはずだ。話してくれ」
レオンハルトの真剣な目を見たアリスは、話しても大丈夫なのだと判断し、キリトが話していた内容を覚えている限り話した。そのほとんどがアリスには分からない会話だったが、一つだけはっきりと覚えていることがあった。『アリスをワールドエンドオルターへ連れて行け』それがキリトが言われていたことだ。どういうことなのか、そこに何があるのか。それは分からないが、キリトたちにとって重要なことなのだということだけはアリスにも分かった。
「ワールドエンドオルター? ……そこにアリスを、か」
「どういうことか分かる?」
「推測はつくが、確証はない。アリスこれはまだ他の奴には話すなよ。キリトが復活したらキリトに全て話させるから。それと、今は戦争に集中するべきだからな」
「……分かった」
それがいつになるのか。それは誰にも分からないが、ダークテリトリーを南下し続けた先にあるというワールドエンドオルターを目指すことになれば、それは戦争を放棄するということだ。人界を護るという整合騎士の使命は、アリスの中にも残っている。行くのなら戦争の後だとアリスは心に決めた。その意図を理解したレオンハルトは、話を変えることにした。
「俺は明日にはここ出るから」
「え!? なんでそんな急に! レオンはまだ……!」
「たぶんもう大丈夫だから。先にベルクーリたちのとこに戻っとく」
「なんで一人で! それなら私も!」
「駄目だ。まず俺が一足先に戻るのは、その方が軍にとって良いからだ。整合騎士の中で生存するための手段を教えられるのは俺しかいない」
「それなら私だって教えられる! レオンに教わったんだから!」
「アリスが後から来たらそうしてもらうさ。でもアリスはここに残らないといけない」
「なんで!」
「近いうちにゴブリン達が攻めてくるからだ」
アリスは数秒の間その言葉を理解できなかった。ゴブリン達が村に攻めてくるなど聞いたことがないのだ。その前に整合騎士が撃退する。そうすることで人界の人々は平和に暮らせてきた。そうだというのになぜゴブリンが来るのか。その理由はすぐさま理解した。
「なんでレオンはそれが分かるの?」
「フィアのおかげだ」
「ぁ」
「アリスとユージオがいればゴブリンは簡単に撃退できるだろう。だからそれは任せて俺は先に行く。いいな?」
「……うん」
ユージオだけでも撃退は可能だろう。しかし、ユージオは肩書が剣士だ。アリスの肩書が整合騎士であるのだから、アリスが有事の際に名乗って指揮を取る方が被害が少ない。何よりもこの村はアリスの生まれ故郷なのだから。ユージオもまた整合騎士にはなったのだが、それを知る者はごく一部でありユージオが鎧を持っていないこともあって信じる者はいないだろう。そうしてアリスを説得したところで、レオンハルトは今日最後の話を切り出した。
「アリス。分かっていると思うが、俺はお前の気持ちに応えられない」
「──っ! ……うん。フィア、だよね」
「あぁ。実はそれをユージオに言われてな。そっから口論になってすぐに喧嘩になったんだよ」
「すぐなんだ……」
「うん」
お調子者で温厚なレオンハルトがすぐにユージオと喧嘩した。それはつまりそれだけフィアのことを今も強く思い続けているということだ。すぐに喧嘩をしたということに呆れながらも、実らない想いの虚しさがアリスの心にのしかかる。
「……ねぇレオン」
「ん?」
「一つだけ。今回だけでいいからお願いを聞いてほしいの」
「……俺にできることなら」
「──この一夜だけの愛を私に注いで」
そのお願いにレオンハルトは目を見開いた。応えられないと言った直後であることと、その願いの真意を
固まっていたレオンハルトもようやく戻り、そっとアリスの髪を撫で、手を下げていくことで眼帯で覆う右目にも触れる。返事を貰えないことが答えなのだと思い、諦めようとしたアリスの顎をレオンハルトは軽く持ち上げた。迫る二人の距離。やがて重なる唇。それが答えだとアリスにも伝わり、頬に温かな涙が伝う。その晩二人の影は重なった。
次回には開戦できるんじゃないですかねー。たぶん、きっと、おそらく。