アリスはアンダーワールドとリアルワールドを行き来しながら生活している。アンダーワールドではレオンハルトとフィアがいる家に戻り、セルカにも会いに行く。リアルワールドではキリトたちと交流を深めながら、架け橋としての役割を果たすべく時折会見に参加する。以前のように負担をかけ過ぎないようにと、神代博士たちも強制的にアリスに休暇を与えるようにしている。
そんなアリスの奮闘を誇らしく思いながら、レオンハルトとフィアは自分たちでできることを行っている。アリスたちが通った経路を維持させ、外との会話を成立させることで、アリスが知らない中サポートしているのだ。レオンハルトは元々リアルワールドの住人なのだが、本人にその記憶が無いためアンダーワールド人なのだ。
無論リアルワールド人だとバレればまた世論に影響が出るのだが、むしろ先にバラそうと菊岡は考えていた。レオンハルトもまた自分の本体がリアルワールドにあることを認知しているため、その案に乗っかっており、タイミングはレオンハルトに委ねられていた。記憶が無くとも稀代の天才に並ぶ脳の持ち主だ。リアルワールドの事情を認知すれば再度その脅威を振るえる。
しかし普段はそんな生活から離れている。自由に生きることを第一にしているからだ。
この日もまた窓から差し込む朝日によって目を覚まし、半覚醒の状態でリビングへと向かう。朝に弱いのは何年経っても変わらず、そしてフィアが先に起きて朝食を作っているのも変わらない。レオンハルトは寝ぼけながらフィアに声をかけた。
「おはようレオン。もうできるから運ぶの手伝ってくれるかしら?」
「わかった」
「ふふっ、まだ眠そうね。睡眠は十分取れてるはずなのに」
「まぁ……いつものことだ」
「たしかに」
フィアが食器に食べ物を移していき、レオンハルトがそれを運ぶ。何年も続けていることだが、この何気ない日常を二人とも大切にしている。食事を取るために咀嚼していくうちにレオンハルトは脳が覚醒していき、ここでようやくアリスがいないことに気づいた。
「アリスは?」
「あの子は早朝からリアルワールドへ行ったわよ。アスナたちと約束があるんだって」
「早朝から……。大事な用ってわけか」
「あら寂しいの?」
「否定はしない。けど向こうとそうやって交流を持ててる。それは素直に嬉しく思うよ」
アリスがアンダーワールドとリアルワールドを行き来しているのだが、アンダーワールドのために行動する以上、やはりリアルワールドでの活動の方が多くなる。数少ないアリスとの時間が減ったことにレオンハルトは残念がるも、リアルワールドでの交流を楽しめていることを喜んでいた。どうしても保護者目線になってしまうところがあるのがこの男だ。
「たしか、今日はリアルワールドでは何やら特別な日らしいのよ」
「特別な日?」
「そう。詳細は教えてくれなかったけど、リアルワールドの特別な日の一つなんだって。今日中には帰ってくるって言ってたわよ」
「リアルワールドは特別な日が何個もあるのか。何が特別なのか分からないな」
「ふふっ、たしかに」
☆☆☆
アスナの家を訪れているアリスは、アスナやリズベットを始めとした女友達で台所にて奮闘中である。
「……難しいわね」
「アリスは初めてなのに凝りすぎだと思うのだけど……」
「特別な日に安易に作ってどうするのよ」
「それはそうだけど、こういうのは気持ちが大事かなーって」
「相手を大切に想うからこそ手を抜きたくないのよ。当然でしょ?」
「ごもっともです」
自ら難易度を上げて悪戦苦闘するアリスではあるが、それは相手を想う愛ゆえの行動だ。大切だからこそ手を抜きたくない。そんなアリスの真っ直ぐな心にアスナは止めるのを諦めた。自分にできるもので満足していた一部のメンバーにはその言葉が刺さり、ソファにて沈没している。
料理本を何度も読み直しては自分が作ったものを見て、アスナに味を確認させては頭を振る。元々料理の腕があったために、すでにレベルが高いものを作れているのだが、アリスは満足していないらしい。アスナに食感や舌触り、匂いや味の広がり方など細かく聞いては作り直している。
アスナの母親は昼食を皆に振る舞おうと考えていたのだが、アリスの奮闘ぶりを見て声をかけるのをやめた。アスナたちやアリス本人からAIであると告げられているのだが、その姿勢を見るととてもそうとは思えなかった。本当に一人の少女なのだと改めて認識し、今では彼女もまたアリスの料理作りを手伝っている。
「私はもう売れるレベルにまで来てると思うのだけど……」
「アスナ。アリスさんはそんなこと考えてないのよ。そんな基準を設けていない。あくまで自分が納得できるものにしたいのよ」
「全くそのとおりです。理解していただけて嬉しいです。できればあなたにご教授願いたいのですが……」
