記憶の中で思い返すのは五年前。中央アジアの荒野――そこで少女は父と呼べる男を殺した。
その土地はかつて社会主義国家が無理に推し進めた開発の爪痕が残る地だった。強引な灌漑事業が世界第四位の広さの湖を干上がらせ、地表に浮かび上がった塩分は作物を枯らし、水気を失った大地は急速に砂漠へと変わった。
事を起こした国家が崩壊した後も末代まで残る人の恥の地。そこはそんな場所だった。
湖が干上がった事で、操業していた漁船が荒野の上に打ち捨てられていた。昔はこの場所まで湖が広がっていたはずだったが、現在の湖畔までは十数㎞は離れている。
乾燥した大地はひび割れ、水気を感じさせない。そこにぶちまけるように赤い液体が降り注いだ。
乾いた土は液体を貪欲に吸い取り、しかし倒れた人物の血量では地を潤すことなく渇いていく。
「……ああ、これでいい。君に教える事は、もう無い……」
倒れた人物は本当に思い残す事は無いような口調をしていた。
人物は男性で、四十を前にしているアジア系。医療の進歩で人の寿命が延びている現代において、三十四十などまだまだ働き盛りで脂が乗っている年齢のはずなのに、彼の纏う雰囲気は余生を過ごす老人よりも生気がなかった。
彼はこの当時よりさらに五年前、ある戦いで呪いを受けた。それは死に至る呪詛でこうして誰かに殺されることが無くても、早晩呪いで命を刈り取られる運命にあった。
つまり彼はすでに寿命を迎えていて、少女が撃ち込んだ銃弾はそれを少々早めたに過ぎなかった。
「
「……すまない、僕は君が幸せになれる道を用意できない駄目な大人だったようだ」
五年もの間、育ての親だった彼の名を少女は口にした。返ってきた言葉は酷く穏やかで静かな謝罪。
この男は戦闘訓練、魔術鍛錬の際には極めて容赦が無く、実地においては冷酷非道な殺し屋の顔を持っていた。――だが彼、衛宮切嗣はいっそ哀れなぐらいに優しすぎる本性を持った男だった。
そうでなければ、五年前のあの場所で拾われた少女をここまで育て上げ、教え込み、そして最期の時を見せようとしないはずだ。
切嗣の言葉に少女は否定の意味を込めて首を振った。
「そんな事はない。そんな事は……」
「泣いているのかい?」
「――え?」
問われて初めて気がついた。荒野の空気で乾燥した頬を伝う水、涙の存在に少女自身が驚いた。
切嗣が課す課題は本当に苛烈で、泣く間もなかった。泣き言は許されない、そんな中で育った少女は五年間まともに泣いた覚えが無くてこの事態に驚き戸惑ってしまう。
でも彼は一層優しげな笑みを浮かべ、傍に来るよう少女を手招いた。倒れた彼の横に膝をつくと、手が伸びてきて頭の上に置かれた。
「――――あ」
撫でられている。頭に感じる暖かな重みがゆっくり、あやす様に動く。
少女にとってコレが養父に撫でられた最初で最後の記憶だった。
それからしばらく、一頻り少女の頭を撫でた切嗣の手は力なく落ち、彼の呼吸も荒くなってきた。
「……さ、君の務めだ。楽にしてくれ」
切嗣の体に食い込んだ二発の九ミリパラベラムのホローポイント弾は、彼のバイタル部分に命中している。話している間も出血は続き、このまま放っておいても死は確実だった。
だが、死に瀕した敵が相討ち覚悟で襲い掛かってくるのは鉄火場において良くある事、相対した敵は確実に無力化せよとは他ならない切嗣の教えだ。それに、これ以上彼を苦しませる気は少女にはなかった。
永別の時は自らの手で。ここまでずっと手に持っていた拳銃、FN・ハイパワーは弾薬が減っているにも関わらず今まで以上に重く感じた。
切嗣自らとの対決。その最後の課題で消費したハイパワーの弾薬は十発。弾倉に残った弾数は三発。倒れ伏した人間に止めを刺すには充分な数だった。
体に馴染んだ銃を彼の頭に向け、後は引き金を引けばいい。間違いなく即死、念を入れて三発全て撃てば確実だ。
なのに、引き金がとても重い。指が無くなったかと錯覚するほどに感覚がない。
理性は彼に速やかな死を与える事を望み、感情は彼の生を望む。板ばさみになった体は静止してしまった。
切嗣に銃を向けて体が固まってしまい、どれほど時間が経過したか――
「
「――っ」
不意に少女は名前を呼ばれた。
「さようならだ」
だからだろう。続く彼の言葉に当時の少女は素直に頷いてしまった。
「うん、さようなら父さん」
手に返ってきた銃の反動、耳に残る銃声、鼻を突く硝煙の臭い。これで彼の人生に終わりが打たれた。
荒野に少女以外の生きている人は居なくなった。地平線の向こうに沈んでいく太陽は、風で舞い上がった塩の砂のせいで異常なほど紅く染まっている。まるで空まで鮮血に染まったみたいだ。
血に染まった空の下、衛宮切嗣という父を殺した。それが五年前、衛宮白羽の過去だった。
Re:Fate/stay night ――プロローグ 了