一歩、歩くごとに偽りの肉体は薄れていく。肉体を維持するための魔力は希薄で、現世に縁を繋ぎ止めておく
神秘溢れるギリシャの神代において魔女と呼ばれ、人々に恐れられてきた彼女だったが、その実態は英雄と神々に振り回される人生だった。
さる英雄が先頭に立ち、多くの英傑達と共に海を越えてメディアの住まう国にやって来た。そこで英雄は国の宝を所望する。当然国の王は拒否するが、英雄を贔屓にする神々は王女であったメディアに目を向けていた。メディアと英雄を強引に接近させ、色香に惑うメディアを利用して宝を手に入れさせたのだ。
その後もメディアは英雄と共に彼の故国に行き、しかし英雄の目的が果たせず国を逃げ、逃げた先で英雄に裏切られ、彼を見限るまで激動の生を送った。
彼女は望んで激動に身を投じたわけではない。神々に偽りの恋心を植えつけられ、一目惚れをした英雄のために様々な策略を練り、手を染めてきた。被害者が加害者になっており、気が付けば戻れない場所に来ていた。
帰りたい。全てが終わってしまった後、彼女が望むのは故郷コルキスへ帰ることだけだった。
英雄に会う前、神々に偽りの気持ちを植えつけられる前、叶うならその時に帰りたかった。そんな都合の良い夢はどんな神秘をもってしても叶えられないのは優れた魔術師であったメディア自身良く分かっている。それでもそんな願いを持ってしまうのは止められなかった。
だからこそ彼女は聖杯という奇跡に見初められたのかもしれない。
万能の願望器、超級の魔力炉、神代の魔女と恐れられたメディアでもあるいはと思わせる器物を巡る戦いに彼女は応じた。もしかすれば本当に帰れるかもしれない。そんな淡い期待を持って。
そして淡い期待を持って召喚に応じたメディアを待っていたのは、生前と同じ道筋と末路だった。
どういう運命の皮肉か、彼女を召喚した魔術師は生前に彼女の人生を狂わせた英雄に良く似た男だった。容貌もその中身も良く似ており、メディアは内心でうんざりとした気持ちを抱いていた。運命や神々を呪うほどの気力はすでに生前で使い果たしている。
彼女が振るう魔術に対する恐れ、その逸話に対する侮蔑に嘲り、サーヴァントという存在に対する優越感、マスターが見せる表情や感情さえも生前に接した英雄に似ていた。だからこそマスターがメディアに見切りをつけて殺そうとしているのはすぐに察しがついた。
だから裏切られるよりも早く、メディアの方からマスターを裏切ったのだった。
そうしてキャスターたるメディアはここに行き着いた。生前と似たような末路を迎えて。
夜中から振り出した雨が彼女の体を濡らしていく。冬の雨は刺すように冷たく、吐く息の白さも濃い。霊体化すれば寒さ冷たさから解放されるだろうが、現世での要たるマスターを失ったサーヴァントが霊体化すればそのまま消滅してしまいかねない。だから彼女はここ円蔵山の霊地まで歩いて来たのだ。
マスターを始末したメディアは、消滅を免れるために冬木の霊地である円蔵山、そこに建てられた柳洞寺を目指すことにした。冬木市街地を偵察していた時に発見した魔術工房を作るのに良好な土地で、サーヴァントのような霊体の進入を遮断する結界もあって守りは堅く、一度中に入ることが出来ればメディアにとって最高の立地になる場所だ。
結界の中に入れれば、消滅までの時間はまだ少し延びるし、その時間を使って柳洞寺にいる誰かを操り仮初のマスターにして、魔力は地脈を使って市街地にいる人々から集められる。
まだ聖杯戦争は終わっていない。メディアは自身の運命に関しては諦めていたが、この聖杯戦争はまだ諦めてはいなかった。
魔力の消費を抑えるために神代の魔術をほとんど封じ、衆目を集めないための視線避け程度の魔術だけでここまで歩いてきた。
帰りたい。ただそれだけの願いのために。
「――あ」
円蔵山の山林部分に差し掛かり、地面は舗装されたアスファルトから剥き出しの未舗装の大地になった。そのせいでメディアは地面に出ていた木の根につまづき、そのまま力なく転がった。神代の魔女と恐れられても彼女はあくまで魔術師であって戦闘者ではなく、さらには魔力不足からくる身体能力の低下も合いまって無様に転ぶ結果を生んだ。