「アリスさん本人が味見できたらいいのだけど……」
「ですがアンダーワールドにはレオンがいますし……」
「ねぇねぇアリスさん。それならALOでお義母さんに教えてもらえばいいんじゃないかなってボクは思ったんだけど、どう?」
「「それだわ!!」」
ユウキとアリスを除く他の女子メンバーは、全員リアルでキリトに贈り物をする。そのためリアルで調理する必要があるのだが、アリスはそうではない。レオンハルトに渡すのはアンダーワールド内だ。リアルで完成させたところでそれを持ち込むことができない。そして味見も自分ではできないのだ。
しかし仮想世界ならその隔たりがない。アリスは自分で作ったものを自分で味見することができるのだ。皆がなぜ気づかなったのかと呟くが、本当になぜ誰も気づかなかったのだろうか。
「そうと決まれば早速ダイブだね。お義母さんの分もあるから、ボクらはみんな行けるね。他のみんなは?」
「大丈夫よ。一応みんな持ってきてるから」
「念には念をってね!」
「リズさんの予想が当たりましたね」
「あはは、私達もお兄ちゃんのこととやかく言えませんね」
「貴方達用意よすぎでしょ……。説教してあげてもいいのだけど、今日は許しましょう」
人の家の台所を借りておきながら、まさかの全員アミスフィア持ち込みである。人の家に上がるのが前提なのにそれはどうなのかと、話したいところであったのだが、今はアリスの料理作りが優先である。台所を使わなくなったため手分けして器具を片付ける。掃除まで終わらせたところで各々許可を貰ってダイブを開始した。
アリスたちが来たのは、皆が集まる場所にしているキリトとアスナの家である。家であり拠点でもあるこの場所は、それなりの人数を受け入れられるようにソファなども多めに用意されている。そして当然のことながらキッチンもだ。
今からはアリスの料理作りが始まるのだが、アスナの母こと京子の指導も加わる。京子から見てもアリスの腕前は高いのだが、こういった菓子類は作ったことがないらしい。フィアの手伝いはしても、自分で作ったことはない。そして今から作るものはフィアも作ったことがないものだ。
「ALOとアンダーワールドではまた食材が違うのかしら?」
「そうですね。ですがどれも似通ったものですし、名称や見た目が違うだけで味は同じ、といったものがほとんどです」
「それなら向こうで作る時にアリスさんが自分で判断すれば問題ないのね。……アスナ、こちらで作ったものを持っていくことはできないの?」
「できなくはないだろうけど……。ユイちゃんどう?」
「ママたちであれば別アカウント、もしくは以前のようにコンバートの必要があります。ですがアリスさんはアミスフィアを媒介にしてるわけでもありません。ご自分で来られてるので、こちらで作ったものをアイテム欄に保存しておけば向こうに持ち込むこともできるかと。《金木犀の剣》や雨縁がこちらに来られてるわけですし」
「だそうよ」
「それはよかった。ではアリスさん。早速調理を始めましょう。まずは自分で作ってみて。それで納得がいかなければ私も味見して、理想を聞いて、それに近づけられるように助力するから」
「分かりました」
こうしてアリスのお菓子作りが本格的に始まった。リアルだけでなく、ALO内でも多種多様な器具を用意しているアスナのおかげもあってか、アリスはスムーズに各工程を進めることができた。そしてリアルと違って有り難いのが、時間を削減できることだ。基本的に料理が簡単にできるようになっているのだが、料理を楽しみたい人用に実践モードがあり、食材をどう切るか、どれだけ火を通すかなどきめ細かにできるのだ。温度や時間の設定すれば『温めた』という結果だけを出すこともでき、実に応用が効くようになっている。
そしてそれは今回も大きな助けとなる。料理を固める時間だけをショートカットしてしまい、すぐに完成品の味を確認できるのだから。
「……違う。これじゃない」
「味見してもいいかしら?」
「あ、はい」
「……ふむ。この味に何か加えたいのかしら? それとも味の広がり方?」
「広がり方……ですね。風味と言いますか、口の中で広がる感じにしたくて」
「なるほど。それなら──」
アリスが求めているもの、そしてそれに何が足りないかを把握した京子が説明を始める。アリスはそれを忘れないように記録を取り、アリス以外の女子たちもまたメモに書き込んでいた。料理を本格的にできる機能があるとはいえ、ALOはあくまでゲームの世界だ。現実の食材がそのまま反映されているわけでもない。必要なものがどの名称であるのかは、ゲームをしていない京子には分からず、そこはアスナが逐一フォローしていた。
