衛宮白羽が覚醒して一番に目にしたのは、窓から入る光にうっすらと照らされた土蔵の天井だった。
整理整頓がされてスッキリした室内は冬の空気の中で冷え切っている。もちろん彼女は寒さ対策をしていた。床に敷いたレジャーシートの上で野外用の本格的な寝袋に入り、使い捨てカイロも入れて万全の態勢だ。寝袋の中は外の寒さとは無縁である。
母屋に自室もあるのにわざわざ土蔵で寝ているのには当然ながら意味がある。
(――午後十一時ちょうど。頃合いは良いな)
カシオ製の厳つい腕時計で時刻を確認すると眠気を感じさせない動きで寝袋から抜け出し、手近にあったスイッチで土蔵の照明を点ける。天井に後付けされた蛍光灯が灯り室内を明るく灯した。ただ、蛍光灯の明かりのせいか寒々しさは増している。服装はすぐに行動に移れるよう、カーゴパンツと長袖のシャツとカジュアルな装いだ。この土蔵がある土地でならこの程度の服装でも充分寒さをしのげる。さらに赤い革のジャケットに袖を通せば万全だ。用意していた器具を棚から取り出して準備を始める。
これから彼女が行うのは現代からは忘れられ、秘匿された神秘――すなわち魔術の実践だ。そしてこの土蔵は彼女の魔術の実践場所である工房となる。
「
程なく準備を終えた白羽はさっそく事を始める。
呪言を唱えながら試験管に入った水銀で工房の床に陣を描く。この段階からすでに魔術儀式の一環なので手は抜けない。
コンディションを万全にするため彼女は自分の工房のある土蔵に寝具を持ち込んで仮眠をとり、魔力がもっとも充実する時刻にこうして儀式に臨んでいる。
度重なる訓練と実戦により年頃の少女のものとは思えないくらいに逞しくなっている手。それは実に器用に動いて陣を描き出していく。その甲には入れ墨のような刻印がある。それがこれから少女が挑む戦いへの参加証だ。
「――降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ王冠より出で、王国に至る三叉路を循環せよ……こんなところか。知ってはいたけどこんな単純な陣とは」
陣が完成してすぐに歪みや欠落がないかチェックする。床に描かれた召喚陣はシンプルで、魔術を知っている者ならこんな簡単なもので目的のものを喚べるのか不安になってしまうほどだ。
白羽が聞いた話では呼び出しの多くの部分が大本で処理されるため、召喚者は大がかりな儀式を必要とせずに目的の召喚を成し得るという。必要なのは呼び出した存在を現世に繋ぎ止めるだけの魔力供給ぐらいだ。
陣を描き終えると腕時計で再度時刻の確認。すぐに次のステップに入っても問題はないと判断した。
陣の前に立ち、体調を確認――心身ともに問題なし。
陣を挟んで対面には召喚の触媒となる物品も配置した。信頼できる人物から譲られた物で由縁としては一応問題無い。それが対面に置いた小さな台座の上に載っている。小さな古いコインらしきそれは、さる土地から出土したそれなりに価値のある一品だ。
白羽の脳裏にさっき夢で見た五年前の情景が過ぎる。夢を見ること自体が珍しい彼女にとってそれは過去の回想に過ぎない。だが、十年近く磨き上げ研ぎ上げてきた成果を前にした感慨はそれなりに湧いてくる。
それら感情を今の一時忘れ去る。これより彼女は儀式を成す一部品となるのだ。余計な感傷は邪魔でしかない。
紋様の浮かぶ手を前に突き出し、自己変革の
「――
ガキンと銃の撃鉄が撃針を叩くイメージで回路が起動した。
通常の神経から神秘の回路へと反転する伝達系。背中にある魔術刻印が補助として独自に詠唱を始めたので心拍数も勝手に上昇していく。
体のあちこちで感じる幻肢や幻痛は人間であるかぎり逃れられない魔術の感覚だ。それら全てを飲み込み、踏破し、征服して白羽は本命の呪言を紡ぎ始めた。
「告げる――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
いかなる魔術であろうともしくじれば命に関わるのが魔道。ましてや彼女がこれから参加する儀式は、『戦争』と銘を打つだけあって命のやり取りが露骨に行われる
抑揚なく淡々と記憶した呪文を読み上げていく。それに伴い床に描かれた陣に神秘の光が宿り始め、呪文を一節唱えるごとに輝きを増していく。
「聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ――」
召喚によって遙か彼方の座標に向かって呼びかけの声が飛ぶ。時空の彼方へ嘆願を受け取るのは『英霊』と呼ばれる高位存在。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者――」
神秘を成す部品となった彼女はひたすらに詠唱に集中する。いまこの時だけは頭の中から全ての事象を追い出していた。
大気から取り込んだマナが肉体を犯す。背中に刻まれた魔術刻印が援護の詠唱をして身体を苛む。神秘と肉体の軋轢が体を刺激する。それら全てを白羽は無視した。
彼女の視界は肉体の影響で暗く狭まりだす。それでも詠唱が止むことはなく、口の奥で歯を軋ませて食いしばり詠唱は最後まで続けられる。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――っ!」
呪文の結びで魔術回路、魔術刻印ともにフルスロットルに回転を上げる。身体を流れる魔力の奔流を加速させ、限界まで回路を振り回す。
陣は今や燦然と輝き、土蔵の中には局所的な嵐が荒れ狂う。目を開けているのも難しい風が白羽の衣服や髪を乱暴にはためかせ、小さいながら稲光すら走った。
そして嘆願は受け入れられ、陣の経路は彼方へと接続。輝きの向こうから伝説の幻影が具現する。
かつて人の身で人を越え、その力を精霊の領域にまで押し上げられた者。超常の霊長は『英雄』と呼ばれ、人々の信仰、夢によって編まれて『英霊』となる。
抑止の力の座より召喚に応じ来る英霊。地上に降臨した奇跡は、今現世に確固たる存在を獲得して召喚者へと誰何の声をかけた。
「ほいほい、オレなんかを喚ぶ物好きなマスターはオタク?」
こうして、少女は運命と会った。
Re:Fate/stay night ――召喚の夜 了
一子相伝であるはずの魔術刻印がなんで養子の衛宮白羽に受け継がれているかは後述します。ただ、抜け道ってあると思うんですよね。アポで獅子劫さんも養子に刻印を継がせようとしていますし―ただし遠縁で血のつながりはあるそうで―、あくまで原則でしょうね。
このように独自の解釈も入っていますのでご了承を。