仰向けになったメディアの顔に冷たい冬の雨が当たっていく。
「――ふ、ふふ……」
不意に今の状況がおかしくなってきて、口から嘲りの笑みがこぼれ出る。余りにも惨め過ぎるがために。魔力は枯渇寸前、泥まみれ、それでもまだ諦め切れない生き汚さ、他者から見ればさぞ滑稽に映るだろう、と自嘲する。
でも滑稽でもまだメディアは聖杯戦争を続けるつもりでいた。
「……帰りたい」
「そうかい。でもアンタはここで終わりだ」
「――っ!」
口から漏れた呟きにあるはずの無い返事が返ってきた。力の出ない体を無理に起こし、次に神言を口にすべく口を開く。メディアの魔術は神代のもので、現代の魔術師が
魔力は枯渇していても、まだサーヴァントの一騎程度は仕留められる余力は残していた。この周到さが彼女を英霊たらんとせしめる部分だ。戦闘は不得手でもあらかじめ用意した罠や策略でもって事を成していく謀略家。聖杯戦争となれば、敷いた陣地を中心に優位な状況を作り上げていって最終的な勝利を目指す戦い方をするだろう。
ただ、そんなifはすでに存在しない。
「がっ……!」
神言を唱えようとした口が物理的にふさがれた。どこからともなく飛来した矢がメディアの喉を射抜き、その衝撃を自覚する前に更なる矢が別の方向から飛んできて彼女の手を撃ち抜き、魔力で構成された仮初の肉体が痛みを覚える時には第三の矢がまたもや別方向から飛んできて胸に突き刺さった。
魔術を行使する喉と手を潰し、致命傷になる心臓への一射。メディアにとっても一瞬にしか感じ取れない間に放たれた三連射は、彼女を完全に戦闘不能へと陥らせた。
「――っ! ――っ」
痛く熱い感触と衝撃に再び地面に体を倒したメディア。喉が射抜かれ神言どころかまともな言葉さえ出てこず、ひゅーひゅーと息が漏れる音だけが口から鳴るばかり。神言が駄目でも簡単な魔術なら指を振るえば行使できるが、手も同様に射抜かれておりまともに動かせない。痛みをこらえてやろうと思っても動かず、妙な痺れさえ感じる。もしかすると毒の類が矢に塗られているのかもしれない。
そして胸に刺さる矢は致命傷だ。サーヴァントが現世で存在する上でもっとも重要な部位、霊核が射抜かれており修復不可能なダメージを負っていた。ただでさえ魔力が枯渇状態のところにこのダメージは止めを刺すに充分過ぎるものだった。
魔力で構成された肉体は崩壊を早め、末端部分から消滅していく。その速度は速くメディアが抵抗する時間さえ無い。数秒で体幹部分も消滅し始め、最後に頭部が消滅して後には何も残らない。
消滅寸前、メディアの口が開いて何かを呟いたが声になることはなく、彼女は聖杯戦争における最初の脱落者となった。
その数分後――メディアが消滅した場所に一人の男がやって来ていた。
彼は聖杯戦争とも魔術の世界とも一切関わりのない無関係の人物で、ここは彼が居候している柳洞寺のふもとで、普段使っている通り道から外れた地点だ。いつもは足を踏み入れる機会の無い場所だったが、男は何らかの異常を感じて就寝前にここへ足を運んでいた。
しかし、男が来たときにはすでに事が終わった後のようで、雨に塗れた地面に何かが倒れたような痕跡がある他は何も無く、感じ取った異常もすでに霧散していた。柳洞寺の方向を見ても異常は無い。ならば男に出来る事は何も無く、ここで何があったか考えるよりも速やかに部屋に戻り明日に備えたほうが理に適っている。男はそう結論を下して住まいのある柳洞寺へと歩み去っていった。
別の世界線において運命の邂逅があったかもしれないこの場所も、ここでは一騎のサーヴァントの消滅地点としかならない。聖杯戦争は冬木の地で余人に知られることなく今夜も密やかに進行していた。
Re:Fate/stay night ――邂逅成らず 了
若奥様ファンの方々にはスイマセン。この話には若奥様なメディアさんは登場しません。
若干の修正した際、立香の革ジャケの色が赤色に変更しました。ジャケットのイメージとしてはCCCの紅茶さんか空の境界の式さん。
近日中に次の投稿もする予定です。