教わったものを付け加え、再度調理を始める。あとは作っては味見して微調整。その繰り返しである。そうして繰り返すこと一時間。アリスはようやく自分が求めていたものを完成させる。
「やった……できた!」
「ふふっ、おめでとうアリスさん」
「京子さんのおかげです。ありがとうございます!」
「私はあくまで助言しただけ。あなたが自分で完成させたのよ」
「もう。お母さん素直にお礼を受け取りなよ〜」
「アリスさんあとはラッピングだね! いろいろ用意しといたけど、どれにする?」
完成させたものをそのまま渡しても味気ない。贈り物である以上梱包するのも当然だろう。ユウキたちが用意してくれたものを順に見ていき、アリスは頭を悩ませた。この中からどれなら相応しいのだろうか、と固く考えてしまっているのだ。決めかねているアリスに対し、完全に感覚派のユウキが直感で決めればいいと言い放つ。ラッピングも大事ではあるが、やはり中身がメインなのだ。
「そう、ね。……じゃあ──」
☆☆☆
無事にラッピングも済ませたアリスは、皆に礼を言いすぐさまアンダーワールドへと戻ってきた。完成させてすぐにいなくなるのは失礼だとアリスも思っていたのだが、早く届けたいという思いもあり落ち着かなかったのだ。それを察したアスナが今日はこれで解散にしようと言い、アリスもアンダーワールドへと帰れたのだ。
「アスナには改めてお礼を言わなくては。……それにしても、
アリスが手に持っているのは、
託された以上渡さないなどできない。ユウキがレオンハルトに渡す理由もアリスだって分かっている。生き延びられたことへのお礼なのだ。それ以上の意味はない。
アリスは胸に手を当て、数回深呼吸する。これから入るのは我が家ではあるのだが、アリスは二人に贈り物をしたことがない。早なる鼓動がアリスには煩く思え、静めようにもなかなか静まらない。
(緊張などらしくない。私は騎士なのだから!)
自分にそう言い聞かせ、自分を鼓舞する。緊張が抜けることはないが、意を決することができた。ドアノブに手を伸ばし、ただいまと言いながら中に入る。レオンハルトとフィアの両方がリビングにおり、アリスはそこに歩み寄る。
「おかえりアリス。楽しめたか?」
「う、うん」
「? どうしたのアリス。何かあった?」
「何も悪いことはなかったよ。それとは別で……」
珍しく歯切れが悪いアリスに二人は顔を見合わせて首を傾げる。アリスの変化には敏感に気づく二人であるからこそ、悪いことは本当になかったのだと分かる。そしてだからこそアリスの歯切れが悪いことに首を傾げるのだ。
中々切り出せないアリスは、ここでユウキに頼ることにした。ユウキが用意したものをレオンハルトに渡したのだ。預かり物を届ける。緊張を少しでも和らげたらと思っての行動だ。
「これは?」
「ユウキから預かったの。リアルワールドで2月14日はバレンタインデーと言うらしいの。お世話になった人にお礼する日なんだって」
「へー。でもなんでユウキが俺に?」
「それは……」
レオンハルトのその疑問にアリスは答えていいのか分からなかった。レオンハルトは記憶を消してリアルワールドからアンダーワールドへと来ている。そしてリアルワールドのレオンハルトの体から臓器を移植することでユウキが助かったのだ。ということをはたして伝えていいのか。
アリスにはそれが分からなかった。そして答えたくもないと思っていた。そんな現実を知らせたくないと。
「まぁ
「……ぇ」
「レオン?」
だからこそアリスはレオンハルトの言葉が衝撃的で、理解できなかった。フィアは何のことか分からないでいる。そんな二人の反応に苦笑したレオンハルトが言葉を続ける。外と連絡を取った時に知ったのだと。
「知ったのはアリスがここと向こうを行き来するようになってからだけどな。キクオカと話している時に全て話させた」
「レオン。それ私は聞いてないのだけど」
「そうだな。言わなくてもいいかなって。どのみち俺はここから出る気ないしさ」
「はぁ。ほんと勝手なんだから」
衝撃の事実を知り、完全に困惑したアリスはまだ持っている贈り物を渡せずにいた。レオンハルトはなんともないように話し、フィアもまたいつものことかと受け入れているのに。アリスはそれを自分の中に落とし込めずにいた。そんなアリスに気づいたレオンハルトは、椅子から立ち上がってアリスを優しく包み込んだ。
「アリス。俺は気にしてないからさ。だって外にいる俺が選んだことなんだぜ? 俺が騒ぐのも違うだろ」
「でも、レオン……」
「俺はここでフィアと出会い、ベルクーリたちと出会い、そしてアリスと出会った。俺はここで恋をして、護りたいもののために戦って、そしてようやく愛してる人と心置きなく過ごせる時間を手に入れた。ここが俺の世界なんだ。外での生活もたしかにあったんだろう。それで関わってた人も多くいるんだろう。でも、それでもここが俺の世界だから。ここで生きてここで死ぬ。それだけで十分さ」
優しく諭すように、それでいて力を持った言葉でレオンハルトが話す。アリスの気持ちはまだ整理できないだろう。外にいるレオンハルトが病気でなければ、レオンハルトがこの世界に居続けている理由もないのだから。出会えなかったのだから。病気であることに心を痛めながらも、病気であるからこそ出会えたのだと考えてしまう自分をアリスは責めていた。
そうして俯いたままのアリスの髪をそっと撫で、顔を上げさせて唇を重ねる。アリス自身が自分を責めるのなら、レオンハルトがアリスを赦す。言葉では納得しないアリスにレオンハルトは行動で示した。
「……レオン、もう大丈夫。ごめんね」
「いや、どう考えても俺が悪いんだから、アリスは謝らなくていいさ」
「二人とも見せつけてくれちゃうのね〜」
「「あ」」
笑顔で言いながらも機嫌を損ねているフィアに、レオンハルトとアリスはすぐさま頭を下げる。アリスを想って自ら身を引いたフィアなのだが、レオンハルトを慕う気持ち自体が消えたわけではないのだ。
演技に騙されている、とコロコロ笑うフィアに、二人とも大きく安堵する。そうして雰囲気が和んだところで、フィアがアリスに話を振る。アリスがまだ持っている物があるだろうと。
「もしかしてアリスも用意してくれたのか?」
「う、うん。これがフィアの分ね」
「ありがとうアリス」
「そ、それで……これ、が……レオンの……分」
「なんで俺のはそんな恥ずかしそうに渡すんだよ……」
小さな箱を両手で持ち、頬を染めながらおずおずと渡すアリスに首を傾げつつも、レオンハルトも礼を言い受け取る。レオンハルトが受け取ったことに喜ぶアリスなのだが、レオンハルトもフィアも完全に置いてけぼりである。だからアリスにその理由を問い詰めたのも無理からぬことだ。詰め寄られたアリスはさらに顔を赤くし、目を泳がせるも二人から逃げられるはずもなく、恥ずかしそうにか細い声で説明を始める。
「バ、バレンタインデーは、さっき言った理由が本来の意味なのだけど……、アスナたちがいる日本って国だと別の意味もあって……。好きな人に……渡すって意味もあるの」
「あら、素敵な意味ね」
「ありがとうアリス。俺もアリスのこと好きだぞ」
「〜〜っ!」
慣れないことをしてドキマギしているアリスに、レオンハルトは平然と好意を示す。今の状態もあって、アリスはそれだけで顔を真っ赤にし、ソファへと逃げ込み枕を抱きしめて顔を隠した。レオンハルトとフィアも食卓の椅子からソファへと移動し、そこでさっそくアリスからの贈り物、バレンタインデーの定番であるがチョコレートを口にした。
自分では最高の出来だと自負しているアリスなのだが、やはり不安になって二人の様子を伺う。フィアが作ったことがないものではあるが、フィアの料理の腕にアリスはまだまだ追い付けていないからだ。
「美味しい。よくこれだけのものを作れたわねアリス」
「ほ、ほんと!?」
「あぁ。味が広まるし、それでいて濃いわけでない。食べやすくて美味しい。最高だよアリス」
「えへへ、実はね──」
文句無しで褒められたことが嬉しかったアリスは、今日あった出来事を二人に事細かに話した。アスナの母である京子に助けられたことも話し、一人ではできなかったことも隠さず。
「レオン、フィア。私本当に二人のこと大好き! 愛してるわ!」
「ありがとう。でもそれは私達もよ」
「そうだな。これからもよろしくなアリス」
「うん!」
(──残りの限られた時間をアリスのために使おう。それが俺の最後の仕事だ)
『お兄さんは記憶がないから知らないかもしれないけど、どうせお兄さんのことだから知ってるよね。知ってるってこと前提でこの手紙を書いてます。ボクは生まれながらにして病気があった。治らないだろうなって病気が。お父さんもお母さんも死んじゃって、姉ちゃんもボクと同じ病気で死んじゃった。次はとうとうボクの番だなって心のどこかで諦めてた。でもそんな時に先生が治るかもしれないって興奮気味に言うんだ。ボクは半分も信じられなかったけど、手術は受けることにした。だって希望には縋りたいから。そしたら本当に治ったんだ。それはお兄さんのおかげ。本当は直接会ってお礼を言ってコレを渡したかったんだけどね。アリスさんの邪魔はできないから手紙にしたんだ。本当にありがとうお兄さん。精一杯生きるね。 お兄さんのことが大好きなユウキより』
「レオン。この最後の一文について弁明がありますか?」
「待てアリス! 俺はユウキに何もしてないしその気もないからな!?」
「ならこれはどういうことなのよ!」
「それはユウキに聞け!」
「どう思いますかフィア!」
「罰が必要ね〜。とーっても重たいやつ」
「はぁ!?」